
これはすごい。久々に「こんな芝居が見たかった!」と思わせてくれる作品だ。たった90分に収まる。ムダがない。『喜劇一幕』なのに3幕からなる。まぁ幕はないから昼、夜、朝の3場なのだけど。この3つのエピソードでまるまる1日のお話。コロナにはイソジンが効くとコメントした大阪府知事。それを聞いた大阪市民がイソジンを買い込み店頭からイソジンがなくなった日のお話。大阪という文化なき都市で暮らすある家族の1日。長男の婚約者を迎える夕べから、翌朝の食卓まで。ホームドラマでコメディという体裁だが、なぜか不気味で怖い乱暴な90分。
特別な事件は何も起きないのにちょっとした気味の悪さが持続する。冒頭の洗濯物をたたむ母親の姿からして異常だ。白のワイシャツだけ、何十枚もある。それを乱暴に畳む。スマホをスピーカーにして話をしながら。そこに夫が帰ってくる。秋津ねを演じる母親は終始イライラしている。西村貴治演じる父親はぼんやりしている。ストーリーらしいストーリーはない。いや、ないわけではないけど、表面上は穏やかで何もないということだ。でも、なんだかいろんなところがいびつ。
息子(沢柳優大)と婚約者(宮本結妃)の会話もなんだか間延びしている。公園で話すシーンで、彼女の質問のなかなか答えないとこに過剰な間がすごい。心配するほど長い空白。予定より早く自宅に到着すると連絡する、夕飯の準備ができてない母親のイライラはエスカレートする。自宅に戻ってからの息子の態度が微妙に外とは違う。何もしない。それが婚約者を不安にする。
TVをつけてもそこからはノイズしか聞こえない。やがて、そんなTVから流れてくる「コロナ、芝居、ダメ」(だったっけ?)という繰り返し。なんでもないお話のはずなのに、細部がいびつで不気味。なんかぞわぞわするし、気持ち悪い感触がわざとらしくあちこちにちりばめられる。急に大声を出したり、父親は小刻みに歩くし、あのTVの雑音。舞台美術もそれを助長する。ここはたぶん1階のリビングのはずなのに2階(空間が浮遊しているイメージなのか)。階下(縁の下か)にはブルーシートと黄色いロープで梱包されたままの家財道具。こんな不思議な空間ですこしずつ異常が増幅していく。
そしてそれはラストで爆発する。「こんな家族と結婚したくない、」という婚約者である百合の独白だ。しかもそれは2段構えで展開する。彼女はこの家族の一員にはなりたくないし、この男とは結婚しない。一方的に怒りを爆発させるところで終わりなのか、と思わせてそのあとにもうワンエピソード用意する。百合役の宮本結妃が頭を下げて暗転。当然終わりだと思った観客の拍手が起きる。だが、その後なかなか明るくならない。この芝居にはそういう間が随所にある。長い空白を置いてようやくセリフを発するシーンだ。
この悪びれるくらいに長い暗転後、エピローグが始まる。百合が去ったあと、その後の時間が描かれる。だがそこでは赤ん坊の頃の息子を抱えてイソジンでうがいさせる母親の姿。階下では婚約者に捨てられて泣き崩れ悶絶している今の息子の姿が。そんなふたりを延々と見せる。しつこいくらいに長い。
これは笑わせる芝居ではない。(笑えるけど)実はとても怖い芝居だ。それは彼らの日常が異常と紙一重で、でも、それを彼らはずっと普通だと思い続けてきていた。家族しか知らない暗黙の了解事項。それが他者には耐えがたいということだ。この違和感への拒絶が、ここには不在の妹(引きこもりで部屋から出ない)に象徴させて描かれる。婚約者の百合がそれをはっきりと声にする。
東京と大阪の対比で大阪を文化なき国と安易に揶揄するのではない。この家族を否定する百合が正義ではないことは明らかだ文化の違いでもない。だいたいこの最悪の息子を見破れず、これまで付き合ってきたのは彼女自身なのだし。さらには大阪府知事の愚かさをどうこうするのでもない。だが、ここには確かに「いら立ちの先にあるもの」が示されている。「本当の文化と何なんか」という問いかけがある。