
こんなシンプルなタイトルで感動ドラマ(たぶん)を演出するのは、すっかり「メジャー大作映画ならオレに任せろ」という感じになった瀬々敬久。そつなくどんなタイプの映画でもこなし巨匠の風格すら漂わせる。だけど僕はやはりインディーズで(国映のピンク映画だが)暗い作品を撮っていた頃の彼が好きだ。
今回もなんだかあまり乗れなかった。見る前は感動の押し売りを危惧したが、見た映画はまるで違う作品だった。だけどなんだかよくわからない映画である。2025年から始まる。西野七瀬がバスの中で少女と出会う。彼女が語る昔話としてお話が描かれる。それは2011年の岩手から2016年の熊本、二つの大地震を体験した少年と犬の話である。
主人公の高橋史哉演じる青年は映画の半ばでいきなり死ぬ。まさかの展開に啞然となる。しかも死んだからもう基本出てこない。それじゃぁ主人公じゃないやん、と思う。幻として登場するけど。だいたいタイトルの少年って彼のことか、と最初は思っていたけど(それにしても少年ってそれはないわぁ)それは違う。
死んだ彼は守護天使として旅する犬を見守るけど、もちろん直接は何もしないし、出来ない。犬(多聞)は5年の歳月をかけて少年(東日本大震災の被災者であり、熊本地震にも遭う)に会うために東北から熊本まで旅する。少年は震災の後遺症から言葉を失った。多聞と再会し、言葉を取り戻す話はあるけど、そこがメインではない。
この手の映画はその旅の途上でのさまざまな出来事が描かれるのが、基本パターンだけどそんな心温まる交流はほとんど描かれない。(柄本明の老人との話だけ)
多聞との交流(この映画)は最初の高橋が犬を保護した話と西野七瀬が保護する話(高橋が合流する)だけ。ふたりとのお話がメインになるからあまりロードムービーって感じはない。しかも西野七瀬は殺人の自首で警察に行き、その後高橋はトラックにはねられて死ぬ。だから多聞はひとりになる。
途中から姿を消すこのふたりが主人公である。高橋は震災後町で強盗をする外国人一味の仲間になる。西野はダメ男のためにデリヘル嬢になり男に貢いでいる。そんなふたりの話が多聞とのドラマの背景に描かれる。まるで健全な感動ドラマではない。
ではこれは何なのか? スピリチュアルな映画か? いや、そうではない。見終えた後もなんだかよくわからない。いろんなところが中途半端で描こうとするものが明確にならない。なんだか不安にしかならない。二つの震災を体験した少年と犬。彼らが何を思ったかはわからない。不思議な映画だ。