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朗読劇団なんていうものがあるんだ、と感心した。知らなかった。しかも、発足からもう45年になるらしい。それだけの長きにわたって継続して活動を続けているって凄い。最近少し下火になっているけど、一時期小劇場界ではリーディング公演が流行った。舞台上でテキストを持ち、朗読や台本を読む。あんな感じなのか、と思い、見始めたのだが、なんと朗読者はテキストを持たない。だから完全に演劇のスタイルなのだ。ただ、テキストが小説だから会話劇にはならない。ト書きに当たる部分や、内面の告白が語られる部分が前面に出る。
演出は劇団の大阪の熊本さんが担当した。もともとこの集団はもっと明確な朗読スタイルだったのだろう。熊本さんからの指示でこういうスタイルになった(らしい)。朗読であることの意味と意義が前面に出るほうが面白い。芝居ではない舞台表現。演者が、客観的な視点で演じたり、内面が言葉に出てきたり、小説家の描きたかった世界がダイレクトに表現できる。それが朗読劇の強みだろう。だが、反面、それなら演じる必要がない、という意見も出るだろう。小説をそのまま読んでいればいい。
ただ、自分が読むのと、他者が読み聞かせるのとでは違う。お話会とかの魅力はそれが「口承」であるところにある。お話を聞く.話者の魅力に引き込まれる。ただ、この集団のように劇場でそれをする、というのはお話会とはまるで違う様相を呈する。彼らはあくまでも劇団なのだ。そして「朗読」を武器とする。
なんだか不思議な90分だった。なかなか作品世界に集中できない。でも、それが嫌ではなく、その距離感がいい。今回取り上げた題材も相俟って、母親を棄てるというあり得ない行為をどれだけ冷静に見つめるかが、テーマとなる。このスタイルだからこそ、感情に流されるのではなく、冷徹に事実と向き合える。貴重な体験だった。