ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

トランスパレンテ ‐ 再びのトレド

2013年01月11日 | スペイン/ポルトガル

 右側の扉から入ろうとすると、ガードマンにやんわりとたしなめられてしまった、というのが前回。
 路地を下った所にあるプレハブ小屋でチケットを買って、再度「大時計門」に向かった。
 ちなみにこの門、七つある門の中で最古の門と言われている。

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  左側の扉から入る人は止められることもなく?と思ったのですが聖堂に入ってその理由が判りました
 
その扉は入って直ぐ高い柵に阻まれ、主祭壇と聖歌台が僅かに見えるだけ、なるほどと納得でした

 15世紀に入ってコロンブスが新大陸を発見、交易が盛んになると交通が不便なトレドの栄光は次第に失せ一地方都市へと没落、その一方で、大西洋に近い港町セビリアには未曾有の富がもたらされたとされる。

 セビリアが台頭するまでのトレドは、スペインの政治、文化の中心だった。
 そのトレドに大聖堂が建立されたのは、589年に西ゴート王国の首都トレドで宗教会議が開かれカトリックを国教とすることが決定、以来この街にトレド大司教座が置かれることになり、それに相応しい大聖堂が必要と考えた。
 トレド大司教は今も、スペイン・カトリックの首位聖職者とされている。

 工事が始まったのが13世紀始め、その命を下したのが、当時イベリア半島の7割近くを占めていたカステーリャ王国のフェルナンド3世。
 混乱や無秩序が支配、ともすれば野蛮とまで称されるゴチック様式の外観とは対照的に、内部は豪華絢爛を極め、精緻で金色に輝く装飾で埋め尽くされたとされる。

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  象徴とされるのが金色の鉄柵で囲まれた中央祭壇の後方、黄金に輝く衝立です
 
ヨーロッパ各地の芸術家、27人の共同制作になるものだそうです

 その裏側に置かれているのが、1723年に完成した透明を意味する「トランスパレンテ」。
 97年当時、見逃し随分と悔しい思いをした曰く付きの装飾である。

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  16世紀、中央祭壇の裏側に唐松にキリストの生涯の20場面を掘り込んだ衝立が作られました
 
ところが、それによって祭壇前に置かれた聖櫃(せいひつ)が闇の中に埋もれてしまったのです

 打開策として衝立に穴を穿ち、光を取り込むことになった。
 単に穴を穿つだけではなく、衝立の裏面に天使が飛翔する場面など、バロック調の美しい彫刻が施されたのである。

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  さらに工夫が凝らされ、外光を取り込むため外壁にも大きな穴が開けられたのです
 
穴からの一筋の光、暗闇に置かれた聖櫃を神々しいまでに浮き上がらせ劇的な効果をもたらしたのです

 折からの素晴らしい天気を受けて強い光が差し込んでいた。
 尤も、高いところまであって全体像を上手く仰ぎ見ることができないのが少し残念。写真は上手くフレームに納まってくれたか?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.564

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