ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

わくらば ‐ 散歩道

2009年12月22日 | 散歩道/山歩き

 今日は、昼が最も短く、そして夜が最も長くなる “ 冬至 ”。
 
この日に柚子湯に入り、小豆粥やかぼちゃを食べると風邪をひかないとされているが、さて、新型のインフルエンザにも効き目があるのだろうか?

 昨夜、気が置けない人達との忘年会で少しきこしめし、蒲団を離れるのが遅かったのだが、久し振りに緩んだ寒さに誘われ散歩に出た。

 Photo_5小さな別用もあったので、何時ものコースから夙川公園の上流へ少し足を延ばした。

「桜紅葉」もあらかた葉を落とし、朽ちた松葉とともに川床の石榑(くれ)に留まっていた。
 ゆるやかな流れに歩調を合わせぶらぶらと下流に向かっていたら、「カルガモ」が三羽、小さな洗い堰で水に戯れていて見飽きない。

 水面を漂う枯れ葉を眺めていると、昨夜のカラオケの余韻ではPhoto_7ないが、随分と昔に流行った歌を口ずさんでいた。

 病葉を今日も浮かべて  街の谷川は流れる
   ささやかな望み破れて    哀しみに染まる瞳に
   黄昏の水のまぶしさ
  (川は流れる-詞:横井弘)

 この曲がヒットしたのは、昭和の40年代のはじめ頃だったように思っていたのだが、世に出たのは61年(昭36年)だそうで半世紀に近い。

 Photo_8当時は、歌詞の意味も理解していなかったのだが、単調な旋律を物憂げに歌う仲宗根美樹に、恋に破れた都会の女性の寂寥感らしきものは感じていたように思う。

 ところでこの歌は、“ 晩秋の小さな川に朽ちた葉が流れる様を人生になぞらえている ” のだと今まで思い込んでいた。
 しかし、「病葉」(わくらば)は夏の季語らしいし、一番の黄昏の水のまぶしさ、二番の吹き抜ける風に、のフレーズから、やはり季節は夏と考えるのが尤らしい。

 まあ、それは別として、

  思い出の橋のたもとに 錆びついた夢のかずかず  ある人は心つめたく
   ある人は好きで別れて 吹き抜ける風に泣いてる

 に、橋に佇み川面を見やる儚い女性を想い、

 ともし灯も薄い谷間を ひとすじに川は流れる 人の世の塵にまみれて
     なお生きる水をみつめて 嘆くまい明日は明るく

 に、哀愁を誘われるんだ、多分?
 そのうえでやはり、「秋の歌やないか」と、歌謡曲の歌詞など、どうでもいいことに頑なに拘るのだ。

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