ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ヴェネツィア日記(4)

2013年09月27日 | イタリア

 99年9月××日 かなりのお昼過ぎ (快晴)「福音書記官聖マルコ」 
 サン・マルコ寺院は、福音書記官聖マタイ、聖ルカ、聖ヨハネとともに、新約聖書に収められた四つの福音書のひとつを著した聖マルコを祭祀するため建立された聖堂で、ロマネスク・ヴィザンチン様式の大聖堂である。

 「キリスト教の旗の下に航海する東方の建物」とも形容されるその姿は、9世紀から18世紀にかけて東方との交易で巨万の富を得たヴェネツィア共和国の歴史を今に伝えている。

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  極彩色のモザイクが施された半円形のファサード
 
その上には、五つの巨大な玉葱坊主のドームが覗いていています

 ところで、守護聖人がここヴェネツィアに眠ることになったエピソードをひとくさり。
 9世紀の初め、著名な守護聖人を得て国の格を上げようと目論んだベニスの商人たち。
 所はエジプトのアレクサンドリア、聖人を祀る僧院がイスラム教徒に襲われていることを聞きつけ遺骸を買収、ヴェネツィアに運ぶべく画策したものの、密売が発覚すればただではすまない。

 そこで、件の商人ふたりは考えた。
 イスラム教徒が忌み嫌う豚肉で遺骸を隠し、まんまと持ち出すことに成功、聖マルコは熱狂のヴェネツィア人に迎えられたという。
 何故、アレクサンドリアの僧院に聖人が祀られていたのかって?
 アレクサンドリアの教会の創建者であり、初代アレクサンドリア総主教(当時、最高位とされる聖職)だったからとされている。

 ちなみにアレクサンドリア、ローマ、今のイスタンブールであるコンスタンティノポリス、シリアのアンティオキア、そして、エルサレムとともに総主教座が置かれ、五大総主教座の一角を占めたとされている。

 この聖堂、主祭壇から奥は有料になっていて、そこには、黄金の衝立画・パラ・ドーロやヴィザンチン帝国の栄光を今に偲ばせる遺品が展示してあった。

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  解説書には、金色の板に宝石を散りばめたパラ・ドーロ
 
 御子キリストと聖マルコの物語を描いたヴェネツィアが誇る至宝だそうです

  辺りが薄暗く外が明るいので目が馴染まず、よく見えないのだが、ルビーやら水晶やらが金色の地金の上で輝いているようにも見えた。
 洋の東西を問わず宗教の持つ力、財力に改めて感じ入った。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.708

  ※ ヴェネツィア日記(3)へは、<コチラ>から、同じく(5)へは、<コチラ>からも入れます。

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