ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ヴェネツィア日記(1)

2013年09月04日 | イタリア

 水の都ヴェネツィア、アドリナ海の女王、夢の浮き島とも称されている。
 この町は何故か縁薄く、訪れたのは ‘99 イタリアの旅で一度だけ、それも一泊、昼前に着いて翌朝早く出発すると言う慌ただしさだった。

 それでこの町を語るのも聊かおこがましいので、いつかの<モンマルトル日記>風に話を進めてみたい。あなたの旅の一助になれば幸い。
 写真は、例によって銀鉛フィルムからスキャニングしたので、画質は余りよくないがご容赦を。

 99年9月××日 お昼に少し前 (快晴) 「カナル・グランデ」
 この町のことは、「ヴェネツィア案内」(新潮社刊)などで、僅かだが仕入れてきた。
 それに拠れば、蛮族に追われたヴェネツィア人、窮してアドリア海のラグーナといわれる潟に、唐松の大木を何本も打ち込んで土台を作り住居を築いたとある。

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 ♪ 松の木は水に浸かるとコンクリートのように固くなるのだそうです
 
その松の木の上、なんとまあ、ヴェネツィアの町です
 
仕組みと上空からの町、ユネスコ世界遺産(講談社刊)から拝借しました

 その様は想像をはるかに超えていて、陳腐ながら「凄いなあ」しか浮かばない。
 尤も、乏しい想像力をいくらめぐらしたところで解りっこないのだが。

 海の中道・リベルタ橋を走るバスの車窓からは、潟・ラグーナに点々と杭が立っているのが見える。
 この杭、ブレコレ・木の柱、標柱というらしいのだが、ラグーナは浅いために、行き交う船が座礁しないように杭が打ってあるらしく、これに沿って船は進むと安全なのだそうだ。

 バスは、サンタ・ルチア駅に隣接するローマ広場に到着、迎えてくれたのがイタリア気質の陽気なおじさんレナード氏。
 ここでバスと別れ、JALバスの一行、一行と言っても僅か四人だが、広場にあるタクシー乗場に向かった。

 タクシー、モトスカーフィというのだそうだが、10人ほどが乗れるモータボート。
 満潮時だったので、「運転手が、運河に架かる橋がくぐれないかもと言っている」とレナードは伝える。

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 広場を離れたタクシー、暫く小さな運河を進み、そして大きな運河に出ました
 
水の都・ヴェネツィアのメインストリート、カナル・グランデ、大運河です

 そこは、ヴァポレットと呼ばれる水上バスやモトスカーフィ、荷物専用船のカーゴ、それに、ゴンドラが行き交う交通の要衝。

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 カナル・グランデにひしめく船の間を器用に縫って白波を蹴立て進みます
 
両岸には、所狭し?と建物が並んでいます

 最近のヴェネツィア、温暖化と地盤沈下のため、満潮時には水に浸かることが多いと聞く。
 普段は、ホテルの専用桟橋に横付できるのだそうだが、満潮のためリアルト橋の袂にあるヴァポレットの船着場で降りた。

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 リアルト橋付近のバス停?から、スーツケースを押しながら細い路地を抜けます
 
世界に冠たるヴェネツィア、天気が良い所為も相俟って平日にも拘らず人、人

 人波を縫って、右に曲がり左に曲がりながら路地を進み、5分も歩いただろうか、今宵のホテル、スプレンティッド・スイスに着いたのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.69

 ※ ヴェネツィア日記(2)へは、<コチラ>からも入れます。

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1 コメント

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大聖年の巡礼の折に、機会があればヴェネツィアを... (旅人)
2013-09-04 22:16:25
大聖年の巡礼の折に、機会があればヴェネツィアを、とありましたが、いよいよ始まりましたね
私も一度だけ行ったことがありますが、大運河と両岸にひしめく建物を見たとき、正直、開いた口がふさがらない、そんな感想を持ちました
この後のヴェネツィアが楽しみです[E:foot]
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