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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

平凡に暮らす仕合せ ‐ ゆく年

2016年12月31日 | 季節/暦

  昨日といひ 今日と暮らして あすか川
             流れてはやき 月日なりけり  (古今和歌集/春道別樹)

 年のはてによめるとして、“ 昨日はといい、今日はといって暮らしてまた明日になって・・・、川の流れのように早い月日だったなあ ” と、平安歌人の春道別樹(はるみちのつらき)は詠んでいますが、ほんと、過ぎて仕舞えば早いものですね。

 斑呆け酔狂、昨夕食の名も覚束かない有様ですが、それでも顧みればいろんなことがあった一年でした。
 熊本地震や豪雨をはじめ自然の猛威になすすべもなく立ち竦み、連日の酷暑のなか障害者施設での殺戮に身の毛もよだつ思いも。

 天皇陛下が退位のご意向を示唆されたのもリオ五輪で日本選手が頑張ったのも、その夏の暑い日のことでした。

 また、東京の新・旧知事や新市場や五輪関係のことが、飽きることなく報じられた(る)のも、関西で暮らす僕(やつがれ)にとっては正直言ってうんざりでした。

 米国の新大統領誕生や韓国の大統領の取り込まれには笑ってしまいましたが、頻発する無差別テロ、市井につつましく暮らす人々が難民となって苦しむ報道に胸が痛みました。

 省みて酔狂、若い頃のように嬉しいこと、楽しいことがある訳じゃありませんが、今年は入院することもなく、ただ平々凡々に過ごせたのは、仕合せと言えば仕合せだったでしょうか。

 明日からの日々が、穏やかで明るく、愛と希望に満たされるように願うばかりです。

 で、この日の一枚となれば、やはり、東山魁夷の 「年暮る」(山種美術館蔵/昭63年初夏、京都市美術館「東山魁夷展」図録から)でしょうか、小編、<再登場>です。

 小編にアクセス頂き、ありがとうございました。 よい年をお迎え下さい。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1237  

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責任取ってよね! ‐ 12月がきた

2016年12月01日 | 季節/暦

 この言い回し聊か手垢にまみれているが、“ 月日の経つのは早い ” としみじみ思う。
 2016年、カトリック典礼暦、「王であるキリスト」(11/20)で一年(C年)が終わり、「待降節第1主日」(11/27)から新しい年(A年)になった。

 新しいと言えば、過日(11/18)の朝日紙 「新任務 駆けつけ警護、稲田防衛相が命令」とあった。
 記事を追うと、“ 防衛相は、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣する陸自部隊に、安全保障関連法に基づく 「駆けつけ警護」などを付与する命令を出し、この12日から遂行が可能 ” とある。

 さらに、“ 他国のPKO要員らとともに、武装勢力から宿営地を守る 「共同防護」も認めた。氏は記者会見で 「新任務の命令を発出したのは私自身。すべてのことについての責任は私にある」と述べた ” と続いていた。

 氏の言う “ すべてのことの責任 ” とは、何を指し、どのように贖うのか不明だが、いみじくも事の危うさを認めたうえの言葉だろう。

 新任務の賛否は区々だろうけど、その全責任、氏の安っぽい言葉丸ごと 「俺を選んだ国民にある」なんて思ってンだろうなあ、安倍くんは。

 こんな現象、何も日本だけじゃない、英国のEU離脱、米国でのトランプ、と選んでから臍を噛む劇場型政治がもたらす危うさが世界を覆う。

 お隣さんでは、大統領が民間の一女性に取り込まれていたとか、嗤っちゃいけないがまるで韓流ドラマ、責任取って辞めろと大合唱、そりゃ怒るだろうて。

 冒頭に戻って、師走・十二月、待降節に入って最初の祭日が 「<無原罪の聖マリア>」(12/8)。
 と、なればこの作品、スペイン・バロック期の巨匠ムリーリョ(1617-1682)の 「無原罪の御宿り ‐ アランフェス」(プラド美術館蔵)。
 この日、米国相手に聖戦とやらをおっ始めたけど、その後始末、国民に丸ごと押し付けちゃったんもンなあ。

 NHKラジオ、予報士が 「気象予報では今月から季節は冬」と、で小編も気散じにちょっぴり衣更え!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1222

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老い ‐ 11月がゆく

2016年11月30日 | 季節/暦

 散歩の途中、お寺の掲示板に “ 子供泣かすな何時か来た道、年寄り笑うな何時か行く道 ” と貼ってあるのを見かけ、上手く言ったものだと感心したことがある。

 最近、そのお年寄りドライバーの事故が相次いで起き、とてもだが笑うどころの状況にない。
 年齢を重ねれば感覚も判断も動きも鈍る、加齢が原因の交通事故、何も今に始まったことじゃないのだろうけれど・・・。
 ただ、車を保有する人も免許所有者も少ない上に、発進時にクラッチ合わせの過程があって、件数が少なかったのかも知れない。

 ある年齢になればハンドルを離すことが必要だろうけれど、自分では衰えていないと思っていることや、車がないと暮らしが立ち行かない時代背景などがあってなかなか難しいようだ。

 斯くいう酔狂、某日某駐車場で、停めてあった車に当ててしまった。
 幸いに小さな擦り傷が付いた程度で、先様からは恕(ゆる)して頂いたが、何十年振りかの物損事故に気持ちが塞がってしまった。

 その車、ふた昔も前に都心の駅近傍のマンションに越した時に思い切って手放したことがあったが、それも慣れれば不都合も感じず、<盆暮の墓参>などの折は自宅前のレンタカーを利用していた。

 夏冬の厳しい折、彼女 の稽古の送迎用にと持ちかけたりもしたが、呑兵衛の酔狂を慮って首を縦に振らなかった。
 が、逝って直ぐ、<墓園>が六甲山系の甲山の中腹にあって、交通の便が余り良くないことを理由に買ってしまった。

 持てば持ったでこの無駄使いの固まり、中々手放し難く、今、彼女の言葉をほろ苦く思い出している。
 何時か行く道、思いの外早く着いてしまったかな、そんな気がする霜月・十一月、聊かの教訓を残しゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1221

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黙して語らず ‐ 11月がきた

2016年11月01日 | 季節/暦

 今日(11/1)は、カトリック典礼暦の一年最後の月に祝う 「諸聖人」の祭日である。
 この祭日、“ 主の再臨とキリストの輝かしい完成を思い起こさせる日 ” (パウロ会のHP)だという。
 またそれは、“ 目に見えない世界に入ったすべての人との連帯を意識する日 ” でもあると。

 そして、明日(11/2)は、カトリック典礼暦の 「死者の日」。

 同HPは、“ 神に仕えて亡くなったすべての人を思い起こし、死者のための祈りを共にし、地上の 「生」を超えた命に私たちの心を開かせてくれる日 ” だと説く。

 この日教会は、教会の共同墓地(墓碑)に司祭(神父)が出向き、死者のために祭祀を行い祈りを捧げる。

 彼女 、余命を知った時、「共同墓碑に納めて」と言って譲らなかった。

 遺る者に先々まで負担を残したくなかったのだろうが、ひょっとしたらふたりだけの墓に納まるのが嫌だったのかも・・・と、思ったりも。
 今となれば知る由もなく、それこそ神のみぞ知るところだが。

  参りたる墓は黙して語らざる  (虚子)

 彼女が逝って三年、直ぐにでも・・・と大騒ぎした僕(やつがれ)、未だに憂き世でもがいている。

 暗い話になったが 「死者の月」ともされる霜月・11月、静かな雨で明けたが、紛争やテロ、災害や事件・事故などで愛する人を失った方が、心癒される月であって欲しいと思う。
 ミケランジェロ(1475-1564 )の 「ピエタ」(サン・ピエトロ大聖堂)、聖母マリア、子を想う母の悲しみ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1206

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ハロウィン ‐ 10月がゆく

2016年10月30日 | 季節/暦

 明日(10/31)はハロウィン、“ 古代ケルト人の祭が起源と考えられている ” (コトバンク)とか。
 巷には一月ほども前からかぼちゃのお化けなどの飾りが並び、その経済的効果は今やバレンタインデーを凌ぐという。

 この行事、アメリカで盛んらしく、当日ともなれば子どもたちが幽霊や魔女、フランケンシュタインやゾンビなどに仮装して近くの家々を訪ね、お菓子をねだるのだとか。

 25年も前、ルイジアナ州で仮装をした日本の高校留学生が、「Trick or Treat、お菓子くれなきゃ悪戯するぞ」と訪ねた家で、「フリーズ!」と警告されたが理解できず、近づいて射殺される痛ましい事件があった。

 そのハロウィン、キリスト教の行事と思っている方もあるのでは?
 斯くいうペトロ も、洗礼を受けるまではそうだとばかり思っていた。

 カトリックでは翌日(11/1)を、全ての聖人と殉教者を記念する 「諸聖人」の祭日、古くは 「万聖節」と呼ばれていたが、その前夜祭的な意味合いの日だとする説もあるようだ。

 由来も他宗派のことも知らないが、今は、カトリック典礼暦には関係のない行事である。
 それはとも角として、昨今は仮装した若者が繁華街に繰り出し大騒ぎなんだとか。

 その大騒ぎ、年に一度ならまだしも、強行採決を考えたことはないと虚言を繰り返す首相、強行採決でTPP法案を通すと妄言した農水大臣、沖縄で土人シナ人と暴言の機動隊員にご苦労さんと世迷言の大阪知事、毎度毎度の驕り切ったその格好、仮装しなくともゾンビに見えたは酔狂も老眼が進んだか?

 そんなこんなで、地震列島日本、またも山陰地方を中心に爪跡を残し神無月・十月もゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1205

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続・また最近、ブログ考

2016年10月24日 | 季節/暦

 小編、ペット愛好家には失礼かも。
 今もあるのか知らないが、かなり以前、ペットシンドロームなる現象がある、と雑誌とかで読んだことがある。

 主旨は、飼い主とペットの立場が逆転、いわゆる主客転倒する、というような意だったと憶えている。
 仮にそうだとしても、「第三者のあんたにとやかく言われる筋はない!」と、叱られそうだが。

 勿論、そのことを彼(あれ)是れ言う心算は毛頭ない。
 幼い頃に一度、犬を飼って以来経験がないので、真偽のほども実感も湧かないが、犬や猫の載ったブログを拝見するにつけ、ご本人にとっては目に入れても・・・ほど、可愛いのだろうなあとは思う。

 もってまわって書くほどのことじゃないが、小編、そのペットのことではなく自身のブログのこと。
 最近、ブログシンドロームとでもいうべきか、早い話が投稿することが自己目的化しちまった、ように感じるところもあって面白くなかった。

 で、ウィーン美術史美術館を終えたのを機に、暫く休もうと思った。

 しかし、休み中つらつら考えるにその症候群とやら、生きるために食ってんのか、はたまた食うために生きてんだか、のようなもの、詰めればどっちだっていいやないか・・・と。

 斯くして、休暇もささやかに四日で敢え無く終了、鞄の中を軽くしてもう少し歩いてみることにした。

 初夏の花 「ツツジ」が、商魂逞しくもこの時季の花に変えられたらしい 「アザレア」、花の界も大変だ!?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1202

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固い頭には酢? ‐ 10月がきた

2016年10月01日 | 季節/暦

 余人は知らず、疲れた時など、結構、酸っぱいものが食べたくなる。
 会社法務を担当していた頃、センシティブ、機微に触れる案件を扱った時など、何となく寿司が食べたくなったように憶えている。

 彼女 から週末に、「何かリクエストがある?」と訊かれた折には、内心、太巻き、これが結構手間が掛かるらしい。が、食べたいなあと思ったものだった。
 教室を週に五箇所抱えた彼女には、土・日と雖も準備で忙しいことは分かり、口には出さなかったけれど。

 独りになって、気持ちが欲しがる時は、売り場に並ぶものを利用するが、どうも甘くて頂けない。
 それでという訳じゃないが、太巻きは論外として、何を血迷ったか手巻き寿司なら何とか・・・と、思わない時もないじゃない。
 が、炊飯器が炊いた “ すしめし ” を、冷ましつつ酢を打つ、なんて考えたら、そこまでしてと気が萎える。

 そんな折、晩酌の肴を求めてCO-OPをうろついていたら、海苔売り場に “ 酢海苔 ” なるものが並んでいた。
 この海苔屋さん、“ おにぎらず ” なる塩海苔を販売したメーカで、それに類するものらしい。

 固い頭じゃ思いつかぬ発想、そうか、待ち人来たらずならこっちから行きゃいいンだ・・・と、ちょっと違うか?
 とまれ、食欲の秋とやらを満喫、それも鱈腹と思う、術後症による過食反動は暫し打っちゃっておいて。

 そんなこんなで神無月・十月、結構に高層のわが埴生の宿、窓を開けると秋風に乗って、居座った秋雨前線の隙間(9/30)を縫って運動会の練習だろうか、スピーカーの声が何処からか届く。
 花屋さんの店先には、清(すが)しい真綿色、どんな色なんだかそれって? したシクラメンも並び始めた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1192

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今になって ‐ 9月がゆく

2016年09月30日 | 季節/暦

 お色気が売りの某週刊誌が社会の木鐸になったつもりか、恫喝紛いの医療記事を続けている。
 新聞広告の見出しだけで読んだことはないので批判する資格はないが、それでも “ その手術はすべきじゃない、その薬は飲んでは駄目 ” とは穏やかでない。

 嘘か真か、はたまた、嘘でないにしろ針小棒大なのか?
 阿呆くさと思いつつも、誌が名指す手術を受け、処方された高血圧薬を服用する僕(やつがれ)にとって、気にならないと言えば嘘になる。

 今になって “ ちょっと待ったその手術!” と言われたってどうすりゃいいんだか?
 節目検診の折にでも、主治医に訊ねるぐらいが関の山だが、それとても 「しない方が良かったかも」なんて答えが返ってくる筈もない。

 一方薬の方、200mmHgに直ぐになる血圧、自覚症状がないから厄介。
 当初はミカルディス40mgとアラダート20mgを服用していたが、手術やイレウスで上がりっぱなし、入院中に内科医の往診を受け、それぞれ80mg、40mgに倍量することで落ち着いた。

 そのミカルディス、見事?週間誌の槍玉にあがってい、薬局に処方箋を出した折に薬剤師さんに訊いてみた。
 週刊誌のことは既知らしく 「先生が処方されているし、それに、血液検査をされている筈だから」言う。

 その検査、三月毎の腫瘍マーカ(44項目)はほぼ正常範囲内にあるのだが、一般的な検査項目の “ 脂質・コレステロール ” などは含まれていない。

 で、どうしたもんじゃろのう、と首を捻りながら帰宅すると、市の国民健康保険課から葉書が届いていた。
 何だろうと開けてみれば、“ 薬をジェネリックにすれば約半額になる ” とあって笑っちまった。

 そんなこんなで、件の誌みたく破茶滅茶なお天気が、北から南まで大きな爪跡を残して長月・九月もゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1191

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旅にでよう ‐ 9月がきた

2016年09月02日 | 季節/暦

  秋の野にやどりはすべしをみなへし 名をむつましみ旅ならなくに (藤原敏行/古今集)

 台風が少ない年は暑いと、どこかの気象予報士が話していたが、酷い暑さの今年だった。
 斑呆け酔狂、<昨夜の飯の名>も覚束ないのに、台風が多かったらしい前年の天気なんぞ覚えてる訳ないが、まあ今年は堪えた。

 誕生月乍ら夏は嫌い、冬がいいと娘にこぼすと、誰か に似て 「冬になれば、夏でしょ」と、にべもない。
 帰京する折には見送った改札口で、残りの夏、越せるかなあ、と言って 「・・・」呆れられもした。

 そんなことでこの夏、専ら引き籠り老人をした。
 今日こそは外出と思うものの、燃えたぎるお日さんを見ると気が萎えて、まあ、急ぐ用やないしと直ぐに折り合いがつく。

 昼飯は、鋤焼き喰いてえなあ、焼肉もええなあ、なんて思い乍ら隣のSCで肴を買う序に、饂飩やさんでカレー饂飩ばっか喰ってたような。

 ところで我流超訳だけど、“ 秋に旅をするなら野宿がいいなあ、女郎花という名の佳人を想って ” と平安歌人が詠んだのが冒頭の歌。

 おっちゃん、なにを夢みたいなことを言うてんねんと呆れつつもそこはそれ、男のロマンちゅうやつ、涼しくなれば旅もいいなあと思う。
 小さな美術館や教会を訪ねてローマの町を歩いてみたいし、一度も行ったことのないアジア、台湾の故宮博物館やベトナムのハロン湾も。

 でも、独り旅は<サンクトペテルブルク>で懲りたし、えっ、いつぞや神父様に 「祈れば何時もイエズスが、それにカタリナも傍にいるじゃないか」と訓えられたやないかって? それはそうなんやけど・・・。

 月末からたて続けての台風で明けた長月・九月、その迷走振り、なにやら世相にも酔狂にも似てるような?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1179

 ※ 讃美歌285番 「主よ御手もて引かせ給え」 (歌:森山良子さん)
    この旋律、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、「秋の夜半」(詞:佐佐木信綱)として中学で唱ったような?

     

    驟り雨のサンクトペテルブルクで iPod から流れる讃美歌に随分と慰められました
    えっ、似合わない? それはともかく、時間が許せばお聴き下さい (

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頑張った君たちに ‐ 8月がゆく

2016年08月31日 | 季節/暦

 お祭りもいつか終わる、銅メダルを取って喜ぶ者、銀メダルで泣く者、悲喜交々の中で閉幕した。

 個々の成績にあれこれは無粋だが、レスリングの吉田沙保里さん、銀メダルに終わった。
 あえて終わったと表現したのは、彼女の実力も、それを裏付ける努力も認めての上のこと。
 ただ、報道写真を見る限りだが、号泣は別にして泣きっ面を表彰台に持ち込んだ姿に聊か鼻白む思いも。

 そこはスポーツ、闘いが終われば勝者を称え敗者を思いやる、彼女ならではの笑顔を見せて欲しかったなと。
 それは、彼女を目標に血の滲むような練習を重ねたライバルたちへのリスペクト、マナーだと思う。

 そんなことは百も承知であろう筈の彼女が、銀や銅メダルを取って喜ぶ人を白けさせたであろうほどに泣いたのはなぜなのだろうか?
 四連覇は勿論、国民栄誉賞、選手団の主将もプレッシャーだったとも報道されていたが、彼女の心内は彼女以外に判ろう筈もないこと。

 聖ペトロは、主キリストの処刑前夜、主を裏切り激しく泣いた。
 彼が泣いたのは、いつの間にか謙遜を忘れてしまっていた自分に気付いた悲しみ、だったと思っている。
 彼女の涙 そんな悲しみの涙でなければいいのだが・・・。

 結果をあげつらうは端たないが、史上最高の成績を上げたリオ五輪で、彼女と同じように悔しさに涙した選手がいたことに思いを馳せた。
 とまれ、強く美しかった君たち、頑張った君たちヒーローに、心からの拍手を贈ろうと思う。

 彼女たちに限らず、人の数だけのいろんな思いを残して葉月・八月、朱の夏がゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1178

 ※ NHK Official Music 「Hero」(歌:安室奈美恵さん )

    

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