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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

止めときゃいいのに・・・の、続き ‐ 5月がゆく

2017年05月31日 | 季節/暦

 春に限らず、季節感は年々薄くなるようだ。
 それでも散歩の折など、新緑の葉陰を吹き抜ける風が、この季節にしては厳しい日差しに心地よい。

 一年でも爽やかな時季だが、ここ数年は屈託している、ことが多い。
 過ぎたことを想い彼此(あれこれ)といじけているだけだけれど、「いい加減に卒業しなさい!」と、当の本人の叱咤する声が聞こえてこないでもない。

 十日ばかり前のNHKのドラマ 「ツバキ文具店」でのこと。
 妻を見送った初老の男に、“ 夫婦、どちらかが先に逝く時は、相手が元気で長生きするように、自分の命を託して逝くんだ。残された者は笑い乍ら生きていく責任がある ” と語らせ、妙に説得させられた。

 ところで一週前(5/26)、<フローリング工事>で部屋を空っぽにした、ものの別に差し障りもないのでそのまま放ったらかしにしていた。

 流石に、朝が来る度に今日こそ片付けなくてはと思うのだが生来の怠け者、いっかな腰が上がらない。

 それでも、がらんとした部屋が何とも寒々しく、彼女 のベッドだけでもと戻した。
 が、主のいないベッドが部屋にぽつんとあるのも、それはそれでなんとも遣り切れない。

 で、何時かはやらなきゃと一念発起、それほど大層なことじゃないが、何とか五月中に元に戻し終えた。
 序に、不要の物、遺した物も捨てりゃいいのだが、小心翼々たる僕(やつがれ)、そこまで踏み切れない自分が情けなくももどかしくもある。

 そんなこんなで、およそ爽やからしき様相も残さず、皐月・五月はゆく。  (真夏を思わせる夙川堤で)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1320

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五月(ごがつ)晴れ ‐ 5月がきた

2017年05月01日 | 季節/暦

  風吹けば來るや隣の鯉幟 (虚子)

 黄金週間に入って三日、今年は暦?に恵まれ、控えめに?今日明日と休みを貰えば十日近く楽しめる。
 尤も、お父さんお母さんにとって、それが楽しいことなのか、苦行なのかは判らないけれど。

 聊かの煩わしさもある花が終わって梅雨が始まる迄のこの間が、温暖化の影響もあって昔日には及ばないものの、年中で最も一番いい季節かも知れない。

 昔日と言えば、今、やっている朝の連続ドラマ 「ひよっこ」。
 番組が始まる前のNHKのCMや朝のニュースの後での拾い視?の範囲だが、奥茨城の寒村に暮らす主人公の少女が、集団就職で五輪景気に沸く東京に出てトランジスタ工場で働く話のようだ。

 この頃から経済成長路線をがむしゃらに走らされるのだが、当時、社会問題になったのが、自動車や電器、紡績などの工場で働く工員さんが黄金週間に帰省、里心がつくのだろう休暇が明けても戻らず、製造ライン確保に会社は苦労したと聞いたことがある。

 その里心じゃないけれど、昨今は、五月病が騒がれているようだ。
 黄金週間明けの頃、新人社員や大学の新入生などが新しい環境に適応できず、精神的に落ち込む症状とされているらしい。

 昔と比べるまでもなく世の中や人間関係が複雑になって、ストレスに晒され、なかには陰湿な苛めに遭ったりして大変なのだろう。

 そんな時は、五月晴れ、難しいねえ日本語は、この時期は “ ごがつ晴れ ” と呼ぶのが正しいンだって。のもと、声と汗を出して発散するのが一等いい、と素人なりに思うのだが。
 とは言え、「とんでもない、紫外線が一番きつい時期なのよ!」なんて、女性方の声が聞こえなくもない。

 五月晴れの夙川堤の正面に甲山、あいつ もその山裾辺りから、吹流しを眺めているのだろうなあ ・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1303

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再生、復活の春も ・・・ ‐ 4月がゆく

2017年04月30日 | 季節/暦

 月の初めと末に投稿する<季節・暦編>、その日が近づくと 「もうそんな時期?」と過ぎる早さを思う。

 ところで、過日(4/21)の朝日夕刊、大原美術館元館長の高階秀爾氏の 「美の季想」の “ 始まりの春 詩の力、生命の讃歌と鎮魂歌 ” を興味深く読んだ。
 そこに一枚の絵、ティツィアーノ(1488-1576)の 「<フローラ>」(ウフィツィ美術館蔵)が載っていて興を惹かれた。

 氏は、“ 寒く冷たい冬が終わって自然の生命が新たに甦る再生、復活を祝う讃歌であり、世界の各地で行われる春祭りともつながる ” とあり、“ このような春の生命讃歌は、文芸、美術の世界においても多くの名作を生み出してきた ” と続けていた。

 そして、“ 神話の神々たちが花咲く野に集うボッティチェリ(1445-1510)の 「<春=ラ・プリマベーラ>」(ウフィツィ美術館蔵)を思い浮かべ、その劇の主役フローラも忘れられない ” とあった。

 またその中で氏は、“ 自然の再生と並んで、春は人間の活動も新しい局面を見せる ” と書き、“ 英語のエイプリルは、ラテン語のアプリーレを受け継ぐもので、その語源は必ずしも明確ではないようだが、発音のよく似た 「開く」 「始まる」という意味の動詞と結びつけられて、「開始」を示す言葉とも関連するようになった ” と続けていた。

 氏の言葉を借りるのも失礼だが、09年の春もゆく頃に開始、始めたブログもこの<シリーズ>も、コピペに加えて似たことばかり綴って八年、そのマンネリを愧じるべきか、それとも楽しむべきか?

  餘花(よくわ)に逢ふ再び逢ひし人のごと (虚子)

 とまれ、その始まりの春も、少しづつ初夏の装いへとその姿を変える ・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1302

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嘘もつき続けりゃ真実、ですか? ‐ 4月がきた

2017年04月01日 | 季節/暦

 各地からの “ 桜だより ” とともに新しい年度が明けた。
 4月1日から始まる会計や学校の制度、明治政府から始まったようだが、税制度のように1月からとか、暑い時期の新学期を避けて9月からなど、検討されたようだが何時の間にか沙汰止みになった。

 それはとも角、桜だより、開花の基準となるソメイヨシノが全国各地に標本木としてあるらしいが、関東圏、それも東京が一等早く開花するのを常々不思議に思っていた。
 ら、過日、TVのお天気おじさんが、「冬の間に十分低い気温にさらされるからだ」という風なことを言ってい、腑に落ちたような落ちないような。

 腑に落ちないと言えば、今日(4/1)を漢字表記すれば 「四月朔日」、これを “ わたぬき ” と読ませるのだそうだ。

 えっ、なんで?と辞書を引いてみれば、ひとつに “ 綿入れの綿を抜いて袷(あわせ)にすること。また、その袷 ” のこと。
 ふたつに、“ 綿入れから袷に衣替えをすること。また、それが行われる陰暦四月一日のこと ” (デジタル大辞典)とあった。
 尤も、陰暦のことだからかなり季節感はずれていて、なるほど夏の季語なのだそうだ。

 話しがそれたが、この四日は二十四節気のひとつ “ 清明 ” だ。
 暦本に “ 草木が芽吹き、その種類が明らかになる頃だと ” あるが、政治の界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)、清々しさには程遠いようだ。

 ところで、この日一日だけは嘘をついてもいいという変な日でもあるが、首相官邸HPに “ アベノミクス 成長戦略で明るい日本に! ” とあった。
 丸四年も騙され続けたと思っている僕(やつがれ)、「せめて、この日だけは嘘をつかないで!」と、願うのは全き無理なことなんでしょうかねえ。

 すっきりしないお天気で明けた卯月・四月、陳腐だがこの時季になると 「年々歳々花相似」、劉希夷(りゅうきい)の詩を思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1286

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春は、往来 ‐ 3月がきた

2017年03月01日 | 季節/暦

 ここ二日ばかりだけれど春めく日が続いた。
 幾ら出不精の酔狂とて、煌めく陽ざしをガラス越しに眺めていると、なんとなく腰が落ち着かなくなる。

  (うぐいす)の鳴き散らすらむ春の花 いつしか君と手折(たを)りかざさむ (万葉集17巻3966)

 昼食も兼ねて阪神西宮駅まで自転車で出かけた。
 お昼前のほんわか暖まった陽ざしの中、ゆっくりと走らせていると、賑やかな明るい声が後ろから届く。

 もう春休みなのか試験休みなのか判らないが女子高生だと思う、数人が、何が楽しいのか笑い乍ら追い越していった。
 そうなんだよなあ、箸が転げても可笑しいお年頃だもんな、と微笑ましく遣り過ごした。

 食事を終えて、夙川堤を走っていたら、残りの梅(上)が陽ざしの中で透けてい、見とれてしまった。

 そろそろ梅も終わりかな、と思って先に進むと、なんと一本だけだけれど寒桜(下)、河津寒桜というのだそうだ。が真っ青な空を従えて蕾を開いていた。

 何となく浮き立つような響きもある弥生・三月、途中で出会った女学生も、彼女たちのお父さんにも、別れと出会いが待っているのだろうなあ、と思い乍ら帰った。

 ところで、恋多き大伴家持さん、“ 鶯が鳴き散らしているだろう梅の花を、いつか手折ってあなたの髪飾りにしたいなあ ” と詠っている。

 かと思えば、“ あなたがいた古い垣根の中の桜は蕾のままだけど、ひと目でいいから見に来てよ ” とも。
 天平のプレイボーイ、佳人との往来を遊び戯れている、憎いね。

  わが背子(せこ)が古き垣内(かきつ)の桜花 いまだ含(ふふ)めりひと目見に来ね (万葉集18巻4077)

 そんな歌人にあやかって、その日に撮った、往く 「梅」と来る 「桜」を添えてみたが、聊か安直、じゃないと思わないでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1271 

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ソフトターゲット ‐ 2月がゆく

2017年02月28日 | 季節/暦

  春は名のみの風の寒さや 谷のうぐいす歌は思えど ・・「早春賦」(詞:吉丸一昌/曲:中田章)

 昨日、今日(2/28)と窓から見える陽射しは暖かく、漸く春がと思わせたが、一歩外に出ればまだ暫く時間が要ることを実感させられる。

 この月も、カラスが鳴かぬ日はあっても新聞やTVが事件を扱わぬ日はない、そんな日ばかり。
 また、乾燥しているので火事も頻発、隣りの消防署が夜分けたたましくサイレンを鳴らし出動するのを、寝ぼけ眼で何度か聞いた。

 けたたましいといえば、マレーシアで007もどきのことをやらかしたようだが、「奴らなら遣りかねん!」と、余り驚きもないのは返って怖い。

 国の玄関、拠点(ハブ)空港で遣られたマレーシアは怒り心頭だろう。
 TVで見る限りだが、警備の警官が大勢いる中、しかも、白昼堂々と遣りたい放題を許したんだから、これで怒らなけりゃ虚仮(こけ)だろう。

 韓国は北朝鮮がやったと五月蝿いようだが、彼らとて同じ穴の貉だ。
 1973年、韓国の民主活動家で後に大統領になる人物が、韓国中央情報部により東京のホテルから拉致された、いわゆる金大中事件である。

 後に本人曰く、海に投げ込まれると覚悟した、が、追尾する海上保安庁の照明弾にテロリストは断念、五日後にソウル市内で発見されたという。

 座敷を土足で踏みにじったのが、かの朴槿恵氏の実父朴正煕大統領、父娘してなにやってんだか。
 それはとも角、今でこそソフトターゲットなんて言われているが、治外法権の大使館をアジトに国が仕立てたプロ集団にかかれば、防ぎようもないことを改めて思い出させた。

 ところで事件と言えば、過日(2/4)<春の陽に誘われて>武庫川畔を自転車で走った折、女性警官に停められたことがあったが、やはり生臭いことだったようで、それを朝日の夕刊(2/22)で知って驚いた。
 そんな、遣り切れないあれやこれやを残し、如月・二月もゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1270

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花より団子?

2017年02月12日 | 季節/暦

 昨日(2/11)は、国民の祝日の “ 建国記念の日 ” だった。
 今年は土曜日と重なり聊か憮然とされているお父さんも多いと思うけれど、この祝日の意味を正しく説明できる人は一体、斯くいう酔狂も然りだが、何人いるのだろうか?と思わなくもない。

 それについて過日(2/4)の朝日の土曜紙 beの 「サザエさんをさがして」は、“ 国民の祝日 「名を捨て実を残す」制定 ” という記事を載せていた。

 記事を簡記すれば、“ 47年12月に連合国軍総司令部・GHQが、日本の祝祭日は国家神道的色彩が強いと政府に改廃を求めたことに遡る ” のだそうだ。

 曲折を経て 「国民の祝日に関する法律」が施行(48/7)されたが、“ 法案づくりに先立って総理庁は世論調査を行った ” のだそうだ。
 結果、“ 最も支持を得たのは 「新年」(99.9%)、以下 「天皇誕生日」(86.7%)「建国記念日」(81.3%)と続いたが、衆参両院がまとめた九つの祝日案に 「建国記念日」や8位の 「新穀感謝日」はなかった ” とか。

 それはGHQが、“ 過去の行き過ぎた国家主義と神道儀礼の国家行事的側面を否定 ”、ために “ 首を縦に振らなかった ” からだそう。

 それがぞろ復活(66/12)したのは、明治6年に制定された 「紀元節」を懐古する懲りない連中の思い已み難きに由ったということのよう。
 勿論、GHQはサフランシスコ講和条約の発効(52/4)とともに活動を停止していた。

 紀元前660年の元旦の事らしいけど、新暦ではこの日(2/11)に 「初代天皇が即位したから祝え!」と言われてもねえ、えっ、有給休暇だからいいって、花より団子かァ・・・。  (Photo:<ガリラヤ湖>の遊覧船で)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1260

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さむっ! ‐ 1月がゆく

2017年01月30日 | 季節/暦

 一月、嫌になるほど<長く>感じたものだったが歳を重ねた所為か、他の月と同じ早さで過ぎてゆく。
 一番寒さが厳しい時季とされる大寒(1/20)を挟んで、暦通り日本列島を雪まみれにさせていたかと思ったら、週末にはもう<節分>、そして<立春>である。

 さて、聊か芸がないが前回に続いて今回もこの方、米国第一主義を主軸とする大統領が就任、17年1月は後世に語り継がれる月になるかも知れない、賞賛か批判かは別にして。

 就任式を終えて最初の日曜(1/22)の朝日紙 「日曜に想う」で編集委員氏、“ 政治家を 「考える」タイプと 「思う」タイプに分けるなら、政権を去ったオバマ氏は前者であろう ” という。

 それは、“ 挑発より説得を、対立より協調を擁護する手法は、ときに非力に見え、優柔不断と批判も浴びた。だがそれも(中略)民主主義に内在する危うさを深く認識すればこその 「考え」であったと推察する ” と続ける。

 そして、“ トランプ氏は後者だろう。好き嫌いを軸にものごとを判断し、保水力のない心は思いを衝動的に吐き出してしまう。往々にしてこのタイプの方が決断力に富み英雄的で、強く見えるのが厄介だ ” と。

 これを読んで、安倍さんそっくり>じゃないかと改めて思う。

 通常国会冒頭の施政方針演説、土佐のハマグリ養殖まで引き合いにして、持論をだらだらと並べた安倍さん、同紙(1/21)は “ 改憲意欲を強調したもの ” と大きなキャプションをつけた。

 これまで数を頼んで遣りたい放題、今の憲法で 「なんの不都合や有り」、と思うのだが、さて?
 そんな有象無象を残し、おさむい睦月・一月はゆくけれど、「プリムラ・ドリーミー」は悲しくも無邪気に咲く。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1251

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師に倣う ‐ 三が日

2017年01月03日 | 季節/暦

 おめでとうございます。
 ご家族お揃いで、新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 穏やかなお天気に恵まれた平成29年 丁酉(ひのと とり)の三が日、早いもので明日は仕事始め。

 毎日が日曜の酔狂には無縁のことですが、今年は真ん中に土・日曜が入り 「ちょっぴり癪に障るなあ」と、酒を酌み乍ら聊か憮然とされているお父さんも多いのではと拝察します。

 その酒ですが、某誌に、“ 酉の字は酒壺に由来、酒に関する字に使われてきたらしく、収穫した作物から酒を醸造するという意や収穫できる状態であることから実るということも表している ” とありました。

 酒壺となれば、愛妻を送り悲嘆にくれる大伴旅人に酒を讃むるの歌十三首があり、そのひとつが思い浮かびます。

  なかなかに 人とあらずは 酒(さか)壷に 
        なりにてしかも 酒に染
(し)みなむ 
(万葉集三巻343)

 このおじさん、“ 中途半端な人間なんかでいるより、いっそ酒壺になって酒びたりに染まりたいよ ” と、まさに酒呑みの鏡、師であります。

 酉年に話を戻せば、霊名を頂くわが聖ペトロ、ローマ総督に捕らわれる前のイエスから、“ 今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう、と告げられた言葉を思い出し激しく泣く ” (ルカ22章)のです。

 十二使徒の頭目であり乍ら心弱き聖ペトロ、気の利いた聖句を残したわけではありませんが、人間くさく真面目で、一途にイエスを愛し従った彼に教えられることは少なくありません。

 話は変わりますが、新年早々、いわゆる五年目の検査を受けます。
 寛解のうえは、人間くさい<聖ペトロ>と<旅人>に倣い、真面目に酒を楽しむべし、と想う三が日でした。

 伊藤若冲 「雪梅雄鶏図」(両足院蔵/28年サライ誌暦から)、雪と紅梅に遊ぶ雄鶏、新年に相応しいですね。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1239

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夢、叶いますように ‐ くる年

2017年01月01日 | 季節/暦

   いかに寝て 起(お)くる朝(あした)に 言ふことぞ
        昨日(きのふ)を去年(こぞ)と 今日(けふ)を今年(ことし)と (後拾遺集/小大君)   

   新年、明けましておめでとうございます。
   穏やかで明るい初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 ひねくれ酔狂、お芽出度い初春をこんな風に茶化した、平安女流歌人小大君(こおおきみ)さん詠める歌、気に入って<14年の元朝>に続き選びました。

 斜(はす)に構えてもそこはお正月、平和でありますように、健康でありますように、愛と夢が叶いますように、正直に暮らす者に幸あれ、と願うのであります。

 今年は酉年、知ったか振り風には丁酉(ひのと とり)なのだそうです。

 関西には馴染が薄いのですが、東京の浅草辺りでしょうか、歳末を前に神社に “ 酉の市 ” がたったなんてニュースを目にします。
 余談ですが、新婚時代、堺の大鳥大社近くに住んでいた頃、そこで行われていたような覚えがあります。

 その市、真夏の丑の日と同じで、年によっては一の酉、二の酉、三の酉とあって、商売繁盛を願う人が “ 取り込む ” という言葉とかけて熊手を買うのだそうですが、差し詰め関西の “ 十日えびす ” でしょうか。

 さて、この干支に当てられた動物は鶏、ところによってはお雑煮に用いる風習もあるようです。
 今朝もお祝いされた方も多いと思いますが、あの肌が嫌いだという困った方も稀におられるようです。

 とまれ “ ばたばた ” せず、のんびりと暮らせれば他なし、と僅かな祝い酒にほろほろ想うのであります。

 新玉の年の一枚は、日本画家山口華楊の 「白梅」(青丘会展/1987年春・京都国立近代美術館「山口華楊遺作展」図録から)、真っ直ぐに伸びる枝振りが、若々しくも清々しいですね。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1238

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