桃から生まれたpink太郎

日々感じていることを、少しずつ書いていきたいです。

伴奏をしたよ♪

2007年06月30日 | keep smiling
来月celloの発表会があります。

初舞台を踏む(debutですね)お子さん2人のピアノ伴奏を任されました。



初舞台のおこちゃまたちは、4歳と5歳のboysです。

4歳のYくんは「French Folk Song(フランス民謡)」でdebut。どこか懐かしいメロディで、私はひそかに名曲だと思っています。

5歳のSくんは「Andantino(楽しい朝:Shinichi Suzuki作曲)」で初舞台。はつらつとした朝をイメージする明るい曲です。



今回は、いきなり本番というわけにはいかないので、本番前の顔合わせと、リハをやりました。

YくんもSくんもほんと小さいです。

私の膝くらいでしか身長がなく、認識してないと蹴ってしまいそうですww



こんな小さいお子さんのピアノ伴奏をするのは初めてなので、かなり緊張してました。

伴奏なしで彼らの演奏聞くと、楽器が小さいので(10分の1とか8分の1という分数サイズの楽器を演奏しています。私たち大人なら、あごに当てるとバイオリンみたいな感じになりますww)、音がかすかすで小さいです。

そんな彼らの演奏を最大限に発揮させるって難しいです。





とってもご機嫌の彼ら。

よろしくねと挨拶して、初めてあわせます。

「ready?」と声をかけようとすると4歳のYくんが「Pink?ready?」

おお!大人だ・・・。思わず(^_-)-☆で合図です。やるなあ~~4歳児。

集中力もあり、なかなかのcellistです。



陰になりながら、彼の演奏を最高のものにする。

お互いの音を聞きながら、決して独りよがりな演奏ではなく、調和して・・・♪

今回伴奏してみて、4歳児も大人も決してかわらないこと、4歳児の心意気は大人と同じだと実感しましたよ。

いつからだろう?

2007年06月27日 | omoi
日中は、かなり暑くなっています。

海岸にいくと、水着で日向ぼっこしている人もいるよ。

そんな海をみていたら、作ってみたくなりました。



いつから私は、寂しいっていえなくなったんだろう。

そうじゃないよ、ってどうしていえなくなったんだろう。

大人になるって、いやだなあ・・・

子供の時には素直に言えたことが、言えなくなる。

子供の時には、簡単にできたことができなくなるね。



いつから、こんな私になったんだろう・・・


思いを伝えること

2007年06月25日 | omoi
祖父がSくんから預かったよといって持ってきてくれたもの。
クラブの方針11か条でした。
Sくんは、この春から中学生になりクラブチームで相変わらずsoccerをしています。
その彼が、生意気にも私にあてはまることもあるだろうと、方針をコピーしてくれました。
・誰よりも練習すること
・今できることは今すること
・常に高い目標をもつこと
・礼儀・挨拶を忘れないこと
・自分のことは自分ですること
・仲間を大切にすること
・親の言うことは必ず聞くこと
・何事も最後まで諦めないこと
・嘘を絶対につかないこと
・道具を大事にすること
・自分の思いを伝えること

MFのSくんは、under10のsemi finalの試合で負け、テントの中でtowelをかぶって泣いていたことがありました。
そのとき私はSとこんな話をしました。
「MFっていいパスを出してFにシュートしてもらうんでしょ?ちゃんと声だそうよ。いくぞ!けってくれよ、たのむぞ!って声かけてパスだしてごらんよ。ボールがちゃんとSくんの気持ちのせて、伝えてくれるから。大丈夫。Sくんは、いいパス出せるよ。」そうイメージトレーニングしながら、話しました。

そのあとの3位決定戦では、見事1アシストで勝利!

なんて思い出しながら、私には11番目が太字で書いてあるように見えました。

勿論監督は、中学生には「試合やゲームで、ちゃんとチームメートに自分がこうしたい、だからこう動いてくれとか、こうしよう、それにはどうしたらいい?とか話なさい」といいたかったのでしょう。

自分の思いを伝えること・・・・・言いたいことがいっぱいあるのに、変なプライドや臆病な気持ちで、相手に気持ちをいえなかったこといっぱいあります。
帰国した祖父にも「元気でね、長生きしてよ」って伝えたかったのに、そんなこといったら、泣いてしまいそうで言えなかったよ。
寂しいよ、つらいよって言いたいのに、心配かけたくなくて「平気だよ、大丈夫って」言ってしまうよ。
自分の思いを伝えることが大事だって中学生でも知ってるのに・・・・
まだまだだなあ・・・・・Pink・・・

WHOの話

2007年06月21日 | keep smiling
1歳未満の子供の虚弱体質による死亡が増えているということで、WHO(World Health Organization世界保健機構)が「母乳育児」を推進するよう発表しました。



USはそれほど母乳育児の盛んな国ではありません。

理由は、一つは長い間の授乳は、母親の骨粗しょう症を招く恐れがあること、もう一つは胸の形が悪くなるのを嫌がる母が多いことが挙げられます。



母は、私を母乳で育ててくれました。

歩くようになるまでは母乳をあげたいという母の気持ちと、母乳は楽だなあ~~という父の気持ち、更には祖父母の気持ちまで汲み取った母乳育児だったそうです。

あ、ちなみに胸の大きさと、母乳が出るかでないかは比例しないそうですよ。

母は貧乳ですから(彼女の名誉のために言っておきますが、胸は量より質!)



ママからの母乳を飲むことで、病気に対する免疫力をつけるというのがWHOの考えなんだろうけど・・・・・・

母乳ってただじゃ出てこない。ママが質のよい食事をきちんととらないと・・・

この質のよいって言うのが問題らしく、脂肪の多い食事だと母乳はまずくなるらしい。

野菜や水分をいっぱいとって、たんぱく質も白身魚やchickenなどの低カロリーのものが、おいしい母乳を作るのだそうです。



1歳未満で亡くなっちゃう子のママは、質のよい食事ができているのでしょうか?

おいしいおっぱいを出すお食事ができるような、そんな国策ができているのかと、WHOの方針は手落ちだと本末転倒だ!などと思っています。






泣いたっていいんだよ

2007年06月16日 | omoi
自分の泣き声で目が覚めた。
上を向いて泣いていたのか、耳の中に涙の池ができていた。

かなり長いこと泣いていたのか、枕のカバーが濡れていた。

暗い天井を見つめながら、夢の始終を振り返る。
途切れ途切れだけど、涙のわけを思い出す。

体を横にしてみた。
涙が鼻のほうまでつつ~~っと流れ、方向転換する。

泣いてもいいんだよ。
そう言い聞かせて、下を向く。
枕カバーが涙を吸い取ってくれる。
朝起きて目がぱんぱんにはれるぞ!って言い聞かせても、涙が止まらない。

朝が来るまでに忘れよう。
泣いたことも忘れよう。

私をプロデュース♪⑦

2007年06月13日 | omoi
私は公演があったり前述したコンクールに出たりとballet中心の生活でした。その中で自分の表現ツールはballetだと確信を持ち始めていました。私はballetが好き。Balletをしているときがとても幸せ。素直な私を表現できる。舞台を仲間たちと一緒に創っているときが最高!balletをしているときの自分が一番自分らしいと、そんな自分を幸福に思ったこともまた事実です。と同時に今の私を誰もが受け入れてくれると信じていました。


 一方サークルでは、私は違和感を感じていました。私にとってはかけがえのない場所だと思っていたのに、どこか違う。なんだろう?そういう思いを抱いていました。このときの私は、違和感の正体が何ものなのかまだ分かっていませんでした。



 Kの病気はゆっくりですが、確実に進行していきました。Kには、そばでcelloを弾いても、踊ってもどんな刺激も伝わらないようでした。私が一番私らしい方法で、「Pinkはここだよ、ここにいるよ」と伝えても彼には伝わっていませんでした。
そして、母が手を握ってあげたり、そばで優しく声をかけてあげたりすると、Kの表情はまるで無邪気な子供のように変っていることに気がつきました。そしてそれはKだけではなく、このサークルの子供たちみんながそうでした。
私からは何のツールも持っていないように見える母なのに、存在感大なのです。Kも母がそばにいることがよくわかり、母がそばにいるといろんなことによく反応しました。



 ロシアのballetの衣装は地味です。

しかし踊り手の体の線の美しさを使って演技する姿には、心打たれるものがあります。ロシアのballetの前では、どんな豪華な衣装も少し派手な振り付けも興ざめかもしれません。
そして、私は派手な衣装であり、母のサークルでの存在感はまさにロシアのballetだったのです。
サークルの子供たちが私に求めていたものは、ballerinaやcellistのPinkさんではなく、優しく言葉をかけたり手をつないで安心させてあげたり、いっぱい抱っこして「私はあなたたちが大好きよ」と伝えてあげることなのではないかと気がつきました。
balletだcelloだなんていう小難しいものではなく、何のツールも持たない素のままの私が彼らに必要なのではないか?
心からの言葉をかけてあげること、いっぱい抱っこしてあげることこそが大事なのだと思いました。彼らの飾り気のない生の前では私も素である必要があったのかもしれません。まぶしいほどのエネルギーを持つ子供たちの生の前では、どんなやりかたで存在を見せても色あせるのではないでしょうか。

自分を表現する発信者がいてそれを受け取る受信者がいてこその自己表現。

両方いて成り立つもの。発信者だけならそれは自己満足にしかならないと思いました。
サークルの中で私が取った行動は自己満足だったから、サークルの中で違和感を感じたのでしょう。全く素である母は全身で子供たちへの愛情を表現し、彼らにそれが伝わっていたに違いありません。



 ドラえもんは、ポケットにたくさんのツールを持っています。

それがドラえもんらしさ。

いろんなツールでのび太くんを助けてくれるけど、最後にはそんなツールがなくてものび太くんはのび太くんのままでそれだけで十分素敵さと教えてくれます。


 今私は強く思います。自分のツールをたくさん持ちたいと。
場合に応じて、相手に応じて引き出しを開け、そのときにあったツールで自分を表現したいと。言葉が出にくくなり、見えなくなり、聞こえなくなっても、最後まで「Pinkでしょ?Pinkのにおいがするよ」と私がいること、それを受け取っているKがいることを精一杯伝えてくれたKが教えてくれました。


 私は、いろんなツールを使いながら、一つ一つのツールを磨きながら私をプロデュースしたいと思うのです。







*本当につたない日本語ですみません。稚拙だと思いながら今の私の精一杯のarticleだと思っています。

長いシリーズを最後まで読んでくださってありがとうございました。

私をプロデュース♪⑥

2007年06月12日 | omoi
私の母は子供とその両親からなる子育てサークルを主宰しています。子供の7割はhandicapがあります。

母の独身時代の職業と子育て経験(一人ですが)それと子供好きという最大の武器を持って毎週土・日公園で遊んだり、音楽を聴いたり、楽器を演奏したり、本を読んだり、絵を描いたり、カレーやおやつをつくったりしています。

一方、親御さんの子育ての悩みを聞いたり、家での訓練や指導の仕方をアドバイスしたりしています。また、反抗期の子供を持つ親の愚痴を聞いたり、相談にのったりもしています。(いまだ反抗期の私は、母にはいい教材ですね)


 私は中学の頃までは彼らと一緒に遊び、それ以降はボランティアの学生に混じってサークルのお手伝いをしていました。

入会の子供たちは何歳までと上限が決められているわけではないので、大きくなった子供たちはサークルを懐かしがって遊びに来てくれたり、大学に進学した子は休暇になると手伝いに来てくれたりする子もいます。

母が、母でもなく妻でもなく社会に貢献する一人の女性として生き生き動き回っている姿を私はとても誇りに思っていました。ある意味、何をしているか私の及ばない範囲で働いている父よりも、母のほうが自慢だったかもしれません。



 私が高校の頃にサークルにKが入ってきました。

彼は脳に小さい腫瘍があり四肢の麻痺から始まって、視野が狭くなり、知的な能力の低下も、後に見られようになるだろうという原因不明で、手術も不可能な難病の子供でした。

Kは私と年が近いこともあって、よく話をしました。きれいな顔立ちをしていて、その頃は特に不自由なところも見られないKが難病だと信じることができないほど、その頃の彼は生き生きしていました。

知的能力も高く、読書好きなKと話すことがとても楽しみでした。

彼は自分が読んだ本を自分の言葉で説明してくれました。

哲学書をその頃よく読んでいたようで、丁寧に説明してくれました。

私の弾くcelloも大好きで、よく聞いてもらったり、balletの新しい振り付けを公園の芝生の上で披露する私をKは、ちょっとはずかしそうに見てくれたりしていました。



 日本へ留学して、Kの病状が少し悪くなっていることは聞いてはいました。

そして、こちらに戻り、Kのこと気にはなっていましたが、忙しさの中でサークルを手伝うことをせず、時が過ぎたある日。

Balletの帰りに公園をのぞいて驚きました。

Kが車椅子に座っています。

近づいていくにしたがって、うつろな様子がよくわかります。

私が見えていない様子でした。

あまりの変りように、唖然としながら、どうしていいか分からず少しずつ後ろから近づく私に、Kは「Pinkだ。Pinkだね?Pinkのにおいがするよ」といいました。

Kは、視野も狭くなり、聴力も衰え、しかしその分嗅覚で判断しているようでした。

動揺を隠せない私でしたが、「そうだよ~~!!Pinkだよ。久しぶりだね。あ、でも顔色よさそうだ。どう調子は?」なんて聞きながら、どきどきしている私を気づかれまいとしていました。
私を見つけた小さい子供たちは、手にぶら下がったり、髪を引っ張ったり背中におぶさったりと思い思いのやり方で、「私のこと覚えている?」といっているようでした。

言葉のある子は、balletをしてみてよといい、言葉のない子でもcelloを弾くまねをして「何か弾いてよ」と要求しているようでした。

そんな中でKだけは、周りで何が起こっているのかよく分からず、風の音を聞いているような、あるいは自分の周りの天使を追いかけているようなぼんやりとした表情をしていました。






私をプロデュース♪⑤

2007年06月08日 | omoi
ラッキーなことに最終審査まで残り、キトリのvariationを踊るチャンスをもらいました。

最終審査に残ったもののうち、私のほかにあと一人キトリを踊る子がいました。

彼女は、従来のキトリらしいキトリを踊ってきました。



そして私の出番です。

このときのことは、あんまり覚えていません。



結果は・・・・・4位。

本当は優勝したかったですが、これが私の実力です。

最初2000人近くから始まったことを思えば、合格lineかもしれないですね。



最終日の夜にpartyがありました。

最終審査に残った者が参加したのですが、ある審査員の方が私に

「あなたのキトリは、新鮮だったね。いい!という人と、う~~~ん?という人と半分半分でしたよ。でも私は、あなたのキトリをもう一度みたいわね。」

そういってもらえました。

もう一度みたい。これは踊る側として、一番うれしい言葉です。

さらに、もう一人のキトリを踊った子よりも、順位では私のほうがよかったことが、励みになりました。

このコンクールは、役を作り上げていく楽しさというものを知った出来事になりました。



それまでの私は、言葉で表現することが苦手。

でも自分を表現したい気持ちはめいいっぱいある。

じゃあ私らしいツールは何だろう?

得意なものは?・・・・・・・・balletや音楽

ならそれらで、自分を表現してみようじゃないか。



しかし、振り付けどおりに踊ったり、楽譜どおりに演奏しただけでは、自分を表現したことにはならないのです。

例えば、私がこのコンクールで従来どおりのキトリを踊っていたのなら、キトリを演じていたことにしかならない。これは、私を表現したことにならないのです。多分・・・

でも、キトリの中に自分を見つけ、私だったらどうする?と考え、私のキトリを踊ったことで、私をプロデュースしたことになった。(私を表現したことになったということです)



とてもややこしい言い方ですが、それができたこと、評価されたこと、私はとても満足でした。



・・・・・・・・・・・このコンクールがきっかけで、留学の話をいただいたり、Christmasのnuts cracker(くるみ割り人形)での某ballet団との共演のオファーをいただいたりしました。

自分の魅力と向き合い、その価値をより高め、それを他にアピールすることって大事だと気づかされました。



ところが、私にとってのツールはballetや音楽ではないことを知るようになるのです。

私をプロデュース♪④

2007年06月04日 | omoi
2年前私は、ALL Americanのballetのvariation コンクールに出場しました。
競争することが嫌い、人と比較することもされることも嫌いな私の挑戦でした。

ご存知のようにballetには型があります。balletのお話の中には、何年も前から脈々と受け継がれている振り付けというものがあります。(この部分で日本の狂言と似ているところがあるかもしれませんね。ただ、balletにはせりふはありませんが)
振り付けに多少のちがいはあるものの、踊りそのものは誰が踊ってもそうかわらないことになります。しかし、踊り手がそこに魂を吹き込み、自分の解釈をくわえることで、踊り手によってその役は全く違う輝きをもつことになります。

コンクールに出場するまでの私は、オーロラ姫をはじめとする、お姫様系(笑)が得意なバレリーナでした。村娘だったにしても、清楚なジゼルのような女の子。
しかし、コンクールで私が挑戦したのはキトリhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~dunyan/Bdonkikhot98.htmlでした。

キトリは情熱的ではつらつとした、ちょっぴり気の強い村娘。一途に恋人バジルを思います。今までとは全く違う役どころ。どうしても気の強さが表現できません。確かにキトリのvariationは難しいのですが、技術的な問題ではなく練習すればできるようになるというものではありませんでした。

練習が進むにつれて、バレエ団の友人からは選択ミスだとも言われました。そんなことは、百も承知。私のキトリをどう表現しようか悩みました。
あるとき、先生が「Pink!性格悪そうに踊って!」とおっしゃったのです。そういう言い方が一番分かりやすいと思われたのでしょう。そのとき私は思ったのです。
「キトリって性格悪いの?」
まっすぐで、気が強く、垢抜けしない女の子かもしれない。でもそれは性格が悪いのとは違う。自分に正直なだけ。
なら、この子は私に似てるじゃないか・・まっすぐで、鼻っ柱がつよいところなんてそっくり。・・・・・・ようし、きまった!
一生懸命でまっすぐで、土のにおいはしないけど、どこかかわいらしい・・
左手を腰に当て(そうちょうど日本人が牛乳を飲むときのポーズで手を腰に当てるようにww)腰をちょっとふるように歩く振りのところがあるのですが、腰に手をがっつりあてるのではなく、お腹側にあてる指4本のうち小指だけを少し離してみました。
他3本にくっつけるより、こっちのほうが少し気取った感じの女の子が表現できると思ったからです。・・・・・これが私のキトリ。そしてこのキトリは私でした。
役柄に自分をあわせたのか、自分に役柄を引っ張ってきたのかよくわからないけれど、私は私のキトリをプロデュースできたこと、すごく満足していました。

いくつもの審査のあと、最終審査に残った者しかvariationを踊れません。

なんとか最終に残ることができました。