桃から生まれたpink太郎

日々感じていることを、少しずつ書いていきたいです。

私をプロデュース♪⑦

2007年06月13日 | omoi
私は公演があったり前述したコンクールに出たりとballet中心の生活でした。その中で自分の表現ツールはballetだと確信を持ち始めていました。私はballetが好き。Balletをしているときがとても幸せ。素直な私を表現できる。舞台を仲間たちと一緒に創っているときが最高!balletをしているときの自分が一番自分らしいと、そんな自分を幸福に思ったこともまた事実です。と同時に今の私を誰もが受け入れてくれると信じていました。


 一方サークルでは、私は違和感を感じていました。私にとってはかけがえのない場所だと思っていたのに、どこか違う。なんだろう?そういう思いを抱いていました。このときの私は、違和感の正体が何ものなのかまだ分かっていませんでした。



 Kの病気はゆっくりですが、確実に進行していきました。Kには、そばでcelloを弾いても、踊ってもどんな刺激も伝わらないようでした。私が一番私らしい方法で、「Pinkはここだよ、ここにいるよ」と伝えても彼には伝わっていませんでした。
そして、母が手を握ってあげたり、そばで優しく声をかけてあげたりすると、Kの表情はまるで無邪気な子供のように変っていることに気がつきました。そしてそれはKだけではなく、このサークルの子供たちみんながそうでした。
私からは何のツールも持っていないように見える母なのに、存在感大なのです。Kも母がそばにいることがよくわかり、母がそばにいるといろんなことによく反応しました。



 ロシアのballetの衣装は地味です。

しかし踊り手の体の線の美しさを使って演技する姿には、心打たれるものがあります。ロシアのballetの前では、どんな豪華な衣装も少し派手な振り付けも興ざめかもしれません。
そして、私は派手な衣装であり、母のサークルでの存在感はまさにロシアのballetだったのです。
サークルの子供たちが私に求めていたものは、ballerinaやcellistのPinkさんではなく、優しく言葉をかけたり手をつないで安心させてあげたり、いっぱい抱っこして「私はあなたたちが大好きよ」と伝えてあげることなのではないかと気がつきました。
balletだcelloだなんていう小難しいものではなく、何のツールも持たない素のままの私が彼らに必要なのではないか?
心からの言葉をかけてあげること、いっぱい抱っこしてあげることこそが大事なのだと思いました。彼らの飾り気のない生の前では私も素である必要があったのかもしれません。まぶしいほどのエネルギーを持つ子供たちの生の前では、どんなやりかたで存在を見せても色あせるのではないでしょうか。

自分を表現する発信者がいてそれを受け取る受信者がいてこその自己表現。

両方いて成り立つもの。発信者だけならそれは自己満足にしかならないと思いました。
サークルの中で私が取った行動は自己満足だったから、サークルの中で違和感を感じたのでしょう。全く素である母は全身で子供たちへの愛情を表現し、彼らにそれが伝わっていたに違いありません。



 ドラえもんは、ポケットにたくさんのツールを持っています。

それがドラえもんらしさ。

いろんなツールでのび太くんを助けてくれるけど、最後にはそんなツールがなくてものび太くんはのび太くんのままでそれだけで十分素敵さと教えてくれます。


 今私は強く思います。自分のツールをたくさん持ちたいと。
場合に応じて、相手に応じて引き出しを開け、そのときにあったツールで自分を表現したいと。言葉が出にくくなり、見えなくなり、聞こえなくなっても、最後まで「Pinkでしょ?Pinkのにおいがするよ」と私がいること、それを受け取っているKがいることを精一杯伝えてくれたKが教えてくれました。


 私は、いろんなツールを使いながら、一つ一つのツールを磨きながら私をプロデュースしたいと思うのです。







*本当につたない日本語ですみません。稚拙だと思いながら今の私の精一杯のarticleだと思っています。

長いシリーズを最後まで読んでくださってありがとうございました。