桃から生まれたpink太郎

日々感じていることを、少しずつ書いていきたいです。

姓について考える 番外編

2011年10月30日 | keep smiling
こんなわけで、昨日、私の従兄は、母方のおじい様の子どもになり
昨日、新生 いとこ(名前がかけないので)になったわけです。


そもそも、日本において姓というのは、いつ頃からあったのか・・・
武士は名字帯刀などどいうのがあったらしいので、江戸・・・

では庶民は・・・色々調べたけれど、
http://homepage1.nifty.com/apartment/rekisi.html


ここがおもしろかったです。

日本人が姓を大事にしているのは、とてもよくわかります。
たとえば、LAにおける日本人社会は、お互いを名前で呼び合います。
でも、たとえば、母に電話がかかってくるときは、
「鈴木です。」とか「田中ともうします」っていうふうに、姓を告げられます。
とてもおもしろいです。

昨日、この件に関して、歴史に詳しい人と話をしたのですが
たとえば、家に表札をつけること・・・
これも、こちらにはありません。
日本の表札も、フルネームで書かれているものもあるし、
姓だけのものもあるように記憶しています。


私たちは、呼び合うとき、やはり名前でいうし
名前が大事と考えます。
日本は姓・名というくらいだから
姓が大事なんだなって。


でも、今回おもったよ。
日本人にとって姓はとても大事。
そして、それをついで行こうと考えたり
先祖に心を寄せたり
思いあったり

このことに意味があるんだと。

そして、従兄の言葉が、すべての本質だと。

姓が変わっても、何も変わらない。
自分は、両親の子どもだし
おじいちゃんの孫だし
Pinkの従兄。


Family Nameについて考えてみようじゃないか②

2011年10月26日 | keep smiling
姓がかわる・・・それも自分の人生の途中から・・・
どんな気持ちなんだろう?

女子は、基本結婚すると姓が変わると覚悟しているので
意外に、旧姓に執着というものがないのだそうだ。
母も、旧姓でいる時間より、今の姓の方が長くなってしまった。

私も、そうだなあ・・・
自分の姓にそれほど執着はないかもしれない。

従兄の場合、本当に降って沸いたような話で、
彼は、おじの家の長男で第一子である。
自分が、母方の姓を継ぐなんて考えたこともなかったのではないか。


実は、一旦白紙に戻ったこの話。
再燃して、やっぱり従兄があちらのおじいさまの養子になり、
姓を継ぎ、結婚することになった。


そこで、複雑な思いをしたのが、父方の祖父。
私の祖父でもあるその人。
勿論、弟がいるので、自分の姓がきえることは、まだないんだけれどね。
長男として育てていた従兄が、あちらの姓になったわけで
祖父は、寝込んでしまいましたwwww

従兄は、こういいました。
自分の姓が変わったって、何も変わらない。
自分がおじいちゃんの孫であることも
このうちの子どもであることも
Pinkの従兄であることも。

何が大事なのか・・・
そこを見落としちゃいけない。

姓は、所詮いつかFade outするもの。
でも、おじいちゃんが守りたいっていっていて、
そして、自分がタイミング的に
守れる位置にいて。
おじいちゃんの気持ちに寄り添える人間が、たまたま今のタイミング
自分だというだけ。

だから、俺がおじいちゃんの姓を継ぐ。
それだけのこと。
何も変わらないよ。


納得なのだ。
その通り。

でも、グランパの気持ちは理屈じゃなかったの。

きっときっと、やきもち焼いたんだね。
自分より、あちらのおじい様が大事にされてる気がしたんだって思うよ。

そして、そのグランパを、なんだかかわいいなって思ったの。


続く

ぶたの背泳大会

2011年10月25日 | keep smiling
本当は昨日の続きをかきたいのだけれど、
ちょっと休憩して・・・

今日は初めて、生まれて初めてキャラ弁をつくってみたよ。

タイトルは、ぶたの背泳大会!

自分の分と父が食べる分と作ったよ。

父が、電話をくれました。
爆笑しながらwwww

キャラ弁ってつかれますよね。
日本の幼稚園児を持つお母様・・・尊敬いたします

Family Nameについて考えてみようじゃないか

2011年10月24日 | omoi
事件が起こってから、ざっと一ヶ月。
ようやく解決というか、一定の結論を得た。

今回の事件は、私には全くといっていいくらい
関係がなかった。
しかし、日本の伝統というか、文化につかる
いいきっかけになった事件だった。

事件の内容をざっくり述べると・・・

私の母には、兄がいて、(つまり私のおじ)そのおじさんには、奥さんがいる。
奥さんは、3人姉妹の真ん中で
2人の男子(つまり私の従兄たち)の母である。
私にとってはおばさんになるのだが、おばさんのご実家には、男の子がいない。
結構大きなおうちなので、後継ぎに困っていたそうです。


そこに降って沸いたような
後継ぎ問題。
きっかけは、従兄の結婚。
奥さんになる人が、姓を変えるのだから、そのタイミングで
うちの姓をついでくれないか?とあちらの(従兄たちの母方の実家)のおじいさまが
申し出た。


というのが事件の真相。
あまりにざっくりとですが、簡単に言えばそういうこと。



第三者の私は、日本にとって日本人にとって姓がどれほど大切か
聞いたり、調べたり・・・

このブログ・・・祖父や従兄たちも見るので
あまり込み入ったことはかけません。
でも、ここを通して、なかなか言えなかった
姓に関する考えを言えたらなって思っています。

今日は前置きってことで・・・・ww

続く^^

松下幸之助の話

2011年10月19日 | keep smiling
何回かの連続のドラマで、松下幸之助の一代記(なんていうんだろう?)
を見ました。
ドラマは、幸之助の奥さんに焦点をあてていて、
「幸之助の成功は、彼女の存在があったからだ」というような
ドラマでした。

狙い通り、幸之助より奥さんのほうが魅力的に描かれていて
テレビをあまり見ない私にも、楽しんで見られるものでした。

奥さん(名前忘れました^^;)は、船乗りの娘で
大らかで、賢く、なんといっても、貧しい生活をいつも楽しんでいる様子が
気持ちよかったです。

幸之助と結婚した当時は、貧しくて、驚きましたが
奥さんは、自分の着物を売って、幸之助を助け、支え
幸之助が、松下電器株式会社(だったと思います)を起こしたときも
社員教育をしたり、社員の奥さんにまで、教育をしたり
家族的な暖かさを持つ、会社の経営に貢献した男前(精神的にね)の人だなと、
私は一度にこの人が好きになってしまいました。
(勿論、女優さんがお上手なのですよね)

そして、どこか私の母に似ています。
うちの両親も、結婚当時は父がまだ学生だったため
貧乏で、母が大学院までいく授業料を出したと聞きました。
論文を書けば、発表会に顔を出し
(多分、発表を聞いても訳がわからなかったでしょうが)
研究室のドクターたちとのお付き合いもこなし
やっぱり、精神的に男前だなと・・・www


これを「内助の功」というのだそうです。


幸之助がこんなことをいっていました。
成功の秘訣は?と聞かれて「成功するまで、あきらめないこと」と。

これだと、絶対失敗はないわけで。成功しかないわけですよね。
すばらしいです。

幸之助は、ちょっと変わった人だと、私の目には映りましたが、
才能のある、賢い人だと奥さんにわかっていたから
支えられたんだろうと。
成功を信じられたんだろうと思いました。

私は、松下幸之助の奥さんや、うちの母みたいにはなれないかもしれないけれど
『成功するまであきらめない』ってことは、信じていきたいです。

大阪弁もここちよくて
女優さんの表情もとても生き生きしていて
素敵なドラマでした^^

添加物の話

2011年10月17日 | keep smiling
両親の結婚記念日を忘れていた!!!!
なんたるMistake!!
でも、このままわすれたふりをしようときめたwww

イタリアのおばあちゃんから荷物が届いた。
有機のものがほとんどで、いつも感心する。

さて、今日はちょっと添加物の話をしようと思います。

自慢なのかどうかわかりませんが、
私は、日本に留学するまで、カップヌードル(商品名ではなく、お湯を入れて
ラーメンにするたぐい全般)を食べたことがありませんでした。
あるいは、袋に入った四角いインスタントラーメンは、今もまだ
食べたことがありません。

勿論、私もアメリカ人の末端にいますから、時々はハンバーガーも食べるし
ポテトチップスだって食べます。
ジャンクフードも必要ならば、食べたことがあります。

でも、最初に食べたカップラーメンは、ずいぶんケミカルな味がしました。
そして、あまりおいしくないと思いました。

我が家はベジタリアンではありませんし
野菜もAll Organic(有機)ではありません。
でも、なるべくケミカルなものを体内に入れないとか
添加物をとらないとかを心がけているのは事実です。


さて、イタリアからの荷物を前に、父がこんな話をしてくれました。
「アメリカで政府が認めている食品添加物は約140種、日本は200種。
 イタリアは確か20種、フランスは15種。ドイツもそれくらい。
 スーパーマーケットに行くと、ヨーロッパの国々では
 ジャムが買えません。なぜなら、保存料をいれないといけないから。
 その保存料は、国では認可されていない、保存料なんだよね。
 日本のコンビにのお弁当は、おいしくて実に良くできているらしいけれど、
 お弁当を食べると、150種の添加物を一度に摂れてしまうらしいよ。
 それって、アメリカが認可している添加物より多いってことになるよね。
 病院で薬を処方しているパパが言うのはなんだけれど、
 国民は、賢くならないといけないね。
 悪いものを体内に取り込まない。良いものだけ入れる。
 イタリアのおばあちゃんは、たとえば、外食すると次の日は、
 有機のものを食べて、体をデトックスする。
 イタリアのマンマたちは、なかなか賢いんだよ。」

私は、出されたものは残しちゃだめとしつけられましたが、
父に「これからは、出される前に、食べていいものか良くないものかを
 好き嫌いしなさい」といわれました。

確かに、栄養的なことは今まで考えてきました。
野菜を取ろうとか、生より煮野菜とか・・・

でも、添加物のことをなかなか考えていませんでした。
自分の体を作るためのものだもんね。
よく考えて行きましょう^^

softな勇気とhardな勇気

2011年10月11日 | keep smiling
私の大好きな臨床心理学者に、河合隼雄さんがいる。
亡くなってしまったのだが、彼の著書にはとても温かいものが多く
私は、とても尊敬している。

著書の中で、ソフトな勇気とハードな勇気について書かれてある
ものがある。

たとえば、癌になって、手術を受けるなんていうのは、ハードな勇気かもしれない。
日本語に、「清水の舞台から飛び降りる気持ちで」なんていうのを聞いたことがあるが、
すごく高い買い物をするかどうか迷って、買うこと・・・それはソフトな勇気になるのだろうか?

ソフトかハードかを決めるのは、自分だから
手術するなんて、なんてことはないと思うかもしれないし、
高いブランド物のお買い物をするのは、私にとっては、かなりの勇気を必要とする。

ハードな勇気を必要とする、イベントが終わり
ほっとしている私。
弱虫な私は、いつも間際になると、逃げ出したくなってしまう。
右手でグーを作って
心臓の辺りをとんとん。
大丈夫、大丈夫・・・

みなさんにとって、どんなものに、あるいは、どんなことに勇気を必要とするだろう?
そして、それは、ソフトな勇気?それともハードは勇気?

大好きな人に、自分の気持ちを告白するのはどうだろう?
人によっては、ハードだろうし、またある人にとってはソフトかもしれない。

でも、どちらであるにせよ、
ここ一番、勇気を出すことは
悪くない。

天才画伯誕生?

2011年10月06日 | keep smiling
最近何年か、私は趣味で絵を描いてきた。

もちろん、美大などでていないし
専門的にデッサンを学んだわけではなく
描きたいものを
描きたいときに
ってポジションで描いてきた。

時々、知り合いが携帯に
絵を描いてっていってきたり
あるいは、眠っているトレイに絵を描いて
それが思いのほか
人を喜ばせていたんだって知って
すごくうれしかった。

携帯に絵は、何人かいてあげただろう・・・


今回、リビングにかける絵を描いてとオファーを受けました・・・


正直、ええええええ・・・
おうちの中央にあるであろうリビングに???

それは私の絵は無理なんておもっています。

静物画との注文ですが、
期限がないので、がんばってみます。
という気持ちと・・・いやあ・・・できるかなあ・・・どうしよう・・・

って気持ちが複雑に交じり合っています。


どうする?
すごく値打ちが出たら・・・www


父が言うのです「ちょっと聞いてくれる?自慢してもいい?」

2011年10月04日 | keep smiling
タイトルの父の発言で今日の朝ごはんが始まりました。

日本で金木犀が咲く頃、ノーベル生理医学賞の発表があります。
毎年、私たちは冗談で家の電話が鳴るたびに
「あ、カロリンスカ大学から?」とノーベル賞の受賞を知らせる電話だと
盛り上がっていました。
ところが、昨日、ちょっと間違いの電話があったりして
すっかりノーベル賞の頃だと忘れていました。


3人の受賞者が発表された朝、父が恥ずかしそうに
「パパさ・・・今回の受賞者の近くにいたんだよね。こんなに近いときは
 初めてなんだ・・・」

3秒ほどたって
母と私は
『ええええええええええええええええええええ!!!!!!」

確かに3人の研究は父の研究と同じです。
そ、そ、そうなんだ・・・

びっくりです。


ちょっと前に京大のあるドクターの研究に興味を持った私は、父に
「IPS細胞ってなあに?」
と質問しました。

簡単に、本当に簡単に説明すると
たとえば、私が角膜移植をしないといけないとする。
今までなら、脳死判定された人から、角膜をもらって移植する
というのが、可能な治療だったけれど
たとえば、私の手にIPS細胞を埋め込むと、
自分の手で角膜をつくることができるということも可能になる
というのがIPS細胞だという。
京大のドクターはそのIPS細胞を、発見したそうである。

そんなことができれば、
拒絶反応とかを恐れずに、移植したりできるわけだ。

それを聞いたとき、今年のノーベル賞は、京大チームで決まりだね
と、父に教わりながら、思った。

でも、今朝それを問うと
IPS細胞は、まだまだ実用化には遠く
ようやく神経の一部ができたとかいう段階なので
人類には貢献できてないんだよ。
と、教えてもらった。


父もそうだが、研究者のいいところは
自分たちの研究が人類に貢献できるように(何らかの形で)
と思っている人が多いこと。


もっともアインシュタインだって
人類に貢献するに違いないと思って、ウラニウムの研究をしたのだろうが・・・


自分の研究をほとんど話したことのない父が
いつもより少し胸張って、説明している姿に
きっと本当にノーベル賞に近かったのだろうなと
親ばかならぬ娘馬鹿の私は、思っている。


今回の受賞者の1人は、つい先日なくなられてしまった。
本当に残念。

できれば、父の場合は生きてるときに、受賞して欲しいwww
そんな日が来るのなら^^