桃から生まれたpink太郎

日々感じていることを、少しずつ書いていきたいです。

Who is it?

2005年05月31日 | ミニEnglish Lesson
LA在住の日本人おば様方の英会話サークル講師のPinkです。(* ̄m ̄) ププッ
 ある日のこと、Aさんがアメリカ人のお宅を訪問したとき、玄関ゲートのチャイム(ブザー)
 を押したら、インターホンで
 「Who is it?」と、聞かれたそうです。
 「私は、物かい?」と、言っておられました。

 そうではないのですよ。LAの家はセキュリティーがしっかりしているので、中から来訪者を確認 できます。でもその時は、お声の調子や、モニターの光の加減で、男女の判別ができなかったの でしょうね。
 だから、「Who is it?」なのです。
 例えば、ご主人が今日お客様がみえるよ。と、おっしゃったとします。
 その段階ではお客様が、女性か男性かわかりませんよね。
 そういうときにも、「Who is it?」を使います。
 そう!!「どなたですか?」あるいは、「誰なの?」という意味です。

そんな、おば様を物扱いだなんて、と、と、とんでもない。

 Bさんが、公園でお子さんを遊ばせていた時のこと。
 同じところで遊んでいたお子ちゃまと、おもちゃの取り合いになったそうです。
 そしたら、そこに居合わせたアメリカ人のおばあちゃんが、
 「Oh!boy!!」
 と、叫んだそうです。
 取り合いになった子たちは、両方ともgirlなのに。。。
 
 爆笑しました。
 この、Oh!boy!!は、感嘆語というか、「おや!まあ」とか、「あらあら」という意味の言葉で
 相手が女の子でも関係ないのです。

そうそう、勿論おじいちゃんでもね。r(* ̄m ̄) ププッ

 なんか、このサークルいいなあ。珍英会話って感じで、笑えます。
 これで、下ネタについていけたら、もっといいのに。

何でもできる?これしかできない?

2005年05月30日 | keep smiling
昨日バレエのコンサートを見て刺激を受けて帰ってきた私は、
今日のレッスンでは違ったことをしてみました。

いつもは、まずスタジオに入ったら、柔軟をしバーレッスンをします。
(本当は、この基礎練習が一番大切です。
コンクールに行くと、レオタード一枚でここからバーレッスンから第一次予選が始まります。)
そして、コンクールが近い子はコンクールに向けての練習をします。
それぞれ、ウエストポーチに入れたMDを聞きながら、鏡をみて何回も何回も自分のポーズを
チェックします。
勿論、先生の厳しい声も飛びますし、友達同士意見を言い合うこともあります。

ドンキホーテをご存知でしょうか?

http://web.sfc.keio.ac.jp/~s03544ks/donnki.html

この中に、キトリという村娘が出てきます。
私はこの役を一度もしたことがありません。
でも、昨日のコンサートを見て、踊りたい!!と、思いました。
何回もバリエーションなどをみているので、振り付けはすぐ分かります。
キトリのイメージは。。。。
真っ赤な衣装を着て、お扇子を持ち、快活で小悪魔的な村娘です。

回転(フェッテ)もなかなかうまくいきました。
ジャンプもおお~~いい感じ。
そう思っていたとき、先生に呼ばれたのです。

「Pinkのキトリは、オーロラ姫の衣装を着せれば、オーロラになってしまいますよ。
 逆に言えば、あなたのキトリは可憐過ぎる。
 なんていうのか、もっと意地悪そうに踊らないと。
 でも、なぜPinkはキトリがやりたいの?
 オールマイティーのバレリーナになりたいの?
 それとも、Pinkにオーロラやらせたら言うことないわよねって言わせたいの?
 どっち?と」

涙がこぼれてしまいました。自分の考えの浅はかさに。

Hollywoodの女優さんでも、最初清純派?で売り出して、
大人になってもなかなかそのからが破れず、そのままの路線でいったり
違った役柄に挑戦したことが、うまくいった女優さんもいらっしゃいますよね。

私は、自分の殻を破りたかったのです。
でも、そんなことはすぐにできるわけではないこと、先生はちゃんと見抜いておられた。
あせらない、あせらない、そういわれた気がしました。

どうやらキトリは、燃え上がるような恋をしないと、踊れそうもないようです。

mourning-ring(形見の指輪)

2005年05月29日 | omoi
私は、昨年の夏祖母を交通事故で亡くしました。
あまりに突然のことで、月並みな言い方ですが、『信じられない』そう思いました。
しばらくは、生きているのか死んでいるのかすら自分でも分からない日々が続きました。

祖母が亡くなって、3ヶ月近くたったころでしょうか?
秋のある日、祖父が5個の指輪を私にくれました。
祖母の形見です。
「これは、前からグランマがPinkにって言ってた物だよ。」
そういって、渡してくれました。
普段一緒に暮らしていたわけではないので、でもおぼろげながら、
ああ、あの時グランマこの指輪はめてたなあ~と、思い出すものもありました。

グランマといつも一緒にいたい。。。そう思って祖父に許しを得て、
5個のリングのうちの2個を使って、普段用にリフォームしてもらいました。
少し若々しく、そして世界で一つだけしかないもの。。
(人差し指に、斜めの方向にはめるのです。)
そう思って、デザインしました。
ほとんど毎日のようにつけていて、毎日のように祖母を思い出す。
今でも、祖母を思うと涙がこみ上げてしまいます。

今日は、朝からバレエのことで、出かけていたのですが、
帰ってきたら、祖父からメールが来ていました。
『今日は、グランマの納骨に、京都まで行ってきたよ』

また、一つ祖母とお別れする行事が終わりました。。。。

久しぶりのcooking

2005年05月28日 | keep smiling
日本ではよくやっていたのに、こちらに帰ってきてから全くといっていいほど
やっていなかった料理。

昨日は久しぶりに夕ご飯を作りました。
といっても、一品だけでしたが。。

 『ピーマンの肉詰め』
であります。
半分に割ったピーマンに、ハンバーグのタネを入れるだけ
あとは、上から片栗粉をふるって、フライパンで焼くだけです。

こういう、普通の生活っていいよなあ。
掃除して、洗濯物たたんで、トイレ掃除したり、バスルームを洗ったり。。。
日本では、よくやっていたのになあ。

でき?勿論、ばっちり。
あ、あとこれにコーンスープが欲しかった!!

Oh my god!!

2005年05月27日 | keep smiling
LAでの日本人社会というのは、とてもおもしろいです。
例えば、日本だと、苗字でお互いの名前を呼びますよね。
小学校でも授業参観があると、
「山田さん、こんにちは。」などというようにご挨拶なさいますよね。

でも、ここLAでの日本人社会は、様子がちょっと違います。
LAに来ている日本人の多くは、ご主人の海外転勤についてこられたご家族が多いです。
(メーカー、銀行など。日本のバブルがはじけて、撤退した銀行もありますが)
その奥様がたは、みんなfirst nameで、お互いを呼び合います。
例えば
「けいこさん、こんにちは。」という感じです。
アメリカ社会での呼び方に習っているのですね。きっと。

LAに駐在できておられる奥様方(う~~んおば様方とおよびすればいいのか?)
に、英語を教えることになりました。
人数は3~5人で、年齢は30歳代。
皆さんお子さんが学校へ行っている間はお暇なので、
習い事をしておられるのですが、その一つに「英会話」でも~~
となったようです。

今までになかった経験。
おば様方ばかりの英会話。
文法なんて、なんのその。
しゃべればいいの。通じればいいのよというパワーにびっくり!!(でも、通じるから不思議)
あわせて、結構下ネタ連発!!(顔が赤くなりっぱなしです)
Oh my god!!


短歌(星の想い人)

2005年05月26日 | omoi
先日も、あるブログでのあるブロガーさんの企画で、短歌を作るって言うのがありますよ!!
と、ご紹介しました。
今回も、その企画に参加してみました。
テーマは、「星の想い人」です。

私は、よく空を見上げます。
朝も、昼も、夜も。。
大好きな人を思ったり、日本での友達、英語を教えていた小学生や家庭教師をしていた子供たち。。
そういう人を思って、よく空を見ます。
その中で、夏に亡くした祖母を思って作った歌です。

     どの星が  グランマの星かと 空見上げ
      
       一番輝く    星に涙す

生きること、死ぬこと

2005年05月26日 | keep smiling
昨日の私は本当にへこんでいて、(元気付けてくださった皆さん、ありがとう!!)
気持ちの持って行き場がなかったのですが、そんな中、友達と話をしました。
内容は、「死」についてです。

      もし、明日死ぬって言われたら、どうするか?

そう私が友達に聞いたとき、その人はこう答えました。
「明日死ぬって言われても、後悔ないなあ。
 毎日が幸せだから、構わないなあ。
 ただ、親とは話す時間が欲しいなあ。
 でも、自分にとって大事なことは、そのくらいだって言うことだよ。
 それでも、本当は死にたくないよね。
 だって、親より子供のほうが先に死ぬなんて、一番の親不孝なんだよ。」

それを聞いたとき、明日死んでも後悔はないという友達を私は、とても尊敬しました。
だって、私ならじたばたして、泣いて大切な1日を終わらせてしまうと思ったからです。

「高校のときに、先生が『人は生きてきたようにしか、死ねない。』って教えてくれたの。
 それって、逆を返せば死に様が、その人の生き様だったってことだよね。
 いつも、周りに感謝している人は、最後まで感謝して死ねるし、
 文句ばっかり言って生きてきた人は、何でおれがとか、何で私ばかりがこうなったんだ?
 って文句言いながら死ぬんだよね。」

私は、死ぬのが怖くて怖くて仕方なかった。
昨日はそういうことで、怯えていたのですが、友達の話を聞いてすごく楽になったのです。
いえ、相変わらず死ぬのは怖いですよ。
でも、品のある生き方をすれば、品のある死に方ができるのかって。。

  なら、品のある生き方がしたいと思いました。



へこむ~~

2005年05月25日 | keep smiling
今日は、実はとってもへこんでいて、こんなことができる状態ではなかったのです。
精神的にも肉体的にも。。。。

でも、帰ってきたら、私の机の上にバラの花。
母が一生懸命育てているバラが置かれていました。
プリンのカップにオアシスの貧弱な器です。
でも、それに挿してあるバラの美しいこと。。。

母の思いやりに泣けました。
傷ついて帰ってくるであろう娘に、バラを飾ってくれた。。。
「Pink!大丈夫だよ。」
そういっている気がします。

1000人のチェロ・コンサート

2005年05月25日 | keep smiling
先週の日曜日(5月22日)に、神戸で「第3回1000人のチェロコンサート」というのが開催されました。
1回目は1998年、2回目は2001年にやはり神戸にて行われています。
この目的の多くは、阪神大震災によって傷ついた人々をチェロ合奏の音楽を通じて、
励まそうというものでした。
名誉総裁であられた故高円宮殿下もそのとき参加され、チェロを演奏されていました。

私は、2001年のチェロコンに、出席させていただきました。
世界中から(日本人ばかりじゃないのですよ)、プロ・アマ問わず1000人のチェリストたちが、神戸に集い志を同じくして演奏することに、まだ子供だった私でもとても感動したことを覚えています。

三宮の駅から、チェロを持った人々に出会い始め、初対面の人でも挨拶を交わす。
それも、ずっと前からの友達のように。。
10分の1のチェロを持ったお子さんがいるかと思えば、フルサイズのチェロを重そうに運んでいる人もいて、そのイベント開催時は神戸はまるで、チェリストの街になったようでした。

今年は、ロストロポーヴィッチをお招きしたということで、きっともっと盛り上がったことでしょう。出たかったなあ。
これに出た友達が、ロストロポーヴッチを間近でみたそうですが、
実にcuteなおじいちゃんだったそうです。(80歳の男性に向かって、cuteは失礼かなあ?)

アメリカでも、日本でもとても多くの悲しい事件が起きています。
パブロ・カザルスというチェリストは、「音楽だけが世界を救うかもしれません」
と、言っています。

怠け者でshyな私にどうしても音楽をさせたかった母は、座ってレッスンできるチェロを私に選びました。
チェロを弾く意義、音楽とは・・とういう哲学的な問いかけを音楽をするものがしてもいい時代なのかもしれません。

(写真みえにくいですね。第3回1000人のチェロ・コンサートと書かれてあります)