桃から生まれたpink太郎

日々感じていることを、少しずつ書いていきたいです。

アイスとアイスとアイス

2007年07月31日 | omoi
食欲がない・・・
食べられるものはアイスとアイスとアイス・・・
あと、ヨーグルトと果物かな・・・・


なかなか自分の思い通りにいかない世の中と
なかなか思い通りに増えてくれない体重と・・・

両肩にかかるプレッシャーに押しつぶされそうだ・・

Dear PMS・・・

2007年07月23日 | keep smiling
昨日、父に大事な話があって、彼の機嫌のいいときをまっていました(考えてみれば、父はいつもご機嫌ですね。それは本当に平常心で、立派です)

危ない患者さんがいないかだけ母に確かめて、話をしました。



みなさんは、ご両親にフルネームで呼ばれたことがありますか?

例えば、渡辺 明子さんなら、お父様に「渡辺明子。」って言われたことありますか?

もし、おありだったら、それはお父様の機嫌が悪いときではないですか?



話をする私に父は「PMS(私のフルネームの頭文字です。彼はフルネームで私を呼びました)

Dear PMS。パパは何があってもそのことには賛成できないよ。君の志は立派だけど、許すわけにはいかないんだ。」



私がやりたいことは、危険でなければ(それも桁外れの危険でなければ)許してくれました。

だめだといわれたことは一度もなかった。

木の上に、秘密基地を作りたいといったときも、足場を作ってくれたのは父です。

balletもチェロもやめたいといったときは叱られましたが、やりたいことはとことんやらせてくれました。

数学ばっかり勉強する高校に行きたいといったときも、日本への留学のときもだめだといわれたことがありません。

ただ一度、私の記憶にあるのが、風邪を引いた私が友達が来たから一緒にプールに入りたいといったときでしょうか?www



「親愛なる私の娘、Pink。何があっても賛成できないよ・・・・・・」

だめか・・・・・。

鉄壁の守りだからなあ・・・・。

出直します。とぼとぼ・・・・

a brave girl!

2007年07月22日 | keep smiling
Pinkちゃんいつものやったげて?

おう!聞きたいか、Pinkの武勇伝。



武勇伝、でんでんででんででん♪(こんなリズムでしたっけ?)



英語の発音カタカナで書けといわれて、こう書いた。

カタカナなんかで書けるもんか。発音のtestなら口頭でやっとくれ。

ぶゆうでんでんででんででん♪



私が日本で家庭教師をしていたお子さんがこの春高校一年生になりました。

都内でも有名な進学校に進んだのですが、oral communication(英語の教科の一つ)で、mini testがあったそうです。

「次の単語の発音をカタカナで書きなさい。

さらに意味を書きなさい。」



そのお子さんは(Aちゃんとしましょう)、「カタカナで発音は書けません。発音のtestをするなら口頭ですべきです。」とtestのbottomに書いたそうです。で、teachers' roomに呼び出し。

口頭でtestを受けて、小testは満点だったらしいですが、こんなtestは無意味だといってきたらしいです。wwww

「ぴーちゃん、どうおもう?この先生やばくない?」とmailがきました。



ようし!よく言った!ナンセ~~~~~~~ンス!!

thはどうカタカナで書くんだ?

rはリじゃないんだぜ?

「Aちゃんは間違ってないよ。カタカナで書く意味がわかんないね。どういう力をつけたいんだ?先生にお聞きして、納得いくお返事もらいなよ。」と書くと、Aちゃんは「私が信頼しているP先生は、発音を決してカタカナで書いちゃいけないって、教えてくれました。『カタカナでは書けないんだって、いつも言ってました』っていっといたからね。私の英語の成績悪かったらPちゃんのせいだよww」

い?私かい?



日本の英語教育に申し上げます。

発音をカタカナで書けなんてtestは・・・・意味が分かりません。

どういう力を生徒につけたいのでしょう?

大事なことは二つ無い・・

2007年07月20日 | omoi
ここ最近ずっと考えていることがあります。

私の母はItalianの父と結婚したわけですが、思慮深い母のことだからどれだけ悩んだかを想像することができます。
今になれば、たいしたことではないかもしれないけれど、当時はきっと日本を捨て、両親を捨て、自分が誇りにしていた仕事も捨てこちらに来たと母は思ったと思います。
つまり、大事な人は父で、父だけが大事で、そのためならすべてを捨てたということになります。(随分大げさな言い方かもしれないけれど)
大事なものを二個も三個も手に入れようなんて、無理。たった一つの大事なもののために、他のものを犠牲にする覚悟・・なんだか潔くてかっこいいと思います。

たった一つの大事なもののために、いろんなものを犠牲にしないのが一番いいに決まっています。大事なものは一つだけど、他のものも大事にできたら、本当はそれが一番いいのかもしれません。
でも、大事なものに選ばれた場合、それに応えようとするものです。
つまり、両親の場合、母がいろんなものを犠牲にしてアメリカにやってきたことを知る父は、母には特別な存在。だから母に応えようとするわけです。母に選ばれた父だから、めいっぱい幸せにしようとするのです。

格段に選択の内容が落ちますが、ハーゲンダッツのcookie&creamと季節限定のcream ブリュレがあったとします。
どっちも大事。どっちも食べたい。でも一つしか選べない場合、私は迷わずcookie&creamを選びます。そしてそのおいしさは私を裏切らない。(あまりに例が軽すぎて笑えますがww)

大事なものを選び、他のものも犠牲にしない方法なんて本当は虫がいいのかもしれません。
他のものも大事にしたいなんていうのは、大事なものを大事にできないものの言い訳なのかもしれません。
ずっとずっとそんなことを考えています。

私と読書

2007年07月19日 | keep smiling
私にとって本は小さい頃から友達だった。

母のお腹にいるときから、母が絵本を読んで聞かせてくれると、うれしそうにごろんごろんおなかの中で前周り?をしていたそうである。(これが、のちに首にへその緒が巻きつく原因となったとかならないとか・・・?ww)



眠る前には、文字が読めるようになっても母に読み聞かせをしてもらっていた。



日本語の本も大好きで、小さい頃からよく読んでいたほうだと思う。

junior highくらいのときに母が「ママの高校のときなどは、よく『小林秀雄』を読んだよ。これが、よくtestに出たなあ。」なんて言われて、負けず嫌いの私は母の書棚から小林秀雄を見つけて読んだものだ。

小林氏の著書は日本語が難解で全くといっていいくらい、当時の私の日本語力では分からなかったけれど、確か読書をテーマにした彼の文章の中でこういうものがあった。

『とにかく、気に入った作家ができたら徹底的にその人の書いた文章を読み漁ることだ。そうすると、暗闇の中で握手したような感覚に達することがある。そうなったらしめたものだ』



当時の私には「読み漁る」とか「しめたもの」なんていう日本語もよくわからなくて、母に聞いていた覚えがあるが、とにかく好きな作家の文章をいっぱい読み始めた。



その傾向は今も変わらず、『容疑者Xの悲劇』を読んでからは東野圭吾氏にどっぷりつかり、

『彗星物語』を読んでからは宮本輝氏にどっとはまった。

前者は、理系の人で、理系の作家が文章を書くと、こんな風に文章を構築できるのだなと思った。それは、音楽家が作曲していく過程に似ている気がした。



後者は、彼の紡ぎだす日本語の美しさにとてもうっとりしてしまった。

『オレンジの壷』を読んだときはやられた!と思った。



これから、少し古典に挑戦してみようと思う。



心と体の距離

2007年07月13日 | keep smiling
何も今に始まったことではないらしい。

父が学会出張するとき、明日から旅行というとき、明日がチェロやballetのrecitalだというとき・・・・・
熱を出したり、吐いたり・・・

父が出張するときは、母の緊張が伝わるのか、旅行のときは、両親の「このscheduleはPinkが耐えうるものか?」という不安が伝わるのか、あるいは、balletやチェロの発表会前の子供ながらのプレッシャーがあるのか、eventの前には必ずといっていいほど熱を出していたらしい。
簡単に言えば、「心と体の距離が近い」とでも言おうか・・・

心が緊張していると熱をだし、逆に熱を出すと、精神が不安定になる。
その距離は多少大人になった今も変わっていないようだ。

それでも、心と体の距離が近いからこそ、「思いが確実に体で表現できるよ」と言われたことに救われる。

さ、Pink。心に余裕をもって。楽しんで・・・

Pink カンタービレ!

2007年07月13日 | cello
私が日曜日に演奏する曲は、「Concerto in C Major:Joseph HAYDN作曲」
です。

まず、Concertoというのは、協奏曲という意味です。協奏曲は、独奏者を主役にしてオーケストラと共に音楽を創作していきます。
チェロコンチェルトといったら、独奏者はチェリストで、オケが伴奏部分を受け持ってくださるわけです。
また、ピアノコンチェルトといったら、ピアニストがソリストでオケが伴奏部分。普通はオケにはピアノは含まれていませんから、ピアニストはピアノコンチェルトのときにオケと共演できることになります。

私が尊敬してやまないJoseph HAYDN先生は、こんな美しいConcertoを書き残してくださいました♪
特に私が演奏する第一楽章は、華やかで美しく、チェロのもつ低音から高音までの安定した音の美しさを余すことなく発揮した、明るくちょっと派手な感じのする曲です。
日曜日の発表会には、オケ部分をピアノが伴奏する形をとっての発表会です。

ところが、昨日もお伝えしたようになかなか合わない伴奏者と私の演奏。
昨日は夕食を一緒に食べに行って、こう弾きたい、こういう風に伴奏してもらいたいということをいっぱいいっぱい話しました。
「間奏の部分は、あなただけが演奏するんだから、伴奏と思わないで華やかに弾いて。遠慮しないでほしいの。私をサポートしようと引っ込めなくていいよ。次、私が入るときにその華やかさをバトンタッチしてほしいんだ」
伴奏者は、いつも独奏ばかりでコンチェルトの伴奏は初めてだといいます。
無理な注文かな・・なんて思いながら、彼女のピアノの先生から「彼女の勉強だからね。Pink、きちんと思いを伝えてあげて」と言われました。

このくらいでいいや、とあきらめちゃうことは簡単だけど、せっかくいただいた機会。さらにせっかくの出会い。
大事にしたい。彼女にも「今回の伴奏、勉強になった」って思ってもらいたい。
私も歌いたい。
納得できないところは、ちゃんと伝え合って完成度の高いものにしたいです。
今日もこれからあわせてきます。

    Pink カンタービレ!

あわせることって難しい・・・

2007年07月12日 | keep smiling
日曜日にチェロの発表会があります。

(考えてみると、私は毎日マッハで動く生活してるなあ・・・・)



この日は、私もチェロを演奏します。

勿論、先日からのおこちゃまとの共演もこの日にあります。



今週に入って、ピアノの伴奏者さんとあわせているのですが、どうにもうまくあわない。

私の演奏するのはコンチェルトなのですが、オケパートをピアノ一人で伴奏するわけですから、大変難しいのです。

そこは、大いに理解できるところなのですが、私も彼女も自分のことが精一杯の段階。

ただ、練習を重ねるごとによくはなってきているのです。

もっと曲としての精度をあげたくて、ちょっと違った方法であわせをしています。



・・・・・・・・ピアノとあわせることをやっていると、人間関係と同じだなって思います。

相手があるからもめる。でも人は人との係わり合いをさけることはできないし、だからこそ人生が面白いって思える・・・



前述のとおり小さいお子さんと合わせるのは大変。

マイペースなかれらだから、思いもかけないことが起こる。

でも、大人とあわせるのも、大変。

気遣う観点が違っていたり、もともとの曲への思い入れが違っていたり。。。。



なんでそうなるのかなあ・・・

なんで伝わんないのかなあ・・・どうして、どうして・・・・

結局私って人間は自分勝手なんだよな・・・・


七夕 eve 短歌一首

2007年07月06日 | omoi
一年に  一度のデート milky way

  なに着ていこう?  何履いていこう?

日本では七夕はChristmasほどではないけれど、カップルが一緒にすごすんですってね。
ロマンティックだなあ・・・・
いいなあ・・・・
会いたいなあ・・・・

愛の形

2007年07月04日 | omoi
心から応援していたわけじゃない。
そういう愛の形もあるんだなって、客観視していたかもしれない。
周りの人が、「伝わるといいね」といっていること知っていても、私も同じように言ってあげれなかった。
「頑張ってね。応援しているよ」って言うことは簡単。でも、心からそう思ってる?そう思うと自分に嘘がつけなかった。

あなたがどれほどあの人の事を愛しているのか知っていながら、何もできなかった私。
応援もしなければ、批判もしなかった。
あなたの愛の形が、一般的に受け入れられないものだったからかもしれません。

おほしさまになった今、後悔だけが残ります。
もっと応援して上げればよかったのではないか?
恋愛は自由ではないのかと・・・

私はきっとあなたの愛の形を理解するには子供過ぎるのかもしれません。
相変わらず、何もできない私だけど、あなたのお話聞くからね。
いっぱい、いっぱい泣いていいよ。
こんなこといいながら、泣いているのは私だよ。