●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

「謙遜」について

2014年06月04日 | 思うこと
私はかつて謙遜と言う言葉が大嫌いでした。

それは、謙遜になろうとしてもなれなかったからです。

高慢って誰だって嫌だと思いますが、

勝手に高慢になり、謙遜は益々私から遠ざかりました。

「もっと謙遜になりなさい」

と言われても、もう私には謙遜が分からない状態でした。

そう言った訳で、私は謙遜と言う言葉も嫌になったんです。



散々な目に合って、遂に私は謙遜を諦めました。

「私の内には、謙遜など全く無い!!!」と。

その時、ああ。。。

謙遜はなるものじゃなくて、頂くものだと気づきました。

イエスさまの「謙遜」を頂くんです。



イエスさまは、私の身代わりに十字架で死なれました。

そして三日目に蘇って、私の身代わり?に生きて下さるんだと。

一つは身代わりの「死」で、もう一つは身代わりの「生」です。

ですから私は、イエスさまの謙遜を頂いて感謝して生きます。

私が完全に謙遜になったとか、全く高慢にならないとかでもありません。

でも、イエスさまの謙遜を頂いている限り高ぶる事はありません。

もう、謙遜についても高慢についても考えなくなりました。

これは、私にとっては素晴らしい解放でした。


だからと言って高慢になって良い訳ではありませんよね。

謙遜がいつも与えられるんです。

なので謙遜そうな振りをする必要もなくなりました。

へりくだりが分からなかった時には、振りをしていました。

高慢が来ても驚きません。私はそれと関係ないと知っているからです。

当時は苦しかったですが、今になってみると恵みでした。




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