ある春の日の事です。
私は、近くの川の土手で賛美していました。
スマホから、何曲か流れる賛美と一緒に歌っていると、
突然、心に込み上げるものがあり、泣きながら祈りました。
私は、普段はどちらかと言うと泣かない方で、
涙が溢れる時は、なぜか「神さま!この地の人々を憐れんで下さい!」
と祈る時だけでした。
10 年ほど前に、教会に帰った時にも礼拝の賛美中に泣いたのは、
♪「神よ~聖なる神よ、この地に光を~」と歌う時でした。
しかし、この土手でのお祈りの時は違っていました。
「私は、本当に本当に!愛されるために生まれたんだ(泣)」
♪「傷ついた~主の愛の手が動き、わたしの心を癒された~(泣)」
次々と流れる賛美の中で、私を愛して憐れんで祝福して、癒し、
忘れないで、満たして下さるイエスさまへの感謝で泣いていました。
イエスさまーあなたは、私を決して忘れてはおられなかったんですね(涙)
そして、後半に流れて来た♪「誰も見たことのない事が」
を歌った時には、今度は日本を愛しておられる神さまの愛に驚き?ました。
♪「祈りは聞かれている~」と。
そうです。もちろん今祈っている私たちの祈りは聞かれています!
しかし、もっと以前に日本のために祈って、もうこの地上にはおられない、
多くの聖徒たちの祈りは聞かれていると!
祈りながら、召された牧師先生。
多くのリバイバル集会を、全身全霊で導かれた先生たち。
その働きを、全力でバックアップされた先生たち。
どんなに変えられた日本を見たかったことでしょう!
その牧師先生たちは、
自分の目では日本のリバイバルを見る事は、許されなかったけれど、
モーセのように遠くから信仰の目で(約束の地を)見て、
満足して、天に帰られたんじゃないかと信じました。
その祈り!その祈り!その祈り!の数々が、聞かれている!
そう分かりました。
ですから、その事の素晴らしさに泣けて来ました。
無駄ではなかった…と。
(今頃、天に於いて先の聖徒たちは、それを見ておられることでしょう)
霊の世界で起きている事と、現実世界にはタイムラグがあると聞いています。
もしかしたら、もう少し時間が必要かも知れません。
でも、神さまの現実に生きたいなぁ~と思っています。
「みこころが天になる如く、地にもなさせたまえ。」主の祈り
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