フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

昼の食堂で西田哲学 LA PHILOSOPHIE DE NISHIDA AU DEJEUNER

2005-11-16 22:24:40 | 哲学

昨日のお昼のこと。冬を前にした空気には透明感と少し肌を刺すような緊張感があり、雨にぬれたアスファルトと色とりどりになった木々を眺めながらの散策は気持ちがよく、出る前にヴァレリーの紹介文を持っていったせいか、思索を誘うものがあった。

近くの昔ながらの食堂に入り、朝日新聞を手に取る。新聞を読むのも久しぶり。ネットでは読めないものも見られ、やはり味がある。文化欄に行くと梅原猛の「反時代的密語」なるコラムの最初の文が目に入る。

「西田幾多郎は、もっぱら西洋哲学を翻訳、紹介、研究することを哲学と考えているほとんどの日本の哲学者と違い、西洋哲学とともに東洋の宗教、特に仏教についての知識をもち、西洋思想と東洋思想を総合して思惟を重ね、独自の首尾一貫した哲学体系を創造することが哲学であると考えていた。」

この前半はまさに先日話題にしたことであり、後半は今読んでいる « Dieu et la science » でしばしば取り上げられている「物質主義と精神主義 le matérialisme et le spiritualisme」、「実在論と観念論 le réalisme et l'idéalisme」、「信と知 l'acte de foi et l'acte de savoir」、「神と科学」などの対立とそこからの統合 la synthèse の必要性とも関連があり、興味をもって読む。

西田幾多郎 (1870-1945)

十九世紀の西洋哲学として、自然科学の理性、悟性の限界を明らかにし、それを超えた美的理性の存在を示したカントの流れ(啓蒙主義批判)を汲む理想主義・ロマンティシズム、自然科学の発展に伴い理性を強調する流れ、さらにその一面性を批判して人間の内面的生命を重視するロマンティシズムの芽生えとしてのベルグソンの「純粋持続」があると西田は分析していた。しかし、客観性・理性を潜り抜けてはいない古いロマンティシズムではなく、現実の洗礼を受けた、自然科学の理性に裏打ちされた新しいロマンティシズム、理想主義が求められると西田は考えていたようだ。

梅原は西田の哲学を「日本文化の伝統の上に立つ悲しみのロマンティシズムの哲学」と規定している。東洋の伝統に軸足を置きながら、西洋の自然科学の理性を取り入れ、厳しい現実を超えられるような哲学を求めて行きたいと結んでいた。東洋と西洋、感性と理性、実在論と観念論の対立を経て、それらの統合 la synthèse が求められるということだろう。その意味では科学のやり方をある程度経験していることは、これからの資産になりうる。そこからどのように意味のある思想につなげることができるかという点が問題になるのだが。

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« Dieu et la science » には、中世の真っ只中にありながら「信と知・理性」の統合、すなわちキリスト教思想とアリストテレス哲学を統合して新たな哲学・神学体系を創り上げた先駆者としてトマス・アクイナスが紹介されていた。

Saint Thomas d'Aquin (1225-1274)  以前に彼のエピソードを取り上げていた(29 mai 2005)。

去年の夏頃だったろうか、ネットの文庫から「善の研究」をプリントアウトした記憶がある。少しだけ読んだが、その昔よりはわかりやすくなっているように感じた。この本も”いずれ”になるが、読んでみたい。梅原さんの記事により少しだけ早まりそうな気もする。

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ポール・ヴァレリー PAUL VALERY ET SA PENSEE

2005-11-15 23:48:14 | フランス語学習

日曜のDALFの読解問題にポール・ヴァレリーのエッセイが出た。それ以来、彼のことを少し調べて見ようかという気になり始めている。ヴァレリーの名前は知っていたが、名前だけである。彼との最近の接点を探ってみると、« Monsieur Teste » をアマゾンから、また « Voltaire. discours prononcé le 10 décembre 1944 en sorbonne » (1944年にソルボンヌで行ったヴォルテールについての演説) をこの夏のパリの古本市(ジョルジュ・ブラッサンス公園)で買っていたので、興味がなかったわけではなさそうである。が、いずれもまだ手付かずの状態。

Paul Valéry (1871-1945)

フランスの詩人。若い時にユーゴ、ゴーティエ、ボードレールなどを読み、マラルメやジードの知己を得て、世に出るようになる。1925年(54歳)にアカデミー・フランセ-ズ会員に、1937年(66歳)にはコレージュ・ド・フランスの教授になり、亡くなった時には国葬で送られるという栄に浴している。恵まれた後半生だったようだ。ネットで調べたところ、いくつか引用が出てきた。その中にはDALFの読解試験問題となったエッセイのエッセンスも見つかった。

« Je n'hésite pas à le déclarer, le diplôme est l'ennemi mortel de la culture. »

  「資格は文化に死をもたらす敵であると宣言することに躊躇はない。」

それと何とも素晴らしい言葉も見つかった。とても実感するところまでは行かないと思うが、、。

« Ecrire purement en français, c'est un soin et un amusement qui récompense quelque peu l'ennui d'écrire. »

  「端正に、正確にフランス語で書くということは、書くことに纏わる辛さに少しだけ報いる方法であり、慰めである。」


(version française)

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久しぶりのモーツアルト APRES L'EXAMEN, LE MOZART

2005-11-14 00:01:36 | フランス語学習

昨日のDALF-C1の試験の後はさすがに疲れていたようで、無性にモーツアルトが聞きたくなった。最近では余りないことなので、よっぽどの経験だったのだろう。ヴァイオリン・コンチェルト1番から5番まで。他の作曲家もかけてみたが、全く受け付けず。モーツアルトでなければ駄目だったようだ。いずれの曲もすっきりと頭の中に入ってきて、癒してくれた。そして次第に気分が昂揚してくるのを感じた。

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DALF受験記 APRES L'EXAMEN DALF

2005-11-13 20:53:16 | フランス語学習

本日、DALF-C1なる試験を受けてきた。前回DELFを受けたのが去年の秋になるので、1年間でどの程度の変化がみられるのかを確かめようというもの。昨日は、楽しんでこようと書いたが、とてもそれどころの騒ぎではなかった。

朝の9時から聞き取りが始まったが、朝早くからのフランス語は早く、語彙が難しく、込み入っていて、しかも発言に陰影があるため、とても理解するところまでは行かず。何で日曜の朝早くからこんなことをしているのかと、自問している始末。やや自暴自棄。

それから続けて、ポール・ヴァレリー Paul Valéry の教育に関するエッセイの読解。さすがに格調高い文章で綴られていたようで、資格がものをいう社会の風潮や教育のコントロールが如何に教育そのものや精神を駄目にするかということが書かれてあったようだが、、。私の理解できる範囲では、納得するところが多々あった。またこれだけ集中してヴァレリーの文章を読むなどということはないだろうと思われ、興味深い経験だった。

15分の休みの後、資料2つ (1000字程度?) を読み、それを220字程度にまとめる synthèse とそれに関連したテーマについて自分の考えを250字程度にまとめるという筆記試験。テーマは人文科学と科学から選択可能だったので la science を選んでおいた。ちなみに、20人程度の教室は私以外は全員女性で、科学を選んだのも私一人だった。話題は宇宙探査・宇宙研究について。後半は、宇宙研究に多額のお金が費やされていることについて自分の考えを雑誌に投稿するという設定になっていた。2時間半だが、最初の問題で2時間近くかかってしまったため時間が全く足りず。残り20分程度で2題目をやる羽目になり、こちらは半分しか書けなかった。まとめをするためには、最初に充分に筋道を立てておかないとぶっつけでは無理。それが思うように行かないのである。

1時過ぎに終わった時には、誇張なく頭に血がのぼるという状態。まさに、全身の血が頭に集まっているという感じで、頭が熱くなっていた。普段これほど集中することがないということだろう。頭に血が巡っていないという証でもある。1時間半の休みには何もやる気が起こらず、会場のIFJ周辺を散策。

3時からは口頭試問 exposé のための資料2つを1時間で読む。これも先に選択した科学の分野の問題で、「死体や臓器を科学になぜ提供するのか」について考えを発表するもの。相当に疲れていたのだろう。一番最初に書かれてあったこの課題に全く目が行っていなかったのだ。テーマがあることがわかったのは、試験官に質問された時。さすがにフランス人と日本人の試験官も驚いていた。偶然、この点についても考えていたので少しは救われたが。15分ほど何とか話した後、15分ほど試験官との質疑応答になった。フランス人の試験官は以前にIFJでコースを取った時の先生だった。こちらの顔に見覚えがあったのか、最後にその時のことを確かめてきた。そして今日はよい日でしたね、心地よい疲れが残ったことでしょう、とのお言葉。皮肉ではなく本気で言っているのだが、私の方は殆どもぬけの殻という状態。帰りに疲れを癒そうなどという気さえ起こってこなかった。

(version française)

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語学モード EN PREPARANT LE DALF

2005-11-12 09:27:44 | フランス語学習

明日、DALF というフランス語の試験を受ける予定。フランス文部省認定フランス語資格試験でこれに受かるとフランスの大学入試で語学試験が免除されるらしいが、私の場合は漫然とフランス語をやっているよりは効果があるので受けている。この試験は最初のレベルから総合的な(体全体を使う?)運用能力が求めらる傾向があり面白い。(このサイト内でDELF・DALFで検索していただければこれまでの経験が出てきます。参考になるかどうかはわかりませんが)

今回の試験は4つのセクションに分かれていて、聞取り(40分)、読解(50分)、それに極めて能動的な synthèse (2時間30分)と exposé (準備60分、面接30分)。synthèse は2-3の文章を読んで、そのまとめをするのと自分の考えも含めてその問題を論じるという筆記試験。exposé は資料の文章で扱われているテーマについて自分の考えをまとめて口頭発表し、試験官と討論するというもので、相当に大変そうである。

ウィークデーには頭が切り替わらず、語学学習モードにはなかなか入らないので困っていた。ついに、今日一日で形をつくらざるを得なくなった。DALF の前段階の DELF を最初に受けた時は、自分の話が通じるのかわからなかったので相当に緊張していた。通りかかったフランス人に緊張して困っていると話しかけたら、「心配ない、フランス語を話す機会が増えると思えばよい」と言ってくれた。まさに目から鱗で気分が楽になったことを思い出す。明日は今のレベルを知るために、たっぷり楽しんできたい。

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昔の私 SUR LA PHOTO D'ANTAN, C'EST VRAIMENT MOI ?

2005-11-11 00:06:55 | 映画・イメージ

先日の会合で久しぶりに会った KI 氏から学生時代の写真が送られてきた。そこには見たこともない姿があった。自分の若い時の写真なのだが、こんな姿でこんなことをやっていたのかというのが最初の印象。豊富な髪の毛を振り乱して、今の若い人もびっくりの盛り上がり振りで驚いた。そういうことをやった覚えはあるのだが、当然のことながら外から自分を見た記憶がないので少々驚いた。第三者の目からこのように見えていたのだな、ということがわかり、当時の自分を確認することになった。その意味で昔の写真を見るのは面白い。記憶を修正するのに役立つが、ある場合には、そっとしておいてほしい記憶も修正を迫られるということになる。

残念なことに、楽しそうに写っているのだが、その歓びの感覚をもはや呼び戻すことはできない。その意味では自分の中にはもう存在しない過去なのかもしれない。どのような人生が幸せなのだろうか、とふと考えた。年とともに成熟し続け、自分の頂上に達したと思える時に死を迎えるのが最高の幸せかもしれない。その時には、もはや過去の栄光や歓喜 (もしそのようなものがあれば) の感触さえ思い出せないかも知れないのだから。

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丸山健二 KENJI MARUYAMA, ECRIVAIN PROVOCATEUR

2005-11-10 00:05:12 | 出会い

昨日の夜、帰宅前に本屋に寄る。そこに置かれていた丸山健二の「生きるなんて」を開く。若者向けの人生論なのだろうが、大人にとっても参考になる。日本の現状も含め、あらゆることに再検討を促し、批判のメスを入れる。以前に一度だけ彼の本を読んだことがある。「生者へ」。疲れて途中で止めてしまったが。

前回もそうだったが、とにかく体を張って書いているという印象を受ける。過去の人の意見を引くこともなく、自分で消化したものだけから書いているので、一気に読める。言いたいことは自立せよ。あらゆる面で自立せよ。今の日本の問題、過去の日本の問題の根っこには、この問題があると看破する。個人の自立のなさがすべての元凶と激しく説く。よくわかる。ものごとに対するスタンスは意外に近いのかもしれない。

そして勇気が出てくる本でもある。

『 おのれが果たしてどんな人間であったのかわかるようになるのは、それも薄々わかるといった程度ですが、六十歳を過ぎた頃からでしょう。それとても、最終的な答えではないかもしれないのです。八十歳、九十歳、百歳と生きるにつれて、思いも寄らなかった自分に変わっているのかもしれません。もちろん、社会や時代もです。

 あなたは、そうした変化のあれこれを寿命が尽きるまで見届けたいと思いませんか。
 あなたは、それを見るだけでも生きる意味と価値があると思いませんか。
 あなたは、その変化がこの上なく悲惨なものであっても、よしんば地球最後の日を迎えるような大事件であっても、奇跡的な確率で生じるそんな機会に巡り合えただけで幸運だったと思いませんか。 』

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オルハン・パムク再び ORHAN PAMUK - TURC, ESPRIT LIBRE

2005-11-09 07:13:42 | 

今週の Le Point から。イスタンブールへの想いからオルハン・パムクの記事に目が行ってしまった。

パムクは1999年に「国家芸術家」の称号を拒否し、今年2月にはスイスの雑誌に、「トルコでは3万人のクルド人と100万人のアルメニア人が殺されたが、そのことを誰も話そうとしない。私が話さなければ。」と公表し、「トルコ人を公に貶めた」罪(最高3年の禁固刑)により来月裁判にかけられるという。

彼は laïque だが、ユダヤ人として非難され、彼の本が公の場で焼かれるのを見たという。またトルコのEU加盟に賛成で、公共の場でのスカーフの着用に反対している。彼の愛するイスタンブールに関する本(フランス語訳)が2007年1月に出る予定とのこと。裁判の成り行きと本の出版を待ちたい。

そういえば、トルコの Van というイラン国境に近い町の第百年大学の学長が医療機器購入に絡む罪で逮捕拘留されていて、トルコにある77の大学の学長が抗議のためその町に乗り込んだというニュースを最近読んだ。大学の問題は中央の所管になっているのだが、その相談なしに逮捕されたとのこと。しかもその罪がでっち上げで、その背後には学長がイスラム主義者の採用を拒否したことがあるのではないかとの憶測もある。宗教の対立はそう簡単には解決しそうにない。

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同じ号に、ピカソ美術館の20周年記念として« Picasso, la passion du dessin » という展覧会が来年1月9日まで開かれているという記事もあった。

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バルガス・リョサとの対話 ENTRETIEN AVEC MARIO VARGAS LLOSA

2005-11-08 23:07:41 | 海外の作家

マリオ・バルガス・リョサについては最近数回触れている(10月20日26日27日)。その勢いで彼の本を数冊注文してしまった。今日の本はその中の一冊。

« Entretien avec Mario Vargas Llosa » (Terre de Brume 2003)

1994年10月にブルターニュで開かれた会と関連した内容が出ている。いくつか響いてきたものがあったので書いてみたい。

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« Éloge de la marâtre » (「継母礼賛」の訳で出ている) についての話題。

「この小説の主人公はエキセントリックで狂っている。しかし私が賞賛することをやろうとしている。それは理想主義者 utopiste であろうとすること。社会の中にユートピアを求めること、完全なるものを求めること。しかし、それは不可能であり、破滅に結びつくことに気付く。ただ、人はユートピアなしには生きられない、完全なる世界という考えを抱かずして生きることはできない、絶対的なものを実現しようとする意志なくして生きられないことも理解する。
 そう考えて、個人的な視点から完全を求めようとする。家庭の中で、個人的な関係において満足を求める。完全なるユートピアを求める。 
 つまり、自分自身を、自分の人生を、運命を自分で完全にコントロールしようとする。」

この小説を読んだわけではないので、作者が言いたいことは違うかもしれないが、自分自身をコントロールできる自由を持ちたい、自分の中にユートピアを求めたいという考えがかなり昔から心の奥底にあるためか、この発言に反応したようだ。この本は届いているので、いずれ彼の考えに触れてみたい。

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この他、いくつかの作品の背景について語っている。この手の本は小説を読んでから軽く流すのがよいのだろう。対談の最後に、政治との関係について聞かれて次のように答えている。

「今後は、実際に政治に専門的に関わることはないだろう。将来もう一度大統領を目指すというような。あれは事故のようなものだった。ただ作家として、インテリとして、今起こっていることには興味を持っている。サルトルの時代に育っているので、参加する義務があると感じている。書いて、考えて、批判を加えながら。それは知的生活の一部を成しているものだろう。」

フランスには「水を得た魚のように」に当たる « heureux comme un poisson dans l'eau » という表現があるが、政治をやっていてそう感じたのかと聞かれて、彼はこのような話をしている。

「余り楽しい経験ではなかったが、私を豊かにしてくれる (enrichissant) ものだった。その3年間で多くのことを学んだ。知っていると思っていたペルーとは全く違う国を発見した。キャンペーンをするということは、作家が政治的な議論をすることとは全く違う。政治のこともよくわかるようになった。さらに自分自身のこともよくわかるようになった。もう一度やりたいとは思わないが、振り返ってみると非常に学ぶことの多い経験だった。」

「ペルーは全く異なる三つの地域から構成されている。海岸線、都市が一方にあり、他方にアマゾン流域の森林地域、そしてアンデスの山岳地帯。3年間で今まで知らなかったアンデスをよく訪れた。そこは歴史の発祥の地であるが、現在は多くの難題を抱えた地域でもある。選挙後に « Lituma dans les Andes » という小説を書いている。それは野蛮で原始的な社会と精神状態について語った小説だが、それはアンデスに限らず、どこにでもあるものだと思う。

伝統的で、儀式に満ち、魔術的、『前理性的 pré-rationnelle』、先祖伝来 atavique といってもよいかもしれない。それは西洋の理性的な文明では地中に埋められているかに見えるが、消し去ることのできないものでそこ(底)にある。その野蛮な暴力的側面が何かのきっかけで蘇る。現代至るところで見られる説明できない暴力の背景にはこの問題があるのではないか。

そのため、私はギリシャ神話のディオニソス Dionysos を小説では使ったのです。暴力は人間の条件ではないか、われわれの中に埋め込まれているものではないのか。ギリシャ人はそのことを知っていて、理性の拒否、暴力、非理性の神話を作ったのではないだろうか。」

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彼はコロンビアの芸術家フェルナンド・ボテロ Fernando Botero (1932-) の本に 「ある有り余る豊かさ « Une somptueuse abondance »」 という序文を書いている。ボテロと言えば、去年の夏だろうか、« Quelqu'un m'a dit» の Carla Bruni のコンサートを聞きに恵比寿ガーデンプレースに行った時の感動を思い出した。最初に例の異常に太い、豊かな、黒い彫刻が目の前に現れた時、「これは何だ!?」という叫びと不思議な喜びが襲ってきたのだ。近寄ってみるとボテロという人であることがわかり、近くの本屋を探したが満足の行くものはなかった。その後執着することもなく忘れていた。

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「 たのしみはそぞろ読みゆく書の中に 我とひとしき人を見し時 」 (橘曙覧 たちばなのあけみ)


(version française)

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柴田宵曲 SHOKYOKU SHIBATA - ERMITE REVEUR DU PASSE

2005-11-07 23:56:03 | 自由人

今日の夕食時、新聞の小さな囲み記事に目が行く。柴田宵曲という初めての人について、文芸評論家の川本三郎氏が小文を書いている。読んでいくと興味深い人である。すぐに魅かれる。

柴田宵曲 (1897-1966、明治30年-昭和41年)

俳句を正岡子規の弟子に学び、江戸や明治の過去に遊ぶ。世に認められることを欲せず、世捨て人か隠者のように都会の片隅に身を潜め古書をいじり、現代に興味を示すことなく昔の東京に夢を遊ばせていたという。これを読んだ時、以前に触れた古代を専門にする哲学者にして歴史学者のジェルファニョンのことを思い出した。

味のある文章を書いたとされている。面白そうな題名の本も書いている。十年ほど前に小沢書店から出た「柴田宵曲文集」全8巻は今や絶版。手に入るものから、ご相伴に預かりたいものである。

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北斎展で想う HOKUSAI, IL EST GENIAL, ADORABLE !

2005-11-06 00:00:34 | 展覧会

昨日の朝、少し喉に痛みを感じたが、思い切って家を出た。北斎展を見るために上野まで。

北斎と言えば、以前にネットにある 「富嶽三十六景」 を数ヶ所からコピーしてスライドにしたことがある。サイトによって異なる印象を受けたが、摺りによって全く違う絵になることを今回知る。当時、北斎の影響を受け、「エッフェル塔三十六景」 « Les trente-six vues de la Tour Eiffel » を描いたフランスのアンリ・リヴィエール Henri Rivière (1864-1951) についても興味を持ち、画集などを仕入れてはパリへの思いを高めていた。今回探してみたが、混沌の中からは見つけることができなかった。

KATSUSHIKA HOKUSAI (1760-1849)

会場に入って人の多さに鑑賞しようという気分が萎えてしまった。数列の人が壁に張り付くように移動している異様な光景を目にして。掛け軸などを除くとほとんど版画のため実物が小さいのである。気持ちを取り直すために最後まで歩いて行くと、人がやや少なくなってきたので逆方法に見始めた。

展覧会は、彼が画号を変えていった年代に沿って紹介されていた。

20歳~ 「春朗」期
36歳~ 「宗理」期
46歳~ 「葛飾北斎」期
51歳~ 「戴斗」期
61歳~ 「為一」期
75歳~ 「画狂老人卍」期
90歳   亡くなる

とにかく仕事の多さと多様さに圧倒される。こんな絵も描いていたのか、というのが第一印象。彼はこの世のありとあらゆることに興味を示し、死ぬまで描き続けたことがわかってくる。美人、動物、植物、人々の生活の一瞬を捉えたもの、唐土や琉球の絵まで他の絵を頼りに描いている。それから彼が画号を変える度に全く別人が描いたと言ってもいいくらい調子が変わっている。彼はその度に生まれ変わったことがわかる。自分を変えるには名前を変えるのが手っ取り早いのかもしれない (このブログは paul-ailleurs でなければ書けないということか)。

すべて見ることは望むべくもなかったが、「北斎漫画」 などを描いているように彼にはユーモアのセンスがあるのだろう。人間に共感している様子が伝わってくる絵に惹かれるものがあった。当時の生活が蘇ってくるような絵も面白かった。日本人の心根は当時と余り変わっていないのではないか。絵を見ながら押した、押さないという言い争いの声、昔の人の生活を語り合っている声などを聞きながら見るのも一興であった。北斎さんがそこにいて一緒に聞いているような感じさえしてくる。

これはっ、と驚いたのは「百物語」の現存する5点を見た時。大胆で、色が鮮やかで(後で画集を見てみたがその感動は得られない)、現代的でさえある。それから短冊にも面白いものがあった。囚われない、自由な精神が溢れているようで一気に北斎のことが好きになったのだろう。思わず「北斎漫画-初摺」に手が伸びてしまった。彼の人となりについても異常な興味が湧いてきているのを感じる。

余りにも気分が昂揚していたせいか、それを鎮めるためか、博物館裏の庭園を散策する。小堀遠州などの茶室があり、穏やかな秋のひと時を楽しんだ。

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(version française)

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アルベール・メンミ ALBERT MEMMI - ECRIVAIN NOMADE IMMOBILE

2005-11-05 00:05:10 | 海外の作家

文化の日に久しぶりにTV5を見る。丁度、作家のドキュメンタリーが流れていた。話を聞いていると、作家なのだが人文科学をも研究している全人的なインテリ intellectuel total が紹介されている。彼はすべてが説明可能だ tout est explicable という立場に立っていて、文化を跨ぎ、自らの属するところを越え、考えている。社会的には laïque で、思想においては raisonnable、(もうひとつの原則は残念ながら聞き逃した) を基本に置いて生活している。チュニジア生まれのユダヤ人でフランコフォン。そのせいもあるのだろう、少数派 minoritaire の立場を理解する。植民地を支配する方 colonialiste とされる方 colonisé の立場についても考察を深めているようだ。その過程で、マグレバンの文学、フランコフォンの文学に大きな可能性をもたらした。

Albert Memmi (1920-)

今年で85歳になる。画面で見るところ、まだまだ意気軒昂であった。彼の思想のキーワードには私にも訴えかけるものがあるので、いずれ触れてみたい。

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アラーキー再び ARAKI D'APRES AMATEUR D'ART

2005-11-04 00:03:40 | 写真(家)

久しぶりに Amateur d'art 氏のサイトを訪れる。以前に、彼と荒木との関係を書いたことがある。特に緊縛の写真からか、西洋で荒木に対する受け止められ方は必ずしも芳しいものではなく、彼もそれまでは忌避していたようだ。しかし、荒木の記録映画(Arakimentari)を見てからその印象が変わったと言う。

今回は、ロンドン(1月22日まで)とパリ(10月23日で終了)の展覧会を見て、さらに荒木にぞっこんになっている様子が伝わってくる。敬意のようなものまで滲み出ている。荒木に対する先入観を捨てて作品に触れるように読者に勧めてさえいる。そして、人生を愛し女性を愛するための最も優れたガイドであると締めくくっている。

« Il n'y a pas de meilleur guide pour aimer la vie, et les femmes. »

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ジャック・ルイ・ダヴッド展 EXPOSITION JACQUES-LOUIS DAVID

2005-11-03 09:00:14 | 展覧会

今週の Le Point によれば、最後はナポレオンのお抱え画家になったジャック・ルイ・ダヴィッドの展覧会 « David, grandeur et intimité » が来年1月末まで le Musée Jacquemart-André で開かれている。

Jacques-Louis David (1748-1825)

彼については、以前に « Marat assassiné » とともに触れたことがある。自身が革命家を志し、« Raphaël des sans-culottes » と呼ばれたという。sans-culottes ととは、貴族がはいていたキュロットをはかないものでフランス革命時の過激派を意味している。今回の展覧会では、ソクラテスなどの古代の英雄ではなく、彼の同時代人を描いたものが中心になっているようである。

今日の絵は « Les amours de Pâris et d'Hélène » (部分)。

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日本の哲学  LA SITUATION DES PHILOSOPHES JAPONAIS

2005-11-02 07:00:02 | 哲学

先日仕入れた 「私の嫌いな10の言葉」 に続いて中島義道の 「哲学の教科書」 について。この本は藤原新也の 「メメント・モリ」 などと一緒に買ったものだが、第一章を見て驚いた。「死を忘れるな! (Memento Mori !)」 となっている。繋がる時は繋がるものである。

第五章「哲学者とはどのような人種か」では、日本には哲学研究者はたくさんいるが哲学者は少ない、という記述がある。「思想」はあるかもしれないが、「哲学」はないと言っている。わかるような気がする。第六章「なぜ西洋哲学を学ぶのか」では、どの分野でもあるであろう西洋と日本の間に横たわるどうしようもない溝について語られている。哲学の世界を支配しているのは西洋哲学。哲学のテーマとして日本独特のものはあるのだろうか、と問い否定的な考えのようだ。哲学の世界でも哲学者の国籍は問題にならない。共通のテーマあるいは普遍的な新たなテーマについて自分の哲学を創っていかなければならない。日本の哲学者は生きていけるのだろうか。

外国の学会でもほとんど発言などできないでいる様子が書かれている。このような状況では日本の哲学、哲学者の評価もおぼつかないのだろう。ただ、日本の哲学の貧弱さは単に言葉の問題ではないと著者は考えている。日本には哲学を育む言葉、議論を尊ぶ精神がないと感じているようだ。

「ヨーロッパ人と付き合った人なら覚えがあるように、彼らはしつこいほど『なぜなぜ』と聞いてきます。ある日ウィーン大学とベルリン大学の先生と鎌倉を散歩し、彼らを気楽なお茶会に招待したのですが、『なぜなぜなぜ』の連発に私は辟易して、さすがの私もドイツ語ですべてを説明するのがくたびれて、『なんでそんなになぜなぜと聞くんですか、もう聞かないでくださいよ!』と雷を落としますと、二人とも変な顔をしていました。」

これを読んで、アラーキーも同じようなことを感じていたのを思い出した。哲学者にしてこの印象である。日本の哲学の生きる道はどこにあるのだろうか、と考えさせられてしまう。「哲学研究者」が跋扈するというのもわかるような気がしてくる。

これは昨日気がついたこと。今通勤時に « Dieu et la science » 「神と科学」 という本を読んでいるのだが、その本を読んだ後に 「哲学の教科書」 を読むと、それまで少し込み入っているな、という印象で読んでいた教科書が非常に易しく感じられた。「神と科学」では「なぜあるのか」という存在の問題を「神」も含めて論じているためだろうか。

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