先日の会合で久しぶりに会った KI 氏から学生時代の写真が送られてきた。そこには見たこともない姿があった。自分の若い時の写真なのだが、こんな姿でこんなことをやっていたのかというのが最初の印象。豊富な髪の毛を振り乱して、今の若い人もびっくりの盛り上がり振りで驚いた。そういうことをやった覚えはあるのだが、当然のことながら外から自分を見た記憶がないので少々驚いた。第三者の目からこのように見えていたのだな、ということがわかり、当時の自分を確認することになった。その意味で昔の写真を見るのは面白い。記憶を修正するのに役立つが、ある場合には、そっとしておいてほしい記憶も修正を迫られるということになる。
残念なことに、楽しそうに写っているのだが、その歓びの感覚をもはや呼び戻すことはできない。その意味では自分の中にはもう存在しない過去なのかもしれない。どのような人生が幸せなのだろうか、とふと考えた。年とともに成熟し続け、自分の頂上に達したと思える時に死を迎えるのが最高の幸せかもしれない。その時には、もはや過去の栄光や歓喜 (もしそのようなものがあれば) の感触さえ思い出せないかも知れないのだから。