フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

外国語を学ぶと... UN AVANTAGE D'APPRENDRE LES LANGUES

2005-11-18 20:10:16 | フランス語学習

外国語を学ぶ過程で面白い、為にもなる経験をしてきたようだ。最近書いていることとも関連があるので触れてみたい。おそらく多くの人にとっては当然のことなのだろうが。

アメリカ滞在中の話で、私の場合は年に一度か二度、イギリス人の先生と顔を突き合わせて一ヶ月ほどかけて一緒に仕事のまとめを書いていた。その時に文章を書くというのはこういうことか、ということを悟らせてもらった。彼はすらすらと書くというタイプではなかった。いろいろと言葉を選び、その場所を動かしながら、一番しっくりきてしかも短い文章をつくるという考えを実現する過程を目の当たりにしたせいだろう。最初はいらいらしていたが、当時まだ20代後半か30代前半だった私は、それまで意識して日本語の文章を書いたことはなかったのだろう。ああこういうことだったのか、と妙に納得した記憶がある。それ以降、日本語を書く時にも参考になっているようだ。無意識のうちに。

また最近のフランス語での経験では、文章を読む時に自分の気に入ったところだけを引っ張り出す癖があることに気がついた。その読み方は、著者が何を語っているのかという全体をしばしば見失わせる、あるいは気にかけないものだった。今回経験したDALFという試験では、その文章が何を言いたいのかを他の人に伝えなければならないので、著者の言いたい本筋は何で(私の場合、むしろアネクドート anecdote に興味がいってしまうタイプ)、それがどのように展開しているのか、ということを意識して読んでいかなければならない。しかも複数の文章を読んで、それぞれのまとめや融合ではなく、そこから全く新いものを自分の言葉で作り上げなければならない統合 la synthèse という試験では、その重要性が強調される。さらに、そのためには そのテーマについて想像を羽ばたかせる、フランス語でouvrir l'esprit 「精神を開く」(何とも素晴らしい表現)と言われている作業をしなければならない。ついこの間の経験なのだが、日本語を読む時の態度が少し変わってきているように感じる。

付け加えれば、この間の経験を通して la synthèse という行為があらゆる場面で重要になるような気がしてきた。ぼんやりと統合などと考えたり、語られたりしているが、その本来の意味をじっくり考えると、これこそ意識してやるべきことではないかとさえ思えてくる。いろいろな解決策が生れてくる可能性も出てくるのではないだろうか。

外国語を学ぶと、予想もしない効果が自分のところに返ってくることもあるようだ。

コメント (3)
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