Plotin (205 - 270 après J.-C.)
Le Point と L'Express と Lire の記事から見えてくるジェルファニョン (Jerphagnon)。
まず、現代に生きることはあるのですか(Vous arrive-t-il de vivre à notre époque?) との質問に、彼の目にかかると現代は魅力に欠け退屈なので、古代に関する本を買う時ぐらいしか現代に戻ってこないという。古代に生きていた方が落ち着くし、ほとんど新聞も読んだことがないらしい。なぜなら、紀元前8世紀から19世紀までに生きた誰かがいつも私を待っているから。
<こういう生き方も面白いな、と思ってしまった。>
すべての始まりは、sixième (collège の1年目)の時に知った Timgad の遺跡だった。学校のクラスで初恋の遺跡について夢想している(rêvasser:夢想 = rêvasserie も美しい響きだ)時に先生の酷い声が耳元に響いたという。
「しかし現代の哲学についても発表しているようですが」
→ 言わせていただければ、哲学的な疑問を感じたのは5歳の時。公園で一人で遊んでいる時、突然世界が強烈な存在感で私の周りにあることを意識し、一体私はここで何をやっているのか、と問いかけたほどであった。その疑問に対して未だ満足すべき答えを見つけていない。
ただ、Jacques Maritain (1882–1973) の « Sept leçons sur l'être » (存在に関する7つのレッスン)、打ちひしがれたロカンタンが出てくる「嘔吐」、Jean Paul Richter (1763 - 1825) の作品などを読んでいるうちに、存在するということは当たり前のことではないということを理解した(J'ai compris qu'exister n'allait pas de soi.)。
<最初と最後の人は初めて聞く名前>
その後、ジャンケレビッチ (Vladimir Jankélévitch:1903-1985) の指導の下、論文を書くと同時に古代の文献も調べた。当時はひとつの限られた分野に自らを閉じ込めるということなかった。彼の師であるカンギレム (Georges Canguilhem:1904-1995) は医学博士であったし、彼自身も哲学のほかに心理学を修めているようだ。
そうしているうちに、20世紀の偉大な哲学教授の一人になった。教え子によると、彼に読み、書き、考えることを教わったという。彼の本を開くとわかるように、
une écriture claire (明快な文体)
un style pétillant (才気煥発なスタイル)
une pensée droite (健全な思想)
が見られるという。
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彼はまず優秀な教育者であった。« Il ne faut pas conceptualiser, mais clarifier » (ものごとを型にはめて考えないで、はっきりさせなければならない=事実を明確に捉えよ、ということか)。時代が実存主義でも、現象学や構造主義が流行っていても、ドグマに陥らないように。真実はひとつでないということを、理解する前に感じ取ったという (J'ai très vite senti, avant de le comprendre, que la vérité est plurielle.)。
Le « vieux Jerph'» n'a rien perdu de sa vivacité. Il est spirituel, dans tous les sens du terme. (80歳を越えて今なお快活さを全く失うことなく、言葉の持つすべての意味において、才気・機知・エスプリに富んでいる。)
いずれの記事も絶賛している。
古代の記憶 - リュシアン・ジェルファニョン (I)
ジェルファニョン再考
この記事の言葉に触発されてブログを書き、記事中でリンクさせていただきました。
http://poirier.exblog.jp/16537875/
事後承認になってしまい申し訳ありませんが、何卒ご了承下さいませ。