フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

華麗なる朝食 [114]

2006年05月30日 | 散歩の迷人






       
華麗なる朝食 






                
    『マルティン・シュタットフェルト/プレイズ・バッハ』
          SONY/2004年録音(イタリア協奏曲ほか)


 本日の散歩通勤路、朝陽の代々木公園。

 シュタットフェルト/プレイズ・バッハ(5月新譜)の快音を耳に、軽やかな(体重の関係で実際には重い)足取りで五月末のアイレを満喫しながらお決まりのコースをぶらつく。

 目に飛び込むのはラベンダー・ドリームス。

   


 その芳醇な香りに食欲をそそられ、明治神宮入口前“杜のテラス”へと歩を早める。

 

 そして、今日の朝食は……じゃーん。

 

   


 これがウワサの“海軍カリーパン”である。
 そう、アツアツのウマウマのあれだよ。

 弱冠24歳、美貌のコメンテイター高原由紀(フラメンコ歴推定30年)などは、このカレーパンを神と崇めると伝え聞く。

 で、開けてみるとふつーにこんな感じ。

   


 古都堕従流フラメンコ連隊など、お世話になってる面々にこれを喰わせる約束は、いまだ果たされていない。
 面白いコメントに対して私が発行するお手製座布団と同様、このカレーパンは“揚げたて”でなければその特異な生命力をアピールすることができないのである。
 冷めてしまえば、ふつーのカレーパン、もしくはふつーの座布団なので、卓球便などでピンポンピンポンとは送れないのだ。


   

 


      うんめえー!!


 よこすか海軍カリーパン。

 な、何と信じ難いことにわずか一個200円(税込)である。
 美味しいものには金に糸目をつけない私であるから、230円(税込)までなら喜んで払ってしまうところだ。

 大勢でこれを取り合った場合、よこすか寄こさないかの壮絶な闘いになること必至の逸品である。


 







 


 


夕暮れの鬼子母神 [113]

2006年05月29日 | 散歩の迷人







         夕暮れの鬼子母神



        
 
思いのほか実務に手間取り、今日は終電だな、と予感する夕暮れ前。
 迷わず散歩リュックをひっつかみ、ボードに80分後の戻り時間を書き込み、さっと小旅行に繰り出す。

 この時刻の場合、旅の行方は“雑司ヶ谷の鬼子母神”であることが多い。
 パセオから歩いて15分足らずだが、大いに旅行気分を盛り上げたいので、あえて都電に乗りこむ。

 「面影橋⇒学習院下⇒鬼子母神前」のわずか二駅。
 乗車時間は片道五分足らずだが、この郷愁のタイムスリップが超快感で、路面レールのガタゴト感と懐かしい車窓風景に、はやくも心身ともども癒されることになる。


 駅近くのコンビニで晩めしを調達し、鬼子母神へといざなう見事な欅(ケヤキ)並木を歩く。
 池波正太郎の時代小説によく登場する、この江戸北郊外に開けたかつての盛り場を一度は訪ねてみようか、というのが鬼子母神参りのきっかけだったことを思い出す。


                     
           [鬼子母神へといざなう欅並木]


 かつては豪奢な料亭が並んでいたと思われる鬼子母神参道も、現在はその両側がほとんど民家であり、ただ一軒のラーメン屋さんがいぶし銀の存在感を示すのみである。
 なまじ昔繁栄した場所だものだから、その寂しさやうら哀しさは余計に募るのだろう…か。

 ちんたら歩いても駅から三分で鬼子母神に到着する。
 ほとんどひと気のない境内の、フクロウがデザインされたいつものお気に入りベンチに陣取り、夕暮れの鬼子母神の、その落ち着いた佇まいに何やらほっと一息つく。

 明治通りや池袋の繁華街の喧騒のそのちょい裏には、そして、時を超えた束の間のスーパージェッターの両眼には、たそがれの鬼子母神の静かなる絶景が淡々と響く。


            
 

 う~む……悪くないコントラストだ。

 江戸も東京もぜんぜん死んでないじゃん、と素直なよろこびがこみあげる。
 想い出ひとつないはずの鬼子母神なのだが、何故私にこれほどまでに懐かしい想いを抱かせるのだろうか……。

 私が詩人だからか
 それとも単なるふつーの老人性デジャビュ多発シンドロームなのか
 どちらでもかまわんが、勝負とゆーのなら後者の方に持ち点全部を賭けるぞ。



         



  時を架けるおじちゃんは静寂を聴く。

 諸行無常の鐘の音を、それでも前向きに心に響かせながらお茶を呑み、ゆっくりとおにぎりをほおばる。

 


 

       

 







 

  


マルコX [112]

2006年05月27日 | 散歩の迷人


 

 

      マルコ×




        


 

 高田馬場の駅ホーム最南端から見えるこの看板ネーム。



「おふくろの味噌汁」とゆーより……

 

 

 

「伝説的な黒人開放運動リーダー」に見えやしねーか。

 


 

 



  ※“とんがりやま/FUNNY FACE”風に着地できたか否か。
  http://www.tongariyama.jp/weblog/funny_face/index.html

 


 


 

 









 


女心 [111]

2006年05月25日 | アートな快感







                  女心 





 仏と仰ぐ土屋賢二教授のエッセイが連載されているので、毎週私は『週刊文春』を購入するわけだが、その映画欄にちょっと気になる紹介記事があった。

 『ウイスキー』という映画である。
 ほんの少しだけストーリー紹介があって、それに私は気を惹かれたわけだが、そんなことをすっかり忘れた頃に、大友浩のブログ(芸の不思議、人の不思議)にその映画レヴューが載った。

 私はこれを読んで、ますます『ウイスキー』を観たくなったのだが、“ネタバレ”レヴューなので、これから観ようと思われる方は、それまではこれ()を読まれない方が無難である。



 芸の不思議、人の不思議/映画『ウイスキー』
   http://app.blog.livedoor.jp/a30a988/tb.cgi/50490362



 さて、すでにこの映画を観られた方、また、観てはいないが大友レヴューを読んじゃった方(それら全員が美貌の人格者であることはチョー推定済み)に、是非ぜひお伺いしたいことがある。

 もちろん、お尋ねしたいのは、映画の結末における“女心”についてである。
 こればっかりは、天下無敵の大友先生にも、天下霧笛(赤木圭一郎風)のこの私にも、サッパリ見当がつかないのだ。

 というわけで、女主人公マルタになり代わって、あなたのお考えをこっそりご教授願いたい。


 なお、今回のコメント投稿に対する豪華景品は、かのヨランダの如くにこの私が夜なべをしてせっせとこしらえたお手製のサイン入り座布団である。
 また、場合によっては大友浩のリコーダー(タテ笛)ライブへのご招待(もちろん有料)の可能性もありそーだ。





          

 


 

 





 


無所属 [110]

2006年05月24日 | 超緩色系






        無所属 

 



   「どこまでホントなのか?」


  

 仲間内の飲み会で、私のブログの話題になった。
 なにやら脳裏に蒼い予感をよぎらせながらも、促された私はこう解説する。

 95%が事実、3%がフィクション、残り2%が「真実」だ。
 ウソはいやだが、3%のフィクションを入れないと現実の私があまりにも格調高すぎて面白くならないからな。
 で、残り%の「真実」の注入こそがこの私の真髄だ。云うなれば「ミソ」というわけさ。


 間髪いれず反論が飛び交う。


 
あはっ、そりゃ逆だろ。フィクションはカッコよく見せるための虚栄じゃねえか。あれじゃおめえのマヌケさ加減の真髄が伝わらねえよ。
 %の「ミソ」だかはむしろ余計だ。おめえの見識なんぞはない方がよっぽどいい。ミソと云うよりクソだな、ありゃ


    ********** ********** **********


 まあ、お前たちの云いそうなこった。
 それに私は自分の「マヌケさ加減」を伝導するためにこのブログをやってるわけではない。
 だが相手は多勢(四名)である。私に勝ち目はない。
 だから挑発には乗らん。勝手に云ってろ。


 だいたいおめえは内容で勝負できるタイプじゃねえんだからさー。
 それよりもな、全部「事実」で固めたほうが、おめえの場合よっぽどおもしれえ。
 ミョーなプライドは捨てて写実派になれ、写実派にー。
 何のために、あんな面白えドジばっか踏んできたんだよ。
 もったいねーじゃねえか。元を取れ、モトをー!


 別にもったいないことはない。あれらはすべて成功への布石なのだ。遅くとも今世紀中にはそれがわかるはずだ。
 なあ、もーやめようぜ、この話はよー。


 いや、それより何で「○○○○○が○○○○を○○○○○た」一件を書かねえんだ。大爆笑まちがいなしじゃねえか。

 
 そう来たかー。
 プッ、確かにありゃあ爆笑まちがいなしだ。俺も書きたいがタダじゃすまない。


 それとほれ、例の「○○○○の○○○○○で○○○○○○た」話は、業界騒然なんじゃねーか。本気になりゃ一冊書けるんじゃねえの。


 それを云うなって。書けば私は破滅だ。……命もねえよ。


 じゃあ、おめえの「○○○が○○○で○○○を○○○○○ちゃた」話ならオッケーだろうが。誰にもメーワクかからねーし、ありゃ大ウケだぞ。


 それならオッケー、って俺はどーなるんだ、おれわあ。





    




 そう突っ込まれてみると「写実派」というのは、かなりヤバイことに気づいた。知っておいてよかった。
 白樺派や浪漫派や小泉派やルター派、あるいはマイレーナ派やカラコール派ならいいかもしれんが、どーすればそうなれるのか、その手続きがサッパリわからん。


 やはり、私は派閥向きではないようだ。

 少なくともこのブログは今のまんまでいってみた方がよさそうな気がする。



 



 



 


薔薇ダイス [109]

2006年05月21日 | 四季折々







       薔薇ダイス 






        本日快晴!   

    

   ジェーに引っぱられ、朝イチの代々木公園へ。

           
     [フォローの達人クミチョーよ、ご覧のとーりお池は復活だ!]

 


  いつものお花畑はローズ・ガーデンに大変身っ
 
         


               得意の番犬状態。

       

 
    丹精こめて、バラに肥料を惜しみなく。

        

 


              
 いまが盛りの白薔薇の、その凛としたやさしい微笑み。

   



 
 そして、朝陽の薔薇ダイスにぴったりのフラメンコは、
 もちろんっ、エストレージャ・モレンテ だっ

                       
            『わたしのうたとひとつの詩』
                        VIRGIN/2001

 

 お気に入りは、3曲目のブレリア『Moguer』。
 まるで美しい白薔薇のような、ロマンティック・バラード風(詩はフアン・ラモン・ヒメネス)のあれだ。意外にも私はミーハーであった。




                   


 うっとり聴き惚れる私を尻目に、ひとりナンパに出掛ける“あしたのジェー”である。








 

 


紗矢香のメンチャイ [108]

2006年05月20日 | アートな快感







          紗矢香のメンチャイ






 メンチャイ。


 ………パンナコッタ(何のこっちゃ)


 この出だしからして、今日のブログはすでに負けていると断言していいだろう。しかもダラダラ長くなりそーな予感もある。
 パジャマに着替えてベットで読めば、あなたの作戦勝ちは動かぬところで、ぐっすり行けることまちがいなしだよ。

 だがしかし、本日ご紹介するCDそのものは凄いぞ。
 ふふふ……何を隠そう、私の邦人イチ押しヴァイオリニスト庄司紗矢香(しょうじ・さやか)のニューアルバム『メンチャイ』である。

「おやっさん、ウドン頼んだのにソバ入っとるよー。メンチャイまっせー」

 などと、いつまでたっても本題に入れないのは、そう、
                       
「ごメンチャイという最悪のオチが、
                    
早くも脳裏にちらついているからかもしれない。


    ********** ********** **********


 そうした心理的障害をものともせず、本日は庄司紗矢香のメンチャイを思う存分に語りたい。
 さっ、その「メンチャイ」とは一体何か それは、メンデルスゾーン&チャイコフスキーの略称なのであった。

 フラメンコだと、二大フラメンコ曲種(アレグリアス&ソレアレス)のことを「アレソレ」などと称するわけだが、それと同じように、この「メンチャイ」は全世界人気を誇る二大ヴァイオリン協奏曲のことを云うのである。

 メンデルスゾーンの方は聴けば誰でもああこれかとわかるメロディのポピュラー曲だし、チャイコフスキーの方もライブ演奏頻度ではメンデルスゾーンを抜いたという話を最近聞いた。
 どちらもロマンティックな迫力と歌謡性を十二分に備える、ヴァイオリン好きならば、まずまっ先にハマる超名曲だ。

 この二大人気曲は一枚のCDにカップリングされてることが多く、それらはヴァイオリニストの個性・力量を知るための最適なディスクとしても機能しているのだ。
 ま、フラメンコでもアレグリとソレアを観ればだいたいその舞踊手のスケールがつかめるのと同じだなと云えば……かなり過言である。

 年に一度はメンチャイの各ライブを聴く習慣は十代後半から辛うじて続いているし、入手したレコードCD50種は下らないメンチャイおじちゃんとは私のことである。
 ある水準以上に達した名人や美人については、もうその先は好みでしかない。私が仏と仰ぐ土屋賢二教授もこうおっしゃるように、甲乙つけがたい名盤は当然たくさんある。

 そうした名盤グループの中でも、私がよく聴くのはメンデルスゾーンならミルステイン、パールマン、ナージャであり、チャイコフスキーならムター、シャハム、クレーメルあたりだが、これら超名盤に長いスパンで太刀打ちしてゆくには、さすがに尋常の内容では難しく、よほどの魅力を備えた演奏でないとすぐに市場のマンホール下に埋もれちまうことになる。

 そうした状況の中で、ユニバーサル・ミュージックからこの春全世界リリースされたのが庄司紗矢香のメンチャイだった。


              
         庄司紗矢香
チャイコフスキー&メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
 チョン・ミュンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団
              ユニバーサル・ミュージック/2006



 「ありゃぜんぜん、モノが違うわ」

 口やルックスはチョー悪くとも、耳だけは信頼できる音楽仲間が口をそろえて絶賛するのが庄司紗矢香だった。パガニーニ国際コンクールで最年少(16歳)優勝し、一躍世の注目を浴びたのはもう七年も前のことである。

 んじゃ、とりあえず聴いてみっかと出向いたライブはパガニーニのヴァイオリン協奏曲(第一番)で、その日本人離れしたスケール豊かな本格的快演に、ぎゃふんと私は完全KOを喰らったものだ。
 ヴァイオリンの名技性は楽しませてくれるものの、音楽内容的には最高級とは云い難いそのコンチェルトを、なんと彼女は内実豊かで見通しの良い“天上の音楽”のように響かせたのである。

 グアヒーラを味よく踊っているのだが、その行間と背景にソレア的な巨大なオーラが見え隠れするバイレ……みたいな。ひでえ例えだが、そういう大きさのライブ・パフォーマンスだった。


 そしてこのメンチャイ録音においても、アートの王道をゆく庄司紗矢香の純粋アプローチは、まったく同様に冴えわたる。

 どこまでも共演陣や聴き手とともに「アートな快感と発見」を共有しようとする強靭なヴィジョン。
 作品の内側に入り込んで、小細工なしに、その本質と内包する魅力を最大限に引き出そうとする戦略。
 戦略に忠実に、何のケレンもなしに、ムラなく音楽全体に真摯に丹精こめて配置された的確かつナイーブな戦術の数々。
 そして、完璧を絵に描いたようなテクニック、爽やかにしてしなやかな歌心、などに代表される圧倒的なその現場戦闘力

 さすがに録音というものの限界は、彼女のライブ本来のどこまでものびやかで遠達性のある美音までは捉えていないが、先のパガニーニ・ライブを想起することで、ピアニッシモを奏しても決してオーケストラに負けることのない実際の響きをイメージすることは楽勝に可能だ。

 もちろん、弱点のないものなど在りはしない。
 セクシーでも情熱的でもデーモニッシュでもないのが、このCDの弱みであると云えそうだ。
 メンチャイ(特にチャイコフスキー)においては通常、プレイヤーの個性がむしろ作曲者の意図さえ超えて、ギンギンにブレイクするような表現が求められるものだが、残念ながらこのメンチャイにそれは期待できない。
 ただし、そうしたタイプの、しかもキャラクターの異なる極め付きの名演はすでに幾つも確保されているので心配はない。

 では、彼女のメンチャイが私たちにもたらした大収穫とはいったい何か

「ありゃ、メンチャイそのものが見えてきちゃったよ」

 ある程度予測してたものの、これが驚きの大収穫である。

 「ヴァイオリニストの名人芸や超美技を堪能するためのメディア」というメンチャイの役割が創り手・聴き手の双方に了解されている現状の真只中に、彗星のように登場したのが庄司のメンチャイであり、そこには私たちがかつて見い出すことの難しかった未知なる地平が広がっていたのである。
 これまでプレーヤーの名人芸に隠れがちだったメンチャイそのものの本質が、すっきり端正にその姿を現わしていたのだ。

 全体のトーンは「チョー性格の良い、ぶっちぎりの理性」であり、さらに云うと、曲のそこかしこに散りばめられたカッコよさに気をとられてこれまでは聞き流されていたような地味な縁の下的部分にまで、シャープで暖かなスポットが絶妙なバランスで当てられている。

 その結果、メンチャイの全体像は、実にすっきりとした見通しと、フレッシュな輝きをともなう有機性を与えられたのだ。
 「作品の内側に入り込んで、その本質と内包する魅力を最大限に引き出す」という先の戦略から生じた成果である。
 メンチャイのパフォーマンスに、こうした可能性が残されていたことなど、私たちにはまったく思いも寄らぬことだった。

 そんな頭でっかちのよゐ子的アプローチじゃ面白えわきゃねーよというのがアタリキの常識というものだが、にも関わらず、めっちゃ面白い演奏を繰り広げるのがこの庄司紗矢香の本質ならびに底力と云うものだろう。

「ほら、せっかくなので情景全体をよーく眺めてくださいな」

 そんな彼女のささやきが聞こえてくるようでもある。
 
すでに十回以上みっちり聴いたのだが、飽きが来るどころではない。むしろ聴き足りねーのだ。逆に私自身が彼女の演奏に試されているのではないか、などと思ったりもする。
 まったくアートというものにはキリがないのだと、その新鮮な発見に呆れるように私はつぶやく。

 

 ところで、この庄司のさやかなる響きに包まれているとき、なぜか自然と想い起こされたのが、われらがフラメンコ界の若き太陽、ミゲル・ポベーダ(1973年~)の歌声だった。


                
    『ミゲル・ポベーダ/フラメンコがきこえる』
                 HARMONIA MUNDI2001


 どこまでも基本に忠実に、一切のケレンを排し正面から真っ向勝負に出て、そのオーソドックスな厚みで自然と勝利してしまう大河のようなアルテ。快感コンパスとその圧倒的歌唱力。
 カッコよくウケることなど簡単に出来るのに、そうしたことにはあいにく関心はなさそうである。

 そこが物足りねーんだよな、もっと大ミエ切ってくれてもいーのにさ、という声が聞こえないでもない。この私の中にもある。
 だが、そうした現実リスクに動じないところに紗矢香やポベーダの真骨頂がある。そこが凄い。

 彼らの見据える地平はずっとずっと遥か遠くに在るのだ。
 イヤミったらしくも、まるでこの私(ケレン大好き)の真逆をゆくような発展性未来性がそこに在るのだ。



        



 やめときゃいーのに、さらに蛇足は続く。

 云うまでもなく、庄司紗矢香とミゲル・ポベーダは、それぞれに巨大な独創性を志向する骨太の勝負師、かつ人気アーティストである。
 そしてもうひとつ、彼らには面白い共通点があるのではないかと、今さっき、とっさに私は思いついたのだった。

 ミゲル・ポベーダをしっかり聴き込んでゆくと、それまでちょっと隔たりを感じていた、例えば過去の巨匠アントニオ・マイレーナやマノロ・カラコールなどのカンテにぐっと親しみが持てるようになる、という現象が生じる。
 これは、ポベーダが継承する伝統的本質に聴きなじむことで、その直接の源流にあたるマイレーナやカラコールの魅力に、自然と好感を持つに至る、という実に単純な仕組みである。

 ここまでは私の経験則だ。
 そして、ここからがその経験則に基づく発展的仮説だ。

 つまり、庄司紗矢香のメンチャイにもこうした現象を引き起こす力があるのではなかろうか、というのが私の思いつきだったのだ。
 ヴァイオリン界にはヤッシャ・ハイフェッツ(カラコールやマイレーナ的な大巨匠)というスーパースターがかつて存在したのだが、玄人筋の評価がバカ高いこの大名人の録音は、気だけは若いこの私にはちょっとだけ敷居が高い。

 だが、そんな膠着状態を打破すべく、庄司のメンチャイをもっともっとしっかり聴き込むことで、ポベーダ効果と同様に、このハイフェッツ大王さまへの親密なアプローチが可能になってゆくのではなかろうか?
 さらに、これまでも親しんで来たメンチャイの個性的な名演たちとも、さらに深いところでのコミュニケーションが可能になるのではなかろうか?
 そういう楽しげな予感が、ついさっき生じたのである。

 ま、それを試すのはこれからの楽しみだが、その実験結果についてダアレも興味を持っちゃくれねーことなど、すでにお見とーしである。
 星のフラメンコ界の西行輝彦の異名をとるこの私は、この人っ子ひとりいねーオタッキー街道をひとり寂しく歩み出すのであったとさ。


    ********** ********** **********


 いや、やっぱし今日は長くなっちまったな。

 作戦勝ちを収めた近ごろ睡眠不足気味の方々には大好評だったに違いない。自分でゆーのもなんだが、オレの長文がもたらす熟睡性はピカイチだからな。
 で、頭の三行ぐれーは読んだのか 二行ですかそうですか。

 ま、しかし、体調万全にして運悪く最後まで読まれてしまった方も最高二名くらいはおられるだろーから、念のためにお詫びしておくか。


          




 

 

 

 


我が良き池よ [107]

2006年05月19日 | 超緩色系







           我が良き池よ 





 「小山ぁー、エビの血液型しってるかー!?」
                
 「いや、知りたくもねえ」
                  
 「AB型に決まってるじゃねーかー。ダッハッハッ」


 約25年の歳月を費やし、池沢と私の間にはこれとまったく同じ会話が少なくとも300回以上は繰り返されたことと思う。
 連発されるその数の多さと、ドン引き間違いなしのお寒いクオリティを誇る池沢の駄ジャレは、室内の温度をイッキに5度ぐらい下げる勢いを持っていた。私の駄ジャレも相当やばいが、池の足元には到底およばなかったのである。


    ********** ********** **********


 私の兄弟分、池沢俊男は二年前の5月に逝った。
 突然の心不全だった。49歳と1ヶ月。そりゃねえだろ。
 絵に描いたような親孝行息子だったが、最後にとんでもねえ親不幸をやりゃがった。大好きな酒を飲んだ後に眠ったまま苦しむことなく逝っちまったことがせめてもの救いだった。

 周囲の幸せが常に最優先でテメエのことはいつも後まわしの池ちゃんは、地元(JR平井駅近辺)で有名なチャンコ屋“紫鶴(しず)”に集まる常連仲間の中でも大の人気者で、底抜けに気性のいい男だった。
 当たり前に女好きだが独身だった池沢に、新潟に住む私の連れ合いの妹を引き合わせようとするプロジェクトが発足した矢先の急逝だった。



 おとつい5月17日は、池沢俊男の三周忌だった。

 二日遅れになっちまったが、江戸川にあるヤツの菩提寺に朝一番で駆けつけ、池沢の愛した日本酒“久保田”を墓前でイッパイだけやってきたところだ。

 “快山俊融居士”。
 最近の池沢はこんな異名をとっている。
 暗い不誠には顔をしかめるが、体を張って明るい和を求めつづけた彼にふさわしいこの新しいニックネームからは、池にしか出来ない飛びきり上等の笑顔がこぼれた。

 ま、そんなこんなで、実を云うとヒヤを二杯やってきた。
 だが池の野郎が、どーしてももう一杯やらねーことには帰せねーと云いやがるもんだから、都合三杯やってきた。
 今日のブログの文章やら
文字やらが、いつもよりさらにヘタなのはそのせいである。


    ********** ********** **********


 池沢とは同じ下町に生まれ育ったものの学校は別々で、私の中学同級生の小学校時分のダチつながりだった。
 中学時代の仲良しグループに池沢が入ってきたのは24、5歳の頃で、そのころはそうした仲間たちで随分ほうぼうへ遊びに出掛けたものだ。
 その頃の写真が会社のPCに残っているので一枚載せる。右から2番目のデブが池沢で、その下にしゃがむバカ面が俺だ。
 浦安にディズニーランドが出来た頃は、大晦日はそこで皆して年を越すのが定番だったことも想い出す。

 

 

 そんな仲良しグループも、ご多分に漏れずそれぞれ仕事や家庭で忙しくなり次第に皆で集まることも少なくなっていったが、なんだか池と私は不思議とウマがあって、月に何度か紫鶴でチャンコと大酒を喰らった。
 共通の話題は駄ジャレと野球の話くらいのもので、仕事の話をした記憶はほとんどない。向こうは長男、俺は末っ子、話題がなくても座持ちする、お互い気疲れしない相性だったのだろう。へべれけに酔ってエッチな店にもよく行った。

 私は生意気だったのでよく他の常連客にからまれたものだが、そうした相手を巧妙に制止しながら、それでも乱暴沙汰になる場合は身を挺して私をかばったのも池沢だった。
 兄弟分と云ったが、尊大なくせに肝心なところではゆるめの弟をかばう実際の兄貴分は池沢だった。学問上の教養はさておき、実人生上の教養(やさしさ)は誰にもヒケを取らない奴だった。

 三十代後半、バブル期の建設会社で働く彼と、当時フラメンコ協会設立に向けて動きはじめた私は、ともに殺人的なスケジュールに追われながらも、年に数度は紫鶴でチャンコと大酒を喰らう心地よい習慣を続けていた。互いにとってそれは、唯一完璧に仕事からワープできるひと時だったのである。


    ********** ********** **********


 忘れ得ぬエピソードは余りに多いが、あの一件もそうだ。

 フラメンコ協会の運営に熱中し過ぎてパセオの経営が相当アブナくなってた頃、いつもの二人会でおそらく私は浮かない表情で呑んでいたのだろう。
 「ちょっと待ってろ」と、突然私を紫鶴に置き去りにして店を出た池沢は、しばらくして戻ってくるなり分厚い封筒を私に押し付けた。

 「どうせタンスで飼ってる金だから」

 ………“ゴン”かっつーの。

 事情を知らないはずの池沢だが、その洞察力に曇りはない。
 もちろん私はうれしかったが、それを断わるべき大きな理由が二つあった。
 ひとつには、足りない金はハンパでない金額だったこと。
 もうひとつは苦い経験だ。過去に二人だけ親しい友人にまとまった金を都合したことがあり、で、その二人はいまだ行方不明のままなのだが、もし、その金の貸し借りがなければ、不意に私の前に現れるようなこともあったのではなかろうかと。

 俺が隅田川や代々木公園の青テントで暮らすことになっても、年に一度くらいはお前と呑みたいのだ。そうするためにも金のことは気持ちだけもらっておくよ、な、わかるだろ。
 私は池沢にそういう話を一所懸命にした。すると奴はにわかに泣きだした。ほんとに泣きてーのは俺の方なのだが、俺のピンチを本気で泣いてくれるこのプーロな男に、私はどれだけ力をもらったことかわからない。


    ********** ********** **********


 池と最後に呑んだのは2004年の桜の終わりのころ、逝くひと月前のことだった。
 いつもとは異質のハイテンションぶりに「女できたか」と問うと、このタコ野郎がマッ赤になりながら「まあな」と笑った。
 なんだよ自力でいけるんじゃねえか、妹のことは余計なお世話だったかと私はよろこびつつも、実は得体の知れない不安に包まれていたのだが、縁起でもねえやとそれは振り払うことにした。

 今日もこのあと亀戸まで逢いに行くのだと云う。
 ならばといつもより紫鶴を早めに切り上げることにして、私たちは同じ方向の電車に乗り込む。
 総武線を西にひとつ、ものの3分で電車は亀戸駅に到着し、

 「腰が抜けるまでやったれやー」

 と池のでかい背中を思い切りバーンと叩いて送り出した。
 それが最後の別れとなった。
 不思議なことに奴の背中を思い切り叩いた感触は、いまだに私の右手に残っている。


 「オレだよ、池沢俊男だあ!」とフルネームで名乗るヤッコさんの大声が響いたケータイの、その番号登録は二年経っても消せないまんまだ。わかっちゃいるけどやめられない。そのマヌケな大声を、今も私は心待ちにしているのだろう。
 「あの世」を信じる私ではないが、「池沢が待つあの世」であるならばそう悪くはない。ま、そういうおめでてーファンタジー語りならばバチも当たるまい。

 遅れて到着した俺の肩をバーンと叩きながら、我が良き池はきっとこう云う。


 「早えじゃねえかー小山ぁー、
  
    エビの血液型しってるかー!?





 

         











 


パラサイト・アワー [106]

2006年05月18日 | フラメンコ






       パラサイト・アワー 




 みなさん、こんにちわっ

 “パラサイト・アワー”のお時間がやってめーりました。
 お相手はわたくし小山雄二こと、パセオ社長であります。

 さっ、それでは今日も元気に、人さまのフンドシにてお相撲をとらせていただきましょうか。

 

       


 そう、今回のマリア・パヘス公演に対する“とんがりやま”さんの最新レヴューが、昨日アップされたのだ。
 んじゃまずは、こちら(↓)をご覧いただこう。


踊る阿呆を、観る阿呆。
/マリア・パヘス、走り続けるダンスの化身
http://www.tongariyama.jp/weblog/2006/05/post_b61c.html

 

 臨場感あふれる快感レヴューである。
 まさしく実際に、こんな感じのステージだったのだ。
 マリア・パヘスの今回新作『セビージャ』について、私もかなりの部分で、とんがりやまさんと同様なことを感じていた(つまり感性は近い)わけだが、それを私なりに余すところなく表現するとこうなる(↓)。



 くーっ、マリアーっ。やってくれるよなあっ

 座布団十枚 !!!!!!!!!!



 以上である。
 とんがりやまさんの文章と比較すると、若干シンプルに短めだが実に力強い表現である。
 とんがりやまさんと私とでは(ライバル視)、その表現力にかなり異なりがあることがおわかりいただけると思う。
 感性が近くても表現力にちがいがあると、書かれるものはここまで異質なものになる、というひとつの典型であろう。
 尚、その優劣の話はここでは禁句だ。


    ********** ********** **********


 ところで、耳よりニュースをもうひとつ。
 実はコレ、まだ内緒の話なんだが、な、なんと、とんがりやまさんがパセオフラメンコ誌に執筆者デビューすることになったと云うのだ。
 もちろん私はノータッチの話(てゆーか、そういう権限がねーだけじゃん)である。
 本日ご紹介のブログとは別ヴァージョンのマリア・パヘス公演レヴューが8月号(7/20発売)に載るという。編集長がそう云うのだからまず間違いなかろう。


 ふふふ……はっはっは。

 “パセオの恥部”とヤジられ続けてはや五ヶ月。
 この社長さまのブログはなあ、こんな風に陰ながらパセオのために立派にお役に立てることもあるんでえっ。

 どうだっ、社員どもめっ、このオレ様の実力がわかったかっ
 なにっ、わかったからパラサイト専門で人材発掘してくれって……あ、あのお……


 さ、そんなわけで本日の“パラサイト・アワー”、ちょうど時間となりましたあ。お相手はわたくしパセオ社長こと、パラサイト太郎でありました。それでは皆さん、ごきげんよう

 



【パラサイト・アワー PART2】

 お笑い&朗報。ほんのチョイ役なんだが、な、なんと、この私が本来の姿(ちょーハンサム的)のまんま特別出演しているのだ。

YOLANDAのおえかきフラメンコ
/踊るフラメンコ会話帳@完結編

http://blog.goo.ne.jp/yolanda_pinatas/e/8d8d2bda223296b4b1514f1e0a55fe9a






         








桃太郎の未来戦略(下)[105]

2006年05月17日 | 超緩色系

 

 

         桃太郎の未来戦略(下)


 


  とゆーことで、昨日の続きだ。   
 
 さっ、では早速、投稿くださった方々(全員が美男美女の人格者)のタイプ別一覧表(連れてゆく動物)からごらんいただこうか。
 以下の事柄を念頭に置きながらお読みいただけれると幸いである。

 「連れて行く動物は、自分のイメージを表し、連れて行けない理由は、自分のどういうところが嫌われていると思っているかを意味するという。」

_________________________

  Aタイプ まんま明るい未来

★かよちゃん「ドラエモン
 だってどう考えても便利だもん。でも、犬嫌いなのでお帰り願いました。(ほんとはドラエモンを取りたかったのですが、それまでのお付き合いがあったものですから…)

★勝田さん「狼少年ケン
 他の狼仲間もセットでついで来てくれそうなので是非彼をと思いましたが、旗本的なサル・キジ・犬の存在感が薄れてしまいそうなのでやめにしました。

★ウエストサイドさん「
 
つれていくのは象。ぜったい象。そりゃ、好きだから。象って、性格いいし超賢いんですよ。おいていくのはいや。でも本人がどうしてもいきたくないっていうからあきらめた。

★KdeAさん「
 
2匹目の犬。犬は頭が良く従順だから。しかし縄張り争いが起こるだろうからやめた。

__________________________

 Bタイプ ま、いーか、ビミョーだが

★高原由紀組長さん「
 
みんなで乗れるから。…でもきびだんごが足りないし、私とはウマが合わないし(筆者注:座布団二枚)、鬼が島に渡る船に乗れないのでおいてゆきます。

★ラヴァンダさん「
 疲れたら乗せてくれそうだから。でも、足が速すぎて途中でヘトヘトになってしまったのでつれてゆくのやめました。

★shioさん「
 疲れたときに乗りたいので、馬を連れて行きたいと考えました。が、食費がかさむことと、追っ手から逃れるときに体が大きくて身を隠せそうにないのとで思いとどまりました。

★オルテンシアさん「ぞうさん
 
大きいのでみんな乗れるかなぁと思ったのですが、のり心地悪そうだし、キビ団子ひとくちで全部飲んじゃいそうなので、やめにしましたぁ。

★右大臣さん「キリン
 
なぜって鬼より背が高いから。でも、自分の首が疲れるからやめました。

★三冬さん「
 強そうなので虎を、でも鬼退治のあと持て余しそうなのでやめました。

★連れ合いさん「ライオン
 強くてよかったけど、食費が掛かるのとリーダーシップをとり過ぎるのでやめた!

Unknownさん「うさぎ
 
私が卯年生まれなので、うさぎは子どもの頃から、愛着をもっているからです。でも、うさぎはすばしっこく、目をはなすとすぐに迷子になってしまうので、やめることにしました。とはいえ、面倒になってもやっぱり一緒に連れていってしまいそうです。私は同胞には厚い人間ですから……。

hohohoさん「ハムスター君
 我が家のアイドル。ちょっと心細い時にはもってこい!でも鬼退治に連れてくのはあまりにかわいそう。帰ってきてから一緒に遊んでもらいます。

★ユーカリさん「ハムスター
 
ポケットに入るのでいつも一緒にいられると思ったけど、夜行性だから昼は寝ているだけで相談にものってくれないし、夜は睡眠の邪魔をするのでやっぱりやめます。

★あじフライさん「ネコ
 
ネコ。でも、かわいそうだから、やはりやめにしました。

YOLANDAさん「クマ
 
強そうだと思ったからなのですが、どうも本人ヤル気なさげなので置いてくことにしました。

★ピーさん「オオカミ
 強そうだから連れて行こうと思ったけど、手なづけられなかったのです。

AOI嬢さん(筆者注:AVではない)「カンガルー
 連れて行こうと思ったらぴょんぴょん跳ねてどこかへ行っちゃったので連れて行くのをやめました。

★左大臣さん「ヘビ
 直感でヘビだと思いました。で、つかみどころがなかったんでやめました! あ、ふざけてないっすよ!真面目っすよ!

__________________________

 Cタイプ いなばうわっ!

★tomeさん「
 豹。みんな弱そうだし。でも性格悪そーだからやめ。

★エビのピルピルさん「エビ
 
なにせピルピルと生きが良いので連れていこうと思ったが、おいおい、エビは“一匹”じゃなくて“一尾”と数えるもんだよ。設問に合ってないよ! お前、相変わらずバカだねっ! ってなわけで。カニは“一杯”、ムカデは“百足”。あれっ? 何の話だったっけ?

★三年前の社長さん「ライオン
 戦力が不安だったので連れてゆこうと思ったが、腹が減ると敵味方誰彼なしに見境いなく喰っちまうので、その危険を考慮してやめにした。

★ホセ子さん「ライオン
 
私も社長サンと全く同じでした~。理由まで。

★六太さん「
 熊を連れて行こうと思いました志摩が、後ろにいられるといつ食われるか不安になったのでやめにした。

__________________________


 Aタイプの方々よ、めっちゃおめでとう!!!

 Bタイプの方々よ、そこそこビミョーにおめでとう!!

 そして、Cタイプの方々よ、さすがに自分の胸に手を当て約五分間、過去の人生を振り返ってみよーじゃないか。
 んじゃサンハイっ、黙祷ーっ!

 なに、五分じゃ足りねーか。
 そりゃそーだわ、その走馬灯は痛すぎるわな。
 いくら明るい未来が保証されてるとは云え、他の方々に比べると……こりゃちょっと……悲惨な傾向とも云えるよな。

 だけど、君らの瞬発力破壊力ってさ、非常時なんかでは重宝されるわけだし、そーゆーいろんなタイプがいるから世の中のバランスが保たれてるってオレは思うわけよ。
 それにほれ、BタイプのピーさんとかAOI嬢とか左大臣なんかもかなりアブねーし、ほとんど君らの仲間だと思うんだよね。

 ま、でも、これで問題点もはっきりしたわけだしさ。これさえ踏まえてこれからの世渡り戦略を立てさえすれば、逆にもう怖いものなしと云っていいんじゃねーの。
 tomeだったら「性格の改善」だし(ぷっ)、六ちゃんやホセ子ちゃんなら「むやみに人を喰わない」とかだし(うわっ)、戦略がぐっと明確に絞りやすくなったわけじゃん。
 オレなんかも、三年前にこの結果に深く反省しちゃってさ、リニューアル戦略に基づいていま一生懸命更正に励んだりしてるわけよ。で、そのおかげでちっとはマシになったと思うわけっ。

 とゆーことで、今回メデタシめでたし、つーことで異議なしね。

 そんなこんなで、今回の桃太郎の『戦略グランプリ』は、表グランプリがかよちゃんか勝ちゃん、裏グランプリは六ちゃんかホセ子ちゃん、とゆーところに落ち着きそーだな。

 で、戦略グランプリのチョー豪華賞品は………って、今回はこっちがもらいてーかも。


    ********** ********** **********


 さて、土屋教授はこの心理テストを周囲の人に試された結果、例によってとんでもない目に遭遇されておられるのだが、その辺の詳しい事情は、この名著をお買いあげの上、各自ご確認いただきたい。とってもサンコーになるぞっ


      
   『土屋賢二/ソクラテスの口説き方』
       (文春文庫/467円税別)

 

 ところでYOLANDA君よ。
 この美しいデータ結果に、創作意欲をかき立てられたりはしないだろうか
 この貴重なデータを好き勝手放題にイジくりまわして『おえかきフラメンコ』化する手はねーだろーか

 そんなのを観たいと切望するのは私だけではないはずだ。
 なお、登場人物は全員チョー人格者なので、このデータをどのようにイジられようとまったく問題ないことは、この私が保証しようじゃないか。(何なら文字データとか送ろーか?)
 折をみて(今世紀中ぐらいに)検討してもらえると、私としてはチョーうれしーぞ

 


 

         


桃太郎の未来戦略(上)[104]

2006年05月16日 | 超緩色系






         桃太郎の未来戦略(上)


 

 『祝百回』5月9日付)へのご投稿、まことにありがとうございます。謹んで御礼申し上げます。

 http://blog.goo.ne.jp/paseo1984/e/3c17751f625e2ddc33bd2ee8aa8faca4

 

   



 な、なんと、24名さまからのご回答をいただいた。
 身に余る光栄でござる。
 驚くべきことに、回答者はすべて美男美女、しかも極めつけの人格者である。
 ただし、パセオ社員(編集長など)が若干名まぎれ込んでおり、彼らについては明らかにそれら美質を満たしていないことを付け加えておこう。

 では早速、分析に入らせていただこうか。

 

 ……てゆーか、
                             
 実はこれって心理テストなのであった。


 私が仏と仰ぐ土屋賢二教授の名著『ソクラテスの口説き方』(文春文庫)の「もしも桃太郎だったら」というありがたいお説教がそのネタ元である。さらに元ネタをたどると、群ようこさんのエッセイで紹介された心理テストであるらしい。

 ぷっ。じゃ用意はいーか、タネを明かすぞ。



「連れて行く動物は、自分のイメージを表し、

連れて行けない理由は、

自分のどういうところが嫌われていると
        
思っているかを意味するという。」


 


    ドッカ~ン!


 ま、こーゆーことなのであった。
 皆さまを欺く意図などハナからまったくない。
 この質問は、すでに明るい未来が約束されている、美男美女でありしかも極めつけの人格者である余裕なあなたを更に豊かな未来へと導く、その戦略を発見するための、必要不可欠とも云える“現状データ収集”だったのである。


 あえて分析を加える必要はないと思われる。
 よって、これにてお疲れさまということでもいーのだが、ま、全員の明るい未来がすでに約束されてるとは云え、そこはほれ、個性の違いのようなものは若干あると思われ、一応タイプ別に以下のように整理してみた。

 以下に分類されるAタイプの人格者は、ご自分の豊かな未来に対する一層の確信を深められることであろう。
 Bタイプの人格者は、三分間だけご自分の胸に手を当てて猛省すれば、自ずと明るい未来戦略を発見するに至るであろう。
 Cタイプの人格者は、……こ、この私が付いているので、ど、どうか心配しないでほしい。


 さて、コメントを入れてくださらなかったので人格者とは云えないものの、明らかに美男美女であられる他の読者の皆さまよ。
 以下の各人格者のコメントにそれぞれ鋭く突っ込みを浴びせながら読み進まれると、けっこう楽しめるぞ。
 私の場合は、ゲラゲラ笑いながら各人格者に突っ込みながらがんがんコメントを打ち込んでいたのだが、おしまいに近づくにつれて逆に恐ろしくなってきて、ついさっきそれらを全部削除しちまったところだ。こっちも命が惜しいからな、ま、カンベンしてくれ。

 

   (字数制限の関係上、残念ながら明日につづく!)


 



 


 

 


Paseoウォッチング [103]

2006年05月15日 | パセオ周辺







         Paseo ウォッチング 


 

 

            
    『月刊パセオフラメンコ2006年6月号』



 最初にお断りしておくが、この表紙の人物は私ではない。
 よーく観ていただきたい。あのスーパースター、ホアキン・コルテスである。(撮影は高瀬友孝さん)


 不可解なことに「ぜひ社長を表紙に」との声は、この22年間一度もあがったことがない。たぶんギャラが心配なのだろう。
 編集部よ、ギャラの多少にこだわるよーな、そんなシミッたれたオレではねーぞ。遠慮なくソーダンに来んかいっ。
 それにしてもホアキンとこの私、ルックスや才能などを除けば、瓜二つと云えないこともない。
 ホアキン恐るべし、である。(あわわ)


 さて、この20日に発売となるパセオフラメンコ最新号である。債務責任者の特権を行使し、中身がまっ白けでないことをお祈りしつつ、早速これをめくってみようか。


    ********** ********** **********


 ふーっ……いや驚いた。今月はどこもかしこも面白えのだ。
 で、かなり迷ったのだが、私のイチ押しは、特集『フラメンコボディ2006夏』に落ち着いた。
 「鍛えたカラダに、アルテは宿る」とコンセプトはかなりベタベタだが、ラインナップは強烈にして実用性保存性は高いぞ。


◆ホアキン・コルテス/衣裳を脱ぎ捨てた、生身の身体
◆メルセデス・ルイス/いつまでも踊り続けたい
◆小林伴子のフラメンコボディ再発見レッスン/身体表現のボキャブラリーを広げよう
◆私のボディトレーニング/後藤なほこ、杉本明美
◆教育学博士・水村真由美/バイラオーラの身体づくりと栄養学を科学する


 んじゃその特集から、オヨッと引っ張られた箇所をほんのちょっとだけ抜粋。

             
[ホアキン・コルテス/写真提供:ホアキン・コルテス・カンパニー


 人間は、裸になって初めて、その身体を意識するものだ。
 裸で鏡の前に立ち、両腕をあげて、息を吸ったり吐いたりすると、筋肉の動きが見える。
 
舞踊の振付とは、人間が、生きている証として生み出す身体の動きを、誇張したり、整理したりして作り上げていくものではないか。

 知性のハードパンチャー東敬子(alma100)さんのホアキン記事導入にいきなりとっ捕まった。踏み込み鋭く「衣裳を脱ぎ捨てた生身の身体」に迫る名文である。で、もうひとつはコレ。

              
    [メルセデス・ルイス/写真:高瀬友孝

 ―――「最盛期の身体が欲しい。精神的に成長した今、昔の身体で踊ったらどんなに素晴らしいか」と言った、有名なバレエ・ダンサーがいますが……。
 というインタビュアー青柳裕久さんのきわどい突っ込みに、

 そのダンサーが言ったことは、フラメンコの場合には当てはまらないと思うわ。年齢を重ねるほど、踊るのはたいへんになるけど、フラメンコの場合、ワインと同じで、歳とともに成熟していくと思うの。
 と、しなやかに切り返すメルセデスはとっても美しい!


    ********** ********** **********


 さらに今月は、注目コラムを二つ観てみよう。


  

 人気連載の『がんばれフラメンコ留学生!/天野里絵』
 
元フラメンコ留学生。それがいつしか、セビージャでスペイン人の夫と“ボデガ・シグロⅩⅧ”というお店を営む身に……という天野さんのコラムには、毎度面白いだけではなく、人生を明るく逞しく生き抜くヒントがいっぱいだ。
 んで、今回のお題は『結婚か、フラメンコか……』という切実なテーマ。スパッとさわやか、彼女の結論は今回もチョー快感



  

 標的を女から男にチェンジし、待望の再スタートを切った『西班牙国 現代男性観察記/小林由季』
 スペインの衣食住など生活密着テーマを得意とする小林さんだが、この人の切り口は鋭いぞー。臨場感あふれるその明るく知的な突っ込みからは“いまのスペイン”が実に活きいきと浮かび上がってくるのだ。レッスンあとのコーヒーブレークは、これら面白コラムでぐぐっとエネルギー補給されたし。


    ********** ********** **********


 炎のライター中谷伸一さんによるVivo Con FLAMENCO/北原志穂』を筆頭に、良かった記事を全部あげるとキリがないので今回はここまで。
 そのトータルの
出来映えたるや、もしも私がこんなにも素晴らしいフラメンコ誌を発行する出版社の社長だったなら、思わず自分のブログで自画自賛するような醜態を演じてしまうところではないか?などというアホな心配までしちまうほどであったとさ。


 






 


成分解析 [102]

2006年05月13日 | 超緩色系






         
成分解析 




 「当たっちゃってるよー、ほら、きゃっはっは」


 ゆうべ例によってヘベレケで帰宅した私に、一枚のペラ紙を差し出しながら、連れ合いがこう云う。

 そこには、こんな内容がプリントされていた。

 


__________________________________________________________

 
  成分解析 on WEB

小山雄二
 成分を解析する 
伏せ字
 
小山雄二の解析結果

 小山雄二の70%は度胸で出来ています
 小山雄二の10%はアルコールで出来ています
 小山雄二の8%は気の迷いで出来ています
 小山雄二の7%は濃硫酸で出来ています
 小山雄二の5%はお菓子で出来ています

__________________________________________________________




 うわっ、なんじゃコリゃー。
 当たっちゃってるよって……どこがだよ。
 オレはこんなんじゃねーよ。

 で、自分なりに客観的に“成分解析”をしてみることに。




__________________________________________________________

          
本人による小山雄二の解析結果

 小山雄二の70%は気の弱さと気の迷いで出来ています
 小山雄二の10%は美しいヴィジョンで出来ています
 小山雄二の8%はフラメンコの普及発展で出来ています
 小山雄二の7%はエッチな妄想で出来ています
 小山雄二の5%はアルコールと濃硫酸でコンガリ焼いたお菓子で出来ています

__________________________________________________________


 

 ま、こんなことになった。

 で、細かな点に目をつぶれば、コンピューターの解析結果とあまり変わらんことに気づいたとさ。


 



 

 

【追記/マリア・パヘス関連でこんなことがあったとさ】

  http://www.tongariyama.jp/weblog/2006/05/dvdrcanciones_a_25aa.html

 









 

 


桂銀淑 [101]

2006年05月11日 | アートな快感







        桂銀淑(ケー・ウンスク)




 三月なかばに大友浩先生ご推薦の韓国映画『風の丘を越えて』のことを書いたが、その時ふと思い出したのが韓国ソウル出身の歌い手、桂銀淑(ケー・ウンスク)さんで、最近またそのCDを引っ張り出してきて時たま聴いている。

 「あの人が好きやねん~」の『大阪暮色』や、「たかが人生なりゆきまかせ~」の『すずめの涙』なんかは、かなりヒットしたので憶えてる方も多いかもしれない。
 NHK紅白歌合戦も七回連続で出場してるし、あの小泉首相も彼女の大ファンだそうだ。

 桂銀淑のハスキーボイスと、その溜めとパンチの効いた歌いまわしに、三十代の私はかなり入れ込んでたようで、めったに行かない歌謡曲系のコンサートだが、彼女のそれは一度だけ行ったことがある。会場は練馬文化センターだったと思う。


      
           『桂銀淑 全曲集』東芝EMI発売


 ライブで聴くと余計に歌の上手さが伝わってくる人で、私はドキドキしながら彼女の哀愁歌にすぐに没入した。構成演出などもさすがに洗練されており、やっぱりこういうコンサートも時々はこなくちゃバランス悪くするよな、などと思ったものだ。


 そして、驚きは第二部冒頭に訪れたのである。

 板付きスポットライトで、桂銀淑はいきなり、無伴奏で歌い始めたのだ。
 歌詞はそれまで通していた日本語ではない。韓国語らしい。
 小太鼓の伴奏がなかったのでパンソリではないのかもしれないが、それ系(朝鮮半島の民俗歌謡)ではあったと思う。

 第一部では、基本的には愛なり恋なり別れなりをテーマにしたいわゆる歌謡曲だったのだが、休憩後はそれが一変して、プーロ(純粋)なカンテ・フラメンコ的衝撃が客席を突っ走る。
 それはまるで、マルティネーテやシギリージャの世界だ。

 最初はキョトンとしていた超満員の客席も、桂銀淑のあまりの気合いの入りように、そして“魂の叫び”と呼ぶにふさわしい本格歌唱に次第にひきこまれ、その日最大の拍手が巻き起こったことを思い出す。
 プーロを歌ったのはそれ一曲で、その後は何事もなかったように歌謡曲に戻った。
 それ以前に私が聴いた人間国宝クラスの女性歌手の、モノトーンのひたすら深い味わいには及ばなかったものの、そのとき桂銀淑が発したものはドゥエンデに近かったと、今もそう思う。


 「私がほんとうに唄いたいのは、これなのよ。歌謡曲を歌っているのは、これを唄いたいから」。


 例によって、これは私の勝手な思い込みである。
 あの入魂の一曲は、私にそんなドラマを想起させたのだ。
 ゾクッと鳥肌が立ってしまったこともハッキリ憶えている。
 映画『風の丘を越えて』のワンシーンで、彼女を連想したのにはそんな理由があった。

 本当のところはわからない。
 もう一度ライブで聴いてみたい人だな、よしコンサートに行ってみるかと、彼女のホームページを覗いてみたらこの二年近く更新されてないようだ。
 う~ん、どーしちゃったのかなあ、余計に聴きたくなっちゃったよ。……とゆーわけで、最近やたら気になる桂銀淑さんなのである。







 

 

【追記/関係ねーけど、本日の大笑い】

 先日のとんがりやまさんの大笑いに引き続き、本日も大笑い。
 まったく、仕事になんねえっつーの。

   blog.goo.ne.jp/yolanda_pinatas/e/f205ae9c357671cef13da9b1fd0ef6e7
  YOLANDAのおえかきフラメンコ/踊るフラメンコ会話帳

 



 

 

 


祝百回 [100]

2006年05月09日 | 超緩色系






                      祝百回 




 な、なんと、祝百回である。
 お、おめでとう、と云っても過言ではないだろう。
 ただし、私に対してではない。


 あなたに対してだっ!


 あなたよ、おめでとう!!
 てゆーか、おめでたいあなたよ。
 お忙しい中をこんなくだらねーボロ愚に、よく三回以上も(たぶん)付き合ってくれちゃってほんとうにありがとう。周囲にバレたら変態扱いされるリスクを犯してまで、ほんとうによく来てくださった。

 たぶん、これからのあなたの運命はチョー大吉である。
 なぜなら、私のブログによってすっかり感性が衰えてしまったあなたは、すでにご自分の不幸に対してさえもチョー鈍感になられているからである。


    ********** ********** **********


 さて、そんなステキなあなたに、今日は私から百回記念のささやかな読者プレゼントをさせていただきたい。
 まちがいなくステキな未来が開けつつあるあなたの、その具体的展開を個別に占ってさしあげよーというビッグな企画だ。

 やり方はチョー簡単だ。
 深く考えずに、下の二つの質問に素直に直感でお答えいただきたい。コメント欄にエイッとばかり投稿するだけで手続きは完了だ。


[質問その1]
 あなた(桃太郎)は、サルとキジと犬を連れて鬼退治に行くことになりましたが、ちょっと心細いので、もう一匹なにか味方を連れていくことにしました。
 さてその場合、あなたが選ぶ動物はなんでしょうか 

[質問その2]
 せっかく[質問その1]で選んだ動物ですが、やはりあなたはその動物を連れていくことをやめることにしました。
 あなたは、その動物のどこが悪かったので、連れて行くことをやめたのでしょうか


[回答例]
 「ウサギ。かわいいので連れてゆこうと思ったが、あまり役に立ちそうにもないので、やはりやめにした。」


    ********** ********** **********


 なっ、簡単だろっ。
 お手間はとらせない。百回記念のよしみでどーか、回答例のように迷わず素直にサラッとお書き込みいただきたい。

 お一人おひとりについて、たとえ徹夜になろーとも、この私が懇切丁寧な分析をいたすので、ふるってご応募を!!
 あなたの輝ける未来に対するこれからの戦略を、この私がきっと発見してみせよう。なお締切は日曜日で、結果は一週間以内に発表の予定だ。


        乞う書き込み、乞うご期待!!