フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年10月①

2011年10月01日 | しゃちょ日記

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 2011年10月1日(土)/その830◇パセオ入試~傾向と対策/ペット編

 【問題】

 あなたが飼っている怪獣は?

 

 

 【解答例】

 漢字が苦手な怪獣 ―― 誤字ラ
 冬の怪獣料理 ―― なべ焼きラドン
 世界初の怪獣系カンタオール ―― カマロン・デ・ラ・モスラ


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 2011年10月2日(日)/その831◇第三の選択肢

 恩田陸の『ねじの回転』を読む。
 宮部みゆき『蒲生邸事件』と同じくタイムスリップ物で、
 さらに同じく、昭和11年の「2・26事件」を題材としている。

 時間旅行モノが大好物の上に、
 目下の最大の関心が「2・26事件」とあっては、
 上下巻、制止不能のイッキ読みである。

 宮部みゆきの蒲生邸が、どこかおとぎ話的であるのに対し、
 恩田陸の「ねじ」には、あの森田志保「ねじ」と同様に、
 コンテンポラリーな面白さと上質なセンスがある。


 さて。
 もしも40年前に生まれていて、あの動乱に関わっていた場合、
 21歳の小山二等兵はどちらの立場を採るのだろう?
 牡羊座・O型の性質からすれば、決起隊に傾きそうだ。
 しかし、2・26決起は結果的に、軍部の権力と狂気を拡大させる要因ともなった。
 つまり、決起派・鎮圧派のどちらに属しても、国に災難をもたらすことになる。

 こうした二択への苦渋は、実に空しいことに気づく。
 ならば、第三の選択肢を発見するしかない。
 そうでないと、暗殺された要人も、処刑された将校も永久に浮かばれない。
 そのほとんどは、優秀でいい人だったと確信できるのだ。

 あの頃も現在も、日本はそうは変わっちゃいない。
 相変わらず例の"統帥権"的な化け物が要所要所を占めている。
 つまり、いい人は多いが、本当の意味で何とかしようとする責任者がいない。
 仮に芽を出しても、既得権亡者とマスコミと民衆がつぶしにかかる現状。
 マイナー出版社代表としては、そうした趨勢に逆行する必要はあるだろう。

 少なくとも私にとっての2・26には、
 過去の他人事では済まされない、何か手強い引っ掛かりがあるようだ。
 第三の選択肢発見のための重要ヒントが、そこに潜む気配を感じている。

 政治とマスコミと民衆が共に手を取り、太平洋戦争に突入するのは
 2・26から五年後のことだった。


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 2011年10月3日(月)/その832◇さよなら、寺さん

 数々のフラメンコ映像を手掛けた豪腕映像作家
 スタジオオズ代表・寺田聡氏の逝去

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 9月28日に寺田聡さんが亡くなった。
 ここ数ヶ月お会いしてなかったが、まあ、タフな寺田さんのことだ、
 心配するなんて失礼じゃねえかと、
 再び熱いドンチャン酒を呑み交すその日を楽しみにしていた。

 寺田さんがすい臓ガンの宣告を受け、彼の入院する田端の病院に
 駆けつけたのは2009年七月のやたら熱い日だった。
 ベッドの彼はドヴォルザークの第八交響曲を聴いていた。
 イヤホンを外し、いきなり私に遺言のようなことを話し始めたが、
 最終楽章のチェロが大いなる希望を奏でるドヴォ八を聴く元気があるなら、
 きっと彼は復活するに違いないと確信した。

 余命数ヶ月と宣告された彼だが、案の定、
 積極療法に打って出て、もりもりと元気を回復していった。
 自らの人体実験を題材に、ガンを克服する食事療法DVDを
 制作するところなんか、いかにも寺さんらしい。
 映像作家という仕事を使命・生き甲斐とする
 激しく美しい密度のノンストップ人生。

 パセオで発売したフラメンコビデオ・DVDのほとんどは、
 寺田さんが社長を務めるスタジオ・オズで制作したものだ。
 寺田さんがディレクターでプロデューサーが私というえらく暑苦しいコンビで、
 現場を暴れた数々のエピソードが今となっては宝だ。
 楽しかったね、寺さん!

 彼は常にたくさんのアイデアを発想し私に提案したが、
 そのインスピレーションのほとんどは、ギャラはそのままに、
 彼と彼のスタッフの手間と苦行をやたらと増やすものばかりだった(笑)。
 ええ加減が横行する時代に逆行し、どこまでも
 クオリティを追求することを面白がる昔ながらの職人。

 10月3日の夕刻、西国分寺・西恋ヶ窪の通夜に参列し、
 幾つか年長の明るく頼もしい先輩に別れを告げた。
 どんなアクシデントがあっても必ず何とかしてくれる、
 時代錯誤な"安心の人"。
 夢の途中であったがゆえに、寺さんの人生は幸せだったと私は考える。
 ドキュメンタリーを中心に多岐にわたるジャンルで大活躍した寺田聡だが、
 フラメンコにおける彼の熱き想いの映像は、
 彼去りしあともずっと後世に貢献し続ける。

                  (株式会社パセオ代表取締役/小山雄二)

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 2011年10月4日(火)/その833◇トゥー・ビー・コンティニュー


 「駅につづく小道を 何も云わず歩いた」


 そういう大人の世界も、悪くないんじゃないかと予想していたが、
 実際には「ほろ苦い」どころではなく、
 煮詰まったブラックコーヒーのように、
 やたらと苦いだけであることを後に思い知る。

 『別れの朝』。
 歌うはペドロ&カプリシャス。
 二代目ヴォーカル・高橋真梨子はステキな歌い手だが、
 この曲に関しては、初代・前野曜子の歌唱のほうが私は好きだ。

 その昔、原曲をたまたまFMラジオでチェック録音したのだが、
 それはウド・ユルゲンスの『夕映えのふたり』という曲だった。
 なかにし礼さんによる、修復困難そうな別離の歌詞とはちがって、
 原曲のほうは、ヨリを戻そうという男の決意を歌っている。
 だから原曲ラストの和音は、光ある長調だったと思う。
 どちらにしても潔い、これら歌詞の世界に比較すると、
 周囲の現実世界の方は、若干モタついてる感がある。

 出逢いと別れ。
 それっきりの別離。
 と思いきや、久々の再会。
 そして、再びの別れ。
 だが、まさかの再々会。
 しかし、三たび別離・・・

 だが、畏友N氏の悔恨話には、この先も延々と続きそうな気配が漂う。
 頑張れNよ! わしゃ知らんけど 

               
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 2011年10月5日(水)/その834◇コラヘ

 ★パセオ入試~傾向と対策/例文編

 【問題】
 以下のスペイン語について、旧カナ使いを交えて、
 いますぐにでも発生しそうな実際的な例文を作りなさい。

       coraje(コラヘ)=怒り


 【解答例】

  君の怒りはわかるが、ここはひとつコラヘてもらひたい。


  (↑)この日記自体を陳謝する例文になっているところが秀逸。


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 2011年10月6日(木)/その835◇昼メシの決め方

 たしか、マリサーノはヴァイオリン奏者のはずだ。

 あるバイラオーラの取材でスタジオを訪ねると、
 そのマリサーノが事務室で、練習生と思われる女性と
 卓球に興じている。

 「よおっ、マリサーノ!」と声を掛けると、
 あのキリッと甘い笑顔で、いきなり私に抱きつく。
 瞬間、彼が両党だったことを思い出す。

 片言の日本語だったスペイン人のマリサーノは、
 流暢な日本語で一方的にペラペラ喋りまくる。
 んっ? この設定はちょっとおかしいと、私は感じ始めている。

 ともあれ、マリサーノに引っぱられるように街に出る。
 街並みから思うに、ここらは渋谷・松濤あたりか。
 ふと気づけば、小さな公園で彼はヴァイオリンを弾いている。
 パガニーニの無伴奏カプリースを、フラメンコ風に響かせるが、
 やや音程が荒れている。

 そのことに私は触れず、嬉々として彼はここ数十年の己が軌跡を語り出す。
 そうか、最後に彼と会ったのは、私が大学生の頃だったか。
 んっ? いや、そんな奴を私は知らないと悟った瞬間、目が覚めた。

 不思議な夢だったが、知りもしない彼の顔と名前が特定されていたことが
 面白かったので、書き留めておこうと思った。
 それにしても、公園の池のほとりで二人して大笑いしながら、
 竹の子の炊き込み弁当をパクついていたのは何故だろう。

 ともあれ本日の私の昼飯は、竹の子の炊き込み弁当となる見通しである。


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 2011年10月7日(金)/その836◇ゲルマン民族の大移動

 ゲルマン民族の大移動。

 この時期の民族的な基本原則について、
 ウェブ友 sky walker博士は、
 以下のような歴史的卓見を述べておられる。


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しゃちょ日記バックナンバー/2011年10月②

2011年10月01日 | しゃちょ日記

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 2011年10月8日(土)/その837◇愛唱の理由

 パセオからの帰り道、アイポッドを全曲シャッフルで聴いてたら、
 マイテ・マルティン、バッハのシャコンヌに続いて、
 北島三郎さんの『北の漁場』が鳴り出す。
 私は演歌も好きなので、かつてはこのニッポンの名曲を、
 結婚式や通夜の三次会など、TPOお構いなしに歌いまくったものだ。

 久々のサブちゃんに、ちょっと心が震えた。
 マノロ・カラコールみたいな濃厚でぶっとい感動。
 締切をクリアしたばかりの、かなりのヨレヨレ状態だったが、
 であるがゆえに無駄な思考や力が抜け、
 歌詞を味わい尽くせるキャパが生じていたのかもしれない。

 驚いたことには、1番・2番・3番の歌詞のラスト部分が、
 なんと"序破急"の構成で、リアルな人生哲学を歌っているではないか。
 何百回も歌ってるはずの曲なのに、うかつにもそこに初めて気づいた。


 北の漁場はよぉ~♪
         1番「男の仕事場さぁ~」
         2番「男の遊び場さぁ~」
         3番「男の死に場所さぁ~」


 自分の仕事場が、遊び場であり、かつ、死に場所である。

 そうした合理性については、10代半ばから、頭では気づいていた。
 だが、理性で認識するのと、魂に火がつくのとでは天地の差がある。
 一貫性に充ちた行動を継続させるヴィジョンの確定こそが、
 あらゆる意味でのスタート地点となり得ることを実感したのは、ごく最近のことだ。

 性別・年齢・国籍に関わりなく、
 自分の居場所について、この三点が合致する人種というのは、
 勝っても負けても、人として悔いを残さない可能性は、
 極めて高いんじゃないかって思う。

 北の漁場、おそるべし。
 3勝997敗という恐るべき人生戦歴をひっさげる私が、
 無意識にこの歌を愛唱する理由が、つい今しがた判明した。


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 2011年10月9日(日)/その838◇不幸中の幸い

 閑散とした早朝の代々木公園をジェーとともに駆けまわり、
 持ち帰りの仕事(3月号しゃちょ対談/遠藤美穂)も片付け、
 ほっとひと息つく日曜の昼下がり。

 ふと発作的にピアノが弾きたくなる。
 モーツァルト、バッハ、ラフマニノフ、
 ディエゴ・アマドールの鍵盤ブレリアなんかもいい。

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 だが、不幸なことに狭いわが家にグランドピアノはない。
 スタインウェイもベーゼンドルファもプレイエルもない。
 しかし人間は、どんな不幸にも幸せを見い出すことのできる動物だ。

 今回のケースで云うなら、
 仮にわが家にスタインウェイがあったとしても、
 元からして私はピアノを弾けないことの幸せ。

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 2011年10月10日(月)/その839◇お祈り

 ここ数十年は、四年にいっぺんくらい、
 毎度5分ほど弾くのが恒例だったのだが、
 近ごろは毎日のようにギターを弾く。

 永らく自宅で眠ってたギターが、
 パセオ編集部の応接スペースのインテリアとして復活し、
 リフレッシュタイムの絶好のオモチャとして機能しているのだ。

 私は人には厳しいが、自分に対しては優しい人間である。
 だが一方で、聴く耳だけはある方なので。
 プレイヤーとしての私がギターを弾き始めると、
 聴き手の私の中には、実に聴くに耐えない状況が発生する。

 つまりそれは、
 他人に厳しい私が、人に優しくなれる瞬間でもある。
 周囲の人々が皆、私より立派に感じられる瞬間でもある。


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 2011年10月11日(火)/その840◇ことわざのリアル性

 「棚からボタ餅」。

 まあ実際には、こんな幸運は滅多にないし、
 「棚からズンダ餅」なんかだと、さらにリアリティは低まる。

 一方で、「田中らボタ餅」というのは、かなりリアルだ。
 田中氏を筆頭に、ボタ餅を注文するたくさんのお仲間たち。
 街でよく見かけるリアルな光景である。(←えっっ)

 ただし、ことわざとしての意味が、まったく不明なのが惜しい。
 知ってる人がいたら、ぜひ教えてほしい。


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 2011年10月12日(水)/その841◇JINSEI

 今晩は新宿エルフラメンコにて、
 フラメンコギタリスト・今泉仁誠の帰国記念ライブ。
 バイレの屋良有子も客演するというから、猛然と駆けつける予定。

 今泉仁誠。
 「いまいずみ・じんせい」と読むらしい。
 仁と誠のある人生。
 いいねえ、実にいい名前だ。

 一方で、オレなんか「雄二(ゆうじ)」ってんだよ。
 次男だから、オス(雄)の二番目っていう意味。
 いいねえ、実にわかりやすい名前だ。
 スタート時点で負けてる感があるものの、
 ほとんど期待されてない感じに、
 人を見る目はあった親の同情がにじみ出ている。

 振り返れば、そういう親の期待に見事に応える人生ではあった。


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 2011年10月13日(木)/その842◇JINSEIリサイタル

 プリメラ企画フラメンコ・ソロライブvol.10、
 フラメンコギタリスト、今泉仁誠の帰国記念ライブ。

 「巧さじゃないんだよ、ほんとにやる気のある人ね」。

 このリサイタル・シリーズを主催するチコさん(プリメラギター社長)に、
 どんな基準で若手を応援するの? と尋ねたら、彼はこう即答した。
 いいねえ、実にわかりやすい理由だ。赤字必至は明らかなのにね。

 今泉仁誠(いまいずみ・じんせい)は1966年、福島県の郡山市出身。
 元はクラシック畑の人だが、大学時代にフラメンコギターを始めた。
 だが、一時指を故障する。ギタリストには極めて辛い時期だ。
 心機一転、バイレ伴奏を習得するために
 スペイン留学するのは、2006年のことだった。

 さて、そのJINSEIライヴ。
 最初から最後まで、趣向を凝らした展開で、
 それまでの彼の人生がストレートに浮き彫りとなる構成。
 仁誠のギターソロでは、ブレリア(パルマは稲田進、カホンは阿部玲)が光った。
 彼の選んだ旋律と和声には、彼の生き様がくっきり刻印されていた。

 客演ハイライトは、仁誠のギター、斉藤綾子のカンテで踊る、
 若手カリスマ・バイラオーラ屋良有子のグアヒーラ。
 それがどんだけ凄かったか!

 全体に、好ましい何かを想起させる観後感が最大の収穫だった。
 心機一転、本気で人生を再始動するのに、年齢はまるで関係ないことの証明。
 フラメンコギタリストとして、クリアすべき課題を多々残す今泉仁誠だが、
 そのたくさんのハードルこそが、この先の彼を輝かせる光源であるに違いない。
 そう想うに至る瞬間、漠然とは理解していたチコさんの意図がくっきり視えた。


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 2011年10月14日(金)/その843◇選択センス

  パセオ入試~傾向と対策/略語編

 【問題】

  次のヌメロを3文字未満に略して、
  バイラオーラの彼女に直言すると、
  あなたはどうなりますか?

      「ブレリアス」


 【解答例】

  ヘタに2文字に略す場合、たぶんブン殴られます。


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 2011年10月15日(土)/その844◇新旧バランス

 どんよりと、しかし強い風の吹く本日土曜日。
 早朝より来春の記事ストックをせっせと製造し、
 午後からは要町で、フラメンコ界の重鎮夫妻の撮影。

 パセオ1月号のエンリケ坂井(伴奏者の視点①/小倉担当)と、
 2月号の佐藤佑子(しゃちょ対談⑦/私担当)を、
 写真家・北澤壯太が同時進行で撮影する。

 フラメンコが革新的方向へとさまざまに進化する状況にあって、
 フラメンコの伝統的核心の砦とも云うべきお二人の活動を
 きっちりマークすることには、逆に何やら新鮮な歓びを覚える。

 どちらかと云えば革新コースを歩んできた私が、
 実はかなりの「伝統好き」であることを自覚したのはごく最近のことだ。
 そういうひねくれた自分のバランス感覚には我ながら驚くが、
 おそらくママレモン的には、つまりセンザイ意識的には、
 それなりの確信犯なのだろう。

 伝統と革新の葛藤は凄まじいエネルギーを生む。
 時にそれはパコ・デ・ルシア、アントニオ・ガデス、
 マリア・パヘスのような革新フラメンコの国際的伝道者を生み、
 それらの亜流が飽和状態に達する頃、「古き良き伝統」は再発見される。
 そういう健全なアウフヘーベンの循環が、
 フラメンコの博物館入りを予防し、国際的な普及発展を益々推進する。

 フラメンコは国境を超え、どんな時代にあってもリアルタイムで、
 伝統・革新の両面から、人々の暮らしを内側から豊かにする。
 伝統と革新の好ましいバランスが保たれる限り、
 どれがほんとのフラメンコかと、結論する必要はない。


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しゃちょ日記バックナンバー/2011年10月③

2011年10月01日 | しゃちょ日記

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 2011年10月16日(日)/その845◇宮野ひろみ/セッション

 早朝から代々木公園にジェーと遊び、
 ひとっ風呂浴び、パスタ&サラダの朝めし。

 そして、現在観戦中のNHK将棋トーナメント、
 期待通り「木村一基八段×小林裕士六段」は、
 まるでペリーコⅡ世(ギター)と、ミゲル・ポベーダ(カンテ)による
 技の掛け合いのようで、濃厚な音楽セッションのような味わい。

 そんな気分を延長させながら、午後から「宮野ひろみ/セッション」に出掛ける。
 フルートの山本俊自さん、フラメンコギターの鈴木英夫さんとの一期一会。
 来年6月号「しゃちょ対談」の事前取材も兼ねている。

 十代にして協会新人公演・奨励賞を二度受賞したひろみちゃん。
 さまざまな人生の荒波を前倒しで乗り越え、
 三十半ばで本格的に再始動する彼女のバイレライブは要注目だ。

 無数の引き出しから繰り出すインプロの瞬発力!
 安全運転禁止のスリルあふれる芸風。
 さあ、今日のひろみは何処へ往くっ?!!!


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 2011年10月17日(月)/その846◇つながる瞬間

 まるでお伽の国じゃないか。

 昼下がりの代々木公園を散歩するジェーと私は、
 明治神宮に隣接する、ちょっと奥まった
 ひと気の少ない穴場に到着するが、その様変わりに驚く。

 美しい緑の並木、そして眩しい原色の薔薇園。
 それらを遊覧するレンガを敷き詰めた小路に、
 真新しい二筋のレールが走る。

 レールの終点を追ってゆくと、奥の木陰に、
 よく遊園地にあるような小さな蒸気機関車が止まっている。
 許可を取るにも、周囲には誰もいないので、
 それじゃあスマんけどと、私は運転席に乗り込む。
 アクセルとブレーキだけの簡素なシステムらしい。
 振り向けば、車輌の一番うしろに、
 車掌のような帽子をかぶったジェーがちょこんと座っている。

 いざ、出発進行!

 電動らしい小さな蒸気機関車は、ゆっくりと走り出す。
 ローズ・ガーデンをぐるぐる周るだけかと思っていたのだが、
 ひと通り周ると、涼やかな小川に沿って線路は続くよどこまでも。
 景色はすでに代々木公園のイメージからは遠く離れている。

 しばらく行くと、乗せてほしい、という感じでおばあさんが手を振る。
 機関車を止め彼女を乗せるが、切れ長で国籍不明な深い碧の両眼にドキリとする。
 いつの間にやら、運転席の足元で車掌(ジェー)が居眠りをこいている。

 そのあともポツポツと人々を乗せながら、見知らぬ田園風景をゆるりと進む。
 だがきっと、この乗り物の行く先を、私を含め誰も知らない。
 にも関わらず、いつか目的地にたどり着けることを、みな漠然と信じている。

 ふと、幼い頃の最初の職業ヴィジョンが、
 都電の運転手だったことを思い出す。
 見知らぬ人々を乗せ、人々をそれぞれの望む目的地に運ぶ。
 昔憧れた職業と現在の私の職業との関連が、微かにつながるその瞬間、
 耳元でワンっ!と吠える車掌の一喝で目を覚ます。


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 2011年10月18日(火)/その847◇気分転換の技法

 パセオの応接スペースに、
 インテリア風に置いてある古いギター。
 
 思うように仕事がはかどらない時など、
 気晴らしにちょろっと弾く。

 だが、ギターのほうは、もっともっとはかどらない。
 気晴らしというより、気落ちである。

 どう進路すべきか?
 比較検討の余地はなく、すぐに仕事に戻る。
 むしろ晴ればれとした気分で仕事に向かう。


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 2011年10月19日(水)/その848◇プレイバッハ

 まがりなりにもバッハを弾く。

 ギターで弾くにはもっとも簡単なバッハで、
 リュート組曲第一番の「ブーレ」という舞曲だ。
 短い曲だし、40年くらい前のレパートリーなので、
 すぐに弾けると思っていたが、そんなにバッハは甘くない。

 演奏上の細部の欠陥には目をつぶり、主要問題点のみを列記してみる。

 ○ぶつ切れのリズムと、予測不能に揺れるテンポが、他の追従を許さない件。
 ○楽譜に対し左右の指が自由を謳歌するため、事実上、楽譜が意味をなさない件。
 ○狙った音色とは、ほぼ正反対の音色を出すことが出来る件。
 ○毎日1小節ずつ暗譜するが、毎日1小節ずつ前日の暗譜を忘れる件。

 その他主要課題37件については、スペースの都合により割愛。


               「プレイバッハ・パート2」につづく


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 2011年10月20日(木)/その849◇プレイバッハ・パート2

 まがりなりにもバッハを弾く話。
 きのうの続きである。

 どう弾きたいか?
 その音楽的ヴィジョンだけは、比較的しっかりしている。
 美しい上下の2声が、互いに主張しながら互いに他方を引き立て合う、
 そういう好ましいコミュニケーションそのものを描きたいのだ。

 こんなに美しいヴィジョンの持ち主なのに、
 実際に私のギターが奏でる、その美しいはずの2声は、
 まるで互いに罵声を浴びせながらの、取っ組み合いの喧嘩のように聞こえる。

 うっ、そ、そんなはずはないっ。
 ちょーっと待って、プレイバック!
 今のバッハ、プレイバック!


 だが、何べんやり直したところで結果は知れている。
 にも関わらず、バッハを弾くことがやたらと楽しい。
 下手の横好きを楽しめる、そういう心境がうれしい。
 他人が聞けば、とてもバッハには聞こえない件で、
 愛するバッハに迷惑をかけずに済むことも、とてもうれしい件。


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 2011年10月21日(金)/その850◇快感セッション!

 宮野ひろみ/SESSION
 2011年10月16日/東京・蒲田スタジオ・ルセーロ
 【バイレ】宮野ひろみ【ギター】鈴木英夫【フルート】山本俊自


 無数の引き出しから繰り出されるインプロの瞬発力。
 安全運転禁止のスリリングなアルテ。
 そういう特性を内蔵するツワモノ三者が、
 ハツラツと協働する快感セッション!

 若手トップとしてソロに伴奏に大活躍する鈴木英夫の
 ギターを聴いたのはおよそ三十年前のことだ。
 安定する超絶技巧と華やかなグルーヴ感は、
 当時にあってはむしろ異端だった。
 そして中年期の身体の故障から訪れるギタリスト人生の危機。
 その地獄から一歩一歩這い上がったこの道一筋の成果が、
 当セッションには明らかだった。
 冒頭で三曲ソロを弾いたが、とりわけアレグリアスにおいては、
 若き日の栄光と年輪による深化とが実に好ましい融合を遂げており、
 そのヌメロの光と影の凄艶なる響きに、計らずも私は、
 彼の人生とフラメンコそのものの永遠性を同時に聴いた。

 フルートの山本俊自(しゅんじ)は、現役ホンモノの"忍者"である。
 先ごろ十段(古武術)に昇段したという。
 私は六段(将棋)なのでチョーくやしい。
 ま、こりゃ、四段差という余談さ。
 さて、シュンジのフルートは、いつでもどこでも
 音楽する歓びに充ちあふれている。
 いかにも超エリート忍者らしい鋭い気合いとテクニック、
 そして忍びの者らしくもない天真爛漫な明るさとのミスマッチが、
 聴き手のハートをシュンジに解放するのだ。
 鈴木英夫とのデュオでアルモライマ的『ブレリア』、チックの『スペイン』、
 タンゴ『エル・チョクロ』、シャンソン『枯葉』。
 色彩豊かな即興バトルのエキサイティングな快感!
 聴いたもん勝ちの深い満足感!

 チックのパルメーロで登場した宮野ひろみは、『カルメン・ファンタジー』を踊る。
 まるでロダンの彫刻のような美しい静謐状態から、
 ゆっくりと始動する濃密なテンションには、
 早くもストイックなエロスが閃く。
 ステージと客席が一瞬にしてひとつになる驚き。
 ダンサーの本能と知性がピタリ合致する360度魅せるダンスには、
 鍛えの入った美しい肉体が水を得た魚のような
 美しいアクションを発光することの純粋な歓びがある。
 『ファルーカ』、ピアソラ『リベルタンゴ』、『ソロンゴ・ヒターノ』、
 モンティ『チャルダッシュ』。
 永らくは客演などで1曲だけ踊る宮野を観ることが多かったが、
 今回は彼女の多面性と研ぎ澄まされた各々のクオリティを確認。
 切れ味と重みが常に同居していて、何を踊ってもフラメンコになる。
 十代にして協会新人公演・奨励賞を二度受賞した彼女は、
 さまざまな人生の荒波を前倒しで乗り越え、
 荒波そのものを成長深化の糧としながら、
 三十半ばにして堂々たる復活を果たしていた。
 かつての早熟天才ダンサーの輝く両眼はすでに、
 果てしなく続くアートの本道を発見している。


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 2011年10月22日(土)/その851◇方向音痴の知恵

 電車の運転手。

 むかし憧れた職業。
 最近は、それを夢でみることが多い。
 思い当たるフシはある。

 近ごろはポコッと時間が出来たりすると、
 用もないのに電車に乗って遠出をする。
 遠出といっても片道一時間以内の小さな旅で、
 もつろん、おやつは300円以内だ。

 で、必ず先頭車両の運転席の後方に陣取る。
 その大きな窓から、進行方向のわくわく風景に遠慮なくかぶりつく。
 大体は小さめの音量で、グールドのバッハを聴いている。

 今どき小学生でもやんねえ怪しい行為のおっちゃん。
 小田急、京王線、井の頭線、世田谷線、池上線。
 この春から、とりあえずこんだけ乗った。
 そういう愚行の残像が、夢に反映されているのだろう。

 運転席の車窓に好ましい風景を見つけると、迷わず途中下車し、
 珈琲で一服してから、周辺をぶらつく。
 音楽をパコ・デ・ルシアに切り替え、ぐぐっと音量を上げる。

 パコ・デ・ルシアの推進力のみが私に憑依し、
 ぶらつくつもりがズンズン歩く。
 ズンズン歩いて迷子になる。
 それでもズンズン歩いて、やがて線路に突き当たる。
 その線路に沿って歩けば、やがて駅に突き当たる。
 小田急でやって来たのに、帰りは京王線だったりする。


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しゃちょ日記バックナンバー/2011年10月④

2011年10月01日 | しゃちょ日記

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 2011年10月23日(日)/その852◇ゾウリムシの自戒

 パセオ最新号しゃちょ日記に、O型の世渡り論を書いたら、
 意外な反響が早々に押し寄せる。

 震災後の人災後遺症と、ひたひたと押し寄せる世界恐慌の不安に、
 誰かが必ず何とかしてくれるはずだという安全幻想は壊れた。
 とりあえず原点に戻ろうかあ、と考えるのが私ら単細胞O型の特徴であり、
 そのゾウリムシ的自問自答が、かえって新鮮だったのかもしれない。

 勤勉さと愛敬。
 当時の私が選んだ戦略はこの二つで、老朽化した今もそれは変わらない。
 親の影響も大きいが、決定的だったのはバイト現場のボスの仕事ぶりだった。
 金を貰う職場には、金を払う学校にはない無差別攻撃的な厳しさがあった。
 職場でふれあうたくさんの老若男女を観察しながら、
 経験やら感性やら教養だけでは、攻めも受けもやや細いと感じた。

 自ら先頭切って作業しながらの、叱咤激励とユーモア。
 職場のボスの潔いリーダーシップに懐かしい快さを感じながら、
 現実を改善するのは、とりあえず勤勉さと愛敬だと分析した。
 勤勉さは金銭を保証し、愛敬は人間関係を育むと思った。
 他はさておき、共に欠落できないこの二つを青春必修セットと決めた。

 このような選択の浅薄さに気づくのは、ずっと後の祭りの頃である。
 いや、選択自体は誰しも自由なわけだが、
 私の場合、自分の選択を絶対視するところに問題があった。
 とは云え、タデ食う虫も好き好き。
 まあ、これもひとつの生き方じゃんかと、今は苦笑とともに納得している。

 人にはそれぞれ、その特性にふさわしい世渡り術があり、
 軽々と周囲に流されるのではなく、
 自分なりのそれをタップリの試行錯誤で発見し、
 それぞれ納得づくで実践すべしというのが本当のところだろう。

 ちなみに、私に尊敬された当時の職場のボスはO型ゾウリムシ。
 類は友を呼ぶ、というわけだ。
 類を形成するそうしたプロセスは発展の基礎となる段階だと思うが、
 現在の私たちが直面するのは、異なる類同士がいかに協調するかという問題であり、
 昔とは桁違いの破壊力を持った人類の、その存亡の鍵は、
 ゾウリムシの知恵を遥か超えたところにある。
 暴走するゾウリムシは、いつでもそのことを自覚している必要がある。


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 2011年10月24日(月)/その853◇やりすぎに注意

 「その前に君のフルネームと、君の実家の電話番号を教えてもらおうか」

 インタビュー編集の集中力が佳境に入ったある日の午前中。
 その任務完了後、大江戸散歩に飛び出すことをエサに早朝出社し、
 ぐいぐい加速をかけていると、電話が鳴り出す。

 何のことはない、こちらの需要とはまったく無関係の営業電話である。
 その刹那ブチ切れる私は、どよんと低いトーンで冒頭のセリフを吐く。
 はあっ? と相手の男性が小さく反応する。

 「一方的に仕事の邪魔をされてはかなわんな。
  君さあ、貧乏多忙なる労働者をナメたらいかんよ。
  そういう迷惑営業やってる以上、覚悟できてるよね?
  よし、そんなら五分と五分との関係に修正しようじゃないか。
  おれも1分だけ君の話を聴くから、おれも同じく1分だけ使って、
  理不尽に他人の自由を奪う君の所業を、君の家族に抗議させてもらおう。
  なあ君、自由の前提が平等であるってことは知ってるよな?」

 あ、あの、すみません、と小さく云って、彼は電話を切った。
 自ら選んだ職業の社会迷惑性はそれなりに理解しているらしい。
 腹立ちまぎれに幼稚な詭弁を弄する私の対応も相当にいやらしいから、
 この場合はまあ、悪人同士、五分五分のいい勝負だろう。

 こちらから理不尽を仕掛けることはなくとも、
 唐突に理不尽を仕掛けられることは誰しも多々あることだ。
 基本スルーだが、その時の状況やハラの虫の居所によっては、
 快適な社会環境創りに貢献!みたいな大義名分を持ち出し、
 それ相応に痛い目を喰らわしてやろうなんていう悪心が働く。

 だが、復讐の連鎖を回避しながらそれを実行するには、
 自由をはき違えるモンスター全盛のいま現在、
 案外とそれなりの覚悟が必要かとは思う。


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 2011年10月25日(火)/その854◇すり替えの技法

 ここしばらく、土日の酒を抜いているので、
 週末は家で晩めしを作ることが多い。

 鶏皮、ベーコン、豚バラ。
 じゃがいも、人参、玉ネギ、にんにく、エリンギ。

 ま、カレーにしてもいいんだが、
 予定通りクリームシチューにする。
 あいにくご近所スーパーはいんげんやブロッコリーを切らしていたので、
 青物にはちんげん菜を選ぶ。

 シチューの煮込み上がりに合わせて、これをさっと油で炒め、
 軽く塩コショウして、鍋にトッピングする。
 艶々した緑と鮮やかな人参との色合いが予想以上に美しい。
 綺麗なコントラストだね!と、珍しく連れ合いが目を輝かせる。

 料理は目で食う、と云う。
 舌さえ目をつぶれば、私の料理はおおむね美味しい。


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