フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月①

2011年08月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年8月1日(月)/その769◇とっつきやすい

 軽々しい人間というのがいる。
 誰かと思えば私のことだ。

 若い頃はこんなではなかった。
 人見知りで人の好き嫌いが激しくて、とっつき辛いヤな奴だった。
 さらに云うなら、そういう私自身、満足に挨拶も出来ないような、
 そういうタイプの人間が大嫌いだった。

 そんな展開に飽き飽きした頃、パコ・デ・ルシアに出逢った。
 アルモライマのコンパス・旋律に乗って、
 取りまく環境とキャラクターをガラリと変えた。
 「実存は本質を凌駕する~サルトル」という馬鹿のひとつ覚えを信じた。
 最初は自分でないようでしっくりこなかったが、
 いつしかそれが普通の自分になっていった。

 想えば昔から、肩の凝らないとっつきやすい人が好きだった。
 いっしょに仕事をしても、いろんなことを気軽に教えてくれるし、
 そういう背中を見ているだけで勉強になった。
 遊びも酒も、私にとって楽しい人は皆そういう人だった。

 なので、そういう人に私もなりたいと思った。
 ただ私の場合は例によって若干やり過ぎがあったみたいで、
 丁度よさを通り越して、思い切り軽々しい人となった。
 こんなことならもう少しいろんなファクターを、
 バランスよく身につけておくべきだったよ。
 だが、とっつきやすさを犠牲にしてまで求めるべきものが
 今の私には何もないことに、ある意味唖然とするのである。


 代々木公園のフィクサー3.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年8月2日(火)/その770◇歩んで来た道、歩んで往く道

 鍜地陽子フラメンコリサイタルvol.5/El Camino2「道」

 [7月29日/東京・四谷区民ホール]
 【踊り】鍜地陽子
 【カンテ】フアン・ビジャールJr.、ファニジョロ
 【ギター】フアン・ソト、小原正裕
 【パルマ・カホン】伊集院史朗


 忘備録を書き始めて二年になるが、この期間中で云うなら、
 フラメンコ・ソロリサイタルの最たるものを観た。
 混じりっけなしのプーロ(純粋)ひと筋。
 休憩なしの85分はガチンコ・フラメンコと過ごすのに最適の時間だと改めて思う。

 グアヒーラ、シギリージャ、アレグリアス、ソレア。
 この日スロースターターだった鍜地陽子のバイレは
 尻上がりにフラメンコ度を増し、
 ヌメロの起承転結順に10点満点で云うなら
 5点、7点、アレグリ10点、ソレア11点!

 底抜けの笑顔ではなくて、意を決し何ものかに明るく不敵に立ち向かうアレグリアス。
 愛らしさの薫るグアパな容姿、内側からこみ上げる表情の美しさ、
 ケレンのない純正テクニカが渾然一体となったムイ・フラメンコ。
 どこまでもカンテ・ギターに寄り添うことから生まれる三位一体の快感。

 ここに来て、彼女本人から聞いたリサイタルの通底テーマが
 こたびの大震災に対する「祈り」であることを思い出す。
 決して超人的でない、むしろ不器用の弛まぬ積み重ねが咲かせたこの世の華に、
 ああやはり人間は素晴らしい、信頼するに値するものだという感慨が全身を突っ走る。

 満開アレグリに続く決意と希望に充ちたソレアが、
 さらに高みにあったところに鍜地の本領を観る。
 まるで作為を感じさせない研ぎ澄まされた緊張と弛緩のコントラストは、
 ソレア自体の巨大な深遠を浮き彫りにする。

 一瞬たりとも誇ることのない技術力・表現力のレベルは極めて高いが、
 それらが彼女の本音・真情と曇りなく合致しているところに、
 極上のフラメンコが生まれる理由がある。
 だが、もとよりソレアに到達点はない。
 確信と充実と黒い輝きに満ちた鍜地のソレアは、
 この先の際限なき険しい道と、希望あふれる道筋とを同時に明示している。

 フアン・ビジャールのカンテは、終始会場にヒターノ・プーロの
 シビアでシンプルで骨太な好ましい空気を充満させていた。
 名手フアン・ソトの温かく切れ味鋭いギターもそれに同じく。

 鍜地の夫君である小原正裕は2ndギターに徹し、
 フラメンコのあるべき造形にその身を捧げていた。
 かつて別ジャンルで超絶技巧のスーパーソリストとして鳴らした
 小原の栄光を知る私にとって、
 タブラオで見かけるその献身的変貌が永らく「?」であり、またもどかしくもあった。
 だが、先の協会チャリティで1stを弾いた彼の
 ギタリスティックの極致に達する艶やかなド迫力は、そういうモヤモヤを瞬時に一掃した。
 あの強烈な主張を放つ彼本来のスーパーギターと、
 今回のような縁の下の力持ちに徹する黒子的凄みとの対比は、
 図らずも不可解だった彼の対極性をひとつに結合させた。
 なんと天才小原は、愛と牙とを同時に磨き続けていたのだ。

 さて、ソレアを踊り終えたとき、
 鍜地陽子の歩んで来た道、歩んで往く道の好ましい輪郭がくっきり視えた。
 長引く不況の中、堂々リサイタルを続ける意味と意義とがカッチリ腑に落ちた。
 客席に深々と頭を下げる彼女の姿には、
 フラメンコに対する敬意と感謝がにじみ出ていて思わず胸が熱くなる。
 そうか、アルティスタというのは、客席そのものではなく
 観客の心を通してアルテに感謝を捧げるものなのか。

 次回はいつだかわからぬが、プーロファンであるなら
 鍜地のソロリサイタルは何があっても必見!と覚えておいて、きっと損はない。


 神田川の桜.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年8月3日(水)/その771◇屋良有子の自問自答

 計らずも到来した本音の時代。

 頑張らねばならぬことは多々あれど、
 フラメンコな人間にとっては、まあ、おおむね生きやすい時代だ。
 「おおむね生きやすい」。
 (↑なぜか「大沼由紀」に似ている)

 まず、現実味のないタテマエを無駄にこねてる暇がないところがいい。
 次に、本音と弱音の違いが明確になったところがいい。
 本音と愚痴は明らかに違うし、フラメンコは建前でも愚痴でもない。

 フラメンコはこうではないかっていう、多くの人々が共有できるヴィジョンがある。
 ただ、個人の志向・適性はそれぞれ異なるから、
 それを無理やりひとつの型にハメればかえって不合理が生じる。
 共有ヴィジョンと各個人の対話の結果が、尊重すべきそれぞれの本音ということになる。
 つまり、人の数だけフラメンコはある。

 そういうガチンコ対話を、つまり「自問自答」を欠く垂れ流しが愚痴であり、
 容赦なき「自問自答」の葛藤の末に、各個人から産み落とされるものこそが本音だ。
 どのような個人レベルであれ、そういう「自問自答」からは新たなポテンシャルが生じる。
 そういう磨き抜かれた本音状態の発露そのものが、フラメンコなのではあるまいか?

 なんてことを、屋良有子のインタビュー(来年新年号『自問自答』)を
 まとめながら想っている。


 モチベーション1.JPG
 
 ───────────────────────────────
 2011年8月4日(木)/その772◇落とし前

 「まあ、済んだことは水に流そう。
  ただし、このままではこの先の関わりは持てないから」

 このままでは夢と勇気と行動の人間まで共倒れになってしまう。
 震災から四ヶ月半の間に七回そう表明し、どうやらそれもひと段落した。
 担ぐフリしてブラ下がるだけの無気力・無責任タイプとの棲み分け。
 一方では、健全なギブ&テイクの協働関係を新築できた人もいた。

 義援金の他に、日本の活性化につながる布石は何か?
 明るい活力の社会をイメージしながら、一民間の私に出来ることは何か?
 誰であれ、あるいは過去がどうあれ、
 やる気と志ある人間が思う存分活躍できるスペースを
 自分の周囲の環境に新築しようと思った。

 まあしかし、結局は怠慢にして傲慢な上から目線であり、
 本来ならそう表明する前に、そうならぬようもっと丁寧な先手を打つべきだったろう。
 もうええ加減自分で気づけやと無駄に期待しつつ、
 いくら云っても無駄だと途中であきらめてしまった中途半端はいけなかった。

 清盛や信長、もっと云うならヒトラー暴走の必然性だって少しだけわかるタイプだが、
 現在の政治屋やマスコミのように、実現可能なヴィジョンもなく
 ただ既得権にすがるタイプの気持ちはまるでわからない。
 わかってしまったら生きてる甲斐もないという、牡羊座O型の悪しき典型。

 バランス豊かないわゆるまともな人にとっては、どちらのタイプも毒だ。
 毒をもって毒を制す。
 毒同士で同士討ちするのが、人間界にとっては最も好ましい。
 おれもそんな悪の片割れ戦闘員かと思うとちょっぴり泣けてくるが、
 そういう宿命が牡羊座O型の性に合ってることも否めない。

 だがこの先、もうさすがに冒頭のような空しい台詞は吐きたくはないので、
 「仕事も私事も、もっともっと楽しみながら、人さまのお役に立とうぜ」
 という普通にシンプルな方針を、
 常日頃より、もっともっときっちり体現しながら表明してゆくことにした。


 代々木公園のフィクサー3.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年8月5日(金)/その773◇書記の利

 6704226_1206753622_179large.jpg

 「整理してもらった上に原稿料までいただいちゃって、何だか悪いわ(笑)」

 インタビューの相手から逆に感謝されることがある。
 生きる感覚は確かであっても、それらを論理として整理するアルティスタは
 たしかにそれほど多くはない。

 「フラメンコの深化が人生の深化に直結する。
  人生の深化がフラメンコの深化に直結する」

 こう云ってしまえば何だか四角四面になるが、
 彼らの多くは、こうしたギブ&テイクな確信に充ちた生存本能を内包し、
 それを軽々と実践する日常生活を確立しているため、
 改めてカチッと理論化する必要すらないのだろう。
 また、変に理論を固めてしまえば、それはそれで
 あくまで自由を希求するフラメンコからは遠ざかる。

 「本の内容はどうでもいいから、振付DVDをオマケに付けて!」
 意外と多かったこういう練習生の貴重な声が、私のひねくれハートに火をつけた。
 表面だけをいくら上手に取り繕ったところで、
 実際何の収穫もないことはすでに自分の人生で実証済みだったし、
 加えて私は本が好きだった。

 10代でパコ・デ・ルシアのギターはかっこいいと思った。
 20代でバイレ・フラメンコの振付に頼らぬ生命力に惚れた。
 30代で清濁併せ呑むカンテ・フラメンコに砕け散った。
 40代でフラメンコとは実人生を生きることだとほぼ見当がついた。
 自分の生き様とまるで関係のないところで、
 パコ・デ・ルシアの楽譜の表面をなぞっても、
 そりゃ空しすぎるわと気づいたのはその頃だったと思う。

 「振付のイイとこ取りでは、いくら上手くやってもフラメンコにゃならないよ」
 一定水準に達したフラメンコたちが一人残らず口を揃えて云う定番を、
 帰納法と演繹法の両輪を転がし、多くの具体例からの俯瞰によって実証しようと思った。
 つまり実人生、周囲を注意深く観察すれば発見可能な好ましい真理を、
 フラメンコの技法と生き方を通して私自身確認したかった。
 そういう実生活の知恵は必ず「人類の叡智」につながるという、
 私らしい誇大妄想が気に入ったのだ。
 そんなわけで二年前、そういう「書記」を私は志願した。
 創刊26年目にして、ようやく私の順番が回って来たわけだ。

 そして50代半ばのいまは、
 フラメンコとは、
 思う存分生きる瞬間を愛するがための、
 意外と地道で質実剛健な人生ではないかと、
 おぼろ気ながらアタリをつけている。
 若干手遅れながら、ぎりぎりセーフって気もする。

                                    6704226_1237361673_103large.jpg


しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月②

2011年08月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年8月6日(土)/その774◇人間バンジー

 人間万事塞翁が馬。

 朝の日記に向かい、三秒でテーマを決め、
 幸先よく「人間バンジー」と打ちまつがえた。
 飛んでる場合かっ!と鋭く突っ込む瞬間、
 何を書きたいのかをスコンと忘れたので、
 別の論旨で書くことにする。


 女にフラれたから別の女が出来た。
 何にも出来ないから何でもチャレンジできた。
 どこも雇ってくれないから社長になれた。
 倒産しそうになったから営業が得意になった。
 ドタキャンされたから自分の連載を持てた。
 グサリ傷ついたから人の痛みもわかった。
 基本暗いからおおむね明るい人になった。

 ・・・・・・・・・・

 まあ、書き出しゃキリないが、
 一見不運に思えるキッカケというのは、
 実は意外と友好的だったりもする。

 一つ、物語というのは常に夢の途中であること。
 二つ、筋書きは作者(その人生の主人公)が勝手放題に変更できること。
 三つ、長期で見れば人の運はおおむね平等であること。

 物覚えは悪い方だが、この三つだけは自然と覚えた。


 0908010.jpg
 
 ───────────────────────────────
 2011年8月7日(日)/その775◇藤沢周遊

 土曜早朝に取り掛かった田代淳(協会事務局長~12月号掲載)の
 インタビュー編集が片づいたので、
 どりゃあ~!!!出掛けるぞおっと正午ジャスト、
 読み掛けの藤沢周平(彫師伊之助捕物覚え/消えた女)を片手に家を飛び出す。

 渋谷のタワーで仕入れたバッハの新譜CDが三枚あったし、
 シモキタ経由で吉祥寺に出て、水源の井の頭公園から
 神田川の遊歩道を下る音楽鑑賞には最適のコースをとっさに思い浮かべ、
 代々木上原から小田急に乗り込む。
 おとなり下北沢で井の頭線に乗り換えるべきところを、 ふと気まぐれが走った。

 「そうだ、藤沢に行こう!

 京都じゃねーのか?とすかさず自分に突っ込むが、
 私という人は実に金のかからぬお手軽人間なのであった。
 運よく特急だったので、そのまま1時間足らずで、
 京都・・・じゃなくて、終点の藤沢に到着する。

 しゃちょ日記/安藤広重の藤沢.jpg
                                   「安藤広重の東海道五十三次より藤沢」

 さっそくに良さ気なカフェを見つけ、愛す珈琲で一服してから、
 東海道五十次の歴史的格調を残す、懐かしい街並みをぶらつく。
 この街に通ったのは、もう三十年以上も昔のことだから、
 よく二人してハシゴした居酒屋やショットバーらしき場所も判明せず、
 それでも1時間半ばかりノンビリ散策した。

 ヴィジョン通りに事が運んでいれば、 藤沢の街を呑み歩いた当時の相方は、
 今頃おフランスの片田舎で、絵筆片手に可愛い孫たちに囲まれながら、
 元気に陽気に暮らしているはずだ。

 ひとつ歳下のサナエは、私がギターを弾く場末のパブに
 画学生仲間たちとたまたま立ち寄った客のひとりだ。
 ホロ酔いの彼女が気まぐれにスケッチブックに描いたギターを弾く私は、
 思わず耳をふさぎたくなるような私のギターの特徴を鋭く捉えており、
 実際そのデッサン力はなかなかのものだった。

 そういうきっかけで彼女の暮らす藤沢に通うことになる私だが、
 ヘボな男如きに振り回されるタマではない冒険心旺盛なサナエは、
 一年も経たぬ内に単身フランスに渡った。
 その後の彼女はかなりの頻度で自筆の絵ハガキを寄越したが、
 二十代半ばで私が文京区の本郷に会社を立ち上げる頃にはまったく音信は途絶えた。
 つまり、着々と彼女はヴィジョンを達成しつつある。

 その数年後に隣家からのもらい火で私の実家は全焼したから、
 捨てもせず実家の机にしまってあったギターを弾く私のスケッチも、
 フランスの片田舎を明るくシックな色彩で描いた沢山の絵葉書もすべて焼失した。

 当時はアグネス・ラムそっくりに思えたクォーターの彼女も、
 なかなかの凄腕に思えた彼女の作品の数々も、
 実は私の勝手な思い込みによるファンタジーなのかもしれない。

 遠い昔の記憶というのは自分にとって都合のよいことが多いし、
 証拠品が残ってなければ、それらは尚さら美化されやすいものだ。
 歴史の改ざんは社会悪だが、それが個人の想い出の範疇であるなら、
 まあ、せいぜい好き勝手に妄想しとけやと、俺は私に笑う。

 藤沢周平『消えた女』。
 電車を待つ代々木上原のホームで、すでに十回は完読しているその文庫の続きを読んだ連想が、
 その日の行動と追憶を呼び込んだことが明らかであることにさらに苦笑。

 私事でも仕事でも、私の場合はそんなケースが多い。
 妄想がひょうたんからコマを産み出すケースもやたら多い。
 不可解だが何故か気になるカンテフラメンコのレトラ(詩)の真意が、
 あるとき唐突に心に突き刺さることもある。

 おそらくこういう迷走は人間だけに可能なポテンシャルであると、
 もっともらしく肯定してみる日曜の朝。

 
 ───────────────────────────────
 2011年8月8日(月)/その776◇人の迷惑

 早めにキリがついたので、久々にパセオから歩いて帰宅。

 最短距離なら6キロの道を1時間強で歩くが、
 経由することになる新宿の雑踏はパスしたいこともあって、
 9キロ・100分の遠回りコースを歩く。
 お気に入りの神田川の遊歩道はなかなかに快適なのだ。
 
 どういうわけか、その日は昭和の気分だったので、
 Ipodに仕込んだ懐かしの昭和歌謡にどっぷり浸る。
 春日八郎、三橋美智也、鶴田浩二あたりから、
 小林旭、舟木一夫、西郷輝彦あたりを経由して、
 森進一、ピンキーとキラーズ、いしだあゆみ、小柳ルミ子、
 てな具合に延々と続く。

 なぜかグッと来たのはヒデとロザンナで、
 思わずヒデのパートを熱唱してしまった。
 ロザンナと一緒に歩きたいと思うのはこんな時である。

 人通りの少ない静かな遊歩道を、
 3度でハモりながら歌い歩くのはさぞや楽しかろうと思う。
 だが、楽しいのは私だけで、たまに行き交う人々やロザンナさんは、
 ちっとも楽しくないと思われる。


 おら.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月9日(火)/その777◇ドージョーにアタイする

 もろもろの苦労や苦悩によって、
 ちょっとお疲れ気味の親しいお仲間がいるなら、
 何にも云わず、ただ一緒に
 電車や車や自転車に乗ってあげるといい。

 永い人生お互いさま、
 そうしてあげる価値は充分にある。


 それが無理なら、いっしょに柔道や剣道をするのもアリだが、
 その場合は「道場に値する」のかとアタイは思った。


  おら.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年8月10日(水)/その778◇先祖の祟り

 桃太郎や浦島太郎。

 そのおもろい物語に気を取られて、うっかり見過ごす盲点。

 なんと桃太郎も浦島太郎も、
 動物たちと普通に会話を交す超能力の持ち主だったである。
 
 彼らを取材しドキュメントをまとめた書記は、ついその肝心要をウッカリした。
 そのドジで間抜けな取材者こそ、私のご先祖さまかもしれない。


 984222_3473176132s.jpg
 ───────────────────────────────
 2011年8月11日(木)/その779◇モライート

 フラメンコギターの巨星、モライート・チーコの他界を
 日刊パセオの志風恭子ブログで知った。

 20年ほど前のフラメンコ協会フェスティバル。
 特別ゲストとしての来日を要請し、もの凄いフラメンコを展開してもらった。
 魔物が降りたカンテのエル・トルタとのシギリージャは特に印象深い。

 昨秋の石井智子リサイタルにディエゴ・カラスコとともに来日したモライート。
 リハの合間に気さくに取材に応じてくれたマエストロは明るく元気いっぱいだった。
 ライブ本番では模倣不可能なフラメンコの至芸を惜しみなく爆裂させた。

 1956年、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身。
 私よりひとつ年下であることがショックに拍車を掛けるが、
 追悼記事をどう組むべきか?、
 今はそのことに集中すべきだろう。


 ───────────────────────────────
 2011年8月12日(金)/その780◇唄って踊るツワモノたち

 エスペランサ特別ライブ
 [2011年8月11日/東京・高円寺・エスペランサ]
 【バイレ/カンテ】三枝雄輔、吉田久美子、荻野リサ
 【ギター】逸見豪、西井つよし


 三位一体? 何のこっちゃい。
 1970年代の二十代半ば、毎週のようにフラメンコのライブに通い始めた頃、
 踊りにカンテ伴唱がつくことは実に稀だった。
 たまさかカンテが付くと、何もわかっちゃいないギター好きの私は、
 「唄がうるさい!」と、今思えば実に不謹慎な感想をもらしたものだ。

 本場スペイン同様、当たり前にカンテ伴唱がセットになったのは、
 ここ20年ほどの話だ。
 そして今晩、唄って踊る人気若手舞踊手三名は、
 すべて新人公演バイレ部門・奨励賞受賞者。
 スペイン人もびっくり、バイレとカンテの両部門で奨励賞を受賞した
 今枝の友加ちゃんのモーレツ展開は、真摯にして好奇心旺盛な日本人における、
 もはやひとつの定跡となりつつある。

 三度目を迎える、エスペランサ・オーナー田代淳の賛同を得るこの試み、
 その第一部はフラメンコ音楽の部。
 メリスマの利いた西井つよしのギター・ソロに始まり、
 三枝雄輔、吉田久美子、荻野リサのカンテソロが続く。

 多かれ少なかれ、その音程には苦しいところがあるのだが、
 さすがに皆バイレフラメンコのトップランナーだけに、
 歌声の切り出し方にスパッと躊躇のない潔さがある。
 エコーマイクで唄うカラオケとは対極に位置する生声・生ギターによる熱唱には、
 フラメンコに対する真摯な尊敬と愛情が否応なくにじみ出る。

 そして休憩を挟んだ第二部は、しなやかな反射神経で
 シャープにして柔らかな音楽を展開する逸見豪のギターソロで幕開け。
 彼はじっくりソロを聴いてみたい、玄人好みのスーパーテクの逸材だ。

 本職に戻った荻野リサのソレア。
 つかんでも放しても、ほとんどパーフェクトに思える
 クラシカルな華を帯びた王道的格調の威風堂々。
 動と静をバランス采配する構成センスには、
 カンテフラメンコの神の祝福が宿るようでもある。
 可愛らしかった少女は自立する魅力的な女性に成熟し、
 その凛とするアルテに磨きをかけ続けている。

 続く吉田久美子のシギリージャ。
 数年前の夏の新人公演でポーンと飛び出したヘビー級のハードパンチャー。
 バサリ空間を切り裂く巨大なパワーにはヨシクミ独自の刻印があって、
 それは腹の底までズッシリ響く。
 終始高いテンションの力演はテアトロではその魅力を増幅させるが、
 タブラオの場合、フワッと抜ける瞬間があれば、そのコントラストによって
 さらに全体は鮮やかに膨らむのじゃないかって、私は感じた。

 ラストは、前の二曲を見事に伴唱した三枝雄輔のブレリア。
 パワフルな覇気のみなぎるダイナミックバイレには
 人々の未来を解く鍵があって、観るたびに癒される。
 ユースケはいつでもカンテを聴いている。
 そこから霊感をゲットするまでジッと待ち続ける。
 リサのカンテがその役割を果たそうとするプロセスにあって、
 彼の背中にモリモリ充電される生命エネルギーが目に視えたような気がした。

 さて、荻野リサはカンテを唄う動機について、
 しゃちょ対談(8月号~サラブレッドの心)でこう語る。

 「自分が踊りたいそのヌメロに少しずつ近寄れる感じ。
  踊りだけでやってると、独りぼっち、独りよがりなんです。
  自分のものにならないヌメロって、自分との距離が遠いんです。
  わたしは相手のことを大好きなんだけど、
  相手からはまったく好かれてない感じ」

 身体の故障などからバイレがしんどくなりフラメンコから離れる人は多いが、
 そういう現象の多くは「フラメンコ」ではなく
 「踊ることそれ自体」が彼らの動機であったことを明示している。
 それが悪いという訳ではもちろん無いが、
 「足腰を痛めたから好きなフラメンコをあきらめた」
 と云ってしまうのは、ちょっと違う気がする。

 一時的に物理的にフラメンコを踊ることが難しいなら、
 カンテ、パルマ、ギターなど、遠くて近い回り道はすぐ眼前にある。
 カンテのCDを聴くだけで、あるいは人生シャキッとやるだけでも、
 バイレというのは深化する。
 そこがフラメンコの"ミソ"なのだ!
 ついでに云うなら、我らがパセオフラメンコも同様な役割を果たす。
 これを手前ミソと云う。
 


しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月③

2011年08月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年8月13日(土)/その781◇絢爛豪華

 小松原庸子スペイン舞踊団/真夏の夜のフラメンコ(第41回)

 [2011年7月30~31日/東京・日比谷野外大音楽堂]
 【バイレ】クリスティーナ・オヨス、マノロ・マリン、アントニオ・カナーレス、
  クリージョ・デ・ボルムホス、へスス・オルテガ、アンドイッツ・ルイバル、
  アントニオ・プエンディア、奥濱春彦、黒田紘登、秋山泰廣、
  南風野香、北島歩、井上圭子、谷淑江、丹羽暁子、田尻希絵、田村陽子、
  北山由佳、渡邉美穂、玉沖朋子、団野美歌、増野恵美子、松尾美香、
  松浦広美、澤田麻衣子、正路あすか、他
 【カンテ】マティナス・ロペス、ミゲル・デ・バダホス
 【ギター】アントニオ・ゴンサレス、高橋紀博


 東日本大震災復興支援チャリティフェスティバル。
 日本フラメンコ界の大御所、小松原庸子が動いた。
 興行関連の全般不況で日本に居ながらにして
 本場フラメンコのビッグスターを観る機会は減ったが、
 オヨス、マリン、カナーレスと、
 彼女が動けば信じられないようなラインナップが実現するのだ。

 私が観たのは土曜初日で、野外の音楽堂に
 いつ豪雨が降り注いでもおかしくはない天候だったが、
 さすがにこういう顔ぶれでは天の方でも遠慮があったものと思われる。

 それを観る両眼にたっぷりの栄養を注ぎ込む色彩豊かな衣裳で客席を沸かせる
 小松原庸子スペイン舞踊団のクラシコとフラメンコのヌメロの数々は、
 まさに絢爛豪華そのもの。
 邦人を代表して北島歩(タラント)、そして南風野香(スエーニョ)は
 度胸たっぷりに堂々たるソロを舞い、
 黒田紘登、秋山泰廣、奥濱春彦の邦人男性陣は凛々しい男振りを発散し、
 中でも奥濱のストイックな佇まいは終始舞台をキリリ引き締めた。

 アントニオ・カナーレスのシギリージャ。
 この二十数年、ライブのカナーレスを観るたびに
 その背後に大ファルーコのイメージを重ね合わせたものだが、
 今回の印象はちょっと違った。
 カナーレスは、まさしくカナーレスになっていた。
 良い意味でもそうでない意味でも、彼は彼だった。
 それにしても、まるで左甚五郎の龍の如くに、
 あのドでかい野外の最深部までドッカ~ンとダイレクトに届くアルテというのは、
 ジャンルや国境を軽々超える場外ホームラン的味わい。

 ベテラン大バイラオール、マノロ・マリンは
 期待通りの格調高きアレグリアス。
 古典美のエッセンスが盛り込まれたシンプルなアレグリは、
 やはり正統路線の永遠性を感じさせるし、
 新しい試みというのは常にこうした伝統美とのガチンコ対話によって
 切磋琢磨されるべきものだろう。

 真夏ではお馴染みのクリージョ・デ・ボルムホスも登場し、
 その独特の甘くて渋い粋が歳月とともに着実に深化している様には
 感慨深いものがある。

 もう観ることは叶わぬとあきらめていた、
 クリスティーナ・オヨスの登場に会場はしんと静まり返り、
 マエストラの動きを一瞬たりと見逃すまいと痛いくらいの期待と緊張が走る。
 『ブラセオ・ポル・ハポン』と題された演目。
 ブラソとマノで縦横無尽に舞い上げる至芸には、
 人目にさらすのが勿体ないような高価でキメ細かな宝石の密度と気品がある。
 全盛期の彼女とはまた異なる、一点集中の深々としたアルテを堪能。
 柔らかい切れ味の美的ブエルタを見る限り、
 まだまだ充分やれるのにというのが正直な感想。
 腐っても鯛どころではなく、クリスティーナ・オヨスは
 余裕しゃくしゃくで大海を遊泳するエレガントな白鯨だった。

                  
 月とスッポン.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月14日(日)/その782◇リフレイン

 やることがシンプルになって、
 難しいことをやらなくなった。
 年を食ったのが最大の理由だとは思う。
 まあ、でも多少は震災の影響もあるだろう。

 その代わり、単純なことをきちんとやるようになった。
 機械や電力などにはなるべく頼らない。
 本を読んだり、散歩をしたり、人としゃべったり。
 何だかどんどん素朴な方向に向かってるようだ。
 挙句の果てに、昨日からへぼギターまで弾き始めた。

 愛のロマンスやらアルハンブラやらアメリア姫の誓いなど、
 昔よく弾いたクラシックギターのやさしい名曲なんかを弾く。
 『アメリア姫の誓い』とは、昔懐かしシャボン玉ホリデーの
 「おとっつぁん、お粥ができたよ」の哀しいバック音楽である。

 何年かぶりかで弦を張り替えて、いきなり弾き出したところ、
 そばでゴロゴロしていたジェーが、寝床のある部屋に移動する。
 久しぶりのギターなので、すぐに指が痛くなる。
 で、ギターを置いて、忘れたところを楽譜で確認する。
 するとジェーがやってくる。
 私は改めてギターを弾く。
 するとジェーが去ってゆく。

 指が痛いのでギターを休んで楽譜を読む。
 するとジェーがやってくる。
 私は改めてギターを弾く。
 するとジェーが去ってゆく。

 指が痛いのでギターを休んで楽譜を読む。
 するとジェーがやってくる。
 私は改めてギターを弾く。
 するとジェーが去ってゆく。

 

 (※)以下同様に13回繰り返し。

 090815わん2.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月15日(月)/その783◇夕焼け雲

 銀座なのかロンドンなのか、
 どこか垢抜けた街を歩いている。
 身体が軽いので、おそらく私は若者なのだろう。

 街はずれまで来ると、そこはまるで田園調布のような住宅街。
 やがて、ある豪奢な一館の前で私は立ち止まる。
 公園の入口のような正門のすぐ内側に、電車が一両静かに佇んでいる。
 都電によく似ているが、どこか欧州風の古典美を発光している。

 「あんた、運転できるのかい?」
 しばし電車に見惚れていると、いつの間にか現れた
 執事のような格好をした初老の男性に声を掛けられる。

 「もしかしたら、出来るかもしれない」
 都電の運転手の動作なら一応知っている私がアバウトにそう答えると、
 なんなら乗ってみるかいと、茶目っ気たっぷりの笑顔で重たそうな門を開ける。

 嬉々として私は電車に乗り込み、運転席に陣取る。
 アクセルやブレーキらしきものを確認しながら
 あれこれやってる内に、電車はゆっくりと動き出す。
 広大な庭園には、よく手入れされた植木がびっしり繁っており、
 その区画の間の細い石畳の道に、電車の単線が敷かれている。
 だが線路の往く先は、まるで見えない。

 運転のコツがつかめたので、周囲の美しい風景に集中する。
 艶やかな緑の木々と、咲き誇るように鮮やかな色彩の薔薇たち。
 ゆっくりだが快適なスピードで、過ぎ往く美景を愛しむ。
 都電のJR大塚駅前のような、直角に近いカーブを最小の速度で曲がると、
 そこからは一転して、まるで昭和三十年代の東京下町のような視界が広がる。

 線路前方右の小さな家の窓から身を乗り出し、大きく手を振る人間がいる。
 中学時代の親友ヨシタカだった。
 近いうちに呑もうやと、幾日か前にケータイをもらったことを思い出す。
 私は電車を止め、ヨシタカを乗せて再び発進させる。
 いつの間にやら懐かしい級友のタケオやセーイチまで乗っている。

 モトクロスのライダーだったヨシタカが運転させろと豪快に笑う。
 やれやれ、暴走特急まちがえなしだ。
 運転を代わり、私は後部デッキに出て一服つける。
 ちょうどいいや、三ノ輪あたりで皆して呑むか。

 ふと空を見やれば、親しげな夕焼け雲が両の眼にしみ込んでくる。


 犬棒.jpg

 
 ───────────────────────────────
 2011年8月16日(火)/その784◇シレンシオ

 今週金曜からは、夏の新人公演。
 小倉も私も三日間すべて観る。

 今回は新人公演20周年にあたるので、それに敬意を表し、
 パセオ12月号で計34ページの新人公演大特集を組む。
 また、出演者は全員、カラーページに写真を掲載する予定だから、
 ひとり撮影を担当する大森有起は、この週末、試練の時を迎える。

 また、前回ライターとして記事を担当した編集部・小倉泉弥も、
 今回は出演者全員についてコメントを寄せるということだから、
 こちらもまた試練の時を迎える。

 この暑さだから、試練多き二人への差し入れは、
 何か多量に塩分を含むものがいいだろう。
 帰りにスーパーにでも寄って買い置きしておこうと、
 忘れないようにノートにメモったところだ。

 

           「試練塩」

 

 おら.jpg


しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月④

2011年08月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年8月17日(水)/その785◇大風呂敷

 トホホな性格が祟ってどこにも就職できなかった私は20代半ば、
 ひとり文京区の本郷で音楽プロモートの仕事に大汗かいていた。

 あれからおよそ30年経つが、その頃の記憶はまるで昨日のことのように鮮明だ。
 変わったのは今朝何を食ったっけ? あるいは、おれ朝メシ食ったっけ?
 と自問自答することくらいのもので、
 精神年齢を含めほとんど私は25歳だったあの頃と変わっちゃいないし、
 あの頃に戻ったとしても、違和感なしに当時の現実に溶け込んでゆくに違いない。
 30年という歳月は、実に身近な距離感にある。

 さて、終戦記念日あたりの煮込みのような夏の日、映画『硫黄島からの手紙』を観た。
 監督クリント・イーストウッド(スピルバーグ制作)の視点は驚くほどに冷静であり、
 また、ハリウッド的違和感をほとんど感じさせぬほどに
 インターナショナルな作品だった。
 目を覆うほどに内容は悲惨だったが、制作者の視点そのものに大きな救いがあった。
 誰にも心の暗闇はあるが、心のトータルとして戦争を望む者はほとんどいない。

 昭和30年生まれで56歳となる私は、
 仮に30年早く(昭和元年)に生まれていたなら、
 終戦の年には20歳ということになる。
 こうした場合の私は、国家に徴兵され終戦以前に戦死していた可能性が極めて高い。
 牡羊座O型なので、硫黄島の玉砕にはデジャ・ビュすら感じるくらいだ。

 30年なんてアッという間だ。
 40代以上の人なら皆そう思うだろう。
 自分の記憶に照合すれば明らかとなる、アッという間の30年。
 その僅か30年早くに生まれていたら私は戦死していた。
 やはり自問自答好きな先輩後輩同期と呑むと、
 そうした「もしも」は鬼のようなリアリティを帯びる。

 映画に登場する様々なタイプの兵士それぞれに感情移入しながら、
 日米を問わず、愛する国の未来のために戦死した彼らの真情に想いを馳せれば、
 過度に平和ボケしている現代日本というのが実に痛く切なく思えてくる。
 やはり、どこかで間違えた。
 だが、済んだ間違えをクヨクヨしても仕方ない。
 ならば、さっさと軌道修正しようとするのはごく自然な発想だろう。

 国内情勢も国際情勢も緊迫度を増している。
 そして、良きにつけ悪しきにつけ暴発自在のネット社会。
 ほんの少しだけ人間は進歩したと思いたいが、
 戦争兵器はその数億倍ほど確実に進歩している。
 そんな中、今度また世界大戦をやれば人類が滅ぶという共通認識だけが救いだ。
 そういう認識をいかに徹底し、これを日常的にいかに実践するか?
 平和を愛する人々それぞれの仕事や私事に対する、
 そういう民間個人個人の意志と行動の総量こそが、
 辛うじて平和のバランスを保っている。

 戦争を引き起こすことにかけては、
 輝かしいキャリアに充ち満ちた政治やマスコミや宗教には、
 すでに多くを頼れないことは明白となっている。
 しかし一方、そういう権力の多くが実は民意の反映であることは、
 もっともっと強く認識される必要はある。

 軍部は国家を守るために勢い攻めに転じ、
 煽られることを求める民衆をマスコミは煽り、ヒトラーは選挙で選ばれ、
 怪しげな宗教は民衆の不安によってすくすくと育ち、
 ご近所の井戸端会議における不平と愚痴の集積は人々を戦場に駆り立てる。

 政治やマスコミや宗教は民衆をほぼ正確に映す鏡だ。
 愚かな大衆に愚かな権力を嗤う資格はないことを、
 やはり愚かな私は自問自答する必要がある。
 われら日本人に限らず、早くに生まれ大戦に旅立った兵士たちの多くは
 それぞれの同胞家族のために戦死し、運よく30年遅れて生まれた私は
 きっと誰かが何とかしてくれるだろうという有らぬ幻想に溺れつつ、
 平和ボケの一員としてこの世を生きている。

 30年という僅かな時間差がもたらす、
 そういう理不尽な不平等感が自問自答を迫る。
 では、その不平等を埋める方法論は何か?

 例えば、日本男子の草食化は戦争を回避するための進化だという説がある。
 それが本当なら乗っかりたい誘惑にも駆られるが、
 思い出すのは手塚治虫による、コンピューター(マザー)を神と見做し、
 人類はそれにひたすら盲目的に服従する不気味に平和な未来社会のお話。
 平和には惹かれるが、そうした社会における
 「人の生き甲斐」を想像することが私には難しい。

 例えば、1700年代に諸国の音楽を混合統一昇華し、
 人類共生の英知を開示したバッハ。
 こちらの方は、複数のキャラ(メロディやリズム)がそれぞれに主張し合いながら
 互いに他と補い合う生々しいスリリングな関係に、深いリアリティの共感がある。

 例えば、人間本能に正直な流浪と混血の英知から、
 「伝統と革新」の両立性を現在進行形で実現するフラメンコ。
 奔放悠大なバッハよりさらに闊達自在であるからして、
 その分だけリスクも大きく、時に社会性を逸脱することも多いが、
 好ましい文化を発見するたびに積極的に採用するフレキシビルティに、
 人類共生の大きなヒントを見い出すことが可能だろう。
 闘いながら闘い方を学び続けるフラメンコが、
 先ごろ無形世界遺産としての評価を確立した真の必然性はそこにある。

 バッハやフラメンコに多くの人々が強烈に惹かれる理由はそこにあり、
 きびしい人生、時にはそこへ逃避したくなることも多々あるわけだが、
 先の「不平等を埋める方法論」を突き進めようとするなら、
 そうした逞しい生命力を基点としながら、明るい日常を生きる必要がある。
 好ましい社会に少しずつにじり寄るために、
 極めて有力なアートという名の戦略。

 フラメンコには大きな役割がきっとある。
 その広報担当係を生涯の職業として志願した私には、
 フラメンコの好ましい源点に拠って立つ必要がある。
 フラメンコ専門誌を発行する意味をそれによって明らかにする必要がある。
 こういう大風呂敷でトホホな私をスッポリくるんでしまう必要がきっとある。


 IMG_0002.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年8月18日(木)/その786◇切に願う

 明日から金土日と、三日連続で新人公演を観る。

 12月号・新人公演特集のトータル・ディレクターは編集部・小倉なので、
 私は公演忘備録用(11月号)にちょろっと書くだけでいい。
 ま、しかし、今回は20周年なので、
 奨励賞選考会と打ち上げには、久々に顔を出させてもらうつもりだ。


 「この人に一生、フラメンコの世界で活躍して欲しいな

 今回のテーマとして、率直にそう思えた人について書きたいと思う。

 さらにもうひとつ。
 "しゃちょ対談"にひとつ枠(来年3月号/本文全7ページ)を設けたので、
 そう思えた人ベストワンの新人さんに登場してもらおうと思ってる。

 尚、この突発企画はここで初めて公表するわけだが、
 これによって出演陣の士気がイッキに盛り下がらないことを切に願うものである。


 フラメンコ.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月19日(金)/その787◇義援バックナンバー

 今日から新人公演。

 パセオフラメンコのバックナンバー、各種とり混ぜて合計400冊。
 それらを会場ロビーで1冊100円にて販売する。
 その売上は全額、フラメンコ協会を通して東北義援金となる。

 農家の野菜販売のように無人店として営業。
 募金箱に100円入れると1冊、
 500円玉で5冊購入できる仕組みだ。

 1億円入れると100万冊購入できるわけだが、
 あいにくパセオの部数が足りないので、
 その場合はもれなくわたす(←新品)がついてくる。


 犬棒.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年8月20日(土)/その788◇新人公演メモ(初日)

 昨日から、いよいよ新人公演!
 パセオ11月号に忘備録も書くが、
 来年3月号「しゃちょ対談」のゲストをスカウトする目的もある。

 その金曜初日。
 12月号の新人公演特集を担当する編集部・小倉と、
 11月号に忘備録を書く井口が、両隣りでしきりにメモをとっている。

 一夜明けて、私の印象に強いバイレ・ソロは村井宝さん、
 そして、津田可奈さん、小島智子さん。
 群舞では、Coral flamencoとスタジオ・トルニージャ。

 伴奏陣では、ギターの山まさしさん、石井奏碧さん、
 カンテの有田圭輔さんなどにハッとする味わいを感じた。
 まあ、こうした感想には私の好みが濃厚に反映されていて、
 ロビーで言葉を交す人たちの感想はそれぞれに様々だ。


 協会を設立した20年前に比べると、
 全体のレベル・アップは著しくて隔世の感がある。
 新人公演の開催に駆けずり回ったあの頃の私も30代半ばで
 キアヌ・リーブスそっくりだったが、
 現在は火星人そっくりなわけで、こちらにも隔世の感がある。

 それにしても出演陣の舞台度胸の良さと志の高さには、
 ただただ、ただただ感嘆するばかりだ。
 緊張の極致とも云えるあの舞台で、最後まできっちり踊りきる姿は
 皆それぞれに美しい。

 
 犬棒.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年8月21日(日)/その789◇新人公演メモ(二日目)

 売上を丸ごと全額、東北義援金とする一冊100円の
 400冊のパセオ・バックナッバー。
 初日は農家の無人野菜売り状態で売ってたら、
 50冊ほどしかハケなかった。

 なので二日目は、開場と同時に叩き売りのおっさんに変身し、
 声を張り上げて売りまくったら、200冊くらい売れた。
 終演後のパセオブース、ふと気付くと私の脇で大声張り上げてる奴がいる。
 12月号の新人公演特集で出演者全員に対する感想を書くため、
 とてもじゃねえが、それどころではないはずの編集部・小倉だった。
 「おめえ、もう上がってええよ」と云うと奴はこう云った。

 「気分転換になるんで、僕も一緒にやらせてください」

 うれしく絶句したが、ま、これがフラメンコのノリというものだ。
 明日の終演後は小倉も私も奨励賞選考会~打ち上げコースなので、
 手ぶらで取材するために、残り150冊を完売する必要があるが、
 まあ、明日はこのキアヌ・リーブスに大舟で任せておけや。


 さて、線路沿いの中野の行きつけで
 奨励賞選考担当でヘロヘロの連れ合いと一杯やって、先ほど戻った。
 ひとっ風呂浴びる前に、二日目・土曜日のメモを写しておこう。

 ギターソロ部門は、今年は豊漁で奨励賞選考はうれしく難産しそうだが、
 私的には、大山勇実さんと廣川叔哉さんのお二人に特に感銘。
 同じくバイレソロ部門は、
 河野睦さん、伊部康子さん、秋山泰廣さん、山崎愛さんの四名。

 つーことで、明日は最終日。
 ジェー散歩、原稿書き、NHK将棋トーナメント観戦、風呂掃除を済ませたら、
 来週のことは考えず、この熱~い感動の祭典に没入しようと思う。


 犬棒.jpg


しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月⑤

2011年08月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年8月22日(月)/その790◇新人公演メモ(三日目)

 いよいよ最終日。
 フラメンコ・モードは最高潮である。
 
 カンテ部門。
 齊藤綾子さんがいいと思った。
 
 バイレ部門。
 この日はあの人もこの人もと、ハイレベルの人がたくさんで、
 グッと来たのは以下の六名。
 岡安真由美さん、小杉愛さん、遠藤美穂さん、
 戸塚真愛さん、後藤歩さん、末松三和さん。
 とりわけ、タイプはまるで異なる小杉愛さんと遠藤美穂さんのお二人は、
 私の中では全日を通しブッチ切りの印象だった。
 もうひとり意中を挙げるなら、二日目の河野睦さん。
 
 フラメンコ協会において、昨日の24時前後に決定された奨励賞受賞者は、
 すでに協会ホームページにある通り。
 「今年は小粒」というのが事前の下馬評だったが、それは何とも浅はかな推測で、
 やはりフラメンコというのは、不要な先入観をピシャリはねつけてくれるものだ。


 終演後のロビーで、編集部・小倉とともにパセオ・バックナンバーを完売し、
 協会~赤十字経由で東北義援に回す売上全額(約42,000円)を
 その場で事務局に委ねた。
 募金に協力くださった皆さん、ほんとにありがとう!

 終演後、ぐらとラーメン餃子でエネルギーを補給し、
 久々に奨励賞選考会を約三時間つぶさに拝見したが、
 現行システムの公平性と優秀性を改めて確認することが出来た。
 むろん私の希望する結果とは数割ズレるが、
 すべての選考委員同士においても、それはそれぞれに同様のことなのだ。

 その後は高円寺エスペランサの打ち上げに参加、
 連れ合いと帰宅してからも興奮さめやらず、久々に深酒した。
 先ほど関連ウェブにざっと目を通したのだが、
 公演忘備録用に三日間すべて取材したみゅしゃの俯瞰視点には、
 盲点から脱却させる新鮮な発見があった。
 やってくれるのう、日本フラメンコ界!


 ill01.jpg


 出演者個々に感応するあの見事な照明、
 伴奏者を選択できる自由など、
 この新人公演にはコンクール性は希薄であり、
 あくまで公演性を重視し、
 それが独自の人気、ステータスを築き上げてきた。

 若き日はコンクール・マニアだった私は、
 いろんなジャンルのコンクールに親しんできたが、
 その評価方法について云えば、
 この協会新人公演ほどに信頼できる公平性は皆無だった。

 フラメンコにおける40年の経験値と、
 若き日のプロモーターとしての経験から、
 私は自分の感想・評価にそれなりの責任を持てるつもりだが、
 自分の信頼出来る選考委員各々との意見ギャップに愕然とすることも多い。
 つまり、私のことも少しは信頼してくれている彼ら各々は
 私との意見ギャップに愕然としているはずだ。

 私自身心掛けていることは、
 何らかの縁のある特定の出演者に肩入れしないこと。
 ひとつの具体的な方法論としては、
 出演者の男性全員を親しい友として観ること、
 出演者の女性全員を恋人として観ること。
    
 それともうひとつ。
 私に縁のある出演者とそうでない出演者が同点で並ぶ場合は、
 私に縁のない出演者を選ぶこと。


 ill01.jpg

           
 さて、今回もやってみたのだが、
 下記のように大雑把な括りで、どの立場を採るかによって、
 賞の選出はまるで違ってくるところがおもろい。

(1)プーロ・フラメンコの観点
(2)現代フラメンコの観点
(3)音楽・舞踊の観点
(4)舞台芸術の観点
(5)エンタテイメントの観点
(6)1~5の優れたものをバランスよく選出する観点

 例えば(1)と(5)の両方からの評価を実際にやってみると、
 賞の人選はすべて変わる。
 (1)はその上(3)(4)とも相性が悪い。

 私はどこの肩も持ちたいタイプなので、
 クオリティ重視を前提に(6)の傾向にある。

 ところが、クラシック音楽の場合なんかだと音色偏重の嫌いがあるし、
 落語なんかだと味わい偏重の嫌いがあるし、
 スポーツや勝負事なんかだとアート偏重の嫌いがあって、
 まったくマニアの好みというのは実に手に負えんなと思う。

 ───────────────────────────────
 2011年8月23日(火)/その791◇石井奏碧さん

 石井奏碧(いしい・かなお)。
 最近はあちこちで演奏を観聴きする、
 注目◎の若手フラメンコギター奏者である。
 その名を記憶するに値する大物である。
 新人公演でも凄いギターで伴奏してた。

 その彼が、数日前にパセオにやってきた。
 来年スタートする小倉担当の大型連載の取材だと云う。
 取材前に割り込んで、ほんのちょっとだけ話した。

 再来年(2013年)にはCDを発表したいと云っていた。
 もちろん今の彼の実力なら、相当に期待出来る。
 私の書く記事でデビューCDを応援することをその場で約束した。

 29歳ですと、イケメンの奏碧くんは云った。
 なんと私がパセオを創刊した頃の年齢じゃないか。
 大変だなあ、負けずに頑張れよお!と励ましたい気分と、
 羨ましいなあ、代わってくんない?とお願いしたい気分が、
 ちょうど半々くらいだった。


 月とスッポン.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月24日(水)/その792◇哀愁マールのフラメンコ慕情

 ずっと以前から、この人の文章センスは、
 つまり、生きるセンスは尋常ではないと感じていた。

 哀愁マールのフラメンコ慕情

 つい最近、日刊パセオフラメンコに不定期連載エッセイをスタートした。
 何年か先の本誌パセオへのエッセイ連載をヴィジョンに、
 ある日唐突にマールに依頼し、遠慮がちにしかし潔く彼女はそれを受けた。
 フラメンコ同様、文章にはプロもアマもなく、
 人生に対する愛情のみが、書くべきもの読むべきものを照らし出す。

 みゅしゃを正統派の旗手とするなら、
 マールには異端派プーロの味わいがある。
 どちらも「アタシ、アタシ」を突き抜けたところに
 人間好みの光が視えてくるところに醍醐味がある。


 マール~1.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年8月25日(木)/その793◇水色の自由

 本格的に働き始めた16歳の夏。

 歳をごまかし手始めに、小石川植物園近くの共同印刷で、
 電話帳製本の仕事にありついた。
 時給は230円だったが、他から貰うのではなく、
 自ら稼いで自らの采配で好きに使う、
 まるでパコ・デ・ルシア弾くところのブレリアスのような、
 シビアで明るい響きの「自由」という解放感を、その時初めて実感した。
 セックスやりたい盛りの16にもなって、机の前で畏まってお勉強することには
 不自然不誠実な罪悪感を覚えるヘンタイ野郎には絶好の環境だったのだろう。
 学力は中学までで充分、学ぶべきはスポーツ、アート、労働、人間だとは今でも思う。

 勤勉さと愛敬。
 未来に向けた自主トレとを一石二鳥で兼ねる、
 ただそれだけの労働供給で、毎週のように時給は上がった。
 衣食住と学費ぐらいなら、ただそれだけで何とかなることも知った。
 会社幹部の呑み会に引き回されて、高級割烹やピンク・キャバレーの味も知った。
 人生チョロいもんだ、そう勘違い出来たのはまさしくその頃だ。

 かなりの肉体労働なので大汗をかく。
 40年も前の話だから、クーラーなんか当然ない。
 なので皆、手拭いや小さなタオルを首に回して、
 吹き出す汗を拭きふき、せっせと電話帳作りに集中する。
 私のお気に入りは、手拭い大の水色のタオルだった。
 仕事が終わると毎度2キロほどは痩せたから、
 タオルはいつもジョボジョボだった。

 「働く」ということ。
 パブロフ的に云うなら、それは私にとって、
 何かに熱中しながらタオルで汗をぬぐうことだった。
 それがバッハやフラメンコの高みに対し、引け目や焦りを感じないでいられる、
 私にとって唯一自由な時だったかもしれない。

 朝風呂を浴び、クーラーはつけず窓を開け、トランクス一丁で日記を打ち込む私は、
 当時から愛用した淡い水色のタオルで今もしたたる汗をぬぐっている。
 スーツにネクタイでレミーを啜る私をセクシーだよと勘違いする女性よりも、
 安手のタオルで大汗ぬぐう私に「似合ってるね!」と笑う女性の方が長続きした。

 一本ウン万円のネクタイはあいにく出番もなくタンスに眠っているが、
 今も五本ばかり常時稼動する1本300円の淡い水色タオルは、
 案外と、ずっと私の御守りだったのじゃないかって思えてくる。


 6704226_1237361673_103large.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月26日(金)/その794◇パセオ入社テスト解答集

【問題】次の格言の心を、あんたなりに解釈しなせえ。

 「ペンは剣よりも強し


【解答例】
 ペン(←たぶん外国人留学生)はどちらかと云えば、
 剣(←けん、たぶん同級生)よりも、
 強志(つよし)の肩を持ちたいらしい。


 おーまいがっど.jpg

 ───────────────────────────────
2011年8月27日(土)/その795◇さくさく堂、忘備録デビュー!

 ある日のこと、マイミクさんの日記を100本ばかり読んでいたら、
 さくさくっとした、いい文章にブチ当たった。

 さらに彼女の別ブログに飛んで見ると、フラメンコライブの感想がある。
 やはり、さくさくっとした好感度のフラメンコ忘備録である。
 次の瞬間、迷わず私は彼女(さくさく堂)にメッセを打った。

 「パセオに忘備録書いてみない?」

 良識と極上のセンスを感じさせる彼女なので、
 その反対路線を爆走するこの私からの提案は、
 当然却下されるものと感じていたが、
 意外にもさくさく堂は、私の提案に潔く同意してくれた。

 そのデビュー作が、新人公演(初日)の忘備録である。

 予想通り、手を加えるところは皆無だった。
 フラメンコに対する深い知識はないが、
 その素直で自然体の文章の行間からは、
 人間や人生に対する優れた洞察力がにじみ出ていた。

 すぐに日刊パセオフラメンコの公演忘備録に転載し、
 月刊パセオフラメンコ11月号への忘備録掲載も決めた。

 専門知識だけではフラメンコは書けない。
 だが人間や人生を真摯に愛する者なら、
 ほんの僅かな専門知識でフラメンコは書ける。
 さくさく堂の忘備録はそのことを証明していた。

 次回はこの秋の石井智子リサイタルを書くと云う。
 つまらなければもちろんボツだ。
 つまらなくても掲載するのは、私の忘備録に限定されているのだ。

 プロの書き手にも敬遠されるフラメンコ・レビュー。
 だが、フラメンコの真価と魅力を一般社会に浸透させてゆくには、
 この根気のいる地道な作業はどうしたって必要だ。
 見切り発車でひとり書き始めた私も、まだ二年弱のキャリアしかない。
 つーことで、おれらといっしょに、闘いながら闘い方を覚えていこーぜ!


 犬棒.jpg


しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月⑥

2011年08月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年8月28日(日)/その796◇新人公演~拡大するポテンシャル

 日本フラメンコ協 会第20回新人公演/フラメンコ・ルネサンス21
 [2011年8月19日~21日/東京・なかのZERO大ホール] 

 待ちに待った夏の新人公演。
 私の主要任務は四つ。
 ①パセオのバックナンバー配布による東北義援金集め、
 ②この忘備録、
 ③来年3月号「しゃちょ対談」にご登場いただく旬の新人発掘、
 ④新鮮なフラメンコ84組を思う存分楽しみながら、
  それら全ての凛々しい勇姿を両の眼にしかと焼き付けること。

 最終日終演後の会場ロビーで、12月号の新人公演大特集(34頁)を担当する
 編集部小倉とともに1冊100円×400冊のパセオ・バックナンバーを完売し、
 協会~赤十字経由で東北義援に回す売上全額をその場で協会事務局に委ねた。
 募金に協力くださった皆さん、本当にありがとう!

 さて、全体に豊作だったギター部門。
 鬼テク大山勇実の颯爽とする推進力に酔い、廣川叔哉にはじんわり来た。

 カンテ部門はみな強い心意気で唄ったが、
 半数以上の出演者の音程はまるで私のようでそこは気になったものの、
 許有廷と齊藤綾子は楽しめた。

 群舞部門。それぞれが鉄火な力強さを発揮しながらひとつに連携する、
 これぞフラメンコ群舞!みたいなCoral flamenco。
 そして、粋と洗練に充ち満ちたスタジオ・トルニージャ。

 バイレソロ部門。
 初日は村井宝、津田可奈、小島智子、
 二日目は河野睦、伊部康子、山崎愛、
 三日目は岡安真由美、小杉愛、遠藤美穂、戸塚真愛、後藤歩、末松美和。
 この12名のバイレが極めて好ましい記憶として残るが、
 とりわけタイプはまるで異なる小杉愛と遠藤美穂の二人は、
 私の中では全体を通し強烈に突出する印象だった。

 まあ、こうした感想には私の好みが濃厚に反映されていて、
 ロビーで言葉を交す人々の感想はそれぞれに様々だ。
 協会を設立した20年前に比べ全体のレベル・アップは著しくて、隔世の感がある。
 新人公演開催のために駆けずり回ったあの頃の私も30代半ばで
 キアヌ・リーブスそっくりだったが、現在は火星人そっくりなわけで、
 こちらにも隔世の感がある。
                     
 久々に奨励賞選考会をつぶさに拝見したが、
 現行システムの公平性と優秀性を改めて確認できた。
 出演者個々に感応しながら各々を引き立てるあの見事すぎる照明、
 伴奏者を選択できる自由など、
 この新人公演にはコンクール性は希薄であり、
 あくまで公演性を重視し、それが独自の人気、ステータスを
 築き上げてきた理由のひとつでもあるだろう。

 かつてコンクール・マニアだった私は
 様々なジャンルのコンクールに親しんできたが、
 それら選考状況について云えば、
 この新人公演ほどに信頼できる公平性は極めて稀だった。

 40年のアフィシオナード歴と、若き日のコンサート・プロモーターとしての
 経験値から、私は自分の感想にそれなりの責任を持てるつもりだが、
 自分の信頼する選考委員各々との意見ギャップに愕然とすることは多い。
 つまり彼らからすると、私との意見ギャップに大いに愕然としているはずだ。

 さて、今回もやってみたのだが、以下のような大雑把な括りだけでも、
 どの立場を採るかによって、選考結果はまるで違ってくるところが興味深い。

 (1)伝統フラメンコの観点
 (2)現代フラメンコの観点
 (3)音楽・舞踊の観点
 (4)舞台芸術の観点
 (5)エンタテインメントの観点

 例えば(1)と(5)の両方からの評価を実際にやってみると、
 当然ながら賞の人選はガラリと入れ替わる。
 その上(1)は(3)や(4)とも相性が悪いと来たもんだ。
 私はどこの肩も持ちたいタイプなので、(1)~(5)をタテ軸に、
 「技術」「センス」「心意気」などのヨコ軸を絡めて観る傾向にある。
 つまり、何だかんだ云っても自分の好みでしか観ていない。

 さて、来年3月号「しゃちょ対談」のゲストは、
 私の中で「一生フラメンコの世界で生きてほしい人ベストワン」の方であり、
 来週あたりにインタビューを申し込む段取り。
 この発掘企画は毎年恒例にしようと決めたのだが、
 それによって出演者のモチベーションが
 一気に下降しないことを切に祈るものである。

 それにしてもこの三日間の夢の祭典。
 出演陣の志の高さと舞台度胸の潔さ、
 そしてコツコツ貯めたであろう日頃の努力の結晶には、
 ただただ、ただただ感嘆するばかりだ。
 緊張の極致とも云えるあの衆目注視の舞台で、
 最後まできっちりフラメンコを決める凛々しい晴れ姿は、
 皆それぞれに胸を突き上げるものがある。


 さて、では、おしまいにまとまらない忘備録のまとめを。

 商業主義の対極にフラメンコの究極はある。
 これはおそらく間違いない。
 だが、フラメンコの究極を充たしながらも、
 商業主義の要求を充たすフラメンコもある。

 パコ・デ・ルシアがいなければこのパセオも生まれてないし、
 アントニオ・ガデスやマリア・パヘスがいなければ
 遠の昔にパセオは廃刊している。

 アルテと商業主義という両軸における葛藤というのは、
 決して敵対するものではなく、
 互いに互いを高め合うエネルギーそのものだ。
 そうしたアウフヘーベンの現在進行形そのものが、
 フラメンコの博物館入りを阻止し、
 その国際的隆盛を支えるマグマとなっているのだ。

 つまり、観客席や選考委員席の評価が各方面に多彩であればあるほど、
 フラメンコのポテンシャルは健全に拡大してゆく。

 ───────────────────────────────
 2011年8月29日(月)/その797◇シンスケさん

 島田紳助さんは、大好きなタレントだ。
 あの鋭いツッコミとスケール大きいボケの精度と霊感は
 見事というより他はない。

 傷つきやすい性格を逆手に取って、
 その心の傷に自ら塩コショウをすり込むようにしながら、
 自らを逞しく成長させてゆく心と技法。
 頼りない私に開き直った活力を与えてくれる、
 私にとって日本屈指のアーティストであり、
 その引退があまりにも残念でならない。

 だからと云って、彼を全面肯定するつもりは毛頭ないし、また毛髪もない。
 もっとも全面肯定できる人間なんてひとりもいない。
 人は誰でも善いことをしながら悪いことをする。

 だからと云って、あのヴィジョンなきマスコミ報道の俗悪レベルには、
 これがほんとに大人のやることかと思わず絶句する。
 国家の一大事のこの時期、やるべきことの優先順位もまるで間違えてる。
 通常マスコミは、われら民衆をまんま映す鏡であるわけだが、
 本当に現在のわれら民衆レベルは、現在のマスコミほど愚劣だろうか。
 民衆を煽りに煽って太平洋戦争に突入させた、
 あの頃のマスコミの悪行が否応無く思い出される。

 マスコミの現場も中枢も、目先の視聴率ではなく、
 人々の暮らしに的確で綺麗ごとではないヴィジョン・方法論を
 真摯に供給するスタンスを共有しない限りは早晩、
 新聞テレビなどは大淘汰の時代に向かうのではないか?

 さて、仮に残される問題があるとするなら、
 シンスケさんはいつものように堂々クリアした上で、
 やがて自らの心の望むままに展開してほしいと願う。
 隠居、芸能界復帰、新規事業、政界進出など選択肢は様々だと想像できるが、
 もっとも心に合致する進路を採ってほしいと願う。
 卑賤なマスコミが捏造する世論などからは無縁のところで、
 「島田紳助」を生き続けてほしいと、今度はこちら側から応援したい。


 ツバメ~1.JPG


 ───────────────────────────────
 2011年8月30日(火)/その798◇足りないから足せるはず

 生来私はシャイな天然ボケだが、
 商売柄ツッコミもバンバン飛ばす。

 対象が何であれ、
 思わず私の口から出てくる他へのツッコミが、
 私を含めた全体にとって、どうか有益でありますように。

 どんよりネガティブな内なる愚痴を粉砕しながら、
 前に進む瞬発力のクオリティを鍛えてくれるのがフラメンコだ。
 そこに気づけない発言は痛い、痛すぎる。
 そこに気づいているはずの私の発言も痛い、痛すぎる。

 うーん。
 潜在意識との会話が足りない。
 他を想う気持ちが足りない。
 審美眼が足りない。
 俯瞰力が足りない。
 表現力が足りない。
 つまり、ユーモアが足りない。
 お金も足りない。
 ついでに髪の毛も足りない。


 090815わん1.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年8月31日(水)/その799◇フアン・タレーガ

 五十代半ばともなると、
 大切にすべき何かと、そうでない何かとを、
 わりかし短時間で識別できるようになってくる。

 若い頃は、まだまだ先は長いという安心感から、
 優柔不断に構えられる余裕がたっぷりあるのだが
 人生の持ち時間が少なくなってくると、
 悠長に構えられる余裕がなくなってくるから、
 その分だけパッと決断できるという仕組みだ。

 余計なモノは買わなくなるし、
 後に残される者の迷惑を考え、不要なモノはバンバン捨てる。
 その代わり、親しい人とのふれあいには金も時間も惜しまなくなる。

 「ああ、楽しかったなあ」

 あの世に旅立つ寸前、ほんの一瞬でもいいから、
 そんな想いが脳裏を走れば良しとする。
 さすがに金や物は持って行けないからな。
 となれば、その優先順位のトップは、
 やはり「他とのふれあいの記憶」ということになるのだろう。
 いかに孤独を愛そうと、人間はやはり社会的な動物なのである。

 そういう記憶の蓄積を第一に考えるようになると、
 「何をつかもうか?」というテーマが極めて単純明快なので、
 それまでバラバラだった価値観も統一されて、
 仕事のやり方も、人との付き合い方も変わってくる。
 いわゆる世間体というものからは徐々に開放され、
 「いい汗かこう」ってことの深い意味合いも少しずつわかってくる。

 ガチャガチャした私にそうした変化が生じたのは、
 若い頃はまるで受け付けなかったカンテ・フラメンコの巨匠、
 フアン・タレーガに親しみを覚え始めた頃だったと思う。


 軒を出て犬.jpg