フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

美人の母 [その238]

2008年11月28日 | 超緩色系



 



                      
美人の母

 



        




 なき母は美人だった。

 本人談である。
 本人以外から聞こえてきたことは一度もない。

 幼い頃から、周囲に母似と云われて育った。
 記憶力だけは抜群だった小学生のころ、
 そんな母の前で憶えたばかりの詩を、
 意味もわからずによく口ずさんだ。



 

 僕の前に 道はない

 僕の後に 道は出来る
 
  …………


 

 母 「それ、なんてーの?」
 私 「高村光太郎の “ドーテー道程)” じゃん」
 母 「???……  ぷっ、ぎゃははは」

 


 本人がそー云うぐれえだから、母はきっと美人だったにちまいない。
 加えて、無教養の上にスケベだったにちまいない。
 母似と云われ続けたことのトータルな意味が、ごく最近理解できるようになってきた。(TT)

 

 

              

                  

                        

 


パユのバッハ [その237]

2008年11月21日 | アートな快感




 

             パユのバッハ  
 
 


 
 冴えわたるロ短調ソナタ。 
               
 やっ 、やるなソナタっ! 
 ってそーゆー話ではない。  



             
            『バッハ:フルートソナタ全集/エマニュエル・パユ』
                             
2008年/EMIクラシックス 

 
 
 かれこれ二十年近くも注目しているエマニュエル・パユ(1970年生まれ/スイス)が、とうとう待ちに待ったバッハのフルート・ソナタ全集を録音した。 
 超絶技巧を駆使してスタイリッシュに歌いまくるパユのフルートは、不健全で鳴らす私の好みとは異なるものの、注目せざるを得ない本筋的な魅力があって、ライブは一度聴いただけだが発表するアルバムはすべて押さえてきた。 
 天下のベルリン・フィルの主席フルート奏者でありながら、人気ソリストとして世界中を駆け回るパユには、どこまでも成長を続けるような豊かに安定したポテンシャルがある。 
 
 
 冒頭のロ短調ソナタ(BWV1030)は、私の大好き音楽ベスト10に常にランクインする想い出深いナンバーだ。 
 学生時代に、フルートを吹く彼女と、チェンバロ・パートを自己流にアレンジした私のギターで、この名曲をデュオったことがある。  
 
  「なんかぜんぜんちがう曲みたい。
  
吹いてて恥ずかしいバッハなんてはじめて」 
 
 私のアレンジとギターに対するあまりに的確すぎる彼女のこの一撃は、密かにミュージシャンに憧れる私の夢をイッパツで粉砕した。  
 
 そのリベンジと云ってはなんだが、深夜へべれけで家路へと向かう途中、このロ短調にテキトーな歌詞を即興でつけて歌い歩きするのが、ここ数年のマイブームになっている。 
 こんな立派なことができるのは世界中で私ぐらいのものだが、もしも私がこんなのを聴かされた日にゃあバケツの水を頭からぶっかけてやりてーところだ。 
 
 
 ま、そーゆーアカデミックな話はさておき、パユのバッハは予想以上に素敵だった。 
 例によってかなり自由に美味しい音楽をやってるのだが、何をやっても重心が安定していて、どのフレーズをとってもその薫りとコクに格別な味わいがあるのだ。 
 かつてはランパル、ニコレ、グラーフ、ゴールウェイ、リンデ、ブリュッヘン、クイケンあたりの名人芸で馴染んだバッハだが、そのどれとも異なる確固たる個性がある。 
 その個性は、名を並べたフルートの国際的巨匠たち同様に、未来永劫人々の心を潤すであろう個性だ。 
 過去の音楽遺産をしっかり継承しながら、明るい未来をイメージさせるような、いま現在をしっかり生きている人だけに吹けるバッハだと思う。 
 
 
 
 「(共演相手との)時間の積み重ねによって生まれる、ある種の共感、人格の交わりのようなもの。それを僕はとても重視しています」 
 
 ライナー解説にこんなパユ語録が載ってた。 
 なるほど、そういう人なんだ。 
 パユの芸風の変遷に想いを馳せながら、そう思った。 
 ブレないパユの根底ヴィジョンは昔とちっとも変わってないけど、その表現は力と優しさと深みを増した。
 
 いろんな人と出会い、ある時は積極的に影響を受け、ある時は反面教師からも多くを学んできたであろうことが、このバッハ全集に聴き入っていると、それが鮮明なストーリー映像のように見えてきたりもする。 
 反面教師として評価されることの多い私としても、たいへん鼻が高いことである。(TT) 
 
 

 
            
   
 
 

 

               


まぐれ当たり [その236]

2008年11月18日 | 超緩色系

     




           まぐれ当たり
 




  「私が生まれて来た事自体、
         
        
宝くじが当たったようなものだ」  
 
 
 


 あるウェブ仲間のブログに在った一行に、しばし固まる。 
 そ 、そーなんだよね。 
 すでに大儲けしてたんだよね。 
 人生最初にして最大の既得権。 
 
 
 ついついそれを忘れちゃあ、大した冒険や努力もしねーで、 
 あぐらのまんまアレが欲しーの、
 
コレも欲しーのとボヤきまくる私たち。 
 あー恥ずかし、おー恥ずかし。
 
 たまにはそれを思い出すために 、
 と、とりあえず校庭三周。  
 
 

 

 

 

 

 

                      

 

 

 


バランスの華 [その235]

2008年11月15日 | 超緩色系






         バランスの華





                    


                           

 こー見えても経営者の端くれである。
 私の場合、そのルックスや人格や経営手腕はともかくも、その卓越したバランス感覚を絶賛されることが多い。

 例えば、

 江戸っ子なので気は短いが、そのぶん胴体は長い。
 たしかに髪の毛の本数は少ないが、そのぶん借金は多い。
 たしかにオデコは広いが、そのぶん心は狭い。
 たしかに見た目は悪いが、胃が丈夫なのでそのぶん消化は良い。
 たしかに人にはきびしいが、そのぶん自分にはやさしい。
 たしかに器量は小さいが、そのぶん態度は大きい。
 …………

 ま、これらは一例にすぎないが、物事の大小、多い少ない、広い狭い、良い悪いなどが絶妙に配分されていることが一目瞭然である。
 私の中では、このような美しいバランスがいつでも保たれているのだ。
 ルックスや人格や経営手腕などに大きな問題を抱えながらも、これまで生き残ってこれたのは、こうした優美なバランス感覚によるところが大きいものと思われる。

 きっと皆さま方の中にも、私ほどではないにせよ、こうした美しいバランス感覚のひとつやふたつは備えておられるものと推測できる。
 フラメンコの明るい未来のためにも、どーかそうした長所をご遠慮なく伸ばしていっておくんなせえ。(TT)

 




                  



 


マリア・パヘスも夢ぢゃない [その234]

2008年11月11日 | 超緩色系

 

 

 

    マリア・パヘスも夢ぢゃない    

 

 

               ⓒヨランダ★ 
 
 
 
 
         
 スペイン国王陛下夫妻の来日、そしてセルバンテス文化センター東京の公式オープンを記念して急遽来日した“美と知性のスーパーバイレ”マリア・パヘス。 
 そのサントリー小ホールにおける昨夜のライブをかぶりつき(マリアまで7メートル)で観てきた。
 
 私のイチ押しバイラオーラ、フラメンコの女神マリパヘ! 
 毎度ながら、あまりの感動に言葉が出ねーよ。 

     

  
 


 
 長い腕から繰り出される奇跡のブラソに圧倒されてしまう方々が大半なのだが、ここにエジソン的発明によって、マリア・パヘスの華麗にして深遠なるアルテに迫らんとする天才アホシオナーダがいた。 
 そう、パセオ新年号より"バル de ぱせお"で私の相方(←ツッコミ担当のボケ)を務める、あのヨランダ★画伯である。 
 
 つーことで、あの懐かしの名作『マリア・パヘスも夢ぢゃない(原題:宿題できません)』をトクとご鑑賞あれっ!  
 
 
 
 

          
             パセオ新年号よりスタート!“バル de ぱせお”

               (※新年号にはツバメンコ関連記事も掲載!)