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2013年1月1日(火)/その1170◇2013年の私
およそ一時間ほど前。
見知らぬ街で、ぷらっと入る食堂。
カウンターに腰掛け、とりあえずビールを頼む。
倍賞千恵子さんそっくりの綺麗なねーちゃんがビールと小鉢を運んでくる。
そして、にっこり笑ってこう云う。
「良いおとーしを!」
なるほど、大根おろしに旨そうなイクラが乗ってる。
これはまさしく〝良いおとーし〟である。
「良いお年を!」と周囲に連発していたここ数日の発声が
大晦日翌朝の夢に反映されたわけで、
次の瞬間、新年のお目覚めとなるわけだが、
正月の第一夢としては悪くない。
きっとこの2013年の私を象徴する夢なのだろう。
こうして、ロクでもないことを云って暮らす一年がスタートする。
新年あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
しゃちょ拝
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2013年1月2日(水)/その1171◇ソレアと後楽園と牛すじ大根
一週間後に迫るアントニオ・カナーレスとのライブ準備に忙しい連れ合いは、
これからスタジオに向かうと云うし、
正月ボケのジェーは、私の寝床で二度寝をしている。
早起きしてひとっ風呂浴び、
師走に他界した米長邦雄永世棋聖の棋譜を四局ほど並べる。
「矢倉は将棋の純文学だ」という師の名言が懐かしい。
格調高き〝矢倉〟という本格伝統戦術は、フラメンコで云うなら〝ソレア〟に匹敵する。
その攻守のバランスに全人格と全能力が露出する対戦相手との濃密な対話ないし葛藤は、
詰まるところ不安と希望に揺れ惑う自分自身との孤独な闘いでもある。
がっぷり四つで切り込む覚悟がないと、とてもじゃないが踏み込めない領域であり、
実力通りの結果が反映されてしまうこの矢倉戦が、私は大の苦手だった。
だがそれは、軽躁な勢いだけで生きて来た私が、そろそろ踏み込むべき領域でもある。
さて、私の正月休暇も今日でおしまいだから、何かメリハリをつけたいところだ。
となりゃやはり、馬鹿のひとつ覚えみたいな大江戸散歩に出掛ける見込みだが、
ベストの向島・百花園は惜しくも明日まで休園であり、
代わりに今日からやってる小石川後楽園の粛々たる冬の絶景が浮かんでくる。
想い出多き神楽坂や市ヶ谷御濠あたりを帰りにブラつくのも悪くないかも。
わが家のオセチとも云うべき「牛すじ大根」は
すでにバッチリ仕込んであるので、今宵の第二回新年会の準備も万端だ。
ではジェーよ、夕方までには戻るから、それまでよゐ子で留守番頼むぜよっ!
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2013年1月3日(木)/その1172◇チリも積もれば山となる
およそ12時間の大爆睡から、さっき目覚めた。
夜中に30分ほどメールの返事なんかを送ったりしたが、
正味12時間というのは、ここ数年の大記録かもしれない。
寝る子は育つと云うが、寝る爺も育つのだろーか?
今日はこれからパセオで仕事始め。
いくつか書きたい原稿があるので、
今日明日でそれらを片づけ、土日のどちらかは、
向島・百花園、さらに隅田川あたりで、
新春の澄みきった空気を存分に浴びてこようと決めている。
来月は、スペイン国立バレエの久々の来日公演。
5月には、有楽町の音楽祭へのカニサレス出演(計5プログラム)、
ファルキートら出演のイベリアのフェスィバル・フラメンコ、
マリア・パヘスの新作公演。
そして、秋には詳細未定ながら大物たちの来日公演。
来春にも、あの大物が来日するとの朗報がある。
この不況下、ありがたいこっちゃと想う。
ひとりでも多くの方々に公演会場に足を運んでもらうこと、
そして次回来日につなげる記事をたくさん書くことなど、
やるべきことはテンコ盛りである。
危機的不況に苦しむスペインの、その偉大なるアルティスタたちへの感謝を
いまこそ形にすべき時期であるから。
サイバー戦争がいよいよ激烈化する国際社会にあって、
さまざまな不安要素の中から希望の光を見い出そうとするフラメンコは、
自立協働を促しながら、よりよい人生を生き抜く糧だ。
国際平和のための軍事力は抑止力として必要だと感じざるを得ない現況だが、
一方でまた、国境なき民間アートの果たせる役割を信じ行動する重要性を
これほど切実に感じられる時代もなかろうと想う。
実りなき情報戦争に振り回されぬ自分で在ろうと自ら誓う新春三日の朝。
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2013年1月4日(金)/その1173◇めざせ池上彰!
ああ、そうだったのか、オレは何も知らなかったんだな。
知りたいことを、分かりやすく説明してくれる人。
池上彰さんの番組は仕事を差し置いても出来るだけ観るようにしているが、
彼はまさしくそういう健全なバランスを持ったプロフェッショナルだ。
他方、どうでもいいスキャンダルには熱心に食いつくものの、
押さえるべき核心については中途半端にボヤけた見解しか披露せず、
全体に何が云いたいのかサッパリ伝わってこない大新聞やニュース番組の
報道姿勢からは、残念ながらほとんど得るものがない。
既得権にしがみつく衒学的人種、つまり簡単なことを難しく語ることで
責任逃れに奔走する人たちが中枢を占める組織においては、
その内部改革はさぞかし難しかろうと考えられる。
若く優秀な記者たちがそうしたメディアから流出する傾向にあるというが、
そうした人たちが結束して健全なムーブメントを巻き起こすような気配もない。
今さら聴くのも恥ずかしいけど実は知りたいこと、
加えて、最低限知っておきたい肝心なこと。
多くの人が望むであろうそういう領域に踏み込むこと。
そうか、ならばパセオはそれを迷わずやって往けばいいんじゃないか。
そんな当ったりめえのことに改めて気づく正月四日目の朝。
めざせ池上彰! ヘアスタイルだけならその日は近いぞオレ!
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2013年1月5日(土)/その1174◇知らぬがホトケ
「文章書くコツって、どんな感じ?」
新年早々の呑み会。
チェロを弾く知人がブログを始めたと云う。
めっぽう性格がいいので「ホトケのクニコ」を呼ばれる公務員だ。
方向音痴に道を尋ねる愚を犯す彼女に
うろたえながらも、もっともらしく私は答える。
「ほれっ、チェロと一緒だよ。
テンポ、リズム、音程、音色、そして何より歌う心」
なるほど~♪、わかるような気がすると彼女は云ったが、
私が音痴であることを彼女は知らない。
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2013年1月7日(月)/その1175◇ダブルフェイス
ヤクザ組織に潜入する警察官と、
警察組織に潜入するヤクザの、ヒリヒリするような葛藤。
土曜夜放映の邦画『ダブルフェイス』は、
なかなかに見応えのある力作だった。
多かれ少なかれ誰もが思い当たる現実に踏み込む、
「多重人格」と「実存主義」とを掛け合わせる手法が鮮やかであり、
むかし読んだサルトルの小説群の暗く力強い通奏低音を想い出した。
「人間は善いことをする一方で悪いことをする」
『鬼平』の池波正太郎師は鋭くシンプルにこう洞察したが、
多くは水戸黄門的勧善懲悪の文化で育った日本人が、
このリアリティにハタと共鳴したことが鬼平ヒットの最大の理由だろう。
池波師は『仕掛人梅安』で、そうした二律背反のダークゾーンにさらに踏み込んだ。
この世に根っからの善人や根っからの悪人は存在しない。
そのことを漠然とした知識ではなく目の前の現実としてはっきり認識したのは、
正確には三十代後半だったと思う。
サザエさんよりもマヌエル・アグヘータに
心の故郷を感じるようになったのもおそらくこの頃だ。
さて、その晩の夢で、早速に私はヤクザに変身している。
チンピラの多い下町で育ったからその手の記憶は豊富なので、
夢の中でいろんなエピソードが暴れまくる。
そこでの私は幼く粗暴で、時に狡猾でもあるのだが、
それとは別に焦る心で、何らかの核心に迫ろうとしている。
BGMは何故か、バッハ・シャコンヌのDmの和音だ。
だが実際にはトホホな堂々巡りを繰り返すばかりで、
ある時やっとのことで核心をつかまえたと思った刹那、
その堂々巡りの輪の遥か外側に核心が過ぎ去ったことに気づく。
何かに似ちゃいないか?
ドロッとした悪夢から目醒め、しばらくしてそう思う。
それは、『シーシュポスの神話』の如きに繰り返す、毎日書きなぐるこの日記だった。
次の瞬間、私の中の仕掛人梅安と相棒右京がぐるぐると交錯し始める。
それを横目にジキルとハイドが脳裏にせせら笑う。
観客席(寝床)からそんな喜劇を眺める私は、
「生きることは・・・いとおかし」と苦笑するが、
BGMにパコ・デ・ルシアの流れる、
そういう暫定結論の出し方には若干好感が持てる。
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2013年1月8日(火)/その1176◇ゴッホの手紙
あいにくとその郵便配達夫は風邪を引いていた。
咳込みながら、やっとのことでその手紙を届ける頃には、
あたりはすでに夕闇に包まれている。
便箋と晩ゴッホ。
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2013年1月9日(水)/その1177◇甥の初メンコ
今宵は新宿エルフラ。
鈴木敬子がアントニオ・カナーレスとともに、
『ブレリア・デル・ジャズ』初のデュオ・バージョンを踊るという。
すでに鈴木敬子の定番となりつつあるこのヌメロだから、
カナーレスの振付も彼女が担当すると云う。
http://www.youtube.com/watch?v=a6sRp0aMqYk
元旦恒例、兄宅の新年会でその〝パリージョ対決〟が話題となり、
兄の長男がいきなり「観たいっ!」と叫んだ。
そんなことは初めてなんだが、
この春千葉大を出て国家公務員となる彼は、
青春中期の想い出創りに存分に遊びたい時期なのだろう。
チケットを送ると、すかさず感謝感激のメールが来た。
昔はひ弱ないじめられっ子だった龍介も、
ひたすらスポーツに打ち込むことで逞しい青年となった。
叔父のひいき目からは、ちょっと小泉進次郎に似てると思う。
一方、甥のひいき目に映るこのフーテン叔父は、
相も変わらず不滅の〝寅さん〟のはずである。
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2013年1月10日(木)/その1178◇星を見上げて
年が明けたら、早くも来年2014年2月号『写真館』のレイアウトに
取り掛かってたりする。
江戸っ子の気は早いが、それでずいぶん助かってることもある。
先走った準備が水泡に帰すことも多いが、
それも愉快なエクササイズと笑える齢となった。
無我夢中になれる瞬間。
その内容がどうあれ、そういう時の過ごし方にこそ、
最良の楽しみ歓びがあるんじゃないかって、
冬の浜辺に寄る年波が、星を見上げてそっとささやく。
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2013年1月11日(金)/その1179◇木曜会のポテンシャル
昨晩は26時帰宅。
新年初の高円寺エスぺランサ木曜会である。
近ごろは、ジェーとともに0時前に寝に入ることも多いのだが、
三十年近い付き合いの打ち解けた業界仲間との語らいには、
力の抜けた興奮と感興があってついつい帰りそびれてしまう。
きのうはスペインの関係筋からの超大型プロジェクト打診について、
呑み会前半はもっぱらその議論に熱中したのだが、
予想通り実際的な対応策がいくつも飛び交い、
出社してからその結論を先方にメールする段取り。
お年玉的にやたら旨い宮崎の瓶焼酎が用意されており、
ついついガンガン呑ってしまったが、
良い酒というのは翌朝に残らないのがありがたい。
ただし、呑み会後半の下ネタ大会の内容は例によってサイテーであり、逆に云うなら、
まだまだ成長の余地を残す木曜会の未来ポテンシャルにほっと安堵したりもする。(汗)
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2013年1月12日(土)/その1180◇コクリコ坂から
「今日はココリコ村を観るんで、オレゃ早上がりすっからな」
開口一番そうまつがえ、編集部の大失笑を買ったのを、
まるで昨日のことのように思い出します。
そう、それはまさしく昨日のことですた。(汗)
以前その予告編を観たとき、それが昭和三十年代を描いた作品と知り
少なからぬ興味を持っていたのだが、
いつの間にやらそれが関西の漫才コンビが活躍する物語に刷り替わっていたらしい。
大戦後17年ほどの日本の諸風景と若いエネルギーとが交差する各シーンには、
皆それなりに苦しいながらも心に希望を灯そうとする好ましい活力があって、
そのさわやかに懐かしい人間模様に、ラストまでぐいぐい惹き込まれてしまった。
山田洋次監督『ダウンタウンヒーローズ』(1988年制作)に共通する後味は、
心の原風景にいつもそっと置いておきたいアイレでもある。
後ろ向きにただ懐かしがってるだけでは仕方ないが、
幾つになってもいま熱中してることが、
やがては懐かしい記憶となるような日々を生きる、
そういうシンプルな行動則を後押しする水色のアルテの薫る佳作だった。
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2013年1月13日(日)/その1181◇めぐり逢い
早朝からモーレツな勢いで仕事を片づけ、
昼下がりの向島・百花園に到着。
園内をブラつきながら音楽を聴いたり、
水辺のベンチで文庫を読んだりして、
まったりした非日常のひと時を過ごす。
近ごろはまあ、こんなのが最上の道楽でもあり、
老境の心模様というのは実にシンプルなものだと思う。
母親のお供で初めてここ百花園に訪れたのは保育園当時だろうから、
かれこれ半世紀以上の馴染みということになる。
血気盛んな青春期には見向きもしなかった鄙びた楽園である。
ふと〝ユートピア〟を想起する。
この春五月には待望のマリア・パヘス〝ウトピア〟日本初演があるから、
そこからの連想もあるのだろう。
「素晴らしく良い場所なんだが、何処にもない場所」
トマス・モア、スウィフト、カンパネッラ、オーウェル、ブラッドベリ、星新一・・・。
高校時代はそうしたユートピア小説を盛んに読んだものだが、
そのことが宗教や共産主義を敬遠するに至る決定的要因であったことを思い出す。
また、そのことがフラメンコ発見の理由であったことにも思い当たる。
さらにその発見が、
やがてこの向島百花園の再発見につながることが
・・・いとおかし。
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2013年1月14日(月)/その1182◇ナイスシュート
「フラメンコみたい」
呑み屋のくすんだ天井の小さなスピーカーから流れてくる
もんた&ブラザーズ『ダンシング・オールナイト』に、
カマロン好きの彼女はそうつぶやく。
かすれ声、あるいはしゃがれ声。
そういう声質というのは、案外と強い印象を残すものだ。
心の中に小さな引っ掻き傷を残すような感触。
あるいは〝退廃〟を感じさせることもある。
その種の退廃には得体の知れない魔物が潜んでいて、
ジャズヴォーカルやシャンソンなどにはそれ自体が完結性を充たす名唱も多い。
ロレツの回らぬ舌で聞いた風を云う私に、すました顔で彼女はシュートを決める。
「でも、フラメンコにはその先があるわね」
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2013年1月14日(月)/その1183◇雪は降る
いや、ウカツだった。
雪が降るなら、昨日もうちょい頑張っとくんだったな。
早朝からの事務作業にひと区切りつけ、
庭にまわって〝雪見〟と洒落こむ。
広大な我が家の庭までは、玄関から徒歩で七分かかる。
一般的には「代々木公園」と呼ばれているが、
私はそういう細かいところにこだわらない性格の人だ。
昨年に続く大雪は意外だった。
北国の方々にはたいへん申し訳ないのだけど、
年にいっぺん有るか無いかの大雪に狂喜する
この単細胞な江戸っ子をどうかお許しいただきたい。
どーよコレっ、
まるでシベリアみたいじゃん!
行ったことないけどさ。
足はスベるわ、筆はシベりあ、と問題も多々あるが、
滅多に観れぬこの絶景に大満足、大感謝!
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2013年1月15日(火)/その1184◇アリと自転車
他の動物に例えるなら、オレって何だろう?
鷲やライオンに憧れた頃もあったが、
さすがに今じゃ、正解はわかってる。
そう、吾輩はアリである。
真っ黒になって働くのが性に合ってるし、
自分ひとりじゃ何も出来ないこともわかってる。
ただキリギリスな一面もあるので、おめえなんか仲間じゃねえと、
アリの方からは苦情が来るかもしれない。
強く特別な存在であろうと若い頃には気負ったものだが、
そういうことには不向きな性質であることに四十代で気づいた。
あの中の一匹がこのオレだ。
仕事をフケて出掛けた駒込六義園の藤代峠で、
アリの行列を眺めながらそう想った。
一匹くらいは居てもいいし居なくてもいい。
生きていても死んでいても大勢に影響はない。
責任逃れのようにも思えるし、また、
それを寂しくはないと云ったらウソになる。
大いにガッカリしたが、その代わりに肩の力の抜ける解放感があった。
些細な出来事だったし、それで覚悟を決めたわけでもないのだが、
それがいわゆるターニングポイントだったことが今なら分かる。
意外なことに、そういう退廃気分で日々を生きることには、
まあ、やれるとこまでやってみようじゃないかというユルく朗らかな方針と、
地に足のついた心地よい安定感を生む効果があった。
その安定感は、自動車のそれではなく、
自力で漕ぐ自転車の安定感によく似ていた。