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フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

類まれなるリズム感 [230]

2008年10月18日 | あしたのジェー






         
類まれなるリズム感

 

     

        

 


 こう見えても、関東格闘犬選手権(シェパード部門)や全国闘犬グランプリ(土佐犬部門)や国際無人島グランプリ(スーパーヘビー級)などでは、一度として負けたことのない犬なのである。
 まだ一度も出場したことがないからだ。
 大体からしてそんな大会あんのかとも思う。

 8時起床、朝風呂に飛びこんでからストレッチ、朝めしをがっつり食ってから、ジェーと共に代々木公園ドッグランで小一時間を遊ぶ。
 ジェーとの協定によって毎週土曜午前中、近ごろ定着しつつある習慣だ。
 いつかのノー天気な“バッハ歴”などもここで思いついたのだが、決まってロクでもないアイデアの源泉は、どうやらこの楽園における穏やかなひとときにあるらしい。



         



 そのパラダイスから20分ちょい歩いて、代々木にある連れ合いのスタジオにジェーはそのまま出勤(=番犬担当)する。
 一方の私は、スタジオ入口にあるバル“エントラーダ”で薫リ高いエスプレッソをすすってから、多くはパセオに、まれに急ぎ仕事のない場合はゆくえ定めぬ大江戸ぶらり歩き(=のら犬担当)に出かける。
 で、夕暮れには家路につき、ひとっ風呂浴びて、スタジオから戻った連れ合いとともにご近所の行きつけで晩酌つーのが毎週土曜のお定まりコースだ。

 いわゆる隠居生活なるものを前倒しにして40代ですませてしまった私に、かしこまった休日はかえって鬼門だったりもする。
 四半世紀なじみ尽くしたフラメンコまみれの生活に、ストレスやマンネリを感じることはほとんどなくなったが、2日以上続けて休むとかえって体調を崩すことは何度も実証済みなのだ。
 近ごろ流行の老人力と云うべきものかもしれない。どーでえ! 凄えだろ。(TT)
 てなわけで、土曜日のこんなルーティンが、最近の私にはもっともリズミカルなペースをもたらすようである。
 かくして、定評ある私の類まれなるリズム感は、よりいっそう研ぎ澄まされることになる。




「そもそもキミにリズムはあんのか?」


 主に付点音符のとり方に独創的欠陥を発揮する十代の私に、
 何とかリズム調教しようとする優しいギターの師匠の、
 汗まみれのあきれ顔が、ふと懐かしく浮かぶ。

 

 


 

 

                

  [自分が登場する回には、きびしい原稿チェックを入れるジェー]

 

 

 

 

 


ナンパ日和 [191]

2007年06月02日 | あしたのジェー




 


          ナンパ日和





 お陽さまもひょっこり顔を出し、今朝も早よから元気にナンパだ。

 







 ご近所代々木公園のドッグランにてみっちり90分、次から次へと女子を口説きまわる
ジェー(写真右)。
 4歳になるオスの土佐犬だが、一見ヨーキーのようにかわいい風貌は飼い主譲りと云えるだろう。














ホームグラウンド [149]

2006年09月10日 | あしたのジェー






      ホームグラウンド


 

 

     
 

 

 日曜日の早朝。

 何があろうと必ずやってくる、ジェーと私のホームグラウンド。
 意味もなくふたりで駆けまわる憩いのパラダイス。


 ガランとしたところや意味のないところはこのブログのようだが、ジェー的には、大ざっぱに間の抜けたこの代々木公園中央草原がチョーお気に入り、なんだとさ。



     

            

            

 

 と、云い残しつつ去っていくなよ おゐおゐ。










        クリックすれば大吉!“社長室”

   http://www.paseo-flamenco.com/cat5/index.html
      


別れの朝 [140]

2006年07月12日 | あしたのジェー


 


 

                別れの朝 







 

 てゆーか“朝の別れ”だな、この場合。


 こんな顔して毎朝お見送りしてくれる忠犬ジェー(シェパード)である。

                      http://blog.goo.ne.jp/paseo1984/d/20060614
 



         

 

                           [協力:カデーナ フラメンカ]







 


 





 

 


分解写真 [138]

2006年07月04日 | あしたのジェー

 


 


                分解写真  

 

 

 前回“まーけてぃんぐ”について、コメント投稿ならびにメール送信くださった11名におよぶ美貌の賢者のみなさまよ。
(その美貌水準を表わす証拠写真はこちら↓
 
  http://blog.livedoor.jp/mikky_bar/archives/50319236.html#comments

   どーも ありがとっ!


 その御礼と云っちゃなんだが、昨日の六太殿のアドバイスを受け、私がやってもつまんねーので、私の同士ジェーがみなさまのご厚意に対し、

「どーも」(=感謝のお辞儀)をさせていただく。


        

        

        
 



 んじゃ、読者のみなさま、ひき続き“まーけてぃんぐ”にご協力を http://blog.goo.ne.jp/paseo1984/e/c5d94e073b2c8ed76dffd005348d0378

 尚、ご協力いただいた方にはもれなく、“幻のチャチョ手ぬぐい”の現物(遅くも今世紀中に非売品化)を進呈させていただく予定である。

 








 


どーも [126]

2006年06月14日 | あしたのジェー





               どーも




 わが家のジェーは「どーも」が得意である。


 頭を下げることで、相手に対する“さよなら、またねっ”の意思を示すのである。
 人の出入りの多い連れ合いの職場で“癒し犬”として勤務するうちに、頭を軽く下げながらやる「じゃ、どうも」みたいな挨拶の仕草を自然とおぼえたらしい。


 その応用なんだろうが、最近は相手に強く同意を示したい時などに、「ウン!」と云わんがばかりに思いきり首をタテに振るようになった。
 実際「ウン」に近い声を出すこともある。

 言葉の意味はほぼ理解してるようで、「散歩行くか」「ボール投げやるか」「ササミ食うか」「私を好きか」みたいな問いかけに対し、思いっきしウンとうなづくのである。


        


 ただし、である。
 「私を好きか」というような、彼の利益に即直結しない質問については、事前に私の右手に鳥のササミが握られていることが「ウン!」をやるための条件になっているところは、

 ………ふ、まだまだ青いな。
 結果とゆーのは、自然についてくるものなのだ。



 いいかジェー、



そんなことでは、
          
 立派なシェパードにはなれんぞっ!!

 

 

 

 

 

                  
  [自分が登場するブログ原稿を最終チェック!]

 

 




 



 

 


まったくの偶然 [117]

2006年06月03日 | あしたのジェー





 

          まったくの偶然





    



 ときどきモーレツにギターが弾きたくなる。

 私の十八番は、ホアキン・マラッツの『セレナータ』だ。
 昨年秋に我らがトマティートとともに来日した、クラシックギターの巨匠ペペ・ロメロのさっ爽とした演奏は記憶に新しい。
 スペイン的哀愁が疾走する、何ともカッコいい曲なのである。


    ********** ********** **********


 私がギターを手にするのは、だいたい公演に出かけた翌日である。
 これには必然的な理由があって、踊りでも歌でもギターでも、前日の感動の余韻が残ってたりすると、無性に自分でも何かやってみたくなるのだ。


 ギターを手に取るその刹那、ふと、こんな想いが脳裏をかすめる。
 「本当のところはこのオレも、ミュージシャンをめざすべきじゃなかったのか?……」


 ペペ・ロメロが分強で演奏する『セレナータ』を、会心のノリで10分を切る猛スピードで弾き終えると、不思議なことに、私の心からすっかり迷いは吹っ切れている。

 むしろ晴れ晴れと「これまで通り自分の道を貫いてゆこう」と決意を新たにしているのだ。
 その理由をうまく説明することは難しいが、ふと、
「音楽性以前の問題」というミョーに嫌な響きの言葉が脳裏をかすめていることは事実だ。

 ギターを手にするまで私のかたわらで寝そべっていた犬(ジェー)が、演奏開始に合わせてサッと自室にひきこもってしまう。


     


 で、演奏が終わってしばらくするとまた横にやってくる……。


          


 ……ミョーな感じもしないではないが、たぶん偶然だろう。


    
 私の連れ合いがジェーと同じような行動をとることも度々あるのだが、それはたぶん私のギターに芸術的刺激を受けた必然の反応であると思われる。

 さもなくば、まったくの偶然によるものだろう。


 


 



        


 

 

 




 


チューリップ [079]

2006年04月09日 | あしたのジェー




           チューリップ 

 

          


 二週間ぶりの縄張り巡回(代々木公園)とあって、朝からはりきりまくるジェー。お天気も上々だ。
 ダッシュで私をひっぱり回し、いつの間にやらたどり着いたのがチューリップのお花畑だ。


        


 接吻唇。……日本語でこう書くとなんかエッチっぽいので、ここでは“チューリップ“という表記に統一したい。
 もちろん
ジェーも同意だ。

    


 さて、自分で見つけたこともあって、ジェーとしてもかなりお気に召したようで、周りをグルグルまわりながら、まるでチューリップの番兵のようなアイレを放つ。

        

 

  んで、それに飽きると例によってやっぱし、ナンパの様子見に入りましたとさ。
 

        
 

 





 


謙譲の美 [063]

2006年03月19日 | あしたのジェー



       
謙譲の美 


 

    本日早朝の代々木公園。

        

 

    もーいくつ寝ると満開か?

        



    まだ、眠ぃーよー。

            


 


   「きゃーかわいいぃー!」


 自宅の庭との往復および庭の散歩中に私たちは、約十名の方々からこのよーなコメントをいただいた。
 うち八名のそれは、たぶんジェーに対するものであろう。
 残り二名のそれは、たぶん私に対するものであろう。


 

 

 


君の想いは [057]

2006年03月12日 | あしたのジェー



       
君の想いは 



 きょうは日曜日。
 NHK将棋トーナメント準決勝戦(羽生×丸山)が始まる前にひと仕事だ。
 定例のナワ張り(代々木公園)巡回である。
 重大なる使命を帯びて、いつものように噴水をバックに公園内の平和を見守るジェー。


    



 彼が想うのは、世界平和の構想であるのか。
 あるいは、晩メシの“鳥出汁・味噌仕立ほうとう”における具材についての構想なのか。
 あるいはまた、これからおっ始める園内ナンパについての戦略的構想なのか。

 いつもよりも哲学的オーラが濃厚な表情からは、自ずとその思索の深さが窺われるが、いずれにしてもその構想の中身が、飼い主のレベルと似たり寄ったりであることだけは疑いのないところであろう。



 


 


代々木公園のフィクサー [033]

2006年02月11日 | あしたのジェー


    代々木公園のフィクサー


 四季の変貌を、そのあたたかなタッチと美しい色彩感覚で描きわける、渋谷区代々木神園町在住のルノアール派巨匠。

 その高名なマエストロの名を、代々木公園という。

 戦前は陸軍の練兵場、一転して戦後はアメリカ進駐軍の将校住宅、東京オリンピック(昭和39年)の選手村を経て、公園として一般開放されたのは昭和42年のことで、現在ではその一帯がわが家の愛犬ジェーのナワ張りとなっていることはあまり広く知られていない。


    


 休日の朝か夕暮れどきに、ジェーのナワ張りを共に散歩がてら見巡ることは、彼との約束事になっている。
 私の通勤路でもあるここ代々木公園とは、もはやわが家の庭と云っても差しさえないくらいに親密な間柄なのである。

 地べたの土や、草や葉っぱの感触を楽しむかのごとく、ロンデーニャみたいなコンパスでゆったり歩むジェーの後ろ姿は、普段よりも頼もしく感じられる。

 道々、同じくらいの大きさの美形を見つけちゃあ、うれしげに相手とジャレ合ったりもする。
 たぶん、ペディグリーチャムの新作や人間関係などについて、意見を交換し合うようなフリをしてナンパしてるのだろう。


        
   [勤務中のフィクサー。無料開放中の自宅の庭にて]


 たそがれ時分だというのに、噴水近くのマジョールに人々はごった返し、至るところで思い思いの楽器を楽しそうに演奏する光景が目から耳へと抜ける。

 下手クソな素人ミュージシャンどもめ。てめーら、ぜんぜん俺よりうめーじゃねえか。
 嫉妬全開の毒づきも、もはやルーティンと化している。


    ********** ********** **********


 「そろそろ帰るか」という問いかけに、名ごり惜しそうな眼差しを私に向けながらも、ナワ張り内の平和を確認したその安堵からか、その場で、普段より大きめなうんこを惜しみもなくたれる名犬ジェーであった。


   



 


伝統と革新 [009]

2006年01月14日 | あしたのジェー



    伝統と革新


               

                                     イラスト by 八戸さとこ
 

 
 「犬も歩けば棒にあたる」。

 この意味深長な法則こそが、本欄のボーン・アイデンティティである。


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「よせばいいのに、犬コロがそこら辺をうろついたりするから棒で打たれたりするのだ。ヘタに出しゃばればいろんな災難に遭うのだよ」(前者/伝統)

 
冒頭の至言は本来、このようなネガティブな戒めのことわざだったそうだ。
 伝統的にはそういう意味だったものが、最近ではむしろ反対の意味で使われている。

「何もしないで怠けてては何も起こらない。とにかく行動だ。意外にもラッキーな事が起きるかもしれない」(後者/革新)

 とまあ、近頃はこういうポジティブな意味で使われるようになってきている。
 言葉はそのままに、内容だけが革新されているのだ。

 当ブログの目指すところは、もちろん後者の、革新の心意気にあふれるニュアンスである。
 何もせずに指をくわえたままボケてゆくよりも、ボロボロにされてもいいから何かしながらボケてゆこうという、いわばポジティブな戦略的転換なのだ。


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 ただ、心意気は後者であっても、これまでの私の実績からすると、前者的な失敗に終始する可能性は極めて高い。
 ソレアを歌ったつもりだったのに「良かったわ、いまのガロティン」と突っ込まれたカンテ練習生は多いはずだ。……そう、君のことだ。

 私の場合もおそらく、君の二の舞となるだろう。すでにその兆しもある。
 だがしかし、後悔はすまい。
 なぜならその場合、「ことわざというのは、やはり本来の意味(前者/伝統)に立ち返るべきものだ」という伝統の本筋を、我が身を呈して守ることができるからである。


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 討ち死にかよ………。

 ま、それはそれで本望じゃないか、というような気もしてきた。



             



 


あしたのジェー [003]

2006年01月06日 | あしたのジェー

 
     あしたのジェー    


            


    「もしかして、これが執筆者か…」。

 この写真を見て、即座にそう思われた方は人生の達人である。
 敬愛してやまないあのラファエル・ロメーロ翁ならば、必ずそうつぶやかれたにちがいないからだ。


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 キャプションを付けなかったのでわかり辛かったかもしれないが、この写真は実は私ではない。

 私と同居する三歳の雄犬で、名を“(ジェー)”と云う。

 確かに容貌は私に似ているが、むしろソックリであると私は断言できるが、周囲の人たちには必ずしもそうは見えていない。
 たぶんコンタクトの度数が合ってないのだ。
                  
                 
 
         『ラファエル・ロメーロ/1988年東京ライブ』
                  
    (ビデオ/PASEO


 ジェーは、ご近所にある私の連れあいの職場で“癒し犬”の仕事をしている。
 週休一日で毎日12時間くらいは働いているから、まあそこそこの働き者だろう。食事は支給されるそうだが、時給や交通費は支給されないという。
 出来高払いのボーナスは“ほねっこ”だけらしい。

 それでも時々ワンと云うくらいで、文句ひとつ云わない。
 彼のあらゆる行動は「クヨクヨしないで前向きに生きる」というヴィジョンに貫かれているのだ。


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 彼のテリトリー、代々木上原はほとんど迷路の街である。
 その散歩中、道に迷った時などは彼にこう問いかける。

 「さあジェー、道がわからんぞ。あしたはどっちだあ?!

 自分の出番であることを察した彼は「わっかりましたあ」とばかりに、ぷるぷるシッポをふり回しながら、よろこび勇んで駆けだし始める。
 だがしかし惜しいかな、とんでもねえ方向めがけて突っ走るのである。ポジティブだが純粋におマヌケ野郎なのであった。


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 さて、「犬は飼い主に似る」とよく云われるが、実際には「飼い主は犬に似る」というのが正しいようだ。

「三歩あるけばすべて忘れる」
「綺麗なネーチャンと見れば後追いする」
「好物をもらうためには何でもやる」など、
 これらの性質はジェーが我が家にやってくるまで、私にはまったく備わっていなかった性質なのである。

 容貌をふくめ、やはり飼い主はだんだんと犬に似てくるのだ。


      
          
[立つんだ、ジェー!]