フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年4月①

2011年04月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年4月1日(金)/その647◇美しい人々

 震災後は無休で店を開くご近所"秀"。
 美人の女将は、その理由を簡潔に述べた。

 「だって、ひとりで揺れてると怖いんだもん」

 ぷっ。それかよっ。

 多くは閑古鳥の鳴く状況だが、毎日そこそこ賑わう秀。
 明るい働き者っていうのは、
 どんなご時勢でも吸引力が強いのだろう。

 ま、そりゃ、そーだ。
 暗い怠け者のやってる店なんか誰も寄りつかねえしな。

 金や贅沢にまるで執着しないで、ただ、明るく元気に働く。
 女将にとっては、そのこと自体が目的のようである。

 こんな時節だけに、いろいろと足元から気づけることは多い。
 ただ、明るく元気に働く。
 他はどうでも、そこだけは外さない。

 好ましいシンプル原則で生きる人々はみな美しい。


 軒を出て犬.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月2日(土)/その648◇低く暮らして、高く想う

 「低く暮らして、高く想う」

 その意味で、この先は日本人の本領が発揮されやすい時代とも云える。
 ただし、昔と異なり経済ネットワークが緊密な時代だけに、
 過度の自粛は命取りになる。

 阪神大震災復興の理由のひとつに「お祭り」があったという。
 人間のフィジカル面を軽視してはいけないということだ。
 ついでに、一部マスコミの無責任煽動報道を鵜呑みにしてもいけない。
 人災の権化たる政治屋に頼ることなく、
 自ら考え行動することがポイントだ。

 被災地および日本全体の明るい未来。
 そこに貢献するイメージをいつでも頭の片隅に住まわせながら、
 よく働き、よく使う。

 以上はこの朝想ったこと。

 冬木立タイトル.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月3日(日)/その649◇非国民、自粛せず

 友繁 006.jpg

 もうあとわずかで桜の季節だ。
 
 無一文で始めた商売から身のほど知らずの負債を背負った私が、
 絶望の淵を彷徨いつつ生命保険でチャラにすっかと覚悟を決めた頃、
 たまたま目にした、この世のものとも思えない満開の桜のあまりの美しさに
 一転、経営再建を決意したのは30代後半のことである。

 それは家一軒買えるほどの負債額だったから、
 この震災で家を失った人たちの暗澹たる気分は、
 ほんの少しだけわかる。

 ほんの少しだけ、というのは、
 私の場合はムチャをやらかした自業自得の有罪であるのに対し、
 彼らの場合はまったくの無実の不可抗力であり、
 その無念さの度合いには百倍以上の差があるだろう。


 あの暖かな春の日、無意識に立ち直りのきっかけを求めていた私は、
 パセオの裏手を流れる神田川の桜並木に偶然救われたことになる。
 命を散らすのをやめにして、萎えそうな気持ちを桜とともに散らした。
 ダメもとで、もう一度咲くことにチャレンジしようと思った。
 まあ、惜しくもまだ咲けちゃいないが、それがどーした。
 おれはチョー遅咲きなのである。

 被災地のあちらこちらにも、きっと桜は咲くだろう。
 まるでマリア・パヘスのアレグリアスのような華やぎ、
 あるいはマヌエラ・カラスコのソレアのような不屈の生命力を、
 満開の桜たちは、きっと力いっぱい響かせてくれることだろう。
 
 満開の半日を、私も神田川で過ごす。
 ぬる燗五合にたくあん。
 Memento mori(メメント・モリ)。
 命あることを光栄に思う、
 年に一度っきりの、
 私だけのお祭り。


 6704226_168901237_1large.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月4日(月)/その650◇パブロフの豚

 土曜日晴天。
 6月号の入稿準備が意外と早く片付いたので、
 これ幸いと学習院下から都電に飛び乗り王子に出て、
 久しぶりに石神井川沿いの遊歩道を歩いた。

 かつては貧民の如きだったというその川土手は、
 見事に美しい散歩道へと変貌を遂げている。
 それぞれの家族は、それぞれのプロセスによって、
 それぞれの復興を遂げていったのだろう。

 そんな風を想うがために、ここに足が向いたのかもしれない。
 板橋の仲宿までのんびり歩いた。
 やけに暖かな陽気だったから随分と汗をかいた。
 仲宿の喫茶店で、久々にアイスコーヒーを頼んだ。

 シャッフルで聴いてたIpodから懐かしい曲が流れる。
 ディメオラとパコ・デ・ルシアの『地中海の舞踏』だ。
 『アルモライマ』とともにパセオ創刊の決め手となった名曲。
 中ほどでパコのソロに切り替わる瞬間、
 私の中の感傷が、無敵のパッションに切り換わった。

 「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/アルモライマ.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月5日(火)/その651◇悪魔のような

 コンサート帰りの錦糸町でおち合い、
 かつて競馬・麻雀仲間だった石井と呑む。

 こ奴が出現するとたんに、閑静な住宅街が、
 いきなり新宿・歌舞伎町に変身するような騒がしさとなる。
 野球部だった彼は、一時左翼運動に身を投じていたが、
 いまじゃテラテラに明るく気のいいクソおやぢだ。
 三年ぶりくらいだったので積もる話をまずは片付け、震災の話となった。

 「雄さん、チャンスだよな。
  ふにゃけた日本が立ち直るチャンスだよ。
  亡くなった人たちは、
  オレたちの身代わりを引き受けてくれたんだよ」

 インタビュー癖から、熱き彼のトークをグイグイ引っぱり出す。
 腐れ果てた政治屋・官僚・マスコミへの罵倒。
 義援の原資を断ち切る狂気の自粛ムードへの反発。
 そこそこの花屋の二代目であるタケシは、
 この理不尽な人災状況に苦りきっており、
 今こそ金は天下のまわりものだと、筋目正しい経済理論を力説する。

 「雄さん、とりあえずオレ20万、赤十字に送ったよ」

 奴より少しばかり多めに送金した私は、そこの勘定を済ませ、
 二軒目に向かいながらこう云う。

 「タケシ~、金は天下のまわりものだよな」

 石井が勘定を持つことになる錦糸町でも有数な超高級店へと、
 ズンズンと歩を進める悪魔のような私。


 1700804873_144.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月6日(水)/その652◇今なら素直に

 「ハハハ・・・雄、みんな焼けちゃったなあ」と兄。
 「便所まで焼けちゃってさ、これがほんとのヤケクソだよ」と弟。
 
 隣家からのもらい火で、東京・小松川の実家が全焼したのが25年ほど前の夏。
 メシも食わずに買い漁った私のレコード・コレクション数千枚も全て焼失した。
 ヤケクソで笑い合った四つ上の兄と、震災の翌週、彼のご近所行きつけで呑んだ。
 献杯でもあり、また互いの無事を確認しあう乾杯でもあった。
 ある日突然に家を失うことの実際は、私たちの身に沁みている。

 兄は埼玉大を出て小学校の教員になった。
 その生業はともかくも二十歳前後の私は羽振りがよかったので、
 実家や兄にそこそこの金を入れていた。
 だが、25歳で私が独立する頃には、兄と私の立場は入れ替わり、
 その後、自力で借金が出来るようになるまで、
 親代わりを任じる彼は、当然のように私の連帯保証人をずっと引き受け続けた。
 借り換えを含めればその総額は5億ほどにも達しており、
 パセオを続行できた最大の理由は、実はこの兄の援護射撃による。

 兄の長男は兄の落ちた千葉大に入り、次男は昨年東大に入った。
 大学不要論、15歳から現場仕事で闘いながら鍛えるべしという私に対し、
 兄は、大学は5年まで面倒を見る、大学院に行くならそこまでは見る、
 というチョー親バカである。
 まあ、だからこそ出来の悪い弟の面倒を見ることもできたのだろう。

 「長男は堅気、末っ子は無頼。
  それが親父の戦略だったんだよ」

 40歳をすぎてから、そのことを兄から聞いた。
 困った時には互いに助け合う。
 その戦略がもし、そうしたことを物理的に可能にするための、
 人間同士の予定調和を意図するバランス感覚だったとしたら、親父って・・・
 
 親父が少しずつ大切に食べていた虎屋のヨーカン、
 あれ、全部食っちゃったの、ほんとはオレなんだよお~
 えーん、ごめんよ~~~と、今なら素直に謝れそうな気がする。


 軒を出て犬.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月7日(木)/その653◇胸にそよ風 抱いてゆく

 己の目先の利益のみを徹底追及する。

 いわゆるチャッカリした人間というのは、その意味ではとても有能だ。
 人生というサバイバルには、どうしたって利益は必要だ。
 それに誰だってチャッカリ楽をしたいと思う。
 チャッカリぬくぬくと既得権にもしがみついていたい。
 それのどこが悪い、と彼らの顔には書いてある。
 その薄っぺらなマイペース顔には若かしり私の面影も見える。

 楽してズルして稼ぐことについてはチャッカリしていても、
 人生全体の充実についてはウッカリしている有能な人は意外と多い。
 だが、セコで浅ましい生き様のツケは、いつか必ず回ってくる。
 リーマン・ショック以来、泡を喰って右往左往するチャッカリさんは急増中だ。
 震災後のこの先、おそらくそうした傾向に拍車はかかるだろう。

 一方で、前倒しでツケを引き受けてきた人々はあわてない。
 免疫を育てる冒険と失敗の価値はそこにある。
 虎馬をほざけるほどには生存競争はソフトじゃない。
 汗水流して真っ当に暮らしてる人間の腰のすわった凄み。
 そういう好ましい人々の胸の内には、爽やかなそよ風が吹いている。

 小賢しい器用さだけで40や50の坂を乗り越えられるほど世の中は甘くない。
 現に、急坂の勾配にゼエゼエ喘ぐこの私が云うのだから間違いはない。
 だが、この人生に間に合わないなんてことはほとんどないのだ。

 「チャッカリはウッカリ」。

 ただそのことを思い知るだけで、確率論的に世渡り運は上昇する。
 思い立ったが吉日。
 今日という日は残り少ない人生の最初の日。

 などなど今朝も早よから、我輩やおいどんに説教喰らう俺や私。


 犬棒.jpg

 
 ───────────────────────────────
 2011年4月8日(金)/その654◇さよなら

 八千草薫さん的イメージが強烈に残っている。

 品と質を兼備するやさしい美人。
 高一からの親友・松原の母上の他界を知る。
 
 高校時代はよく仲間たちと松原の家に泊まり込み、
 酒やタバコのドンチャン騒ぎをやらかした。
 いつでも我ら不良連を明るい笑顔とご馳走で大歓迎してくれる、
 云うなる"出来た人"だった。

 畳のタバコ焦げ痕の無残、まき散らすゲロ、ストリーキング・・・
 赤面120%たる我ら醜態シーンの数々が走馬灯のように駆け巡る。
 いくつか予定をドタキャンして今晩の通夜に参列する。
 赤面しながら神妙に焼香する奴らこそがオレら同期であり、
 そういう55歳のアホタレ前科者どもが大勢集まることだろう。

 パセオ4月号にも記したこうした落ちこぼれ仲間による、
 この春の金沢旅行は自ずと延期になったが、
 今宵はきゃつらめとトコトン呑み明かすことになるだろう。

 
 お世話になりました
 ほんとうにありがとう
 さよなら おばちゃん


 6704226_168901236_1large.jpg
 
 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2011年4月②

2011年04月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年4月9日(土)/その655◇俺たちの旅

 きのう金曜日。
 高校時代の不良連と錦糸町で落ち合い、松原の母上の通夜へ。
 そのあと皆で、いつもの平井のちゃんこ屋「紫鶴」で呑む。

 みんな大人になったなあ。
 そりゃそーだよ、55歳だもんな。
 全員出来損ないの管理職だ。
 皆で遊びまくったのは17から23くらいで、
 そりゃ今じゃオレらの子供の世代だ。

 その頃の悪行を思えば誰も説教なんかできる柄じゃねえわけだが、
 年寄りの定番、世代間ギャップの話になる。
 「いま時の若者はなっちゃいねえ」。
 そう、メソポタミアの昔から続くアレである。

 今度の震災を他人事だと思ってやがる。
 てめえの目先のことしか考えねえ。
 誰かが何とかしてくれるものだと思ってやがる。
 自分から動かなきゃ何にも変わらねえよ。
 そこで動いて、初めて大人になれるってのによ。

 学業はオチコボレだったが、皆いわゆる働き者の苦労人だ。
 家はビンボーで、コネも才能もなかった。
 だが、それでも辛うじて、ひとつだけあった。

 それはあのB29戦闘機に竹ヤリで立ち向かうようなものだったが、
 俺たちは皆、ただひたすら"元気"だけで勝負した。

 だから、俺たちはもう説教はこかない。
 どこまでもブラ下がろうとするチャッカリだけの若者は視界に入れず、
 同じ感覚で自ら動こうとする若者だけを、さくっと仲間に引き入れる。


 090903~1.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年4月10日(日)/その656◇一日ちがい

 「想い出すは あの日のこと
  あたたかい恋の夢

  春の風と 鳥の歌と
  やさしい貴方がいた」


 おとつい金曜の、通夜の帰り路。
 なぜかこんな風を口ずさむ私。
 タイトルも歌手も忘れてる。
 ただこの歌詞とメロディだけが飛び出した。

 高校同期とドンチャカ呑んで、甘い感傷によどんでいたのだろう。
 推薦で早稲田に入り、ミス・キャンパスに選ばれた
 憧れのリエの面影が浮かぶ。
 リエにはもちろんフラれた。付き合う前に。
 最後に付き合ったクラスメイトはナオだったか。
 ありゃあブスだが実に気のいい女だった。
 ただし、私と付き合うぐらいだから、男を見る目はなかった。

 オチコボレ仲間と日夜遊びまわったことも、
 まるで昨日のことのように思い出します。
 いや待て、そりゃおとついの話じゃん。
     

 とほほ3.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月11日(月)/その657◇何を云っても無駄な人

 学業はオチコボレだったが、皆いわゆる働き者の苦労人だ。
 家はビンボーで、コネも才能もなかった。
 だが、それでも辛うじて、ひとつだけあった。

 それはあのB29戦闘機に竹ヤリで立ち向かうようなものだったが、
 俺たちは皆、ただひたすら"元気"だけで勝負した。

 だから、俺たちはもう説教はこかない。
 どこまでもブラ下がろうとするチャッカリだけの若者は視界に入れず、
 同じ感覚で自ら動こうとする若者だけを、さくっと仲間に迎え入れる。

 ――――――――――――

 四面楚歌をアタボー承知で、
 高校同期たちとのこんなやりとりを土曜日の各種ブログにアップしたら、
 意外にも世代・性別を超えるええ感じのメールを多数もらった。
 金も才能もなく、ただ元気だけで勝負する人が
 意外と多いことにびっくりしながらギャハッと笑った。

 さて、その中の35歳を名乗るチョー美人(←ここは推定もしくは妄想)は、
 私のブログに大いなる共感と賛辞を浴びせながらも、
 そのラストをこう鋭く締めくくった。

 「でもこれって立派に説教こいちゃってますよね

 そう。
 何を云っても無駄な人とは、このおれのことである。


 オラ2.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月12日(火)/その658◇共に闘う仲間

 下手な考え休むに似たり。
 闘いながら闘い方を覚える。

 まあ、ある意味、大怪獣ゴジラに素手で闘いを挑むような
 タイプの若者が、昨日パセオに入社した。
 出会いのきっかけを創ってくれたのはこのmixiであり、
 それに拍車をかけたのは今回の震災だった。

 フラメンコの普及発展。
 それが日本の元気につながる。
 そういうシンプルな共通認識。

 約三年後の2014年4月号から、
 パセオフラメンコ編集長に就任することがすでに決定している。
 そこからの逆算によるアクションが昨日からスタートしたわけだ。


「明日のことさえ、ますますわからない時代に突入しました。
 やってきたチャンスやタイミングを逃すのは間違いではないか、
 とも思ったのです。

 何はともあれ、もう動き始めました。
 立ち止まっている暇はありません。
 さっさと日本を元気にするために目の前の仕事に集中しようと思います。」


 今日の日記を、彼はこんな風に結んでいる。
 やさしい私は、変わらぬスタンスでこうアドバイスする。
 この27年の間におよそ数千回、
 気弱な私が腰抜けな俺を、ずっと励まし続けた言葉である。
 

 「死んでこいやあ!」


 犬棒.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年4月13日(水)/その659◇センザイ

 人の心はわからないものだが、
 自分の心というのもなかなかにわからないものだ。

 震災から一週間後、
 私は仕事上のある決意をした。
 この災難を自分なりのやり方で、
 千載一遇の機に逆転させようと想った。

 奇妙な夢を見ることの多かった私だが、
 その日以来、ほとんど夢を見ることもなく、
 余震にも目覚めることなく爆睡する日々が続いている。

 私の潜在意識は、何かを解決したのかもしれない。
 余計な葛藤はすべて洗い落とされた。
 これを洗剤意識と云うのだろうか。云うわけねーだろ。


 とほほ3.jpg
 
 ───────────────────────────────
 2011年4月14日(木)/その660◇誰がどう見ても

 4月14日。
 またしても誕生日である。
 今年だけでもすでに三回ぐらい来てるんじゃねーか。
 一体全体、年に何回来れば気が済むのかと云いたい気分だ。

 56歳である。
 四捨五入すれば、楽勝に100歳である。
 だが私は、精神年齢が7歳半程度なので、
 実際の年齢よりはるかに若く見られるのだ。


 実際の話、
 誰がどう見ても、
 おれは55歳ぐらいにしか見えない。


 おら.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月16日(土)/その661◇万葉の心

 三澤勝弘。

 万葉集をこよなく愛するフラメンコギタリストである。
 8歳先輩で酒豪の彼は、もう30数年におよぶ大切な呑み仲間だ。
 彼はこの秋、パセオ連載『心と技をつなぐもの』に登場する。
 私の取材ターゲットに入っていた筋金入りの実力派アーティストだが、
 彼の生演奏を聴いて感極まった編集部・小倉にその取材を横取りされちまった。
 
 さて、小倉がその三澤さんの取材に出かけたその晩。
 一週間ぶりで地元・秀に立ち寄ると、すでにサトルが呑んでいる。
 デザイナーであるサトルの昔話から、かつての彼の仕事の相方が、
 万葉集の編纂者・大伴家持(おおとものやかもち)の子孫であることを知る。

 なんと、同じ日に二度も万葉集がらみに出喰わすとは!
 これは何かの天啓かもしれん。
 そう思い込むことにした。
 久々にじっくり読んでみるかと呟くと、僕もそうするとサトルも云った。


 近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば
 心もしのに いにしへ思ほゆ

 万葉集にあって、ただひとつだけ正確に私の記憶している、
 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の代表作。
 
 「おおみのみ、ゆうなみちどり、ながなけば」

 こよなく美しい情景を、豊かに韻律を響かせながら雄大なスケールで描く、
 このコンパスと音楽性の素晴らしさを、外国人に伝えられないのが実に悔しい。
 ちなみに、現代訳(私訳)では例えばこうなる。

 「近江の海の夕波を翔ぶ千鳥ちゃんたちよ。
  君らが泣くと、僕の心はすっかり折れちまって、
  懐かしい昔のことをしみじみ思い出しちまうじゃないかい」


 さて。
 巨匠ニーニョ・リカルドの愛弟子である三澤勝弘のフラメンコギターには、
 明らかに万葉のアルテの影響がある。
 何年か前、エスペランサ木曜会で彼はそれを否定も肯定もしなかったが、
 彼のシギリージャの静寂の中に、人麻呂の心を、ありありと私は聴くのだ。


 ツバメ~1.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年4月17日(日)/その662◇アレが出た

 おとつい金曜は午後から武蔵野市近辺で、「心と技」の野外&スタジオロケ。
 そのあと恵比寿に出て、フラメンコ協会のチャリティ・ライブの取材。
 有能であり、同時に暑苦しい写真家・大森有起と8時間行動を共にし、
 ずいぶんといい汗かいた。
 
 ライブはひっくりするような超豪華メンバーで、
 バイレ8名、カンテ4名、ギター3名の総勢15名。
 それぞれが力一杯のアルテで、困難に立ち向かう同胞たちを応援した。

 詳しくは後日忘備録に書くが、
 大トリの鈴木眞澄のアレグリアスのラスト30秒にアレが出た。

 久しぶりでアレを見た。
 フラメンコは素晴らしい、と思った。           


 桜ヨランダ.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月18日(月)/その663◇やさしくせんかいっ

 「編集長にお電話です」

 入稿を間近に控え、朝からチョー多忙なある日。
 編集会議の直前にかかってきた1本の電話。
 名乗ることもなく、こちらの都合を尋ねることもなく、
 正体不明のそのおっちゃんは、いきなり暗い声でボソボソ身の上話を始める。
 ま、しかし、フラメンコファンなのだろう。怒っちゃいかんけんね。
 おそらく1時間では終わりそうにないそのネバー・エンディングなお話を
 黙って1分間聴いてから、私は率直に状況を伝えた。

 「たいへんすみません、私はこれから会議なのですが、
  まず最初に、あなた様のご用件の主旨をお聞かせくださいますか?」

 相手が誰であろうと明るいタメ語でしか話せない私が、
 こういう敬語をしゃべり出した時は相当にアブない。
 その空気感はどうやらバレバレだったようで、
 (このクソ忙しい時に何グダグダ愚痴云うてんねん)という怒りを内包する
 私のその丁寧語に、相手のおっちゃんはいきなり電話を切った。

 やはり敬語を使うのはおれには無理だと、深く反省した。
 いや、その前にもっとあるだろ、他の反省点があっ!


 いかーん.jpg

 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2011年4月③

2011年04月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年4月19日(火)/その664◇スペイン映画情報

 パセオ本誌にこの夏公開のスペイン映画のプレビュー記事掲載をと、
 配給会社の広報担当者から依頼があった。

 月刊パセオはフラメンコだけでスペースが目一杯だが、
 日刊パセオ(ウェブ)ならえーかもよ、と編集部・小倉に振った。
 まあこのオレも、30歳前後は広告取りを兼ねて
 毎日五件くらいは取材に駆け回ってたわけだから、
 若いおめえもせいぜい汗水たらして来たらえーよとゆーわけだ。
 
 と、しゃちょコミュに早速トピが立っている。
 ま、公演忘備録を翌朝未明にアップする業界最速ランナーなので、
 やるんじゃねーかとは思ってはいたが。

 『スペイン映画情報』
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61682156&comment_count=1&comm_id=1563685

 ぐらのその第一回目のプレビュー記事を読んで、その映画を観たいと思った。
 てゆーか、ぐらに内緒でおれが行ってくるんだったよ。
 

 090903わん.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月20日(水)/その665◇パセオフラメンコ5月号

 4/20発売の月刊パセオフラメンコ5月号。

 A表紙は、ご存知アントニオ・カナーレス!
 グラン・アントニオ、アントニオ・ガデスに続く
 三人目のアントニオである。
 竜巻の如く旋風を撒き散らした彼のアルテは、
 年月を経るごとに飾りを捨て、その核に近づいてゆく。
 
 61690849_186.jpg
 
 B表紙および『心と技をつなぐもの④』は、人気カンタオール石塚隆充!
 意外とゆーか、はたまた当然とゆーか、その心は「完全コピー」だった。
 今月パセオ編集部入りした小倉泉弥の、ライターとしての本格デビュー作。
 
 61690849_232.jpg

 本国スペインでも読めない高純度読み物、中谷伸一の『フラメンコの美学』。
 その第9回は、急逝したカンテの巨匠エンリケ・モレンテ「燃え尽きる前に」。
 その半年前に行なったスペイン現地ルポ&インタビューは極めて秀逸。
 また、同じくスペイン在住ライター東敬子が「エンリケ・モレンテ/自由を歌う声」で、
 マエストロを哀悼する。

 さて、今月号からレギュラー連載に昇格した『フラメンコ公演忘備録』。
 『フラメンコ最前線』のレギュラー枠に加え、本文8ページの拡大バージョンで、
 ぐらやみゅしゃやヒデノリが大暴れする。

 『バル de ぱせお』にはユカリーヌ(藤原由香里)が再登場し、
 濱田吾愛(←吟遊)『物語で読む~フラメンコ入門』のブックレビュー。
 そのリアル繊細な分析力に注目の上、ぜひ本編ご一読を! 
    
 つーことで、おもろくて肥やしになるパセオ創りのために、
 ガチでホメたりケナす、キャッチボールはこつらまで。
 いただいたご感想は無断で本誌に掲載したり、
 日刊パセオやしゃちょ日記に戴っけることも普通なので、
 又スペースの都合で一部カットさせて戴くこともあるので、
 あらかじめ、そのつもりでよろしくねっ!
 なお、本誌掲載分については、
 掲載誌&ヨランダ・フラメンコ手ぬぐいを進呈!

 ちなみに今月号では、執筆者としての私の出番が実に少ない。
 忘備録4本と、しゃちょ日記を半ページだけだ。
 しかも、専門誌にしては珍しく、
 そこだけは読まなくてもいいページになっているところが実におめでたい。
 
 ───────────────────────────────
 2011年4月21日(木)/その666◇コラヘ~フラメンコの時代

 日本フラメンコ協会有志企画/チャリティ・フラメンコライブ
 [2011年4月15日~17日(全3回)/東京・恵比寿・サラ・アンダルーサ]


 このままでは危ないと誰もが感じていた漠然たる不安が、
 悲惨極まりない天災という形で現実になった。
 あの3月11日を境に日本は変わった。
 私の周囲でもガラリ様相は変わった。
 それでもまだチャッカリ世間にブラ下がろうと右往左往する者。
 重き荷を自ら背負い遠き道を歩んでゆく覚悟を決めた者。
 後者に目覚める者が主流となる。
 そんな時代になったと思うことに決めた。

 「東北地方太平洋沖地震」被災者支援活動に
 日本フラメンコ協会は始動し、協会有志の呼び掛けから、
 ㈱イベリアから会場提供されたサラ・アンダルーサにおいて、
 連続3日間の義援ライブが開催された。
 総入場者数は383名、総額93万円に達した義援金は
 すべて日本赤十字社を通じて寄贈された。
 総勢34名の豪華出演ラインナップは以下の通りである。

[バイレ]
 浅見純子、阿部碧里、市川幸子、伊部康子、今枝友加、井山直子、
 入交恒子、太田マキ、影山奈緒子、鍜地陽子、河野睦、河内さおり、
 小島慶子、小林泰子、島村香、鈴木眞澄、チャチャ手塚、藤井かおる、
 山室弘美、山本将光、屋良有子、吉田久美子

[カンテ]
 有田圭輔、伊集院史朗、織田洋美、川島桂子、瀧本正信

[ギター]
 小原正裕、金田豊、小林亮、鈴木淳弘、高橋紀博、
 長谷川暖、山崎まさし

 私が観たのは初日金曜。
 「心と技」の半日取材を終え、
 この連載の相棒(写真家・大森有起)とともに
 武蔵野ロケから会場の恵比寿に直行する。
 「みんな何か、いつもと違う気合いの入り方なんです」。
 会場で顔を合わせた出演のバイレ鍜地陽子が超然と笑う。
 皆ほとんどぶっつけ本番。
 何かが起こってくれそうなゾクゾク感。
 果たしてもの凄いことになった。

 超満員の客席の異様な興奮の中、第一ラウンドが始まる。
 運営幹事の名カンタオーラ川島桂子は伴唱でも冒頭から飛ばしまくる。
 華麗なるベクトル、劇場向きの遠達性を持った河野睦のアレグリアス。
 鉄火で愛らしく図太い貫禄、清冽な重量感漂う鍜地陽子のソレア。
 この日はピックを使わぬギター小原正裕の
 伸びのびダイナミックにギタリスティックの究極を鳴らすド迫力。
 しっとり端正な浅見純子のタラント。
 ギター長谷川暖の斬新な和声に耳を奪われる。
 強烈なメッセージ性、ストイックな粋とツネリがびんびん効いた、
 笑わない山室弘美の純白のアレグリアス。
 目を閉じればスペイン人カンテが聞こえてくる、
 年季とドスがフラメンコの核心を貫く瀧本正信の分厚い踊り歌。
 一部終了時、すぐ横で全力熱唱するロッカメンコ有田圭輔の肩を
 大御所・瀧本がポンと叩いてねぎらう場面が印象的。

 すでにステージと一体となった客席のエキサイティング状況が、
 休憩を挟んで第二ラウンドに突入する。
 ムイ・ヒターナの重たい看板を軽々と背負いきった小林泰子のソレア・ポル・ブレリア。
 すべてが自然に懐かしく、愛敬のにじみ出る影山奈緒子のタンゴ。
 スタイリッシュな気品と均整に充ち満ちながら、
 鋭く透明なペソでその深遠に切り込む入交恒子のソレア。
 60を越えても衰えを知らない高橋紀博のギターがバイレに安心と冒険を与える。
 と、ここまでの気合い漲る7ヌメロで、すでに客席の高揚は沸騰点に達している。
 う~~~ん、何て凄えフラメンコたちなんだろう!

 そして大トリは鈴木眞澄。
 あれっ。出だしからいつもと違う。
 この25年で20回以上は見ている彼女のアレグリアス。
 カディスの明るい潮風のようなグラシアが、
 いつもの幾倍もの好ましさで豊かに軽やかに薫ってくる。
 凛として暖かな、果てしない大きさと深さが協働する希望に溢れるエネルギー。
 よく動く若い技巧ではなく、
 アルテに奉仕するための必要最小限の心と技をつなぐ魔法。
 ああ、何という腰の座った優雅なひらめき!
 これまで私の観てきた彼女の全ヌメロの中で、間違いなくダントツの出来映え。
 ひゃー、やってくれるもんだねえ~! と、
 ラスト追い込みにかかる瞬間、心優しい聖母の如き表情から突如笑みが消える。
 うっ......。彼女は怒っている。
 彼女の心根を知る者には即座にわかった。
 天災人災に対し彼女は本気で怒っている。
 そして、被災者を魂の奥底から悼んでいる。
 だが、それらは怨みではない。
 それはフラメンコで云うところの「コラヘ」だった。
 やり場のない怒りと哀しみを自ら引き受け立ち向かう。
 一切の雑念を交えず、そのとき鈴木眞澄はフラメンコの霊感とひとつになった。
 脳髄から心臓にかけてざあッと鳥肌が駆け抜ける。
 そしてマミさんは、怒りと哀悼を同時に浄化させながら
 この奇跡のアレグリアスを舞い終えた。
 それは祈りだった。
 超満員で酸欠状態の客席に爆裂する大喝采!
 ラスト30秒、無意識のうちに客席は鈴木眞澄とともに祈っていたのだ。

 運営幹事でもある彼女はすぐさまマイクを取り、
 涙を呑み込みながらメンバー紹介をすませ、
 気丈に来場者からの義援金に感謝を述べた。
 まるで古典映画の名シーンのような私の中のドゥエンデはずうっと続いていた。
 金では買えないこういう瞬間がポーンと出てくるフラメンコを誇りに想った。
 平静時も混乱時も手抜きなく全力で生きるフラメンコが、
 日本の復興に大いに貢献できる時代に突入したことを臆面なく実感してもいいと思った。
 入場時に奮発した最後の万札が、
 何百倍か有り難い記憶となって心のデータバンクに蓄積された。


 月とスッポン.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年4月22日(金)/その667◇到達点じゃなくて

 スーちゃんこと、田中好子さんが他界した。

 ほぼ同期、私よりひとつ年下で、
 同じ東京東部の出身だったから、
 昔から妙に親近感があった。

 映画『黒い雨』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を
 受賞したのが1989年。
 誠実さのにじみ出る好感度な女優だった。

 同期の親しい仲間がバタバタ入院する時期でもあったので、
 さあ、そろそろお前も準備しておけよ、
 と云うつぶやきが内側から聞こえてくる。

 ずいぶん前から準備だけはしているつもりだが、
 いざとなればウロウロうろたえるに違いない。
 こわいものはこわい。それはそれでいいと思う。

 私にだって、生きてるうちにこうなりたいという
 強い到達目標は幾つかあるが、
 それに優先する大切なヴィジョンを、ほぼ毎日想う。
 パセオ4月号しゃちょ対談で、若い今枝友加はこう述べている。
 
 
 私はずっと進化していたいな。
 到達点じゃなくて、
 死ぬまで進化しつづけてることが唯一の目標。
 そういうプロセスの途中なら、
 いつ死んでも悔いはないっていう自信だけはあるから。


 1710094994_241.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月23日(土)/その668◇幕府愛

 ひとまわり年下の地元呑み友サトル。

 小学校の卒業アルバムは、卒業生全員の座右の銘を掲載する
 なかなかに粋な企画だったと云う。

 だが、さすがに小学6年生では、
 座右の銘を自分で見つけることは難しいため、
 おっかねえ担任の先生が、それぞれの性格にふさわしい内容を
 考えてくれたのだと云う。
 けしからんイタズラ小僧のサトルに、先生は云った。

 「おまえは『楽あれば苦あり』にしなさい」

 らくあればくあり。
 そう口頭で教えられたサトルは、
 初めて聞いたその格言を、わけわからんまま記入提出し、
 それはそのまま卒業アルバムに印刷された。
 

 「楽あれ、幕府あり」


 おいサトル、おめえは新選組かよっ


 とほほ3.jpg

 ───────────────────────────────
 


しゃちょ日記バックナンバー/2011年4月④

2011年04月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年4月24日(日)/その669◇選挙制度そのものを

 選挙がつづく。

 今日は渋谷区の区長&区議会議員選挙。
 ひと通り調べてはみたが、まだ決めてない。
 演説を聴いて共感できた人も皆無。
 自分の名前を連呼するだけのタワケには絶対入れない。

 地元行きつけに議員の顔見知りが二人いるのだが、
 実力好きの私としてはう~んと唸るばかりある。

 区議会議員というのは、すでに北欧で充分成立してるように、
 仕事を終えたご近所のおっちゃん・おばはんたちが、
 時給制(1500円ぐらい)の持ち回りでやればいいというのが私の持論なので、
 制度そのものに反対、そしてそんな提案の一票を投じたいというのが本音だ。
 だが、あいにく時給制を叫ぶ立候補者などひとりもいない。

 ああ、困った。
 でも、選挙を棄権するほど私は腐っちゃいない。
 今から10分後、これまでのデータを素に、
 当たらないことで定評のある直観に勝負を賭ける。


 dame.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月25日(月)/その670◇春はあけぼの

 愛とは比較検討によるものではなく、
 偶然を絶対化しようとする意志だ。
 
 いきなりシュンイチは、そう吠ざいた。
 おそらく誰かの受け売りだろーが。
 まあ、しかし、その論旨はおもろいと思うよ。
 愛に限らず、ほんとに好きなものって実際そうだもんなあ。


 鯛の刺身とハマグリの味噌汁に白いご飯。
 閑散とした平日の向島・百花園のもののあはれ。
 演歌を唸りながらブラつく荒川べりの秋の夕暮れ。
 マッカランのストレートで聴くグールドのバッハ。 
 寒い日暑い日、坂道を登りながら聴くパコ・デ・ルシア。


 書きゃあキリないが、ま、シュンの云うように、
 どれも偶然好きになったものを絶対化しようとする意志、もしくは趣味だ。
 
 大きなところではたくさんの人々とつながっていたいと願うが、
 絶対に書けねえことも含めて、こういう個人的なヘンタイ趣味というのは、
 やはり内緒でこっそりというところに醍醐味があるのかもしれない。


 画像 020.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月26日(火)/その671◇忘却力

 選挙をすませた日曜の午後。
 翌日のための原稿を片づけ、新宿で打ち合わせ。

 ついでに高島屋のユニクロでTシャツほか購入、
 さらについでに紀伊国屋書店で文庫数冊購入。

 池澤夏樹/きみのためのバラ
 恩田陸/図書室の海
 岡本かの子(←太郎の母)/老妓抄
 筒井康隆/ダンシング・ヴァニティ
 杉本章子/銀河祭りのふたり(信太郎人情始末)
 澁澤龍彦/ちくま日本文学
 ジェフリー・アーチャー/15のわけあり小説

 電車、食事、風呂、トイレ、歯磨きなどを駆使して、
 読む周期に入ると、一日一冊くらい読む。
 そういう時期は、新しいバランス感覚を探ってるときが多い。
 江戸っ子の流し読みだが、気に入ったフレーズを見つけると、
 無言の音読でリズムと響きを何回か歌ってみる。

 そして、すぐ忘れる。(汗)


 とほほ3.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月26日(火)/その672◇犬の手ぐらいで

 この震災で延期になった発表会も多い。

 今日はやはり延期された連れ合いの教室発表会初日。
 スタジオ番犬ジェーが宙に浮くため、
 こうした時の彼は、パセオ編集部で丸一日勤務するのだ。

 締切明けなので、猫の手を借りるほどには忙しくないが、
 犬の手を借りて8月号の原稿整理にかかる予定。

 明日から連休明けまで取材&執筆のラッシュが続くので、
 せめて今日ぐらいは、ジェーの好きな神田川遊歩道を
 のんびり、たっぷり散歩しようと思っている。

 ───────────────────────────────
 2011年4月27日(水)/その673◇連休好き

 連休は大好きだ。
 電話や来客もほとんどないので、
 やりたいことに集中できるところがいい。

 ゴールデンウェークというのは、
 一年を通してもっとも仕事のはかどる時期なのだ。

 毎週がゴールデン・ウィークであるなら、
 良質な仕事のストックがたくさん出来そうだ。

 もしそうなったら、平日は全部お休みにでもすっか。

 ───────────────────────────────
 2011年4月28日(木)/その674◇ベストワンは?

 パセオ5月号のベストワンは?

 「そりゃ当然、しゃちょ日記『天才アドバイザー』だよなあ」

 カウンター隣りで呑むヒデノリに、そう私は圧力をかける。
 「はあっ?」と返す奴の顔には、こう書いてあった。

 「そんなワケねえだろっ!」


――――――――
by ヒデノリ

ベスト・オブ・〈Paseoフラメンコ〉。
ココは読んどけ、5月号ベスト3!!!

さぁ、皆さん、アタマの中で
ドラムロォォォォォォール!

☆ ベスト1 ☆
エンリケ・モレンテ
自由を歌う声

今回は彼をはずすことはできない。
なにせ2つのコーナーで取り上げられているし、
どちらの記事にも敬意が溢れ喪失を嘆いている。
前者では本人の人柄がよくわかる。
後者ではその足跡をたどることができるといった具合。
私はマエストロ・エンリケについて
深い知識を持ち合わせていなかったので、
ベスト1はこちらの記事にさせてもらった。
そしてパセオ3月号を取り出して
カニサレスが寄稿した追悼文もあわせて読み返してみた。
泣けた。泣けましたね。男ってこうじゃなきゃ。
男同士ってこうじゃなきゃ。
エンリケという才能を失うことが、
フラメンコにとってスペインにとって
どれだけ大きいのか、まったく想像がつかない。
願わくば危機感となって、後に続く才能の尻を
ひっぱたいて欲しい。自分を超える才能の出現を、
いちばん願っているのはエンリケ・モレンテ
本人だと思う。彼は間違いなくそういう男だ。

☆ ベスト2☆
フラメンコ忘備録
グラシアス小林 帰国初ソロ・ライブ
la soledad bella ~ 美しき孤独

グラシアス小林。
フラメンコに出会って40年。
30年間スペインで活動し2005年帰国。
独立独歩でバイラオールの道を
歩んできたのだという。
まず、昭和の香りが濃密な「グラシアス小林」
という名前がいい。すでに感謝がある。
つぎに、独立独歩という有りように魅かれる。
そこに真っすぐに伸びた背筋を感じる。
いま日本に勇気を与えられるのは、
じつはこんな男ではないだろうか。
自分で考える。自分で感じる。
自分で決断する。自分から行動する。
自分で責任を取る。
きっと彼はスペインでの30年、
自分を積み重ねてきたに違いない。
グラシアス小林。なんだかいつか
街でばったりと出会えそうな気がしてきたが、
残念、顔が分からない。

☆ ベスト3☆
Flamenco 心と技をつなぐもの4
石塚隆充「完全コピー」

言ってしまえば真似である。
それを堂々と専門誌で語ってしまうあたりに
彼の並々ならぬ自信を感じる。
そもそも「完全コピー」などありえるのかという
言葉の解釈めいた理屈はわきにどけたい。
やってみればわかることだ。
試しに森進一の「ひとり酒場で」を
1000回、歌ってみるといい。
(もちろん別の歌でも同じ結果が得られる)
1000回歌えただけでも自分を褒めてしまいそうだが、
彼の言う「完全コピー」はもっと先にある。
歌の成り立ちから、歌い手の生い立ち。
詩の背景も、歴史も文化も呼吸する1000回だ。
そして彼の1000回は、ゴールではなくスタートだ。
そこからオリジナルへの昇華が始まる。
なんと過酷で素敵な仕事だろうか。
年齢も近いのに、住まいも近いのに、
はるかかなたにたたずんでいる人のように
感じてしまうのが切ない。

 ───────────────────────────────
 2011年4月29日(金)/その675◇来るか来ないか

 本日のお楽しみはカスコーロ・ライブ。
 ぐらやみゅしゃの忘備録仲間も駆けつけるという。
 この心躍るような顔ぶれ!
 
 【カンテ】エンリケ坂井
 【ギター】金田豊
 【バイレ】佐藤佑子/小島慶子/遠藤太麻子/佐藤聖子

 実はおとつい、小島慶子さんを取材している。
 パセオ9月号「心と技をつなぐもの」に登場してもらうのだ。
 その天才性に注目し始めてから、すでに25年。
 ムイ・フラメンコにして、
 華のある息の長いフレージングで旋律美を歌う、
 憧れのスーパーバイラオーラである。

 そして、昨年のプリメラ祭で大トリを取った佐藤佑子さん。
 パセオ創刊当時からすでにカリスマとして君臨していたベテラン大バイラオーラ。
 もの凄いメンバー(前座が沖仁!)による大興奮ライブを、
 想像を絶するインパクトで締めくくった彼女が記憶に生々しい。
 技術は旧式なのだが精神が真新しい、というか見事に瑞々しいのだ。

 フラメンコに新旧はない。
 ただ、「来るか来ないか」だけがある。
 そんなことを今日もまた実感するんじゃないかっていう予感!

 犬棒.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年4月30日(土)/その676◇旧友

 興奮と感動の醒めやらぬ、要町のカスコーロ・ライブのあと、
 新宿で旧知の由雄と呑んだ。

 ヨシオは私より幾つか年下だが、
 底なしの包容力を特徴とする懐かしい薫りの人間で、
 ガサツでセッカチな私とは何故だか妙に相性がいい。

 互いに昭和チックであり、共通する趣味も多いので、
 いつまでも話が尽きることはない。
 だから、二時間だけ呑もうと決めていても必ず終電になる。
 ゆうべは『安寿と厨子王』の話で盛り上がった。
 どちらかがくたばるまでは、ずっと呑み友であるような気もする。

 心おきなくリラックスする楽しい時を過ごし、
 それじゃあまたな、と握手を交す由雄の笑顔は、
 次の瞬間、何かに立ち向かうような凛と引き締まった表情に変わる。
 きっと奴にも奴の苦労があるのだろう。
 じゃあ、おれはおれで一体どんな顔をしてるのだろうかと、
 その時私は思った。


 ジェーシャドー.jpg 
 ───────────────────────────────