フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

つかむコンパス [206]

2008年04月17日 | 超緩色系






           つかむコンパス


 

 

           

 




  むぎゅう。  
 


 つかんで嬉しいのは"コンパス"だけではない。 
 
 はじめてつかむ綺麗な姐さんの両のおっぱい。 
 勤労の見返りはこんなにも大きいのかっ! 
 意外にも世の中は楽しく、ちょろいかもしれない。

 
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 将棋のプロテストに失格後、昼間はそこそこ高校にも通う当時16、7歳の私が、文京区は小石川にある景気の良さそうな製本会社で堅気のアルバイトに励んだ時期がある。 
 電話帳の製本という実に単調な作業だったが、それでもいかにキレイに、いかに素早くこなすかというテーマを発見してからは、それなりに楽しくやってた。 
 
 褒められたくてそうした訳ではないが、そんな仕事のやり方がそこの社長の目にとまったみたいで、毎週土曜の仕事がひけたあと、幹部連中と共にくり出す盛り場遊びのお仲間に加えてもらった。 
 37年前の国鉄・大塚駅あたりの、1軒目はそこそこの割烹で、2軒目がちょいヤバのキャバレーというのがお決まりのコースだった。 
 何せ高1のガキである。今じゃそうもいかねえだろし、随分とのどかな時代でもあったわけだ。 
 勘定はすべて社長持ち。時給230円で働く少年にとっては夢のような豪遊である。

 
 「ほれ遠慮すんな勤労学生、ハタラキもんの特権じゃあ」 
 
 気さくな先輩たちの温かいアドバイスに、こーゆー状況下ではとっても素直な私が、じゃあひとつすんません、と遠慮なくそのお宝をつかませていただいたのが冒頭のシーンだ。 
 「この子ロコツぅー」とバカ笑いする、その奥村ちよ似な姐さんの鼻血の出そーなセクシーバディを全身全霊で受けとめたあの歓喜の瞬間を、昨日のことのように思い出す。 
 恥ずかしながら男の場合、こうした出来事はとっても大きな人生上のモチベーションになり得る。 
 
 まるでパブロフの犬のように、その後の私が、どんな仕事でもとりあえずしっかりやっときゃ、きっとその内いー事あるだろーという具合の人生コンパスを、いとも安易に刷り込まれちまったのは無理もない話だろう。 
 スケベであることに比例して多少のことではメゲない性格は、どうやら十代中盤のこの時期に思いきり形成されたらしい。 
 そしてまさしくこの時期に、私はパコ・デ・ルシアに出逢うのだった。


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 当時推測したほど世の中はちょろくなかったが、楽しさの点において、渡る世間は予想以上だったかもしれない。 
 ごく稀に、まじめなんですねと云われれば、原点が原点だけに今でも心で赤面する。 
 で、そんな奴あ俺ぐれえのもんだろと思いきや、歳を食って周囲を見渡せば、お仲間さんたちはみな似たり寄ったりの風情でもある。 
 
 まぢでけな気ではあるんだが情けないこと甚だしい、ペーソスだけは100点満点と云えそーな、ある"勤勉"の真実。 
 如何にもっともらしく構えたところで、結局は女の手のひらで転がってるだけの男たちの実相は、哀しくもあるのだが、ちょお笑えるところに若干の救いがあるだろう。  

 

        

         

 




 

 


 


我が良きあんたらよ [205]

2008年04月14日 | 超緩色系






          我が良きあんたらよ

 

 

        





 金や才能がなくともその分がんばりゃ何とかならーなとアタリをつけ、ならば好きなことで暮らしてゆこーと決めたのが十代後半。
 もろもろ見極めたつもりになって、そのとーり走っちゃった二十代。
 見極めそのものの誤りに気づいたものの、もう止まんなくなっちゃった三十代。
 強く反省しながらも、やりたい放題に拍車のかかっちゃった四十代。
 深く反省しながらも、やりたいこと以外はな~んも出来んことが判明しつつある五十代。
 ま、まさか?と気づくも三十年ばかり遅すぎ。あとのフィエスタ。
 
 バカは死ななきゃ治らないという法則がミョーにこの身に染みるのは、今日というこの日が、残り少ない人生の最初の日であるのと同時に53回目の誕生日だからだろう。
 
 
 「人間万事塞翁が馬」は世の実相であり、そのつど変化を経ながらも長いスパンにおいては結局、人はそのヴィジョン通りに暮らし、そういう人となる。
 宗教・思想・倫理などに好意を抱いた若かりし私が、それら先方さんから好意を持たれたことは残念ながら一度もない。
 そういう意味で宗教・思想・倫理は賢い美人によく似てるが、私に道徳を求めることはゴキブリに飛ぶなとお願いするぐらいに空しいことだと思う。
 
 青春時代の価値基準の優先順位は“真善美”もしくは“根性”だったが、いつの頃からかその一番手は“ユーモア”に変化している。
 これはどこにも就職できなかった奴が出版社などをデッチ上げ俺は社長だと開き直るような変化によく似てるが、この件については他言無用に願いたい。
 
 さて、ユーモアはアートの一部だと思っていたのに、いまではその逆だと感ずることも多い。
 生命力の果てた既成概念を破壊し豊かさの本質に迫ろうとするユーモアの、その機能性の高さと表現ジャンルの多様性には今さらながら感嘆せざるを得ない。
 古くは聖徳太子から現代の関川夏央や土屋賢二に至るまで、意外にもわれら日本はユーモアの宝庫であることにも気づかされる。
 しかしながら、そうした私の心境の変化がいわゆる単なる老化現象だとハタと気づくのには今しばらくの時間を要するであろうと、私自身は分析推測している。
 
 
 それはさておき、連戦連敗・悪戦苦闘の境遇ながらも、そのよーな私にあまりある幸いをもたらす愛しき仲間や友や犬や同居人などよ。
 そして、不肖の子孫に目をそむける、おそらく代々ビンボーだったであろう御先祖さまよ。
 さらに、佳き時代に生まれた幸運、すぎゆく愛しき日々などよ。
 年にいっぺんだけれども、不肖このわたくし、ユーモア豊かなあんたらに心からの感謝を捧げたい。