フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

隠れ家(2)[024]

2006年01月31日 | 超緩色系


             隠れ家 ②    



             
   
    『フアン・マヌエル・カニサーレス/イマンとルナの夜』
              (NUEVOS MEDIOS/1997年


 十年一日の如きに通う、わが街・代々木上原の誇り。
 その名を『健』と云う。とーぜん仮名だが。
 ま、いい機会なので、今日はこの「私の隠れ家」の中を冷静に観察してみようか。


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 酒は、まあ普通である。

 だが、料理は尋常ではない。すべてに及んで特上だ。
 刺身、和え物、煮物、焼き物、揚げ物、伊賀者、甲賀者など、何でも来いの体制で、何でも美味い。
 向島で鍛え抜いた健さんの腕前は、アントニオ・マイレーナとフアン・マヌエル・カニサーレスのいいとこ取りをしたような感じだ。つまり、伝統をがっちり押さえた上でガンガン冒険しまくる芸風なのである。

 「健さん、これうまいねえ」と、料理通で知られるご近所の有名俳優さんも絶賛するアルテなのだ。

 スピードは、おおむね遅い。
 料理に手を抜くことが出来ないのだ。
 だから料理を注文する時には「年末までにはどうかお願い」みたいな気丈な覚悟でのぞむべきであろう。

 値段的には、靴も買わずに酒を飲む私の経験値を総動員して分析すると、費用対効果は超優秀である。
 クオリティに比べザッと六掛けというところか。

 接客は、かなり凄いと私は思う。
 代々木上原のソフィア・ローレンと称される女将は、高度な癒し系プロフェッショナルなので、お客は程よくゆるめに楽できるのだ。

 客層は、私ほどの人間でさえ「サイテー客」にランクされるぐらいで、あとは推して知るべしである。
 安くて美味しい店を見つけるのが上手な有名人のお客さんもよく来店するし、また、遠くに引っ越した人たちもわざわざ電車に揺られてやってきたりもする。


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 さて、お店全体のアイレとしては、客筋の良さもあり、おおむね上品である。
 だから、下ネタなどで盛り上がることはメッタにない。
 メッタにないのに、そういう時に限って、偶然私が居合わせてしまうというのは実に不思議な現象である。

 ………私を疑うのは自由だが、こうした場合はいっそのこと、ドゥエンデのような一種の超常現象として解決すべきではないだろうか。

               
       
          
                               『フラメンコの大家たち(9)/アントニオ・マイレーナ』
                                   (LE CHANT DU MONDE)

 

 


隠れ家(1)[023]

2006年01月30日 | 超緩色系


            隠れ家 ①    


 どんなに切羽詰まった問題を抱えていようと、そこにたどり着きさえすれば、あらゆる憂愁は一瞬のうちに消え去り、ひと時の心の平安を得て、立ち去る頃には何がしかのパワーを取り戻すという。
 そう、そこは私にとって、なくてはならぬ「隠れ家」なのだ。


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(1)犯罪用の根城

(2)ソープランド

(3)女装するために借りた部屋

 さて、この「私の隠れ家」の正解はどーこだっ?
     
 …………ふふふ。君が(2)(3)で迷ってることは、とっくにお見とーしだ。

 ブ~~である。もともと三択ではないのだ。
 正解は(6)の「ご近所の飲み屋」だ。
 バツとして、残り(4)(5)(7)について各自考えておくように。


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 自宅から歩いて三分。
 代々木上原の飲み食い処「健」とは、もう十年の付きあいになる。冒頭の理由から、ついつい週二、三回のペースで通うことになっている。

 ご近所を散歩中のわが家の守護犬ジェーと連れ合いに見っかってタカられてしまうこともあるが、関東が誇るこの名店こそが、私の唯一の隠れ家的飲み屋なのであった。

         
   [上原駅前のファンタジック・スポット“花市場”]


 見てのとーり、私はオリンピックの年にしか服を買わないタイプの人間だが、晩の飲み食い部門においては、あるだけ使ってしまう江戸っ子なのだ。

 少しでも演奏家に印税が届くようにせっせとCDを買いまくる私も典型的な江戸っ子だが、立ち食いのかき揚げそばに卵を頼むかどうかの重大な岐路に立たされた昼時の私は、ちょっとだけ江戸っ子でない。
                     (つづく)

 

 


二元中継 [022]

2006年01月29日 | アートな快感


    
   二元中継    



 ほうぼうで溜めた雑用をすませ、午後からパセオへ。
 やり残しの企画書を二つばかりやっつけると、夕方のフラメンコ協会の新年会までにはまだかなり時間がある。
 今日もいい天気で散歩に繰り出したいのは山々なのだが、今日のパーティーはフケるわけにはいかない。発売するDVDのプロモーションで来日中のあのラファエル・カンパージョが、なんと新年会のアトラクションで踊るというのだ。

 いつでもスパークできるタップリとした容積を持ちながら、ほんとに必要な時にだけ瞬時にズバッと決めるのが彼の“粋”である。10あるところをしか見せないで満場の喝采をさらうラファエルの至芸は、しかないところを10に見せたがる人(あーそーだよ、俺のことだよ)には学ぶところが多いのだ。


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 十日連続で書いたので、ブログはひと休みのつもりだった。
 そんではと、ネットのBookmarkをチェックしてみると、大友浩がブログに面白そうな映画コラムを書いている。お題は韓国で記録的な大ヒットを飛ばした韓流軍事映画『シルミド』だ。
 相変わらず鋭い視点でガンガン突っ込んでる模様である。
 尚、この大友浩という尊敬すべき後輩は、私のバッハ仲間であり、ガラにもなく文化庁芸術祭の審査員なども務める高名な演芸研究家なのだが、その実体は単なる笛吹童子(リコーダー)である。

 さて、じっくり読んでみるとこれがチョー面白い。
 ヒマつぶしに超緩色系の迷惑コメントでも書き込んでヤッコさんを閉口させてやろうかと、せっせとキーボードを打ち込む。
 書き上げて、さあ投稿ボタンを押すと、これが送信できない。よくわからんが字数が多すぎたのかもしれん。
 ちぇっ、バチが当たっちゃったよ。

 だがしかし、転んでもただぁ起きねえ、で、ふたたび転んでしまうのが江戸っ子の心意気というものである。
 とっさに私はいい手を思いつく。大友のブログに書いたものの送信できなかったコメントを俺のブログに貼っつけて、それを大友に読ませちまおうという寸法だ。
 これならせっかく書いたコメントを無駄にしないですむし、おまけにブログを一回分儲けることができるわけである。


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 というわけで、本日のメニューは私の投稿コメントです。

 まず、本欄左のBookmarkにある『リコーダー通信』という大友浩のホームページに飛んで、その一番下メニューにあるブログをクリックします。そこで、26日付の[映画『シルミド』とシルミド事件]というのを読んでください。
 で、読んだらまた戻ってきて、この下に書いてあるそれに対するコメントを読んでいただくという段取りです。
 面倒くさそうにも思えますが、また、それを読む読まないは別として「うわっ、二元中継じゃん」みたいに喜んでくれたほうが、お互い傷は少ないように思います。

 尚、ここでの私は明らかに「一石二鳥」を狙っていますが、云うまでもなく私の場合それは「二兎を追うものは一兎も得ず」と同義語であり、結果もまたそのように進行するであろうことは云うまでもありません。では、また明日!


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[映画『シルミド』とシルミド事件]へのコメント
                投稿者[小山雄二]


 大友さんの新鮮にして濃厚な切り口には、いつもながらハッとされられます。毎度脱帽してしまうので帽子をかぶっているヒマもないぐらいですが、今回は特にチョー面白かったです。

 『シルミド』はレンタルとテレビで計二回観ました。
 『シミド』だったら、もっと音楽的な映画になっていたような気がしましたが、どうでしょうか。

 さて私の場合は、例によってドンくさい視点からこの映画にのめり込みました。映画が始まるなり、あっさり隊員に感情移入したのです。
 で、そうしてる内に何かデジャ・ビュだぞと思ったら、その正体は私たちのあの『忠臣蔵』でありました。強制参加と自主参加という極めて大きな違いがあり、とり巻く状況もまったく異なるわけですが、そこは勘弁してください。

 私が『忠臣蔵』を観る時はいつも、討ち入りに参加する下級武士に自分をなぞらえて、大石さんや吉良さんや幕府の動きに注目するのですが、この『シルミド』でもやはり私は比較的弱そうな隊員の立場にのめり込んでそのようにしました。
 「行くも地獄、戻るも地獄」あるいは「前門の大友、後門の虎ンペット」のような極限状況は、まるで普段の株式会社パセオ代表取締役みたいな状態なので、私にはいとも簡単にそれができるのです。

 両方ともいかにも人間らしい残酷な史実ですが、その共通項として、ちょっとだけ嫌な言葉ですが“大義名分”がありました。
 比較的弱そうな隊員の私は、死と隣り合わせの訓練と思わぬ裏切られ展開の中にあっても、その先にある希望の光だけは失わずに、得体の知れない充実感とともに生きていたことを、昨日のことのように想い出します。
 組織(国家)がどんな冷酷な手段を講じようと、個人たる俺はしたたかに目標を設定し直すことで、少なくとも己の命の焔だけは完全燃焼させたろう。そんな心境でした。
 クレイジーな状況とはわかっちゃいるけどやめられない、何とか前向きに適応しちまおうとする、これもまた、人間の業と云うべきものなのかと思ったことでした。(おしまい)


 ところで、お約束の『シックス・センス』はまだですか? 遅くも今世紀中にはお願いしますね。では、また



冬ぼたん [021]

2006年01月28日 | 四季折々

 

        冬ぼたん


    


 東京には四季がないと云われるが、江戸っ子としてはそりゃねえよと云いたくなる。
 ここ大江戸にも、折々の季節の風情をめいっぱい感じることの出来るファンタジック・スポットが実はたくさんあるのだ。

 一月は、上野東照宮の冬ぼたん。
 二月は、湯島天神や池上梅園の梅。
 三月は、向島や神田川や飛鳥山などの桜。
 四月五月は、亀戸天神の藤と根津神社のつつじ。
 六月は、堀切菖蒲園もしくは明治神宮の菖蒲。

 私の上半期の年中行事をちょっと書き出すだけでもこれだけある。がっとネジを巻いて仕事を片づけ、アレグリアのフットワークで目的地に到着すれば、やっぱ来てよかったよーとなること請け合いなのである。


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 そんなわけで本日の私も、がっと午前中に仕事を片づけ、快晴に恵まれた大江戸は上野のお山、東照宮の中にある“ぼたん苑”へと出かけ、冬牡丹のその清らかな風情を、このうす汚れた私の心の中にしこたま吸い込んできた。
 久しぶりにそのまま上野・鈴本演芸場でどっぷり落語でもという段取りだったが、せっかく撮った何とも可憐な冬ぼたんを一刻も早くブログにアップしたくなってパセオに戻ったところだ。


    

    

                 


 ぼたんの脇に、それにちなんだ俳句の立て板がたくさん並んでいるのだが、その中で迷わず私が選んだ一等賞はこれだった。

    「八方に開き崩れず寒牡丹」

    

 な、なんと作者名は“佐藤桂子”とある。
 たぶん同姓同名なのだろうが、ちょっとびっくりした。
 その瞬間、優雅なのに力のあるこの佳句と、絶世の美女と謳われた(もちろん今でも)スペイン舞踊の佐藤桂子さんのエレガントな舞いがオーバーラップした。

 冬ぼたんのまん中に、あの優しい桂子先生の美しい笑顔がパッと浮かんだ。

 


癒しの巨人 [020]

2006年01月27日 | フラメンコ

 
               癒しの巨人


 「癒しの巨人」。

 つい先ごろ、私の心の中でそう異名を取ったのは、フラメンコ舞踊の森田志保さんである。


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 森田さんと云えば、独立前に師匠の公演に出演していたころより、周囲から大いに注目されていた逸材で、日本フラメンコ協会新人公演(第三回)でも奨励賞を受賞されている。

 「あの人って、なんか癒されるんだよね」と、映像ディレクターの寺田さん(スタジオ・オズ代表)はそう云う。

 美しい透明感をともなうふしぎな存在感のただよう人で、いわゆるフラメンコ系とはちょっと異なるタイプなのである。
 無内容であるが体脂肪率的な存在感にあふれるこの私と、ちょうど正反対のタイプと云ったらわかり易いだろうか。


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 『HANAシリーズ』は初めて観た。

 えっと意表を突かれたのは、フラメンコには稀なシュールリアリスム系の舞台だったからだ。
 どちらかと云えば苦手なテリトリーなのだが、出演者のクオリティがめっぽう高くて、一気にラストまで持っていかれてしまった。

 終わってみれば、不思議に好ましい余韻にしっぽり包まれるかのような心持ちである。

 恐るべき水準で白熱するフラメンコ・シーン以外の、アッと驚く演出を含むさまざまなエピソードの意味が私にはわからなかったが、終演暗転と同時に、いきなりそれまでの舞台全体がひとつのイメージにつながった刹那の感触は忘れがたい。

 後でほかの連中に聞いたら、やっぱり同じような感想をもらした。
 共通するイメージは、傷つくことを恐れない「巨大な癒し感」である。
 やってくれるじゃねえか、と思った。


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 地球上にただひとり、彼女だけの感性の光を観た。

 ………それは、過酷な現実に真摯に向き合うことではじめて生じる、高い透明度の、クールな余裕をもった、しかし程よい湿度のとても暖かな光線だった。

 私個人の好みからは、大きくかけ離れたフラメンコだった。
 そのことは、取りも直さず「私個人の好み」のテリトリーがいかに狭いものであるかの証明でもあった。

 くやしがりながらも、何だか私はとてもうれしかった。




            



※『癒しの巨人』はパセオフラメンコ・ホームページ「フラメンコつれづれ日記」から手ぬき転載し、若干手を加えたものです。

 


 


最後の砦 [019]

2006年01月26日 | 超緩色系


       最後の砦


 打ち合わせで上野まで出たので、ついでに稲荷町にある菩提寺へ両親の墓参りに。


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 里心と云うのだろうか、どうせなら今日は生まれ故郷で飲むかと、36年来の親友JR平井駅で待ち合わせる。

 親分肌のはここ地元ではそれなりに人気者なのだが、あいにく十何代目かの筋金入りの江戸ッ子なため、私以上に労多くして功少ない人生を送っている。
 ただし、このブログの熱狂的な愛読者である。


    


 さっそく飲みはじめ、互いの近況報告をすませると、彼はいかにも云い辛そうにこう切り出すのである。

「おめえがひつこく云うもんだからよ、読んでみたんだけどな。
 あのフラメンコのチョーナントカっていうやつ…。いってえ何なんだ、ありゃ?」

 早くも暗雲である。
 どうやら「彼はこのブログの熱狂的な愛読者である」というくだりは私の一方的な思い込みだったようだ。
 番組途中だが、いさぎよくお詫びして訂正したい。


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「こう云っちゃなんだけど、会社のギョーセキとかに悪影響はねえのか?」

「うん、今のところないみたいだ。もともと最悪だしな」

「ならいんだが……その、社員たちが肩身の狭い思いをしてんじゃねえかと心配でな」

「いや、社員は読んでないから、その点だけは大丈夫だ」

「でも、ギョーカイの人たちとかに、おめえの馬鹿がばれるとヤバいんじゃねえかい?」

「誰も読んじゃいないって。俺たちの世界はそんなにヒマじゃないんだ」


 ヤケクソな勢いだけで世渡りしてきた私の空洞性を誰よりも知り尽くすは、真実を隠しつつもビミョーな虚勢を張る私に、おだやかに、しかし心配そうにこう続ける。


「しかしなあ、いちようおまえも社長なんだから、もう少しなんとかならんのか?」

「あれでも精一杯やってるんだ。少しは書く方の身にもなってみろよ」

「それを云うんなら、あんなもん読まされる方の身にもなってみろてんだ」

「でも、俺のはタダで読めるんだぜ!」

「当たりめーだ。あんなもんで金とったらオマワリにとっ捕まらあー!」 

 

 ………犯罪者かよ。

 もういい、お前の気持ちはわかった。
 まるで落語の『寝床』だ。
 想い起こせば、この男には中学時代から世話になりっ放しで、いまだに借りを返せちゃいない。

 友というのはありがたいものだ。……わかったよ、悪かったのはこの俺だ。


              
      『桂枝雀/寝床』(東芝EMI1995年)


 しかしよ、お前の心配はもっともだがな、本当は心配することなんか何もないんだよ。

 なぜって……世界広しといえどもマジでこれを読んでるのは、お前さんだけなんだよ。


 


カマロン慕情(4)[018]

2006年01月25日 | フラメンコ


          カマロン慕情        


 カマロン十八歳、パコ・デ・ルシア二十一歳。

 フラメンコの超天才が互いにスパークする世紀の傑作『コラボレーション』である。

 フラメンコの「伝統の結晶」「革新の原点」という目映いまでの光が、このディスクには熱く深く刻まれている。
 フラメンコに関わる人たちの中で、この名作の影響を受けなかった人は、おそらく一人としていないだろう。

 若き日の逢坂剛はこれを聴いて、居ても立ってもおられずにスペインに旅立ったという。
 若き日の私も、居ても立ってもおられずに、結局横になり懸命にゴロゴロ転がったという。
 実力とか貧富の差とか
は、多分このへんから生じるのだろう。


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 人類に遺されたカマロンの名唱の数々は、聴く者すべてに愛と希望を与えずにはおかない永遠の輝きを放ちつづける。
 壮絶なプレッシャーと闘いながら、天才クリエイターとしての使命をまっとうしたカマロン四十一年(195092年)の生涯。

 ふと、ジェームズ・ディーン、赤木圭一郎、大場政夫、尾崎豊らの凛とした面影を連想することもある。
 みな私が大好きなヒーローたちだ。
 それは「共感」ではなく「憧れ」という落差なのだが、いつの間にやら、その「落差」を素直に受け入れることのできる年齢に達した自分に驚いたりもする。

 そして、カマロン逝去から十四年が経つ。
 しかし、その実感はまったくない。
 なぜかと云えば、パセオ(会社)でカマロンの歌声が響かない日などまずないし、こうして休日ともなれば朝一番からデュエットしたりするわけで、一年365日、彼の存在しない日などはなきに等しいからである。

 五つ年上のカマロンだが、いまでは私の九つ年下ということになる。だがいつまで経っても、私にとってのカマロンが永遠の兄貴分であることに変わりはない。


           
             『カマロン/生きよう』(POLYGRAM1984年)


 年がら年中ドジを踏んじゃあタメ息をつく私に、ご近所のあんちゃんのような親しげな眼差しを向けながら、私の内なるカマロンは、あの独特なシャガレ声でこうつぶやく。

 「手間ひま惜しまねえで機嫌よくやりゃあ、それでいいんだ」……と。


 そんなこんなで、休日の夕暮れは、カマロンとともに家路へと向かうのだ。


             
                                         [夕暮れの神田川]


 


カマロン慕情(3)[017]

2006年01月24日 | フラメンコ


          カマロン慕情        



     
                 [神田川のパセオ]


 「あなたはもう、忘れたかしら」で有名な神田川。

 その両岸のパセオ(遊歩道)は、都内とは思えぬほどに閑静で四季おりおりの表情が好ましくも美しい東京散歩の名所である。
 車の騒音もないので、音楽を聴きながらブラブラ歩くにはもってこいのコースなのだ。

 その日は、一刻も早く歩き始めたいというウキウキ気分だったため、電車はやめにして、ダイレクトに散歩モードへと切り替える。

 代々木上原の脇腹を走る井の頭通りを北上し、神田川沿いに井の頭公園までさかのぼるコースに、私の心は落着する。
 往復で約25キロ、CDなら枚聴けるお気に入りパターンのひとつなのである。


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 『カジェ・レアル』の続きに始まり、キース・ジャレット、古今亭志ん生、小林旭で神田川の水源池を折り返し、ぺルラ・デ・カディス、プロコフィエフ、バッハと続く私だけの音楽法則に、私の耳と脚は、幸福な休日を噛みしめる。

 ややくたびれて、永福町でゆったり珈琲を味わえば、はや夕暮れも迫っている。
 家までは、あと一時間ほどの距離である。
 と、ここでいよいよ、昨日云いかけた、毎度の散歩のトリを務める定番ディスクのご登場となるのだ。


            
     『カマロン&パコ・デ・ルシア/コラボレーション』
               (POLYGRAM1969年)


 ミラクルと呼ばれる『カマロン&パコ・デ・ルシア/コラボレーション』である。
                     (つづく)


カマロン慕情(2)[016]

2006年01月23日 | フラメンコ


           カマロン慕情         


 「カマロン!」「カマロン!」と背中を突き刺すような突然の大声に、カマロン・デ・ラ・イスラこと、わたくし007ジェームス・ボンドは、意を決して背後の敵を振り向く。

 そこには、熊のように大きな図体で道ばたにへたり込んでしまった犬に向かって、腹立たしげに「カマーン!」「カマーン!」と大声で叱りつける、ご近所にお住まいらしいテリー・サバラス風の外人さんの姿があった…………とさ。
 
 …………。こうして本日最初のピンチを切り抜けた私は、極度の空腹をおぼえ、代々木上原ホーム下の“なか卯”に飛び込み、ビーフカレーと小鉢うどんを食いながら、これから出かける新春ときめきの散歩プランに没入するのであった。


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 幸福な一日の、そのオープニングを飾るカマロンの『カジェ・レアル』は、その日の私の気分を察するためのバロメーターでもある。

 そのタンギージョにポジティブに反応する日は、まったく未知の探検コースを、あるいは、距離的には比較的ハードな多摩川、江戸川、荒川などの川沿いコースを選択することが多い。
 そのBGMはフラメンコをベースに、幕間にジャズを聴くパターンとなる。

 逆にややネガティブな場合は、駒込の六義園、小石川の後楽園、向島の百花園など勝手知ったるわが家の庭園をブラつきながら、落語を中心に、合間にバッハ・モーツァルトを聴くことが多い。

 ただ、散歩の途中で気分が変わる場合も多いので、24枚入る散歩用のCDケースには、どんな気分やコースにも対応できるラインアップが、前の晩から周到に用意されている。
 フラメンコ枚、クラシック枚、落語枚、ジャズ枚、懐かしの70年代歌謡(または小林旭)枚、というのが標準装備だ。


    
            [ある日の標準装備]


 必携アイテムとしては、冒頭カマロンの『カジェ・レアル』、桂枝雀の『寝床』、パブロ・カザルスの『バッハ/無伴奏チェロ組曲』、おなじみマイテの『愛のあるところ』。
 そして、最後に忘れてはならない一枚が……
                         (つづく)



カマロン慕情(1)[015]

2006年01月22日 | フラメンコ

 
           カマロン慕情         


 こう見えても私は「散歩の迷人」の異名をとるほどの男だ。

 その私の休日の散歩は、いつでもカマロン(フラメンコの最強シンガー)とともに始動することになっている。


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 『カジェ・レアル』をセット再生し、ヘッドホンを耳に、玄関を飛び出した瞬間、私の心はカマロンと同化する。
 わくわくドキドキするような、オープニングのタンギージョ(ロルカ作詞/月のロマンセ)が耳に飛び込んでくると、そこはすでに別世界である。

 パコ・デ・ルシアとトマティートのギター、ベースのベナベンに打楽器ルベンという、神を筆頭とする最強メンバーを従え、カマロンとともに私は心の中で絶唱する。


               
          『カマロン/カジェ・レアル』(POLYGRAM1983年)


 最寄り駅の代々木上原へと向かう私は、心だけではなくビジュアル的にもこのジャケ写になり切った気分で、さっ爽と歩を進めている。

 ハタから見れば、リュックにヘッドホンの普通のデブおやじがヨタヨタ歩いてるだけじゃねえかって……そんなことは大きなお世話だ。大切なのは外見ではなく、その心の在りようではないのか?………ちょっと違うのか、この場合。

 幸いなことに、私の内側のイメージと外側の現実のあいだには、あまりにも大きなギャップが横たわっているため、ゆきかう人々に私の真情を見破られることは、まずあり得ない。
 さすがにその胸の内をご近所に知られることは、私としてもチョー恥ずかしいのだ。
 しかし、まずあり得ないことが、いとも簡単に起こり得ることはこの世の常である。


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 「カマロン!」「カマロン!」と、あまりにも突然に、ヘッドホン越しの大きな声が、背後から私を突き刺すように聞こえてくるのだ。

 私のとっさの心境は、敵に正体を見破られたジェームズ・ボンドの驚きに等しい。
 絶体絶命のピンチに追い込まれた私は、唯一の武器とも云えるポケットに残る“ほねっこ”を右手に握り締めながら、意を決してうしろを振り向いた。
                       (つづく)

 


大江戸雪化粧 [014]

2006年01月21日 | 四季折々


      大江戸雪化粧  


 何となくそのような気配に、いつもより早く目を覚ます。
 期待を胸にカーテンを開けば……雪だあ。
 
 防寒用の完全装備を身にまとい、すでに玄関にセットされてる雪道専用超高級ブーツ(ふつーの長グツ)を装着し、雪化粧されつつある大江戸へと、朝も早よから意気揚々と繰り出す。


    


 ところで、先日アップした『伝統と革新』は好評だった。
「イラストがとても良い。文章がなければもっと良かった」という励ましのメールも二通ほど戴いている。ありがたいことだ。
 本日のブログは、その辺の好意的なアドバイスを参考にしながら本日撮影の写真中心でいってみたい。


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 まずは千代田線で御茶の水に出て、御茶の水橋から神田川を眺める。江戸時代からの名景に、聖橋や鉄道が調和するこの眺望はなかなか奥深い。降りしきる雪が、その表情により彫りの深い魅力を与えているのが快感だ。
 
聖橋の北にある湯島聖堂の庭をぶらつき、銭形平次親分でおなじみの神田明神に年始のあいさつを済ませ、清水坂を登って湯島天神に向かえば婦系図の白梅ならぬ“湯島の白雪”が「あら、いらっしゃい」と私を迎える。

             
        

 忍ぶ忍ばず“無縁坂”を森鷗外『雁』の岡田気分で下りつくせば、不忍池あたりは一面の雪景色で実にお目出たい。さらに上野から稲荷町、田原町を抜けて浅草まで闊歩する。吾妻橋の上から雪の舞う隅田川の絶景にうなづき、浅草寺にさい銭を放り込み、エイとばかりおみくじを引けば昨年につづく大吉だ。浅草寺はバカに“凶”が多いのだ。こいつぁー春から縁起がいいやと思ったとたん滑って転んで笑われた。スベって転ぶのは仕事だけにしときたい私ではあった。

 午後から仕事だがその前に、銀座線・山手線を乗りついでお目当ての駒込“六義園”へと向かう。昨秋の紅葉もすばらしく、雪が降ったらメインはここだと決めていた。


    

       
       [大江戸の名勝、駒込の六義園]


 
それにしても六義園には雪化粧がよく似合う。まるで吉永小百合みたいだ。
 春はしだれ桜が最高だし、夏は木陰が涼しいし、秋の紅葉には言葉を失うし、冬には冬の今日みたいな楽しみがある。こういう四季折々オールマイティ型庭園は実はめずらしい。

 さてと、休みなしで歩いてきたのでここらで一服だ。吹上茶屋の抹茶はうまいぞ。和菓子がついて500円だ。 
            
                         

 ちょっと落ち着いたら音楽が欲しくなってきた。珍しくも今日は朝から何も聴いてない。情景的にドランテスのピアノフラメンコかなと思ったが、いや待てよと結局ビエヒンのギターを選ぶ。ほの青いサファイヤ・トーンの幻想的響きが、しんしんと降りつもる雪景色にぴったりじゃないか。
 ふたたび腰を上げ、ビエヒンとともに庭内を小時間さまよい歩きながら、私の冬が全開になってゆく感触を満喫する。


      
      『エル・ビエヒン/語らずにはいられないこと』
          (NUEVOS MEDIOS1999年)


 さ、とりあえずお楽しみはここでいったん切り上げ、パセオでこれをアップして、他の仕事も片づけて、「雪の日は冷えまスノウ」みてえなことは豊吉に任せて、家でゆっくり風呂にでも浸かって、ご近所の行きつけで雪見酒にイカ刺し・湯豆腐と行くか。

 


サバイバル(2)[013]

2006年01月20日 | 超緩色系


           サバイバル ②

   

               


 太宰治ではなく坂口安吾寄りの私たちだが、この『人間失格』という不吉な四文字熟語にはいつもギクリとさせられる。

「ど、どうして俺を知ってるのかっ


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 強気に見えることはあっても、その実「生きててすいません」が合言葉の私たち、と私は「欠陥と偏向」という共通項でつながっている。つまり、自己保存のための防衛本能から、好きな仕事を選ばざるを得なかった連中なのである。

 彼らの生態を観察してると自分のこともよくわかるのだが、能力自体は似たりよったりでまったく大したことはない。
 そのかわり、頼まれもしないのによく働く。質より量だ。

 労働基準法の二倍三倍働くことは苦でも何でもないし、結構それ自体が楽しいのだ。法にたて突く気はこれっぽっちもないが、俺らのことは放っぽいといてほしいと願っている。

 そんな私たちだが、ごく稀に結果を出すこともあるのだ。まあ十年にいっぺんぐらいのもんだが。一般的にはそれを「まぐれ」と呼ぶことを最近私たちは知った。
 「好きこそものの上手なれ」と云うべきか「下手のヨコ好き」と云うべきかは迷うところだが、たぶんその両方だろうと思う。

 欠陥だらけで偏向の強い連中だが、好きなこと以外に食ってく道がないことを本能的に知ってるので、その境遇に不平不満の発生する余地はあまりない。
 不幸にも鈍感だし、金銭感覚も相当ヤバイが、女は好きだ。ちなみに面白いぐらいモテない。


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 彼らがそうであったように、私の場合もたまたま音楽好きアート好きだったのでこういうシノギになった。
 そうでなければ多分、料理が好きなので板前になっていたか、あるいは大好きな都電の運転手になってた可能性は本気で高い。

 待遇は重要だが、それ以前の問題でつまずき勝ちな私ら種族にとって、待遇は自動的に第二条件となってしまうのだ。
 もしポルノ男優になれたのだったら条件等はまるで気にしないところだ、という見解はみごとに全員一致している。

 才能やバランス感覚には惜しくも恵まれなかったが、欠陥や偏向を鋭く逆用することで、何とかサバイバルを続けている私たちの飲み会は、

「そーゆーフトコロの深い社会に生まれて本当によかった♡」

 という結論でいつも幕を閉じる。


          
    [不滅の都電・荒川線。嗚呼あの栄光の運転席]

 


サバイバル(1)[012]

2006年01月19日 | 超緩色系


 サバイバル ①


 「好きな仕事で生活出来ていいねえ」。


      


 ショーバイ柄こう冷やかされることは多いが、そのたびに私はギクリとする。
 確かに、好きな仕事で今のところはどうやら食えてる私は、その実力からすれば相当にラッキーだと思うし、その幸運について感謝を忘れることはない。

 だがしかし、その一方にはこんな深刻な裏事情もあるのだ。

 好きな仕事以外では使いものにならない、というのが私の本質なのである。
 好きなことなら寝食を忘れてそれに没頭するが、好きでないことは大体10分くらいで飽きてしまう。自分でも持て余してしまうほど極端な性格なのだ。

 そういう偏向が服着て歩いてるような人間だから、当然職業的にはかなり限定されてしまうタイプとなる。
 汎用性が求められる現代人としては、致命的な欠陥を背負った宿命と云えよう。
 冷やかされるたんびに「ギクリとする」のは、

「それ以外では役立たずなのはお見とーしだ
 うわっ見破られたあと感じざるを得ないからである。


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 さて、今さら遅えだろうが、こうした私の不名誉を少しでも緩和するために、ダチどもを巻き添えにしたろうと思う。

 アート関連の私の親しい友人の内、少なくとも三名は私とまったく同じタイプの人間である。
 よ。ギクリとしてんじゃねえよ。おめーたちのことに決まってるじゃねえか。

 ったく、どいつもこいつも、好きな仕事にしがみつけた強運だけでどうやら食えてる連中で、こいつらが好きでもない仕事に就いたならば、入社15分後にリストラを喰らうだろう。
 俺は入社前に喰らったが。
                           (つづく)


            
        [これ以外 お役に立てる スベはない]

 


神と仏(土屋賢二②)[011]

2006年01月17日 | アートな快感


                           神と仏    



  私が仏さまと仰ぐのは、数々の名著で、ごく一部の変人たちの間ではたいへん有名な、あの土屋賢二教授である。


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 だまされたと思って一冊読んでみてはどうだろうか。

 とりあえず『われ笑う、ゆえにわれあり(文春文庫448円)』あたりから。
 必ずと云っていいほど、書店倉庫の返品棚に常備されているはずの名著なのである。
 書店のレジに持っていくと、「か、買うんですか?」と云われるかもしれないが、そこでひるんではいけない。

 読んでみると、

(1)やっぱりだまされたと思う人56%)

(2)頁目の途中で眠ってしまった人24%)

(3)あまりのくだらなさに生きる自信を深めた人%)

(4)やっぱり買えなかった人17%

 という四通りのタイプに分かれるはずだが、苦情のある場合は文春文庫に直接かけ合ってほしい。


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 そんな土屋教授を仏と仰いで、すでに十年の歳月が流れた。

 理由はわからない。わかったところで手遅れだろう。
 かつてジャン=ポール・サルトル調と評された私の文体も、今ではすっかり土屋賢二調へと変貌を遂げている。

 この仏さまと、先に述べた神さま(パコ・デ・ルシア)の、そのお二人のおかげをもってこの私も、どうやら人間みたいなフリをして生活出来ているような気もするのだ。


    
       [わが家の神棚(左)と仏壇(右)]
             “パコ・デ・ツチヤ風”

 


 


神と仏(土屋賢二①)[010]

2006年01月16日 | アートな快感


                                神と仏    


 私が神と仰ぐのはフラメンコギターのスーパースター、ご存知パコ・デ・ルシアだが、もう一方で私が仏と仰ぐのは、ご存知ないかもしれないが、あの土屋賢二である。


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 土屋賢二。1944年、岡山県出身。東大哲学科卒。
 お茶の水女子大学に現存するこの哲学教授は、超緩色系のスーパースターでもある。

 大手出版社から単行本文庫本が多数出版されているが、

 「この本は発売当初から爆発的に売れ残り、いまだにその勢いは衰えていない」

 という教授の本人談は、かなり正確な現状分析と云えるだろう。


 また、週刊文春に実にくだらないエッセイを連載しており、「なぜ文春が?」という疑問を投げかける有識者はかなり多いことと思う。
 毎週毎週その連載を何よりの楽しみにしていて「今回のは特に面白かった◎」とかを日記に書いてるおめでたい奴は、世界広しと云えども私くらいのものだと思う。

 この土屋教授にもしものことがあれば、この私は、たとえ世の中すべてを敵に回しても、命を賭けて教授をお守りすることだけはどうか勘弁してもらいたいと願う一人でもある。


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 土屋ワールドというのは、爆笑ドタバタ・コメディのようであるのだが、実は非情なるリアリティの世界であり、また古今東西の哲学のアウフヘーベンの成果でもあり、最終的には仏の悟りのようでもある。
                        (つづく)

 

            
    『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)