フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2015年04月②

2015年04月01日 | しゃちょ日記

─────────────────────────────────────
2015年4月30日(木)その2110◆対話の時代

「私の感想は、Gilのパルティータ3番Eメジャーは最高、
 相性抜群で新しいバッハを提示していることは間違いないと感じています。
 最近はバロック音楽、バロック時代の楽器の特性から分析される当時のバッハ、
 真のバッハ的演奏と、一方でバイオリンとバッハの最高の
 交わる地点とでもいいましょうか。
 最高のバイオリンによるバッハの両極端なバッハの魅力を中心に
 自分の聞いてみたいバッハの音をイメージしたり探っています。
 かなり、マイノリティーな追求ですが。
 バイオリン側ではやはりシェリングのバッハは一つの究極という印象があります。
 藤沢周平最高ですよね!映画も含めて大好きです」

ギル・シャハム.jpg

二日連続でギル・シャハムの新譜(バッハ無伴奏ヴァイオリン)のことを書いたら、
フラメンコシーンでも活躍されるご存知ヴァイオリニスト森川拓哉さんから、
目からウロコのコメントをもらった。
こういうことがあるから、毎日せっせと日記を書く気になるのだろう。
二日酔いを熱めの朝風呂で覚まし、以下のように返信。

「強烈なシェリング原体験によって、その後のバッハ古楽(ヴァイオリン)演奏に
 違和感を覚え続けたのかもしれない。
 森川さんのご指摘によってそのことに気づきました。
 来日したクイケンの作曲当時の古楽器による古楽演奏によってその心を知り、
 『両極端なバッハの魅力』が共生できることを知ったのは
 まさにあの演奏だったことも。
 改めてパルティータ三番を聴き込んでみて、
 『相性抜群で新しいバッハを提示していることは間違いない』という
 ご指摘の明晰さにも気づきました。
 なるほど、古楽奏法とヴァイオリンの特性が、
 Gilの特性によって見事なまでに統合されている。
 Gilのバッハ無伴奏をより深く味わう大いなるヒントをいただきました、
 本当にありがとう!
 ところで。藤沢周平『三屋清左衛門残日録』(←ナウ過ぎるタイトル)の
 ラストシーンには、なぜかシェリング〝シャコンヌ〟の再現部が鳴り響きます」

─────────────────────────────────────
2015年4月29日(水)その2109◆いまだまとまらず

「このヴァイオリン、いったい何者なんだっ!?」

聴き始めてからしばらくして、作曲当時の演奏奏法に現代的洗練を加える
ヴィクトリア・ムローヴァ(ロシア/1959年~)を連想する。

強い精神力でハイテンションを貫き通すヨゼフ・シゲティ(ハンガリー/
1892~1973年)の気迫が、主に重音の瞬間によみがえる。

だが、隠しても隠してもイツァーク・パールマン(イスラエル/1945年~)の
如き天来の美音がフレーズの節々に顕れてくる。

にも関わらず全体をインテンポで貫く端正な格調高さは、ヤッシャ・ハイフェッツ
(ロシア~アメリカ/1901~1987年)の面影を宿している。

もしもこの無伴奏ヴァイオリンの演奏者を知らずにCDを聴いたなら、
正解に至るまでに現役超精鋭十名以上のアーティスト名を挙げることになったろう。
ギル・シャハム「バッハ/無伴奏ヴァイオリン全六曲」2014年録音。

yjimage.jpg

二時間弱の通し演奏を三日連続で聴いたが、いまだ感想をまとめずにいる。
何せ超人シャハム三十年におよぶバッハ無伴奏ヴァイオリン研鑽の結論である。
敢えてそうしたくなる気分に導く、
あまりにもあまりにも意外な剛速球アプローチ。(つづく)

─────────────────────────────────────
2015年4月28日(火)その2108◆買い支え

金曜マリパヘ公演で渋谷に出掛けたついでに、久々にタワーレコードへ。
ここ二十年ばかり毎月一度は通って、
世界中でリリースされるバッハ新譜の輸入CDや落語のCDを買い漁ったものだが、
こたびはほぼ一年ぶり。

6階にあったクラシック専用フロアは7階に引っ越ししていた。
しかも「7階=クラシック&落語」となっている。
まるでおれさま専用であり、あっと驚くタメゴロ~♬である。

金曜宵で他のフロアはそこそこ盛況なのだが、
この広いクラシック&落語フロアにはお客は五人ばかりである。
こりゃいかん!と、カルメン終演後の呑み代だけ残し、
バカスカ大人買いに爆走する。

久々のハーレム状態の中での最大の収穫は2014年録音、
ギル・シャハムのバッハ無伴奏ヴァイオリン全曲。
ここ十年ほどコンサートで盛んに採り上げていたのは知っていたが、
とうとう彼はヴァイオリニストの至高の夢を実現したのだった!(つづく)

1L.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月27日(月)その2107◆バランス特訓

五十を目前にウェブ日記を始めて十年が経つ。

いろんな動機があったが、その最たる理由は、暴走を特性とし
何かと整合性を欠く分裂的性格の一本化だった。
つまり私の中の〝俺〟とか〝僕〟とか〝拙者〟とか、
最も手ごわい〝潜在意識〟などの意見を統合して、
この〝私〟が一本に取りまとめようとする人生初の試みである。

「おいっ、その結論、ちょいと待った!」          

いかにももっともらしい常識的結論に達しようとすると、
そのウソっぽい違和感を俊敏に察知し、ここぞとばかり潜在意識が暴れ出す。
彼の感覚はおおむね問題の本質を突き、かつドスケベである。
大メディアの社説のような不明瞭な醜悪さもないし、
2ちゃんねるのような卑劣な矮小さもない。
そのエグいまでに明るい本音と交す対話が実にスリリングに楽しい。

そんなふうを日々繰り返す十年間のゆる~い特訓によって、
私の中の多重人格たちの連携はだんだんと活発かつスムーズになってきて、
あらゆる問題に結論を出そうとする作業は飛躍的に短縮できるようにもなった。
多くは3秒程度で、長くても10分程度か。
そこに年齢上昇による柔らかなボケが塩梅よく加味され、
私の中のチームワークはほとんど最善の状態を迎えているようだ。

現在そのリーダーシップをとるのは期待の新人(=ボケ爺さん)であるが、
そうした高齢化問題さえ除けば、私という人にふさわしいバランス感覚はおおむね良好と判断できる。

11008824_807334919343869_6310310390431378174_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月26日(日)その2106◆バガテル

パセオに行くと、薄くて大きな荷物が私宛に届いている。
開けてみると、ポスターパネルが何枚か入っている。
分かり辛いデザインだが、どうやら演劇のポスターらしい。

「原作/小山雄二」とある。
無論そんなもんに心当たりはない。
よく見ると、いかにも私が書いた風の不埒で短い駄文が載っている。
なるほど、それをテーマに演劇をやるらしい。
主催元は聞いたこともない大学のやたら長い名前の研究会。

手紙も招待状も入ってない。
だが、何となく気になった私はそこに出掛けることにする。
次の瞬間、そこに到着できるのは夢の便利なところだ。

石作りのどでかい校門。
受付も守衛室もなく、ただ幅の広い道が前方にのびている。
ズンズンと私は歩く。
どこまで行っても校舎らしきものは見当たらない。
代わりにどことなく寂しげな緑が広がっている。
だが、この光景には見覚えがある。
これはイギリスのヒースではないか?
強風に荒れ狂う大海原が視界を覆い尽くす。
風の隙間からウィリアム・ウォルトンのバガテルが聞こえてくる。
のこのこやって来た私をあざ笑うかのように草木が踊り狂う。

そこで目を覚ます。
なにやら自意識過剰な夢だが、そんなわきゃねーだろと、
ちゃんと自分の実力をわきまえているところに若干の救いがある。

ulorutonn.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月26日(日)その2105◆栄光の執筆権

さあ、マリパへ〝カルメン〟忘備録でも書くかと日曜午後出社。
その前にFBで金・土にカルメン観た賢人たちの感想チェック。
するとこんなのに遭遇した。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1063344917026401&set=a.171663752861193.43337.100000527079160&type=1&theater

シンプルな視点が素晴らしい。
迷わず栄光の執筆権を譲渡。
人を見掛けで判断してはいけない。
迷わずうれしい敗北感に完敗的乾杯!( ̄▽ ̄)フォー!

─────────────────────────────────────
2015年4月25日(土)その2104◆黒の舟唄

mainvisual.jpg

これまでのほとんどの作品を観ている男の私からすると、初のちょっとだけ「?」。
だが多くの女性は「!!!!!!!!!!!!」の120点評価である。

今日は腰を据えて、そのことを考える日。

─────────────────────────────────────
2015年4月24日(金)その2103◆しゃちょ対談

木金にかけて、またひとつおもろ過ぎる展開が生まれた。
発端は、パセオ小倉編集長のこんなFB記事。

【パセオフラメンコ2015年5月号】
美しい立ち姿から上達のヒントを得る企画「ラ・フォルマ」。
今月は小島慶子さん。踊りを見ていて透明な気分になることは、なかなかありません。
「自分が、自分が」という感情から離れると、
そういう余韻を与えてくれるのかもしれないです。

11035979_922293927838104_8138568955652846530_n.jpg

「うーむ、なるほど、、、たしかにそのとーり」と小倉の分析にいたく共鳴し、
大喜びでこれをシェアし、さらに私はコメントを書き込むのだが、
そこに話題の透明バイラオーラ、
パロマ小島慶子(17歳)本人が喰いついてくれた。

おれ「すでにパロマがつかんでいる何か?
 おそらく彼女はそれを言葉に出来ないのではではないか?
 それをわかり易く言語化するのがパセオの夢」
おれ「〝自分が、自分が〟という傾向は、日本のフラメンコ練習生の約八割。
 残り二割の透明派、その美しい笑顔を浮かべながらパセオを創りたい」
パロマ「小山さん大正解!!!!出来ない。
 もどかしい思いをいつもしています。
 言葉、しかも一言で言えるだろうその言葉がうまく言えないのです。
 感覚ではわかりきっているのに。翻訳機ほしい。
 私にも分かりやすく言語化してほしいです」
おれ「17歳とは思えぬ透明度。
 よしっ、来年のパセオしゃちょ対談でそれを実現しようじゃないか。
 パロマはパロマでその準備頼む!」
パロマ「 (*≧∀≦*) 透明になりすぎて消えないよう気を付けなくちゃ。
 その準備ですね!( ̄▽ ̄)ゞ あ、でもなにすれば...ε=ε=┏(・_・)┛」
おれ「よし決めた、対談まであと半年としよう。
 パロマは例えば、その感覚のちょっとした断片でもいいから、
 短くてもいいから、その直観をできるだけ正確にFBに書き込む。
 週イチでも月イチでもいいからね。
 こっちはその切り口をヒントに斬り込む」
拓人「年々若返る不思議。でも期待。2割の透明派、
 そこを見いだしたときのワクワク感は、見る方の醍醐味」
パロマ「ほおおおお。ど、努力してみます。( ̄▽ ̄;) 正確じゃなきゃだめ?
 ...な気がする...でもいい?」
おれ「いつも通り天然正直ならそれでいいよ!」
パロマ「はいっ!( ̄▽ ̄)ゞ」
おれ「よしっ、本日より16歳としておくっ!」
パロマ「きゃははははどんどん若くなるっ!♪♪♪」

まあ、昨晩こんなやりとりがあり、朝起きると
パロマからのその最初の発信がFB上にアップされていた。
そう、私が待ち受けるのは、コテコテ本音のこういうヒントだっ!

https://www.facebook.com/keiko.kojima.77/posts/817722684986935?notif_t=close_friend_activity

─────────────────────────────────────
2015年4月23日(木)その2103◆別れのブルース

徳永英明/ヴィーカリスト・ヴィンテージ.jpg

春の夜、独りしみじみ聴く『別れのブルース』。
淡谷のり子さんの十八番をカヴァーする徳永英明さんの名唱。
〝胸を衝く哀切〟とは、まさしくこの感情だ。

  二度と逢えない心と心
  踊るブルースの切なさ

ディープな艶歌には、辛めの安ウィスキーが似合う。
5対5の水割りから、次第にロックに近づくカティサーク。
過ぎ去りし情景が、セピア色にオーバーラップする。

小ざっぱりした書斎が昭和と化す。
小ざっぱりした心にあかりが灯る。

─────────────────────────────────────
2015年4月22日(水)その2102◆人生の七不思議

暗い地下道を歩いて階段を登り、明るいホームへと抜ける。

屋根なしホームには、静かに煙を吐き出しながら、
楽しそうに足腰に力を溜める蒸気機関車の勇姿。
昭和三十年代の国鉄・両国駅。
おそらく私は五歳くらい。
同行するのは母と兄、そして親しいご近所さん数名。
これから千葉の外房に泊りがけの海水浴に出かけるのだ。
朝めしのメニューさえ忘れる近年の私だが、
この頃の記憶というのはモノクロ画像ながら、かなり鮮明に刻まれている。

蒸気機関車(両国).jpg

ゆっくりゆっくり、しかし力強く走り始める蒸気機関車。
あのワクワクするような信頼性の高い走りっぷりには思いきり憧れた。
当時から逃げ足の速さには定評のあった私は、
ああ、僕もこんな風にしっかり走りたいと、あの時たしかにそう思った。

じっくりと自分の内側に熱い炎を燃やしエネルギーを蓄え、
さらにじっくりと慎重な助走を加え、
満を持していよいよ全速力で疾走するイメージ。
このような蒸気機関車的正統派ヴィジョンを存分に心に刻みながらも、
なんでこの俺さまが人生のあらゆる重要場面において即断即決を繰り返し、
懲りずに失敗を連発する人になってしまったのかとゆーことは、
おれの〝人生七不思議〟暫定第三位!

─────────────────────────────────────
2015年4月21日(火)その2101◆大吉

「ジェー、今日はレバだよ」

今朝がた出掛けに玄関でこう云うと、らんらんと眼を輝かせ、
奴はちぎれんばかりに尻尾をふり回す。

中野・桃園のフラメンコ協会の階上に引っ越して一年強。     
めちゃ旨の焼き鳥屋がパセオの二軒隣りにある。
半生焼きのレバーなんかは、もうチョー絶品である。

呑まねえことにはとてもじゃないが収まらないアルティスタや
関係者やスタッフたちを時おり連れて来るんだが、
最近は家呑みも多いので週一、二度テイクアウトで持ち帰ったりもする。

「実はもう25年くらい前に、一度だけ来たことがあるんだよ」
フラメンコ協会の創設期に、
口うるさい大御所たちを誘ってここで呑んだことがある。
最年少の私が勘定を持ったのは、例によって爆弾発言の落とし前である。
当時は2ちゃんねるも無かったから、苦情や提言は直接先輩たちに云った、、
ま、今もだけどさ(苦笑い)。
只者ではなさそうな船越英一郎的マスターは、
私の回想を受けてニヤリと笑う。
「ええ、もちろん覚えていますとも」      

大吉.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月20日(月)その2100◆十年目の再会

中村雅俊主演『俺たちの旅』は青春のバイブル。
 
あの頃の私はどんな就職先にも興味を持てなかったが、
その百倍以上、先方は私に興味を持っていなかった。( ̄▽ ̄)

俺たちの旅.jpg

『俺たちの旅/十年目の再会』。
〝青春のバイブル〟のその十年後を描くドラマが放映された。

あれはパセオ創刊まもなくの頃。なんだかんだと
主人公の生き方をなぞるようなそれまでのハチャメチャ人生と、
まるでゾウリ虫のような自分の単細胞さ加減に
痛く苦笑したことを覚えている。

現実はもっともっと複雑だ、所詮はドラマじゃないかと冷静を装いつつも、
この映像のシンプルなテーマは、良くも悪くも
ある強烈な未来イメージを潜在意識に定着させたようでもあった。

俺たちの旅/十年後の再会.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月20日(月)その2099◆手遅れながら

「真実ってシンプルなもの。
 人生で何が大事か分かっていればものの考え方はシンプルになるはず。
 それが複雑になっているのは自分の中の何かが滞っている。
 すると心配しなくてもいいことを心配したりする。
 人間の不幸のほとんどはそこから始まる気がします」

41BsqNwgbiL__SY344_BO1,204,203,200_.jpg 51wIXn9QfsL__SY344_BO1,204,203,200_.jpg

『田園発 港行き自転車』(集英社刊)を発表した作家の宮本輝さんが、
今朝の東京新聞でこんなふうに云っている。
頭では分かっていても、それを日常的なセンスやアクションに反映することは
また別物だから、案外とこのテーマの実践は難しい。
いやというほど痛い目に遭って、あるいは多くを失ってみて、
ようやくその入口に達する。
急がば回れとはこのことかいなと、手遅れながらも微々たる光明。

─────────────────────────────────────
2015年4月19日(日)その2098◆生まれ変わり

教養とユーモアの泉、おとつい深夜のタモリ倶楽部でそれと知った。

テレビやラジオのBGMなんかでよく使われるから、
ああアレねと聞けば誰でもそれと分かる琴のポピュラー名曲『六段』。
タイトルの『六段』は、曲が六段で構成されていることに由来する。

81qertCNcML.jpg

作曲者の八橋検校は、何と関ヶ原の合戦(1600年)の14年後に生まれた人だった。
その音楽の先進性とクオリティの高さから、
てっきり『春の海』で知られる宮城道雄(明治27年~昭和31年)と
同時代の音楽家だと思い込んでいたから、これにはほんとにビックリした。
やるなあ日本、ニッポンちゃちゃちゃ!

『六段』の音調がヨーロッパのグレゴリオ聖歌に似ていることから、
その影響を指摘する説があるところも興味深い。
おまけにその八橋検校(1614年 ~1685年)は、
何とバッハ(1685~1750年)の生年に他界している。
時代を超える『六段』のずば抜けた天才性からは、
バッハは八橋検校の生まれ変わりだったのではないか?みたいな
とっぴに楽しい妄想さえ可能だ。

この論法で行くなら、私(1955年~)は
坂口安吾(~1955年)の生まれ変わりである。
もちろん、この論法で行くなら同級生ほとんど全員、
坂口安吾の生まれ変わりである。( ̄▽ ̄)  


─────────────────────────────────────
2015年4月18日(土)その2097◆バチンのチキリン

「チキリン、おまえの薔薇をひと束もらおう。
 そして俺も、おれの恥を花にして売り歩こう」
    
レストラン〝バチン〟で薔薇を売る、
知恵遅れの花売り少年チキリンを唄うピアソラの名曲。
  
『チキリン・デ・バチン』(1986年)
作詞オラシオ・フェレール
作曲アストル・ピアソラ

きびしく哀しいが、なぜか人間の故郷が視えてくる。
ペローの赤ずきん、あるいは龍之介や安吾。           
聴くたびに覚醒する平衡感覚は、たぶん、信じていい。
歌ありインストありで、いろんなジャンルが味よく録音している。
機会があったら聴いてみてよ。

ピアソラ2.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月18日(土)その2096◆闘いながら

「発信すべき何かを欠くもの者は、発信すべきではない」

ペチャンコにこう直言されたのは、ブログを始めた頃の私だ。
ずっと昔から心酔するアーティストのこの言葉には、
いまでも心の真ん中やや上あたりに住んでもらっている。
意識と無意識がピタリ合致する、真実一路のエンタテインメントなアルテを
常に発信する彼女には、グーの音も出ないのである。

自らそれを体現する彼女だからこそ、その言葉は深く美しい。
しかしながら、発信すべき何かを蓄え終えるまでは発信してはならない的な
ニュアンスに対しては、実は今もしっくり来ていない。

何故ならば、まず第一に誰だって最初はド素人なのであり、
また私は現場で闘いながら闘い方を覚えるタイプの人であり、
さらに今現在も欠乏だらけの人であり、
仮に発信すべき何かを私が蓄え終えるのを待っていたら、
その百年前に私が死んでしまうことが明白だからである。( ̄▽ ̄)

11072496_801954459881915_5631621929888373014_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月17日(金)その2095◆革新的カルメン像

11129786_801943996549628_3951921752544970677_n.jpg

「本当のカルメンは、メリメの描くそれじゃない、私たちなのよ!」

待望の来日公演が迫るマリア・パヘス。       
今回演目は『私が、カルメン』。
あのマリパヘが、まさかのカルメンである。

世界中の喝采を浴びたフラメンコの創作舞台芸術。
アントニオ・ガデスを真に後継するのは彼女である。

どう来るか? 今回はちょっと具体的にはイメージできないのだが、
敗戦知らずのマリパヘの舞台には、開演前から身も心もまるごと委ねる。 
私は4/24(金)渋谷オーチャード初日に出掛け、パセオ公演忘備録を志願担当。
会場でトムクルーズ見掛けたら、ひとこと感想聞かせてね!

─────────────────────────────────────
2015年4月16日(木)その2094◆ド真ん中直球

互いの心が通い合うのは、何よりうれしい。
リアルもネットもそれは同じだ。
例えば、ともにパセオを創るお仲間の大半はネットで出会った。

発信する心と技術。
ネットを通して仕事仲間や生涯の友さえ発見できる時代だけに、
ここはもっともっと意識的にトレーニングされていい。

年賀状や誕生日の定文のようなおざなりコメント、
あるいは私見て見てと自分を押し出すだけのコメントなどは、
互いに通い合うキャッチボールとは程遠く、さすがに誰もがうんざり気味だろう。
その意味ではネットもリアルも同様に難しいし、また難しいからこそおもしろい。
芥川賞作家・平野啓一郎さんのこの直球は、けっこうド真ん中っぽい。

「ユーモアのない人は、どんなに立派でも、どこか尊敬しきれないところがある。
 人間関係におけるユーモアの価値がわからない人は辛い。
 一々ウケ狙いだと疲れるが、そういうことではなくて、
 コミュニケーションが和らぐようなことを言えるかどうか」

11147025_801391926604835_2283526035956617321_n.jpg


しゃちょ日記バックナンバー/2015年04月①

2015年04月01日 | しゃちょ日記

06雄二.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月15日(水)その2093◆他人さまとも思えない

新鮮にしてシンプルなきらめき。

バッハのブランデンブルグ協奏曲。
近ごろはマックス・レーガー(独1873~1916年)のピアノデュオ編曲盤に凝っていて、
かれこれ三日ほど、こればかり聴いている。

バッハ原音のピックアップ方法が極めて独創的で、
原曲の魅力とは異なるハッとする瞬間を随所で主張する。
どこをどう拾うかというセンスが素晴らしくて、同時に大胆な削り方に凄みがある。

「あれもこれもと欲張る愚を改めよ」。
云ってしまえば、人間が陥りやすい罠をあざ笑うかのような、
突き抜けて潔い響きに驚かされる。その意味では実にフラメンコ的だ。

編曲者である作曲家レーガーは、2メーター近い身長と100キロを超える体重から
「ドイツ最大の音楽家」と呼ばれた。( ̄▽ ̄)
また「非常に醜い顔」の所有者であり、その豪快な人となりで
多くの逸話や三流ジョークを残したという。

暴飲暴食とニコチン中毒。過労と心筋梗塞によって43歳で他界したレーガー。
短い生涯と、音楽的にはやはり天才であったことを除けば、とても他人さまとは思えない。

10670029_801133976630630_8367347340050490659_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月14日(火)その2092◆生誕六十周年

11078189_800684703342224_3047465908501571724_n.jpg 1902880_800684780008883_619087663462351631_n.jpg

988521_800684826675545_5776848028361209441_n.jpg 11159509_800684923342202_5635051754111964362_n.jpg

11138523_800685000008861_6134074532122785090_n.jpg 11149518_800685106675517_6330219715297348617_n.jpg

並べた写真は、生誕60周年記念『時は過ぎゆく』。

スーツのやつが20年前、四十の頃だな。
離婚したころだよ。
しっかし、20年も昔にすでに四十だったってことが恐ろしい。
パセオ始めたころにゃあ四十まで生きることが目標だったからなあ。
いろいろあったよ、ホントに(笑)
おれってほんとにパーでんねん。
そして昨日はまさかの六十。
四捨五入すりゃ百だからね、信じられねーご長寿さんだよ。
パセオだって、もう31歳だからね。
すでに人生の半分以上、このアブねー道楽息子とともに歩んだことになるわけだから、たしかに運だきゃめっちゃ強い。
当時は、三号は持たない!ってさんざ云われたパセオだからな。
わかんねーもんだよ、人生ってえのは。
夢は何?って聞かれるたびに、ずっとこう答えてきたよ。
「いまが夢だよ」

ま、そりゃさておき、昨日はたくさんの方々よりご祝辞をいただき、
身に余る光栄を感じております。ほんとうにありがとうございます。
博愛に充ちたコメントも多数いただきましたが、
〝明日への希望〟という点で最も優れたメッセを、
謹んで以下にご紹介させていただきます。

「お誕生日おめでとうございます。
 これからもエネルギッシュにガンガン行って下さいね。
 そのうち私にも突っ込んで下さいなwww」

独特の口調から犯人を特定できる方が十人ほどいると思うが、
私的には自首をお薦めしたいと想ふ。
その後のメッセのやり取りも是非ともご紹介したいのだががががが、
ちょっとばかりアブアブアブぶぶぶぶび

─────────────────────────────────────
2015年4月13日(月)その2091◆〝楽屋裏〟初稿

「〝ガロティン〟に対する評価が、根底から変わりました」。
当ライヴシリーズの年間シート予約者の智ちゃん(百キロは走るマラソンウーマン)の、
ライヴ終演後のエキサイトな開口一番
「ガロティンはプログラムの添え物ではないことを初めて思い知らされました」。

想えば私がパロマ(小島慶子)にロングインタビューを申し込んだきっかけも、
やはり高円寺エスペランサで観た
この目を疑うような完璧な出来映えの彼女のガロティンだった。
カウンターで仲良く並んで観ていた今はなき大御所・本間三郎師匠と私は、
フラメンコの粋を極めるその奇跡のバイレにド肝を抜かれ、
思わず顔を見合わせ言葉もなくただカラカラ笑い合ったことが懐かしく想い出される。

シリーズ第三弾4/9の小島慶子ソロライヴは、
前回に引き続き立ち席までソールドアウトの大盛況。
大きな期待をさらに上回るライヴの大盛り上がりに熱狂する観客席。
アレグリ~ガロティン~ソレアの三曲のバイレソロと
合間のカンテソロに心置きなく酔いしれるフィジカルな幸福、ファンタスティックな感動。
再アンコールの独り即興締めの冴えに膝が震えた。

長丁場もほとんど一筆描きに踊り切ってしまうパロマの天衣無縫な旋律美を
〝フラメンコのモーツァルト〟と私は呼ぶ。
軽やかに流れるようでありながら、シンフォニックな厚みと
ダイナミクスは常にステージいっぱいに溢れる。
そのスリリングな包容力は観る者の時間の経過をも忘れさせ、
熱く躍動する純正フラメンコに私たちは身も心も預けきってしまうのだ。
そしてその希望に充ちた余韻は、いついつまでも
現場に立ち会った人々の心の中に生き続ける。

新鋭・石井拓人に忘備録執筆を任せ、
今回から雑用&セコンド役(丹下段平のイメージ)に専念する私に、
ラストのソレアを踊るために楽屋から飛び出した小島慶子は
キラキラ輝くあの笑顔でこう云う「倒れそうになったらタオル投げてねっ!」。
うっかりタオルを忘れてきた私は彼女の背中にこう浴びせる
「そん時ぁ、立つんだジョー!って叫ぶからっ」。
観客席の期待に120%応えるように、パロマだけに可能なあの大きな華と重みを以って、
それはそれは美しいソレアを深く彼女は舞ったのだ。

   月刊パセオフラメンコ2015年6月号「楽屋裏」初稿

10580011_798429186901109_2130539156412565587_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月12日(日)その2090◆ファンタジスト

幸運に恵まれ、はしゃぎまくりのお祭り気分のとき。
あるいは、不安なり焦りなり怒りなり、ちょっとドヨヨン気分のとき。
   
そのどちらであっても、喉が渇いたから水を呑むように、
ところ構わずバッハを聴くのは、ウォークマン時代からの習慣だ。
現在は大量のバッハ音源をアイポッドで持ち歩くが、
どちらの場合もグレン・グールドのキーボード演奏を選ぶことがダントツに多い。

歓びや哀しみでうっかりブレブレになりそうな私は、そこで程良い心持ちを取り戻す。
これによって、はしゃぎ過ぎてドブにハマったり駅のホームから落っこちたり、
道で車にブッ飛ばされることが防げるし、
どよよん気分の時には目前の風景に落ちついた明るさをプレゼントされたりもする。

11152340_799255266818501_2829788203793025128_n.jpg

まあ、グールドというのは私にとって、そんなふうな好ましい平衡感覚を
瞬時に呼び覚ましてくれるファンタジストなのである。
そんな彼がこよなく愛した明治期の日本人ファンタジスト夏目漱石は、このように云っている。

「運命のことは神に任せて、人間は人間に出来ることをやればいい」

─────────────────────────────────────
2015年4月11日(土)その2089◆誤爆の報い

それほど親しい間柄ではないが、好ましい人物と感じていた。
まだ若いその彼がネット上で突然にキレた。
おおよそのことは想像がつくしそこに同情もするのだが、
今回の発信は事実関係を踏まえることのない明らかな誤爆であり、
誤解によって攻撃された対象は理不尽や怒りを心に刻むことになる。

また、事実関係を確認することもなく安易にその誤爆に同意(いいね!)する人たちも
同様のお仲間とみなされることになる。
ツイッターやFBがバカ発見機と称される所以だろう。
馬鹿げた〝負の連鎖〟はこうして発生する。

いわゆる「人運(人の世における幸運不運)」というものの正体のひとつもこれだろう。
誤った悪口を発信拡散すれば、結局のところ、人々はそこから自然と遠ざかるものだ。
口コミによってさらにその傷口は拡がり、やがて人運を失なう。
若かった私も往々にしてバクダン発言野郎だったから、彼の気持ちも分かるし、
また、それによって大いに人運を失なうことになった理由も今なら分かる。
当時はネットが無かった分だけ受ける報復も少なくてすんだが、今は状況も違う。

現代は広く自由に発信出来る時代だ。
だが、勘違いをしてはいけない。
自由には常にもれなくセットでリスクが付いてくる。
なんぼフラメンコが自由と云っても、それはコンパス厳守という
共通認識の上に成り立つ自由であるのと同じことだ。

垂れ流すだけの愚痴や事実を検証しない誹謗中傷には、
結局自ら落とし前をつけるよりないのだし、
私もその後の生き方によって払うものは払ってきた。
それは例えば、的はずれな悪口の放棄、より正確な分析と美点の発見。

私は建前を嫌い〝本音〟や〝素〟を愛するが、人間社会に生きる以上、
コンパス厳守(自立協働)はあたぼーのセットだと強く認識したい。
自由を放棄する建前に安住するのは御免であり、
そのギリギリの真情ラインを追求するのがフラメンコだと思っている。

11108868_798913813519313_9000683093763996801_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月9日(木)その2087◆本日、小島慶子ソロライヴ

今宵は高円寺エスぺランサのパセオフラメンコライヴ、その第003回目。
通しナンバーを3桁にしてあるのは、死ぬまでに100回はやりたいから。

主演はフラメンコ界の〝ジュピター〟パロマ小島慶子。
ほとんど一筆描きに踊り切ってしまうあの天衣無縫な旋律美を
〝フラメンコのモーツァルト〟と呼んでしまいたい!
そんなんでこの人のライヴの日は、昼間っから気分がウキウキしている。
20時スタートだが、雑用&セコンド役の私は18時イン。

22005_797664263644268_1087707369147482457_n.jpg

パロマ本人はプレッシャーに弱いとかなんとか云ってるが、
そんな風情の彼女は昔から一度も目撃したことがない。          
まあ、あのパコ・デ・ルシアでさえ、本番前の極度の緊張にはマイってたってくらいだから、
それはおそらく本当なのだろうが、それもせいぜい舞台に上がると同時に
自然とスイッチが入ってしまうまでの話だろう。

プレッシャーに対する弱さには定評のある私なんかだと、
まだ二十代の頃ある大御所アーティストのインタビューの席で、
ド緊張のあまり、な、なんと居眠りしちまったことがある。
プレッシャーというのは「二日酔い+寝不足」の症状に実によく似ていると、
あのとき二日酔いの私はそう思った。(時効は成立)

─────────────────────────────────────
2015年4月9日(木)その2086◆平松加奈と屋良有子

11068290_797929413617753_3266926431650366392_n.jpg

疾走するフラメンコジャズ!

平松加奈 con Armada y 屋良有子。        
凄いメンツである。
よりによってパセオライヴ(小島慶子)とぶつかっちまうなんて。

だが、ぬかりはないし・・・抜け毛はある。

パセオ編集部からは異色の建築家ライター本橋勝が参上し、
公演忘備録に筆を振るうのだっ!

─────────────────────────────────────
2015年4月8日(水)その2085◆ジュピターの舞

「Alegría 、Soleá 、Garrotínの3曲踊ることにしました。
曲の間にギターソロとカンテソロが入る予定ですが当日、五時半入りして
何をやるのかどれくらいやるのか話し合うことになっています。
踊り曲3曲できるのかどきどき。
最後にFin de Fiestaやると思います。
というかぜんぜん決まりません。とりあえず3曲のみです。」

きのうパロマ(小島慶子)から、プログラムについてのメール到着。
いよいよ明日木曜は、小島慶子ソロライヴ(高円寺エスペランサ)。
前回に引き続き指定席・立見席ともにソールドアウト(83名)である。
出演メンバーはもちろんツワモノ揃い。
そしてもちろん、プログラム内容は当日本番までどうなるかわからない!(笑)

10955436_797134063697288_5200392543373166161_n.jpg

★パセオフラメンコライヴ Vol.003
小島慶子(バイレ)
エル・プラテアオ(カンテ)
ペペ・マジャ・マローテ(ギター)
金田豊(ギター)
         
パロマのライヴに向かう心は、いつでも〝ルンルン気分〟。
その理由をパセオフラメンコ4月号にこう書いた(↓)。
       
パロマ(小島慶子)はうんと若いころから突出した本格バイラオーラだったが、
十年ほど前にタブラオで踊った彼女のガロティンの大胆重厚優美に、
グサリ私は突き刺された。
「何でもかんでもスペイン人」の時代は終わったと予感したのは、まさしくあのライヴだった。

息の永いフレージングから紡ぎ出されるメロディアスな生命感にあふれるムイ・フラメンコは、
いつでも期待を裏切ることなく小島慶子の天才性を浮き彫りにする。
彼女の踊るアレグリアス、ガロティン、グアヒーラは、
まるでモーツァルト最後の交響曲『ジュピター』のように
哀しいまでに華やかな歓喜を響かせる。

長丁場のヌメロも、ほとんど一筆描きに踊り切ってしまう
あの天衣無縫な旋律美の正体は一体何か?
インタビューの折に、バッハやブラームスをこよなく愛した彼女の
父親の影響を探り当てはしたものの、
スペインにも日本にも類型を見ないこの天然系花形バイラオーラの光と影を
正確に因数分解することなど元より不可能と悟った。

毎回のステージで完全燃焼するたびに逞しい深化を刻みゆく小島慶子。
過去も未来もない。生きる実感はいまこの瞬間しかない。
好ましい未来は好ましい今現在の連続の上にしかあり得ない。
そういうシンプルな真実をステージ上に鮮やかに刻印する
パロマのフラメンコに触れあう幸運!

─────────────────────────────────────
2015年4月8日(水)その2084◆バッハとパコとピケティと

すでに対岸の火事ではない。
紛争の原因は経済格差、そして共通認識の不足。
国籍・老若男女を問わず、一人ひとりの教養と行動が未来を決する時代。

地球上の経済闘争を解決するものはこの時代、宗教ではなく普遍的教養。
キリストやイスラム(ことによると仏教までも)が
楽しげにフュージョンするフラメンコの懐の深さは、それゆえ信じられる。
ジャズでもロックでもサンバでもラップでもその他どんなジャンル手法でも演奏出来て、
楽器編成まで何でもありのバッハ、
その巨大な音楽像は全人類が共鳴できる明快な設計図ゆえに信じられる。

11091441_797480186996009_3659080201043727846_n.jpg

17795_797480270329334_4259435420944116597_n.jpg

一方、実際の経済技術論として信じられるのは、
今のところピケティ理論(富の国際的再配分)が最有力に思える。
にしてもスタートから実現までざっと三十年は必要だろう。
そこに着目するヘナチョコ民主党。現状は付け焼刃まる出しだが、
長期スパン・国際的視野をもって本気でやるなら応援するぞっ!

1520640_797480326995995_7551743727788879855_n.jpg

11048695_797480420329319_8985412525983097948_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月7日(火)その2083◆アルモライマ

1484695_797026917041336_4776317740728871828_n.jpg

「失敗した分だけ知恵がつく、闘いながら闘い方を覚える。パセオの流儀はそんだけだよ」
              
ふと気づけば、すでに一年近くこんなマヌケな説教をしてない。
パセオ四月号を読んで、企画力・技術力・体力・決断力において、
小倉編集長に完全に追い抜かれたことを思い知った(汗)。
おまけに奴は、頼みもしねえ大幅コストダウンを実現しやがった。
だが、年齢・体重・ワル知恵だけは圧倒的に私の方が上なので、
総合力的には五分五分と見ていいだろう。

mixiでフラメンコギターを弾くライター小倉をスカウトして早五年目。
いつかこんな日が訪れると確信していたが、それは予想より二年ほど早かった。
こうなってみれば、今度は私にプレッシャーがかかる番だ。
そう、この創業社長さまの底力をまざまざと見せつける出番がやって来た。

すでに底力は使い果たしてしまった点に問題があるが、
本当の成長はそこから始まると思うことにする。
冒険再開のジャマーダのように、久しぶりに
パコ・デ・ルシアのアルモライマががんがら脳内をこだまする。
キターーー(゜∀゜)ーーーー!!!!

─────────────────────────────────────
2015年4月6日(月)その2080◆忘れな草

忘れな草。
その花言葉は「真実の愛」、
あるいは「私を忘れないで」。

土曜の昼下がり、ご近所スーパー買い出しからの家路、
小さな花屋で〝忘れな草〟の鉢植えを見つけ160円で求めた。
書斎横手の裏庭にぽつんと置いて、いまもその清楚な響きを楽しんでいる。

中世のドイツ。
騎士ルドルフはドナウ川岸辺に咲くこの花を、
最愛のベルタに捧げるべく岸を降りるのだが、
誤って川の流れに飲まれてしまう。
最後の力をふりしぼって彼は花を岸に投げ届け、
「僕を忘れないで」と叫びながら力尽きる。
残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、
彼の最期の言葉をこの花に名づける。
(英語:forget-me-not/独語:Vergiss-mein-nicht/日本語:忘れな草)。

哀しさよりもその伝説の美しさに圧倒されるのは、
人生長けりゃいいってもんじゃないって実感する、寄る年波のせいだろう。
さて、「忘れな草」と云えばもうひとつ、ドイツの詩人アレントの作で、
翻訳したのは〝山のあなた〟の上田敏。
七五調のメロディが、川の流れそのものじゃん(笑)。

流れの岸の一本(ひともと)は、
御空の色の水浅葱、
波、ことごとく、口づけし
はた、ことごとく、忘れゆく。

(川の岸辺の一本の忘れな草。花の色はさながら晴れた空の水浅葱色。
この花に口づけするかのように、流れる水が次々に寄せ来る。
だが次の瞬間、この花のことなど忘れたかのように流れ去ってゆく)
      
都合のよい記憶の差し替えってことは分かっちゃいるのだが、
記憶の中の故郷の水辺には決まって
この地味ながらも清楚にして可憐な花がひっそりと咲いている。

忘れな草.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月5日(日)その2079◆ボーダーライン

栄光の都電25番線。
彼は私の故郷・小松川と日比谷公園を毎日せっせと往復した。

25番線/中川の木橋.jpg

中川に架かるこの木橋をダッシュで向こう岸に渡ることは、
地元・小学一年生慣例の最初の試練だった。
想えばあれが幼いなりの自立の第一歩だったか。
地元・江戸川区のこっち岸から対岸の江東区まで渡り切った時の、
達成感と安堵の入り混じった気分は今でも生々しく覚えている。

ちなみに、パセオフラメンコ編集部というのは、
ちょうど中野区と杉並区の区境の線上に位置している。
私の机は杉並区にあるが、入口やトイレなどは中野区なのである。

あいにくこの区境に川は流れてないため、杉並区にある社長デスクから、
隣接する中野区にあるトイレに徒歩(走れば5秒)で出張する時など、
幼い頃のあの達成感と安堵の入り混じった気分を味わえないことを、
時折ちょっとだけ残念に思うのである。

─────────────────────────────────────
2015年4月4日(土)その2078◆適度のストレス

心の中には愚痴やら云い訳やらをそこそこ飼ってる人だが、
それを口に出すことはほとんどない。
それを聴かされる方はたまったもんじゃねえし、
そこまで周囲を不快にさせてまで生きていたいとも思えない。

だが、自分の内側に適度にそれを飼うことには少なからずメリットがある。
鬱屈を貯め過ぎればつぶれてしまうだろうが、
適度の飼育とその解決策の発見は大なり小なり自分を成長させてくれるものだから、
それは両刃の剣のようなものだろう。

そんなんで私の場合は、ふだんから三割程度の
メランコリーとともに暮らす状態がベスト・コンディションなのかも。
適度の緊張があると逆に仕事がはかどるから、
それによって遊ぶ時間を創出できるメリットも小さくはない。

現代社会のウツブームはちょっとインチキ臭い。
薬で解決できる性質のものでもあるまいと思う。
元来人というのは悩むことが大好きな動物なのである。
悩むからこそ発展やら平穏を楽しむことが出来るのだから、
いいとこ取りなどハナから不可能なのだ。
          
楽しいことは楽ではないことを教えてくれたのはフラメンコだった。
「できるだけ素で生きるためのセンス磨き」。
極論するなら、それが私のフラメンコであり、
パセオ出版のモティーフであり、人生が大好きな理由でもある。

ギャグとともに本音・真情を磨く。
それを聴かされる方はたまったもんじゃねえと云われることは多いが、
適度のストレスは人間を成長させることを忘れちゃいかんと鋭く反論するおれ。

リスボンの路面電車.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月3日(金)その2077◆美女の理想

「ウソつくとすぐ顔に出るタイプなんです」

昨晩の元代々木どさんこ。
前半戦はマイケル親娘と呑む。マイケルの愛娘レイカ18歳は、
綾瀬はるな系のそうザラにはいない本格美人。

2015-01アントニオ・ガデス.jpg

棚刺してあるパセオコーナーからマイケルがガデスの表紙号をつまみ出し、
この人の会社が作ってる本だよと娘に差し出す。
パラパラめくる彼女はちょっと私を見直したようだが、
その表紙は若い頃のオレだよと云うと、
見直して損したみたいな顔で笑った。
真っ直ぐな気性のよゐ子なのである。

子供が大好きなので保育士になると云う。
人生の大半を大好きな対象とともに過ごす。
そういう明快な生き方って、私は好きだな。
どんな仕事も大変なのはいっしょだが、
好きなジャンルは辛抱の甲斐があるから、知恵と幸運とを貯めやすい。

理想のタイプの男性は?と問うと、
キラキラ眼を輝かせながら彼女は即答する。
おいマイケル、やったなあ!

「父みたいな人です」

─────────────────────────────────────
2015年4月2日(木)その2076◆初体験

住まいをパセオ近く(中野)に移し早三ヶ月半。

家で過ごすときの多くは、お気に入りのステレオで
バッハやパコや落語なんかを盛大に流してる。
やたら居心地がいいので外呑みが激減し、今ではせいぜい週三日。
酒量も減って、放っておいても月1~2キロ減量できる。

まるで衣食住にこだわらない来し方だったので、
住環境の変化がもたらす意外な現象を楽しんでる。
こうしたリラックスには、往復の通勤時間が計10分に縮まったことや、
世間的には定年という年齢的な要素も関係しているのかもしれない。

そんなこんなで、じっくり仕事に取り組める環境は日々充実しつつある。
残る問題は唯ひとつ、じっくり仕事に取り組める環境で
仕事に取り組んだことがこれまでまるで皆無だったため、
それが仕事にいい結果をもたらすのかどうか?、サッパリ分からん点のみである。

11102709_794862370591124_977490629268966535_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月2日(木)その2075◆種まき

フラメンコ協会新人公演がもう二十年近く開催される
〝なかのZEROホール〟は東京・中野にある。
社団法人日本フラメンコ協会も、株式会社パセオも中野にあるし、
その近辺にはフラメンコ教室やスタジオも多いし、ついでにオレんちまである。

「フラメンコ祭りを中野で開催できないか?」

何とはなしにそんな話が持ち上がり、
関係者が集まる本日午後はその第一回目の会合。
どうなることやらまるで展開も読めないのだが、
新たな歴史が産まれる瞬間というのも大方そんなようなもんだろう。
まあ、過分な期待はせずに初顔合わせそのものを楽しもう。

今日は原稿を二本仕上げるだけの平和な一日で、
夜は久々に元代々木どさんこでドンチャカ騒ぐ段取り。

94.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月1日(水)その2074◆ウソかマコトか

「もう女はやめた。いまは二丁目通いだ」

得意の笑えぬジョークと察したが、
頼みもしないのに奴はその動機と現状を語り始める。
まぢかよ・・・女狂いで知られた彼の、まさかの転向である。

あれは十年ほど前。
仲良しよったり(四人)の呑み会に呼びもしないのにやって来た
彼のカミングアウトは鮮烈だった。
週に何度か二丁目のそれ系の店に出掛け、
初対面の男に抱かれるのだという。            
そんなのは個人の自由であり、何もおれたちに報告する義理もないわけだが、
昔からそういう自慢や自虐を好む男なのである。

詳細を聴くはめに陥った私たちは、次第にリアルな話に引き込まれ、
話すだけ話して帰った彼に「それはそれで潔い」という称賛まで飛び出す始末である。
それは下ネタというにはあまりに重たい、ある種痛快な人生論だったからだ。
ちなみに現在彼は70歳のはずだから、転向したのは還暦のころ。

だが、話はここで終わらない。                   
それから五年ほどが経ち、久々に私たちの前に現れた彼は、
最近付き合い始めたという若い女性と仲よく裸で絡み合う写真を
嬉々として披露するのである。
おいっ、例の二丁目話はどうなったんだ?

「もう男はやめた。やっぱり女がいい」

ソルージャ.jpg

─────────────────────────────────────
2015年4月1日(水)その2073◆深い艶

日曜〝笑点〟

番組スタートは昭和41年、当時小学五年の私はすでに古典・新作に通じる
落語アフィシオナードであり、以降ほぼ半世紀にわたる笑点ファンだ。
             
初代司会者は天才・立川談志。
その後、前田武彦さん、三波伸介さん、先代の三遊亭円楽師匠と続き、
それぞれに優れた味わいはあったものの、
談志師匠の鮮やかな反射神経とリーダーシップをトータルで上回る司会者は現れなかった。
           
そこへまるで期待されてなかった桂歌丸師匠の登板。
そして、大方の予想を完璧に覆す歌丸師匠のまさかの冴えっぷり。
談志師匠のほとばしる才気を上回るものは、棺桶に片足突っ込んだ者だけに可能な、
明るいヤケクソとでも云うべき絶妙のアイレである。

10300902_793926990684662_6972649201131493150_n.jpg

経験から磨き上げた組織工学を駆使しながら、
自身の生真面目さやマイナス部分を背負投げのようにプラス転換するあの司会芸には、
われら凡人にとっての暮らしのヒントも満載されている。

人生終盤にああいうアルテを全開させる歌丸師匠は、ついに男の本懐を掘り当てた。
シンプルを装いながらも、幾重にもツネリの利いた
あの深い艶のインプロヴィゼーションに毎週爆笑できる私たちは実にラッキーなのである。