フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年1月①

2010年11月01日 | しゃちょ日記

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 2011年1月1日(土)/その550◇さあ、今年も共にやっちゃるかい!


 新年あけましておめでとう!

 昨年もこんなおっちゃんと遊んでくれてどうもありがとう!
 そーゆー不運にめげることなく、本年もどーぞよろしく!

 まあ、なんやかんやと世相はどんより気味であるからこそ、
 われらフラメンコとしては、それなりに明るく暴れてみたい。

 つーことで本日元旦は、景気づけに今年のモットー(←死語)、
 もしくは何でもえーので新年の雄叫びなんかを、
 イッパツ書き込んでくれやあっ!

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 2011年1月1日(土)/その551◇冬木立


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 「冬木立が好きだ」

 私の愛する作家・藤沢周平師はかつてそんなふうに云った。
 すべての葉を払い落とした、まるで素っ気無い風情。
 虚飾を脱ぎ捨てたところの自らの骨格だけで立ち向かう潔さ。
 素朴と誠を愛した師は、そんなところに着目したのだろう。

 虚飾なしではどうにもならない私には何とも耳の痛い話なのだが、
 こうした感性に対する共感は年々深まる。

 初詣出のような気分で、毎年元旦に出かける代々木公園。
 そこで見掛ける何の変哲もない冬木立の姿に、
 ある種の凛々しさを感じ、妙に心打たれる。

 いつでも誰でも、立ち還ることの出来る原点。
 それぞれに主張しながらも、保たれる自然な均整。
 悟りには程遠い人間にとってさえ、好ましく懐かしい風景。


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 2011年1月2日(日)/その552◇大らかな庭

 正月二日。
 久々に一家で散歩に出る。

 と云っても、ブラつくのは自宅の庭である。
 一般的には代々木公園と呼ばれてるらしいが、
 私はそういうことにはこだわらない大らかな性格だ。

 なので、みんなもヒマなときには遠慮なく散歩してってくれや。
 システムも大らかなので、
 入口でしゃちょ友だと云えば勝手に入れるし、
 しょちょ友でなくても勝手に入れるぐらいだ。


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 2011年1月3日(月)/その553◇デビュー戦

 のんびりテレビを観てたら、これがまるでつまらない。

 ならば自分で小説でも書いてみようと思い立つ。
 もちろん人生初の試みである。

 三秒で思いついたタイトルは『フラメンコは泣かない』。
 テレビを消し、パソコンに向かって小1時間。
 即興で4000字ほど書き込んだ画面を最初から読んでみる。

 すると、自分でも驚くほどに、これが絶望的につまらない。
 文書をゴミ箱に投げ込み、迷わずテレビをつけた。


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 2011年1月3日(月)/その554◇ふりだしに戻る

 「あのときゃ、ああしとけばよかった」
 
 仕事も女も友情も、私の人生は後悔の海を航海するようなものだから、
 この歳になっても、ふとこんなグチをぶり返すことがある。
 ただしそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間にはきれいさっぱり
 打ち消すことが出来るようになったのも年の功だろう。

 たとえ過去の一部を改善することが出来たところで、
 また別の災難が降りかかってくるのが人生だから、
 「もしもこうだったら」というifは楽しい分だけ無責任だ。

 ただ、こうは思う。
 「あのときゃ、ああしとけばよかった」という反省に
 思いのほか大きなパワーが内包されてる場合は、
 年齢やら境遇には関係なく誰もが、それをいま現在直面している
 チャンスやピンチに活かすことは可能であると。

 そういう本人だけに可能な、その輝ける経験値の発揮は、
 光ある新たな展開を切り拓き、
 そして同時に、新たな困難を招くきっかけともなるのだ。
 そんなこたあ重々わかっちゃいるけど、
 それが人生の華なのよ、仕方のねえことじゃんよと、
 おもむろにふりだしに戻る。

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 2011年1月4日(火)/その555◇笑う理由

 生来、人一倍シャイで暗くて孤独好き。
 他方では、人さまや自分を笑わせるのが大好き。
 ウツとは無縁なのも、おそらくはこうした分裂気質が理由だろう。

 「動物やパソコンには笑う必要がない。
  人間だけに笑う必要がある

 こう指摘したのは哲学の土屋賢二教授だが、
 自分や周囲を笑わせることには、
 人間の生存そのものにとって、
 思いのほか重要な意味があるように思える。

 しかもこりゃ、
 往々にして仕事より笑いを優先させてしまう云い訳にも、
 もってこいの説だしな。

 ま、そんなこんなを本線に、
 日々愉快に働けることに感謝しつつ、
 本日只今より本格的に仕事始め、夜は秀で新年会。

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 2011年1月5日(水)/その556◇俺についてこい

 日刊パセオフラメンコ「マリィの星のフラメンコ占い」に、
 2011年前半(1月~5月)の12星座別・運勢が載ってる。
 つなみに、牡羊座(4/14生まれ)の私は、以下のごとく絶好調である。

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 牡羊座

 絶好調! 5月までは、まさにわが世の春と言った感じで
 何をやってもうまくいくでしょう。
 とくに新しいことをスタートさせると成功率が高いはず。
 計画していたことを実行に移したり
 興味があるのに手を出せなかったことにトライするのは大賛成。
 「自分を高める」ということを大前提に目標作りすると
 幸運度はますますアップするでしょう。
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 どーでえ、すげえだろっ!
 みんなあ、俺についてこい!
 
 こう威張りたくなるのも当然の成り行きである。
 ついでに、これ幸いと滅多にゃできねえ自己主張でもやっとくかあ。

 んっ、ありゃ、
 占いの続き(↓)がまだ二行ばかし残ってた。


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 ただし人間関係にはトラブルがつきもの。
 自分を主張するのはほどほどにしてくださいね。
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 2011年1月6日(木)/その557◇俺は何にもわかってないじゃないか

 ガチンコ・プレイバックへ、ぐらの初投稿。
 2月号から何らかの形でほぼレギュラー執筆するぐらだが、
 それも含めて感想書いてみ、という私のリクエストを受けて立った。

 既得権を知らない世代の選択枝は、シンプルにして明快だ。
 ジリ貧に甘んじるか、自ら道を切り拓くか。 
 いや、この時代は、既得権を知る世代にとっても同様なのだが、
 切り替えが難しい分だけ、逆にハンデになってる感じもある。

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●パセオフラメンコ2011年1月号

遅ればせながら、ようやく読み終わりました。
正確には何度か読んだのですが、
その都度何かが引っ掛かり、同時に何かを取りこぼし、
それでもちょっとずつ「こういうことかな」と自分なりに理解を深めていった(たぶん)、
という感じです。

今月号の白眉と言える、小島章司先生の記事。
深いのですよ、これが。
面白いのが、読んでいて呼吸の話まで進むと、
急にいまの自分の呼吸が深くなる...というか、
慌てて息を吸い込むような感じになることです。
つまり、やっぱりできてないんですよね、呼吸が。
「あ、また呼吸が浅くなっちゃってる」って。
物理的な呼吸は精神的な呼吸とシンクロしている。
不可分な行いだけれども、
形から入ることで内面を充足させることができる術は、そう多く無いのではないでしょうか。
生きる上での強烈なヒントとなると思われます。
読む度に感激と、再発見の連続といったところです。

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気を付けたいのは、呼吸は心臓の鼓動と同じで、あまりに日常的で無自覚の動作です。
それゆえ、忘れるのがとても早い。
もう何度も読んだはずの文章なのに、やっぱり忘れていた。
これはもう、本当にストレッチをすることから定着させていかないと難しいなぁと感じました。
とりあえず週1でもいいから、継続的にやりたいと思います。

フラメンコの光源「マイテ・マルティン」ですが、
どんな歌なのか非常に気になりました。
男がイメージする女性像にカンタオーラ自身も自らを当てはめて来ていたのでしょうか。
そこら辺の事情はわからないのですが、
マイテの歌がその範疇に収まらない、新天地を開拓したものであると理解できました。

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で、フラメンコの美学「フェルナンド・デ・ラ・モレーナ」。
いいですねぇ(笑)。
いいじゃないですか、この感じ。
まさにカンテを歌ってそうな感じが、等身大近いサイズの写真からビシビシ伝わって来ます。
カブレーロも死ぬほど最高だったのですが、
絶対こういう人が必要なのですよ。絶対。
彼の詩を読み、その心を知ると、
いったいフラメンコは何を歌えばいいのか、というのがまざまざと見せつけられるのです。
そして、これこそがプーロであると、思い知らされるのです。
日本ではこういう歌詞だといきなりコミカルな感じになるのですが、
そうならないのがフラメンコの魅力でもあり不思議でもありますね。
ハカランダの歌詞も良かったし、「ああ人生は...」の歌詞も良い。
もう、いちいち突き刺さる。いや、ガツンと来る。
一口で失神するような猛烈な酒をあおりたくなり、
「やってらんねーよ、畜生!」(でも前向き)に似たカタルシスを感じます。

続いて三枝雄輔さんですが、実は僕と同い年だったんですね。
チャンスがあれば取材したいと思います。
0か100かのような、極めてフラメンコ的なスタンスが好きです。
やっぱりフルスウィングは気持ち良い。

「心から泣けるフラメンコ」で、エンリケ坂井師匠の冷静でありつつ熱意を感じさせる文章に、
きっとギターを弾く時の心境もこんな風なのかなと、
少し違った角度から読み解いてみました。
なんか、出てる気がするんですよね、そういうのって。
ラ・トレアの魅力も伝わり、また一人鑑賞予定リストに加わりました。

濱田先生も、堀越画伯も毎回面白いです。
生き様や感じ方がしっかりあると、自然と語れることの多い人生になるのでしょうね(笑)。

大沼由紀さんの記事は、貴重なお話ですね。
具体的なので、とりわけ踊りをやっている方は響くのではないでしょうか。
本人直筆のイラストは意外でした。
こういうの、良いと思います。
アートは繋がっているし、
アルティスタはフラメンコ以外からもいろいろ吸収しているでしょうし、
こんな一面もチラッと観ることができたのは新鮮です。

で、ジノキズム評ですが、概略を示して頂けたので良かったです。
というのも、恥ずかしながら途中で止まっちゃってまして...(汗)。
続きも面白そうなので、近々再開しようと思います(笑)。

最後になりましたが、「失敗はフラメンコの素」。
僕は毎回読むたびに思うのですが、
実は本誌において最もフラメンコしてるのは、このコーナーではないかと。
パセオを久し振りに読んだときに(失礼!)、
このコーナーを観てびっくりしました。
凄い覚悟だなと。
これって、そのまんまフラメンコではないかと。
フラメンコってこういうことだろうと。
自らを顧みるとき、とても恥ずかしい気持ちになるのです。
「俺は何にもわかってないじゃないか」と。
同時に、本気や本当の強さを肌で感じるのです。
大久保さん、ちぃちゃんさんの声は、届いております。

拙筆につき、うまく伝えられたかわかりませんが、
偽りの無き本誌感想でございました。

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しゃちょ日記バックナンバー/2011年1月②

2010年11月01日 | しゃちょ日記

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 2011年1月7日(金)/その558◇何かが起こる予感

 きのうは高田馬場のモダミカで、
 昼から今枝友加の撮影取材。
 フラメンコ協会・新人公演で、
 カンテ、バイレの両部門で奨励賞を受賞した、
 若手ナンバーワンの人気アーティストである。

 パセオ4月号『歌って踊る鉄火フラメンカ』。
 すでにインタビュー部分は完成している。
 あっと驚く衝撃の爆弾発言付きの爆笑しゃちょ対談である。

 撮影はおなじみの北澤壯太。
 1月号の三枝雄輔のド迫力写真もこの人。
 今枝が載る4月号には『北澤壯太のフラメンコ写真館②』も。
 今回はカラー・ヴァージョン(全8頁)であり、前回越えを彼は約束した。

 で、パセオに戻ると、フラメンコ協会から、
 2月の20周年記念公演のプログラムに何か書けという通知。
 締切が来週だというので、400字を10分で書いて即送った。
 
 21時から未明まで、本年初の高円寺エスペランサ木曜会。
 その凄まじいドンチャン騒ぎの模様は、スペースの関係、
 及び、とてもじゃねーが人には云えない理由などから、
 すべて割愛させていただきます。


 そして引き続き、今日はエスペランサ・ライブへ。
 出演メンバーが、ハンパではないのである。
  
 (バイレ)
 小島慶子
 屋良有子
 本間静香
 (ギター)
 金田豊
 小原正裕
 (カンテ)
 川島桂子
 阿部真

     何かが起こる予感!

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 2011年1月8日(土)/その559◇粋尽くし

 ★高円寺エスペランサ/新春タブラオライブ2011
  2011年1月7日/東京・高円寺・エスペランサ


 こいつぁあ春から縁起がいいや。
 新春の幕開けにはもってこいの、
 最初から最後までフラメンコな粋に充ちみちたライブ。
 まあ、出演面子を見ればそれは一目瞭然なのだが、
 オール生音でここまで爆発してくれると、
 生ぬるい正月気分はイッキに吹っ飛び、
 イケイケのやる気モードに切り替わる。

 〈カンテ〉川島桂子、阿部真
 〈ギター〉金田豊、小原正裕
 〈バイレ〉小島慶子、屋良有子、本間静香。

 カンテ・ギターのオープニング(タンゴ)で、
 気合い入りまくりの名手金田豊の爪が吹っ飛び、
 その修正のつなぎに、昨秋CDデビューした阿部真が
 仁王立ちで堂々たる無伴奏マルティネーテ。
 思わぬアクシデントを、
 光あるファンタジーに変えてしまうのがフラメンコの粋。

 バイレは一部・二部にそれぞれ一曲ずつ、
 三名の精鋭バイラオーラはそれぞれ二曲を踊る。
 昨夏の新人公演で会場を爆裂させ、
 文句なしの奨励賞を獲った本間静香は
 アレグリアスとティエント。
 可憐な容姿を活かす、明快にして華のあるインパクト。
 そのセクシーさに群がる男どもを凛とするひと振りで呆然とさせる、
 ジャックナイフのような際どい粋。

 2006年新人公演・奨励賞受賞の若手大物、
 屋良有子はシギリージャとソレア・ポル・ブレリア。
 鋭く安定した技巧でスリリングに描く、静と動のコントラストの美。
 回転の精度は国境やジャンルを超えている。
 モダンでトリッキーな意外性が満載なのだが、
 それらすべてが本筋に帰結する、
 現代を真っ向勝負で生きるムイ・フラメンコな粋。

 そしてしんがりは、ご存知小島慶子。
 この日は彼女の9月号取材(心と技)の下準備も兼ねていたのだ。
 20数年前からフラメンコ界の誰しもが注目する
 スーパーバイラオーラのグアヒーラとガロティン。
 大きく柔らかに完成しながら、
 瞬間瞬間をパッともぎとる本格フラメンコの粋。
 カラッと明るく、しみじみ深い。
 華やかな存在感からにじみ出る風格。
 第二部クアドロで後輩バイレを手抜きなく励まし盛り立てる
 パルマの精度と気迫と愛情の行間から、ふいに彼女の人間が視えた。
 締めの熱唱、川島桂子の肉声ブレリアは、心震わす小粋なお年玉。

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 2011年1月9日(日)/その560◇最高潮

 今はほとんど無くなったけれど、
 昔は停電というのがわりかし多かった。

 嵐の晩なんかに停電があると、
 もう外も家の中も、もうひたすら真っ暗になるから、
 誕生日でもクリスマスでもないのに、
 部屋の真ん中にローソクを灯すのである。

 テレビもラジオもつかないので、
 退屈しのぎに、姉や兄らと話に興じることになる。
 これはこれで、なぜかワクワクしている。
 非日常的なアクシデントが子供たちの興奮を呼び醒まし、
 話はどんどんとエスカレートしてくる。

 エキサイティングな気分が絶頂に達するころ、
 そこで、ふいにローソクが燃え尽き、
 ふたたび真っ暗闇が訪れる。

 これを、暗いマックスと云う、、、らすい。。。


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 2011年1月10日(月)/その561◇古典の重み

 この正月。
 フラメンコで云えば、カマロン・クラスの大名人、
 春風亭小朝師匠が、テレビの生中継でこんな古典ギャグを口走る。


 「パンツやぶけちゃったあ!

 「マタかいっ!


 うわあっ!
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 2011年1月11日(火)/その562◇タイガー平次

 自分好みのさわやかなニュースに、
 むかし流行った合わせ歌を思い出した。
 ☆は『銭形平次』、★は『タイガーマスク』のメロディでね。

 ☆男だったぁら~♪
 ★ジャングルでー♪
 ☆かけてもつれた謎を解く~♪
 ★ルール無用の悪党にー♪
 ☆銭形平次~♪
  花のお江戸の八百八町~♪
 ★行け、行けっ、タイガー!♪
 ☆銭がぁ飛~ぶ~♪

 なっ、けっこうつながるだろっ、歌詞もメロディもさ。
 ルンバで歌えば、ほとんどフラメンコじゃん!(うそ)


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 2011年1月12日(水)/その563◇不幸中の幸い

 早朝4時頃に一度めざめる。
 だが今日の仕事メニューを思い出し、もう少し眠ることにする。
 そんな時に限って、ワケのわからん夢を見るのだ。

 激流に囲まれる小さな島の断崖最上部の観客席に私は居る。
 何かショーのようなものを観ているらしい。
 眼下に見下ろす別の小島から、マッチョな大男が何かを投げる。
 重さ数百キロはありそうな丸太棒である。
 それが、100メーターほど先にあるさらに別の小島の
 段々畑のような斜面にグサリ突き刺さるのだ。

 観客席から喝采が上がり、信じ難い思いで私も拍手する。
 鳴りやまぬ拍手。なぜか私はそこに裏打ちを入れる。
 すると、いきなりイスラム風の紳士が私の前に現われ、こう云う。
 「次はあなたの番です。こちらへどうぞ」
 懸命にそれを拒む私は次の瞬間、数十名のマッチョな大男たちが
 準備運動に励んでいる別の小島に瞬間移動させられる。

 仕方ないので、私は丸太棒に手を掛けるが、
 あまりに重くて持ち上げることもできない。
 そこで、ふいに私は宙に浮く。
 セーム・シュルトのような大男が私を担いでいるのだ。
 私は投げ手ではなく飛び手であることに気づくが、すでに遅かりし。
 シュルトは私を担いだまま助走し、荒波の上空めがけ力いっぱい放り投げる。

 ひとり海上に放たれた私だが、意外なことに、
 そのまま落っこちて御陀仏みたいな感触はない。
 まるでスーパーマンのような感じで、すいすい空を飛んでいるのだ。
 体重を傾けた方向に飛べることがわかる。
 飛んでいること自体が、だんだんと面白くなってくる。

 いつの間にか、ピレネーかと思われる山脈の雲上を飛んでいる。
 そのまま雲海を飛んでいたかったが、ぐんぐんと高度は下がり、
 異国風の街並みに急接近し、噴水脇のスペースに強制着陸させられる。
 一度限りの記憶がよみがえる。グラナダなんじゃないか?
 もしかして、ここはアルハムブラ宮殿なんじゃないか?
 眼前にギターが並んでおり、垂れ幕に「貸しギター」と書いてある。
 私はそれを一本借りて、噴水の脇にしゃがみ込み、
 『アルハムブラの想い出』を弾き始める。

 コーダにたどり着くフレーズがどうしても思い出せなくて、
 短調と長調のトレモロを延々と繰り返している。
 観光客が徐々に増えてくるのだが、
 幸いにして、私のギターを聴く者はひとりもいない。

 それにしても、ああ、なんて愛おしいグラナダの夕暮れ。

          
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 2011年1月13日(木)/その564◇取材の恩恵

 やんなきゃやんなきゃと思っていた毎日のストレッチだが、
 ようやく日課として定着しつつある。
 毎朝の風呂上りにせいぜい20~30分がいいところなのだが、
 その程度でも、心身の動きがずいぶん楽になることは実感できる。

 きっかけは、パセオ新年号『小島章司/永く深い呼吸』の取材。
 すでに半世紀続く小島師の実際のストレッチの模様には、
 滅多に出会うことのない「神聖な静寂感」が深く漂っていた。

 凄いものを観た。
 撮影の大森有起も同行の小倉泉弥も、おそらく同様な想いだったろう。
 地味で地道な祈りの継続。
 心打つ華が生まれる原風景がそこに在った。

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 「それを毎日続けるとね、舞台でも日常生活でも、
  どんな場面でも息切れしないようになるんだよ。
  自由に表現出来る環境が、自分の中にキープできる。
  心と肉体のバランスが崩れることなく、
  いつでも協働し合える環境なんだ」  
          

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 2011年1月14日(金)/その565◇忘却と無知

 まったく、
 あなたという人は懲りない人ですね。

 あなたはあの時、
 私が云ったことを憶えていますか?

 もし憶えていたら教えてください。
 私はとっくの昔に忘れますた。


 ところで皆さんは、
 ビーフストロガノフの作り方をご存知ですか?

 あいにく私も知りません。

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 2011年1月15日(土)/その566◇長生きする工夫

 ライブ開演時刻に遅刻するアーティストが抹殺されるのと同様に、
 ライターたるもの、締切破りは切腹を意味する。

 「ほんとに書けんのか、オレ?」

 人生55年のうちの50年は文章書きとは無縁の人だったので、
 急に書く仕事が決まると、まず反射的にこう自問することになる。
 何せ40代までは400字の駄文を書くのに、
 三日も四日もかかっていた人だから、
 その長期にわたる警戒心の刷り込みは強烈なのだ。

 だが実際には、5年間の日記修行のおかげで、
 書くスピードだけは百倍近く速くなっている。
 呑みに行くのをあきらめさえすれば、4000字程度までなら、
 その晩のうちに書き上げることなど、むしろ楽勝なのだ。
 そう、もはやこの私に締切破りの心配など、まるで必要ないのだ。

 残る課題は、内容のクオリティのみだ。
 だが、こっちの方もあと三百年ぐらいで何とかなるような気がする。
 長生きするための工夫は、案外こんなところにあるのかもしれない。
 てゆーか、ストレスを溜めないそーゆー考え方自体に、
 抜本的問題の核心と、長生きしそうな資質があるのかもしれない。

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 2011年1月16日(日)/その567◇歩きたいだけ

 都電荒川線の線路沿いを徘徊する半日の歩き旅。

 休暇をとって、三ノ輪橋から早稲田までを歩いた。
 線路の全長は12キロ強で、都電に乗れば1時間弱で到着する。
 ただ、線路脇を歩けないところもあるので、実際には15キロほど歩く。
 なので時速5キロで歩けば、正味三時間ほどの小旅行になる。

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 目には昭和をほうふつとさせる懐かしい風景。
 耳には昭和の歌謡曲と落語と古典フラメンコ。
 かなり本格的な現実逃避を実現できるコースなのだ。

 いま現在の環境・生活を大いに気に入る一方で、
 "ひとりノスタルジー"を好む傾向は若い頃から変わらない。
 まあ、もともと懐古趣味な人間でもあるし、
 それと、日々の新しいチャレンジに対する
 無意識のバランスだったりするのかもしれない。

 
 旅の中盤、飛鳥山の坂を上る途中で、
 パコ・デ・ルシアのソロ・キエロ・カミナール(道)が流れる。
 すれ違う人もいないので、
 作詞したペペ(パコの兄)と一緒に思いきり歌ってしまった。

 俺はただ歩きたいだけ。
 雨が走るように、
 川が海をさして流れ込むように、
 俺はただ歩きたいだけ。

 そうか、そうだったな、それを忘れちゃおしめーだよな。
 人に頼まれたからやるんじゃない。
 いつだって自分からやりゃあいいんだ。

 耳を澄ませば、パコのギターもそう歌っていた。
              
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しゃちょ日記バックナンバー/2011年1月③

2010年11月01日 | しゃちょ日記

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 2011年1月17日(月)/その568◇ナージャと周平

 「何かいいクラシックを教えてもらえません?」

 昨年暮れの中野駅北口ルノアール。
 パセオ連載(心と身体をつなぐ素)の打ち合わせの幕間、
 バッグからメモを取り出しながら彼女が云う。

 日芸の声楽科を出たあと、
 古き佳き時代の銀座の一流バーで、
 ジャズピアニストとして稼いでいた
 カリスマ人気バイラオーラ、大沼由紀さんである。

 相手が相手だけにおざなりの回答はできない。
 55年間の「音楽遍歴×人間遍歴」が問われているのだ。
 ピアノじゃなくて弦がいい、というヒントをもらい、
 ぐっと選択肢がしぼられる。

 大沼由紀のアルテを念頭に置くなら、
 バッハの無伴奏チェロ(演奏はカザルスかフルニエ)
 バッハの無伴奏ヴァイオリン(演奏はハイフェッツ)、
 プロコフィエフのヴァイオリンソナタ(演奏はクレーメル&アルゲリッチ)
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(演奏はシゲティ)、
 まあ、このあたりが妥当であり、無難なラインである。
 
 だが、彼女の精神性に集中しながら、一瞬の賭けに出た私が選んだのは、
 まさかのミスマッチにも思えるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
 しかも、演奏は自由奔放に歌う超絶技巧ヴァイオリン"ナージャ"である。
 このダブルミスマッチこそが、彼女の超人的感性を揺さぶることを直観したのだ。
 
 由紀さんの6回分の原稿、写真、イラストを返送する時に、
 そのCDをプレゼントとして同封することを約束した。
 お薦め小説も聞かれていたので、こちらも迷わず
 ダブルミスマッチ(邦人ハードボイルド最高峰の時代小説)を選び、
 藤沢周平『消えた女/彫師伊之助捕物覚え』を、年末の宅急便に同封した。

 ウソのつけない彼女の年明け早々のメールで、
 「どちらもハマった」ことを知った。
 藤沢周平の続編をすでに読み始めたことも知り、
 彼女の送ってくれた美味しいクッキーをかじりながら、
 次の機会の執筆御礼は、落語のCDになるなと予感した。


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 2011年1月18日(火)/その569◇熱燗とジェーと落語

 寒いねえ、このところ。

 こないだなんか、熱燗で体あっためてからビール呑んだよ。
 冬のささやかな楽しみわさあ、
 肴の煮こごり(ゼラチン質)をちょいと口に含んでさ、
 そこに熱燗を流し込むんだよね。
 そうすっと、煮こごりが程よく溶けて絶妙の味になるんだよ。
 いい具合に体もあったまるからねえ。

 で、酒を抜く日なんかは、あんか(ジェー)をとっつかまえて、
 23時前には寝床にもぐり込む。
 3分もすると、布団の中はほっかほっかなんだなこれが。

 で、早く寝る日は、じっくり演目と演者を選んで
 落語のCDを聴きながら寝るのが定跡。
 ただし、寝つきのいい私は、
 話の本題に入る前の枕の部分で眠っちまうことが多いので、
 オチまで聞けてないCDが数え切れないほどあったりするんだわ、これが。

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 2011年1月19日(水)/その570◇冴えた感性

 イルカの『なごり雪』がテレビに流れている。
 「冬に聴きたい」人気曲なのだそうだ。

 ヒットしていた頃は、やや退屈な感じを受けたものだが、
 いま聴くと、しみじみとした味わいのいい曲だと思う。
 
 冴えない感性を棚上げしたまま、他の批判に走る愚。
 そういう自分だったなあ、と苦笑する。
 いや、今だって大いにその傾向はある。
 

 「ナゴリ行きって、何線の終点なの?」

 人づてに聞いた実話だが、かなり冴えた感性だと思う。

  
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 2011年1月20日(木)/その571◇心と技はつながっている

 本日発売の月刊パセオフラメンコ2月号。

 「○○はおもろかった」
 「○○はつまんなかった」
 こーゆー(↑)1行ものも大歓迎なので、
 チョーお気軽に書き込みを

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 A表紙および『フラメンコの光源』は、現代カンテの英雄ドゥケンデ
 そのぎりぎりのアルテ同様、いかにも危ねえ感じがたまらんわあ。
  
 B表紙および『心と技をつなぐもの』第2回目は、
 バイラオーラ鈴木眞澄「心と技はつながっている」。

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 「いいソレアを聴きながら、ただ歩いてみる。
  そうしながら、素直に心の底から出てくる何ものかを、
  ただひたすら待つの。.........」
 (↑)フラメンコの母"ソレア"に、どう対峙するか?
 これまでいろんなアーティストにこの質問をぶつけたが、
 今回、ものすごくピンと来た。

 西脇美絵子『フラメンコ桜吹雪』最終話は「TAKA y JINの物語」。
 親友にしてライバル。石塚隆充(カンテ)と沖仁(ギター)。
 だからこそ厳しくもあろうけど、何だかうらやましい関係だよなあ。

 マリア・パヘスファン世界一の"とんがりやま"による
 「我がマリア・パヘス讃歌」は渾身の力作。
 来日直前のマリパヘを堪能し尽くすヒントも満載!

 春夏秋冬、季節おきの『秋のフラメンコ公演忘備録』。
 今回は、ムチャぶりを受けて立ったみゅしゃが初登場。
 奥濱春彦リサイタルをぐらと私と三人で書いた。
 そして忘備録大好評につき、5月号からなんと毎月連載に昇格!
 東京以外の執筆志願者も大募集だよっ!

 『心から泣けるフラメンコ』(14)カルロス・モントーヤ(宮沢勇一)
 『フラメンコ狂日記/堀越千秋』(266便)「虚業の人」
 『なんでかなの記/濱田滋郎』(14)初めての異国
 『心と身体をつなぐ素/大沼由紀』(2)降参しましょうよ

 『ばるパセ』は小倉泉弥(ぐら)の特別寄稿「僕に書かせてください」。
 「失敗はフラメンコの素」には、ベロニカとカルミーナが登場!
 
 ――――――――――――――――――
 
 「2月号素晴らしかったです。
  僕に書かせて下さい、の小倉さんの記事にフラメンコを感じました!
  元気をもらいました!
  ありがとうございます!」
 
 ウェブ友まーからは、すでにこんな(↑)コメントをもらった。    
 フラメンコ衣裳の世界で躍進するソニアジョーンズ社長・村松さんも、
 ぐらの寄稿とフラメンコ公演忘備録を読んで、
 こういう人にこそ書いてほしいって感激してたよ。


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 2011年1月21日(金)/その572◇ツバメンコ今井翼の新展開!

 ツバメンコこと今井翼!

 な、なんと、NHK教育テレビの語学講座に、
 ナビゲーターとして出演することが決まった!
 どうやらジャニーズ初の快挙らしい。
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?__from=mixi&media_id=30&id=1474547

 3月末日スタートする番組は『テレビでスペイン語』。
 こりゃスペインにとっても、フラメンコにとっても、
 たいへんな追い風になってくれそうだ。
 何度かお目にかかった今井翼さんは、
 いまどき珍しい、強く明るく爽やかな"ナイスガイ"。(←死語だよ)
 まちがいなく年齢とともに魅力を増幅できるタイプなので、
 フラメンコにはぴったしの人なのである。

 ソロライブ東京公演では、自ら作詞によるスペイン語の新曲
 『Vamos ala(行け!翼)」をフラメンコ付きで熱唱したというし、
 番組中にツバメンコが飛び出すことも大いにありえるかもっ!


 この今井翼、そして沖仁、黒木メイサ、ゾロ・ザ・ミュージカル......
 近ごろまた、巷にフラメンコの風が吹いている。

 そうっ!
 ニッポン人のフラメンコ愛好熱は、にっぽんイチなのでーす!

                  (↑要・文法チェック)

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 2011年1月22日(土)/その573◇怪傑ゾロ(その1/ぐら編)

 昨日はゾロを観劇し、感激した。

 平日昼間の3時間公演だったので、ほとんど仕事にならなかったが、 
 これからの人生や仕事における栄養摂取という点で大きな収穫があった。

 ゆうべは地元でドンチャン騒ぎのあと大寝坊。
 mixiを開いて忘備録を書こうとしたら、
 三人並んでいっしょに観た"ぐら"と"みゅしゃ"の忘備録が、
 すでにアップされてるではないか。

 つーことで、今日の日記にはぐらの忘備録を転載。
 つづく明日はみゅしゃのそれを転載する。
 転載は忘れたころにやってくるのだ。

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 (by ぐら

21日は、「ゾロ ザ・ミュージカル」を観てきました。
この文章をお読みになって「観てみようかな」なんてことがあれば、本望です。
ロングランで上演中です。

「ゾロになって来ました」 ★ゾロ ザ・ミュージカル
1月21日 東京・日比谷・日生劇場


黒マントに黒い帽子、目元だけを隠した斬新なマスク。
ちょっとプレイボーイで、声もスタイルも男前。
マスクが無くても男前。
それで剣も強くて頭もキレるなんていったら、理想にも程がある。

そういえばヒーローものが大好きだった幼い頃、
当然のことながら僕は、
自分が主人公になったつもりで画面に釘付けになっていた。
当時だったら今日のゾロの剣さばきを見て、
「違う!もっと早く!」「なんでそこでトドメを刺さないんだ!」と、
いら立ちを抱えながら観ていたに違いない。
自分こそがゾロだと思って観るだろうから。
ところがどうしたことか、
30歳になった今でもその心はまったく変わっていなかったことに気が付いた。
恥ずかしくて書きづらいけれど、正直僕は感じていた。
「オレだったら、もっと簡単にカイケツできた」と。
そもそも優れた父の薫陶を受けたにもかかわらずスペインに放蕩するからいけないのである。
もうちょっと真面目に生きんかい。
一目置かれるヒターナを惚れさせておいて、
幼馴染の可愛らしくて美しい女性さえも手にするなんて許せない。
正体を明かせない葛藤にもがくこともあろうけど、
それはやっぱり正義のためだから仕方ない。
モテるんだから、それくらいは我慢してほしい。
一方で、そんな苦しむ姿もなんだかカッコ良くて、
「オレもそうなんだよ」と身に覚えのない感慨にふける。
まさにロマンの世界に体ごと誘われる、『ゾロ ザ・ミュージカル』。
今さらゾロに心酔することも無かろうと思っていた。
だけど結果はこの通り。ずいぶん入り込んでしまったようだ。

話はとても簡潔で素直にできている。
もっと伏線を張ったり、もっと登場人物の心の変遷にスポットを当てたりして、
物語に深みを出すことも可能だったはずだ。
でもお陰で頭を空っぽにして感じることができた。
それでいて満足感がある。
それはジプシー・キングスの単純に真似るだけでも難しいメロディを、
アレンジを効かせつつ面白く聴かせてくれたことや、
指揮者付きのバックバンドの生演奏、
手品のように幻惑する、流れるような俳優たちのステージングに尽きるだろう。
さらに説得力があるのは、鍛え抜かれた肉体である。
六つに割れた腹筋、隆々と発達した大胸筋、
シャープにカットされた肩、上腕二頭筋及び三頭筋。
一日にして成るものでは無い。
見せびらかすものではないにせよ惜しみなく披露されるとき、
神は細部に宿るような、そんなことを感じてしまう。

また、少ないながらもミュージカルを観たことがあるが、
いつも終演後の、俳優の表情が印象に残る。
納得できる舞台をやりたい、観に来た人を喜ばせたい。
そういう気持ちがきっとあるのだと思う。
しかし一旦幕が閉じた後に再び開いて挨拶をするときなど、
何者かに感謝しているような無心の表情に見えるのだ。
内容の充実さがあればあるほど、己から離れるような気がした。
そして僕はそんな姿を観るのがとても好きだ。
爽やかなゾロ体験が今も体温を持って僕の中にいる。

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しゃちょ日記バックナンバー/2011年1月④

2010年11月01日 | しゃちょ日記

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 2011年1月23日(日)/その574◇怪傑ゾロ(その2/みゅしゃ編)

 明日は午前中は浅草で法事、昼は取材、
 夕方からフラメンコ協会新年会という、
 何だかトライアスロンみたいな一日なので、
 今日(22日)のうちに「怪傑ゾロ・その2/みゅしゃ編」をアップ。
 前回ぐらにしても、今回みゅしゃにしても、
 もう一回観たくなるような新鮮な視点がうれし楽しい。

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(by みゅしゃ)
 
 「日本版ミュージカル」の意義
 ★ゾロ ザ・ミュージカル
 1月21日/東京・日比谷・日生劇場

 「ゾロ」が時代を超えて愛されるわけがわかる。
 男の魅力が凝縮されているのだ。
 アントニオ・バンデラス主演の映画は観ていたので、 
 ゾロなら知ってる、と思い込んでいたが、
 実際はエキゾチックなかっこよさしか思い浮かばない。
 今回、V6の坂本昌行さんが外部オーディションを経て
 主役を勝ち取ったということ以外、何の予備知識も持たないまま、
 このミュージカルに浸れたことで、ゾロという男の魅力が
 多面的に見えてきたのだった。

 独裁者に立ち向かう勇気や正義感というヒロイズムだけではない。
 ゾロとルイサとの恋物語にイネスが絡んだ三角関係を含め、
 女たちと、彼女らに様々に想いを寄せる男たちとのウイットに富んだ、 
 ちょっぴり官能的な会話などはストレートに楽しめる。
 外国人の役者によるセリフならば、どうしても絵空事になってしまうだろう。

 また、衣装が気に食わないと駄々をこねるかわいらしさ、
 ラモンの秘密を探るためにゲイになりすます危うさなど、
 チャーミングな仕掛けが至る所にちりばめられている。
 
 ゾロだけではない。部下としてラモンのいいなりになってしまう
 ガルシア軍曹の情けないほどの弱さや、その非情な独裁者であるラモンの
 愛情に飢えているゆえに持ってしまった歪んだ心も
 人間ドラマとして描かれていた。 
 
 アレハンドロ、老ジプシー役の上条恒彦さんのひときわ大きな存在感が、
 それらを見事に舞台を引き締めていた。

 とにかく、女心をくすぐるエピソードが満載なのだ。
 それに対比される効果で、本来の見どころである、
 プライドを掛けたフェンシングでの闘いや、命綱なしというフライングシーンで、
 男らしさがより際立ってくる。

 平日の午後の公演、客席は幅広い年代の女性が大半を占めていた。
 坂本さんの新鮮なゾロの魅力に、皆ときめいていたはずだ。

 ラファエル・アマルゴ振り付けのフラメンコは迫力だった。
 舞踊学校で鍛えられた高い身体能力を持つ、オールスペイン人による
 群舞のシーンは、一瞬にして、ぴりりと緊張感のある
 テアトロ・フラメンコの世界へ誘ってくれた。

 私はそこでふと不安になった。
 この後「ミュージカル」とのギャップを埋めていけるのだろうか?

 心配は無用だった。本場フラメンコに主役の座を奪われることなく、
 日本の俳優陣は、本格的に訓練された舞台の発声と演技によって、
 「ゾロ・ザ・ミュージカル」の世界へ違和感なく引き戻した。
 気概といっていいだろう。

 音楽はジプシー・キングス、大がかりなイリュージョンを担当したポール・キーヴは
 映画「ハリー・ポッター」も手掛けている。
 ロンドン公演を成功させた才能の結集による演出を、しっかり吸収し、
 しかも呑まれることなく日本人の舞台として完成させる。
 だから観客も感情移入できる。
 俳優たちの底力をみた。

 これこそ、フラメンコな精神ではないか。

 カーテンコールでの、出演者が一丸となったブレリアは、
 まさに生粋のフラメンコワールド。
 フラメンコファンなら、別腹で堪能し、
 満腹状態で帰路についたはずだ。

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 2011年1月24日(月)/その575◇怪傑ゾロ(その3/しゃちょ編)

 ★ゾロ ザ・ミュージカル
 1月21日/東京・日比谷・日生劇場

 半世紀にわたる"怪傑ゾロ"ファンである。
 幼い私の、月光仮面に続く理想の職業は怪傑ゾロだったのだ。

 超かっこええゾロのアクションとキャラクターが、
 フラメンコにはまり込む遠い布石であったことにも疑う余地はないだろう。
 原体験は連続テレビドラマのガイ・ウィリアムスだったが、
 フラメンコ的に云うなら映画のアラン・ドロンも、アントニオ・バンデーラスも
 ゾロそのものだったと思える。

 そしてフラメンコ・ミュージカル版の今回、
 オーディションによってゾロ役を射止めたのはV6の坂本昌行。
 ツバメンコ今井翼だったら最高だったのにというのが本音だったが、
 逆に彼によってジャニーズ・トップクラスの底力は存分に思い知らされている。
 そして今回のゾロには歌、踊り、演技に加え、危険なアクション、
 一筋縄ではゆかないフラメンコという過酷な試練が待ち構えているのだった。

 この『ゾロ ザ・ミュージカル』について、もとより私は
 "どフラメンコ"の視点で味わうつもりなど毛頭ないし、また毛髪もない。
 わがままな一観客として自分がどういう化学反応を起こすのか、
 私の期待はその一点だったが、昨秋の記者会見で直観したとおり、
 坂本ゾロははち切れんばかりのフレッシュな魅力に充ちあふれていた。

 コミカルな演技、ロマンティックな歌唱、
 リスク満載のスリリングな剣技と宙釣りアクション。
 その切り替えの早さと集中力の精度に、苛烈なエンタテインメントの世界で
 サバイバルするアーティストの本気と真髄が視えた。
 しかもアンコールに踊ったブレリアなどは、
 コアファンをうならせる粋をぷんぷん発散させていたのだ。
 ずっと積み上げてきた地力に現在進行形の血と汗をフルに掛け合わせる
 サカメンコ坂本昌行の総合力は、私の予想をはるかに超えていた。

 久々にみるアントニオ・カラスコはカンテフラメンコの魅力を深々と発散し、
 日本のフラメンコ界からは、昨年夏の新人公演バイレ部門で
 堂々たる存在感を焼き付けた大野環が全編大活躍し、
 また、ギターの矢木一好は抜群のセンスと超絶技巧で
 ノリノリの音楽シーンを縁の下からガッチリ支えていた。
 ちなみに、若手男性陣にあって大いに気を吐いた土方憲人は、
 この舞台の骨組みを築く三ヶ月のフラメンコ基礎特訓を担当した
 バイラオーラ大塚千津子さんの甥ッ子なんだって。
 それと、イッパツ芸人と勝手に思い込んでた芋洗坂係長(ガルシア軍曹)の
 舞台人としての筋金入りの実力には意表を突かれたよ。

 さて、数々の国際的舞台賞を受賞している振付のラファエル・アマルゴは、
 さすがにエンタテインメントにも精通したフラメンコ人だった。
 一般観衆のフラメンコに対するハードルを計算し尽くした上で、
 心にくいばかりに硬軟自在な振付を組み立てるバランス感覚は見事なものだった。
 わかりやすい「フラメンコもどき」の部分が馴染みの薄い観衆の生理的共感を生む一方、
 時おりメリハリよく盛り込む「ムイ・フラメンコ」は
 コアな愛好家を引きずり込むクオリティに達している。
 つまり、勝負すべきところでは遠慮なく勝負し本領を発揮する
 フラメンコな矜持が素晴らしい。

 優れたアートは同時に優れたエンタテインメントを充たすことがあるが、
 優れたエンタテインメントは同時に優れたアートを充たすことがある。
 ゾロ・ザ・ミュージカルを、後者として私は選びたいな。
 こうした1ヶ月半にも及ぶ東京・銀座の大劇場ロングラン公演が、
 フラメンコへの理解と普及発展に大いに貢献するであろう確信は、
 その晩あおった歓喜の安酒を、極上の味わいに高めるのだった。

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 2011年1月25日(火)/その576◇当面の課題

 年に数回ではあるけれど、
 きちんとした冷たい響きの敬語で応える時の私は、
 だいたいは腹を立てている場合が多い。

 普段から上も横も下もなく、まるっきりのタメ口で会話する私は、
 礼儀知らずを絵に描いたような江戸ッ子だが、
 敬語というものをまるで知らないわけでもないのだ。

 一方、カフェやコンビニなどのチェーン店で、
 店員さんにマニュアル通りの敬語で対応されると、
 それが彼らの職務とはわかっちゃいるけど、
 そのイヤな感触を払拭するのに三秒ほど費やしてしまうことは多い。

 ただし、その口調や仕草に、彼あるいは彼女だけに可能な
 好ましいアイレを発見できる場合などはその限りではない。
 敬語によるコミュニケーションも悪くないじゃないか。
 よし、オレも今日から敬語を駆使してみようかな、とさえ思う。

 その爽やかな気持ちを、三歩あるいたのちも持続させることが、
 とりあえず当面の課題であろう。

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 2011年1月26日(水)/その577◇恐怖のダブルヘッダー

 ゾロ公演でとなりに座ったぐら。
 そのあとタカミツ・ライブに行くと云う。
 ゾロ3時間公演のあと、カンテライブのダブルヘッダー!

 まあ、ゾロ公演3時間を一日2回やったりする出演者に比べれば
 楽なもんじゃんかと励ましつつも、
 そのあと2本原稿書くって、ぜんぜん楽ではないのだが、
 そういう経験は、まあ、財産みたいなもんだからさ。
 
――――――――――
(by 小倉泉弥)

ひと節で沸かせるカンテ

★石塚隆充ソロライブ Mequede Vol.3
1月21日 東京・目黒・Blues Alley Japan


冒頭の『ア・ミス・ニーニョス』が変わった。
石塚のギター弾き語りが素晴らしいブレリア。
コンパスをふんだんに感じさせるファルセータのアレンジがいつもと違う。
ガツガツ弾きまくるのではなく、コンパスを守って空間を聴かせる。
ギターの道を選んでも面白かったのではないかと思うくらい、
なんでもないように演奏する。
コンパスを見失うとわけがわからなくなりそうだけど、
ちゃんとついていけると、これがとても楽しい。
尺が長くなり、メロディもカッコいい。
イントロだけで1曲になりそうなくらい充分に聴かせてくれた頃に、
ようやく歌が入ってきた。
パーカッションとパルマの伴奏だけというストイックなアレンジが、
これまた玄人好みというか、すこぶる良い。
二つのクチナシの花という意味を持つ『ドス・ガルデミアス』が続くが、
歌が相変わらず冴えている。
昨年の終わりに『徹子の部屋』に沖仁が出演したときに横で歌う姿が流れたが、
映像を通して聴いたあの歌声とキレ具合を思い出した。
あのときあまりにカンテが素晴らしかったので、「いま」かもしれないと感じた。
サビに向かって感情が高まっていき、
ここ一番の瞬間に両腕を大きく広げて歌声を轟かせる。
これで会場が沸いた。間違いなく沸いた。

タカ・アタカンドでもそうだが、聴いたことの無い曲を必ず入れてくれる。
過去のライヴと同じ曲をやる場合でも必ずアレンジを変えている。
ライヴなんだから当たり前とも言えるけれど、
実際に毎月足を運んでみると、アレンジのバリエーションが多彩で興味深い。
数えると昨年の6月から僕はほぼ毎月石塚の演奏を聴いていた。
7月だけ見ていなかったようだが、
その結果だんだんとその歌声が頭や心に浸透していき、
チャンスさえあれば何度でも聴いてみたくなったのだ。

クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』をAMI triangulo & The WILLで演奏したとき、
大変評判が良かったのでこの日も『アンジー』へのメドレーでやってくれた。
スペイン語にアレンジされており、石塚だからこそできるものに思える。
MC中に興に乗った大儀見元(パーカッション)が、
『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のイントロを叩き始めるが
「いや、ネタがないですよ(笑)!」と石塚が困惑して、また会場が沸いたのが微笑ましい。
しかし直球のフラメンコも忘れない。
沖とサシで1曲。ヌメロはブレリア。
何度か聴いたことのあるメロディだったが、
あの高音で突き抜けて行く箇所がどうにも堪らない。
4月14日にTAKA y JINのライヴがあると告知されたが、
きっとこんな強烈なフラメンコをたっぷり聴かせてくれるに違いない。
過去2枚のCDは入手しづらい状況にあるので、
これを機に復活してくれることを切に望む。
そしてもし新たな音源を発表してくれれば、こんなに嬉しいことも無い。

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しゃちょ日記バックナンバー/2011年1月⑤

2010年11月01日 | しゃちょ日記

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 2011年1月27日(木)/その578◇思い上がり

 パセオのベランダで一服していたら、
 その眼下を、自転車のおっちゃんが大笑いしながら駆け抜けて行く。

 年齢的にはおそらく私と同世代。
 ケータイもかけてないし、イヤホンもしてない。
 完全無垢の状態でひとり高笑いしながら疾走してゆくのだ。

 普通の人から見ればたいそう不気味な光景であると思うのだが、
 私の心は共感と痛快感でいっぱいだった。
 Ⅰpodで落語を聴きつつ大笑いしながら散歩することの多い私は、
 明らかにその自転車のおっちゃんと同じタイプの人間だからだ。

 いや、落語もなしに大笑い出来るそのおっちゃんからすれば、
 私などはまだまだ半人前の出来損ない人間なのかもしれない。

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 2011年1月28日(金)/その579◇音楽の歓び

 ★VINO DE INDIGO
 2011年1月20日/東京・渋谷・公園通りクラシックス


 ジャズとフラメンコがベースなのだが、
 日本人のアイデンティティも遺憾なく発揮されるという、
 あまり馴染みのないライブにスタート早々ちょっと面食らう。
 音楽的位置付けを論理的に明確にしないと音楽を楽しめないなんて、
 何てこったい、オレは日々退化してんのじゃないかと冷や汗かいた。

 音楽する歓びに充ちみちたそのカルテットのメンバーは、
 ピアノの斉藤智子、フルート&カホンの山本俊自、ベースの五十川博、
 フラメンコギターの稲津精一。
 時にスリリングに、時にしっとりロマンティックに、
 温たかに弾むような心地よい音楽。
 「皆さん、ただひたすら音楽を楽しんで!」。
 第一部の中盤あたりで、このカルテットの方向性がようやく視えてきた。
 これは緊張を強いられる非日常的なコンサートではなく、
 心をスイングさせながら日常の豊かさや潤いを
 ぐんぐん増幅させるリラックス・コンサートなのだ。

 斉藤智子はチック・コリアの『スペイン』などでは大いに技巧性を発揮するが、
 全体に生きる歓びを全身で感じながら、透明であたたかな音楽を志向する癒し系。
 彼女のオリジナル作品は豊富にして多彩であるが、
 東欧のアレクサンドル・タンスマンを想起させる、
 ほの暗さの中の淡き光のような響きは殊に印象的。
 時に心打つ詩を書くこのピアニストは、バイレとカンテの現役練習生であり、
 また、某有名バイラオーラ小林伴子のピアノ教師でもあるのだ。

 フラメンコでもおなじみのフルート奏者・山本俊自の主張はシンプルにして明快。
 強靭なテクニックを手段として従え、強い気持ちで吹きまくる人間臭い音楽は、
 アートの本質をガッツリつかまえている。
 五十川博のベースは、特に長めのメロディラインをギンギラに奏でる時、
 何とも好ましい個性とパワーを発散させる。
 この二人のベテランに共通するものは音楽に対する信念の強さであり、
 それをストレートに表出させながら自らのプレイをコテコテに楽しむ姿勢には、
 忘れちゃならない原点がくっきり聞こえてくる。
 若手フラメンコギターの稲津精一は、そういうヤンチャな大人たちを
 フラメンコなコンパスで縁の下からしっかり支える。

 洗練よりも心の自由。
 まずは楽しむ心ありき。
 1970年代の希望に充ちた熱き音楽シーンをほうふつとさせる、
 ふわっとタイムスリップさせられるかのような甘く激しいノスタルジー。
 しょぼくれた画一化や暗い世相を嘆くばかりでは何も始まらない。
 まずは自ら率先して自由闊達に楽しむ。
 そんな輪はきっと広がるはず。
 そういう音楽メッセージが全開した第二部に、頭デッカチな私の心も全開した。

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 2011年1月29日(土)/その580◇ファイブ・カードの余韻

★アルハムブラ・ライブ
[1月27日/東京・西日暮里・アルハムブラ]


 バイレは森田志保、鈴木敬子、稲田進。
 カンテは石塚隆充、ギターは柴田亮太郎。
 ポーカーで云うなら絵札ばかりをそろえたようなライブ情報を発見し、
 3月号入稿と校正の合間を縫って西日暮里に駆けつける。

 アルハムブラの社長業がすっかり板についた感のある永山純子さんと
 エールを送り合い、舞台上手側の一人席で
 5月号の原稿を書きながら開演を待っていると、
 「そこは審査員特別席なんですよ」と、すぐ左下にある楽屋口から
 余裕の出演メンバーたちに冷やかされる。
 まあオレの場合、審査員は無理だけど、被告の立場で
 ボコボコにされる経験なら誰にも負けねえ自信はあるんだけどな。

 第一部オープニング。
 全員のパルマで歌う石塚の深々とした響きの
 ソレア・ポル・ブレリアに乗せて、稲田、鈴木、森田が次々と舞う。
 第一線の人気ソリスタによる、それぞれ迫力ある妙技と
 強烈なペソ(重み)を帯びた存在感は、
 瞬く間に店全体をフラメンコの桃源郷にワープさせる。
 1ラウンド開始早々のKOパンチに、
 黒光りするテンションがビシッと張り詰める。

 稲田進はガロティンとソレア。
 大物新人として彗星のようにデビューした頃もよかったが、
 今はずっといい。
 特に足技における葛飾北斎のような大胆なデッサン力は俄然深味を増し、
 軽やかさと重みと渋みが絶妙なバランスで同居している。
 技とダンディズムがスケール大きく合致する瞬間、
 魔術を超えたアルテがくっきり視えるのだ。

 鈴木敬子はアレグリアスとシギリージャ・イ・マルティネーテ。
 その上半身のしなやかな躍動の軌跡が、
 強く美しいメロディラインのような残像を描く。
 そして敏捷な下半身は、まるでピアノの左手伴奏のように
 音楽全体を支えながらリズムを高揚させる。
 速い動作より全身でたっぷり歌い上げる部分に
 濃厚なアルテが宿るのは最近の傾向か。

 森田志保はソレアとアレグリアス。
 『はな』に代表される創作舞台が極めて求心的であるのに対し、
 彼女の素っぴんヌメロには自由奔放なアイレが現れる。
 あらゆる瞬間は天衣無縫のひらめきに充ちながら、
 全体の統合性が揺らぐことはない。
 頭でなく感覚で、計算ではなく美学で、
 コンテンポラリーなプーロを形成する年齢性別不詳のアルテ。

 日本語カンテを初めとするさまざまな革新と、
 変わらぬ本格路線の追求という両輪によって、
 活発なカンテソロ・ライブで躍進を続ける石塚隆充は、
 いつものように邦人本格カンテ最高峰の歌声で
 ステージをみっちり引き締める。

 透明な安定感に貫かれる柴田亮太郎のギターは
 常に聴き手の意表を突き、先々の展開をまるで読ませない。
 抜群の即興センスからは、およそ類型のない
 シャープにして繊細なファンタジーがとめどなく溢れ出る。

 圧巻だったファイブ・カードの余韻とともに千代田線に乗り込みながら、
 五枚目のジョーカーは一体誰だったのかなと、
 アホっぽい妄想に浸ってみる。


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 2011年1月30日(日)/その581◇あたたかな冷笑

 ある月夜の晩。
 仲良しのバカ助どもと呑んだくれた、秀からの帰り道。

 見上げれば、煌々とする満月。
 物心ついて以来の懐かしい情景だ。

 あたたかく、どこかユーモラスでありながら、
 何故だか、ちょっと怖い。

 おまえさんたち、思い上がるなよ、
 おかしなものをあんまり信じ過ぎちゃいけないぜ。

 そういうあたたかな冷笑が聞こえてくる。


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            軒を出て 犬寒月に 照らされる (藤沢周平)

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 2011年1月31日(月)/その582◇TAKA y JINの物語

 地元呑み友ヒデノリによる、パセオ・ガチンコ感想第二弾!
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59413835&comment_count=12&comm_id=1563685

 冬でもTシャツ一丁の彼はインテリ武闘派売れっ子コピーライター。
 そのハンドルネームは"サミー"である。
               (↑うっ、キモいっ) 
 
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(by ヒデノリ) 

ベスト・オブ・〈Paseoフラメンコ〉。
ココは読んどけ、2月号ベスト3!!!

さぁ、皆さん、アタマの中で
ドラムロォォォォォォール!

☆ ベスト1 ☆
フラメンコ桜吹雪
最終・第五話
TAKA y JINの物語

いま現在、カベにぶつかって立ちすくんでいる
すべての皆さん。あきらめるのはまだ早い。
勝負はまだまだこれからだ。
自分をもっと信じてみようじゃないか。
仲間をとことん信じてみようじゃないか。
鼻で笑うやつらは、ずっと笑わせておいてやれ。
人を見下すやつらは、たいしたもんだと持ち上げておけ。
結局は地に足をつけ、がっちり根を張った人の勝ち。

と、まぁ、そんな気持ちにさせてくれるのが
今回のTAKA y JINの物語。数々の屈辱と
多くの挫折と様々な苦悩に見舞われながらも
挑戦をやめない。読んでいて気持ちがいい。
読んでいて胸が熱くなる。そして肩身が狭くなる。
比べることではないけれど、見習わねばならないことの
なんと多いことか。タメ息。


☆ ベスト2 ☆
あるダンスファンが見続けた
"フラメンコの女王"
我がマリア・ハベス讃歌

讃歌と表明しているだけあって、
絶賛にはじまり絶賛で終わる。
普通なら辟易してしまいそうなところだけれど、
とんがりやまさんのマリア・ハベスにたいする
深い愛にうたれて、読後はマリア・ハベスのファンに
なりつつある自分に気がつく。そうか、来日公演が近いのか、
これは見に行かなくちゃという具合。
「全身を強く打ち抜かれたような衝撃」を受けてみたいし、
「たったひとりで屹立し続けるような強烈な意志」を感じてみたい。
もちろんとんがりやまさんと同じように感じられるワケでは
ないけれど、人のココロをそこまで揺さぶるステージには
そうそう出会えないはず。まだチケットはあるだろうか。
渋谷オーチャードホール。


☆ ベスト3 ☆
バル de ぱせお
僕に書かせてください。

ひとりの青年が新たな出発をする。
しかも、これだと思った道を見つけて出発する。
清々しいと同時にうらやましい。
ここにその勇気を称え、エールを送るとともに
こちらの願いを伝えておきたい。

○キミなら有名な書き手になれる。(なったらおごってください)
○キミなら書くことを極められる。(極めたらコツを教えてください)
○キミなら編集長になれる。(その節はよろしくどうぞ)
○キミなら人脈を築ける。(いい人だけ紹介してもらえませんか)
○キミならPaseoフラメンコを週刊にできる。(楽しみに待ってます)

どうかあまり真顔にならず、苦しみながら楽しんでください。
行き詰まった時は、「TAKA y JINの物語」がおすすめです。

 桜.jpg

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