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2011年1月1日(土)/その550◇さあ、今年も共にやっちゃるかい!
新年あけましておめでとう!
昨年もこんなおっちゃんと遊んでくれてどうもありがとう!
そーゆー不運にめげることなく、本年もどーぞよろしく!
まあ、なんやかんやと世相はどんより気味であるからこそ、
われらフラメンコとしては、それなりに明るく暴れてみたい。
つーことで本日元旦は、景気づけに今年のモットー(←死語)、
もしくは何でもえーので新年の雄叫びなんかを、
イッパツ書き込んでくれやあっ!
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2011年1月1日(土)/その551◇冬木立
「冬木立が好きだ」
私の愛する作家・藤沢周平師はかつてそんなふうに云った。
すべての葉を払い落とした、まるで素っ気無い風情。
虚飾を脱ぎ捨てたところの自らの骨格だけで立ち向かう潔さ。
素朴と誠を愛した師は、そんなところに着目したのだろう。
虚飾なしではどうにもならない私には何とも耳の痛い話なのだが、
こうした感性に対する共感は年々深まる。
初詣出のような気分で、毎年元旦に出かける代々木公園。
そこで見掛ける何の変哲もない冬木立の姿に、
ある種の凛々しさを感じ、妙に心打たれる。
いつでも誰でも、立ち還ることの出来る原点。
それぞれに主張しながらも、保たれる自然な均整。
悟りには程遠い人間にとってさえ、好ましく懐かしい風景。
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2011年1月2日(日)/その552◇大らかな庭
正月二日。
久々に一家で散歩に出る。
と云っても、ブラつくのは自宅の庭である。
一般的には代々木公園と呼ばれてるらしいが、
私はそういうことにはこだわらない大らかな性格だ。
なので、みんなもヒマなときには遠慮なく散歩してってくれや。
システムも大らかなので、
入口でしゃちょ友だと云えば勝手に入れるし、
しょちょ友でなくても勝手に入れるぐらいだ。
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2011年1月3日(月)/その553◇デビュー戦
のんびりテレビを観てたら、これがまるでつまらない。
ならば自分で小説でも書いてみようと思い立つ。
もちろん人生初の試みである。
三秒で思いついたタイトルは『フラメンコは泣かない』。
テレビを消し、パソコンに向かって小1時間。
即興で4000字ほど書き込んだ画面を最初から読んでみる。
すると、自分でも驚くほどに、これが絶望的につまらない。
文書をゴミ箱に投げ込み、迷わずテレビをつけた。
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2011年1月3日(月)/その554◇ふりだしに戻る
「あのときゃ、ああしとけばよかった」
仕事も女も友情も、私の人生は後悔の海を航海するようなものだから、
この歳になっても、ふとこんなグチをぶり返すことがある。
ただしそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間にはきれいさっぱり
打ち消すことが出来るようになったのも年の功だろう。
たとえ過去の一部を改善することが出来たところで、
また別の災難が降りかかってくるのが人生だから、
「もしもこうだったら」というifは楽しい分だけ無責任だ。
ただ、こうは思う。
「あのときゃ、ああしとけばよかった」という反省に
思いのほか大きなパワーが内包されてる場合は、
年齢やら境遇には関係なく誰もが、それをいま現在直面している
チャンスやピンチに活かすことは可能であると。
そういう本人だけに可能な、その輝ける経験値の発揮は、
光ある新たな展開を切り拓き、
そして同時に、新たな困難を招くきっかけともなるのだ。
そんなこたあ重々わかっちゃいるけど、
それが人生の華なのよ、仕方のねえことじゃんよと、
おもむろにふりだしに戻る。
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2011年1月4日(火)/その555◇笑う理由
生来、人一倍シャイで暗くて孤独好き。
他方では、人さまや自分を笑わせるのが大好き。
ウツとは無縁なのも、おそらくはこうした分裂気質が理由だろう。
「動物やパソコンには笑う必要がない。
人間だけに笑う必要がある」
こう指摘したのは哲学の土屋賢二教授だが、
自分や周囲を笑わせることには、
人間の生存そのものにとって、
思いのほか重要な意味があるように思える。
しかもこりゃ、
往々にして仕事より笑いを優先させてしまう云い訳にも、
もってこいの説だしな。
ま、そんなこんなを本線に、
日々愉快に働けることに感謝しつつ、
本日只今より本格的に仕事始め、夜は秀で新年会。
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2011年1月5日(水)/その556◇俺についてこい
日刊パセオフラメンコ「マリィの星のフラメンコ占い」に、
2011年前半(1月~5月)の12星座別・運勢が載ってる。
つなみに、牡羊座(4/14生まれ)の私は、以下のごとく絶好調である。
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牡羊座
絶好調! 5月までは、まさにわが世の春と言った感じで
何をやってもうまくいくでしょう。
とくに新しいことをスタートさせると成功率が高いはず。
計画していたことを実行に移したり
興味があるのに手を出せなかったことにトライするのは大賛成。
「自分を高める」ということを大前提に目標作りすると
幸運度はますますアップするでしょう。
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どーでえ、すげえだろっ!
みんなあ、俺についてこい!
こう威張りたくなるのも当然の成り行きである。
ついでに、これ幸いと滅多にゃできねえ自己主張でもやっとくかあ。
んっ、ありゃ、
占いの続き(↓)がまだ二行ばかし残ってた。
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ただし人間関係にはトラブルがつきもの。
自分を主張するのはほどほどにしてくださいね。
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2011年1月6日(木)/その557◇俺は何にもわかってないじゃないか
ガチンコ・プレイバックへ、ぐらの初投稿。
2月号から何らかの形でほぼレギュラー執筆するぐらだが、
それも含めて感想書いてみ、という私のリクエストを受けて立った。
既得権を知らない世代の選択枝は、シンプルにして明快だ。
ジリ貧に甘んじるか、自ら道を切り拓くか。
いや、この時代は、既得権を知る世代にとっても同様なのだが、
切り替えが難しい分だけ、逆にハンデになってる感じもある。
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●パセオフラメンコ2011年1月号
遅ればせながら、ようやく読み終わりました。
正確には何度か読んだのですが、
その都度何かが引っ掛かり、同時に何かを取りこぼし、
それでもちょっとずつ「こういうことかな」と自分なりに理解を深めていった(たぶん)、
という感じです。
今月号の白眉と言える、小島章司先生の記事。
深いのですよ、これが。
面白いのが、読んでいて呼吸の話まで進むと、
急にいまの自分の呼吸が深くなる...というか、
慌てて息を吸い込むような感じになることです。
つまり、やっぱりできてないんですよね、呼吸が。
「あ、また呼吸が浅くなっちゃってる」って。
物理的な呼吸は精神的な呼吸とシンクロしている。
不可分な行いだけれども、
形から入ることで内面を充足させることができる術は、そう多く無いのではないでしょうか。
生きる上での強烈なヒントとなると思われます。
読む度に感激と、再発見の連続といったところです。
気を付けたいのは、呼吸は心臓の鼓動と同じで、あまりに日常的で無自覚の動作です。
それゆえ、忘れるのがとても早い。
もう何度も読んだはずの文章なのに、やっぱり忘れていた。
これはもう、本当にストレッチをすることから定着させていかないと難しいなぁと感じました。
とりあえず週1でもいいから、継続的にやりたいと思います。
フラメンコの光源「マイテ・マルティン」ですが、
どんな歌なのか非常に気になりました。
男がイメージする女性像にカンタオーラ自身も自らを当てはめて来ていたのでしょうか。
そこら辺の事情はわからないのですが、
マイテの歌がその範疇に収まらない、新天地を開拓したものであると理解できました。
で、フラメンコの美学「フェルナンド・デ・ラ・モレーナ」。
いいですねぇ(笑)。
いいじゃないですか、この感じ。
まさにカンテを歌ってそうな感じが、等身大近いサイズの写真からビシビシ伝わって来ます。
カブレーロも死ぬほど最高だったのですが、
絶対こういう人が必要なのですよ。絶対。
彼の詩を読み、その心を知ると、
いったいフラメンコは何を歌えばいいのか、というのがまざまざと見せつけられるのです。
そして、これこそがプーロであると、思い知らされるのです。
日本ではこういう歌詞だといきなりコミカルな感じになるのですが、
そうならないのがフラメンコの魅力でもあり不思議でもありますね。
ハカランダの歌詞も良かったし、「ああ人生は...」の歌詞も良い。
もう、いちいち突き刺さる。いや、ガツンと来る。
一口で失神するような猛烈な酒をあおりたくなり、
「やってらんねーよ、畜生!」(でも前向き)に似たカタルシスを感じます。
続いて三枝雄輔さんですが、実は僕と同い年だったんですね。
チャンスがあれば取材したいと思います。
0か100かのような、極めてフラメンコ的なスタンスが好きです。
やっぱりフルスウィングは気持ち良い。
「心から泣けるフラメンコ」で、エンリケ坂井師匠の冷静でありつつ熱意を感じさせる文章に、
きっとギターを弾く時の心境もこんな風なのかなと、
少し違った角度から読み解いてみました。
なんか、出てる気がするんですよね、そういうのって。
ラ・トレアの魅力も伝わり、また一人鑑賞予定リストに加わりました。
濱田先生も、堀越画伯も毎回面白いです。
生き様や感じ方がしっかりあると、自然と語れることの多い人生になるのでしょうね(笑)。
大沼由紀さんの記事は、貴重なお話ですね。
具体的なので、とりわけ踊りをやっている方は響くのではないでしょうか。
本人直筆のイラストは意外でした。
こういうの、良いと思います。
アートは繋がっているし、
アルティスタはフラメンコ以外からもいろいろ吸収しているでしょうし、
こんな一面もチラッと観ることができたのは新鮮です。
で、ジノキズム評ですが、概略を示して頂けたので良かったです。
というのも、恥ずかしながら途中で止まっちゃってまして...(汗)。
続きも面白そうなので、近々再開しようと思います(笑)。
最後になりましたが、「失敗はフラメンコの素」。
僕は毎回読むたびに思うのですが、
実は本誌において最もフラメンコしてるのは、このコーナーではないかと。
パセオを久し振りに読んだときに(失礼!)、
このコーナーを観てびっくりしました。
凄い覚悟だなと。
これって、そのまんまフラメンコではないかと。
フラメンコってこういうことだろうと。
自らを顧みるとき、とても恥ずかしい気持ちになるのです。
「俺は何にもわかってないじゃないか」と。
同時に、本気や本当の強さを肌で感じるのです。
大久保さん、ちぃちゃんさんの声は、届いております。
拙筆につき、うまく伝えられたかわかりませんが、
偽りの無き本誌感想でございました。
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