フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

紗矢香のメンチャイ [108]

2006年05月20日 | アートな快感







          紗矢香のメンチャイ






 メンチャイ。


 ………パンナコッタ(何のこっちゃ)


 この出だしからして、今日のブログはすでに負けていると断言していいだろう。しかもダラダラ長くなりそーな予感もある。
 パジャマに着替えてベットで読めば、あなたの作戦勝ちは動かぬところで、ぐっすり行けることまちがいなしだよ。

 だがしかし、本日ご紹介するCDそのものは凄いぞ。
 ふふふ……何を隠そう、私の邦人イチ押しヴァイオリニスト庄司紗矢香(しょうじ・さやか)のニューアルバム『メンチャイ』である。

「おやっさん、ウドン頼んだのにソバ入っとるよー。メンチャイまっせー」

 などと、いつまでたっても本題に入れないのは、そう、
                       
「ごメンチャイという最悪のオチが、
                    
早くも脳裏にちらついているからかもしれない。


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 そうした心理的障害をものともせず、本日は庄司紗矢香のメンチャイを思う存分に語りたい。
 さっ、その「メンチャイ」とは一体何か それは、メンデルスゾーン&チャイコフスキーの略称なのであった。

 フラメンコだと、二大フラメンコ曲種(アレグリアス&ソレアレス)のことを「アレソレ」などと称するわけだが、それと同じように、この「メンチャイ」は全世界人気を誇る二大ヴァイオリン協奏曲のことを云うのである。

 メンデルスゾーンの方は聴けば誰でもああこれかとわかるメロディのポピュラー曲だし、チャイコフスキーの方もライブ演奏頻度ではメンデルスゾーンを抜いたという話を最近聞いた。
 どちらもロマンティックな迫力と歌謡性を十二分に備える、ヴァイオリン好きならば、まずまっ先にハマる超名曲だ。

 この二大人気曲は一枚のCDにカップリングされてることが多く、それらはヴァイオリニストの個性・力量を知るための最適なディスクとしても機能しているのだ。
 ま、フラメンコでもアレグリとソレアを観ればだいたいその舞踊手のスケールがつかめるのと同じだなと云えば……かなり過言である。

 年に一度はメンチャイの各ライブを聴く習慣は十代後半から辛うじて続いているし、入手したレコードCD50種は下らないメンチャイおじちゃんとは私のことである。
 ある水準以上に達した名人や美人については、もうその先は好みでしかない。私が仏と仰ぐ土屋賢二教授もこうおっしゃるように、甲乙つけがたい名盤は当然たくさんある。

 そうした名盤グループの中でも、私がよく聴くのはメンデルスゾーンならミルステイン、パールマン、ナージャであり、チャイコフスキーならムター、シャハム、クレーメルあたりだが、これら超名盤に長いスパンで太刀打ちしてゆくには、さすがに尋常の内容では難しく、よほどの魅力を備えた演奏でないとすぐに市場のマンホール下に埋もれちまうことになる。

 そうした状況の中で、ユニバーサル・ミュージックからこの春全世界リリースされたのが庄司紗矢香のメンチャイだった。


              
         庄司紗矢香
チャイコフスキー&メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
 チョン・ミュンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団
              ユニバーサル・ミュージック/2006



 「ありゃぜんぜん、モノが違うわ」

 口やルックスはチョー悪くとも、耳だけは信頼できる音楽仲間が口をそろえて絶賛するのが庄司紗矢香だった。パガニーニ国際コンクールで最年少(16歳)優勝し、一躍世の注目を浴びたのはもう七年も前のことである。

 んじゃ、とりあえず聴いてみっかと出向いたライブはパガニーニのヴァイオリン協奏曲(第一番)で、その日本人離れしたスケール豊かな本格的快演に、ぎゃふんと私は完全KOを喰らったものだ。
 ヴァイオリンの名技性は楽しませてくれるものの、音楽内容的には最高級とは云い難いそのコンチェルトを、なんと彼女は内実豊かで見通しの良い“天上の音楽”のように響かせたのである。

 グアヒーラを味よく踊っているのだが、その行間と背景にソレア的な巨大なオーラが見え隠れするバイレ……みたいな。ひでえ例えだが、そういう大きさのライブ・パフォーマンスだった。


 そしてこのメンチャイ録音においても、アートの王道をゆく庄司紗矢香の純粋アプローチは、まったく同様に冴えわたる。

 どこまでも共演陣や聴き手とともに「アートな快感と発見」を共有しようとする強靭なヴィジョン。
 作品の内側に入り込んで、小細工なしに、その本質と内包する魅力を最大限に引き出そうとする戦略。
 戦略に忠実に、何のケレンもなしに、ムラなく音楽全体に真摯に丹精こめて配置された的確かつナイーブな戦術の数々。
 そして、完璧を絵に描いたようなテクニック、爽やかにしてしなやかな歌心、などに代表される圧倒的なその現場戦闘力

 さすがに録音というものの限界は、彼女のライブ本来のどこまでものびやかで遠達性のある美音までは捉えていないが、先のパガニーニ・ライブを想起することで、ピアニッシモを奏しても決してオーケストラに負けることのない実際の響きをイメージすることは楽勝に可能だ。

 もちろん、弱点のないものなど在りはしない。
 セクシーでも情熱的でもデーモニッシュでもないのが、このCDの弱みであると云えそうだ。
 メンチャイ(特にチャイコフスキー)においては通常、プレイヤーの個性がむしろ作曲者の意図さえ超えて、ギンギンにブレイクするような表現が求められるものだが、残念ながらこのメンチャイにそれは期待できない。
 ただし、そうしたタイプの、しかもキャラクターの異なる極め付きの名演はすでに幾つも確保されているので心配はない。

 では、彼女のメンチャイが私たちにもたらした大収穫とはいったい何か

「ありゃ、メンチャイそのものが見えてきちゃったよ」

 ある程度予測してたものの、これが驚きの大収穫である。

 「ヴァイオリニストの名人芸や超美技を堪能するためのメディア」というメンチャイの役割が創り手・聴き手の双方に了解されている現状の真只中に、彗星のように登場したのが庄司のメンチャイであり、そこには私たちがかつて見い出すことの難しかった未知なる地平が広がっていたのである。
 これまでプレーヤーの名人芸に隠れがちだったメンチャイそのものの本質が、すっきり端正にその姿を現わしていたのだ。

 全体のトーンは「チョー性格の良い、ぶっちぎりの理性」であり、さらに云うと、曲のそこかしこに散りばめられたカッコよさに気をとられてこれまでは聞き流されていたような地味な縁の下的部分にまで、シャープで暖かなスポットが絶妙なバランスで当てられている。

 その結果、メンチャイの全体像は、実にすっきりとした見通しと、フレッシュな輝きをともなう有機性を与えられたのだ。
 「作品の内側に入り込んで、その本質と内包する魅力を最大限に引き出す」という先の戦略から生じた成果である。
 メンチャイのパフォーマンスに、こうした可能性が残されていたことなど、私たちにはまったく思いも寄らぬことだった。

 そんな頭でっかちのよゐ子的アプローチじゃ面白えわきゃねーよというのがアタリキの常識というものだが、にも関わらず、めっちゃ面白い演奏を繰り広げるのがこの庄司紗矢香の本質ならびに底力と云うものだろう。

「ほら、せっかくなので情景全体をよーく眺めてくださいな」

 そんな彼女のささやきが聞こえてくるようでもある。
 
すでに十回以上みっちり聴いたのだが、飽きが来るどころではない。むしろ聴き足りねーのだ。逆に私自身が彼女の演奏に試されているのではないか、などと思ったりもする。
 まったくアートというものにはキリがないのだと、その新鮮な発見に呆れるように私はつぶやく。

 

 ところで、この庄司のさやかなる響きに包まれているとき、なぜか自然と想い起こされたのが、われらがフラメンコ界の若き太陽、ミゲル・ポベーダ(1973年~)の歌声だった。


                
    『ミゲル・ポベーダ/フラメンコがきこえる』
                 HARMONIA MUNDI2001


 どこまでも基本に忠実に、一切のケレンを排し正面から真っ向勝負に出て、そのオーソドックスな厚みで自然と勝利してしまう大河のようなアルテ。快感コンパスとその圧倒的歌唱力。
 カッコよくウケることなど簡単に出来るのに、そうしたことにはあいにく関心はなさそうである。

 そこが物足りねーんだよな、もっと大ミエ切ってくれてもいーのにさ、という声が聞こえないでもない。この私の中にもある。
 だが、そうした現実リスクに動じないところに紗矢香やポベーダの真骨頂がある。そこが凄い。

 彼らの見据える地平はずっとずっと遥か遠くに在るのだ。
 イヤミったらしくも、まるでこの私(ケレン大好き)の真逆をゆくような発展性未来性がそこに在るのだ。



        



 やめときゃいーのに、さらに蛇足は続く。

 云うまでもなく、庄司紗矢香とミゲル・ポベーダは、それぞれに巨大な独創性を志向する骨太の勝負師、かつ人気アーティストである。
 そしてもうひとつ、彼らには面白い共通点があるのではないかと、今さっき、とっさに私は思いついたのだった。

 ミゲル・ポベーダをしっかり聴き込んでゆくと、それまでちょっと隔たりを感じていた、例えば過去の巨匠アントニオ・マイレーナやマノロ・カラコールなどのカンテにぐっと親しみが持てるようになる、という現象が生じる。
 これは、ポベーダが継承する伝統的本質に聴きなじむことで、その直接の源流にあたるマイレーナやカラコールの魅力に、自然と好感を持つに至る、という実に単純な仕組みである。

 ここまでは私の経験則だ。
 そして、ここからがその経験則に基づく発展的仮説だ。

 つまり、庄司紗矢香のメンチャイにもこうした現象を引き起こす力があるのではなかろうか、というのが私の思いつきだったのだ。
 ヴァイオリン界にはヤッシャ・ハイフェッツ(カラコールやマイレーナ的な大巨匠)というスーパースターがかつて存在したのだが、玄人筋の評価がバカ高いこの大名人の録音は、気だけは若いこの私にはちょっとだけ敷居が高い。

 だが、そんな膠着状態を打破すべく、庄司のメンチャイをもっともっとしっかり聴き込むことで、ポベーダ効果と同様に、このハイフェッツ大王さまへの親密なアプローチが可能になってゆくのではなかろうか?
 さらに、これまでも親しんで来たメンチャイの個性的な名演たちとも、さらに深いところでのコミュニケーションが可能になるのではなかろうか?
 そういう楽しげな予感が、ついさっき生じたのである。

 ま、それを試すのはこれからの楽しみだが、その実験結果についてダアレも興味を持っちゃくれねーことなど、すでにお見とーしである。
 星のフラメンコ界の西行輝彦の異名をとるこの私は、この人っ子ひとりいねーオタッキー街道をひとり寂しく歩み出すのであったとさ。


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 いや、やっぱし今日は長くなっちまったな。

 作戦勝ちを収めた近ごろ睡眠不足気味の方々には大好評だったに違いない。自分でゆーのもなんだが、オレの長文がもたらす熟睡性はピカイチだからな。
 で、頭の三行ぐれーは読んだのか 二行ですかそうですか。

 ま、しかし、体調万全にして運悪く最後まで読まれてしまった方も最高二名くらいはおられるだろーから、念のためにお詫びしておくか。