フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

ドゥケンデ [097]

2006年05月04日 | フラメンコ






        ドゥケンデ 




          
     『ドゥケンデ/サマルーコ』
            POLYDOR2000


 恐いほどに切れ味鋭いテクニック、憑依した如くにデーモニッシュなまでの表現。
 次はいったいどんなことになるんだろう?

 その張りつめた緊張感に思わず息を呑みながらも、最後まで持ってかれてしまう。
 ドッと疲れるが、それは最高の充実感をともなう疲労だ。

 太陽を反射してキラキラと光り輝く美しい水面。そして、その水面下にあるのは"恐ろしいほどの深み"だ。
 ドゥケンデの意識は、常にその底知れぬ深淵の方に集中している。アポロン的(理性と調和)なものではなく、ディオニソス的(命の根源的力)なものに向かう。
 人間なら誰しも時に持て余してしまう、心の奥底に潜む得体の知れない欲求と衝動。彼はそれとガチンコで向きあう。
 そこでの対話もしくは格闘こそが、彼のカンテ・フラメンコそのものと云っていい。

 だから、アレグリアを歌ってもめっちゃ暗い。
 ペルラ・デ・カディスがシギリージャを歌っても"希望の灯"が見えるのとまったく対照的だ。
 本人的にはパコ・デ・ルシアとのブレリア(レアル広場)がお気に入りらしいが、ヤジ馬的にはカニサーレスとやったシギリージャが群を抜いて異常にすばらしい。
 期待となれ合いよりも不安と孤独を迫られる現代の核心を突いた絶唱には、逆に癒されるというか明快なカタルシスを与えられる。(後略)


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 ……そう、お察しのとーり、私の迷文だ。
 三年くらい前に、パセオのホームページの販促用に書いた一文で、ワケのわからん文章がかえってウケたのだろう、ドゥケンデのCDが急激に売れ出したことは私の最後の自慢である。
(尚、文中に登場する湖はもちろん「サマル湖」であり、これについてはパセオフラメンコ人気連載、野咲花香『空耳フラメンコ』にて詳細が述べられる予定である)


 さてその後、小島章司さんのアートスフィア公演で久々の生ドゥケンデに接する機会に恵まれたが、いや、その凄いの何の。
 全体的な印象はほとんど変わってないのだが、その恐るべき加速度にますます拍車がかかっていたのだ。
 唄い出しとほとんど同時にいきなりエンジン全開で、あっという間にフラメンコの最も深くエキサイティングな部分に到達してしまうのである。
 もちろん、竜頭蛇尾のコケおどし芸(俺のことは放っぽいといてもらおーか)とは無縁の世界である。

 その加速ぶりは、ウォーミングアップなしにいきなり100メートルを9秒フラットで走り抜くような感じだったので、私たちは大いにエキサイトする一方で、そのあまりの超人ぶりにおいおい命に別状はねーのか、といらぬ心配までしてしまったものである。

 その夜、地元“健”さんの飲み仲間である某国営放送のナントカのディレクターにそれを話したら、さすがの記者魂でその翌日の小島章司公演に行って超人ドゥケンデの暴れっぷりを確認してきたようで、その数日後のカウンターで穴子の白焼きにかぶりつながら「いきなり来てました」と驚嘆していた。

 今ではもうすっかり一枚看板の超大物スターで、ドゥケンデはドゥケンデなわけだが、かつてはやはり超大物スターのエル・シガーラとともに“カマロンの後継者”というキャッチフレーズで紹介されることが多かったように思う。

 落語で云えば、立川談志(カマロン)と春風亭小朝(ドゥケンデ)の構図に極めて近い。
 また野球で云えば、ちょっと苦しいが楽天の野村監督(カマロン)とヤクルト古田監督(ドゥケンデ)に近いし、フラメンコで云えばカマロン(カマロン)とドゥケンデ(ドゥケンデ)の関係にそっくりである。最初から素直にそう云えばよかったかもしれない。


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 最近パセオに載ったインタヴューは面白かった。あの無口なドゥケンデがけっこう語っているからだ。
 インタヴュアー(ハビエル・プリモ氏/訳と文は東敬子さん)の冴えた突っ込みはさすがである。

 
                    
        [パセオ3月号の記事冒頭]


 「フラメンコは飲まなきゃいけない。その源はいろんな意味があるけど、僕はそれを飲む。でも、最初から意図したわけでもないよ。僕はただ喉が渇いていたんだ(笑)。でも、今言った意味はそこにあるよね」


 という象徴的なセリフが、特に私にはおもしろかった。
 何だがパセオフラメンコの宣伝みたいになってしまったが、そんなつもりは大いにある。そんなつもりしかない、と云っても過言ではないくらいだ。ぜひ買って読んでみてくれっ


 さて、おしまいにクドく触れざるを得ないのが超名盤『サマルーコ』の二曲目、例の“シギリージャ”である。
 ファンタスティックに可愛らしいおとぎの国のお話なのかと思ったら、話が違うじゃねーか、ここは地獄の三丁目かよっ、みたいな約30秒ほどのイントロ(カニサーレスのギター)で始まるアレだ。

 ご存知ない方には、これはもう、実際にお聴きいただくしかないのだが、
凄いとしか云いようがない位にモノ凄い。


 つまり、その、ちょっと云いづらいんだが、録音ではそいつを捉えることが難しいとされている、例の“アレ”が来ちゃっているのだ。


 こんなことを大声でしゃべると、ナンだかよくねーことが起こりそうで、先ほどからほれ、ちょっと文字の級数まで小さくなっちまったようだが、お客さん。この俺も社員とか私などから追われる身だ。このことだけは、くれぐれも内緒に頼むぜ……って視力検査かっつーの。