夢の途中
パセオ創刊以来、あまり役に立たないこの創業社長の主な任務は資金繰り、営業全般、雑用と決まっている。
だから編集や執筆については、むしろド素人に近い。
それがやりたくてパセオを起こしたのに、そっちの志望者は多くて、とても私の隙入る余地はなかったのだ。
ただ、私にその適性がまったくないというわけでもない。
こう見えても、小学生の頃から原稿執筆を依頼されるような少年だったのだ。依頼内容は主に読書レビューだったが、それらが活字になったり誉められたりしたことはフシギなことに一度もない。だから私はそうした夏休みの宿題が好きではなかった。
名ばかりのパセオ編集長を二度ばかりやったこともあるが、印象的にはショールームで練習用スカートを売った経験の方がはるかに強烈である。その私からはじめてスカートを買ったバイラオーラが今の私の連れ合いである、と云ったら驚かれるだろうか。もちろん真っ赤なウソである。
要するに、こんな小さな専門出版社ではオーナー社長と云えども従業員、何でもやらにゃあフラメンコの本など出せんということなのだろう。……ま、実は才覚の問題が大きいのだがそれはさて置こう。
――――――――――――――――――――
現在の私の本業は広告マンだ。通算二十年近い。
それなりの反射神経が要求される広告マンとしての選手寿命もせいぜいあと三、四年だろうから、今はその現場の喜怒哀楽を思いきり吸収しながら暮らしていけることが単純にうれしい。
「パセオに広告を載せることがフラメンコ界におけるステータス」みたいな空気をこの世界に定着させることが、アート専門誌広告担当のひとつの夢でもある。
そのためには、パセオ本誌の内容がいつも優れて面白いことが必須の条件となる。
そのためには、やる気のツワ者どもをそろえる必要があり、その条件に届かない私は泣く泣く編集部から外れている、という哀しい事情はオフレコである。
――――――――――――――――――――
さて、すでに廃物同然の私ではあるが、ささやかなヴィジョンがないわけでもない。
出来るものならあと数年は広告担当として、パセオの未来をつなぐ役割をまっとうすること。
そしてそこから先は、パセオへの執筆やプロデュース&ディレクション(書籍やCDや映像)中心にシフトして往きたいなどと、ナマイキにも思い始めているのである。
とても正気とも思えぬが、寿命があるものなら、フラメンコをテーマとする自伝的SF爆笑小説なんかにもチャレンジしたい。
そんなこんなで吸ってるヒマもなくなり、とうとうタバコまでやめてしまった。……ま、今日からだけど。
決心すれば必ずそうなるわけではないが、何も決めなければ何も変わりはしない。私はその手のタイプだ。
知らない人も多いと思うのでそっと教えるが、あの“宝クジ”でさえ買わなければ当たらないのである。

この正月にブログを始めた最大の理由は、ズバリそのための“練習”にあった。
書くこと即ち、考える訓練であり、ついでに自己整理であり、あわよくば人の出会いの布石をも思った。
本業の片手間でもあり、かつ五十の手習いとは云えども、とりあえずの“炎の五ヵ年修行計画”である。
まんま社長でいーじゃんと、親しい周囲は口をそろえたが、私が経営に集中すればするほど経営が悪化することを知らないお前たちではねーはずである。
かつて私が任せてもらったように、必要最小限の決断以外は若い仲間に委ねることが私の方針であり、また、そこに私の限界もある。この歳になっても私は、リーダーのみに頼る組織というものに興味が持てないモラトリアムなのだ。
さて、このブログをスタートしたことによって、私の文章力はメキメキと音を立てるように上達するようなことは有り得ないのだな、ということがとてもよくわかった。
あっという間に七転八倒の八ヶ月が過ぎ、たかだか炎の五ヵ年計画ぐらいでは、まったくお話にならんことも実感できた。
さらに、あれだけ拙い文章をたれ流しても、殺されるようなことはないのだな、ということも自ずと知れた。読んだから金寄こせ酒おごれと抜かす輩もたかだか二十名ほどだ。
――――――――――――――――――――
ともあれ、この二つの経験から得た教訓が、今のささやかな私のモチベーションを支えているようではある。
何よりのことにしばらくは本業多忙が続きそうだし、二つのブログの更新頻度や五年後の実現にこだわることもやめにした。ぼちぼちコツコツ続ける道が視えたから。
ま、その実現はともかく、いつかは執筆やディレクションをやりたいという動機は、妙に私を楽しい気分にさせてくれるのだ。
つまり、生きてる限りは成長できる余地があり、また、それによって金も稼げるかもしれない、という可能性(妄想)そのものをうれしがっているので、実にもうおめでたい。
早熟な天才でなかったこともラッキーなことに思えてくる。
だからと云って、代わりにもれなく大器晩成をもらえるわけではないことがくやしーが、夢見る余地だけはもらった。
その可能性が宝クジで三億円当てる以上に難しいことを知らない私でもないが、その実現を夢見るプロセスの中にこそ人生の頂点があることを、ようやく心底実感する年齢にも達している。
私レベル(一般平均を若干下まわる)では、何事かをやり遂げてから往生することなど土台無理な話だが、何事かをやり遂げようとする夢の途中で往生することならば、理論的にも可能なような気がしている。

咲く意気や あとは野となれ山となれ