フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2009年12月①

2010年09月12日 | しゃちょ日記

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 2009年12月01日/その155◇ツバメンコ決死隊

 今井翼 Live house TOUR D&R ~ an extension
 2009年11月30日・12月1日/赤坂BLITZ 18:30

 「だいじょぶですかあ!?」
 
 小島章司さんの公演初日で、
 すぐそばの席になったツバメンコ師匠、
 佐藤浩希がこう云った。
 心やさしい彼は、
 1日のツバメンコを立ち見で観ることになった私を
 心配してくれているのだ。

 不安がないではないが、
 こう見えても私は、中学時代、マラソンで学年3位だった男だ。
 だから持久力には自信があるのだ。
 問題は、
 ①それからすでに40年経過している点。
 ②それ以降、マラソンをやっていない点。
 この2点のみである。

 さらに今日の赤坂BLITZ遠征には、
 チケットを手配してくれたnyanko na tsubasaをはじめとする
 ツバメンコ同好会(現在479名)のチョー美女軍団が、
 その大恥にひとつもひるむことなく、保護者として、
 私の引率と看護にあたってくれることになっている。
 待ち合わせの合言葉は「ビバ変態!」だそうで、
 その関係から、当日の私の服装は、
 チビ・デブ・ハゲの三連インフラに加え、
 ミニスカにピンクのももひきが予定されている。
 さらに別のツバメンカー、サムライには
 「失神は必至と云えども、失禁は困る」と釘を刺されたが、
 困ると云われても困るのであった。
 また、鼻血ブーがオッケーか否かについても、
 事前問い合わせが必要かもしれん。

 地元の行きつけで仲間にそんな話をしたら、
 まったく心配ないと、ヒデノリは云った。
 会場入りした途端に必ず、警備のおぢさんに、
 「ああ、大道具の人はこっちね」と舞台裏に誘導されるから、
 ヘルメットを着用して大道具を手伝いながら、
 舞台袖からしゃがんで観てれば、
 けっこうラクチンですよ」だって。

 とほほ3.jpg

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 2009年12月02日/その156◇ツバメンコ決死隊~本番の巻

 今井翼 Live house TOUR D&R ~ an extension
 (その全国ツアーより)2009年12月1日/赤坂BLITZ

 ツバメンコ(=今井翼のフラメンコ)。

 もはやフラメンコの世界にもすっかり定着したこの固有名詞。
 その今井翼が、踊り、歌い、語り、ギターを弾き、ドラムを叩き、
 そして、ツバメンコを舞った!

 開場前に立って待つこと30分。
 係員が狼狽する眼差しを背に決死の覚悟で会場入りし、
 さらに立って待つこと30分。
 入場者数は、およそ1800人だという。
 そのほとんどがスタンディング(立ち見)である。

 昨年秋の日生劇場公演をテアトロ・フラメンコに例えるなら、
 今回のライブは、タブラオ・フラメンコということになる。
 それは私の知らない本生の今井翼だった。
 休憩なしの3時間の長丁場を、
 少しのテンションも落とすことなく、 彼は突き上げまくった。

 待望のツバメンコは、ライブ後半に現れる。
 波打つ観客と親密にコミュニケーションを取りながら
 サパテアードを打つという、噂に聞くヴァージョンだ。
 客席との対話の合間にフラメンコするという特殊な状況下、
 一瞬にして切り替える強靭な集中力から生じる靴音の音色は、
 シャープにして力強い響きと、フラメンコの粋を備えていた。
 それは、いきなり“どフラメンコ”的に動くことで、
 逆に客席を引かせることのリスクの狭間で、
 ライブ全体の印象と、フラメンコの魅力のアピールを両立させる
 ぎりぎり最善の方法のように思えた。
 10分にも満たないツバメンコ・タイムだったが、
 それによって、すでに3時間あまり立ち続ける
 両短足の痛みから解放され、
 さらに、浮きまくる私はようやくのことで、
 盛り上がる仲間の一人として、
 その場に溶け込むことができたのだった。

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 mixiと日刊パセオフラメンコ上に、
 『ツバメンコ同好会』を結成したことは、
 私にしては上出来だった。
 そのおかげで、メンバーである
 私のツバメンコ特命秘書(nyanko na tsubasa)と、
 りょう(←たぶんお公家さん)をはじめとする、
 そのお仲間美女チームの尽力によって、
 会場に潜入することに成功したからだ。
 当然ながら彼らは、私の保護者として
 その引率と介護を兼ねている。
 タタミ一畳に8名ぐらいの感じで、
 若い美女たちにモミくちゃにされながら会場を見渡せば、
 どうやら私は、その中でもっともハンサムなおやぢで
 あることが判明するが、 その事実と
 おやぢ客が私一人である事実とは無縁であると思いたい。

 おーまいがっど.jpg

 うねるような熱気にたちまち汗ダクとなり、
 皮ジャンを手に立ち尽くすことになるから、
 さらに身動きが取れない。
 せめてリズムには乗りたいと思っていたら、
 ライブが始まる途端、 四方八方から密着状態でやってくる、
 リズムに乗って動く美女たちの身体のうねりに身を任せれば、
 何もしないでもリズムに乗れることもわかった。

 礼儀正しいたくさんの美女たちから
 ニッコリ会釈されたところからすると、
 ツバメンコ同好会メンバーは、
 かなり大勢参戦されたものと思われる。
 みんなと同席できた光栄に感謝したい。
 また、お会いしよう!

 おしまいに、涙の特記事項。
 ステージ効果のため非常口の灯りを消します、
 というアナウンスが開演直前に流れる。
 「こりゃ出口がどこだかわからねーな」
 すでに身動きが取れない状況の私が、
 迷子や失神や失禁に備えてピタッと隣に貼り付いてくれる
 特命秘書nyankoにそう云うと、
 あたかもそれが本懐であるかのように、
 しみじみとした口調で彼女はこう呟いた。
 「火事になったら、その時はあきらめるしかないよね」
 うわっ、あっぱれ! これぞほんまのツバメンカじゃあっ!
        
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 2009年12月03日/その157◇晩秋の楽しみ(1)

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 毎年恒例。
 代々木公園、晩秋の楽しみ。
     
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 犬もおだてりゃ木に登るの図。

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 2009年12月04日/その158◇晩秋の楽しみ(2)

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 春の桜と、秋の落葉。
 う~ん。甲乙つけ難し。

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 2009年12月05日/その159◇晩秋の楽しみ(3)

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 また来年を楽しみに......。

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 2009年12月06日/その160◇パセオの新編集長

 すでに、パセオ12月号でお知らせ済みだが、
 な、なんと来年新年号より、
 この私がパセオ編集長に就任する。
 これまで何度か仕方なしにやったことがあるが、
 今回は初の立候補である。

 ただし、私が編集長を担当するのは
 限定二年という社内の約束があるので、
 読者や関係者の皆さま方のご忍耐・ご辛抱も
 わずか二年で完了の見込みだ。
 忍耐や辛抱は人を鍛え育てるので、
 それだけを希望の灯としながら、
 どーか二年間お付き合いいただきたいと願う。

 フラメンコファンをネットワークするパセオはこの先、
 毎日更新するこの日刊パセオフラメンコが、
 ニュース記事などで速報性・実用性を発揮し、
 この26年、毎月20日に発行する月刊パセオフラメンコは、
 及ばずながらも力の限り"フラメンコの肝"に踏み込む。

 「電子メディア+紙メディア」。
 その両翼からのなかよし連携で、
 フラメンコの普及発展のお役に立つことが、
 フラメンコの専門メディア"パセオ"の、
 変わらぬ本懐である。

 スペインの名専門誌『alma100』が休刊となった今、
 世界で唯一の月刊フラメンコ専門誌として、
 カチンカチンに固まってしまうつもりは
 毛頭ないし、毛髪もない。
 硬派も軟派も何でもごじゃれで、
 ただひとつ、「その先にあるもの」に迫りたい。

 四年におよぶ、
 たくさんのフラメンコ・ウェブ仲間との親密な会話。
 その濃厚なインスピレーションから生まれた、
 私の唯一の編集方針は、「シンプルに深く」。

 いつかまた読み返したくなる読み物とビジュアル。
 雑誌ではなくて、愛着あってちょっと捨てがたい、
 懐かしいフラメンコ絵本のような。
 読み手も書き手も作り手も、
 フラメンコに元気をもらえるような本創りに熱中したい。
 三度目の青春は、もうやりたい放題である。

 なお、定期購読には特典も奮発した。
 ヨランダ画伯入魂のフラメンコ・カレンダーである。
 新編集長の実力を考慮し、これまでモノクロだった
 カレンダーをカラー印刷に昇格させた。
 定期購読は送料込みで、年間9240円。や、安い!

 いま、刷り上った新年号のゲラを苦笑しながら眺める。
 ま、しょっぱなはこんなもんだろう。
 闘いながら闘い方を学んでゆくのは、
 わが家の家訓、パセオの社訓なのだ。

 しゃちょの公演忘備録 ウェブ用.jpg

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しゃちょ日記バックナンバー/2010年12月②

2010年09月12日 | しゃちょ日記

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 2009年12月08日/その162◇デスヌードな化学反応

 どちらかと云えば、
 私は化学反応を起こしやすいタイプだ。

 「人生楽しく」というヴィジョンと、
 それを可能にするためのふたつのコンパス
 (締切厳守とグチ厳禁)を守ること以外は、
 出来るだけ、外からの影響を
 自由に受けたがる体質になっている。
 特に、人との会話や、コンサートやCDや本などから、
 自分の中に化学反応を起こすことが多い。
 
 パセオの特攻モニターをガリガリ募ったのには、
 無論マーケティング強化の狙いがある。
 だがしかし、その最大のテーマは
 「フラメンコのお仲間の化学反応」である。
 いや、それこそが最良のマーケティングか。
 
 ここにフラメンコに興味を持った人間がいる。
 現役練習生が多いだろうが、一時休止中の人も、
 これから始めようとする人もいる。
 また、私のように観る聴く専門の人もいる。
 とりあえず、その私がサイを振る。

 私を含め、そんな人たちがパセオを読む。
 ある読み物、写真、またはある投稿に、
 ふと、化学反応を起こす。
 フラメンコそれ自体、
 及びフラメンコを愛する者からのメッセージに反応する。
 良質な化学反応を誘発するメディア。
 それがパセオの変わらぬ本懐。

 どんなメッセージに反応したのか?
 あるいは逆反応したのか?
 それによって彼らの中にどんな変化が生じたのか?
 そこに私の最大の関心がある。

 フラメンコに対するスタンスも様々で、ましてや
 生きる状況も様々に異なる読者諸氏なのであって、
 そこにはプロ、アマ、関係者の境界線はない。
 それらはまるで「フラメンコ万華鏡」のような、
 限りなく色彩豊かなシーンを現すことだろう。
 私はそんな心模様を読んでみたい。
 それが昨日書いた『フラメンコとパセオと私の化学反応』。
 各個人に生じる化学反応は、
 互いに影響し合いながら拡大発展してゆくのだ。
 そう、まるでフラメンコみたい!

 そんな反応をちっとも生じさせないパセオなら、
 編集方針そのものに問題があるわけだから、
 早急に仕切り直しが必要になる。
 また、反応が集中する記事がある場合は、
 その先をさらに突き詰める楽しみが出てくる。
 良い反応も良くない反応も、
 それらすべてが私を助けてくれる。

 出版不況の今、ネットは紙媒体の天敵とも云われるが、
 私はそうは思わない。
 発行した出版物の反響を即座に把握できることの
 メリットの方が、はるかに大きいと考えるから。
 それがネット・コミュニケーションの恩恵だ。
 わりと簡単なことなのではないだろうか。
 つまり、仲間とともに創ってゆけばよい。
 ホメとケナシをメリハリよく、
 読後感をガチで書いてほしいという私の願いも、
 そんな理由から発している。

 文明の進歩のみが突出することで、
 逆に人々がとまどう現代という時代。
 アートは人間を助けるためにある。
 というのが私の考え。
 心と心、人と人とをつなぐ文化が
 負けちまったらどーにもなんねえ。

 人間の欲望の根本を踏まえながらも、
 コンパスという共通ルールが、
 自ずと協調性を生じさせるフラメンコ。
 アンダルシアを光源に、
 どこまでも地球的発展を続けようとするフラメンコ。
 そんなフラメンコに日々化学反応しながら、
 より豊かで潤いのある自由を、私は謳歌したい。

 つーことで、思わずガチで書いてしまったが、
 手の内をバラしちまうのが江戸っ子のだらしなさ。
 多くのモニターがどん引きすることだろう。
 パセオ・モニターに定員はないので、
 わたす的ヘンタイさんはじゃんじゃんこつらしゃちょメールまで。
         
 って、前フリ長すぎ。
 今日の本題(↓)。

 ―――――――――――――――――――――――

 desnudo 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ vol. 5
 ゲスト:Ali Thabet
 12/8(火)19時
 12/9(水)18時・19時45分
 東京・代々木上原 MUSICAS
 [出演]鍵田真由美、Ali Thabet、大儀見元、金子浩
 [振付・演出]佐藤浩希

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 鍵田×アリ×佐藤の「化学反応」!
 なんだって。
 ま、看板に偽りなしのデスヌードだからな。
 否応なく、その「化学反応」に期待しちまう。

 前回デスヌ-ド4では、筋書きもわからぬままに、
 結局しまいには泣かされちゃったしな。
 要するに、このシリーズは、頭も心もカラッポにして、
 つまり、いつものまんまで臨めばよろしアル。
 
 私は9日遅番に連れ合いと出かける。
 ご近所デスヌード会場の場合、
 家に戻って、ひとっ風呂浴びてから駆けつけ、
 帰りは歩いて2分の行きつけで一杯、つーのが定跡。
 で、ガーッと爆睡して、起きたら即公演忘備録を書く。
 制限時間30分のスリルがたまらん。
 ああ、この豪華贅沢シリーズ、
 いつまでも続いてほしーなあ。
     

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 2009年12月10日/その164◇デジャ・ビュ/デスヌード5


 desnudo 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ vol. 5
 『鍵田×アリ×佐藤の「化学反応」!
 (2009年12日8日~9日/東京・代々木上原 MUSICASA)

 マシンガンや手榴弾など豊富な必殺兵器を持ちながら、
 敢えて素手の殴り合いで勝負する鍵田真由美。
 サシで勝負するその相手ダンサーは、
 ワールドツアー等で活躍中のサーカス・アーティスト、
 アリ・タベ。
 二人は、恐るべきその身体能力を互いに爆発させながら、
 これまで私たちが一度も体験したことのなかった
 不思議な表現空間を生み出した。

 音楽は、大儀見元(パーカッション)、
 金子浩(リュート)、
 名倉亜矢子(ソプラノ、ゴシックハープ)の三名。
 フラメンコファンやクラシックファンには、
 それぞれお馴染みの腕っこき揃いである。
 そして、振付・構成は、ツバメンコ師匠・佐藤浩希。

 シンプルに徹するモノトーンの舞台には、
 冒頭部分に突如アクロバットを挿入する、
 シュールにして台詞のない舞踊劇が展開される。
 シュール阿呆リズムを日常的に実践する私ではあるが、
 60分間凝視しし続けたそのシュール・アートを
 解き明かすことは出来ない。
 だが、それでいいのだ。
 直観の活用に優れるフラメンコファンのそれぞれには、
 各々に優れたアートを敏感に嗅ぎ付ける習性があるから。

 そんな風に毎度勘つがいしながらも、
 その感動力にはバカに自信のある私の、
 今回の衝撃の印象はこうなる。

 アリと鍵田の、その二人の関係はわからない。
 男と女なのか、兄妹なのか、親子なのか、
 異なる宗教同士なのか、はたまた神と子なのか、
 おそらく全部違うだろう。
 両者は探り合い、愛し合い、肉体をもって格闘し合う。
 舞台に現れるのは、プリミティブで懐かしい感情の数々。
 16世紀頃のヨーロッパ世俗音楽が、それら感情を包む。
 愛憎の争いの果てに訪れるのは、一方の死。
 生存するもう一方は、ふうっ、これでサッパリしたぜ、
 みたいな表情も見せるが、 亡くしたものは戻らない。
 やがて哀しみのどん底へと沈む。

 時代や国境を超える感情。
 心の奥底に潜む、懐かしいデジャ・ビュ。
 親密と残酷が背中合わせの感情。
 だから人間はダメなんだよ。
 でも、だから人間は愛おしいんだよ。

 アリと鍵田は、言葉以外のすべてを駆使しながら、
 こんな化学反応を、私にもたらした。
 フラメンコのフの字もなかったのに。

 『鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ』という
 看板に偽りアリ。
 だが、『鍵田真由美・佐藤浩希』という
 大看板に偽りナシ。
 もう一度観たい。
          

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 2009年12月12日/その166◇感情を歌う踊り心、絢爛たる舞踊の華
     
 第28回「岡田昌己スペインを踊る」
 (スペイン国イサベル女王十字勲章受勲記念)
 2009年12月11~12日/東京・草月ホール

 あまりの出来事にその数分間、目が眩みそうになる。
 スペイン交響曲・第一楽章アレグロ・ノン・トロッポの、
 軽々と理想を超えてしまうクラシコ・エスパニョール独舞。
 クラシック音楽の世界で云うグランドマナー。
 心をいっぱいにする、言葉にならない巨大なアルテ。
 そのとき岡田昌己は、スペイン舞踊の化身と化した。

 小島章司が宇宙と一体化する方向に深化する一方、
 岡田昌己は、この地上で踊りの華であることに徹する。
 歌を忘れぬカスタネット。
 自立するサパテアード。
 心をそらせぬブラソ、ブエルタ、上体の美。
 それら一糸乱れぬアンサンブルが渾然一体となって、
 岡田昌己の心を舞う。
 幾十も現れる人間の感情そのものが、
 歌うかの如くに踊りに具象化される。
 その鮮やかな万華鏡と、胸を突く共感。
 年齢不明な超絶技巧から生産される、
 絢爛豪華な舞踊の光。

 現代の舞踊シーンが失いつつある、
 あの懐かしい「心と心を繋ぐ憧れ」が、
 目前に突如出現したのだ。
 その絢爛たる踊りの華が、
 爆呑・爆睡からひと晩明けた今も、
 脳裏に焼きついたまんま離れない。
 これが踊りだ、これが踊りなんだ!
 と、朝っぱらから心に叫ぶ。

 十数年前に、やはり同じ岡田昌己の
 スペイン交響曲を私は観ている。
 だが、肉体的にもピークだった
 そのシャープな岡田昌己とは、感動の次元が違う。
 2倍? 3倍? いや、違う。
 5倍? 10倍? いや、もっともっとだ。
 数年前、舞踊家には致命傷とも云える
 脚の故障を乗り超えた時、 彼女が
 それをはるか上回る何かを発見・血肉化したことに、
 もはや疑いの余地はない。
 人間のプライドとは、こうした行為を指すのだろう。
 満足に歩けもしなかったこの人気ガチンコ舞踊家は、
 完全復活以上のぶっち切り再デビューを
 果たす不死鳥だった。

 そして第二部(フラメンコ)のタラント。
 炭鉱の村、寡婦の悲哀。
 そのアルテの質量の類似から、
 一瞬マティルデ・コラルの巨大なグラシアが
 脳ミソをかすめるが、 それはやはり、
 国際舞台で30年、日本で20年踊り続ける
 誰にも似てない「岡田昌己のフラメンコ」の
 存在証明そのものだった。

 岡田のクラシコとフラメンコ、どっちが凄い?
 観る者の心に応じ、その見解は異なるはずだ。
 意味なくこの晩の直感を下世話に記せば、
 私個人はフラメンコ49対クラシコ51の接戦。
 その微差は何なのか? の勘つがい分析は、
 次回の楽しみに譲る。
 ただし、どこまでもマヌケな俺よ、
 どーかこれだけは忘れるな。
 私が舞台を問うのではなく、
 舞台に私が問われていることを!

 ギターのミゲル・ペレスと高橋紀博、
 カンテのインマ・リベロとアギラール・へレス、
 フルートの山本俊自は、この夢の宴を成立させるための
 最高適任者だった。
 そして舞踊団はスペイン舞踊の最高水準をクリアした。
 美しい群舞として成立する一方、
 一人ひとりの個性が薫ってくるような、
 フラメンコの理想を叶えるそれだった。
 彼らは岡田昌己に学べる光栄に
 心底感謝したに違いない。
 ダヴィ・コリア(元スペイン国立バレエ団ソリスト)は、
 クラシコ部門を引き締めた。
 そして、ダヴィ・ペレスは、
 待ちに待ったフラメンコの本格派だった。
 鋭い匕首のようなブエルタは、
 あのマノロ・ソレールを想起させた。
 ハイテク過ぎる動作をそぎ落とせば、
 間違いなくトップに達する硬派フラメンコだ。

 そして最後に忘備すべきは、
 岡田昌己の演出力の進化だ。
 彼女はその数ヶ月前の私のへっぽこインタビュー
 (3月号掲載)に、 演出への控えめな自信を見せた。
 だが、この晩彼女が出した回答は私の想像を絶した。
 踊りの化身・岡田昌己のレベルにこそ達していないが、
 その芳醇な演出力には、
 現代が見失いつつある美と華と粋がある。
 
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 2009年12月13日/その167◇正月NHKでツバメンコは翔ぶか?

 ツバメンコ同好会メンバーからの各種情報によれば、
 新春1月3日(日)18:05~18:48に、
 NHK総合テレビにツバメンコこと、今井翼さんが
 出演する見通しとのことだ。
 番組名は『暮らして見る旅』。

 12月の東京ライブに駆けつけ、
 いまやすっかり、今井翼のおやぢファン(50代部門)筆頭!
 となった私としては、これを見逃すことはできない。
 6時開始の新年会の開宴時間を1時間遅らせることで、
 これに対応することにした。

 撮影ロケは、スペインのハエンとのことだ。
 頭に毛が「生えん」という点で、
 私には親しみやすい土地柄である。

 喜ばしいことには、スペインのバルで
 な、なんと、フラメンコを踊ったという情報も入っている。
 番組企画なのか、プライベートなのかは不明。
 そのツバメンコのオンエアを祈るばかりである。
              
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 2009年12月14日/その168◇平穏無事

 ある日曜の午後、思いのほか仕事が早く済んだので、
 散歩がてら渋谷のタワーレコードへと。
 海外のバッハ新譜の掘し出し物は都内随一なのだ。

 処方箋 001.jpg

 お買い上げCDは4種。
 ○14世紀生まれの楽器、クラヴィコードによる
 珍しいバッハ録音。もしかしたらバッハは、
 チェンバロよりもこの楽器を愛していたかもしれない。
 ○シュタットフェルト(ピアノ)とボグラー(チェロ)
 による『ガンバ・ソナタ』は予定外の収穫。
 ○オケバックにフルートで吹く『イタリア協奏曲』は、
 おそらく世界初録音。美人フルーティストの名前
 (Magali Mosnier)は読めない。
 ○今年の新録音だというエリオット・ガーディナーの
 『ブランデンブルク協奏曲』に狂喜。

 帰りは線路際を原宿方面に歩いて、
 明治神宮入口前のオープン・カフェでひと休み。
 カフェ・オレをやりながら5枚のCDをチェック。
 この至福のひとときは、あいにくの雨で中断。
 シュタットのガンバソナタの三番を聴きながら、
 秋深き代々木公園を抜けて帰ろうという
 デラックスプランはおじゃん。

 千代田線でひとつ先の「代々木公園」で下車。
 家まで走って1分なので、雨なんぞは何のそのだ。
 今日は私のチャンコ番だったことを思い出し、
 地上出口のすぐ脇のマルマンで晩飯の買い物。
 特製チャンコの材料と、半額特価のふぐ刺しと、
 連れ合いの好物、みる貝の刺し身を買って帰宅。

 なんだか今日は普通のおっさんらしい生活だなあ、
 と久々に平穏無事のありがた味を満喫しつつ、
 風呂と鍋の準備をしながらのバッハ三昧。
 なんか普通に日記みたいだし。
                    

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年12月②

2010年09月12日 | しゃちょ日記

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 2009年12月08日/その162◇デスヌードな化学反応

 どちらかと云えば、
 私は化学反応を起こしやすいタイプだ。

 「人生楽しく」というヴィジョンと、
 それを可能にするためのふたつのコンパス
 (締切厳守とグチ厳禁)を守ること以外は、
 出来るだけ、外からの影響を
 自由に受けたがる体質になっている。
 特に、人との会話や、コンサートやCDや本などから、
 自分の中に化学反応を起こすことが多い。
 
 パセオの特攻モニターをガリガリ募ったのには、
 無論マーケティング強化の狙いがある。
 だがしかし、その最大のテーマは
 「フラメンコのお仲間の化学反応」である。
 いや、それこそが最良のマーケティングか。
 
 ここにフラメンコに興味を持った人間がいる。
 現役練習生が多いだろうが、一時休止中の人も、
 これから始めようとする人もいる。
 また、私のように観る聴く専門の人もいる。
 とりあえず、その私がサイを振る。

 私を含め、そんな人たちがパセオを読む。
 ある読み物、写真、またはある投稿に、
 ふと、化学反応を起こす。
 フラメンコそれ自体、
 及びフラメンコを愛する者からのメッセージに反応する。
 良質な化学反応を誘発するメディア。
 それがパセオの変わらぬ本懐。

 どんなメッセージに反応したのか?
 あるいは逆反応したのか?
 それによって彼らの中にどんな変化が生じたのか?
 そこに私の最大の関心がある。

 フラメンコに対するスタンスも様々で、ましてや
 生きる状況も様々に異なる読者諸氏なのであって、
 そこにはプロ、アマ、関係者の境界線はない。
 それらはまるで「フラメンコ万華鏡」のような、
 限りなく色彩豊かなシーンを現すことだろう。
 私はそんな心模様を読んでみたい。
 それが昨日書いた『フラメンコとパセオと私の化学反応』。
 各個人に生じる化学反応は、
 互いに影響し合いながら拡大発展してゆくのだ。
 そう、まるでフラメンコみたい!

 そんな反応をちっとも生じさせないパセオなら、
 編集方針そのものに問題があるわけだから、
 早急に仕切り直しが必要になる。
 また、反応が集中する記事がある場合は、
 その先をさらに突き詰める楽しみが出てくる。
 良い反応も良くない反応も、
 それらすべてが私を助けてくれる。

 出版不況の今、ネットは紙媒体の天敵とも云われるが、
 私はそうは思わない。
 発行した出版物の反響を即座に把握できることの
 メリットの方が、はるかに大きいと考えるから。
 それがネット・コミュニケーションの恩恵だ。
 わりと簡単なことなのではないだろうか。
 つまり、仲間とともに創ってゆけばよい。
 ホメとケナシをメリハリよく、
 読後感をガチで書いてほしいという私の願いも、
 そんな理由から発している。

 文明の進歩のみが突出することで、
 逆に人々がとまどう現代という時代。
 アートは人間を助けるためにある。
 というのが私の考え。
 心と心、人と人とをつなぐ文化が
 負けちまったらどーにもなんねえ。

 人間の欲望の根本を踏まえながらも、
 コンパスという共通ルールが、
 自ずと協調性を生じさせるフラメンコ。
 アンダルシアを光源に、
 どこまでも地球的発展を続けようとするフラメンコ。
 そんなフラメンコに日々化学反応しながら、
 より豊かで潤いのある自由を、私は謳歌したい。

 つーことで、思わずガチで書いてしまったが、
 手の内をバラしちまうのが江戸っ子のだらしなさ。
 多くのモニターがどん引きすることだろう。
 パセオ・モニターに定員はないので、
 わたす的ヘンタイさんはじゃんじゃんこつらしゃちょメールまで。
         
 って、前フリ長すぎ。
 今日の本題(↓)。

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 desnudo 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ vol. 5
 ゲスト:Ali Thabet
 12/8(火)19時
 12/9(水)18時・19時45分
 東京・代々木上原 MUSICAS
 [出演]鍵田真由美、Ali Thabet、大儀見元、金子浩
 [振付・演出]佐藤浩希

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 鍵田×アリ×佐藤の「化学反応」!
 なんだって。
 ま、看板に偽りなしのデスヌードだからな。
 否応なく、その「化学反応」に期待しちまう。

 前回デスヌ-ド4では、筋書きもわからぬままに、
 結局しまいには泣かされちゃったしな。
 要するに、このシリーズは、頭も心もカラッポにして、
 つまり、いつものまんまで臨めばよろしアル。
 
 私は9日遅番に連れ合いと出かける。
 ご近所デスヌード会場の場合、
 家に戻って、ひとっ風呂浴びてから駆けつけ、
 帰りは歩いて2分の行きつけで一杯、つーのが定跡。
 で、ガーッと爆睡して、起きたら即公演忘備録を書く。
 制限時間30分のスリルがたまらん。
 ああ、この豪華贅沢シリーズ、
 いつまでも続いてほしーなあ。
     

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 2009年12月10日/その164◇デジャ・ビュ/デスヌード5


 desnudo 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ vol. 5
 『鍵田×アリ×佐藤の「化学反応」!
 (2009年12日8日~9日/東京・代々木上原 MUSICASA)

 マシンガンや手榴弾など豊富な必殺兵器を持ちながら、
 敢えて素手の殴り合いで勝負する鍵田真由美。
 サシで勝負するその相手ダンサーは、
 ワールドツアー等で活躍中のサーカス・アーティスト、
 アリ・タベ。
 二人は、恐るべきその身体能力を互いに爆発させながら、
 これまで私たちが一度も体験したことのなかった
 不思議な表現空間を生み出した。

 音楽は、大儀見元(パーカッション)、
 金子浩(リュート)、
 名倉亜矢子(ソプラノ、ゴシックハープ)の三名。
 フラメンコファンやクラシックファンには、
 それぞれお馴染みの腕っこき揃いである。
 そして、振付・構成は、ツバメンコ師匠・佐藤浩希。

 シンプルに徹するモノトーンの舞台には、
 冒頭部分に突如アクロバットを挿入する、
 シュールにして台詞のない舞踊劇が展開される。
 シュール阿呆リズムを日常的に実践する私ではあるが、
 60分間凝視しし続けたそのシュール・アートを
 解き明かすことは出来ない。
 だが、それでいいのだ。
 直観の活用に優れるフラメンコファンのそれぞれには、
 各々に優れたアートを敏感に嗅ぎ付ける習性があるから。

 そんな風に毎度勘つがいしながらも、
 その感動力にはバカに自信のある私の、
 今回の衝撃の印象はこうなる。

 アリと鍵田の、その二人の関係はわからない。
 男と女なのか、兄妹なのか、親子なのか、
 異なる宗教同士なのか、はたまた神と子なのか、
 おそらく全部違うだろう。
 両者は探り合い、愛し合い、肉体をもって格闘し合う。
 舞台に現れるのは、プリミティブで懐かしい感情の数々。
 16世紀頃のヨーロッパ世俗音楽が、それら感情を包む。
 愛憎の争いの果てに訪れるのは、一方の死。
 生存するもう一方は、ふうっ、これでサッパリしたぜ、
 みたいな表情も見せるが、 亡くしたものは戻らない。
 やがて哀しみのどん底へと沈む。

 時代や国境を超える感情。
 心の奥底に潜む、懐かしいデジャ・ビュ。
 親密と残酷が背中合わせの感情。
 だから人間はダメなんだよ。
 でも、だから人間は愛おしいんだよ。

 アリと鍵田は、言葉以外のすべてを駆使しながら、
 こんな化学反応を、私にもたらした。
 フラメンコのフの字もなかったのに。

 『鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ』という
 看板に偽りアリ。
 だが、『鍵田真由美・佐藤浩希』という
 大看板に偽りナシ。
 もう一度観たい。
          

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 2009年12月12日/その166◇感情を歌う踊り心、絢爛たる舞踊の華
     
 第28回「岡田昌己スペインを踊る」
 (スペイン国イサベル女王十字勲章受勲記念)
 2009年12月11~12日/東京・草月ホール

 あまりの出来事にその数分間、目が眩みそうになる。
 スペイン交響曲・第一楽章アレグロ・ノン・トロッポの、
 軽々と理想を超えてしまうクラシコ・エスパニョール独舞。
 クラシック音楽の世界で云うグランドマナー。
 心をいっぱいにする、言葉にならない巨大なアルテ。
 そのとき岡田昌己は、スペイン舞踊の化身と化した。

 小島章司が宇宙と一体化する方向に深化する一方、
 岡田昌己は、この地上で踊りの華であることに徹する。
 歌を忘れぬカスタネット。
 自立するサパテアード。
 心をそらせぬブラソ、ブエルタ、上体の美。
 それら一糸乱れぬアンサンブルが渾然一体となって、
 岡田昌己の心を舞う。
 幾十も現れる人間の感情そのものが、
 歌うかの如くに踊りに具象化される。
 その鮮やかな万華鏡と、胸を突く共感。
 年齢不明な超絶技巧から生産される、
 絢爛豪華な舞踊の光。

 現代の舞踊シーンが失いつつある、
 あの懐かしい「心と心を繋ぐ憧れ」が、
 目前に突如出現したのだ。
 その絢爛たる踊りの華が、
 爆呑・爆睡からひと晩明けた今も、
 脳裏に焼きついたまんま離れない。
 これが踊りだ、これが踊りなんだ!
 と、朝っぱらから心に叫ぶ。

 十数年前に、やはり同じ岡田昌己の
 スペイン交響曲を私は観ている。
 だが、肉体的にもピークだった
 そのシャープな岡田昌己とは、感動の次元が違う。
 2倍? 3倍? いや、違う。
 5倍? 10倍? いや、もっともっとだ。
 数年前、舞踊家には致命傷とも云える
 脚の故障を乗り超えた時、 彼女が
 それをはるか上回る何かを発見・血肉化したことに、
 もはや疑いの余地はない。
 人間のプライドとは、こうした行為を指すのだろう。
 満足に歩けもしなかったこの人気ガチンコ舞踊家は、
 完全復活以上のぶっち切り再デビューを
 果たす不死鳥だった。

 そして第二部(フラメンコ)のタラント。
 炭鉱の村、寡婦の悲哀。
 そのアルテの質量の類似から、
 一瞬マティルデ・コラルの巨大なグラシアが
 脳ミソをかすめるが、 それはやはり、
 国際舞台で30年、日本で20年踊り続ける
 誰にも似てない「岡田昌己のフラメンコ」の
 存在証明そのものだった。

 岡田のクラシコとフラメンコ、どっちが凄い?
 観る者の心に応じ、その見解は異なるはずだ。
 意味なくこの晩の直感を下世話に記せば、
 私個人はフラメンコ49対クラシコ51の接戦。
 その微差は何なのか? の勘つがい分析は、
 次回の楽しみに譲る。
 ただし、どこまでもマヌケな俺よ、
 どーかこれだけは忘れるな。
 私が舞台を問うのではなく、
 舞台に私が問われていることを!

 ギターのミゲル・ペレスと高橋紀博、
 カンテのインマ・リベロとアギラール・へレス、
 フルートの山本俊自は、この夢の宴を成立させるための
 最高適任者だった。
 そして舞踊団はスペイン舞踊の最高水準をクリアした。
 美しい群舞として成立する一方、
 一人ひとりの個性が薫ってくるような、
 フラメンコの理想を叶えるそれだった。
 彼らは岡田昌己に学べる光栄に
 心底感謝したに違いない。
 ダヴィ・コリア(元スペイン国立バレエ団ソリスト)は、
 クラシコ部門を引き締めた。
 そして、ダヴィ・ペレスは、
 待ちに待ったフラメンコの本格派だった。
 鋭い匕首のようなブエルタは、
 あのマノロ・ソレールを想起させた。
 ハイテク過ぎる動作をそぎ落とせば、
 間違いなくトップに達する硬派フラメンコだ。

 そして最後に忘備すべきは、
 岡田昌己の演出力の進化だ。
 彼女はその数ヶ月前の私のへっぽこインタビュー
 (3月号掲載)に、 演出への控えめな自信を見せた。
 だが、この晩彼女が出した回答は私の想像を絶した。
 踊りの化身・岡田昌己のレベルにこそ達していないが、
 その芳醇な演出力には、
 現代が見失いつつある美と華と粋がある。
 
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 2009年12月13日/その167◇正月NHKでツバメンコは翔ぶか?

 ツバメンコ同好会メンバーからの各種情報によれば、
 新春1月3日(日)18:05~18:48に、
 NHK総合テレビにツバメンコこと、今井翼さんが
 出演する見通しとのことだ。
 番組名は『暮らして見る旅』。

 12月の東京ライブに駆けつけ、
 いまやすっかり、今井翼のおやぢファン(50代部門)筆頭!
 となった私としては、これを見逃すことはできない。
 6時開始の新年会の開宴時間を1時間遅らせることで、
 これに対応することにした。

 撮影ロケは、スペインのハエンとのことだ。
 頭に毛が「生えん」という点で、
 私には親しみやすい土地柄である。

 喜ばしいことには、スペインのバルで
 な、なんと、フラメンコを踊ったという情報も入っている。
 番組企画なのか、プライベートなのかは不明。
 そのツバメンコのオンエアを祈るばかりである。
              
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 2009年12月14日/その168◇平穏無事

 ある日曜の午後、思いのほか仕事が早く済んだので、
 散歩がてら渋谷のタワーレコードへと。
 海外のバッハ新譜の掘し出し物は都内随一なのだ。

 処方箋 001.jpg

 お買い上げCDは4種。
 ○14世紀生まれの楽器、クラヴィコードによる
 珍しいバッハ録音。もしかしたらバッハは、
 チェンバロよりもこの楽器を愛していたかもしれない。
 ○シュタットフェルト(ピアノ)とボグラー(チェロ)
 による『ガンバ・ソナタ』は予定外の収穫。
 ○オケバックにフルートで吹く『イタリア協奏曲』は、
 おそらく世界初録音。美人フルーティストの名前
 (Magali Mosnier)は読めない。
 ○今年の新録音だというエリオット・ガーディナーの
 『ブランデンブルク協奏曲』に狂喜。

 帰りは線路際を原宿方面に歩いて、
 明治神宮入口前のオープン・カフェでひと休み。
 カフェ・オレをやりながら5枚のCDをチェック。
 この至福のひとときは、あいにくの雨で中断。
 シュタットのガンバソナタの三番を聴きながら、
 秋深き代々木公園を抜けて帰ろうという
 デラックスプランはおじゃん。

 千代田線でひとつ先の「代々木公園」で下車。
 家まで走って1分なので、雨なんぞは何のそのだ。
 今日は私のチャンコ番だったことを思い出し、
 地上出口のすぐ脇のマルマンで晩飯の買い物。
 特製チャンコの材料と、半額特価のふぐ刺しと、
 連れ合いの好物、みる貝の刺し身を買って帰宅。

 なんだか今日は普通のおっさんらしい生活だなあ、
 と久々に平穏無事のありがた味を満喫しつつ、
 風呂と鍋の準備をしながらのバッハ三昧。
 なんか普通に日記みたいだし。
                    

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年12月③

2010年09月12日 | しゃちょ日記

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2009年12月15日/その169◇桜の森の満開の下

 佐藤桂子・山崎泰スペイン舞踊団公演
 ブラックホールシリーズ Part2「満開、桜風伝」
 (2009年12月17日/東京・北千住Theatre1010)
〈b〉佐藤桂子、山崎泰
  杉本光代、池本佳代、外川華奈子、
  横山美奈子、正木清香、他
〈c〉クーロ・バルデペーニャス、アギラール・デ・ヘレス
〈g〉今田央、岩根聡 〈perc〉すがえつのり

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 無頼派。つまりはフラメンコ。 
 坂口安吾は、青春期にもっとも愛読した作家だ。
 全集まで買い込んだぐらいだから、
 その傾倒ぶりはハンパではなかった。
 小説はつまらないが、哲学の合理・独創は超一流。
 私の具体的な行動スタイルは、
 坂口安吾によって決したとも云える。
 堕ちよ、生きよ! そして、また堕ちる。

 あの佐藤桂子・山崎泰フラメンコ舞踊団が
 安吾の作品を採り上げてくれるというので、
 予習も兼ね、およそ30年ぶりに、
 今さっき、『桜の森の満開の下』を読み返した。

 篠田正浩監督によって映画化されたり、
 野田秀樹さんによって舞台化もされたが、
 私はその両方とも観てない。
 原作の凄絶なシーンが、私にストップをかけたのだ。
 安吾がフラメンコになるのは、おそらくこれが初めてだろう。

 毎年一度、もう四半世紀にわたり観続ける、
 佐藤桂子・山崎泰フラメンコ舞踊団。
 森田志保や鍵田真由美などの名手を輩出する名門舞踊団だ。
 日本における本格的フラメンコ・スペクタクルの元祖であり、
 その本格的な舞台性や斬新性は、
 スペインのフラメンコ界よりも先を行っていたかもしれない。
 毎回毎回、意表を突くような衝動が私を待ち受ける。
 
 前回は太宰治『走れメロス』を採り上げた、
 ワクワクドキドキのブラックホールシリーズ Part2。
 そして、今回は私にとってど真ん中ストレート、
 わが青春の坂口安吾である。
 あの数々のむごたらしい衝撃シーンを、
 そして、「堕ちよ、生きよ!」を、どうフラメンコ化する!?

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 20091216日/その170即興痴人

 ほんとうの現実というものは、
 小説や映画を軽々と超えてしまうほどに、
 実に唐突にして即興的なスリルに充ちている。<o:p></o:p>

 小説や映画のようにきちんと振付されたものとは異なり、
 現実というインプロは、
 あまりにも全体的な整合性を欠いているので、
 かえってリアリティが感じられないことも多いのだ。
 それらがまるで、三流フィクションの呈をなすことも多々ある。
 一方で、ドゥエンデは滅多に降りてはくれない。
 だから、実際の話を
 もっともらしいリアリティのある話として伝えるためには、
 逆に少しばかり唐突性を緩和する工夫が
 必要になることもある。<o:p></o:p>

 私の場合は、
 自分の眼に映る真実をより正確に伝えることを目的に、
 自分自身をピエロのように立ち回らせる手法を
 使うことがまれにある。
 この方法を用いると、興味や好感を持った対象の、
 その特徴をシンプルにすっきり描けるメリットが生じるからだ。<o:p></o:p>

 だが、その三流ピエロが、
 時おり本来の役割を忘れて即興で踊り出し、
 真摯に描こうとするドキュメントそれ自体を崩壊に導く難点が、
 現在の悩みどころである。
 まあ、これがおれのフラメンコなんだと、
 ドサクサ開き直っちまう手もないではないのだが、
 その前に、ロクに振付も踊れねえくせしやがって
 即興もクソもねーもんだという周囲の罵声で、
 耳がつん裂けそーである。

        
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 2009年12月17日/その171◇ある種の救い

 カッちゃんとは、1コンパス12年の呑み仲間だ。
 私より四つばかり年下だから、今年50になる。
 南の島の出身で、一見アルゼンチン人のような風貌だが、
 純然たる日本人なので、日本語もそこそこ喋る。
 明るく気立てもいいし、金離れもばっちりだし、
 見方によっては男前だ。

 主にスポーツと政治について、
 彼の卓見にはずいぶんと影響を受けたと思う。
 アパレル関連の社長歴32年のツワモノなのだが、
 自分のメインは音楽(ベース)だと主張してやまない。
 バッハもフラメンコもジャズも演歌もわからぬ奴が
 音楽語るなと決めつける私に、
 オレは天才DJだからさ、と臆するところもない。

 彼の愛した女性を、幾人か知っている。
 ある外国人女性は母国ロシアにトンズラし、
 ある才色兼備の女性は議員に当選し、
 20年下のある女性は道往く人が振り返るチョー美女だ。
 独り身を通す彼の辞書に、浮気はない。
 いつも一人の女性とガチンコと付き合う。らしい。

 そんな彼と、あるとき日本史論議になった。
 日本の犯した失敗をひとつずつ検証しながら、
 「でも、あの失敗は結果的によかったんだと思います」
 と、ひとつづつ丁寧に、彼は付け加えた。
 つまり彼は、過去の失敗はすべて許す。
 だが反対に、現在進行形の失敗には容赦がない。
 潔く徹底するその視点が、
 そこまでは徹底できない私には好ましく映る。
 とにかく、いまその瞬間に全力を尽くす。
 その延長線上にある未来のみが、
 彼の興味の対象なのだ。

 このカッちゃんに代表されるように、私の仲間は皆、
 世の中的にはズレまくるポンコツばかりなのだが、
 今さらそこに気づいたところで、
 すでに軌道修正は困難であるところに、
 ある種の救いがあるかもしれない。

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 2009年12月18日/その172◇国境の超え方

 佐藤桂子・山崎泰スペイン舞踊団公演
 ブラックホールシリーズ Part2「満開、桜風伝」
 (2009年12月17日/東京・北千住Theatre1010)

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 年末のお楽しみ、もう四半世紀近く観続ける、
 佐藤桂子・山崎泰スペイン舞踊団の公演。
 おなじみの鍵田真由美はじめ、優れた女性舞踊手を
 多数輩出する、創設32年の伝統ある名門舞踊団だ。
 文化庁芸術祭の三度におよぶ受賞など、
 舞踊関連の賞をほとんど総なめにしている。

 私が最初に観たのは1986年の『エレクトラ』。
 いや、ぶったまげた。
 それは、初めて私が目にする本格的な
 フラメンコ・スペクタクルだったから。
 その本格的な舞台性や斬新性は、本場スペインの
 劇場フラメンコよりも先を行っていたかもしれない。
 その舞台には、ギリシャ悲劇とフラメンコの足し算ではなく、
 掛け算としての相乗効果がもたらされていた。
 フラメンコはこんなことも出来るのか!
 当時31歳の私は、イッパツでこの舞踊団に心惹かれた。

 この『エレクトラ』は舞踊界全体に大きな衝撃と
 感動をもたらし、芸術祭賞と江口隆哉賞を受賞する。
 フラメンコの実力を舞踊界全般に知らしめたこの舞台が、
 私には誇りに思えた。
 エンタテインメントとして一般に通用する水準にも達していた。
 だが、どフラメンコ派の評判は芳しくなかった。
 その気持ちもわかったが、
 それに同意することは出来なかった。

 設立時から台本・演出を担当する唯一の男性舞踊ソリスト
 山崎泰が、私のインタビューに答えたこんなひと言が、
 今も強烈に脳裏に焼きついている。
 「僕は批評する側の人間じゃなくて、
  批評される側の人間だから、
  どんな批評も喜んで受け入れます」
 その潔い舞台人の信念が、その後も休むことなく
 チャレンジと意欲に充ちた素敵な作品を生み出し続けた。

 そして今回、前回の太宰治『走れメロス』に引き続き、
 無頼派・坂口安吾『桜の森の満開の下』に挑む。 
 坂口安吾は、若い私がもっとものめり込んだ作家だ。
 その哲学の合理・独創は超一流。
 バクチ暮らしのバイブルでもあった。
 小説はヘボだったが、『桜の森の満開の下』は唯一の傑作。
 篠田正浩監督によって映画化されたり、
 野田秀樹さんによって舞台化もされた。
 「堕ちよ、生きよ!」という彼の実戦的哲学によって、
 私の行動スタイルは決定されたが、惜しくも私の場合、
 そのあと「また堕ちる」という、
 残念な結果を引きずりながら今日に至っている。

 ひと晩明けて、脳裏に映るのは、
 舞台を夢幻化した桜のファンタジックな美しさと、
 その美しさを幾倍にも拡大した舞いの数々だ。
 「桂子先生の踊りって、ほんとにステキだよね」
 終演後、ばったり出喰わした西脇美絵子が、
 開口一番こう云った。
 フラメンコ界を代表した絶世の美女、
 佐藤桂子が桜を舞うシーンには、
 原作の凄艶美を凌駕する、夢のような現実が在った。

 舞台中盤、古の都を
 現代の都会に置き換える演出にはやられた。
 こんなところにも、この舞踊団の斬新・闊達なセンスがある。
 作品コンセプトを忠実に体現する舞踊団メンバーには、
 いつものように、自立とエロさに充ちた凄みがあった。
 舞踊家・山崎泰は、安吾という題材に打ってつけだった。
 原作の外観は、いつものようにデフォルメされていたが、
 桜や安吾の潔さと、潔い山崎のラストシーンの邂逅は、
 原作の本質のド真ん中を鋭く貫いていた。

 唯一の不満は、生フラメンコとのシンクロの弱さだ。
 べートーヴェンやピアソラからは、あれだけ見事な
 舞踊と音楽の理想的な相乗効果を引き出すのに対し、
 カンテ、ギターなどとの絡みには、その濃密さを欠いている。
 そこには、あくまで舞台全体を重視し、
 フラメンコのみを突出させないバランス感覚を感じるのだが、
 やはり私はこんなワガママを云ってみたい。
 何故なら私は、この命題こそが、この極めて優れた舞踊団が
 より発展・深化するための大きなポテンシャルと考えるからだ。

 佐藤桂子・山崎泰スペイン舞踊団には、いつでも
 エロス(生への衝動)とタナトス(死への衝動)が共存している。
 だから、思わず息を呑むようなおどろおどろしいシーンが
 決まって唐突に出現する。
 その真摯な毒性が「どフラメンコ派」を引かせる要因だろう。
 だが、もうひとつ奥の次元に踏み込んで視るなら、
 それらは国境を超えて、
 見事にフラメンコの本質と合致している。

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 2009年12月19日/その173◇レオンハルトのバッハ全集

 グスタフ・レオンハルト。
 バロック音楽を現代に蘇生させた巨匠。
 世界中の音楽ファンに愛される、
 オランダのキーボード奏者(主にチェンバロ)である。
 映画でバッハの役を演じたこともある。

 小石川・共同印刷のハードなバイト(電話帳製本)で
 メシも抜きぬき、時給230円で10時間働いて、
 ようよう買えたレオンハルトの初めてのレコード。
 うれしかったね。
 そのチェンバロ演奏に夢中でカブりついた高校時代。
 別にLP盤をむしゃむしゃ喰ってたわけじゃないけど。
 
 今年になって、そのバッハ全集が出た。
 20枚組ボックスセットで1万円である。
 1枚なんと500円である。
 それらすべてを持っているのだが、躊躇なく買った。
 分厚い解説書も付いてたしね。

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 国境を越えて、
 たくさんのバッハファンを育てたレコードたち。
 それが今じゃ、1枚たったの500円かよ。(涙)
 そんなんじゃアーティスト印税は雀の涙だよ。
 アートばかりは、安けりゃいいってもんじゃない。
 ま、普及のためには安価は好ましいからと、
 無理やり自分を納得させ、3枚ばかり聴く。

 『ゴルトベルク変奏曲』
 『パルティータ』
 『フーガの技法』

 適度に重たいモノクロームの世界に、
 繊細な色彩が点滅するような、
 レオンハルトの宇宙が広がる。
 睡眠不足をものともせずに、
 リラックスしながらタイミングを見計らい、
 その宇宙にワープする。
 しばしの宇宙遊泳。
 てゆーか半分くらい眠っちゃってるし。

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 2009年12月21日/その175◇ありゃりゃ

 「ペースメーカーの人がいるかもしれないから、
  携帯のスイッチは切りなさい」

 シルバーシートに座る、携帯に夢中な少年に対し、
 そのとなりに座る男性が、こう注意した。
 その男性は40歳そこそこだった。

 小田急に乗ってたら、こんな光景に出食わした。
 てゆーか、二人ともまずその席譲んないと。
 だがその直後、私も乗るその車両が
 「女性専用車両」であることに気づいた。(汗)
         
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しゃちょ日記バックナンバー/2009年12月④

2010年09月12日 | しゃちょ日記

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 2009年12月24日/その178◇フラメンコとパセオと"しの"の化学反応

 mixiのモニター・トピへの寄稿
 パセオ公式モニター「しの/東京都」より

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 パセオフラメンコ1月号。
 A面B面構成は見やすくなって良いです。
 「読み物」と「情報」が完全に分かれて、2冊が一冊になったみたいな感じですね。
 今までなんとなく読みにくかったのはこれだったのですねえ。
 読みにくかったというのはつまり、1ページ目から順番に読んでいくと、
 文字の海に溺れそうな感じがあったわけです。
 ずーと読んでって、最後の方のライブ情報を見ても、
 もうライブを見に行く元気がなくなってる、そんな感じ。
 お陰さまで、あたしみたいなおバカにも読みやすくなりました~

 写真は、カラスコのアップに圧倒されました。
 まじまじと眺めてしまった。
 見据える勇気を持って踊らねば、と思わされました。

 全体的に、すぐ効く抗生物質というよりは、じわじわ効いてくる
 漢方薬みたいな雰囲気になったと思います。
 逆に、続ける(繰り返す)から効く。漢方薬みたいに続けて、
 繰り返し繰り返し読むための策として、
 持ち歩きに適したサイズに変えるのもアリだと思います。
 いろんな事情で今のサイズなんだとはおもいますが、
 小さいといいのにな・・・と思うことがしばしばなので。
 今回、その感は強くなりました。

 インタビューシリーズは期待以上でした。
 実は、鍵田真由美さんにはあまり今まで興味がありませんでした
 (いや、と言っても、教則本とか持ってんですよ)。
 自分がバレエダンサーだったこともあってテアトロものには
 厳しい自分がいるのです(いっちょまえ~笑)。
 他ジャンルとコラボするダンス、というのがあんまり好きではないというのもあって。
 ただ、「踊る」肉体を持っているダンサーの方だなあとはいつも思っていました。
 今回、しゃちょのインタビューによって、そのマインドがわかり、
 どうやってフラメンコに向き合っていくかのヒントをいただきました。
 それで、機会があったらやはり鍵田さんの踊りは見るべきだなあと。
 何より、どこを目指してやっていったらいいのかなあと悩んでいた私に、
 どこかを無理して目指す必要はないとわからせてくれました。
 このインタビューは、読む人すべてに見事に何かを残すはず。読んで良かった!

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 『フラメンコとパセオと私の化学反応』というテーマに、
 まさにド真ん中直球ストライクだす。
 ありがとう、しの!
 4月号の増頁特集(しゃちょ企画第三弾)に掲載決定!
 なので、手ぬぐい1本ゲットー!!!!!
                   コメント顔/しゃちょ.jpg
>全体的に、すぐ効く抗生物質というよりは、じわじわ効いてくる漢方薬
 ●あ、うれしい指摘だす。
 これは3年間のmixi暮らしからの結論ですた。
 時代に逆らうようでいて、実は時代に一番求められているものじゃないかと。

>いろんな事情で今のサイズなんだとはおもいますが、小さいといいのにな・・・
●実は今年6月ごろ、「脱雑誌、めざせ読み物専門誌」を実現するために、以前そうだった、今の約半分の大きさ「A5判」を検討していました。
 そう、ハンドバッグに入るサイズね。
 しかし、次の2つの理由で、とりあえずこれを断念しました。
 ①フラメンコ写真のインパクトが伝えられない。
 ②制作コストが、トータルで180%増になってしまう。
 次に、創刊当初の「B5版」を検討しました。
 しかし、次の2つの理由で、とりあえずこれを断念しました。
 ①制作コストが、トータルで150%増になってしまう。
 ②なんか中途ハンパだよなあ。
 というプロセスから、サイズはそのままで行くことしました。
 でも、ほんとの私のイメージは、いつでも本棚の片隅にある
 「安くてコンパクトで大切な文庫本」なんですね。
 だからA5版がいちばん近いイメージ。
 迷った時に取り出して、いつでも解決のヒントの源になってくれるような。
 実売数を増やせば、コストの問題は解決しますが、写真の問題が残ってしまう。
 今回のカラスコのようなド迫力が難しくなるから。
 つーことでサイズ問題の解決は据え置き。
 いつか変える時には、大アンケートの結果を参考にするつもり。

>このインタビューは、読む人すべてに見事に何かを残すはず。
●あ、ありがてえ
 フラメンコ界の内外の辛口モニター数名に、
 このシリーズを3本ばかり読んでもらって好感触を得ていたのですが、
 ショージキ大胆すぎて不安はありますた。
 (ま、不安が的中する可能性はまだまだ高い)
 この企画は100%、mixi成果。
 そう、みんなの影響と私のやりたいことが見事に合致した。
 アフィシオナードのツボはここにあると信じられたし、
 そのツボにヒットするアフィシオナードこそ、
 パセオにとってもっとも大切な読者層だと思ってるんだ。

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 2009年12月27日/その181◇ゾウリ虫の生態

 朝風呂に飛び込み、
 パセオHPを各種更新し、
 たっぷりジェーと散歩してから、
 メシを食いくいNHK将棋トーナメントを
 観戦するのは、日曜朝の定番コースだ。

 序盤のゆるやかな局面の合い間に、
 三十数年前にプロ入りした、
 かつての将棋仲間たちを想い出すことも多い。
 嫉妬の感情を超えて、
 彼らの活躍を素直に喜べるようになったのは、
 やっとのことで自分も好きな道で
 食えるようになってから、
 さらにしばらくしてからのことだったように思う。

 プロ入りしなかった連中の多くも、
 東大経由で皆そこそこ楽しげな職業に就いた。
 どちらの素養も努力もなく、
 二流大学の哲学科に籍だけ置いて、
 裏街道を七転八倒しつづける私は、
 仲間内では唯一の異分子だった。

 マグロの群れにまぎれ込んだイワシ。
 かつては自嘲的にそう謙遜したが、
 さすがに近ごろは自分自身を冷静に分析できる。
 実際の私は、
 クジラの群れにまぎれ込んだゾウリ虫だった。

 ヨランダ/だめ!.jpg

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 2009年12月28日/その182◇何度でも噛み締めたい

 パセオ新年号についてのガチンコ・モニター欄、
 しゃちょ友みゅしゃの感想の、その冒頭を抜粋。

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 パセオフラメンコ1月号。
 まず、読み返したくなる記事は、
 濱田滋郎先生の「なんでかなの記」です。
 「第一話 優しい原風景」という
 タイトルからして泣けてきます。
 お父様が『泣いた赤鬼』の作者と知って、
 驚いたと同時に、腑に落ちるものがありました。
 濱田先生の柔らかな語り口に、くすっと笑わされ、
 しだいにしみじみとさせられるのは、
 心地の良いものです。
 『泣いた赤鬼』を、
 まだ幼い我が子に読み聞かせをしながら、
 自分で涙ぐんでしまったことがあります。
 その時の感情を思い出し、オーバーラップしました。
 
 読み返したいというのは、つまり、
 文章に込められている世界観を
 何度でも噛み締めたいということ。

 記事のインパクトも大事ですが、
 文章自体の持つ力も大きいのだと思います。
 今後24回、味わえるのが、楽しみな連載です。

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 上記太文字部分のみゅしゃの言葉に、目からウロコ。
 読んだ瞬間、私の中には
 やたら大きな化学反応が発生していた。
 迂闊な私はこれまで、
 そのような言語化が出来ないでいたのだが、
 新生パセオで実現したかったのは、
 まさしくそんなイメージだった。

 森林資源の伐採に加担する出版業界。
 この現代における紙メディアの最大使命は、
 まさしくしそれだと思い当たる。
 愛すべきフラメンコという題材を通して、
 月刊パセオで私がやりたかったのは、
 まさしくそれだった。
 物質文明と世の不況の行き詰まりの中で、
 「フラメンコと出版」という組み合わせにおける
 最良の仕事が、それだと思った。

 フラメンコは万華鏡であり、
 その魅力は人の数(なくなった人も含めて)
 だけあると思う。
 私がやりたいのは、 タイプの異なる
 そのひとつひとつの深い味わいを、
 主に文章・写真などの手段をもって、
 反芻可能に誌面化すること。
 フラメンコの理解上達の最大のヒントも、
 豊かな人生を送るための最良のヒントも、
 実はそこにあると思っているから。

 ちなみに、
 めったに書かないお手紙を濱田先生にお送りして、
 生イキにもこの私が唯一リクエストしたのは、
 この一点だった。 『濱田滋郎というフラメンコ』。

 「文章に込められている世界観を
  何度でも噛み締めたいということ」

 現在の私個人のそれは、藤沢周平、土屋賢二、
 関川夏央、 バッハの楽譜、などだったりするわけだが、
 そこに、パセオフラメンコを加えてゆくことが、
 余生最大の野望・・・てゆーか、祈り。なのかも。

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 2009年12月30日/その184◇心の音

 足(サパテアード)は打楽器。
 そんな意味でフラメンコの舞踊手には、
 優れたミュージシャンが多い。
 人気バイラオーラのAMIさんのサパテアードなどは、
 生音を聴いてると、美しい歌が聞こえてくるかのようだ。

 ami.jpg

 さて、それとはちょっと違うのだが、
 プロの将棋指し(専門棋士)の将棋を指す駒音にも、
 音楽を感じることが多々ある。
 総じて一流棋士にそれは顕著だ。
 それは、棋士が公務員だった江戸時代からの
 伝統だったのではないかと想像する。
 
 「ぴしっっっ......」と指す。
 その「ぴしっ」という音は、清冽に澄んでいる。
 耳が良くないと、ああいう音は出せない。
 続く「っっ......」の余韻がまた素晴らしく深いのだ。
 それはまるでギターのアポヤンドの余韻のようでもある。
 つまり、いい駒音を出せる棋士は、
 「指す」というより「弾いている」。
 それぞれが独自の音色を持っている。
 そこには明らかに音楽家の感性がある。
 
 もちろん、ある一定の条件は必要だ。
 プラスチックの駒や木製の安駒では、
 瞬発的にそれなりの音を出すことは出来ても、
 さすがにあの余韻は生じない。
 駒(つげ)と盤(かや)に、
 それぞれ百万、二百万ぐらいはかけたいところだ。
 ヴァイオリンの世界のストラディなんかだと
 億単位なわけだから、ま、それに比べりゃ安いもんだ。

 ただし、私のようなヘボだと、
 たとえウン百万の盤駒を使っても、
 プロ棋士のような音は出せない。
 素人がストラディ弾いても、
 いい音が出せないのと一緒だな。
 また、駒を操るテクニカの問題だけでもなさそうだ。
 それはむしろ、サパテアードの心に通じている。

 プロをめざした十代半ばに夢中で指してる頃は、
 ひたすら勝つことだけに必死こいてたものだから、
 駒音の音色や響きなんかには、まるで無頓着だった。
 何にせよ強くはなれなかったわけだから、
 ならばせめて、歪んだ心でも修正しながら、
 もっといい音出す修行でもしとくんだったよ。
 とほほ3.jpg

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 2009年12月31日/その185◇神パコ・デ・ルシア、活動再開!

 スペイン在住・志風恭子の昨日の『フラメンコ最前線』で、
 フラメンコギターの神、パコ・デ・ルシアの活動再開を知る。
 『パコ・デ・ルシアのヨーロッパ・ツアー
 ああ、よかったあ!
 日本ツアーもあり得るかもしれない。
 年明けの最初の仕事は、国内有力プロモーターへの
 パコの招聘要請となりそうだ。

 pacodelucia.jpg

 それにしても、志風のフラメンコ情報は、
 いつでも正確な上に、吉野屋の牛丼みたいに、
 早い!、安い!(無料)、美味しい!
 スペインのアフィシオナードよりも恵まれた情報環境に
 わたしら大感謝しなくちゃな。

 ――――――――――――――――――――――

 さて、本日大晦日。
 散歩の楽園、ご近所・明治神宮。
 正月は大変な人混みとなるので、
 その前日の大晦日の真っ昼間に、
 フライング初詣をするのは、
 ここ数年、わが家の定跡となっている。
 
 明治神宮.JPG

 その後は、新宿・小田急で買い物。
 連れ合いは明日の新年会で作るパエージャ等の材料を、
 私は本日の鍋パーティーと正月用の肴を仕込む。
 
 わが家の本チャン初詣は元旦朝イチの代々木公園。
 広々とした空間と深々とした森に対して、
 ジェーもいっしょに、漠然とした感謝を捧げる。

 つーことで、今年もいよいよ今日でおしまいだね。
 たくさんの方々に、いろいろお世話になりますた。
 ほんとうにありがとう!
 来年もどーぞよろしくねっ!
 それでは、皆さま、どーか、よいお年を!

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年11月①

2010年09月11日 | しゃちょ日記

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 2009年11月01日/その125◇強運のキープ方法

 気ばかりが焦り、良い分別が出来ないことでしょう。
 月蝕のように次第と曇り、
 暗闇立ち込めるような状態となりましょう。
 車がありながら行く先が定まらぬように、
 良い事が目の前にありながらも、
 手が届かぬ状態でしょう。
 魚が水にあわないと死んでしまうように、
 周囲と心が通じなければ何事も成立しません。
 常に世に順応する落ちついた姿勢が大切。

 願望、叶いにくいでしょう。
 病気、危いでしょう。
 失物、出にくいでしょう。
 待ち人、現れないでしょう。
 新築・引越、見合わせましょう。
 結婚・付合、悪い結果となるでしょう。

 浅草雷門.jpg

 伝法院通り.JPG

 浮かれながら浅草をぶらついてたら、
 うっかりおみくじを引いちまった。
 全戦全敗ボロ負けの“大凶”。

 浅草・金龍山浅草寺のおみくじは、
 当たりすぎるのが難点である。
 まるで私の半生をそのまんま描く
 走馬灯のようではないか。

 だが、大吉を引くことで
 残り少ない運気を使い果たすよりはマシだったと、
 むしろ喜んでしまう手もないではない。
 って、だったら最初からおみくじなんか引くなって。

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 2009年11月02日/その126◇欠陥の逆用

 「才能というのは、
 最初から“有る”ものではなくて、
 むしろ“何かが欠乏してる状態”から
 発するものではないか?」

 物心ついたころから、
 すでに臆病な性質だったように思う。
 私の本性ともいえるセッカチな性格も、
 その臆病さゆえ、周囲にとり残されるのを
 恐れるあまりに形成されたものだと分析できる。

 周囲にキャンキャン吠えまくることで
 己を守ろうとする防御戦略よりも、
 セッカチという玉砕戦略の方が
 自分向きだったのだろう。

 もちろん今も直っちゃいないが、
 若い頃は食えなかったこともあるし、
 それなりの野心もあったから、
 いつでも本格的に焦っていた。
 結果としては「生き急ぎ」の典型タイプである。

 だから量やスピードを要求される
 忙しいジャンルではそれなりに適性を発揮したし、
 今の仕事でどうやら食えるようになったのも、
 実はこのセッカチさに負うところが大きい。

 怖くてジッとしてることが出来ないだけの話なのだが、
 ま、好意的に見てやれば、
 人格上の欠陥が、
 世渡り上の長所になり得た一例と云えないこともない、
 という強引ぐマイウェイな本日のオチ。

 軒を出て犬.jpg

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 2009年11月03日/その127◇あしたのジェー(1)

 何やらかんやらでチョー忙しいため、
 今日から1週間ばかり、このしゃちょ日記を
 わが家のジェーに任せることにした。

 あいにく彼は文章が苦手なため、
 写真のみ掲載つーことで。
              
 開店休業.JPG

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 2009年11月04日/その128◇あしたのジェー(2)

ジェーシャドー.jpg
        
           シャドウ・オブ・ユア・スマイル。

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 2009年11月06日/その130◇あしたのジェー(4)

ジェー番犬.jpg
 
 私の仕事中は、見張り番の鬼と化す。

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 2009年11月07日/その131◇あしたのジェー(5)

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 深まりゆく秋の、紅葉を待ち望む。

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 2009年11月09日/その133◇あしたのジェー(6)

ジェーフラメンコ人形.jpg

 迷惑、、、でもない。

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 2009年11月10日/その134◇あしたのジェー(7)

画像 003.jpg

 1週間、ごくろーさん。
 忙しい時は、またよろしく頼むぞジェー。
 私が日記を書くより、来場率も上がるしな。(涙)

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年11月②

2010年09月11日 | しゃちょ日記

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 2009年11月11日/その135◇王子にて

 端正な語り口と大らかなユーモア。
 心のざらざらを洗い流してくれる、
 温か味がにじみ出るようなアートだ。
 私の中のフラメンコの水準で云えば、
 それはチャノ・ロバートのカンテに匹敵する。
 
 この秋他界された三遊亭円楽師匠。
 笑点の司会はいただけなかったが、
 そのライブの高座は巨大なオーラに充ち満ちて、
 言葉には言い尽くせない贅沢な味わいがあった。
 
 ソレア系みたいな大ネタも素晴らしいが、
 アレグリ系の中くらいのネタを私は好む。 
 有名な『目黒のさんま』の録音などは天下一品だ。
 それらライブ録音は、今も私の日常をじんわり潤す。
 
 円楽.jpg
    
 師匠が旅立った翌週の午後、
 円楽CD全集を10枚ばかりリュックに詰め込み、
 そのアルテを偲ぶ散歩に出かけた。
 唐突に名作『王子の狐』が聴きたくなったので、
 じゃあそこだと、国電(←死語)で王子に出た。
 名人の「星の王子さま」という若き日の称号からの
 連想もあったかもしれない。

 八代・暴れん坊吉宗の頃の江戸時代。
 王子・飛鳥山は江戸庶民のための桜の名所だった。
 いつの間にやら、飛鳥山モノレールなんかが出来てた。
 全長が50メートルもないところが、王子らしくてステキ。
            
  飛鳥山のモノレール.jpg
                    
 何の用事で行ったのかは忘れたが、
 学生時代にお世話になった明治通り沿いの
 老舗ホテルも健在だった。
      
 王子のラブホ.jpg

 東京北部特有のアップダウンが楽しめる飛鳥山は、
 落語を聴きながら散歩するにはもってこいのコース。
       
 飛鳥山1.jpg
        
 飛鳥山3.jpg
        
 ここらで『王子の狐』と『目黒のさんま』の、
 円楽節の名調子を懐かしんだが、
 聴いても聴いても聴き足りず、
 さらに石神井川をさかのぼるコースを歩く。

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 2009年11月12日/その136◇秋の石神井川

 きのうの続き。
 とりとめもなく、円楽師匠の明るい至芸に没入。
 飛鳥山から、滝野川親水公園を経て、
 石神井川をさかのぼるパセオ(遊歩道)を歩く。
 
 石神井川7.jpg
 
 いっとき練馬に住んでた頃は、
 この石神井川を、豊島園あたりからから
 隅田川に抜けるコースを好んで歩いた。
  
 石神井川3.jpg
 
 ぶらぶら歩いちゃ一服を繰り返し、
 師の名演『宮戸川』、『厩火事』、『万金丹』、
 『らくだ』などを次々に聴く。

 石神井川2.jpg
 
 想えば昔から、大好きなアーティストの追悼は、
 こんな風にやっていた。
 桂枝雀師(落語界のパコ・デ・ルシア)がなくなった時には、
 仕事を投げて、10日ばかりそんなことを続けたものだ。

 石神井川6.jpg

 五代目、三遊亭円楽。
 ニッポンの誇り。
 来年六代目を襲名する楽太郎師匠も、
 必ず凄いことになる、と私は想う。
  
 石神井川8.jpg
      
 石神井川両岸は紅葉の頃に、その実力を発揮する。
 また来月、仕事さぼって歩きにこよう。
 って、まあ、なんてとりとめのないフラフラ日記。

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 2009年11月13日/その137◇ダヴィ・ラゴスのソロデビュー盤

 この数週間、ほとんどパセオで流れっぱなし。
 なんだかホッとするような、久々の本格フラメンコだ。

 davidlagos-hp.jpg
 DAVID LAGOS/EL ESPEJO EN QUE ME MIRO
 (フラメンコ・ワールド/2009年)

 このところ、日本人のフラメンコ公演に、
 これもやはりチョー凄腕ギターの兄、
 アルフレッド・ラゴスと共に活躍する
 カンタオールのダヴィ・ラゴス。
 森田志保さんや石井智子さんの公演でも、
 私たちを心底シビれさせた。

 それもそのはず、2007年には本国スペインで、
 踊り伴唱の最高賞グラン・プレミオを受賞している。
 だが、彼の本領はむしろカンテソロにある。
 余分な派手さを制御する誠実な声質。
 ふくよかに密度高く、よく伸びる。
 しみじみと深い抒情。
 コンパス、音程がすこぶるよいが、
 何よりホカホカにあったかい。

 がしがしプーロや思いきり現代的なノリの、
 そのどちらでもない。
 じゃあ、誰も聴かないのか?
 いーや、その真逆なんだよね!!!
 誰もが入り込んで聴ける、ストライクゾーンの広いプーロ。
 入門者とマニアを同時につかむ、とっつき易さと高純度。

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 2009年11月14日/その138◇100万光年

 マウリツィオ・ポリーニ。
 1942年、イタリアはミラノの生まれ。
 今年67歳となる、国際的な大ピアニスト。

 高校三年生の時にポリーニを聴き、
 私はピアニストになることを断念した。
 向こう1000年間、ピアノ修行に没頭したとしても、
 この私にポリーニを超えることは不可能であることを、
 瞬時に悟ったからである。
 ちなみに、もうひとつの理由は、それまでの私には、
 ピアノを練習したことが一度としてなかったことだ。

 当時18だった私に対する、当時のポリーニは31歳。
 それから36年間、私は彼のバッハを日々待ち望みながら
 暮らしてきたことになる。

ポリーニ.jpg
 マウリツィオ・ポリーニ/
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
 グラモフォン制作(2009年2月録音)

 やはりそー来たか。
 待望のバッハ着手は『平均律』だった。
 ゴルトベルクだともっとうれしかったが、
 贅沢を云ってはバチが当たるな。

 老境を迎えたポリーニの枯淡の境地……なのか?
 って、そんなわけあるハズもねーよ。
 世界中を唖然とさせた、あの明晰にして
 完璧なピアニズムはいまだ健在。
 うっ、そこまでやっちゃうの、てな感じで、
 いつものようにアグレッシブなアプローチで
 鍵盤をバンバン叩く。
 およそ誤魔化しというものとは無縁な、
 真っ向勝負のガチンコ・バッハ。
 
 ふうっ。
 シビれるような快感。
 やってくれるよなあ。

 18歳の私と31歳のポリーニには、
 かつて天地の差(約1000年)があった。
 ところがどっこい、私もがんばった。
 驚くべきことに、現在では
 100万光年ほどの差があるのだが、
 ……それがどーした。

 両者のすき間が大きければ大きいほど、
 逆に大いにラクチンな気分で、
 ポリーニの真似をするのではなく、
 オレ様にしかできないやり方で生き抜いてみたくなるのだ。

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 2009年11月15日その139◇よっ、日本一!

 木曜会がチョー午前様だった金曜日は、
 日がな本誌のインタビューづくし。
 たまった疲れをゆったり湯船で落とし、
 行きつけで一杯やる。

 居合わせたタワケ者どもと
 日刊パセオ『シュール・アホリズム』の爆笑ネタで
 盛り上がっている内に、なぜかナゾかけ大会に突入。
 
 「新聞の朝刊」と掛けて、
 「坊主」と解く。
 その心は、
 「今朝(袈裟)きて、今日(経)読む」

 「朽ち果てた教会」と掛けて、
 「彼女の結婚式」と解く。
 その心は、
 「神父(新婦)の心労(新郎)、いかばかりか」

 小粋な佳作を次々と繰り出すのは、
 地元のボスで町会長の金ちゃん(本名・金之助)。
 どー見ても893だが、心やさしいインテリあら還だ。
 新設する町会事務所の地鎮祭が無事に済んだとかで、
 ゴキゲンの絶好調である。
 ならば私もと、とっておきを披露する。
 
 「相合傘」とかけて、
 「女と男」と解く。
 その心は、
 「私が開いて、あなたがさす」

 とほほ3.jpg

 珍しく一定の格調を保っていた座のアイレは、
 イッキに吹き飛んで、
 これをもって、いつもの下ネタ大会に突入する。
 さあ、そこでもギンギラ絶好調な金ちゃんは、
 やんやの喝采を浴びつつ、
 お仲間の勘定をすべて引き受け、さっ爽と退場。
 よっ、金ちゃん、ニッポンイチっ!

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 2009年11月16日/その140◇人気爆発! 中田佳代子のSin Frontera

 「フラメンコ舞踊家。
  国境なきフラメンコを目指し、日々奮闘中」

 『中田佳代子のSin Frontera

 中田佳代子.jpg

 中田佳代子は、
 スペインのペーニャ・ペルラ・デ・カディスの
 アレグリアス・コンクールで、外国人としては初の
 準優勝に輝いた筋金入りの実力派バイラオーラ。

 明るくてアイレもビンビンな文章に惚れこんで、
 即座に連載をお願いした。
 日刊パセオフラメンコで、人気爆発中の連載ブログだ。
 現在はスペイン・バルセロナのタブラオで踊る様子を
 リアルタイムで読むことができる。

 度胸と愛敬。

 時代がどうあれ、やっぱ人間はコレだわなと、
 毎度ふんふん納得しながらこれを読む。 

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年11月③

2010年09月11日 | しゃちょ日記

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 2009年11月17日/その141◇ささやかな達成感

 「かんだがわ(神田川)」

 ジェー神田川 010.jpg
     
 この言葉に、わが家のジェーは過剰に反応する。
 年に二度ほど、一家総出(連れ合い、ジェー、私)で、
 神田川のパセオ(遊歩道)を散歩することは、
 彼の犬生の中で、もっとも楽しい時であるらしいのだ。

 「よし、明日はみんなで“かんだがわ”だ」
 前の晩にこう云うと、おなかを出してのけぞって喜ぶ。
 お天気もそこそこのある日曜の午後、
 その神田川両岸の緑多き爽やかな佇まいの中を、
 永福町から水源の井の頭公園までの約8キロを歩く。
              
 ジェー神田川 017.jpg

 人間でもそこそこくたびれるコースなのだが、
 休憩するのももどかしげに、神田川の水源までを、
 彼はほとんどイッキに歩き抜いた。
 
 水源そばの緑地で弁当を開く。
 腹ペコ一家はおにぎりにありつくわけだが、
 ジェーもやっぱり、
 この瞬間のささやかな達成感がうれしいんだね。
     
 ジェー神田川 034.jpg

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 2009年11月18日/その142◇堀越千秋の成分解析

 先ごろ書いた成分解析の日記について、
 いろんなところで突っ込まれた。
 それではと、他の方々もヤリ玉に
 あげてみたくなるのが人情である。
 私に集中する非難を緩和する必要があるからだ。

 で、その記念すべきヤリ玉第一弾は、
 日刊パセオの『フラメンコ狂・番外日記』でも大評判をとる、
 あの堀越千秋画伯である。

 「成分解析 on WEB
 
 【堀越千秋の解析結果】
 堀越千秋の69%は海水で出来ています
 堀越千秋の18%は知識で出来ています
 堀越千秋の5%は濃硫酸で出来ています
 堀越千秋の5%はミスリルで出来ています
 堀越千秋の3%は言葉で出来ています

 ぷっ。
 なんとなく、大アタリ~って感じなんだよね。
 すべての生命は海水から生まれるわけで、
 その巨大なスケールは、まさしく巨匠にふさわしい。
 しっかしさ、コワいぐらいに当たるよなあ。

堀越千秋.jpg
堀越千秋 Official Website はこちら

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 2009年11月19日/その143◇濱田滋郎の成分解析

 ヤリ玉シリーズ第二弾。
 日本屈指の音楽評論家にして、
 われらが日本フラメンコ協会会長であられる、
 あの濱田滋郎塾長にご登場いただく。(汗)

 「成分解析 on WEB

 【濱田滋郎の解析結果】
 濱田滋郎の99%は電力で出来ています
 濱田滋郎の1%は祝福で出来ています

 ひえ~~~
 シンプルにして大胆。
 やっぱし大物は違うよなあ。(汗)
      
 おーまいがっど.jpg

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 2009年11月20日/その144◇連れ合いの成分解析

 ヤリ玉シリーズ第三弾。
 この成分解析をわが家に持ち込んだ犯人、
 私の連れ合いに逆襲する。

 「成分解析 on WEB

 【鈴木敬子の解析結果】
 鈴木敬子の61%は小麦粉で出来ています
 鈴木敬子の31%は利益で出来ています
 鈴木敬子の6%はミスリルで出来ています
 鈴木敬子の2%は理論で出来ています

 ぷっ。
 小麦粉で出来てんのかよ。
 やっぱしね。
 では、本名ではどーなる?

 【小山敬子の解析結果】
 小山敬子の72%はむなしさで出来ています
 小山敬子の12%はお菓子で出来ています
 小山敬子の6%は言葉で出来ています
 小山敬子の5%はミスリルで出来ています
 小山敬子の5%は白インクで出来ています

 な、なにっ? この悲惨さ!(汗)
 小麦粉をこんな人生に変えちまう
 亭主の顔が見てみてーよ、ほんとに(涙)
 とほほ3.jpg

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 2009年11月21日/その145◇ジェーの成分解析

 ヤリ玉シリーズ最終回。
 だんだん私の立場も苦しくなってきたので、
 わが家のジェーに締めてもらおう。

 「成分解析 on WEB

 【小山ジェーの解析結果】
 小山ジェーの71%は努力で出来ています
 小山ジェーの17%は株で出来ています
 小山ジェーの5%は理論で出来ています
 小山ジェーの4%は心の壁で出来ています
 小山ジェーの3%は言葉で出来ています

 おおっ!
 な、なんと、おめえが一番まともだよっ!

 画像 034.jpg

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 2009年11月22日/その146◇国鉄と明治とチョコラーテ

 高田馬場で新宿回りの山手線を待っていると、
 いきなりチョコレート色したレトロな電車が、
 重々しくホームに滑り込んでくる。

 国鉄とか省線(←両方死語)とか呼んでいた時代の
 ボディカラーの山手線車輌なのである。
 さあ、いよいよ俺もタイムスリップかあ!という、
 ドキドキわくわくな喜びも束の間、
 「山手線命名100周年」という文字と、
 明治製菓の板チョコの広告が目に飛び込んできた。
 ああ、そーゆーことなのね。

 それにしても、美味しそーな真っ茶色だなあ。
 パブロフ犬的に板チョコが食いたくなった。
 と、同時にその連想から突然、
 エル・チョコラーテの歌声が脳天を突き刺す。
 そう、あのカンテ名人がギター名人ニーニョ・リカルドと
 真剣勝負するフラメンコの真髄とも云うべき名盤だ。 

 chocolate-nino%20ricardo.jpg

 う~む。
 山手線から、エル・チョコラーテを連想させてしまうとは!
 畏るべし、国鉄!!!
       (↑)だから死語だってば。

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 2009年11月23日/その147◇おかげさまでツバメンコ

 今井翼 Live house TOUR D&R ~ an extension
  (12月1日/赤坂BLITZ 18:30)

 なんたる幸運とそのお心遣い。
 ツバメンコ同好会のお仲間が、
 私のチケットを押さえてくれたのだ。
 同好会(現在477名)作っておいてよかったあ!

 おやぢ用のチケット入手には、
 様々な困難があったにちがいない。
 御礼はたいやき1匹に決まっているのだが、
 清水の舞台から飛び降りるつもりで、
 たいやき2匹にしようかと思っている。

 当日待ち合わせの合言葉は「ビバ変態」だそうで、
 ふんどし一丁で行くか、女装で行くか、
 このままパジャマで行っちまうか、
 現在鋭意検討中である。

 ツバメ~1.JPG

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 2009年11月24日/その148◇孤高の無人島生活

 ワケもわからずmixiというものを始めて早三年。
 ウェブ上の双方向コミュニケーションというのは、
 なかなか面白いものであることを知った。

 毎日のように日記を書いたり、
 何本・何十本の返信生コメントを書くことで、
 文章を書くスピードが30倍くらい早くなった。
 文章の内容がちっとも進歩しないのが
 不思議なくらいである。
 そのほとんどがフラメンコ仲間である
 マイミクさんは1000人になったが、
 愛人がひとりも出来ないのも摩訶不思議である。
 
 そんなこんなの道中で、
 この秋、ほとんど発作的にこんなコミュ二ティを立てた。
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=4648395
 無人島シリーズである。
 しかも、超マニアック。
 恥ずかしくて告知もできない。
           
 むろんのこと、会員は私ひとりだ。
 ひとりぼっちの無人島生活はいつまで続くのか?
 はい、それはおそらく永遠に続くにちまいありません。
                    
 月とスッポン.jpg

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年11月④

2010年09月11日 | しゃちょ日記

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 2009年11月25日/その149◇クレーメルのモーツァルト

 一緒になった頃、ダンサーである連れ合いが、
 いいクラシックが聴きたいというので、
 よりどりみどりの大物来日公演の中から、
 ヴァイオリンのギドン・クレーメルを選んだ。
 有名なヴィヴァルディの『四季』と、
 ピアソラの『ブレノスアイレスの四季』を
 相互に組み合わせて演奏するコンサートだ。

 選んだ理由は、すでにCDで聴いていたその演奏が
 実にダンシングだったから。
 あまりライブのクラシックを聴き慣れない彼女には、
 そんなノリと迫力がもっともふさわしいと予測できたし、
 実際の反応も上々だったようだ。

 ギドン・クレーメル。
 ヴァイオリン界の鬼才的巨匠。
 アントニオ・ガデスを想起させる完璧主義者。
 同時に先ごろ来日したディエゴ・カラスコみたいに
 お茶目でユーモラスな側面もある。
 CDで聴くと、あまりに完璧なので、
 かなり冷たい印象を受けるのだが、
 そのライブは、むしろ豪快でエキサイティングだ。

 そんな超人が、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を
 およそ四半世紀ぶりに再録音した。
 最初の録音は、アーノンクール&ウィーン・フィルと
 アンサンブルする快演で、即座に購入したのだが、
 当時創刊したパセオに大忙しの私が、
 それを初めて聴いたのはおよそ十年後だった。
 なので、今回の新録音には購入翌日かぶりついた。

 クレーメル.jpg
 ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ
 「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集」
 2006年録音/NONESUCH
 
 ええーっ、ここまでやっちゃうのお。
 予想通り、あっと驚くやりたい放題である。
 すでに決定盤を録音している彼にとって、
 そうでなければ再録音の意味はないから。
 とてもこの世のものとは思えぬ美音で清らかに歌う、
 ダントツ人気のアルテュール・グリュミオー盤を愛聴する
 モーツァルティアンには、青天のヘキレキみたいな爆弾だ。
 
 基本的には、語りに語るモーツァルトだ。
 場面場面の性格が、それぞれフルに強調されている。
 それらを可能にするクレーメルの手兵、
 クレメラータ・バルティカのアンサンブルは驚異的。
 それぞれに濃厚な細部は、
 全体を心憎いばかりにコントロールする
 構成・俯瞰の力によって、相互に輝きを増すのだ。

 この新時代のモーツァルトを、
 代々木公園から明治神宮を散策しながら、
 全曲(1~5番)をイッキに聴いた。
 ファンタスティック、
 ただただファンタスティック!
 時代を築いたスーパー・ヴァイオリニストも、はや62歳。
 その冒険と深化はとどまることを知らない。
 歳だ歳だとボヤいてる場合ではないな、と思った。

 180px-Gidon_Kremer_violin.jpg

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 2009年11月26日/その150◇あしたは小島章司

 先ごろ国家より文化功労者に顕彰された、
 われらが小島章司。 
 毎年恒例の秋の公演、小島章司フラメンコ2009が迫る。

 今回はスペインの人気バイラオール、
 ハビエル・ラトーレの振付による舞台。
 そして舞台美術はもちろん、堀越千秋画伯。

 私はあす金曜、27日の初日を観る。
 ぜったい凄いよおっ!
 
 kojima2009.jpg

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 2009年11月27日/その151◇あしたは“遊民”

 9年ぶりに集結!
 多摩美術大学OB・OG公演『遊民vol.2』。
 11月28日(土)18時、吉祥寺・前進座劇場。

 チラシでメンバーの顔ぶれを見て驚いた。
 別の約束が入っていたが、拝み倒してこちらを優先。
 出演キャストはこんな(↓)感じね。

 小原覚/阿部真/翠川大輔/妻沼克彦
 三枝雄輔(友情出演)/井上泉/小林泰子/井山直子
 島崎リノ/今枝友加/吉田久美子/鈴木圭子
 妻沼加世/堅正はるか/松原梓/朴美順
 
 そう。かなりの高等遊民なのだ。
 どんなステージになるのか予測もつかんけど、
 すでにわくわく感は飽和状態。       

                フラメンコ.jpg

 つーことで、今日は章ちゃん、明日は遊民!
                  

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 2009年11月28日/その152◇小島章司フラメンコ2009

 小島章司フラメンコ2009
 『三人のパブロ~ラ・セレスティーナ』
 (11月27日~29日/ル テアトル銀座)

 kojima2009_2.jpg        
           
 しょちょ日記にフラメンコライブの忘備録を
 つけるようになってから、
 ショーバイ柄それまでの自分の中で数割を占めていた、
 いわゆる「客観批評」的なスタンスが木っ端微塵にぶっ飛んだ。
 アーティストが命を賭けるライブについて、
 どんな形であれ、自らの感想を発信することは、
 逆に自分自身が試されることに他ならない。
 おざなり姿勢でフラメンコに対峙すれば、
 軽く吹っとばされるのはこっちの方だということだけは、
 身に沁みてわかってるつもりだしね。
 そして、その私を批評する最大のコワモテは
 自分自身だと知った。

 どうせ書くなら、中途ハンパはやめて、
 そのアーティストのライブに、一年後、二年後に
 対面するであろう近未来の私のみを対象とする、
 ガチンコ忘備録に徹してみるのも悪くないと思った。
 一方には、歳を取って持ち時間が少なくなってきたので、
 各種締切の合間をぬって出掛けるライブからは可能な限り、
 この世ならではの美しい記憶を得ようとするセコい根性もある。
 時おりネット上で見かける、愛好家の書かれるそんな傾向の
 ライブ感想に触発された部分もあるだろう。
 中でも、褒めたりケナしたりすることを目的としない、
 ライブが巻き起こす書き手の心の化学反応みたいなやつね。
 つまり、未来の自分に対するメッセージを、
 素直に、感じたままに書けばいいんじゃねーかと。

 さておき、鍵田真由美と佐藤浩希が主宰する、
 この夏のデスヌード3に客演した小島章司は、
 そのラストで畏るべき舞踏を現した。
 わずか数分、無伴奏の素踊りで、
 永遠なる宇宙と人間の哀しみと祈りを、
 観る者の胸に強烈に刻み込んだのだった。
 唐突に宇宙の全貌を垣間見させたあの衝撃的瞬間は、
 まさしくこの世ならではの美しい記憶として定着し、
 心の内側からチープな私を励まし続ける資産となった。

 ところで……。
 粋で不屈でぶっち切りにカッコええ、スーツ姿の章ちゃん。
 スペイン人もまっ青な超絶技巧で踊る、
 肉体的に全盛期だった「独り踊り」時代の小島章司を、
 当時から好んで脳裏に焼き付けた私には、
 ここ数年の不安や絶望を印象づけられる彼の舞台に、
 どうしても素直に馴染めないものがあった。
 どーして? 素晴らしいじゃない。
 そんな周囲の感想に幾度も私は孤立した。
 「その先にあるもの」が、私だけに視えていなかった。
 底知れぬ深化を冒険する小島章司のヴィジョンを、
 迂闊な私にやっとこさ、それと認知させたのが、
 先のデスヌードのラストシーンであったというわけだ。
 
 そして今回のフラメンコ悲喜劇『ラ・セレスティーナ』。
 15世紀末に書かれた勧善懲悪の逆を行くピカレスク。
 フラメンコではほとんど見ることのないコミカルな悲劇。
 このスペイン版『ロミオとジュリエット』で小島が踊り演じるのは、
 な、なんと、売春屋を仕切る悪婆妖術使いセレスティーナ。
 センスよく、心地よい観後感を残すハビエル・ラトーレの
 エンタテインメントな演出。
 ギターのチクエロを筆頭とする贅を極める音楽陣。
 そして、徹底的に磨きこまれた舞踊シーンの数々。
 さらに、全員がひとつになる輝くような集中力。
 重たい感動ではなかったが、贅沢な幸福感に私は満足した。

 またしても、意表を突く方向に突如斬り込む小島章司。
 彼こそは、生存中にたどり着けないことが明らかな、
 小島章司だけの最終到達点を、
 それでも全身全霊でめざす確信犯だった。
 その急がば回れ的に周到なプロセスを、
 永いスパンで根気よく貫く姿勢そのものに、
 私の心の共感メーターがイッキに跳ね上がる。
 第3場で、パブロ・カザルスを偲ぶかのように、
 バッハの無伴奏チェロが流れる。
 そのサラバンドの響きにシンクロする小島章司の仕草に、
 あのデスヌード事件の衝撃が静かに蘇る。

 おしまいに、「エバはよかったけど、なんかあの背景の
 まっ黒は情けないなあ~と思ったよお」と、
 この秋の舞台にご不満こいてた堀越千秋画伯が、
 自ら美術を担当するこの公演で「舞台美術かくあるべき」
 みたいな名回答を出したのが、何だがとても痛快だったよ。

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 2009年11月29日/その153◇高等遊民

 『遊民vol.2』
 9年ぶりに集結! 多摩美術大学OB・OG公演
 (11月28日/吉祥寺・前進座劇場)

 チラシでメンバーの顔ぶれを見て、
 爺婆合コンを拝み倒して欠場し、前進座に駆けつける。
 ひとつの大学が輩出した、その驚きの出演キャストはこうだ。

 小原覚/阿部真/翠川大輔/妻沼克彦
 三枝雄輔(友情出演)/井上泉/小林泰子/井山直子
 島崎リノ/今枝友加/吉田久美子/鈴木圭子
 妻沼加世/堅正はるか/松原梓/朴美順

 そう、高等遊民。
 全員勢ぞろいのオープニングから、
 高い実力と親密なアンサンブルの快感を爆発させる。
 劇仕立ての二部の冒頭には、おゐおゐ学園祭かよ、
 みたいなノリに一瞬固まりそうになったが、さにあらず。
 やはりと云うか、彼らはそれぞれに高い美意識を持った、
 自立する個人の集合ユニットだった。

 なにせ新人公演奨励賞経由でプロのトップクラスで活躍する
 アーティストが舞台上にごろごろしている。
 次から次へとウネりながら、どこまでも高まろうとする
 鉄火フラメンコのパッションには、
 本場アフィシオナードの心さえ動かすような芯があった。
 バキッ! と心を直撃するアルテを六つまで数えた。
 むろん個人技の高低はあるが、
 それらはあたかも相互補填し合う関係のように思えた。
 そう感じざるを得ない絆の深さがまざまざ見えた。

 同じ巣から旅立った仲間が時を経て再会し、
 青春の想い出とともにフラメンコに浸り尽くし、
 やがてそれぞれは、自ら切り拓いたポジションへと戻り往く。
 きっと彼らは数年後の再会を約したに違いない。

 さて、割れんばかりの大拍手とはこのことだろう。
 閉幕の瞬間、客席を見渡せば多くが涙に潤んでいる。
 最近の若い連中は口先ばかりで何もやらねえ、という
 メソポタミアの昔からの繰り言はもうヤメだ。
 やれやれと、私も二粒ばかり瞼が潤んだ。
 「遊び心」と「絆」。
 新しい時代の、質をともなう「ゆるやかな連帯」が、
 滲むドンチョウにくっきり視えた。       
   
 桜.jpg

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 2009年11月30日/その154◇いずれにしても

 どっちなのか?.jpg

 処方してくれるのか?
 それとも処方せんのか?
 
 受付け致します、って書いてあるけどさ。
 どっちなのか? やはり迷うよね。
 
 ま、いずれにしても、
 私が処方を依頼する場合の先方の回答は、
 決まりきってるわけなんだけどさ。

 「あのお客さま。
 うちには馬鹿につける薬はございません」 
 
 おーまいがっど.jpg

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年10月①

2010年09月10日 | しゃちょ日記

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 2009年10月01日/その93◇君は可愛い

 しなやかな肉体、しなやかな動き。
 ブレない芯と、フレキシブルな柔軟性。
 散歩途中に、美しい黒猫と会った。

黒猫.JPG

 フラメンコを踊らせたら相当いけそうだ。
 二拍子系、三拍子系のどちらにも
 対応できそうな身のこなしがある。
 『わんニャンコで吠えるば』では古いので、
 とりあえずは『黒猫のタンゴ』か。
 って、それも古いだろっ。

 おもむろに四拍子を叩くと、すかさず逃げやがった。
 そんなことでは、
 そんなことでわ、
 アジの干物はおあずけだぞ。

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 2009年10月02日/その94◇エバ・ジェルバブエナ

 日本でも大人気のバイラオーラ(女性舞踊手)
 エバ・ジェルバブエナが、
 この秋、ほぼ三年ぶりで来日し、
 東京で2公演おこなう。

 エバ2.jpg

 実験的な創作舞台で前進しながら、
 その領域を広げてゆくエバの姿勢はステキだが、
 正直云エバ、
 今回みたいなスタンダードなフラメンコを踊る
 エバを観るのが、私個人は一番好きだ。
 次回以降、どんな前衛モノでやってきても
 それをビクともせずに受け止めるためにも、
 今回限りはエバのムイ(とっても)・フラメンコを
 とっぷり楽しませてもらおう。

 さて、エバと云えば、
 まだ彼女が押しも押されぬ大スターとなる前の話。
 仕事で来日した彼女が、
 ひとりで日本のホテルに泊まるのも怖いと云うので、
 顔なじみである私の連れ合いが、
 自分の住む元代々木のマンションに、
 1週間ほど泊めたことがあったらしい。

 地元の行きつけ“秀”にも連れて行ったみたいで、
 エバは刺身なんかを喜々として食べていたそうだ。
 そして、現在この私も住んでいるマンションの、
 その部屋こそが彼女が寝泊りした場所であり、
 あろうことか、畏れ多くも、
 エバさまが爆睡したであろうベッドあたりに
 私の寝床はある。
 どーだ、すげーだろっ!って、
 他に自慢できることは何かねーのか(涙)

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 2009年10月03日/その95◇最初は何を聴けばいいの?

 「最初は何を聴けばよいのかしら?」

 フラメンコをほとんど知らないが、
 ふとそれに興味を持ち始めた
 やさしく美しい女性にこう尋ねられる場合、
 迷わずマイテ・マルティンを薦めることにしている。

 mayte2.jpg
 [マイテ・マルティン/愛のあるところ
 VIRGIN 2000年

 私の場合、このCDを三枚持っている。
 家と仕事場と散歩用のCDケースに一枚ずつ、
 あたかも心臓発作にそなえる、
 ニトログリセリン的常備薬のようにそれは在る。

 誰しも、世の中の理不尽に打ちのめされることは
 多々あるわけだが、
 心の中のサンドバックを打って打って打ちまくっても
 心が晴れない時など、
 泣きぬれて蟹とたわむれながら聴くCDは、
 マイテ・マルティン以外ない。

 冒頭のむせび泣くブレリアで、
 早くも立ち直りを予感し、
 ラストの夢の通い路のようなブレリアを聴く頃には、
 悪いのは世の中じゃなくて、
 間違えてるのは俺じゃねえの?と
 思えてくるから不思議である。

 すぐにそれとわかる感受性ゆたかな歌声。
 何より響きに潤いがある。
 彼女のカンテは、
 傷つき疲れた感情のヒダの中にそっと分けいり、
 美しい陰影と余韻にあふれた詩を
 しっとりと発散させる。

 深く歌う旋律は、魂を心底からゆさぶる。
 マイテは頭脳ではなく心で考えて、
 それを私たちに伝える。
 それによって私たちがもともと備えている
 魂の動機と機能が急速に回復に向かう、
 という仕組みなのであろうか。
 ぼんやりと耳を傾けてるだけで、
 エネルギーがみなぎってくるのだ。

 天衣無縫な歌いまわしが、
 決して集中力を失わないのも、
 常にしなやかな求心力に貫かれているからだろう。
 こうして、先ほどまで“絶望”と感じられた痛みは、
 その心の傷の中から生まれた“希望”へと
 変貌を遂げてゆくのだ。

 以上が冒頭の問いに対する私のノーガキだ。
 ちなみに私の場合、
 フラメンコをほとんど知らないが、
 ふとそれに興味を持ち始めたやさしく美しい女性に
 こう尋ねられた事は二度や三度どころではなく、
 この26年間、一度としてない。

 「チョーくやしい」マイテ・マルティン.jpg

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 2009年10月04日/その96◇本日放映!堀越画伯の初監督作品

 「こんにちは!
  僕らが山で創った、実にくだらない映画、
  今度BS朝日で流れます。
  10月4日(日)、午後7時から8時の間のどこかです。
  もし映ればよろしく!」
 
 フラメンコ狂日記でもおなじみの堀越千秋画伯から、
 こんなお知らせが入った。
 堀越画伯の初の映画監督作品の放映である。
 爆笑短編集なのだが、監督ご本人もたびたび出演している。

 画伯にいただいたこの名作DVDを、
 すでに私は二度観ている。
 脳裏に焼きついて離れないシーンも三箇所以上ある。
 中でも『フルトヴェングラーの弟子』などは奇跡の傑作!
 やはり天才は、何をやっても天才なのだと思った。

 「実にくだらない映画」と監督本人は謙遜されているが、
 それは云いすぎというもので、
 正確には「もの凄くくだらない映画」と云うべきであろう。 

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 2009年10月05日/その97◇人類の孤独

 ジェーとの散歩コース上にあるご近所の中華屋さん。

他人1.jpg

 “人類の孤独”というテーマに真っ向から対峙する、
 その深遠なるネーミングには好感が持たれる。

他人2.jpg

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 2009年10月06日/その98◇小島章司とハビエル・ラトーレ

 小島章司の「SHOJI KOJIMA FLAMENCO 2009」で、
 構成・振付を担当する、鬼才ハビエル・ラトーレ。
 数年前にやはりコンビを組んだハビエルと小島章司の
 ステージが、抜群の相性を発揮したことは記憶に新しい。
 そして、ここに加わるのが舞台美術を担当する、
 われらが堀越千秋画伯である。

 今日はハビエル・ラトーレのインタビューのちょい見せ。
 「愛を装った度外れた情欲とエゴ、そして際限のない野望」。
 この巨大なテーマにどう立ち向かう?!

javier.jpg

 
 ──KOJIMAの原案「3人のパブロ」に、
 悲喜劇『ラ・セレスティーナ』を加えたのは何故でしょう?

 「KOJIMAはカザルスとネルーダ、
 そしてピカソにオマージュを捧げたがっていました。
 3人とも1973年に他界し、KOJIMAはちょうどスペインで修行中でした。
 4人を結びつける出発点はビジュアル的なものであるべきだと私は考えました。
 つまりピカソです。そこでピカソの画業を調べ始めたところ、
 彼が『ラ・セレスティーナ』に関する一連の版画を制作していたことがわかり、
 年齢と容姿と演技力からしてこれはKOJIMAに打ってつけの役だと思ったんです。
 稽古を重ねるにつれ、自分の選択はまさにぴったりだったと思っています」

DSC_4534.jpg

──今回の作品のポイントを教えてください。

 「物語の中心テーマは愛を装った度外れた情欲とエゴ、そして際限のない野望です。
 『ラ・セレスティーナ』が世界文学の古典であるのも当然で、というのは今日でも、
 世界的なレベルでまたは人生のどんな場面においても、
 これらは人間の葛藤を引き起こす主因だからです」

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 2009年10月07日/その99◇風の夢

 「なにか手伝わせてもらえませんか?」

 創刊時代のある日、
 ドン底パセオを訪ねる深い眼をしたあの娘。
 なぜか私には『マッチ売りの少女』のように見えた。
 二十年以上も昔の話だ。

 当時のパセオでは、
 交通費さえ出せない有り様だったのに、
 OLの彼女は、
 仕事がひけたあとほとんど毎日のように、
 町田から文京区本郷の編集部に通ってきて
 パセオの手伝いをした。

 それからしばらくして単身スペインに渡り、
 かの地にて踏ん張りつづけ、
 やがて志風恭子は、
 スペインと日本のフラメンコを結ぶ架け橋として開花する。
 パセオや一般メディアで執筆者として活躍する一方、
 大物アーティストの来日コーディネーターとして、
 私たちフラメンコファンに、
 数え切れないほどの幸福をもたらし続ける
 フラメンコウーマンとなった。
 現在もスペインにおいて、
 フラメンコの博士号を習得中である。

 志風恭子.jpg

 若い彼女はナマイキだったが、
 見返りを期待する以前に、
 自分の人生をスパッと丸ごと賭けた。
 後出しジャンケンで勝てるほど
 人生やフラメンコは甘くないことを、
 すでに彼女は見抜いていた。
 だから「運命の女神の前髪をつかめ!
 (後ろ髪はないから)」という、
 やたら冒険と忍耐を強いられる必勝法則を
 選択したのだろう。

 口先ばかりで何の実りも残さずに去ってゆく人も
 やたらと多い世界だけに、
 彼女の存在は否応なく際立つ。
 若い人を観るとき、志風のように
 ハラを決めたがゆえの生意気タイプなのか?、
 それとも何のヴィジョンも責任も持たない
 単なる偉がり・目立ちたがりタイプなのか?、
 情けないことに、
 いまだに私はそれらを識別することができない。

 ま、ナマイキなくせに臆病なために、
 逃げ出したくとも腰が抜けちまって
 逃げ出すことさえ出来ず、
 ついつい居残ってしまうというケースもあるからな。
 ………あーそーだよ、おれのことだよ。
 いったん逃げても、また戻って頑張るというケースもあるし、
 この手の予測は案外と難しいものだな。

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 2009年10月09日/その101◇今日という日は

 今日という日は、残り少ない人生の最初の日。

 誰が云ったか知らないが、
 云われてみれば、確かにそうだと頷ける名言だ思う。

 信じられないかもしれないが、
 私のような人生のベテランでも失敗を犯すことはある。
 もちろん、そんなことは滅多にはないのだが、
 そのたびに想い起こすのがこのアフォリズムだ。

 参考までに云えば、私がこの名言を想起するのは、
 通常で毎日3~6回程度である。

 とほほ3.jpg

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年10月②

2010年09月10日 | しゃちょ日記

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 2009年10月10日/その102◇陽のあたる坂道

 休日のある日。
 見知らぬ街を、目的もなくただ歩く。
 歩きたいから歩く。

 そこに坂道を見つけると、
 ついつい惹きつけられてしまうのは、毎度のことだ。
 この坂を昇りきった景色はどんなだろう。
 ささやかな浪漫が芽生える。
 急ぐ旅でもなし、ほのかな期待を胸に、
 眼前の登り坂をゆっくりと踏みしめはじめる。

胸突坂.JPG

 期待できるものはひとつもないかもしれない。
 だが、そんなことはどうでもよろしい。
 登りにかかる瞬間の、
 ときめき感そのものが好ましいのだ。

 このような傾向は、年令的にはすでに坂道を
 転げ堕ちてる私ら世代に多い現象らしいが何か。
        

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 2009年10月11日/その103◇無尽

 毎日更新という、
 当日記の更新頻度を心配してくれる方は多いが、
 私たちのような商売にあっては、
 およそ書くネタには困らない。
 てゆーか私の場合、
 踏んだドジをそのまま書けば一丁あがりだ。

 社内での失敗、
 ギョーカイにおける失敗、
 プライベートな失敗、
 過去の失敗、
 現在進行形の失敗、
 約束された未来の失敗。

 そのヴァリエーションは実に豊富である。
 ……味は一種類 (涙味) だけど。(TT)
 だがしかし、私のマイナス経験というのは、
 こうした駄文を書き連ねる上では、
 むしろ有益な財産となっていることにハタと気付く。

 やったあ、元がとれそーだよ、おっかさん!

 ……って、取れねーよ。
 原稿料が出るでもねえし、
 単なる恥の上塗りじゃねーかよ。

 ネタになりそうな題材は無慮数千件は下らないだろう。
 内容的にも下らないネタばかりだ。

 その内の半分は、
 関わった人たちに多大な迷惑をかけてしまうので、
 とてもじゃないがそれを書くことは出来ない。
 彼らが死んでくれれば少しは書きやすくなるのだが、
 みんな殺しても死なないような連中ばかりなので、
 実現は極めて難しい。

 残りの半分は、
 私という個人に多大な迷惑をかけてしまうので、
 これは失業覚悟でないと発表することは難しいし、
 その後職を得ることも不可能となるだろう。

 まあそれでも、ぎりぎりセーフの題材はあるもので、
 百やそこらはいつでもストックしている状態ではある。
 おまけに、毎日生きるたんびにひとつやふたつ、
 多いときでは一日八つぐらいの失敗を生産してしまうので、
 実際にはネタが減ってくれることなど、
 物理的にはあり得ないのである。
 この生産性の高さは、まんざら捨てたものでもないと思う。

 ま、自分の失敗を自分で笑い、
 ついでに人にも笑ってもらうことで
 トラウマを残さないようにするやり方は、
 私の場合はかなり有効にも思える。

 「自分の不幸が大した不幸でないことがわかった」
 という絶賛メールをいただくこともごく稀にある。
 そんな時は、捨てたもんじゃねーぞ、と自らを励ますが、
 冷静に考えれば、やはり捨てたもんだろう。

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 2009年10月12日/その104◇小さい秋見つけた

 小さい秋見つけた.jpg 
         
  だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  目かくし鬼さん 手のなる方へ
  すましたお耳に かすかにしみた
  呼んでる口笛 もずの声
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

 『小さい秋見つけた』。

 サトウハチローさんの詩に、
 中田喜直さんがメロディをつけたこの名曲が、
 幼い頃からお気に入りだった。
 私の生まれた昭和30年に誕生した曲だ。

 場末のパブでギターを弾いてた頃、
 ラストにルンバで『別れの朝』を
 ガチャガチャやったあとなんかに、
 この曲をギターソロに編曲したものを
 アンコールに弾いたりすると、
 酔客たちに、妙にしみじみ聴いてもらえたことを想い出す。

 大人になってから、ふと歌詞を確認してみると、
 それが実は、妙に難解であることに気づいた。
 上記の1番もそうだが、
 2番の、
 「お部屋は北向き くもりのガラス
  うつろな目の色 とかしたミルク
  わずかなすきから 秋の風」

 また、3番の
 「むかしのむかしの 風見の鳥の
  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
  はぜの葉あかくて 入日色」

 これらも同様だ。
 
 まあ、この歳になれば、その味わいが
 ようよう感じられるようになってくるわけだが、
 カンテフラメンコの象徴的な歌詞まわしに、
 ちょっとだけ似てないこともないなと、
 思ったわけよ。
                       
 秋2.jpg

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 2009年10月13日/その105◇真逆の人

 シフの新譜が出た。
 バッハの“パルティータ全曲”だ。
 24年ぶりの待望の再録音。
 前回はスタジオ録音だったが、今回はライブである。
 だからイキがいい。
 ピンピン跳ねている。
 バロックならではの即興遊びが楽しい。
 まるで釣りたての鯛の刺し身のよう。

 バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンを、
 シフは絶妙に弾き分ける。
 つまり、シギリージャ、アレグリアス、ソレアの
 そのすべてに絶妙なフラメンコ、みたいな逸材。
 そう滅多にゃいない。

シフ.jpg
 [アンドラーシュ・シフ/バッハ:パルティータ全曲]
  ECM/2007年録音
 
 格別に大好きなピアニストというわけではないが、
 そのすべてを超一級の音楽として成立させる名手。
 鯛は刺し身が旨いが、
 塩焼きや酒蒸しでもめちゃ旨いのといっしょかも。
 腐ってさえも褒められるくらいの鯛だけに、
 現役バリバリのシフには大絶賛を贈りたくなる。

 さっ爽としてブレのない疾走感。
 ホットにしてキラメくような感性。
 奥行きある表現の深い内省。
 どれをとっても云うことなしじゃ。

 シフに対する私のように、
 人は、自分と真逆の人に憧れることがある。

 シフも、私のような人に憧れてくれるのだろうか?

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 2009年10月14日/その106◇あの世を知ることだよ

堀越「“フラメンコ力アップ”って、すごい企画だよなあ(笑)」
私 「そうでしょ。最初は『バイレ上達!12の視点』
   っていうタイトルだったの。
   だけど、いきなり堀越さんの顔が浮かんできて、
   『フラメンコ力アップ!12の視点』に
   タイトル変わっちゃったんだよ(笑)。
堀越「なんだそりァ(大笑い)」

 こんな出だしではじまる来年2月号の
 インタビュー記事が仕上がった。
 ゲストは『フラメンコ狂日記』でもおなじみの
 堀越千秋画伯だ。
 パセオ新年号からスタートするしゃちょ対談。
 オールカラー9頁、本音バクハツのガチンコ企画である。

 1回目の『鍵田真由美/心に育てるブレない軸』と、
 3回目の『岡田昌己/感情を歌う、踊り心』は、
 すでにほとんどアップ済み。
 どちらも、私がゆーもの何だが、
 目からウロコの出来栄え。

 で、日記タイトルの『あの世を知ることだよ』は、
 2回目の堀越さんのタイトルとゆーわけ。
 ツボに沿ったフラメンコ画も数枚、
 画伯に描き下ろしていただく予定だ。
 お話の方は例によって、
 フラメンコの真髄に迫るチョー過激な内容。

 率直に申せば、
 社員に内容を回覧するのが、
 ちょと、こ、コワいあるぞ(汗)

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 2009年10月16日/その108◇魔術師と踊る石井智子

 今週火曜・日経ホール、平富恵さんのリサイタル。
 以前観た時よりも、ふた回りぐらい成長されていて
 おお、これが同一人物かいっと、ちょっとビックリした。
 シャープに美しいタラントが、格別に印象深い。

 その開演前のロビーで、石井智子(写真)さんとばったり。
 ディエゴ・カラスコを成田に出迎えたばかりだと云う。
 そう、昨日ご紹介した大物中のチョー大物、
 あの“コンパスの魔術師”である。
 その待ちに待った初来日なのだ。
 きのうスペインの志風恭子も云ってたけど、
 ちょっと無理してでも観る価値は充分にあるからね。

 石井智子2.jpg

 そのリサイタルを目前にした智子さんと、
 つい今いしがた電話でお話ししたので、
 ついでに、日刊パセオ読者へコメントをいただいた。
 
 「ディエゴ・カラスコのフラメンコには、
 心臓を鷲づかみにされて、細胞が破裂しそうになります。
 共演なんて、怖いし、不安だし、とても畏れ多い。
 だから半年悩みました。
 でも今は、生涯に一度のチャンスだと、開き直りました。
 ほんとに夢みたいっ!
 堀越画伯にも『ケツまくってやれやっ!』って激励されました。
 ディエゴとのヌメロはアレグリアスです。
 このチャンスを思い切り楽しむことことで、
 新しい自分に生まれかわりたいです」
 
 なんかいつもに増して、
 明るくハツラツとしたアイレの電話コメント。
 智子さんは午後の合わせの時に、
 マエストロ・ディエゴ(↓)のコメントを
 送ってくださるというので、それは後ほどアップ!

 ディエゴ.jpg

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 2009年10月17日/その109◇ブランデンブルク協奏曲

IMG_0071.JPG
             
 朝もはよからブランデングルク協奏曲を聴く。

 宇宙人との交信用にと、アメリカのNSAが選んだ
 人類屈指のバッハの名曲である。
 全部で六曲あるが、
 私の好みは三番、五番、二番、六番、四番、一番の順だ。
 その二枚組のディスクは、
 めしを抜いて買いまくったレコード盤時代を含めれば
 100種類ぐらいは集めたと思う。

 チョーお気に入りの三番は、
 弦楽奏者九名(とチェバロ)のための
 シンプルでさっそうとしたアンサンブルだ。
 ジャンルは何でもいいから、
 優れたダンサー九名に各弦楽パートを振り付け、
 コンチェルト的群舞をやったら、
 相当いい線行くのではなかろうかと思う。

 パセオが百万部売れたあかつきには、
 是非この企画を、
 フラメンコダンサー(低音部は男性舞踊手)で実現させたい。
 第一楽章はエレガントにしかし推進力をもって、
 第二楽章はシレンシオ風に、
 第三楽章はシャープなサパテアードで、
 華やかに盛り上げたい。
 弦楽のトップパートを踊ってもらうのは、
 もちろんマリア・パヘスだ。

 マリア・パヘス/美と知性のスーパーバイレ.jpg

 もう三十年以上も前に、
 ギター仲間九名でこのブランデンブルク第三番に
 チャレンジしたことがある。
 謙虚な私は最も目立たない(しかも誰でも弾ける)
 ヴィオラの3rdパートを担当したが、
 その音の大きさとミスの多さで
 最も目立っていたことは云うまでもない。
 てゆーか、云わなきゃよかった。

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年10月③

2010年09月10日 | しゃちょ日記

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 2009年10月19日/その111◇宇宙なアート

 NASAが選んだ宇宙人との交信用メッセージは、
 バッハの『ブランデンブルグ協奏曲』。
 数日前の日記にこんなことを書いたら、
 ウェブ友みゅしゃから、こんなコメントをいただいた。

 「コンテンポラリーバレエで、
 バッハの曲を使った作品を観たことがあります。
 時代を隔てているのに、
 決して意外な取り合わせではなく、
 しっくり合っているのです。
 どんな料理をしても、
 魅力を保ったままニュートラルに反応できる
 普遍性があるのは凄いですよね。
 私も久しぶりに聴いてみて、
 外へと開けている音楽だから、
 すっと浸透して来て無心で聴けるのだなあと、
 なんとなく実感しました。
 宇宙人の心にも届くことでしょう」

 このコメントに反応した私は、遠い青春を思い出す。
 私が高校生だった頃の、
 鬼才・高橋悠治さんのライブトークだ。
 読響バックに、出始めたばかりのシンセサイザーで、
 バッハのチェンバロ協奏曲を弾かれたあと、
 巨匠ユウジはこんなことを語っておられた。

 「バッハはどう加工しようと生命力が残る。
 でも、モーツァルトやベートーヴェンは、
 そのままやるしかない。
 だから僕は、バッハだけが未来に残ると思う」

 みゅしゃの指摘は、まさしく私のドツボだった。
 継承パターンは異なるのだけれど、
 バッハとフラメンコの共通項は、
 まさしくそこにあると私は思う。
 だからバッハ好きは、やがてフラメンコを発見し、
 フラメンコ好きは、
 やがてバッハを発見するのだと思う。

 月とスッポン.jpg

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 2009年10月21日/その113◇エバの奇跡

 eba.jpg
            
 10月20日(火)『Santo y Seña(サント・イ・セーニャ)』
 10月21日(水)『Yerbabuena (ジェルバブエナ)』
 渋谷・Bunkamura オーチャードホール
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 10月20日のオーチャード初日。
 生エバ・ジェルバブエナを観るのは、今回およそ十回目。
 そこで私は、最良のエバを見た。★★★★★

 揺るぎのない内省から生まれるであろう、
 極めて自然なのに、毅然たる意志を貫く求心性。

 シンプルにして無限なる深遠。
 静と動の最善のバランス。
 時代や地域性を超越する好ましさ。
 生きとし生きることのポテンシャル。

 それらが、毎日をチャラチャラ生きる私のような者を
 ふと立ち止まらせ、
 何かを考えさせるキッカケをつくる。
 
 もっと考えて!
 もっと想って!
 そして、それを伝えて!

 心から心へ。
 そんなメッセージを、しかと私は受け止めた。
          
 終演後、駆け足でロビーのパセオ・ブースへ戻る。
 心の整理はさておき、エバ・グッズ販売の助っ人が急務だ。

 「エバのDVD、CD、
  パセオのエバ特集号はいかがですかあ!」

 声をからしながら、これを百回は叫んだと思うが、
 呼び込みのおっさんをやっていて、
 これほどまでにうれしかったことは、一度たりともない。
           

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 2009年10月22日/その114◇忘れえぬソレア~森田志保

 森田志保フラメンコ公演「はな6」
 2009年10/20日~21日 吉祥寺シアター

morita1.jpg

 森田志保が最後に踊ったソレアを、
 おそらく私は生涯忘れない。
 森田の国籍、性別、年齢、思想などが、
 未熟な私には視えなかったが、
 それはまさしくプーロ・フラメンコの真髄だった。
 他と比べることが無意味であるほどに、
 絶対的な名演だった。

 「癒しの巨人」。
 ずいぶん前から森田志保は、
 私の中でそうイメージされている。
 極めて高純度なテンションを持続する『はな』は、
 とても不思議なカタルシス空間だ。
 モデルノでシュールなファンタジーなのに、
 まるでプーロ(純粋)なのである。

 開演前、いただいた招待状にあった森田志保の、
 その短いメッセージを幾度も幾度も読み返した。
 言葉少なく真摯に語る彼女は、
 必ずそれを実現する人だから。
 
「月日を重ねるごとに、
 フラメンコを踊ることと日々を生きることが
 近づいていく気がします。
 『はな』に取り組んでいるときは、
 素直に自分に向き合っている時間です」

「今回も心に描く様々なイメージや場面を、
 フラメンコを通じて、そして、
 自分にとってのフラメンコというものを異なる形で、
 自分の言葉で語れる作品にしたいと思います」
 
 そして彼女は、今回もまた予測通り、
 このおとなしい文面からのイメージを絶するような
 超ショッキングなステージで、
 私たち観客すべての心を鷲づかみにした。

 ご覧になれなかった人たちに伝えたいことが山ほどある。
 だが一夜あけても、
 その強烈なインプットは飽和状態のままであり、
 ……言葉にならない。
 喜怒哀楽の詩情で、観る者を癒すこの巨大なアートを、
 いったい私はどう語りたいのだろう。
 楽しくも巨大な宿題が残った。

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 2009年10月23日/その115◇徘徊おぢさん

 朝早くに家を飛び出し、
 東京の街々を歩きまわる。
 夕暮れが迫ると、
 良さ気な呑み屋にアタリをつけた上で、
 近くの銭湯に飛び込む。
 さっぱりしたところで、
 先ほど見つけた呑み屋で、独りゆるりと呑む。
 で、いい気分になったところで、車を拾ってご帰還。
    
 「春の徘徊師」赤ちょうちん1.JPG
  
 来る日も来る日も、できるだけたくさんの人たちと
 お会いするのがメイン業務だったころ、
 たまの休日をこんなパターンで過ごした時期がある。
 誰とも話をせずに、かつ、
 できるだけ非生産的な時を過ごしたかったのだろう。
 トータルで十回もやってないはずだが、
 そんなことを懐かしく思い出した。

 久しぶりにやってみっかと思いつき、ある日曜日、
 家に持ち帰った山積みの仕事にシカトをくれて、
 朝もはよから大江戸ウォーカーを決め込んだ。
 地図も持たずに、見知らぬ街をひたすら徘徊するのだ。

 中井あたり.JPG

 落語やフラメンコやバッハなどで、
 ドタマをリフレッシュしつつ、
 午前中は絶好調のルンルン歩きだったのだが、
 がつがつ食った山盛りの昼飯がいけなかった。
 身体が重くて、歩くのさえかったるい。
 午後3時あたりで早くもリタイヤである。
 結局、中途はんぱなまんま、
 最寄りの駅から電車で帰ってきちゃったよ。

 ところで、その散歩の最中、二度も道を尋ねられた。
 こっちはリュックにヘッドフォンの、
 水準以下のヨレヨレおやぢである。
 しかも、桂枝雀の落語に爆笑したり、
 カマロンになりきったり(たぶん声も出てる)、
 グレン・グールドと一緒に唸りながらフランス組曲を
 弾いてるつもりの怪しいおっさんなのだ。
 どう見たって不気味だよな。
 オレだったら絶対避けて通りたい風体だもんね。
 だがしかし、人は見かけによらないものである。
 見た目ほどには、私の中身は悪くないはずだ。
 彼らは、そんな私の本質を、
 瞬時に見抜いたに違いない。

 人様のお役に立てることは、とても楽しいことだ。
 道を聞きたげに、相手が私に話しかけてるようなので、
 おもむろにヘッドフォンを外す。
 そして、相手のお尋ねに対し、
 満々たる自信とともに、こう私は答えた。

 「あ、ごめんね。
  オレも今、どこ歩いてるかわかんねーの」

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 2009年10月24日/その117◇集中力

 いま、まさに秋の公演ラッシュ。
 強烈ライブが目白押しで、今週は水木金の三連荘。
 今日からあさってまで公演がないので、
 このスキにがんがん仕事を片づける。

 とは云っても、
 若い頃は毎日16時間は集中できた仕事が、
 近ごろは12時間あたりが限界。
             
 朝7時に始めれば、夜7時には目がしょぼしょぼして、
 集中力もガタンと落ちる。

 集中力抜群の時も、そうでない時も、
 ほとんど速度もクオリティも変わらないことが、
 不幸中の幸いである。
 とほほ3.jpg

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 2009年10月25日/その118◇入交恒子のフラメンコ舞踊三十周年

入交.jpg

 入交恒子30周年記念公演/アンダルシアの月
 2009年10月24日 草月ホール

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 「何て美しい人なんだろう」

 取材先の小島章司スタジオで見かけた、
 その舞踊団の看板バイラオーラこそが、
 若き日の入交恒子だった。
 およそ25年前の話である。

 その後の彼女は、日本とスペインにおいて、
 着実にキャリアを積み重ねながら、
 平成18年度、19年度の文化庁芸術祭で
 優秀賞を連続受賞する。

 過去10回にわたるリサイタル・シリーズ
 『CONCIERT FLAMENCO』は、毎回驚きにあふれた
 チャレンジとクオリティに充ち満ちており、
 そのほとんどすべてを、私は脳裏に焼きつけている。

 細身を活かしたシャープな動き。
 潤いある情感に充ちた上体の美しさ。
 全身から発散されるエレガンシア。
 毎回ハッとさせてくれる衣裳センス。
 舞台アートとしての安定性・遠達性も申し分ない。
 そして何より、リサイタル終盤で加速される
 あのムイ・フラメンコな完全燃焼が、観衆を熱狂させるのだ。

 私よりかなり年下の入交だが、
 その彼女の「フラメンコを始めてから30周年」を
 記念する『CONCIERT FLAMENCO vol.11/
 アンダルシアの月』を、昨晩観ることができた。

 いつまでも若手スターだと思っていた入交が、
 すでにフラメンコ舞踊生活30周年、である。
 よくぞここまで頑張ってきたよなあ。
 ブレのない入交恒子のその美しいバイレに、
 連夜の寝不足もなんのそので、食らいつくように私は観入った。

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 2009年10月26日/その119◇ファイト一発!

 「あなた変わりはないですか♪~」

 みたいなメロディで始まる、
 フレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第一番。

 これぞエスプリ! みたいなフランソワ、
 濃厚なロマンティシズムの極致たるツィマーマン、
 霊感と生命力に充ち満ちたアルゲリッチなど、
 人気の名盤もよく聴いたが、
 近ごろはグリゴリー・ソコロフで聴くことが多い。
 ちなみに、都はるみはこの曲を録音してない。

 ソコロフのショパコンの最大の注目点は、
 平均化が進む世の中では減少の一途をたどる
 “グランド・マナー”を聴けることだ。
 即ちそれは、非常な大きさを感じさせるオーラのことで、
 無理やりフラメンコで例えるなら、
 あのマティルデ・コラルの大きなグラシアを、
 私などは想い浮かべる。

 小さい秋見つけた.jpg

 人生をクールに諦観しながらも、
 「それでも人生はこんなにも美しい」と、彼は語りかける。
 淡々と、しかし、しっかりとした言葉で、
 ピアニスティックの美極を通して、それを私たちに伝達する。

 右手の単音で弾かれるメロディの美しさにイチコロとなるが、
 実はそれを伴奏する左手のツッコミやボケの多彩な表情が、
 その美しい歌心を永続させる、
 大きな要因であるような気もする。

 平坦に美しいものには、やがて飽きが来る。
 だからと云って、美は乱調にこそあり、とも限らない。
 ソコロフの際どいバランスはそのダークゾーンにある。

 このような絶対美を感じさせるアートに触れる時、
 それと自分自身との絶望的な距離感を感じる。
 だが、これを“ふっ切れ感”と開き直ることで、
 むしろ、サバサバ生きられるような、
 別次元のファイトさえ湧いてくるようだ。
 って、どんだけ明るい負け惜しみなのかとも思うが、
 こんなのもアートのひとつの効用なのだろう。

 落葉のジェー.jpg
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 2009年10月27日/その120◇成分解析

 「当たっちゃってるよー、ほら、きゃっはっは」
 例によってヘベレケで帰宅した私に、
 一枚のペラ紙を差し出しながら、連れ合いがこう云う。
 そこには、こんな内容がプリントされていた。

 【成分解析 on WEB】
 小山雄二の成分を解析する 小山雄二の解析結果
 ◇小山雄二の70%は度胸で出来ています
 ◇小山雄二の10%はアルコールで出来ています
 ◇小山雄二の8%は気の迷いで出来ています
 ◇小山雄二の7%は濃硫酸で出来ています
 ◇小山雄二の5%はお菓子で出来ています

 うわっ、なんじゃコリゃー。
 当たっちゃってるよって……どこがだよ。
 オレはこんなんじゃねーよ。
 と、自分なりに冷静に成分解析をしてみることに。

 【本人による小山雄二の解析結果】
 ◇小山雄二の70%は気の弱さと気の迷いで出来てます
 ◇小山雄二の10%は美しいヴィジョンで出来てます
 ◇小山雄二の8%はフラメンコの普及発展で出来てます
 ◇小山雄二の7%はエッチな妄想で出来ています
 ◇小山雄二の5%はアルコールと濃硫酸で
   コンガリ焼いたお菓子で出来ています

 うっ。
 まだしもコンピューター解析の方がましだった。
         とほほ3.jpg

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年10月④

2010年09月10日 | しゃちょ日記

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 2009年10月28日/その121◇想い出の街

御茶ノ水.jpg
安藤広重/名所江戸百景より
『昌平橋 聖堂 神田川』(1857年)

 御茶の水1.JPG
[その150年後のほぼ同じ場所あたり]

 
 江戸の昔から、文人墨客にその風雅を愛された
 ここ“御茶ノ水”界隈。
 凉しげに崖下を流れるは神田川。
 つまり、ザブンと飛び込み、
 上流めがけて一心不乱に泳ぎまくれば、
 高田馬場パセオにはほんの90分足らずで
 到着するわけだが、あいにくまだやったことはないし、
 そんな奴おんのか?

御茶の水(1).JPG

 御茶ノ水橋から眺める聖橋(ひじりばし)は、
 東京屈指の名景だと思う。
 御茶ノ水という街が昔から好きだった。
 中学時代は書店街をねり歩き、
 高校・大学時代は駅前の名曲喫茶“ウィーン”を
 根城に楽譜やレコードを漁りまくった。
 自らの運命を決定づけた、
 当時日本ではまったく無名のパコ・デ・ルシアの
 レコードを掘り出したのも、この街だった。

 つーことで、これをお読みのあなた。
 そういう“自分だけの想い出の街”って、ありまへん?

 パコ・デ・ルシア/霊感.jpg
 [パコ・デ・ルシア/霊感]polygram iberia/1971年

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 2009年10月29日/その122◇desnudo/愛と犠牲

 
 desnudo 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコライブ
 vol.4 「愛と犠牲」~FLAMENCO MEETS JAZZ
 2009年10月28日~29日 代々木上原・MUSICASA

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 締切仕事を猛チャージでやっつけ、
 自宅に戻ってひとっ風呂浴びてから
 スープの冷めない距離にある、
 わが街・代々木上原のデスヌード会場に駆けつける。
 私が観たのは、初日の遅番。

 客席にはすでに、昨日、国家から文化功労者に顕彰された
 小島章司さんの姿が。
 お、おめでとうございます。
 前回出演のデスヌードのラストで
 奇跡を舞った巨人である。
 開演を待ちながら、
 あれこれお話しさせていただいたのだが、
 フラメンコ界全体のためにも、
 大きな一歩となるこたびの受賞だった。

 デスヌード3.jpg

 そして、『desunudo4/愛と犠牲』。

 毎回私の乏しい想像力を裏切り、
 突き抜けるような霊感に充ちたステージを
 展開するこのシリーズも、
 すでに4回目を迎えている。

 バイラオールとしての佐藤浩希は、
 年々力強さを増している。
 確固たる意志と強靭なテクニックのリンクには、
 まったく危なげがない。
 だから、そのインスピレーションに
 私たちは集中できるのだ。
 今回のステージに強く感じたのは、
 彼だけに可能な強烈なリーダーシップだ。
 そして、躊躇なく云えば、
 その光源はおそらく「愛」なのだと思う。
  
 一方、今回の鍵田真由美は、
 バイラオーラというより、舞踏家だった。
 佐藤浩希の方向性とも明らかに異質だ。
 この数年、彼女の踊りは、
 観るたびに透明感を増しつつある。
 超絶技巧を踊っても、
 彼女は終始淡々とステージを生きていた。
 それが何かはわからないが、
 鍵田真由美は、
 何か明確なヴィジョンをつかんだのではないか。
 制御された喜怒哀楽の奥には、
 大きな光源が見え隠れしていた。 

 全体に“どフラメンコ”からは遠いステージだったし、
 ラストの『愛と犠牲』の物語的な筋書きは、
 私にはわからない。
 鈍い私には、彼らの心の内側を観ること、
 聴くことだけで精一杯だから。
 だが、私の心は号泣していた。
 
 主演者全員の個の自由がどこまでも尊重され、
 驚くべきことにそこには、
 相互の信頼に充ちた美しい連携が生じていた。
 沈黙と叫び。
 制御と爆発。
 祈りと行動。
 主張と協調。 
 それらコントラストから生まれる、
 大いなるカタルシス。

 ライブ終盤にかけて、
 出演者同士の心のつながりが、はっきり視える。
 そして、その好ましいアイレは客席へと波紋してゆく。
 人と人との、心と心がつながる。

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 2009年10月30日/その123◇石井智子公演/エル・コンパス

 石井智子.jpg
 石井智子フラメンコ公演『EL COMPAS(エル・コンパス)』
  ~スペインの鬼才ディエゴ・カラスコと織り成す鼓動~
 2009年10月29日(木)19時・新宿文化センター大ホール
 
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 どか~ん!!!

 世の不景気を吹き飛ばすような、
 ノリノリに盛り上がった白熱ライブだった。
 まさか、ここまでやってくれるとは!

 初来日したスペイン・フラメンコ界の超大物、
 コンパスの魔術師、ディエゴ・カラスコが、
 唄って、踊って、ギターを弾いて、
 その黒光りするフラメンコの真髄を魅せに魅せた。

 バタ・デ・コーラで踊る石井智子と、
 すぐ横で唄うディエゴとの掛け合いが、
 この日最大のハイライト・シーン。
 エレガンシア。
 華のある美しい表現には、すでに定評のある石井智子。
 ディエゴとの生セッションによって、
 彼女のその大きなポテンシャルが引き出される刹那、
 思わず客席は息を呑んだ。
 石井智子は、華のある美人舞踊家というカテゴリーを大きく飛び超え、
 “フラメンコの粋”そのものと化したのだ。
 そう。私たちは石井智子のこんな瞬間を
 永らく渇望していたのだった。
 この時点で彼女は、
 当公演が孕む様々なリスクを、
 すべてサクセスに変えた。

 沸きに沸いた満員の客席には、
 まるでフラメンコの同窓会のように
 おなじみのアーティストの顔がたくさん見えた。
 「凄いねっ!」「そーだろっ!」
 前から5列目の真ん中で観ていた私と、
 おとなり堀越千秋画伯は、そう笑い合った。
 さらに画伯は、
 「デュオ、素晴らし! あんなのないぜ。世界フラメンコ史に残るよ」
 と評したのだった。

 終わりのないフラメンコ道だが、
 石井智子にとってのこのステージは、
 その大いなる飛躍のための、
 最大の契機だったと確信できる。
 同時にディエゴとの邂逅は、
 その場に立ち会えたあらゆる人々に、
 深く豊かな余韻を残す、
 幸福な一夜をもたらしたのである。
                 

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 2009年10月31日/その124◇永遠なるジョン

ジョン.jpg

 ジョン・ウィリアムス ギター・リサイタル
 2009年10月30日~31日 すみだトリフォニー

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 ジョン・ウィリアムス。
 クラシックの音楽畑で、
 かつてギター界のプリンスと称されたジョンも、
 気がつけば68歳。
 いまや押しも押されぬキング・オブ・ギターである。
 云ってみれば、クラシック界のパコ・デ・ルシアなのだ。

 レコードでは40年、ライブでは30年ほど親しんでいる。
  だから時々、ジョンの演奏がもの凄く恋しくなったりする。
 学生時代に、それこそレコードが擦り切れるほどに、
 端正なジョンの『アルハムブラ』を聴いた。

 「アルハンブラだけ、マトモじゃん」。
 俺がオレがと独りよがりに弾く、アクだらけの私のギターだったが、
 唯一そう褒められたのも、
 ジョンのしなやかで自然な演奏の恩恵だ。

 そんなこんなで、万難を排し30日のライブに出掛けた。
 会場ロビーで懐かしい音楽・ギター関係者たちとの挨拶に追われていたら、
 プログラムを確認するヒマがなくなった。

 そして、ジョン。
 余計なことは何にもやらない。
 持ち前の超絶技巧をひけらかすこともなく、
 淡々と、力まず、端正に、その深い想いを、
 自らの音楽にしっとり反映させる。
 決してブレなることのない、
 まるで仲秋の名月のような風格。

 ファンタスティック!
 そう、いつものように、
 ジョン・ウィリアムスは文句なしに、
 ほんとうに素晴らしかった。

 先週涙ちょちょ切れたエバ・ジェルバブエナと、
 いろんな意味で共通項を見い出せるステージだった。
 何につけてもマニアックな趣味に走りがちな私なのだが、
  近年はいわゆる本格派が、しきりと懐かしい。
 それはきっと、己の欠損を埋めようとする代償行為だ。
 今さら砂漠に手水を打つような自分を、
 それでも笑いながら応援するとするか。
                                    

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年9月①

2010年09月09日 | しゃちょ日記

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 2009年09月01日/その63◇人類の最終兵器

 この夏のフラメンコ新人公演の二日目。
 パセオ本誌でもおなじみの堀越千秋画伯(&カンタオール)と、
 会場近くの中野駅前で昼メシを食った。

 そのおり三時間ばかり、いろんな話をした。
 パセオ新年号から担当する私の連載枠にゲスト出演してねという話とか、
 再来年2011年は1年間連続で画伯の描く
 スペインの新旧トップアーティスト12名で行こうよという話とか、、
 あっ、堀越さんのデザインでフラメンコTシャツ創ろうよ、という話などなど。

 ふと思いついて、「ねえ、日刊パセオで日記書いてみない?
 ノーギャラなんだけどさ」と私が云うと、
 「ああ、気が向いたらな」と、画伯は応えた。
 チョー多忙な画伯に思いつきでナニお願いしてんだオレと反省していたのだが、
 月曜には早くもその第二回目のアップである。
 日記原稿については、画伯が携帯メールで私のPCに送信し、
 それを私が翻訳(全部ひら仮名なのをテキトーにカタカナや漢字にするだけだけど)
 してアップするという、他にはあまり類をみない最新システムを採用している。
 その最新日記のお題は「選挙と阿波踊り」。
 ま、とりあえず、おもろいから読んでみ

 さてその数日後、画伯とデスヌード(小島章司&佐藤浩希ほか)の
 ライブ会場でバッタリ遭遇し、堀越千秋演出・監督という貴重なDVDを頂戴した。
 親しい役者さんの自費版のプロモーション映像だという。
 この日曜日にじっくり拝見させていただいたのだが、
 それは全編抱腹絶倒の知性あふれるお笑い短編集DVDだった。
 ときおり、肝心なボケどころで監督自身も特別出演している。
 中でも『フルトヴェングラーの弟子』というチョー傑作にはハラから笑ろた。

 アートや人生の歓びやほろ苦さを格調高く謳う、
 画伯の文章にあふれるあのユーモアの正体をその映像に垣間見た。
 笑いに対する画伯の執着と創造意欲は、
 私の想像をはるかに超えていたのである。
 何をやらしても超一流な画伯を、一銭にならぬことでも、
 そこまでのめり込ませる「笑い」という名の人類の最終兵器。
 何をやらしても三流どころの私が、
 同じくそれにのめり込むのも無理はないやなと、改めて思った。

堀越千秋.jpg
         堀越千秋 Official Website はこちら

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 2009年09月02日/その64◇にわか雨とカンテ・ボニート

 ある日曜の昼下がり。
 せっせと家で仕事をかたづけていたら、
 ふとバッハの無伴奏チェロが恋しくなって、
 ならば散歩しながら聴こうじゃねーのとサボりを決め、
 いそいそ家を飛び出す。

 アップダウンの多い上原から、
 西原、幡ヶ谷、笹塚あたりをブラついていたら、
 にわか雨にやられた。
 傘がない。
 行かなーくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ~♪ と、
 条件反射で陽水を歌ってしまう私はまだまだ青い。
 折りよく見つけた昔ながらの喫茶店に飛び込む。

 一服つけながら、
 あらかじめガムシロップが入っているかもしれない、
 昭和的アイス珈琲を待つ。
 すると、奥のカウンター付近で、
 ご近所仲間らしい70歳前後のおっさん5、6名が、
 競馬やら野球やらをネタに、
 何やらワイワイ楽しそうにおしゃべりしている。
 ペペ・マルチェーナのカンテ・ボニートが聞こえてきそうな、
 さすがの年輪を感じさせる、
 洗練されたゆる~いユーモアと深いペーソス。

 う~む、悪くないなあ、この感じ。
 誰もが避けることのできない“老齢”に対する親近感が、
 さくっと芽生えたりもするのはこんな瞬間である。
 うんと若い連中もたくさん出入りするご近所の呑み屋で、
 私ら世代もこんな風に楽しげにやれているだろうか、
 それなりに良さげなアイレを発しているだろうかと、
 あわてて自分の胸に手をあててみる。
               
 軒を出て犬.jpg

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 2009年09月03日/その65◇勝負はこれから

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 [パセオ1984年11月号]

 調べもので創刊当初のパセオをぱらぱらやってたら、
 10月に女王マヌエラ・カラスコ、
 11月にはギターのビクトル・モンヘ・セラニート
 (パコ、サンルーカルと共にビッグスリーと呼ばれた)の来日公演がある。

 邦人では、岡田昌巳、倉橋富子、田中美穂、小島章司ら
 豪華メンバーによるソロリサイタルが目白押しだ。
 渋谷ジァンジァンの名物だった懐かしの
 ペペ・イ・ペピータ“アンダルシアの閃光”もあるし、
 飯ヶ谷守康、鈴木英夫、三澤勝弘という
 当時のフラメンコギター三羽烏によるジョイント公演(私の主催)もある。

 新宿エル・フラメンコの出演者は、何とあのファミリア・フェンルナンデスである。
 カンテのクーロ親父、同じくカンテのエスペランサ(19歳!)、
 ギターのぺぺ(18歳)、バイレのホセリート(16歳)、
 それとコンチャ・バルガス(!)など、
 今じゃ集めるだけでも大変なモノ凄えメンバーだよ。

 第一回東京スペイン映画祭(東急名画座/1984年11月16日~30日)では、
 日本でも話題になったビクトル・エリセ監督『エル・スール』など、
 トータル10作品が上映されている。
 中でも上映回数が一番多かったのは、われらがアントニオ・ガデスと
 クリスティーナ・オヨス主演による『血の婚礼』(カルロス・サウラ監督)だった。

 日本のフラメンコ人口が、
 現在の数パーセントに過ぎなかった25年前のお話で、当時私は29歳。
 世の中にもっともっとフラメンコをアピールしなくちゃと、
 若さだけを武器にシャカリキに奔走していた頃だが、こうして振り返ると、
 それなりに豊かな環境がすでに存在していたことに驚かされる。

 幸い踊る人口はドカンと増えたが、
 フラメンコの未来創りをリードするアーティストを縁の下から支えるファン層が
 あまり育っていない現状に改めて愕然とする。
 つまり、普及発展のためのトータル・バランスは、あんまりよろしくない。
 なにやってんだパセオ。なにやってんだオレ。

 「まだまだ、これからがほんとうの勝負じゃあ」
 とりあえず、そう明るく叫んでみる。

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 2009年09月04日/その66◇自由のワナ

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 [パセオ1985年1月号]
              
 きのうに続き、むかし話。
 1984年11月に行なわれた
 "スペイン映画祭"の開催に先立っての記者会見。
 日本でも大ヒットした映画『カルメン』のカルロス・サウラ監督ほか
 全六名からなる、スペインを代表する映画監督が来日したのだ。
 にもかかわらず、記者の方は私を含めても
 大監督ご一行と同じくらいの人数しかおらんではないか。
 がび~ん。こ、これは、いか~ん!
                    
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 あわてて私も質問を飛ばしまくることになったわけだが、
 監督たちを盛り上げるツッコミができなかったことが、
 今さらながら悔やまれる。
 当時から私はボケ専だったのだ。

 さてその折、私のとなりの鋭そうな記者さんと、
 もの静かで奥行きが深そうなインテリ紳士、
 フアン・アントニオ・バルデム監督による以下のやりとりは、
 25年の歳月を経て、いまも私の脳裏に深く鋭く焼きついて離れない。
 なお、バルデム監督(享年80歳で2002年他界)はフランコ独裁制の下、
 社会派の映画を数々発表し、ルイス・ブニュエルと共に
 スペイン映画界の一時代を形成した名監督である。

――――フランコ体制の時代とそれ以降では、
     映画制作についてはどうような変化がありましたか?
 「フランコという独裁者が死んだことによって、
 スペイン全体に民主的自由がもたらされました。
  特にわれわれ映画人にとっては、
 「表現の自由」というところまで具体化したわけです。
 現象的には、われわれは以前は保安警察や検閲の網をくぐり抜けつつ、
 自分たちの主張を表現してきたわけですが、
 自由化以降はそうしたことをしなくとも
 自由に映画を作れるようになったわけです。
 しかしながら、私個人としては、
 「フランコに敵対していた時の方がより良く生きていた」
 という感想を持っています。
 つまり、フランコ時代には法律や圧力に抵抗しつつ、
 スペインの現実に対し批判の目を育てつつ、
 これを展開してゆくことが出来ましたが、
 自由になってから、われわれ映画人たちが
 批判の目を失いつつあるという現状があるからです。
 われわれは今ここで、
 新しい方法を作り出さねばならない時期にきていると思います。」

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 2009年09月05日/その67◇やれば出来るさ

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 [パセオ/1985年10月号]

 年寄りのむかし話シリーズ第三弾。
 この号の特集は「第一回清里スペイン音楽祭」。
 1985年8月23日~25日の三日間。
 濱田滋郎師匠、慶子夫人、吾愛さんご一家主催による、
 あの伝説の“清里スペイン音楽祭”の
 その記念すべき第一回目。

 そのレポートを担当したのは私だが、
 まるで現在の私の魂が憑依したかのような
 悲惨な出来映えである。
 それにしても、フラメンコもクラシックも一流どころが集結して、
 めっちゃめちゃ楽しいお祭りだったよなあ。

 さて、そんな天国・清里から戻ると、
 「実家がもらい火事でやられた」との急報。
 すわっと駆けつければ、幸い家族は全員無事で、
 私のお宝LPレコード数千枚は全焼。
 へこむ家族の面倒、火元との賠償交渉、日常業務、
 招聘したドイツ人クラシックギタリストのプロモートと世話。
 通訳予定の先代女房は過労で倒れ、
 喋れぬ英語で切り盛りするが、
 パセオの締切は無情に迫る。

 毎日二、三時間の睡眠で地獄の2週間を乗り切り
 「やれば出来る」ということを生まれて初めて知った。
 「便所まで丸焼けで、もーヤケクソっ」という渾身のギャグが、
 至るところで不評を買ったことのみが無念じゃあ。

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 2009年09月06日/その68◇日曜日はカマロン

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 [カマロン/カジェ・レアル]POLYGRAM 1983年

 どーです、このカッチョええジャケットは!
 グッドデザイン賞もんだよ。

 でも中身は、もっともっと凄い。
 日曜朝は『カジェ・レアル』でなければ始まらない。
 数千はあるフラメンコCDの中でも、
 フィジカルな快感度はいちばんかもっ!

 オープニングからいきなり、
 カマロンは気合いの入りまくりで、
 あおりにあおる豪華バック陣(パコ・デ・ルシアやトマティート)の
 パッションを全身に受けとめ、
 胸のすくような疾走感でラストまでを歌いぬく。

 ドラマティックな高揚感を伴うシャガレた美声と、
 原野を駆けぬける豹のように敏捷で力強いリズム感は、
 メンバーたちに即フィードバックされ、
 互いに相討ち覚悟で鋭く踏みこむ。

 うねりながら躍動するアンサンブル、
 スタイリッシュで野性的な超絶技巧、
 命のよろこびが弾けるコンパス。
 それらが渦巻き合いながら高めあう灼熱のスパークは、
 人々の魂に、好ましい刺激をたたき込む。

 カマロンは、
 日々の生活の中に“祭り”のインスピレーションが
 充満していることを熟知していて、
 それをサックリ切りとり、
 私たちの心に響かせることを楽しんでいるかのようだ。

 ひとり引きこもる不毛や、
 周囲に当たり散らすヒステリックな不毛の狭間に、
 人間のポテンシャルの頂点を探り当てたセンスには、
 今さらながら息を呑む。
 その視点からは、人生の仕組みや幸福の本質が、
 さっくり見えているのにちがいない。

 それにしてもこの音楽の新鮮さはどうだ。
 26年も前の録音なのに、
 まるでさっき出来上がったばかりみたいに、
 ピチピチ跳ねてイキがいい。
 かくして輝ける日曜日は幕をあけ、
 私たち聴き手も、それぞれの祭りに没入するのだ。

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 2009年09月07日/その69◇帰り道は遠かった

 まるで仏さまのようなお人柄なのに、
 当時から音楽界の神さま的存在だった
 濱田滋郎先生のお宅に、はじめてお邪魔した時のことを
 昨日のことのように想い出す。
 当時の私は20代半ばだったから、
 それからすでに三十年の歳月が流れている。
 音楽プロモーターの駆け出しだった私は、
 主催するコンサートのプログラム解説をお願いに、
 いくぶん緊張しながら小田急線・柿生にある濱田邸に赴いた。
 そんな私に実に親身に温かくご対応くださったのが、
 初めてお目にかかる先生の奥さまだった。

 音楽業界では孤立無援のチンピラ同然であり、
 またそれ以前のやさぐれ稼業のすさみを
 多く残していたであろう若く生意気な私。
 神さまの奥さまから、そんな自分が、
 まるで一人前の業界人であるかのような応接を受け、
 舞い上がらんばかりに喜んだことは云うまでもない。
 たわいもないことかもしれないが、
 こうしたさり気ない人の優しさをきっかけに、
 私のようなダメ人間が大きな自信を与えられ、
 それが前に踏み出す勇気につながってゆくようなケースは、
 実人生においては案外と多いのではなかろうか。
 やがてパセオを創刊し、尚も七転八倒を続ける私にとって、
 濱田邸は憩いの場所で在り続けた。
 それは極寒の中で与えられる、
 ミルクたっぷりの温かなココアのような感触だったと思う。
 多くのクラシック音楽やフラメンコの関係者が、
 濱田先生や奥さまの人柄から、
 こうした見えない恩恵を受けていることが容易に想像できる。

 そんな濱田先生の奥さま、慶子(よしこ)夫人が、
 この夏のおわり、8月31日に永眠された。
 74歳だった。
 年齢は存じ上げなかったが、
 初めてお目にかかった頃の慶子夫人は、
 私の連れ合いの今と同じくらいの年齢だったことになる。
 互いにバツイチ同士で再婚した私たち夫婦は、
 式も披露宴も省略させてもらったのだが、二人して
 お世話になりっ放しだった先生ご夫妻のもとにだけはと、
 柿生のご自宅にご挨拶に赴いたのが11年前のことだ。
 そして先週9月3日、私は慶子夫人のお通夜に参列、
 連れ合いはお通夜と告別式の受付をさせていただいた。
 たくさんの弔問者の胸の内は、
 おそらく共通する心からの哀悼だったと思われる。

 内助の功。
 日本において、それはすでに死語かもしれない。
 ほとんど表面には出ないが、世の中を縁の下から支える力。
 慶子夫人のご冥福をお祈りしつつも、
 あのお優しい人柄は、それを慕う人々の心の中に
 生き続けるであろうことを思わずにはおられなかった。

 きびしく世渡りを教えてくれる人は絶対に必要だが、
 やさしく世渡りを支えてくれる人は同じくらい必要だ。
 ………ふうっ。
 私はそのどちらも出来てないなと、ため息ついた。
 お通夜からの帰り道はとても遠かった。

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年9月②

2010年09月09日 | しゃちょ日記

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 2009年09月08日/その70◇俳句の時間

 「古池や 蛙飛び込む 水の音」

 これはあの有名な松尾芭蕉の句ですね。
 わずか17文字の短いコンパスの中に、
 万人が共有できる具体的な情景を浮かび上がらせる
 ところに凄みがありますね。
 おなじみのラフカディオ・ハーンがこんな英訳を付けています。
 蛙は複数なんですね。

 Old pond ― frogs jumped in ― sound of water


 ところで、こんな現代句をご存知でしたか。

 「パセフラや 買わず飛び込む 水野のおとう」

 これは、パセオフラメンコも読まずに
 いきなりフラメンコギターの世界に飛び込んでしまった
 水野君のお父さんを描写した句で、実わほとんど実話です。
 季語はパセフラで「年がら年中」を示します。

 ちなみに、水野君のお父さん(53歳・男性)は、
 現在パセオフラメンコを定期購読に切り替えて
 めでたし、めでたし、なのだそーです。
 それでは、またお目にかかります。
                     (俳句の時間/永久に完)
       
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 2009年09月09日/その71◇昔も今も

浅草雷門.jpg
[安藤広重/名所江戸百景より『浅草金龍山』(1856年)]

昔も今も.jpg
[その約150年後のほぼ同じ浅草・雷門あたり]
          
 時代を超える、こんな好ましいコントラストもある。
 昔も今も、それぞれに味わい深い風情。

 それを私的に云うなら、
 マノロ・カラコール(昔の人気フラメンコ歌手)と
 ミゲル・ポベーダ(今の人気フラメンコ歌手)くらいの
 コントラストかな。
          
 「無所属」フラメンコの大家たち(7)マノロ・カラコール.jpg
 [フラメンコの大家たち/マノロ・カラコール]
  LE CHANT DU MONDE

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 [ミゲル・ポベーダ/フラメンコがきこえる]
  HARMONIA MUNDI/1998年

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 2009年09月10日/その72◇鍵田取材とデスヌードとツバメンコ

 きのうは夕方から池の上のアルテ・イ・ソレラで、
 “FLAMENCO曽根崎心中”やサントリーのテレビCM
 なんかでもおなじみのバイラオーラ鍵田真由美を取材。
 パセオ本誌新年号から私が受け持つ
 インタビュー連載(本文カラー9頁)の、
 その第一回目のゲストを彼女に引き受けてもらったのだ。
 
 スタジオのど真ん中にインタビュー会場を設営し、
 大盛り上がりのツッコミ&ボケ合戦を繰り広げた。
 「ステージなら素っ裸で踊るのもへっちゃら」
 みたいな発言もぴょんぴょん飛び出し、
 そのエキセントリックな会話を、
 どのようにまともな大人の会話にまとめ上げるか、
 前途は真っ暗である。

 途中、先日のデスヌードで、大きな期待をさらに上回る
 ドツボなクオリティを炸裂させた佐藤浩希が、
 新聞片手に顔を出す。
 見れば、読売の夕刊にデスヌードの記事がデカく載ってる。
 そう云えば、前の日の朝日夕刊にも載ってたっけ。
 ラスト数分の小島章司のあの素踊りは、
 どうやら伝説となりそうな勢いだな。
 冒頭の第九のアイデアは小島師、
 ラストの無伴奏舞いは佐藤の演出だったことを知る。

 ツバメンコの近況を佐藤に尋ねると、
 先ほどまで、ここでみっちりレッスンをやってたのだと云う。
 おおっ、しっかり続いているんだなあ、とひと安心。
 結局は一年も続かなかったタレントさんもたくさん見てきた。
 過酷な芸能活動の合い間に、
 ハードなフラメンコのレッスンを続けるのは
 本当に大変なことなのだ。

 サービス精神も旺盛な佐藤浩希が、
 ちらっとこの先のツバメンコ展開を話してくれた。
 うおっ、実現してくれよっ!と、瞬間祈った。

 
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 2009年09月11日/その73◇慢心と鰻心

 まれに午前中から、
 ファンタスティックな営業成果をあげた時など、
 そのご褒美の昼食に美味しいうなぎを喰うことは、
 わたし的には大きな喜びのひとつだ。

うなぎ1.jpg

 一方で、うなぎ的には、
 それが「美味しくも喜ばしくもない」であろうことに、
 慢心する心は引き締まる思いだ。

うなsぎ2.jpg

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 2009年09月12日/その74◇一家離散とシンフォニーの季節

 わが家は現在、一家離散中である。

 ほぼ年に一度のペースで連れ合いはスペインに行く。
 毎日帰りの遅い私は、
 ジェーの面倒をみることができないので、
 その間ジェーは、彼の祖父母を自負する
 杉並の福島さん夫婦んちで暮らすことになる。
 かくしてわが家は一年の二週間ばかりを、
 スペイン、渋谷区、杉並区にそれぞれ散らばり、
 一家離散の憂き目の中を、
 それぞれ嬉々として自由気ままに暮らすのであった。

 あしたのジェー2.jpg

 連れ合いも私も家事は好きな方なので、
 どちらもひとりで不自由するということはない。
 若い頃に知り合いのほうぼうを泊まり歩いた私は、
 仕事のできる人たちのほとんどが、
 同時に「炊事・洗濯・掃除の達人」であることを知り、
 それだけはきちんと出来る人になろうと、
 一時期その習得に身を入れた時期がある。

 そのおかげをもって私は、
 家事全般はそこそここなせる人にはなったが、
 肝心の仕事の方はさっぱりと来たもんで、
 まったく例外というのは、どこにでもあるものだと思う。
 こーゆー珍人に対しては、百年かけて褒めて育てる
 辛抱が必要なのは、云うまでもないことだろう。

 さて、今回の一家離散期間にじっくり聴きたいCDが、
 この夏発売となったサー・サイモン・ラトル指揮
 ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集。

ラトル.jpg

 普段はあまりフル・オーケストラを聴かない私だが、
 それでも年に何度かは無性にそれが聴きたくなる。
 シンフォニーだけは、
 ヘッドフォンではなくステレオのクリアな大音響で
 聴きたいので(ライブが一番に決まっているが)、
 同居人たちの不在はもっけの幸いとなる。

 ロマンティックの極致とも云うべきブラ3の第三楽章は、
 大きな声では云えないが、
 あらゆる交響曲の中でいちばん好きな楽章。
 今晩あたりから、どっぷり浸かってみっかいと、
 朝(未明)もはよから、せっせと仕事にとりかかる。

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 2009年09月13日/その75◇ブラームスはお好き

 「好きなシンフォニーをひとつだけ選べ」

 この設問には大いに悩むと思う。
 それがチャイコフスキーの『悲愴』であった時期も
 かなり長かったし、モーツァルト(40番、41番)や、
 ベートーヴェン(5番、6番、7番)や、
 ドヴォルザーク、プロコフィエフ、マーラーなどにもよろめいた。
 だが、ここ数年の心境からするなら、意外とあっさり、
 ブラームスの交響曲第3番を選べるのかもしれない。

 一家離散の次の晩から、
 サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルによる
 ブラームスの交響曲の最新録音(全4曲)を聴く。
 すべてDVDがついているので、CDを聴いたあと、
 それにもカブりつく。
 ラトルは大好きな指揮者なので、
 ブラームスに対するアプローチは
 ある程度は予想できたはずなのだが、
 実際の彼のブラームスは、私の想像を絶していた。
 高校時代からの愛聴盤であるフルトヴェングラーのそれに
 優るとも劣らぬ出来映えだったのだ。

 ひと通り音源と映像を堪能したあと、
 再び手が伸びるのは、やはり大好きな3番である。
 かのアントニオ・ガデスは第4番が
 かなりのお気に入りのようだったが、
 私はまだそこまで大人になりきれない。
 映画『さよならをもう一度』(原作はフランソワーズ・
 サガンの『ブラームスはお好き』)でも使われた
 3番の第3楽章は、さまざまな演奏で
 すでに千回以上は聴いているかもしれない。
 作曲した50歳当時、若い声楽家に恋していた
 ブラームスの心境が反映されているとの説が有力で、
 同時に創作活動全般にも、
 エネルギ―が漲っていた時期の作品である。

 人間はひとりでは生きられないこと。
 互いに寄り添い助け合いながらも、
 けれども、互いに自立する気持ちが必要であること。
 安らぎとチャレンジは、いつでも対になっていること。
 そんなヴィジョンを、極めて美しいイメージをもって
 心に焼きつけてくれる名曲中の名曲だと思う。

ラトル/ブラームス.jpg

 ところで、その大指揮者ラトルと私には、
 大きな共通項がいくつかある。
 恐縮ながらも光栄なことである。
 ブラームス交響曲全集の発売を記念して、
 その類似点を以下に記しておきたい。

 (1)ともに男性であること。
 (2)同じ歳(1955年生まれ)であること。
 (3)人間は顔ではないこと。

 これらによって、才能や人間性などを除けば、
 ラトルと私は、
 ほとんどそっくりであることが
 おわかりいただけるかもしれない。
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 2009年09月14日/その76◇理路整然

 掃除・洗濯・料理日和のきのう日曜は、
 家にこもってのんびり仕事。

 先週やったインタビューのテープ起こしが
 たまっていたので、イッキに片づける。
 90分インタビューなら90分かかる。
 相手の発言のポイントとニュアンスを
 PCに打ち込むだけなので、
 再生をそのまま流しながらでも充分間に合う。
 久々の編集現場はやはり楽しい。

 本誌をフィニッシュするのは自分だから、
 後で困らないようにと、
 さすがに話題の筋道は理路整然としている。
 ただし、5分おきぐらいに、アホなツッコミと
 互いの爆笑がドカンと入り込んでいる。
 お笑いベースだと、
 いい感じの本音話を引き出しやすいのだ。

 その志は悪くないと思うが、
 会話の再生音源がワイワイ騒がしすぎるのには、
 我ながら閉口する。
 自画自賛の理路整然は云い過ぎで、
 正しくは「理路騒然」だと、お詫びして訂正したい。

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 2009年09月15日/その77◇だからフラメンコ
   
 技術の飛躍的進歩によって
 人類は経済的に豊かとなり、
 個人は生存のために
 集団に帰属する必要がなくなったのである。

 個人が勝手に行動しても生きていけるようになり、
 集団の存在理由が薄れてきた。
 家族も学校も会社も大きく変質し、
 個人は集団の束縛から解き放たれて、ついに、
 不本意ではない生活を送ることができるようになった。

 だが、このときになって初めて人類は、
 「不本意ではない生活」がどんな生活なのかが
 分からないことに気がついた。
 集団に向いていないだけでなく、
 個人として生きていくことにも
 向いていないことが分かったのだ。
 これが幸い中の不幸だった。

 自由には代償がある。
 自由な人間はすなわち孤独であり、
 人間は孤独が嫌いなのだ。
 現在、集団の秩序は回復不可能なまでに瓦解し、
 個人は何をしたらいいのか分からないまま
 自立を求められている。
 こうしてみると、
 人類も私と似たような運命をたどっているように思う。

 汝みずからを笑え280.JPEG
 [土屋賢二/汝みずからを笑え]文春文庫より

 これは、私が仏と仰ぐ、
 お茶の水女子大学の土屋賢二教授(哲学科)の
 ありがたい教えである。
 特にラスト1行などは怖いぐらいに鋭い。

 これは『この五百万年をふりかえって』という
 エッセイからの抜粋なのだが、
 ずいぶん前に初めてこれを読んだとき、
 青春まっ盛り(1970年代)の自分が、
 なぜフラメンコに惹かれたのか、
 その理由の一端が、ポロリわかったような気がした。

 1980年~90年代の日本において、
 フラメンコのファン人口は急増し、
 またそのステータスは急速に高まった。
 教授の指摘するようなプレッシャーを解決する鍵として、
 そのほとんどが無意識的だったにせよ、
 多くの人々がフラメンコに注目し始めたからだ。
 現代日本におけるフラメンコの普及浸透は
 その意味で必然だった……。

 現代を生きる不安と緊張のストレスにあえぎながら、
 それをいかに克服して心の安らぎに達するか?
 「自立と協調」をどうバランスするか?
 こうしたテーマに対しフラメンコは、
 強いヴィジョンと忍耐を示しており、
 同時に、生きる勇気を高揚させる機能を持っている。
 
 と、まあ、こんな風に、自分の使命(←単なる思い込み)を、
 思い切り無理やり正当化したい日も、ないことはない。

 「神と仏②」わが家の神棚と仏壇.JPG
 [わが家の神棚と仏壇]

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