─────────────────────────────────────
2015年1月31日(土)その2003◆笑いの化身
美しのバイラオーラ青木愛子、
その公演取材はライター若林作絵と小倉編集長が担当するので、
残り少ない後ろ髪を引かれながらも、今日の私は
六つ先輩の呑み友〝師匠〟が出演する新宿末広亭に駆けつける。
師匠はいっしょに呑んでると実にふつーに冴えないおっちゃんなんだが、
舞台に上がった瞬間、まるで別人のような〝笑いの化身〟へと転じる。
デン助劇団出身のウルトラ爺さんの、
歳とともに深まるアルテの歓び、くたばるまで続け!
─────────────────────────────────────
2015年1月30日(金)その2002◆スリップ注意
雪は降るのか降らんのか。
まあ数年に一度のことだから、大雪が降れば自主休業して、
駒込・六義園やら向島・百花園へと、のこのこ雪見に出掛けるのが、
この数十年の定跡となっている。
東京の原住民には雪好きが多いが、ここまでやるアホはそれほど多くない。
雪景色そのものというより、なれ親しんだ景色の
シンプルな雪化粧を好ましく感じるようだ。
もしかして、なれ親しんだ女性の白いスリップ姿が好きなのは、
同じ根っ子の感性なのかもしれない。
─────────────────────────────────────
2015年1月29日(木)その2001◆点を面にする踊り
読みたいところがいっぱいある。
チョーーー分かりやすい。
そしておもろいっ!
知識だけじゃなく、知恵や勇気がもりもり上達しそう。
う~む、凄いわコレ、
まるでパセオみたいじゃん!!!(← 自我爺さん)
信頼出来る私の情報源たちがこぞってそれを云うので、
引っ越しを契機に東京新聞を取ってみたんだが、
三大新聞とは比較にならぬほどの楽々ハイクオリティにびっくり!
さて、あさって31日(土)は、青木愛子とその舞踊団の初公演。
あのカニサレスの盟友、バイレのアンヘル・ムニョスも出演!
ヴィジュアル二点は、ともにパセオ2月号。
カラー写真撮影は大森有起、本文記事は若林作絵が担当。
インタビュー『点を面にする踊り』には目からウロコの視点がっ!
─────────────────────────────────────
2015年1月29日(木)その2000◆片道切符
みだりに過去に執着するなかれ、
いたずらに将来に望を属するなかれ。
渾身の力を込めて現在に働けというのが
私の主義なのである。(夏目漱石)
これほど分かり易くて現実的な合理主義も、他にないと想うのだ。
迷う余地もなく、ただシンプルに片道切符のこの路線を歩んで往こう。
─────────────────────────────────────
2015年1月28日(水)その1999◆吉田さんのこと
つれづれなるままに、
身体にいいことをする方で、
たしかお名前は、吉田さん!
ーーーーーー健康法師
─────────────────────────────────────
2015年1月27日(火)その1998◆自立協働
「これまでと違いながら、きちんと成立し得ることを」
4キロ落ちてた。
引っ越しのドサクサも片付き、久々に体重計に乗ってみると、
いつの間にやら減量していた。
昨秋も意識的に3キロばかり減らしたが、今回は無作為。
外呑みが減ったことが、おそらくはその理由。
その理由のさらにその理由は、ステレオと千枚ばかり残したCD。
17年前、控え目な全財産をはたいて買ったステレオやCDが、
今ごろになって、まさか減量のお役に立ってくれるとは。( ̄▽ ̄)
それにしても、グールドは凄い。
その前人未到の創造は、伝統を否定することなく、
より善く生きるための方法論を独自に楽しげに模索している。
呑みに出掛けることも忘れ、深くクリアな音で聴けば聴くほど、
その凄味のディテールが次々に本性を顕す。
独裁やテロを拒絶する、逞しく美しい右手と左手の自立協働は、
ほとんど愛の奇跡でもある。
永遠の名作『草枕』を筆頭に、この世紀の天才ピアニスト、
グレン・グールドが生涯愛して止まなかった夏目漱石も、
はるか明治時代の末期にこう述べている。
「古い道徳を破壊することは、
新しい道徳を建立する時にだけ許されるのです」
─────────────────────────────────────
2015年1月26日(月)その1997◆物書きの矜持
この一月パセオに入社した井口由美子のプレビュー記事(熊川哲也/シンデレラ)が、
今朝の読売新聞にカラーでドッカ~ンと載った。
彼女がパセオ公演忘備録に書いた番外編「熊川哲也/カルメン」の記事が、
大手プロモーターの眼にとまり、通常では有り得ない今回の大抜擢につながった。
現代の舞踊評論家の多くは知識と様式のみに頼る
旧時代的な執筆傾向が主流なのだが、
「より善く生きるための知恵」を生命とする井口の原稿は、
そうした退廃に風穴をこじ開けるインパクトをもった内容。
「より善く生きるための知恵」。
それはまさしくパセオの執筆精神なわけだが、
どうして社長のおれだけその精神を欠いているのかは、
フラメンコ界の七不思議のひとつとされている。
─────────────────────────────────────
2015年1月26日(月)その1996◆年代物
『徳永英明/ヴォーカリスト・ヴィンテージ』。
いまを時めくフラメンコギターのあの徳永兄弟の長男である、
と云えば嘘になるだろうか。
てゆーか、まったくのウソである。
夢は夜ひらく、悲しい酒、虹色の湖、
人形の家、再会、酒場にて、夕月、
北国行きで、ブルーライト・ヨコハマ、
伊勢佐木町ブルース、恋の季節、
愛の讃歌、別れのブルース、
真夜中のギター、上を向いて歩こう。
なつかしい昭和の郷愁を彩るラインナップ。
マッカランをストレートで呑(や)りたくなるような、
しみじみ迫る黄昏色の名唱。
人生の疲れや徒労感を、そのまんま
充実感に変換してくれる大人のアート。
─────────────────────────────────────
2015年1月25日(日)その1995◆ピアソラ日和
エネルギー漲る「ブエノスアイレスの夏」。
ゆったりと朝風呂に浸かる日曜朝、
ピアソラと珈琲でゆっくりエンジンをかける。
ほんとは大好きな「オブリビオン(忘却)」「チキリン・デ・バチン」あたりで
メロメロになりたいところなんだが、
今日もそこそこハードだし、それは夜までとっておこう!
─────────────────────────────────────
2015年1月24日(土)その1994◆無為ビエン
明日日曜は朝からガッツリ仕事だし、
宵からはフラメンコ協会の新年パーティ。
会場は歩いて6分の中野サンプラなので、
サンダル・パジャマでも行ける。
よって、きょう土曜は全休を決め込み、
朝から音楽三昧で、ささやかな幸福に浸る。
◇バッハ:ピアノ協奏曲集/グレン・グールド
◇ピアノ弾き語りセビジャーナス/マヌエル・パレハ・オブレゴン
◇ブラームス:交響曲第三番/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
と、ここで、今日は留守番のジェーが散歩の催促。
そうだなジェー、じゃあ今日は、裏庭の脇の遊歩道を、
神田川(北新宿あたり)まで歩いてみよーか!
宵からは連れ合いと呑み会(新規呑み屋開拓)なので、
その前に明日のためのカレーを仕込む段取り。
─────────────────────────────────────
2015年1月23日(金)その1993◆悟り
「ものの哀れ」
ヨーロッパの古典音楽に、初めてそういうニッポン的情緒を感じた。
日本の古典の美しさに唸り始めた高二のころだ。
調性は長調(変ロ長調)なのに、楽しさや嬉しさはほとんど感じさせず、
そこはかとなく寂しくてやがて哀しい、透明度の高い美しい静寂がこだまする。
1791年、すなわちモーツァルト最期の年に作曲された
最後のピアノ協奏曲・第27番。
莫大な借金に追われ、長らくコンサートを開くことも出来ずにいた
モーツァルにとって、この曲の初演はプレーヤーとしての最後の舞台となった。
この人気曲の名盤はさすがに目白押しで、
ポリーニ、ブレンデル、グルダ、ペライア、アシュケナージ、バレンボイムなど、
それぞれに何度聴いても飽きのこない深い味わいがある。
殊にバレンボイム(ベルリンフィルを弾き振り)の音楽的完成度は
ダントツに傑出している。
だが近ごろは、ややマイナーなクリフォード・カーゾン
(指揮はベンジャミン・ブリテン)のピアノで聴くことが多い。
何故だろう。
若い頃はカーゾンのモーツァルトがやたら退屈だった。
まあ、地味で枯れた味わいなどに、
血気盛んな若者は見向きもしないのが普通ではある。
フラメンコで云うならアントニオ・マイレーナのような存在なわけで、
そういう〝渋さ〟に魅力を感じ始めるのは早くても四十代・五十代で、
死ぬまで興味を持たない人々も多いことだろう。
「大切な何かをあきらめる」。
シンプルで潔い〝渋さ〟の源には、多くの場合、例えばこのような諦観がある。
歳を重ねれば必然、自らの経験を通してこうした心の疼痛のような感触を知るわけで、
その諦観が〝渋さ〟への理解と好感度につながってゆくことも多い。
マイナスする楽しさ、というのは確かに在る。
渋さこの上ないカーゾン&ブリテンの演奏には、
まさしくそうした諦観や痛みを敢えて恐れず受容したくなるような共感が、
淡々とした優しさを湛えながら響く。
それが苦笑いなどではなく、むしろ穏やかな微笑であるところが、
この演奏のもたらす爽やかな救いなのだろう。
こうした境地をひとつの悟りとするなら、
幸い私はまだ、まるで悟っていない。
─────────────────────────────────────
2015年1月22日(木)その1992◆謙虚な若旦那
「おゐおゐ〝先輩〟はねーだろよ」
中野五差路にほど近い、ご近所・魚河岸寿司。
そこそこ旨くて激安、目のまわらないカウンターがうれしい。
年末に中野に引っ越してきた時からの行きつけで、
サシで握ってくれる、いかつい店主を〝大将〟と私は呼ぶ。
大将は私より五つ六つ歳上だろうが、
それでも私を〝先輩〟と呼ぶ大将に、
謙虚な私は控え目にこう提案する。
「どうか遠慮なく、〝若旦那〟と呼んでほしい」
─────────────────────────────────────
2015年1月22日(木)その1991◆懐かしのミシェル
パリ公演用のケツ出しポスターでフランス警察に逮捕され、
翌年はオールヌードで股間に帽子をかぶったジャケ写で逆襲した官能美声のカリスマ。
父はロシア人ミュージシャン、母はフランス人ダンサー。
プレスリーの影響でクラシックからロックンロールへ。
フレンチポップスのスーパースター。
おっちゃん世代にはお馴染みのミシェル・ポルナレフ(1944年~ )は、
フランスの国民的シンガーソングライター。
「シェリーに口づけ」「哀しみの終わるとき」「愛の休日」「悲しきマリー」なんかは、
1970年代の日本でも大ヒットしたもんだ。
数年前にようやく日本でもベスト盤が出たので飛びついた。
今でもアイポッドでこの四曲あたりをよく聴くが、
ちょっと壊れたくなる時に聴くことが多い。
何というか、どんな曲でも思い切り入り込んでトコトンやりまくる
妖しい魅力があって、それでいて高度に洗練されている。
ミシェル・ポルナレフは、エスプリの利いたその薫り高き上質感ゆえに、
あと百年もしたら、フランス・バロック期のフランソワ・クープラン、
あるいはフランス近代のモーリス・ラヴェルなどと同じ土俵で語られる、
みたいな空想はけっこう楽しい。
─────────────────────────────────────
2015年1月21日(水)その1990◆ゆきがふる
雪は降る
あなたは来ない
雪は降る
重い心に
小雪舞い散る今朝の裏庭を眺めながら、つい口ずさむ。
往年の国際的大ヒット曲『雪が降る』。
1963年に、イタリア生まれのベルギー人歌手アダモが、
フランス語の自作自演で歌った哀しすぎる名曲である。
私たち世代の男は皆、こうして雪が降るたびに、
そのむかし自分を捨て逃げした女たちのことを、
パブロフの犬のように想い出すのである。
二年ほど前に、大沼由紀さんにパセオの連載エッセイを頼んだ。
原稿は続々と上がって来るのだが、連載タイトルがなかなか決まらない。
はよ決めんかい!と私は由紀さんに迫り、
『ゆきがふる』でどうだっ!と、無茶苦茶を云う。
由紀さんのステージには往々にしてアレが降るので、
それに掛けたふざけた駄ジャレだった。
由紀さんさすがに怒ると思ったが、爽やかに彼女はこう反応した。
「それでゆきましょう!!!」
─────────────────────────────────────
2015年1月21日(水)その1989◆ヴェルデ(緑)
「ヴェルデ」。
作詞はロルカ、
歌うはマンサニータ。
いい曲だよねえ。
三月号の詰めも終わり、ほっと一息。
三回つづけて聴く。
緑よ、愛する緑よ、
緑の風、緑のしげみよ。
海をわたる船、
山を駆ける馬、緑よ、
愛する緑よ。
深呼吸。
そして明日から四月号。
その前に、風呂とビールとマッカラン。
─────────────────────────────────────
2015年1月20日(火)その1988◆爺さん奮闘
舞台はなぜか北関東。
沿線の風景からそう推測。
自分が善玉なのか悪玉なのかは分からんが、
ミッション・インポッシブル風のかなり烈しい展開。
トロッコで敵の乗る列車を追跡し、飛び移る瞬間、
川に落ちるシーンが印象的。
体力の衰えが夢にまで反映されてしまう通称トム、自称出版社社長。
イーサン・ハントとゆーより〝爺さん奮闘〟に近い!
─────────────────────────────────────
2015年1月19日(月)その1987◆アウェイ
「ここって・・アレかも」
家の玄関から20メーター。
初めて入る中野五差路裏の呑み屋。
店の奥は団体客の宴会で大盛り上がり。
私たちはカウンター中ほどへ。
生ビール二丁と、店の実力が測れそうなメニューをとりあえず五品ほど注文。
カウンターと厨房を仕切るガラス窓から、それぞれ厨房とホールを兼任する
イケメントリオの仕事ぶりが見える。
腕が立つのは即座に分かるが、
それにしてもひとつひとつ実に清潔で丁寧な仕事をする。
値段とは不釣合いに旨い、手の込んだ料理の数々。
頼んだ熱燗の猪口をわざわざ温めて出す気くばりを筆頭に、
どれをとっても真摯で繊細な接客には清冽とも云えるイメージが漂う。
ふと直角に折れたカウンター左脇を見やると、
潔癖そうな三人組の男性が楽しそうに談笑しながら呑んでいる。
ちょっと奇妙に感じるのは、三人が着ているおそろいの純白トックリセーター。
ここで何かに気づいたような連れ合いが、うれしそうにささやく。
商売柄彼女はそこらへんに敏感なのだ。
「ここって・・アレかも」
はあ? 反射的に店の奥の男性団体客に顔を向ける。
ちょっと親しすぎるような様子が眼に入った瞬間、
すべてが腑に落ち、私もそれにうなずく。
(つづく)・・・のか?
─────────────────────────────────────
2015年1月18日(日)その1986◆俯瞰の効用
ある曲を好きになったら、いろんなCD演奏で聴いてみる。
少なくと3種類、通常で10種類、
多いものだと70種類(バッハの無伴奏チェロ)なんてのもある。
ポップスのカヴァーなんかを聴くと、
ああこの曲にはこんな魅力があったのかという新鮮な発見があるように、
名曲名盤がひしめくクラシック音楽の世界には、
そうした発掘の楽しみがあふれている。
好きだから聴きたい。
いろんな角度から聴きたい。
聴き分けが出来るようになる。
それぞれの魅力が分かってくる。
それぞれの短所もわかってくる。
自分の好きなタイプが分かってくる。
嫌いなタイプも分かってくる。
自分の変化とともに好みも変わってくる。
好きだったものに関心が持てなくなったり、
嫌いだったものに惹かれ始めたり。
それでもずっと好きなタイプの演奏が、
永い歳月の末、自分の言動に反映されるようになる。
嫌いなタイプの演奏でも、
その長所を客観的に認識出来るようになる。
若い頃から続くこうした音楽遍歴が、
仕事や人間関係に大きな影響を与えて来たことに気づく。
そのわりに大したことねえ奴だと客観的に自己を認識し、
もっとしっかり聴かにゃならねえとステレオにかじりつくための、
それっぽく正当な云い訳をひねり出す。
─────────────────────────────────────
2015年1月18日(日)その1985◆音楽の旅
ほとんど毎日から、今や週二~三ぺん。
驚いたことに、呑み屋通いが激減した。
パセオ近くに転居した自宅の仕事場に、
どっぷり音楽に没入できる環境が整ったことがその理由だ。
ここ数年はほとんどアイポッドばかりで、
いい音で音楽に浸る機会が少なかったから、
その反動がモロに出たらしい。
ライヴの生音には到底敵わないが、
重厚にして繊細な音質のステレオで聴くと、
胸に響くインパクトが極端に増幅する。
さしあたりバッハの様々なコンチェルトを中心に聴いてるが、
古典派~ロマン派~近代~現代~ジャズ~フラメンコと、
なにやら時系列で興味が移行しそうな気配がある。
十代から二十代にかけての懐かしい音楽遍歴を、
五十代の聴点で再びたどってみたくなったのだろう。
フラれてばかりの女遍歴とは異なり、
そこには何かファンタスティックな発見!が待ち受ける予感。
─────────────────────────────────────
2015年1月17日(土)その1984◆衝撃の今枝公演
「日本のフラメンコが大きく変化しようとしていることを感じた。いや、変化している。凄いな」。
やったな今枝!と彼女の驚異の躍進を讃えながら連れ合いと一杯やって帰宅すると、
本誌ライター白井盛雄がFBにこんな達見をアップしていた。
「スペインの三人のなんと素敵なことか! 飾るでもなく、かと言ってお高くとまるでもなく、
彼女と対等に、向き合っていて、熱かった。本当に、熱かった」。
FB仲間のアフィシオナード石井拓人も、あの歴史的瞬間の真っ芯をジャストミートしていた。
「それにしてもホセ・ガルベス、持てるすべてを彼女に捧げていた。凄かった。
外国人にカンテは歌えない。スペインではそう言われていますが、
その言葉、撤回してもらわなければなりません。
スペインだの日本だの、そんなこと関係ない!
人間の喜怒哀楽を、愛を、見事にフラメンコで、カンテで謳い上げた、最高の公演でした!」。
FBトドメはあの日本最強のフラメンコ演出家・佐藤浩希で、
しかも彼は今枝絶唱のマルティネーテで自らの半生最善のガチンコソロを踊った。
とまあ、パセオ四月号の今枝忘備録、ここまでは三分で書いた。
てゆーかコピペでパクった。
で、続きは三月号締切をクリアする日曜夕刻以降に。
─────────────────────────────────────
2015年1月16日(金)その1983◆不器用のススメ
中二でプロ棋士を志すまではオール5で、
中でも球技・音楽・美術は得意中の得意種目だった。
それが四月生まれのアドバンテージを活かす単なる器用貧乏だったことに気づくのは、
高一でプロ棋士テストに失格した頃だ。
その後は勉学に見切りをつけ迷わず仕事とギターと女に突っ走り、
高校大学はおそらく下から二番目くらいで卒業した。
小学生のころから最も苦手だったのは作文。
それは軽薄な器用貧乏ではどうにもならない聖域だった。
16の頃からヒマさえあれば働いていたから、
〝不器用さ〟の重要性に気づいたのは四十代。
フラメンコの名手たちのほとんどが、
才気に頼らず敢えて不器用を核に発展してきたことを知ったころだ。
で、五十代でよちよち歩きのブログを始めた。
今もひでえがあの頃のブログの悲惨はかなり笑える。( ̄▽ ̄)
だが、その老いぼれた一歩は私にとって初めての
〝不器用を核とする前進〟の輝かしいスタート地点でもあった、
そうした転機と発奮をもたらしてくれたものがパコ・デ・ルシア最後の来日公演であり、
またフラメンコそのものであったことを、いろんな意味で誇りに思う。
ふだん考えていること、ふだん仕事場や家や呑み屋でくっちゃべっていること、
それをそのまま書けばいいんだ。
そこに気づいて書くことが楽になった。
質を高めたいなら〝ふだん〟の質を高めるしかないことにも気づいたが、
そこは極めて重要なフラメンコ的ポイントだった。
気づくことと出来ることとは随分とちがうが、
自分の裏表とか意識・無意識なんかを気ままに対話させ、
自分というあやふやな人間をシンプルに一本化しながら、
己の本当の希望を探り当ててゆく作業ってのは、まるで脱獄みたいに、
なんてスリリングに楽しい冒険なんだろうってつくづく想うわけ。