フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2015年01月②

2015年01月01日 | しゃちょ日記

06雄二.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月31日(土)その2003◆笑いの化身

美しのバイラオーラ青木愛子、
その公演取材はライター若林作絵と小倉編集長が担当するので、
残り少ない後ろ髪を引かれながらも、今日の私は
六つ先輩の呑み友〝師匠〟が出演する新宿末広亭に駆けつける。

1926764_764108143666547_1747512245596749837_n.jpg

師匠はいっしょに呑んでると実にふつーに冴えないおっちゃんなんだが、
舞台に上がった瞬間、まるで別人のような〝笑いの化身〟へと転じる。
デン助劇団出身のウルトラ爺さんの、
歳とともに深まるアルテの歓び、くたばるまで続け!

─────────────────────────────────────
2015年1月30日(金)その2002◆スリップ注意

雪は降るのか降らんのか。

まあ数年に一度のことだから、大雪が降れば自主休業して、
駒込・六義園やら向島・百花園へと、のこのこ雪見に出掛けるのが、
この数十年の定跡となっている。
東京の原住民には雪好きが多いが、ここまでやるアホはそれほど多くない。

雪景色そのものというより、なれ親しんだ景色の
シンプルな雪化粧を好ましく感じるようだ。
もしかして、なれ親しんだ女性の白いスリップ姿が好きなのは、
同じ根っ子の感性なのかもしれない。

10406408_763796713697690_106169186785828026_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月29日(木)その2001◆点を面にする踊り

読みたいところがいっぱいある。
チョーーー分かりやすい。
そしておもろいっ!
知識だけじゃなく、知恵や勇気がもりもり上達しそう。

う~む、凄いわコレ、
まるでパセオみたいじゃん!!!(← 自我爺さん)

信頼出来る私の情報源たちがこぞってそれを云うので、
引っ越しを契機に東京新聞を取ってみたんだが、
三大新聞とは比較にならぬほどの楽々ハイクオリティにびっくり!

15254_763513993725962_4436988299437279648_n.jpg


さて、あさって31日(土)は、青木愛子とその舞踊団の初公演。
あのカニサレスの盟友、バイレのアンヘル・ムニョスも出演!
ヴィジュアル二点は、ともにパセオ2月号。
カラー写真撮影は大森有起、本文記事は若林作絵が担当。
インタビュー『点を面にする踊り』には目からウロコの視点がっ!

10388103_763514040392624_2233176227996432627_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月29日(木)その2000◆片道切符

みだりに過去に執着するなかれ、
いたずらに将来に望を属するなかれ。
渾身の力を込めて現在に働けというのが
私の主義なのである。(夏目漱石)

これほど分かり易くて現実的な合理主義も、他にないと想うのだ。
迷う余地もなく、ただシンプルに片道切符のこの路線を歩んで往こう。

夏目漱石/千円札.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月28日(水)その1999◆吉田さんのこと

つれづれなるままに、
身体にいいことをする方で、
たしかお名前は、吉田さん!
         
 ーーーーーー健康法師

10897112_763065473770814_2081236173832112165_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月27日(火)その1998◆自立協働

「これまでと違いながら、きちんと成立し得ることを」

4キロ落ちてた。     
引っ越しのドサクサも片付き、久々に体重計に乗ってみると、
いつの間にやら減量していた。
昨秋も意識的に3キロばかり減らしたが、今回は無作為。
外呑みが減ったことが、おそらくはその理由。

その理由のさらにその理由は、ステレオと千枚ばかり残したCD。
17年前、控え目な全財産をはたいて買ったステレオやCDが、
今ごろになって、まさか減量のお役に立ってくれるとは。( ̄▽ ̄)

それにしても、グールドは凄い。
その前人未到の創造は、伝統を否定することなく、
より善く生きるための方法論を独自に楽しげに模索している。
呑みに出掛けることも忘れ、深くクリアな音で聴けば聴くほど、
その凄味のディテールが次々に本性を顕す。
独裁やテロを拒絶する、逞しく美しい右手と左手の自立協働は、
ほとんど愛の奇跡でもある。

グールド/名言.jpg

永遠の名作『草枕』を筆頭に、この世紀の天才ピアニスト、
グレン・グールドが生涯愛して止まなかった夏目漱石も、
はるか明治時代の末期にこう述べている。
「古い道徳を破壊することは、
 新しい道徳を建立する時にだけ許されるのです」

─────────────────────────────────────
2015年1月26日(月)その1997◆物書きの矜持

この一月パセオに入社した井口由美子のプレビュー記事(熊川哲也/シンデレラ)が、
今朝の読売新聞にカラーでドッカ~ンと載った。
彼女がパセオ公演忘備録に書いた番外編「熊川哲也/カルメン」の記事が、
大手プロモーターの眼にとまり、通常では有り得ない今回の大抜擢につながった。

井口由美子/シンデレラ.jpg

現代の舞踊評論家の多くは知識と様式のみに頼る
旧時代的な執筆傾向が主流なのだが、
「より善く生きるための知恵」を生命とする井口の原稿は、
そうした退廃に風穴をこじ開けるインパクトをもった内容。

「より善く生きるための知恵」。
それはまさしくパセオの執筆精神なわけだが、
どうして社長のおれだけその精神を欠いているのかは、
フラメンコ界の七不思議のひとつとされている。

─────────────────────────────────────
2015年1月26日(月)その1996◆年代物

徳永英明/ヴィーカリスト・ヴィンテージ.jpg

『徳永英明/ヴォーカリスト・ヴィンテージ』。

いまを時めくフラメンコギターのあの徳永兄弟の長男である、
と云えば嘘になるだろうか。
てゆーか、まったくのウソである。

夢は夜ひらく、悲しい酒、虹色の湖、
人形の家、再会、酒場にて、夕月、
北国行きで、ブルーライト・ヨコハマ、
伊勢佐木町ブルース、恋の季節、
愛の讃歌、別れのブルース、
真夜中のギター、上を向いて歩こう。

なつかしい昭和の郷愁を彩るラインナップ。
マッカランをストレートで呑(や)りたくなるような、
しみじみ迫る黄昏色の名唱。
人生の疲れや徒労感を、そのまんま
充実感に変換してくれる大人のアート。

─────────────────────────────────────
2015年1月25日(日)その1995◆ピアソラ日和

1984ピアソラ.jpg

エネルギー漲る「ブエノスアイレスの夏」。

ゆったりと朝風呂に浸かる日曜朝、
ピアソラと珈琲でゆっくりエンジンをかける。

ほんとは大好きな「オブリビオン(忘却)」「チキリン・デ・バチン」あたりで
メロメロになりたいところなんだが、
今日もそこそこハードだし、それは夜までとっておこう!

─────────────────────────────────────
2015年1月24日(土)その1994◆無為ビエン

明日日曜は朝からガッツリ仕事だし、
宵からはフラメンコ協会の新年パーティ。
会場は歩いて6分の中野サンプラなので、
サンダル・パジャマでも行ける。

よって、きょう土曜は全休を決め込み、
朝から音楽三昧で、ささやかな幸福に浸る。

◇バッハ:ピアノ協奏曲集/グレン・グールド
◇ピアノ弾き語りセビジャーナス/マヌエル・パレハ・オブレゴン
◇ブラームス:交響曲第三番/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

と、ここで、今日は留守番のジェーが散歩の催促。
そうだなジェー、じゃあ今日は、裏庭の脇の遊歩道を、
神田川(北新宿あたり)まで歩いてみよーか!
宵からは連れ合いと呑み会(新規呑み屋開拓)なので、
その前に明日のためのカレーを仕込む段取り。

オブレゴン.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月23日(金)その1993◆悟り

「ものの哀れ」

ヨーロッパの古典音楽に、初めてそういうニッポン的情緒を感じた。
日本の古典の美しさに唸り始めた高二のころだ。
調性は長調(変ロ長調)なのに、楽しさや嬉しさはほとんど感じさせず、
そこはかとなく寂しくてやがて哀しい、透明度の高い美しい静寂がこだまする。

1791年、すなわちモーツァルト最期の年に作曲された
最後のピアノ協奏曲・第27番。
莫大な借金に追われ、長らくコンサートを開くことも出来ずにいた
モーツァルにとって、この曲の初演はプレーヤーとしての最後の舞台となった。

この人気曲の名盤はさすがに目白押しで、
ポリーニ、ブレンデル、グルダ、ペライア、アシュケナージ、バレンボイムなど、
それぞれに何度聴いても飽きのこない深い味わいがある。
殊にバレンボイム(ベルリンフィルを弾き振り)の音楽的完成度は
ダントツに傑出している。
だが近ごろは、ややマイナーなクリフォード・カーゾン
(指揮はベンジャミン・ブリテン)のピアノで聴くことが多い。

カーゾン&ブリテン.jpg

何故だろう。
若い頃はカーゾンのモーツァルトがやたら退屈だった。
まあ、地味で枯れた味わいなどに、
血気盛んな若者は見向きもしないのが普通ではある。
フラメンコで云うならアントニオ・マイレーナのような存在なわけで、
そういう〝渋さ〟に魅力を感じ始めるのは早くても四十代・五十代で、
死ぬまで興味を持たない人々も多いことだろう。
               
「大切な何かをあきらめる」。
シンプルで潔い〝渋さ〟の源には、多くの場合、例えばこのような諦観がある。
歳を重ねれば必然、自らの経験を通してこうした心の疼痛のような感触を知るわけで、
その諦観が〝渋さ〟への理解と好感度につながってゆくことも多い。
マイナスする楽しさ、というのは確かに在る。

渋さこの上ないカーゾン&ブリテンの演奏には、
まさしくそうした諦観や痛みを敢えて恐れず受容したくなるような共感が、
淡々とした優しさを湛えながら響く。
それが苦笑いなどではなく、むしろ穏やかな微笑であるところが、
この演奏のもたらす爽やかな救いなのだろう。
こうした境地をひとつの悟りとするなら、
幸い私はまだ、まるで悟っていない。

─────────────────────────────────────
2015年1月22日(木)その1992◆謙虚な若旦那

「おゐおゐ〝先輩〟はねーだろよ」

中野五差路にほど近い、ご近所・魚河岸寿司。
そこそこ旨くて激安、目のまわらないカウンターがうれしい。
年末に中野に引っ越してきた時からの行きつけで、
サシで握ってくれる、いかつい店主を〝大将〟と私は呼ぶ。
大将は私より五つ六つ歳上だろうが、
それでも私を〝先輩〟と呼ぶ大将に、
謙虚な私は控え目にこう提案する。

「どうか遠慮なく、〝若旦那〟と呼んでほしい」

10928169_760250644052297_6638246835846111177_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月22日(木)その1991◆懐かしのミシェル

パリ公演用のケツ出しポスターでフランス警察に逮捕され、
翌年はオールヌードで股間に帽子をかぶったジャケ写で逆襲した官能美声のカリスマ。

父はロシア人ミュージシャン、母はフランス人ダンサー。
プレスリーの影響でクラシックからロックンロールへ。
フレンチポップスのスーパースター。

10934041_760455450698483_636634582803878736_n.jpg

おっちゃん世代にはお馴染みのミシェル・ポルナレフ(1944年~ )は、
フランスの国民的シンガーソングライター。
「シェリーに口づけ」「哀しみの終わるとき」「愛の休日」「悲しきマリー」なんかは、
1970年代の日本でも大ヒットしたもんだ。

数年前にようやく日本でもベスト盤が出たので飛びついた。
今でもアイポッドでこの四曲あたりをよく聴くが、
ちょっと壊れたくなる時に聴くことが多い。
何というか、どんな曲でも思い切り入り込んでトコトンやりまくる
妖しい魅力があって、それでいて高度に洗練されている。

ミシェル・ポルナレフは、エスプリの利いたその薫り高き上質感ゆえに、
あと百年もしたら、フランス・バロック期のフランソワ・クープラン、
あるいはフランス近代のモーリス・ラヴェルなどと同じ土俵で語られる、
みたいな空想はけっこう楽しい。

─────────────────────────────────────
2015年1月21日(水)その1990◆ゆきがふる

雪は降る
あなたは来ない
雪は降る
重い心に

10917365_760101154067246_127775202801136735_n.jpg

小雪舞い散る今朝の裏庭を眺めながら、つい口ずさむ。
往年の国際的大ヒット曲『雪が降る』。
1963年に、イタリア生まれのベルギー人歌手アダモが、
フランス語の自作自演で歌った哀しすぎる名曲である。
私たち世代の男は皆、こうして雪が降るたびに、
そのむかし自分を捨て逃げした女たちのことを、
パブロフの犬のように想い出すのである。

二年ほど前に、大沼由紀さんにパセオの連載エッセイを頼んだ。
原稿は続々と上がって来るのだが、連載タイトルがなかなか決まらない。
はよ決めんかい!と私は由紀さんに迫り、
『ゆきがふる』でどうだっ!と、無茶苦茶を云う。

由紀さんのステージには往々にしてアレが降るので、
それに掛けたふざけた駄ジャレだった。
由紀さんさすがに怒ると思ったが、爽やかに彼女はこう反応した。

「それでゆきましょう!!!」

─────────────────────────────────────
2015年1月21日(水)その1989◆ヴェルデ(緑)

「ヴェルデ」。

作詞はロルカ、
歌うはマンサニータ。
いい曲だよねえ。

三月号の詰めも終わり、ほっと一息。
三回つづけて聴く。

緑よ、愛する緑よ、
緑の風、緑のしげみよ。
海をわたる船、
山を駆ける馬、緑よ、
愛する緑よ。

深呼吸。 
そして明日から四月号。
その前に、風呂とビールとマッカラン。

マンサニータ/ヴェルデ.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月20日(火)その1988◆爺さん奮闘

舞台はなぜか北関東。
沿線の風景からそう推測。

自分が善玉なのか悪玉なのかは分からんが、
ミッション・インポッシブル風のかなり烈しい展開。
トロッコで敵の乗る列車を追跡し、飛び移る瞬間、
川に落ちるシーンが印象的。

体力の衰えが夢にまで反映されてしまう通称トム、自称出版社社長。
イーサン・ハントとゆーより〝爺さん奮闘〟に近い!

10930114_759221614155200_8856950909402718921_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月19日(月)その1987◆アウェイ

「ここって・・アレかも」

家の玄関から20メーター。
初めて入る中野五差路裏の呑み屋。
店の奥は団体客の宴会で大盛り上がり。
私たちはカウンター中ほどへ。

生ビール二丁と、店の実力が測れそうなメニューをとりあえず五品ほど注文。
カウンターと厨房を仕切るガラス窓から、それぞれ厨房とホールを兼任する
イケメントリオの仕事ぶりが見える。
腕が立つのは即座に分かるが、
それにしてもひとつひとつ実に清潔で丁寧な仕事をする。

値段とは不釣合いに旨い、手の込んだ料理の数々。
頼んだ熱燗の猪口をわざわざ温めて出す気くばりを筆頭に、
どれをとっても真摯で繊細な接客には清冽とも云えるイメージが漂う。
ふと直角に折れたカウンター左脇を見やると、
潔癖そうな三人組の男性が楽しそうに談笑しながら呑んでいる。
ちょっと奇妙に感じるのは、三人が着ているおそろいの純白トックリセーター。

ここで何かに気づいたような連れ合いが、うれしそうにささやく。
商売柄彼女はそこらへんに敏感なのだ。
「ここって・・アレかも」
はあ? 反射的に店の奥の男性団体客に顔を向ける。
ちょっと親しすぎるような様子が眼に入った瞬間、
すべてが腑に落ち、私もそれにうなずく。

(つづく)・・・のか?

10940608_758932250850803_3481090894561174953_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月18日(日)その1986◆俯瞰の効用

ある曲を好きになったら、いろんなCD演奏で聴いてみる。
少なくと3種類、通常で10種類、
多いものだと70種類(バッハの無伴奏チェロ)なんてのもある。

ポップスのカヴァーなんかを聴くと、
ああこの曲にはこんな魅力があったのかという新鮮な発見があるように、
名曲名盤がひしめくクラシック音楽の世界には、
そうした発掘の楽しみがあふれている。

好きだから聴きたい。
いろんな角度から聴きたい。
聴き分けが出来るようになる。
それぞれの魅力が分かってくる。
それぞれの短所もわかってくる。
自分の好きなタイプが分かってくる。
嫌いなタイプも分かってくる。

自分の変化とともに好みも変わってくる。
好きだったものに関心が持てなくなったり、
嫌いだったものに惹かれ始めたり。

それでもずっと好きなタイプの演奏が、
永い歳月の末、自分の言動に反映されるようになる。
嫌いなタイプの演奏でも、
その長所を客観的に認識出来るようになる。
  
若い頃から続くこうした音楽遍歴が、
仕事や人間関係に大きな影響を与えて来たことに気づく。
そのわりに大したことねえ奴だと客観的に自己を認識し、
もっとしっかり聴かにゃならねえとステレオにかじりつくための、
それっぽく正当な云い訳をひねり出す。

1469818_758671810876847_5188060810655000817_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月18日(日)その1985◆音楽の旅

ほとんど毎日から、今や週二~三ぺん。
驚いたことに、呑み屋通いが激減した。
 
パセオ近くに転居した自宅の仕事場に、
どっぷり音楽に没入できる環境が整ったことがその理由だ。
ここ数年はほとんどアイポッドばかりで、
いい音で音楽に浸る機会が少なかったから、
その反動がモロに出たらしい。
ライヴの生音には到底敵わないが、
重厚にして繊細な音質のステレオで聴くと、
胸に響くインパクトが極端に増幅する。

さしあたりバッハの様々なコンチェルトを中心に聴いてるが、
古典派~ロマン派~近代~現代~ジャズ~フラメンコと、
なにやら時系列で興味が移行しそうな気配がある。

十代から二十代にかけての懐かしい音楽遍歴を、
五十代の聴点で再びたどってみたくなったのだろう。
フラれてばかりの女遍歴とは異なり、
そこには何かファンタスティックな発見!が待ち受ける予感。

10931128_758611767549518_3894331511425076551_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月17日(土)その1984◆衝撃の今枝公演

「日本のフラメンコが大きく変化しようとしていることを感じた。いや、変化している。凄いな」。
やったな今枝!と彼女の驚異の躍進を讃えながら連れ合いと一杯やって帰宅すると、
本誌ライター白井盛雄がFBにこんな達見をアップしていた。

「スペインの三人のなんと素敵なことか! 飾るでもなく、かと言ってお高くとまるでもなく、
彼女と対等に、向き合っていて、熱かった。本当に、熱かった」。
FB仲間のアフィシオナード石井拓人も、あの歴史的瞬間の真っ芯をジャストミートしていた。

「それにしてもホセ・ガルベス、持てるすべてを彼女に捧げていた。凄かった。
外国人にカンテは歌えない。スペインではそう言われていますが、
その言葉、撤回してもらわなければなりません。
スペインだの日本だの、そんなこと関係ない!
人間の喜怒哀楽を、愛を、見事にフラメンコで、カンテで謳い上げた、最高の公演でした!」。
FBトドメはあの日本最強のフラメンコ演出家・佐藤浩希で、
しかも彼は今枝絶唱のマルティネーテで自らの半生最善のガチンコソロを踊った。
          
とまあ、パセオ四月号の今枝忘備録、ここまでは三分で書いた。
てゆーかコピペでパクった。
で、続きは三月号締切をクリアする日曜夕刻以降に。

10505312_757740327636662_2858434353597222874_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月16日(金)その1983◆不器用のススメ

中二でプロ棋士を志すまではオール5で、
中でも球技・音楽・美術は得意中の得意種目だった。
それが四月生まれのアドバンテージを活かす単なる器用貧乏だったことに気づくのは、
高一でプロ棋士テストに失格した頃だ。
その後は勉学に見切りをつけ迷わず仕事とギターと女に突っ走り、
高校大学はおそらく下から二番目くらいで卒業した。

小学生のころから最も苦手だったのは作文。
それは軽薄な器用貧乏ではどうにもならない聖域だった。
16の頃からヒマさえあれば働いていたから、
〝不器用さ〟の重要性に気づいたのは四十代。
フラメンコの名手たちのほとんどが、
才気に頼らず敢えて不器用を核に発展してきたことを知ったころだ。
で、五十代でよちよち歩きのブログを始めた。
今もひでえがあの頃のブログの悲惨はかなり笑える。( ̄▽ ̄)

だが、その老いぼれた一歩は私にとって初めての
〝不器用を核とする前進〟の輝かしいスタート地点でもあった、
そうした転機と発奮をもたらしてくれたものがパコ・デ・ルシア最後の来日公演であり、
またフラメンコそのものであったことを、いろんな意味で誇りに思う。

ふだん考えていること、ふだん仕事場や家や呑み屋でくっちゃべっていること、
それをそのまま書けばいいんだ。
そこに気づいて書くことが楽になった。
質を高めたいなら〝ふだん〟の質を高めるしかないことにも気づいたが、
そこは極めて重要なフラメンコ的ポイントだった。
気づくことと出来ることとは随分とちがうが、
自分の裏表とか意識・無意識なんかを気ままに対話させ、
自分というあやふやな人間をシンプルに一本化しながら、
己の本当の希望を探り当ててゆく作業ってのは、まるで脱獄みたいに、
なんてスリリングに楽しい冒険なんだろうってつくづく想うわけ。

10428078_757697500974278_6376018180169930450_n.jpg


しゃちょ日記バックナンバー/2015年01月①

2015年01月01日 | しゃちょ日記

06雄二.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月15日(木)その1982◆自虐の詩

この世には幸も不幸もないのかもしれません。

なにかを得ると必ずなにか失うものがある。
なにかを捨てると必ずなにか得るものがある。

たったひとつのかけがえのないもの、
大切なものを失った時はどうでしょう。
私たちは泣き叫んだり立ちすくんだり・・・

でもそれが幸や不幸で はかれるものでしょうか。
かけがえのないものを失うことは、
かけがえのないものを真に、
そして永遠に手にいれること!

これからはなにが起きても怖くありません。
勇気がわいています。

この人生を二度と幸や不幸で はかりません。
なんということでしょう。
人生には意味があるだけです。

ただ人生の厳粛な意味をかみしめていけばいい。
勇気がわいてきます。

幸や不幸はもういい。
どちらにも等しく価値がある。
人生には明らかに意味がある。

  業田良家『自虐の詩』(1996年竹書房発行)より

10885229_757261521017876_5821342433036682578_n.jpg

引っ越しの最中に本棚の奥から出てきた。
およそ二十年前、きっとまたいつか読みたくなる機会があるに違いないと、
残しておいた唯一のギャグ漫画。
史上最高の爆笑自虐マンガのラストシーンは、
意外にもこんな展開で畳み掛ける。
これでもか、これでもかっていう悲惨なウルトラギャグの積み重ねの末の結論が、
まさかこう来るとはね。
絵ヅラがないとうまく伝わらないけど、写経のように言葉だけ映してみた。

「どちらにも等しく価値がある」とはまるで歎異抄クラスで、
軽率には同意できないが、寄る年波から思い当たる節はある。
40そこそこでは掴みきれなかった愛と希望の深淵。
あまりに強烈すぎて、すぐには読み返せない。
生きてるもんなら、次回は70の誕生日に読もう。

─────────────────────────────────────
2015年1月15日(木)その1981◆桜の頃には

6時に目覚めて、朝風呂とストレッチ。
炊き立て銀シャリで朝めし食って(納豆、みそ汁、サラダ、肉と目玉焼きはレギュラー)、
青汁呑んでへぼ日記アップして、8時55分に家を出る。

飽きないよう(商い用)に、一日を三つに分ける。
9~13時は社長業と営業。
ご近所で昼めし(パスタ、カルビ定食、ランチ寿司など)食ってから、
家に戻って30分ばかり日本茶でバッハを聴いてエネルギー充電。
14~18時は取材と編集作業。
18~22時はライヴ・執筆・読書・呑み会などの道楽タイムで、
24時前にはひとっ風呂浴びて爆睡。
朝昼ガッツリ食うので、夜は軽くつまむだけ。

続けて休むとこの単細胞野郎のリズムが崩れるので、土日どちらかは半ドン出社。
これらが近ごろのシンプルライフの内訳なんだが、
メリハリよく集中力が好調な点が気に入ってる。
体力を消耗する通勤時間のカットが、やはり大いに効いている。

まあでも、こんな平穏な暮らしが長続きするとは到底思えんから、
壮年期ラストのエポックに、せめてやれるうちに楽しんでおこうと思ってる。
桜の頃には、道楽タイムを拡張する8~17時へのシフトもありかなと、
ふとささやかな欲を出す。

桜とジェー.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月14日(水)その1980◆遺品整理

JR中野から歩いて四分、パセオから五分の新居。
裏庭と一部屋分広くなった上に、引っ越しの際にモノを七割方処分したから、
肩の凝らない小ざっぱりした住まいとなった。
仕事帰りの一杯が激減したのも、おそらく居心地がいいからだろう。

今回の転居には、よりシンプルに生きるための、暮らしやすい環境を求めた。
今年は会社員なら定年退職の歳だが、
自由業なので世の中のお役に立てる限り仕事は続けられる。
退職金がないのが辛えところだが、代わりにハードな仕事だけはザクザクと豊富だ。

「こんだけ遺品整理が楽チンな故人も珍しい」
引っ越しにあたっては、そんなイメージでモノを整理した。
書籍とCDは電話一本で引き取ってもらえるし、実用品はそのまま使える状態だし、
あとは衣類やら靴やらをまとめて捨てれば一丁上がりの段取り。
ただひとつの私の遺品(アリバイ)は、ほとんどパセオ誌面に注ぎ込んで来たし、
国会図書館ならいつでも創刊号から閲覧できるから保存の手間もない。

そんなこんなで、いつ死んでもオッケーの準備が完了したこの先は、
これぞ大切!と感じた手応えを思う存分パセオに注ぎ込む作業に集中できるわけで、
やれやれ、ガリガリギトギトだった人生も、
ようやくそういう小ざっぱりした暮らしにたどり着けたかと、
ほっと一息つきながら裏の縁側にジェーと一緒にしゃがみ込み、
オブレゴン(ピアノ弾き語りセビジャーナス)なんかを聴きながらホウジ茶をすする。って、
ほとんどボケた隠居爺みてーな戯言をぬかしてる場合でもない締切前の朝。

奥村土牛.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月13日(火)その1979◆時代錯誤

「胸に柔らかく広がっていく天上の音の美しさを堪能。
特にバッハのダブルコンチェルト、素敵ですね。
切なさの中に浮遊し溶け込んでいくような優しい快さを感じます」

年に数度の呑み会ついでに、
私が読みたがりそうな書籍を調達して来てくれるヨシオとの新年会。
逆に今回は、奴の気に入りそうな私の愛聴CDを数枚贈ったのだが、
今朝方パソコンを開くと早速に冒頭のメールが入っていた。

音楽文学に造詣の深い彼と、
上原の呑み屋でたまたま知り合ってもう十年近くになる。
バッハやベートーヴェンやブラームス、藤沢周平や乙川優三郎やサマセット・モーム・・・
店の隅っこに陣取り、ここらへんの話題で静かにマニアックに盛り上がる
時代錯誤な風情を、互いに気に入っているものと想われる。

ムター/四季.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月12日(月)その1978◆タイムマシン

キース・ジャレット/ヘンデル.jpg

キース・ジャレット。
ピアノ・インプロヴィゼーションで一世を風靡した彼が、
バッハと同年生まれのヘンデルの鍵盤作品にチャレンジした1995年録音。

引っ越しのCD整理の最中にひょっこり出てきた
このアルバムに懐かしく聴き入った。
バロック音楽をここまで清楚にロマンティックに表現できるキーボード奏者も稀である。

当時私は40歳。
離婚間もない頃で、阿佐ヶ谷北でハチャメチャな独身生活を送っていた。
協会運営やパセオ経営にも疲れ果て、〝壊れた自分〟を持て余すような日常だったが、
パンクな暮らしの中で傾聴した音楽は一筋の光明だった。

あの頃の私に説教してやりたいところだが、
「大して変わってねえなあ」と逆にやり返されそうなので、
タイムマシンの購入は断念する。

─────────────────────────────────────
2015年1月11日(日)その1977◆何とかなるさ

幼い私の原風景。

生家近くの都電の始点(終点)駅。
昭和三十年代のオールウェイズ時代。

25番線9.jpg

楽しく暮らしたいなら、世の中がどうあれ、
汗水たらして働くあの頃の感覚で生きるのが一番わかりやすい道だよと、
懐かしいオンボロ電車が笑っている。
何とかなるさ、と笑っている。

エネルギーを満タンにする郷愁。       
今日は都電荒川線ぶらり旅。

─────────────────────────────────────
2015年1月10日(土)その1976◆マイテ行こう

そこそこ広くて静かで便利で、
これまで暮らした住まいの中ではダントツトップの環境。
まあこりゃ、いかにこれまでロクなところに住んでなかったことの証明でもある。

午前中に中野ZEROホール向かいの楽しいシマチューで最後の買い物をすませば、
ようやく十七年ぶりの引っ越しもひと段落。
NHK将棋トーナメントを観戦して、午後からジェーとパセオ。
明日は朝から大江戸散歩に繰り出すので、今日はみっちり仕事せにゃならん。

CDを大量に処分したら、かえってじっくり音楽を聴く時間が増えた。
天井が高いので、ダイヤトーンのスピーカーが伸びのびと冴えわたる響きを提供する。

朝っぱらからしっとりと、マイテ・マルティンの名盤『フリーボレロ』を聴く。
ちょっと徳永英明のカヴァーアルバムに近い風情。
ピアノは盲目の天才ピアニスト、テテ・モントリューで、
これにベースとパーカッションが加わる。
二十年前のライヴ録音だが、ジャンルを超えて、
シックで柔らかなマイテの歌唱は絶品中の絶品。

マイテ・マルティン.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月9日(金)その1975◆公演忘備録(小島慶子)

パセオフラメンコ4月号(3/20発売)公演忘備録初稿

10897768_750129528397742_8254203185375664613_n.jpg

エスペランサ新春ライヴ/Canela Pura Especial
2015年1月4日(日)東京(高円寺)エスペランサ
【バイレ】小島慶子/鍜地陽子/島村香/河野睦
【ギター】金田豊/小原正裕
【カンテ】川島桂子/佐々木紀子
       
フラメンコをまるで知らない人でも、自信満々で連れてゆけるライヴ。
ジャンルに関わらず舞踊やアートに関心のある人ならば、
さらに安心して乗せられる大舟。
フラメンコファンならば一度は触れなきゃダメダメと太鼓判を押せる
バイラオーラ小島慶子は〝タブラオフラメンコの華〟だ。
         
前回大劇場で観た彼女は、本来の魅力をフルに発揮したとは云い切れぬ出来だったが、
この日の小島慶子は期待に違わぬブッチ切りフラメンコで満員の観客席を大熱狂させた。
わかりやすく一分の隙もない舞踊技術と躍動するエンタテインメント性は、
往年のスター碇山奈奈や、永らく本場のタブラオで番を張った渡部純子と
同様の上空に位置するものだ。

小島慶子のフラメンコというのは、爆発力を伴なう
ハッとするような美しい瞬間が流れるように連続し、
しかも全体を眺めるとその強靭にして精密な構成力が浮き彫りになるという、
つまり花も実もある、いわゆる金の獲れるバイレなのだ。
まったく油断もスキもありゃしない眼の離せぬスリリングな展開には、
素人も玄人も同時にワクワクさせる大輪の華が映る。

柔軟な鋭さを秘めた身体メロディは優雅にして重厚であり、
その巨大なスケールの内側には常にフラメンコのペソ(重み)が大胆繊細に宿っている。
ただ活発に動くバイレと決定的に違うのはそこであり、
誰もが身に着けたいと願うこの秘法を縦横無尽に彼女は行使する。

いわゆるダレ場は一瞬もない。
その明るい生命力に充ちたオーラは、彼女が客席奥に現れた瞬間に発生し、
クアドロで他の舞踊手が踊っている時のパルマやハレオにもそれは顕著であり、
ステージを降り客席奥に消えてゆくまで燃え続ける。
このあたりのテンション技法は、練習生のみならず
プロの踊り手にも最良の手本となるだろう。
最後にもうひとつ、深いニュアンスを知り尽くしたカーニャとガロティンの
踊り分けの優れた精度をしっかり記憶に留めておきたい。
            
ソレア・アレグリを踊った島村香は、終始一貫したその誠実な姿勢が印象的。
ソレアでいよいよポテンシャルを炸裂させた河野睦。
劇場向きのスタイリッシュで美しい踊りに定評ある彼女だが、
そうした枠を自ら取っ払う今回ソレアの大胆な賭けは見事に大吉と出た。
新人公演奨励賞受賞のころから注目する鍜地陽子は
サパテアードの音色の粋が突出している。
自ら積極的に未来を開拓する意志がストレートに顕われたアレグリ・シギリージャは、
共にギラつくような逞しさで踏み込み鋭く踊られ、
彼女の矜持をまざまざと顕わした。   

─────────────────────────────────────
2015年1月8日(木)その1974◆木曜会はオープン新年会

人の長所短所は表裏一体である。

例えば私は、モノを覚えるのがやたら早いが、
忘れるのはもっと早い。
例えば私は、女の人と仲良くなるのが得意だが、
呆れられて捨てられるのはもっともっと得意だ。
例えば私は、長所を磨くことが上手だが、
短所を磨くことは比較にならないくらい上手だ。

以上のことからも明らかなように、
長所に安心することは最も危険なことのように想われる。
この問題の解決策は現在のところ発見されてないが、
みんなも頑張れよ。


さて今宵は、2015年初の高円寺エスペランサ木曜会。
家でひとっ風呂浴びて、21時ころ出掛けるが、
車か歩きか、徒歩20分は実に微妙な距離だ。
パコのスーパーギタートリオ(サンフランシスコ)なんかを
ガンガン聴きながら元気に歩いて往くかあ。
ところで今日の新年木曜会はオープンなので、
来たい方はどうぞ遠慮なくいらっしゃい。
21時半~24時半まで、呑み放題3000円税込+タパス付+おれ付 ( ̄▽ ̄)

10420076_753586764718685_8115966340002208405_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月7日(水)その1973◆風と共に去った女

10898044_752984698112225_3950023950632379837_n.jpg

「きれいね」

私の並べる盤面を熱心に見つめながら、
二十になる彼女はそう評した。
早いものであれから三十数年が経過する。

江戸中期の盲目の棋士・石田検校が考案した〝石田流〟の駒組は、
現代感覚からしても確かに美しい。
やや理想主義的だが、攻撃面ならびに防御面の機能性は極めて高い。
だが、形に拘らぬ泥臭い反撃を浴びると意外な盲点をとがめられるところが、
理想主義のモロさとも云えるだろう。

将棋のルールも知らずに石田流の構えを美しいと評した清美の、
その旺盛な好奇心と感性の鋭さにはいつも舌を巻いたものだ。
バッハやモーツァルト、パコ・デ・ルシアやマノロ・サンルーカル、
サルトルやモーム、ホッピーやモツ焼きなどの味わいも恐るべきスピードで吸収した。

夏に知り合い正月には姿をくらました彼女は、
恐るべきスピードで私を吸収し、風と共に去った。( ̄▽ ̄)

10922568_752984744778887_1121800174682891265_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月6日(火)その1972◆世渡り戦略

夜明けの珈琲の薫りにシンクロするようなグールドのバッハ。
このところフランス組曲ばかりを聴いている。

右手と左手。
その親密な二声の対話は、
人と人とがふれあうことの美しいヴィジョンを響かせる。

その高音と低音は互いに主張し合いながら、
互いを引き立て合う。
互いに相棒の重要性が身に沁みている。

世渡りや仕事の基本も、すべて自立協働の
この響きの中に在ることを知って以来、
生きることがずいぶん楽しくなったことを想い出す。

グレン・グールド/ポートレイト.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月5日(月)その1971◆冷却期間

いや、きのうエスペランサの小島慶子は凄かった。
ほんとに凄かった。
すぐに原稿を書くつもりだったが、
ちょっと興奮しすぎなので、二、三日冷やすことに。

さて、編集部は今日から正式始業で、
さっそく今日が三月号(2/20発売)の締切日。
担当分は九割方すんでるので余裕のよっちゃん、
しばらくはインフラ部分の補強をするつもり。

今日はこれから代々木上原の行きつけに、
ボサボサに伸びた髪(残り本数には触れないでほしい)をカットしに行く。
写真はカット後のイメージ画像で、これそっくりにやってもらうので、
明日からおれのことはビセンテと呼んでほしい。

10888803_751103318300363_5607755260619476975_n.jpg

帰りはこれも久々の〝どさんこ〟に寄る段取り。
二日とあけず通ったどさんこだが、数えてみたら18日ぶりだよ。
振り返りゃあ、怒涛の年末年始だったな。

 

─────────────────────────────────────
2015年1月4日(日)その1970◆新年初取材

10897768_750129528397742_8254203185375664613_n.jpg

小島慶子はうんと若いころから突出した本格バイラオーラだったが、
十年ほど前にタブラオで踊った彼女のガロティンの優美繊細重厚に、
グサリ私は突き刺された。
「何でもかんでもスペイン人」の時代は終わったと予感したのは、
まさしくあのライヴだった。

今日から本格的に仕事初め。
夜は高円寺エスペランサでパセオ公演忘備録の新年初取材。
例によって、新春ライヴの面子は圧巻である。

〝Canela Pura Especial〟
【バイレ】小島慶子/鍜地陽子/島村香/河野睦
【ギター】金田豊/小原正裕
【カンテ】川島桂子/佐々木紀子

─────────────────────────────────────
2015年1月3日(土)その1969◆こんな女と

正月最後の休日。
初春のひとときを向島百花園で過ごす。

この庭の、作り込まない気軽さ。
自然な程よい愛敬の粋。
しっとり優しく滲み出る色気。

ま、大きな声では云えねえが、
「こんな女と暮らしてみたい」

10363249_749848261759202_1482997407630970875_n.jpg

─────────────────────────────────────
2015年1月2日(金)その1968◆旅路の果てに

五十数年前、母に連れられ時おり訪れた向島百花園は、
幼い私には地味で退屈な庭園だった。
四十数年前、評判に押されて聴き始めたグールドは、
若く血気盛んな私には素朴にすぎるバッハだった。

潜在意識の奥深くに潜んでいたそれら記憶がシンクロしながら、
それ以外の実にさまざまな劇的体験を凌いで、
五十代後半の暮らしの通奏低音として呼吸し続けていることに驚きを覚える。

9798_748775935199768_4358034846301296538_n.jpg

歓びや哀しみを寄り添い語らい合う二声。
グールドのバッハはあまりにシンプルだが、
それは宇宙誕生の意味と直結しているかのように聴こえる。

10897832_748775678533127_1866844064991926578_n.jpg

すべて受容する優しさと滲みでる色気。
しっとりと、しかし毅然とする佇まいの百花園は、
時間と空間と生命の理想的共生の縮図のようにも感じられる。

これらハーモニーが謳うテーマは〝自立協働〟。
ムダに暴れた59年だが、
すべてはこうした好ましい地平にたどり着くための旅路だったと考えるならば、
それらひとつひとつの顔も立つ。
まったく、寄る年波とは巧妙な云い訳をこしらえるものだと苦笑する正月二日目の朝。

─────────────────────────────────────
2015年1月1日(木)その1967◆がっぷり四つ

あなたと私の、新たな一年間の健闘を祈ります。

10891727_747826935294668_5069899368724992719_n.jpg

昨年はフラメンコ発信地たる東京・中野へとパセオと自宅を移した。
広いスペースに油断することなく、過去の記憶や道具を三割ほどに圧縮し、
幅と奥行に不足のない新鮮なキャパを手にした。
たっぷりした無色透明なキャンバスに、誰彼に遠慮することなく、
より納得できる仕事と暮らしを描き抜いてみようと改めて想う元旦の朝。
「がっぷり四つ」でこの一年に臨む。

さて、元旦恒例は正午集合、故郷・小松川の兄宅での新年会。
連れ合いが腕を鳴らすパエージャも、なぜか恒例になってる。
なので留守番を担当するジェーには、元旦は鬼門である。( ̄▽ ̄)

小学校教師を定年まで勤め上げた兄は、産休補佐教師として再び現場に復帰したという。
ヤクザなこの叔父を反面教師とするオレそっくりの甥たち(四代目江戸っ子)も、
上は国税局、下は東大大学院で猛奮闘中である。

─────────────────────────────────────