フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2012年7月①

2012年07月01日 | しゃちょ日記

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 2012年7月1日(日)/その1095◇理想の終焉

 ひと仕事すませて、「ちい散歩」を観るのが楽しみだった。
 
 6月29日、俳優の地井武男さん(70歳)逝去。
 苦労人特有の飄々とした味わいが絶品だった。

 好きな仕事の夢の途中で、長患いすることなくスパッと往く。
 人生の理想的な終焉だと思う。
 私もそうありたいが、そういう段取りは組みようがないので、
 どうあれまずは、好きな仕事を続けることだ。

 「ちい散歩」におけるちいさんの在り様には、
 優しさときびしさが丁度いい按配に同居していた。
 晩年ならではの風情を独り味わいながらも、
 世代を超えるコミュニケーションもサクサクと程良く、
 ああ、こんなふうにすればいいのかというヒントが満載だった。

 ああいう感触を自分なりに後輩たちに伝えてゆくこと。
 それを親愛なるちいさんへの、ささやかな手向けとしたい。

               
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2012年7月2日(月)/その1096◇松本真理子/しゃちょ対談

 今日は大阪の人気バイラオーラ松本真理子さんのインタビュー。

 7月号公演忘備録で井口由美子も國分郁子も絶賛しているが、
 私もまた彼女のこの春の『二人静』の東京公演に感激し、
 即メールでしゃちょ対談ご登場を依頼した。

 東京を拠点に活躍するアーティストであっても
 リサイタルは稀少になった昨今、
 関西から大挙繰り出した東京公演で、
 こうしたガッツある成功を収めた彼女に
 最大限の敬意を払いながらインタビューに臨みたい。

 むろん、科学的探究を本線とする最初の質問はこうなる。


  「真理ちゃんの血液型おせーて?!」

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 2012年7月3日(火)/その1097◇人間科学

 ウェブ友yogiが、今朝の日記でマザー・テレサの言葉を紹介している。
 あまりに人間の事実を云い当てているので、しばし呆然とする。

 錯覚かもしれないが、ずっと前に読んだことがあるような気がする。
 その時は、ウザい説教だと感じた記憶が微かにある。 


  思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
  言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
  行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
  習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
  性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 
 50代後半の自分が、胸に手を当てつつ振り返りみれば、
 すべてドンピシャに思い当たることばかりだ。
 私の場合は十二分に手遅れだが、手遅れなりに光は視えるものだ。

 迷う余地のない科学性に仰天する、今朝のコーヒータイム。
 ありがとう、yogi!


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 2012年7月4日(水)/その1098◇事件

    ビリッ!!!

 事件が発生したのは昨日の午後、
 煎餅カスを散らかした床に掃除機を掛けようとした瞬間だった。

 私のズボンの右太モモ内側に、約20センチの亀裂が入り、
 雪のように美しい玉肌が露出している。
 ありゃりゃと腰をかがめる瞬間、股に向けてその亀裂は約35センチに拡がった。
 すでにズボンではなく、それはあたかもカーテンのようである。

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 「記念に写真撮りましょうか?」

 爆笑を呑み込みながら、編集部・岩井がそう提言する。
 人生57年、まあこんな経験は初めてだから、
 そういう配慮はありがたかったが、夜は大事な呑み会がある。
 むろん会社にズボンのスペアなど置いてない。
 岩井の機転で透明の幅広テープによる応急措置を施し、
 約100メーター先にある明治通り沿いの紳士服アオキに向かう。

 全力で走れば10秒弱で到着できるかもしれないが、
 すでにテープはボロボロに剥がれ、亀裂はさらに広がる一方だ。
 右膝から股にかけてはワイセツ物陳列状態で、
 あいにくトランクス(そして中身)も世間さまに勝負できる代物ではない。
 バッグで何気に隠しながら、あふれる人波の交差点を渡り、
 ほとんど変態芸人のような態でアオキに駆け込む。

 「自称フラメンコの出版社社長、高田馬場口交差点でストリーキング現行犯逮捕!」

 まあ、そんな可能性も大いにあったわけで、
 即座に状況を察知し、素早く対応してくれたアオキの姐さんに感謝したい。
 その20分後には、裾を直した新品スラックスを装着する私。
 アオキを出る私は、やっとのことでシャバに復帰出来た変態犯のような、
 実にさわやかな心持ちだった。

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 2012年7月5日(木)/その1099◇手遅れなりに

 「わたしたち一人一人が、
  自分の玄関の前を掃除するだけで、
  全世界はきれいになるでしょう」


 ウェブ友の日記に刺激され、マザー・テレサに注目している。
 あらゆる宗教から等しく距離を置くことが私の世渡り方針なのだが、
 例えばキリスト教の影響下に生まれたバッハのように、
 おそらくは仏教の影響の色濃い落語のように、
 これもおそらくはイスラム教の寛容の精神を継承するフラメンコのように、
 人間の普遍性を鋭く掘り当てたものには素直に反応してしまう。

 若い頃にはまるで反応出来なかったマザー・テレサ語録に、
 自然と胸を打たれる現象は実に心地よくて、
 歳を重ねることも悪くないと思えてくる。

 彼女(冒頭言)の影響から、昨日のような事件を引き起こすこともあるだろうが、
 しばらくは、マザー・テレサ語録をじっくり味わいながら、
 手遅れなりに、学べるものは学んでみたい。


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 2012年7月6日(金)/その1100◇もしかして

 力も伸びしろもタップリあるのに、
 おそらくは自己批判などが厳しすぎて、
 いつの間にやら視界から消えてゆく人々。

 アートの世界でもそれは顕著であり、
 何十ケースとなく、そういう紙一重の実例に唖然としてきた。
 勿体ないもんだとも、皮肉なもんだとも思う。
 貧弱な実力と伸びしろしか持たぬタイプ(たとえば私)にさえ、
 いまだチャレンジ出来るチャンスが残されているというのに。

 良心や美学や悲観が基本であることには異議はない。
 ただし人の生理バランス上、他方に必須なのは、ひょいと顔を出す開き直った楽観。
 折れた心をご飯粒と念力でつなげようとする、祈りにも似たユーモア。
 言葉では説明しづらい、微かな、そういう紙一重にビミョーな技術。

 自滅に向かう神経質な生真面目さを、
 サクッと明るく開き直る真面目さに育て上げる急所は、
 もしかして、そこらへんに在るんじゃないか?


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2012年7月7日(土)/その1101◇野望の果て

 「導いてくれる人を待っていてはいけません。
  あなたが人々を導いていくのです」
                  (マザー・テレサ)

 フラメンコって凄えなあ!
 即、本屋に飛んだが、フラメンコの本がない。
 何たることかと立腹した昭和の若き日。


 他人を導くことは出来ないけれども、
 自分を導くことなら出来るかもしれない。


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 2012年7月7日(土)/その1102◇決算書のめくり方

 「神様は私たちに、
  成功してほしいなんて思っていません。
  ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」
                     (マザー・テレサ)

 神様に褒められたいわけではないけれども、
 そこだけは日々押さえて来たつもりなので、妙に癒される。
 この先は、決算書をめくるたびに、この言葉を思い出そう。


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 2012年7月8日(日)/その1103◇カニサレス夫妻の来社

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 6月号のカニサレス表紙は、近年のパセオ表紙ベスト1との評判も高い。

 昨年春、サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルで、
 アランフェス協奏曲を快演したあのカニサレスが、
 (小倉)真理子夫人とともに来日する。
 
 明日月曜日はもろもろ取材のため、夫妻で高田馬場パセオに訪れる。
 来年新年号の『伴奏者の視点』、2月号の『しゃちょ』対談、
 新年号からの12回連載『カニサレス自伝』の最終打ち合わせと、
 彼らにとっても超多忙な一日となりそうだ。

 カスタネットの名手・小林伴子さんとの初対面インプロ一騎打ちやら、
 ご近所を走る都電を背景にご夫妻のツーショットなど、
 北澤壯太による撮影もかなりハードなものとなる。

 今回は夫人の里帰りとバカンスを兼ねたお忍び来日なので公演はない。
 だが、撮影にかこつけて、マエストロの生ギターを間近で聴くチャンスなので、
 今晩は興奮してちょっと眠れそうにない。
 昼から出社して、明日の対談の作戦最終チェックに万全を期す段取り。


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 2012年7月8日(日)/その1104◇日本人は何を考えてきたのか

 今晩22時のNHK第二は、
 アジアの星・姜尚中による『吉野作造と石橋湛山』。
 こりゃ観ずばなるまい。
 遅くも21時には帰宅しようと決める。

 吉野作造は、大正デモクラシーの立役者であり、
 石橋湛山は、最も尊敬できるジャーナリスト~政治家。

 近ごろは、フラメンコに踏み込めば踏み込むほど、
 日本と日本人を知りたくなる。

 姜尚中さんの分析に注目したい。
 けれども、本当にそこに注目してほしいのは、
 国を放置したまま政局のみに集中する、昨今の政治屋さんたちだ。


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 2012年7月9日(月)/その1105◇涙のドラマ出演

 テレ朝の刑事ドラマに出演してほしいと云う電話。

 

 『相棒』ならば、死体役でも出演したいと私は思った。
 だが、出演依頼は私じゃなくて、月刊パセオフラメンコの方だった。
 この七月下旬にオン・エアだと云う。

 

 上川隆也さん主演のドラマ『慰留操作』にフラメンコ関連の話があるので、
 そこに専門誌による狂言回しが必要だというのだ。
 なので、最新号とここ数年のバックナンバーを30冊ばかり提供した。
 貸し出したフラメンコDVDも100本ばかり登場するはずだ。

 

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 「あ、あの、それらの遺留品は、
  最後はダンボールに詰められて捨てられてしまうのですが・・・」

 

 済まなそうに、担当ADさんがそう云う。
 いいよ、気にすんなよと私は笑ったが、その心は泣いている。

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 2012年7月10日(火)/その1106◇カニサレス三昧

 カニサレス。

 ご存知フラメンコギターのグラン・マエストロ。
 きのうは12~19時まで、そのハードにして知性溢れる爆笑取材。

 来年新年号の『伴奏者の視点』は、編集部・小倉担当。
 おなじく新年号から12回連載の『カニサレス自伝』と
 2月号の『しゃちょ』対談は私が担当する。

 愛妻・真理子夫人の明快な通訳によってストレートに伝わるマエストロの、
 常に本質的な視点から発せられる巨大な知性と、
 おなじみのユーモアを交えた回答に、小倉も私も狂喜する。
 
 14時からは北澤壯太による撮影。
 編集部の前の駐車場の緑をバックに、衝撃の野外ノーマイク演奏。
 その生音を初めて聴いた私たちは、凄みある美音にノケ反り続けた。

 さらに、かつて東京外語大に通った真理子にとって、
 涙の出るほど懐かしい都電を背景にツーショット。
 そして、初対面となるカスタネットの名手・小林伴子との
 即興セッション撮影。

 リスぺクトにあふれる寄り添うようなパリージョは、
 時にクレッシェンドでギターを煽るように歌う。
 この極東の名手の高い技術と音楽性には、マエストロも大感激だったようで、
 日本で公演する機会にステージでの共演は可能かと、伴子さんに打診していた。
 
 さて、都電ロケのあとの和食レストランでの昼食休憩。
 マエストロは天婦羅と蕎麦のセットを所望し、
 真理子は同じものを、カメラマン北澤は海鮮丼を頼む。
 残る小倉と私は迷わずこう注文し、
 マエストロ・カニサレスはゲラゲラと笑い転げた。


 「カニ釜飯、ふたっつねっ!」

 ちなみに、カニサレスの天ぷらは、エビサレスだった。

 
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しゃちょ日記バックナンバー/2012年7月②

2012年07月01日 | しゃちょ日記

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2012年7月11日(水)/その1107◇フラメンコ

 「その瞬間、瞬間が、
  私たちの求めているものすべてであって、
  他には何もいらないのです」

            (マザー・テレサ)

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 本日は、あの中田佳代子の東京リサイタル。

 佳代ちゃんは2008年のスペイン・アレグリアス舞踊コンクールの準優勝者で、
 その頃の奮闘記をパセオに連載してもらったこともある。

 渋谷のさくら小ホール19時半開演。
 パセオの忘備録メンバーも多勢駆けつける。

 どんな規格にも収まらない彼女の自由奔放なオーラを、
 頭をカラッポにして楽しんで来ようと思うが、 
 そりゃいつもじゃねーかっていうツッコミは聞こえないものとする。

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2012年7月11日(水)/その1108◇感覚
 
 小学生のころ、四年ほどいじめられた。
 右脚関節の故障でビッコをひいてたからだ。
 我の強いガキだったから、ビッコばかりが理由ではなかったかもしれない。

 手術によって五年生の秋に障害は完治し、体育の授業もオッケーとなり、
 マラソンとプロレスごっこに夢中になった。
 六年生になって、いじめた奴らに一人ずつ報復を開始した。
 放課後プロレスごっこに誘い、利子を付けて過去の借りを返した。

 子供なりに、被害者と加害者の実際を、論理ではなく感覚で理解したと思う。
 つまり、やればやられるという、作用反作用や因果応報の法則を。
 善き事も悪しき事も、やがてそのまま自分に還ってくることを。
 そうした局面に、親や先生や学校や公機関が深く介在することは、
 物理的に難しいと実感している。
 
 子供には子供だけのサバイバル社会があり、
 歳とともに厳しくなる社会への適応のコツを同世代で互いに学ぶのが
 小学時代ではないかと私は思う。

 大人以上に子供は狡猾であることを忘れてはいけない。
 論理ではなく感覚にて、子供たちは生き抜くための技術を学ぶ。
 大人たちは口先で道徳を説くより、感覚を体現することを重視すべきかと私は思う。

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2012年7月12日(木)/その1109◇読み筋

 フラメンコギターのグラン・マエストロ、
 チェスの名手としても知られるカニサレスとの対話中、
 彼は天ぷら(えびサレス)を、私は釜メシ(かにサレス)を食いながら、
 チェスと将棋の違いに話題が及び、ふと信長語録が脳裏をかすめる。

 「将たる者、多少なりとも将棋を嗜むべし」

 16世紀末、織田信長はそう云い、当時最強の将棋専門家を名人に認定し、
 その流れから徳川幕府によって名人(家元)制度が確立された。
 まあ今で云うなら、国立大学の教授みたいなもんだろう。
 明治政府はそれをバッサリ切り捨てたが、今年は名人制発足400周年に当たる。

 維新後の富国強兵策は時代の宿命と云えるだろうが、
 そこに吉田茂や石橋湛山的な優れた(流血を最小限に抑える)合理主義を
 多数育てるはずの囲碁や将棋の活用を唐突に廃した、
 明治役人の感覚の悪さは尋常ではない。

 さて、戦国時代の歴史を振り返れば、
 信長の読み筋というのは、
 勝負のツボを心得ているというか、実に鋭く凄まじい。

 明智光秀のクーデターを読めないようではダメじゃんか、
 とクサされたりもするのだけれども、
 いかに天下統一の為とは云えども、
 あれだけの大量殺戮を決行した信長には、
 光秀限定では無いにせよ、そうした因果応報もまた、
 大まかな読み筋だったのではないかとも思えてくる。

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2012年7月13日(金)/その1110◇残る課題は

  「どんな人にあっても、まずその人のなかにある、
  美しいものを見るようにしています。
  この人のなかで、
  いちばん素晴らしいものはなんだろう?
  そこから始めようとしております。
  そうしますと、かならず美しいところが見つかって、
  そうすると私はその人を、
  愛することができるようになって、
  それが愛のはじまりとなります」
                    (マザー・テレサ)


 好きなタイプの人には、そういうスタンスはとりやすい。
 私の場合で云うと、相手を従兄弟のように想いながら会話することが多い。
 相手が女性の場合も、18歳でも81歳でも従姉妹のように接するが、
 そうした場合の下心は、およそ3%以上15%未満である。

 そんなふうが習慣になって来ると、やがて、
 好きでも嫌いでもないタイプの男女に、
 そういうアプローチが自然と出来るようになってくる。
 幸運を呼び寄せるってのは、そういうことなのかと実感したりもする。

 残る課題は、嫌いなタイプであり、
 私の場合は、それが余生の課題となるんだろうなあ。


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2012年7月14日(土)/その1111◇甘き夢

 幼いころ、遊びなじんだ荒川の土手下に、
 名古屋製糖という砂糖の精製工場があった。
 ご近所の優しいあんちゃんたちが、そこに日給500円で稼ぎに出るのを
 小ちゃい私は憧れの眼差しで眺めていた。
 現代ならば5000円くらいの大金である。
 今朝方の夢は、そういう郷愁から派生したものだろう。


 不当な圧力によって、砂糖工場はピンチに立たされる。
 官憲たちが武力で押しかけ、作業員たちはこれに素手で立ち向かう。


 いわゆる 「製糖防衛」 である。

 

 原発反対の大規模デモを報道しないマスコミの狂気に当てられたのか、
 最近の夢はちょっとおかしい。


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2012年7月15日(日)/その1112◇三人目のアントニオ

 グラン・アントニオ、
 アントニオ・ガデスに続く、
 三人目のアントニオ。

 この四半世紀で十数回接することのできた
 アントニオ・カナーレスのステージは、
 全人類のエネルギーとポテンシャルの象徴のようでもある。

 本日昼過ぎから、そのグラン・マエストロのマチネ公演に出掛ける。
 会場は代々木のカデーナフラメンカで、鈴木敬子が共演するが、
 彼らの初共演から、すでに20年以上の歳月が経過していることに驚く。
 あの時の会場(こまばエミナース)には、
 開演十分前からドゥエンデが降りていたことを想い出す。

 パセオ10月号の表紙とcon flamencoの取材も兼ねている。
 撮影は北澤壯太、短文は私が担当するが、
 今日の印象をメインに、終演後イッキに書き上げてしまう段取り。
 どこまで彼のフラメンコ魂を感じとることが出来るか?
 問われるのはいつでも、こっちの感覚のほうだ。


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2012年7月16日(月)/その1113◇森田志保の即興ライヴ

 本日18時より吉祥寺・森田スタジオの
 志保さんライヴに出掛ける。

 共演者はパーカッションの大儀見元さんのみ。
 事前の打ち合わせは皆無であり、
 ただひたすら自然発生的な完全即興を貫く、
 実験ライヴシリーズの第二弾だ。

 今回新宿ゼロのプリメラ祭り(バイレ編)とぶつかってしまったのだが、
 初回の柴田亮太郎(ギター)さんとのインプロ・セッションを見逃しているため、
 新宿ゼロは六名の忘備録仲間に任せ、私は吉祥寺トルニージョを単身取材。
 『森田志保/ねじ』連載続編の手付けとなるマッカランはすでに購入済みだ。

 「感覚が戻るのに、ちょっと時間がかかったみたい」

 井の頭公園脇の焼き鳥屋で、前回即興ライヴ後の感触を彼女はそう語った。
 さらに聞いてみると、それはネガティブな感想ではなかった。
 完全即興の新世界に、彼女は大きな手応えを感じている。
 フラメンコ、創作シリーズ(はな、ねじ)に続く、
 森田志保の三本目の柱となる兆しは濃厚である。

 
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2012年7月17日(火)/その1114◇プリメラのフラメンコギター祭

 カナーレス+鈴木敬子、森田志保+大儀見元に続く、
 ライヴ3レンチャン取材のラストは、
 今晩のプリメラ主催の邦人ギター・フェスティバル。

 飯ヶ谷守康や沖仁をはじめとする
 お馴染みの新旧フラメンコギタリスト18名が一堂に会し、
 それぞれトーケ・ソロを披露する、いわゆる歴史的ライヴだ。
 見開き2ページの集合写真で、その快挙を誌面に刻む段取り。

 撮影は北澤壯太、編集部・小倉の仕切りで
 11月号に計4ページの記事を組む。
 前回のパコ・デ・ルシア新譜記事が意外と好評だったので、
 今回も小倉と私の対話形式で、この歴史的ライヴを語り尽くす魂胆。
 
 対談スタートと同時にその目的を忘れ、
 三流マシンガンギャグの連射に終始する私に対する、
 小倉青年の真摯な対応とそのまとめに期待が募る。


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2012年7月18日(水)/その1115◇心の辞書

 「私たちは、この世で大きいことはできません。
  小さなことを大きな愛をもって行うだけです」
                       (マザー・テレサ)


 野心が充満していた頃には、まるで響かない言葉だったろう。
 ボーイズ・ビー・アンビシャス、そんなんでどーする!と、
 むしろ反論したかもしれない。
 まあ、私のようなわからんちんタイプだと、そういう時期も必要だった。
 
 小さなことを大きな愛をもって行う。
 その積み重ねのプロセスそのものに光と充実があること。

 言葉で知ることと、行動の結果から実感することはエラく違う。
 ただし、言葉で知っておくと、
 行動の結果を整理するときにエラく役立つから、
 そういうパセオを創りたい。


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2012年7月19日(木)/その1116◇デキてる女

 「ゆるいカーブで あなたへ倒れてみたら
  何もきかずに 横顔で笑って~♪」

 ユーミンの名曲『埠頭を渡る風』のドライブシーン。
 ラスト近くのこの歌詞には、いつも反応してしまう。
 ユーミン、巧いなあと思う。


 そう云や、おれにもそんな女がいたなあ。
 ドライブをせがみ、助手席でキャーキャー云う女。
 高校出るまで同棲してた。
 デブだが、やたら気のいい女だった。
 名はヒロコ。おれのおふくろ。


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2012年7月20日(金)/その1117◇あらヨット!

 テレビのゴルフ中継をチョイ見。
 豪快なドライバー・ショットに合わせ、
 思わずおなじみのハレオを掛ける。

 「よいショット!」


 ついでながら、ヨット競技における
 正しいハレオをタイトルに記した。


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2012年7月21日(土)/その1118◇三秒間の至福

 「あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
  蹴り返されるかもしれません。
  気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
                (マザー・テレサ)


 昨日よりは今日、今日よりは明日、
 自分の中の最良のものを引っぱり出そうとはしている。
 最悪まみれの私にとってそれは新鮮で、なかなかに楽しいことだから。
 そして実力通り、毎日のように世間から蹴り返されている。

 だが、まったく気にしない、というのは私には無理。
 どよよ~んと三秒間だけ気にして、すぐに気を取り直す。
 そうでないと、自分の中の最良のものを引っぱり出すのも無理。
 
 「死んだら休める」

 働くことを愛した先輩は、自分にもそう云い聞かせるように、
 たびたび私にそう云った。
 57歳以上のチャレンジャーに、落ち込む贅沢と猶予はない。


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しゃちょ日記バックナンバー/2012年7月③

2012年07月01日 | しゃちょ日記

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2012年7月21日(土)/その1118◇フリー・インプロヴィゼーション

 Inprovisacion vol.3
 森田志保/大儀見元
 7月16日/東京(吉祥寺)スタジオ・トルニージョ

 『フリー・インプロヴィゼーション


 「感覚が戻るのに、ちょっと時間がかかったみたい」
 井の頭公園脇の焼き鳥屋で、前回の初の即興ライヴの感触を彼女はそうふり返る。
 聞き込んでみると、それはネガティブな感想ではなかった。
 フリー・インプロヴィゼーションの世界に、森田志保は大きな手応えを感じている。

 今回新宿ゼロのプリメラ祭り・バイレ&カンテ編とぶつかってしまったが、
 柴田亮太郎(ギター)とのシリーズ初回を見逃しているため、
 新宿ゼロは六名の忘備録仲間に任せ、私は吉祥寺トルニージョを単独取材。

 さて。ぶらっと現れた大儀見元が淡々とパーカッションを叩き始める瞬間、
 スタジオ・トルニージョは非日常的な日常を獲得し、
 やがて、素足の森田志保登場。

 前衛的なモダンダンスや暗黒舞踏の世界観を予測させるが、
 時間感覚を喪失させる、透明にして濃厚な異次元空間の往く先は視えない。
 森田と大儀見はそれぞれにマイペースでありながら、
 時に小さくあるいは大きく、その行為は互いに呼応し合う。

 森田志保のフラメンコダンサーとしてのエリート性はほとんど発揮されない。
 物理的には彼女の『はな』や『ねじ』からフラメンコを除いた世界であり、
 踊るシーンも少なく、よって全体のメリハリは弱く、
 作為や不自然さは微塵もない、痛いほどの緊張と強い静寂が空間を純化する。
 そのあまりの純度に、時に私は苦痛と退屈を感じるが、多くの森田舞台の経験値から、
 終演後に唐突に訪れるであろう快い充実と巨大な癒しを予感している。

 人それぞれの感じ方こそが本望ですと、森田本人から聞く私は、
 ある局面を境に、突飛なイメージを決め打ちする。
 家の中でコツコツと何かを創る職人である父と、そういう彼を慕う幼い娘。
 今回は最後まで、敢えて私はそういうイメージから離れようとしなかった。
 ライヴ中の私は、感性豊かで寡黙な娘であり、同時に淡々と頼もしい寡黙な父親だった。

 ラスト3分。森田は黒い毛糸のようなものでグルリと、
 観客席の私たちをひとつに囲いめぐらす。
 おゐおゐ、いったいこりゃ何だ? 
 だが、私の左肩下あたりに触れるその糸には、どこか懐かしい温もりがあり、
 その場に居合わせた人々にゆるやかで好ましい連帯感をもたらす。
 そこで60分ジャストのフリー・パフォーマンスは終了し、ほとんど同時に、
 先ほどまでの懐かしい追憶が、
 実はそれぞれの未来を照らす光明であったことに想い当たる。

 森田の細部には常に全体が宿る。
 「何とかなる」んじゃなくて「何とかする」。
 その意志は鋼のようだが、その感性は春のそよ風のように柔らかい。

 またしてもやられたかと苦笑しながら、ほの甘い印象と余韻がこぼれ落ちぬように、
 慎重な足取りで地元行きつけに向かう。
 瞬時の感覚を間髪入れず体現する身体能力と技術、そしてそれらを統括する意志。
 伝統やシステムに頼らぬリスク満載のフリー・インプロヴィゼーション。
 フラメンコ、創作シリーズ(はな/ねじ)に続く、
 森田志保の三本目の柱となる兆しは濃厚である。

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2012年7月22日(日)/その1119◇即興と振付

 ウィットとジョーク。

 ユーモアはこの二種類に分類できると、ある本で読んだ。
 諸説あるようでホントのところは知らない。

 ウィットはその場で生まれる機転、
 ジョークは語り継がれる伝統的な笑い話のことだという。
 フラメンコ的に云うなら、
 ウィットは即興、ジョークは振付ということか。

 私自身はウィット派であることが多いが、
 好きなジョークがその下敷きになっており、
 全体の色彩は、なぜか下ネタ色に包まれている。

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2012年7月23日(月)/その1120◇最後の審判

 「死の瞬間、神と対面するとき、
  私たちは愛について審判を受けるのです。
  何を成し遂げたかではなく、自分の行いに
  どれくらいの愛をそそぎ込んだかが重要なのです」
                        (マザー・テレサ)


 私は無宗教なので、死の瞬間、神と対面する資格がない。
 人知れず死んでく可能性も高いから、人をアテにも出来ない。
 だから、最後の審判は一瞬にして自分でやるよりない。

 「まあ、そこそこよかったんじゃねえの」

 出来るものなら、本音のところで、そう自分に云ってやりたい。
 そこに余生の行動基準やパセオの編集方針が生まれるものと思いたい。


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2012年7月24日(火)/その1121◇ジジーテレサ

 柄でもない組織創りにしっちゃかめっちゃかだった三十代後半。
 大きな修羅場をどーやら乗り切った裏方おつかれ酒場で、
 うっかりグチる私と、そこに突っ込む15ばかり年長の頼れる先輩。

 「ああ、半日でいーから休みてえ」
 「何云ってる、若いもんが。死んだらゆっくり休める」
 「かんべんしてよ~、休んだ分はきっと来世で頑張るからさあ」
 「このバカもんが。今生で出来ないことが、来世で出来るわけもない」

 ちゅうちょなく落ちてるゴミを拾うタイプの彼には、
 ジジーテレサのような妙な説得力があって、私はぎゃふんとなる。
 今生(こんじょう)でさえ出来ないことを、来世で出来るわけもない。
 実は輪廻を信じぬ私にも、その云わんとするところは腑に落ちる。

 輪廻を信じようと信じまいと、やるべきことは一緒なのだと、
 生来の意気地なしで怠け者の私にとって、
 良くも悪くもある種ターニングポイントとなった忘れ得ぬ会話。

 
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2012年7月25日(水)/その1122◇夏はこれだよ!

 「冷やしブッかけ」

 鬼平や梅安や小兵衛でおなじみの池波正太郎さん。
 多忙だった三十代にその全著作を幾度も読み返し、
 小説中のいかにも旨そうな料理を幾つもパクった。
 
 うに飯、小柱飯、鴨&卵かけご飯などが我が家の定番となったが、
 夏と云えば、この「冷やしブッかけ」の出番となる。
 炊き冷ましのご飯に、よく冷やした味噌汁を豪快にぶっかけて食う。
 ただそれだけの、手間も金もかからない粗食なんだが、
 冷たい茶漬けみたいな感覚で食うと、これがやたらと旨い。
 相性の良いおかずは、塩と酢と酒で軽くミョーガを揉んだ浅漬け。

 味噌汁には具を入れないのがミソで、
 それが米と味噌の本来の旨みを引き出す仕組み。
 前の晩に薄めの味噌汁を仕込み、冷蔵庫にぶっ込む時なんか、
 きっと私は不気味なゲヘヘ笑いをしてるに違えねえ。

 だまされたと思って、せひ一度試してほしい。
 素直なあなたはきっと、だまされたあ!と叫ぶに違えねえ。

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2012年7月26日(水)/その1123◇アモールの衝撃

 大規模な原発反対デモを無視するマス・メディア。
 別の問題を煽りに煽り、巧妙(?)に問題点をすり替える。
 この時代、そんな構造は我ら庶民にもバレバレだから、
 もはや巧妙とも云えない。
 己の安泰のみに終始する既得権目的の、志なき稚拙な陽動作戦は、
 そうした腐敗と日々せめぎ合う弱小メディアに、冷や汗と苦笑をもたらす。

 情報や知識ならばいくらでもググれる時代だが、
 情報・知識を自らジャッジする筋力を鍛えるメディアは少ない。
 及ばずながら我らパセオ周辺は、そこに自らの役割を感じたい。
 そんな意味で、新鋭ライター・藤堂由起子による8月号のインタビュー
 『アモール・デ・ディオスのディレクターに聴く』は、
 心の筋力アップへの動機をツボ押しするような鮮烈な光彩を放っていた。

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   アモールのディレクター、ホアキン・サン・フアン(藤堂由起子撮影)

 「フラメンコは年老いた人で、若い私たちに人生で大切なこと、
  人生の深さを教えてくれる人」
 「どこの出身ということは、僕は重要じゃないと思っている」
 「フラメンコを学ぶために、私たちがやらなければならないことは二つ」

 それはフラメンコの聖地、あのアモール・デ・ディオスのディレクターだけに可能な、
 鋭くヘビーな衝撃をともなうアルテの啓示とも云うべき内容だった。
 選び抜かれたシンプルな言葉で、フラメンコの本質・真相が極めて明快に語られている。
 それは永らく本場の一流プロや世界各国のフラメンコ練習生たちとの親密な交流の末、
 自らつかんだ感性と知性と勇気に充ちた結論。
 
 藤堂の問題意識の高さが、そうした彼の発言を引き出したことは容易に想像できるが、
 この記事は創刊28年のあらゆる記事の中でも燦然と突出している。
 上達とレパートリー拡大はすべてに共通の願望であるが、
 ホアキンの提示するこれらテーマを自ら噛み砕く感性・理性を鍛えぬ限り、
 プロアマ問わず、それら願望が空回りすることは明らかだ。
 世のため、人のため、自分のため、パセオはそこに踏み込みたい。

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2012年7月27日(金)/その1124◇類似語

 プロの狙撃手は、数百メーター先の標的を、
 ただの一発で仕留めるという。
 これを「スナイパー」と呼ぶ。

 プロのゴルファーは、百数十メーター離れたパー3のホールを、
 ただの三発で仕留めるという。
 これを「ナイスパー」と呼ぶ。

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2012年7月28日(土)/その1125◇刷り込み

 薄明の電車道を歩いている。
 線路周辺に敷かれた石砂利が足裏に痛いが、程なく夜明けだ。
 このまま中川の木橋を渡り浅間神社に向かうつもりらしいが、
 左手に懐かしい小松川神社が見えてくる。
 何十年かぶりで、神殿脇の緑色の鉄柱に支えられるブランコに乗るが、
 そこで先ほどの夢は途絶えている。

 全力で漕いだ神社のブランコから飛び降り、どちらが遠くまで飛べるか。
 都電の社宅に住んでいたクラスメイトのキョウコと
 それを競ったのは小学一年の頃だ。
 鍵っ子だった彼女は、会えば自分のおやつを半分私に寄こした。

 翌年しばらく墨東病院に入院する私を、頻繁にキョウコは見舞いに来た。
 その帰り際、彼女の母親は幼い私たちの手を互いに握らせながら、
 あんたたちはいつか結婚したらいいよと云い、
 意味もわからず私たちは照れ合った。

 キョウコの一家が千葉の習志野に転居したのは小学四年の時だ。
 クラスは別々になっていたが、時おり廊下で言葉を交わした。
 小松川第二小学校を去る日、彼女は新品の色鉛筆を私に寄こし、
 用意のない私は、エイトマンのシールを貼った使い古しの下敷きを返礼した。
 明るく親切な気性のキョウコだから、転校先でもきっと人気者になるだろう。
 経験のない寂しさの中でそう思った。

 人生中盤あたりから、とりわけ明るく親切な人に惹かれるようになったのは、
 キョウコの気性が遠因だったのかもしれないと、今になって想い当たる。
 彼女にもらった明治のマーブル・チョコの甘さは、今もしっかり憶えている。

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2012年7月29日(日)/その1127◇真夏の夜のフラメンコ

 きのうは丸一日仕事の予定だったのに、
 午後は文藝春秋社の有名な発禁本を読破し、
 夜はサッカー、柔道、水泳、体操、重量上げなど、
 目まぐるしくチャンネルを変えながらオリンピックにはまった。

 もちろん基本的に同胞を応援するのだが、
 結局は国籍ではなく、競技における生き様・芸風を応援してしまうのは、
 ショーバイ柄、仕方のないことだと思う。
 柔道女子48キロ級の優勝者は、芸風がバイレの屋良有子に似ていてビックリした。


 さて、そんなんで今日は、午前中のNHK将棋トーナメントをあきらめ、
 積もりに積もった雑務を片づけ、
 夕刻より毎年恒例『真夏の夜のフラメンコ』に駆けつける。

 小松原庸子、アントニオ・カナーレス、
 入交恒子、鈴木敬子、南野風香、北島歩、北原志穂、
 奥濱春彦、箆津弘順、秋山泰廣、小松原庸子スペイン舞踊団などなど、
 実に錚々たるメンバーが出演。

 日比谷公園の野外大音楽堂で開催される
 この人気フェスティバルも、今年で42回目。
 写真は、その第一回目が開催された、さらに十年ほど前に
 日比谷公園のお池の前で撮った我が家の肖像。

 さらに遡って江戸時代、ここらは海だったんだよなあ。


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 2012年7月30日(月)/その1128◇発禁の効用

 スペインで最も有名な日本人。

 ずっと前、日本語の達者なスペイン人青年ヘルマンに聞いて初めて知った。
 ひとりは「昭和天皇」であり、もうひとりは「三島由紀夫」なのだと云う。
 
 この国際的作家のハラキリ事件は私が中三の頃であり、
 その衝撃から我ら世代は、こぞって彼の著作を読み漁ったものだ。
 『不道徳教育講座』なんてのが大変な裏人気で、何せ多感な頃だったから、
 常識の偽善を看破するその危ない感じには少なからず影響を受け、
 それが今のシノギにもつながってるような気もする。
 ちなみにその頃の三島夫人は、バイレフラメンコを習っていたという。

 「これ面白いぜ。僕はますますミシマが好きになったな」

 パセオとなりのオープンカフェの常連で、幾つか先輩のある出版社の大将から
 『三島由紀夫』(福島次郎著/文藝春秋社)を借り受けイッキに読んだ。
 発売直後に全国書店の売上トップとなり、その一週間後に発禁を喰らった作品。
 常に絶賛在庫中のパセオとはえらい違いである。

 昔の恋人による、純文学のクドさを伴なう真摯な告白ドキュメンタリーなのだが、
 数多いミシマ評伝の中でもリアリティが突出している。
 同性愛の純粋な精神性とセックスとがリアル繊細に描かれており、
 それらは単純な女好き(わたす)の単細胞ぶりも浮き彫りにする。

 遺族の抗議で発禁となったこの作品の功罪はさまざまであろうが、
 私の中でのミシマは、その複雑さゆえますます遠い存在となり、
 同時にその単純さゆえググッと近しい存在となり、
 全作品を読み返そうという、余生の楽しみがまたひとつ増えた。

  
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2012年7月31日(火)/その1129◇相棒たちの不思議

 「不親切で冷淡でありながら奇蹟をおこなうよりは、
  むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたい」
                      (マザー・テレサ)

 

 親しい仲間内において、どちらか云えば私は前者タイプだ。
 ただし間抜けなヒトラーであり、しかも断じて奇蹟は起こさない。

 

 ところが仲間内には後者のタイプが多い。
 奴らはしょっちゅう間違いながらも、
 不思議と小さな奇蹟を起こし続ける。

 


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