しょうぶの行方
「しょうぶは時の運」と云うが、そーゆー意味でこの日(先週土曜)はラッキーだった。
ご覧のとーりの咲きっぷりである。
“花菖蒲”は、ささやかとは云えないこの季節の楽しみである。
頃やよしとばかりに、朝も早よから明治神宮の御苑内にある菖蒲田に駆けつける。
鑑賞前の腹ごしらえはもちろん、神宮前・杜のテラスの揚げたて“海軍カリーパン”である。
さて、この光景に想い起こすのは、二十五年以上前のとても哀しいお話だ。
その頃やっとのことで付き合いはじめた岩下志麻さん似の三つ年上のご令嬢(浜町の麻雀屋さんの)とともに訪れたのが、この明治神宮の菖蒲田だったのだが、その折、緊張と興奮のあまり、冒頭のような高度に洗練されたギャグをカマしまくったことが主たる原因で、その後間もなくあっけなく彼女にフラれてしまいました志麻。という悪夢のような出来事は私の記憶に真新しい。
それから四半世紀以上経っても、そうした人間関係において、私の中では一向に学習成果が上がっていない実態を哀しげに喚起するものが、この見事に咲いた花菖蒲なのだ。
新緑に輝く雑木林に囲まれ、清正井(名高い加藤清正の井戸)から湧き出た清らかな水によって潤う菖蒲田は、比類ない気品をたたえております、ってホームページ丸写しで書いてみたが、その“比類なき気品”は、ご覧のように本当である。
[名高い清正井]
名鏡止水。
おだやかに湧きいでつづける誉れ高いこの名水は、あたかも清らかな私の心を映し出す鏡のようでもある。………ないか。
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さてこの日、珍しくもお供の音楽はナシだ。
なぜなら、前日のチェロ・コンサートの心地よい余韻をずっと引っ張ったまんまの状態だからな、その必要がないのだ。
まったく、万難を排して出掛けるにふさわしい公演だった。
デンマークの知性派テクニシャン、ヘンリク・ダム・トムセン恐るべし。
[ヘンリク・ダム・トムセン]
いきなり音楽そのものに没頭させる、抜群に見通しのよいバッハ(無伴奏チェロ組曲第一番)は甘く薫る春風のごとし。
次いでヨーヨー・マまっ青のあきれるほどにシャープで安定したコダーイ(無伴奏チェロ・ソナタ)。
最後の新日本フィルとのドヴォルザークのチェロ・コンチェルト(ギターのアランフェスみたいな人気曲)は、協奏曲ライブの醍醐味とも云うべきエキサイティング・セッションに終始した。
そこには、音楽全体の“設計の美しさ”が生む精神的快感に加えて、私たち聴き手を音楽そのものに集中させる完璧とも云うべき“音程&テクニック”が生む生理的快感があった。
チェロというのは、かなりの名人をもってしても、美しい音程をキープし続けるのが難しい楽器なのだが、俊敏な技巧に支えられるトムセンの音程は少しもゆるむことなく、私たちはその透明度の高いファンタジーに安心して没入することができたのだ。
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ところで、音楽ファンにはたまらん魅力の、このトリフォーニーホールの“すみだ方式”についてちょいと説明したい。
すみだ方式とは、第一部はソロ、第二部はオーケストラ(しかも新日本フィル!)との協奏曲という、通常のリサイタルでは考えられない贅沢なシステムのことだ。
まっ、早え話がまずフグ刺しをじっくり味わって、で、そのあとにぎやかにフグちり(鍋)を喰うような、それぞれがチョーうれしくって飽きのこねえ段取りというわけだ。
別に回し者でもないのにこれをご紹介したのは、実はわれらがフラメンコ界もこの恩恵を大いに蒙っているからなのである。
数年前のビセンテ・アミーゴ(パコ・デ・ルシアの後継者とも云われる超イケ面スター)来日公演がそれである。
第一部は、ビセンテのソロとグループ・セッション。
そして第二部では、ほとんどライブで聴くチャンスのないビセンテのフラメンコギター協奏曲(POETA/陸の船乗りのためのフラメンコ協奏曲)を、新日本フィルとやってくれちゃったのである。余談だが、たしかスペイン国立バレエ(アイーダ・ゴメス時代)にもこの曲で踊る作品があったはずだ。
『ビセンテ・アミーゴ/POETA』
SONY MUSIC/1997年
さて、その夢の共演だが、指揮者のタクトが上がる直前、私のヒザは期待と興奮で震えていたことを想い出す。おそらくオケとのチューニングの段階から、ビセンテがとてつもないオーラを発散していたからだろう。
読者の中にもそのライブをお聴きになった方が多いと思うが、ありゃギターコンチェルトの歴史に残る名演だった。
私もギター好きなので、ギター協奏曲については過去50回位ライブを聴いてるが(8割はアランフェス)、この何かと困難の多いジャンルで、胸のすくようなエキサイティング快感を満喫できたのは、この“ビセンテ+新日本フィルのポエタ”が文句なしのベストワンだ。ちなみに次点はイエペスの生アランフェス。
オーケストラにやっとこさ絡んでゆく、というのが多くのギター協奏曲ライブにおける悲しい現状なのだが、ここでのビセンテは、強靭なコンパス・テクニックで、終始オケを引っ張りながら音楽をひたすら前へ推進させるようなリーダーシップを発揮し続けた。
そのしなやかに男前なギタープレイに、さっ爽と天空を駆け抜けるペガサスの勇姿を脳裏に映じたのは、この私だけではなかったはずだ。
トリフォニーのNさん、Uさん。あの節もほんとにありがとう! またやってね、フラメンコっ!
「ありがたや!すみだ方式」というのは、音楽ファンの本音なのである。
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さて、今日のカテゴリーは“四季折々”でもあり、ここはひとつ徹底的に“菖蒲”の魅力について語ったろうと考えていたのだが、そんな私の意図をあざ笑うかのように、話はトムセンのチェロからトリフォニーに流れ、しまいにゃビセンテ・アミーゴにたどり着いてしまいました志麻。予期せぬ結末とはこのことである。
まったく、しょうぶというのは、ゲタを履くまでわからないものだ。
……ふ。……ま、これを以って本稿の結論としながらも、私としては四半世紀前のオマヌケな教訓を、ひとり静かに噛みしめたいと思う。