フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2013年7月①

2013年07月01日 | しゃちょ日記

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2013年7月1日(月)/その1362◇何点満点なのか
 
 大好きなアルテに対する理解度を自己採点するなら、

 将棋は90点、
 バッハは80点、
 落語は70点、
 フラメンコは60点、
 藤沢周平は50点、
 仕事は同じく50点、
 どんちゃん騒ぎは40点、
 人生は35点、というところか。

 なかなかイイ線行ってるじゃないかと我ながら思うが、
 これが1,000点満点でなければ、
 もっともっと自分を褒めてあげたいところではある。


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2013年7月2日(火)/その1363◇堂々巡り

 「もっと考えてから行動したらどうか?」

 考える前に動いてしまう私は、
 小さい頃から四つ上の兄に、よくこう諭されたものだ。
 彼は埼玉大、その長男は千葉大、次男は東大と、右肩上がり好みの兄は、
 愚弟の借金の保証人を引き受けることを趣味とするバランス重視の風流人でもある。

 よく考えて行動することには、様々なメリットがあることをつい最近知った。
 ひとつにはヴィジョン・戦略が明確になるので、
 あれもこれもと欲張ることが減り、戦術や戦闘にムダがなくなる。
 歳とともにフットワークは衰えてくるので、こうした演繹法は有効に思える。

 さらに、自分の過去を冷静に分析し易くなるメリットもある。
 それによって、過去の行状のドアホさ加減にも気づける。
 それによって、現在の決断が未来に及ぼす影響も予測し易くなる。
 ついでに、机上論には不向きなドジな帰納法野郎の私が結局のところ、
 実際に自分が痛い目に遭ったことしか書けない宿命であることにも
 気づくことが出来る。


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2013年7月3日(水)/その1364◇ご無事を祈る
 
 いよいよプレゾン初日。
 午後の公開ゲネプロは、今井連載担当の編集部・小倉と
 担当写真家・大森有起が取材し、私は後日取材の予定。

 今井さんと事務所のご厚意で、
 パセオフラメンコ最新号がグッズ売り場に並ぶ。
 出来れば毎日売り場に立って得意の呼び込みをやりたいところだが、
 私のキャラ(チンピラ風)が公演のイメージを損なう恐れがあるので自粛する。

 定期購読申込と書店注文は相変わらずの勢いで、
 楽日まで部数が足りるかどうかは微妙。
 今日明日の出足を参考に増刷を検討する必要がある。

 それにしてもプレゾン40公演。
 スペインでのあの快挙(東敬子取材で10月号カラー8頁)から
 休む間もなくダッシュを続ける今井さんのご無事を祈るばかりだ。


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2013年7月4日(木)/その1365◇奇跡の二択
 
 「人生を生きるにはふたつの方法しかありません、
  奇跡なんかないという生き方と、
  すべてが奇跡であるという生き方です」

 ツイッター上にアインシュタインのこんな言葉を発見した。
 スケール豊かに、かつ実に味わい深い。
 さすがは「アイーン!」の作者だけのことはある。(←ええーっ?)

 人生58年やってると、「奇跡なんかない」という考え方は普通に納得できる。
 ヴィジョンと努力の合致する人が、不運なんぞをモノともせずに
 幸福な人生を切り拓く有り様を見かけることは実に多いから。
 これは奇跡でも何でもなく、普通にシンプルな確率論だ。

 一方「すべてが奇跡である」という考え方も、
 人生58年やってると、ああまったくその通り!と実感できる。
 例えば、私のようなヘンチクリンな人間がこの世に生を受け、
 かつ、58年も生かしてもらってること自体、すでに奇跡である。
 殊に人やアートとの出逢いの幸運は、奇跡以外の何モノでもないから。

 そんなわけで、どちらのスタンスも好ましく思うが、
 どちらか云えば後者の大らかさに惹かれる。
 そこには人の生き方や能力を区別しない巨大な明るさがあって、
 例えばある種の落語やフラメンコのような、
 人知を超えたところの人類の直観ならではの
 ファンタスティックな英知を感じるから。


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 2013年7月5日(金)/その1366◇三十六計

 「どんな馬鹿でも批判したり、非難や不平を言うことはできる。
  そして大抵の馬鹿はそうするのだ」
                    (デール・カーネギー)

 ツイッター上に〝自己開発〟の教祖さま、カーネギーの言葉を知る。
 随分とやられたであろう彼の怒りがストレートに伝わってくる。
 ついでに云うと、あの優れたアーティストの人生の選択に対する
 ヒガミ根性ぷんぷんの誹謗中傷には閉口する。
 昭和14年に初来日したカーネギー(1888-1955年)は、
 現代日本の多くのマスコミや一般人コメントの傾向をも予測していた。
 それにしても週刊文春の自爆には菊池寛師もワナワナと激怒されてることだろう。
 

 「〝歴史〟は勝者によって創られる。
  だから、ツイッターはその裏側を補填する」

 同じくツイッター上にそんな論旨を読み、
 なるほど、そういう視点もあったかと目からウロコ。
 そう認識すれば確かに、世に蔓延する愚痴や嫉妬の顔も立つ。

 ジェラシーは進歩の動機でもあるから永い目で肯定したいが、
 あの貧乏臭い精神的悪臭からは、とりあえず遠ざかる一手だ。


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2013年7月6日(土)/その1367◇究極の選択肢

 「瞬間の音の美に心打たれると、
  美とはそれ以上因数分解できないものだと痛感する」

 私の好きな音楽ライター小田島久恵さんのツイートなんだが、
 これを目にした時の衝撃は忘れられない。
 こうした発見を自分らしい言葉で話す、あるいは書く。
 そのことの楽しさを存分に自覚できた瞬間だった。

 さて、瞬間の音の美しさについて、
 ギター少年だった私の原体験を思い起こすと、
 渡辺範彦、アンドレス・セゴビアのライブ、
 クリストファー・パークニングのレコードなどがこれにあたる。
 
 その後は、ナタン・ミルステインのヴァイオリン、
 ハンス・マルティン・リンデのブロックフレーテ、
 アルフレート・ブレンデルのピアノなどにその領域を広げてゆくのだが、
 奇妙なことにフラメンコにおいて、それに出喰わしたことは一度もない。

 天上をめざすクラシック音楽の耽美性と、
 地面に根ざそうとするフラメンコのリアリティの違いは
 こんなところにもあるのかと気づく。

 前者を思わず息を呑むような美しい女性とするなら、
 後者は一緒にいるとただそれだけで楽しい女性のようだ。
 なので、どちらかひとつを選ぶのはとても困難なことだ。
 どちらにも縁がなかったことが不幸中の幸いだったようにも想えてくる。


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2013年7月7日(日)/その1368◇夏バテメニュー
 
 熱したフライパンにたっぷりのオリーブオイル。
 弱火で大量のにんにく微塵切りとアンチョビ缶と塩コショウ。
 アンチョビが溶けたら器に移して冷凍庫で冷やす。

 冷製じゃがいもスープ(市販)とサラダとオリーブなんかをつまみに
 スパークリングワイン。

 パスタは固めに茹でて、水道水で冷やす。
 水を切ったパスタに先ほどの冷えたアンチョビソースをからめる。
 トッピングは生マッシュルームと茹でたグリーンアスパラなど。

 買い物スタートから洗い物完了まで約90分の土曜の夕食。
 出費は酒込み二人前で2000円ちょい。
 明暗はパスタの茹で加減。


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2013年7月8日(月)/その1369◇夏バテメニュー(その2)
 
 炊き冷ましの銀しゃり。
 これに冷蔵庫で冷やした味噌汁を存分にぶっかけて、茶漬けのように食う。
 かつお出汁の味噌汁は具なしがいい。

 若いころは、冷めた味噌汁なんか飲めるか!ってくらいの熱々を好んだが、
 三十代に池波正太郎師の小説シーンでこの冷やし食いを知り、
 それ以来夏の定番メニューになっている。

 おかずはなくてもいいけど、焼き魚なんか合うよね。
 大根おろし山盛りでさ。
 銀ダラの西京漬けなんかで冷や酒やって、その残りとか。
 冷やなら焼いて皮むいて一晩旨出汁に漬けた茄子なんかもいいね。

 まあ、これからそのぶっかけ飯を食うわけだけど、
 おかずの銀ダラも茄子の仕込みもねえし、
 おまけに朝なもんだから当然シラフだし、何故かキャベツ炒めなわけよ。


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2013年7月9日(火)/その1370◇アリの幸福
 
 「私自身は空洞のような存在だからなぁ...
  他人の表現の魅惑に、一瞬で全身が満たされる。
  いつでも空っぽで、ワープの準備ができているのです」

 注目する音楽ライターのある日のツイート。
 アートに触れる際の、ある種理想的な状態、あるいは体質。
 対象に入り込む技術は少しだけ身に着けたつもりだったが、
 こういう人に比べると、まだまだ私などは
 自我のかたまりのようにも思えてくる。

 その代わりに「現実で何が幸せなのかわからない」と、
 このツイートを彼女は締めくくるのだが、
 この部分についての私は、ムダに豊富な年齢と経験から、
 現実の幸不幸をかなり鈍感な感性で客観的に眺めることができる。

 幸不幸というのは、まるで振り子の往き来のように共にはかない表裏であり、
 どちらも毒と薬を大いに含んでいるところは共通している。
 幸福を支えるものが既得権的なものであるならばそれはジリ貧への毒であり、
 不幸を脱出しようとするエネルギーと冒険はそれ自体幸福な希望を帯びている。

 振り子の振り幅を自由に選択できる人類は、そのことを
 「楽あれば苦アリ、苦あれば楽アリ」と分かり易く公式化したが、
 働き者のアリたちがこの問題をどう捉えているのか、実に興味深い。


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2013年7月10日(水)/その1371◇思い込み
 
 ニューヨークの音楽の殿堂カーネギーホール。
 その設立者を、大ベストセラー『人を動かす』の著者デール・カーネギーその人だと
 てっきり思い込んでいたが、そりゃ人違いだったことをつい先ほどネットで知った。

 カーネギーホールはアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーによって建てられた。
 1891年のコケラ落としには、アメリカ旅行中だった晩年のチャイコフスキーが出演したという。
 日本でも近年、格調高きホールが次々と閉館となっているけれども、
 この名ホールも1925年に不動産開発業者に売却され、一時は存続も危ぶまれたが、
 結局ニューヨーク市が買い取り、現在は非営利ホールとして運営されている。

 こんな史実を簡単に知ることのできるネットの便利さに改めて感心しつつ、
 史実よりもその周辺に発生したユーモアの探索に興味が行ってしまう。
 今回も、このクラシック音楽家の聖地カーネギーホールと、
 ショパン夜想曲の演奏などで名高いピアニストに関する
 こんな傑作ジョークを見つけて大喜び!


 「すみません、カーネギーホールへはどうやって行くんですか?」

 カーネギーホールに向かう大ピアニストのルービンシュタインは、
 道に迷う人にこう尋ねられ、このように答えた。

 「練習して、練習して、さらに練習してください」


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2013年7月11日(木)/その1372◇リトマスの朝
 
 テープ起こしと編集事務で会社に貼り付く木曜の朝バッハは、
 アンドラーシュ・シフの鍵盤パルティータ3番。

 冒頭ファンタシアは揺れ動く心のヒダか。
 第二曲アルマンド「行こか戻ろか、戻ろか行こか」の切ない揺らぎが甘い感傷を呼び覚ます。
 続くクーラントに「行くっきゃねーだろ」とドヤされ、ハッと単細胞の自分に還る。
 だがサラバンドが、重たい不安を帯びた現実を冷静に提示する。
 続くブルレスカは決断に向かう心の準備。
 間髪入れずスケルツォで駆け始める。
 終曲ジーグは玉砕の詩のようにも聞こえるし、明るい応援歌のようにも聴こえる。

 まあ、何ともロマンティックな凄演で、
 こんなふうにこの名作を聴かせてくれるのは名手シフのみだ。
 まるで優れた古典小説のような緩まぬ構成力に時を忘れてしまう。
 終曲をどう感じるか?
 聴き手の心の状態を浮き彫りにする、おそるべきリトマス試験紙。


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2013年7月12日(金)/その1373◇温泉気分

 明日土曜は川口リリアでバイラオーラ鈴木眞澄の『親子四代フラメンコ』の本番取材。
 母(カンテ・バイレの鈴木高子)と子(バイレの三枝雄輔、三枝麻衣)と孫。
 彼らは11月号の『表紙&CON FLAMENCO』に登場する。

 日曜は新宿エルフラでフラメンコロイドの本番取材。
 ギターの松村哲志、カンテの阿部真、高橋愛夜という精鋭メンバーで、
 10月号『しゃちょ対談』にフラメンコバンドとして初登場。

 月曜は、『小島章司、碇山奈奈、森田志保のトライアングル企画』のまとめ。
 パセオフラメンコ創刊30周年企画の第三弾で、
 来年3月号に表紙&カラー16ページでどか~んと登場。

 火曜は阿佐ヶ谷で徳永ファミリーの来年新年号『しゃちょ対談』取材。
 父(ギターの徳永武昭)、母(バイレの小島正子)、子(ギターの徳永健太郎、康次郎)
 インタビュー後は高円寺エスぺランサで撮影取材(大森有起)と本番取材。

 水曜は新宿エルフラでバイレの渡部純子のソロライヴ本番取材。
 渡部は10月号の『表紙&CON FLAMENCO』に登場する。
 文章の下書きは出来てるので、あとは本番のインスピレーションを注入するだけ。

 木曜はさすがに半休をとるが、土曜夕方までにすべての原稿を片づけ、
 以前からお約束の呑み会に駆け込む予定。

 とまあ、けっこうハードな一週間となりそうだが、
 この山を越えさえすれば、ゆったりとした温泉気分で
 社長業や営業や編集長業に集中できる見込みだわ。

                         
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2013年7月13日(土)/その1374◇フーガの技法

 「ねえねえ、わかってるよね?」

 土曜の朝は、ジェーとご近所代々木公園に出掛けるのが定番。
 なので彼は、金曜晩から私に貼りつき、それを幾度も確認する。
 風呂やトイレも後追いし、番犬のようにドアの前には貼りつき、
 私がトンズラせぬよう根気よく見張る。

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 いつもは連れ合いにベッタリなんだが、
 金曜深夜から土曜朝にかけては、私の耳元に寝床をとる。
 私が起き出しパソコンを開けば、今度は足元の床にペッタリ貼りつく。
 今も時おり私を見上げながら、こんなニュアンスをパッチリした両の眼で促す。

 「ねえねえ、そろそろだよ、わかってるよね?」

 わかってるさ、これ書いたら出掛けるからな。

 今日の朝バッハ、「フーガの技法」弦楽四重奏版をBGMに、
 これ見よがしに彼はストレッチを始める。
 ツイッターへの書き込みをあきらめ、お散歩の準備にとり掛かる。

                   
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2013年7月14日(日)/その1375◇パブロフの豚

 死して尚、世界中の音楽ファンに最も愛される
 ピアニスト、グレン・グールド。

 彼は夏目漱石の『草枕』をこよなく愛したという。
 『草枕』は最も優れた芸術論のひとつだと思うが、
 そのラストシーンなどは、まさしくフラメンコそのものじゃんか。

 鬱陶しい常識や慣習にうんざりする時、
 ほとんど無意識・反射的にグールドを聴くことが多い。
 数少ないルールは厳守するが、
 それ以外は、心の揺らぎと知性の運動を貴ぶ在り方。
 まあ、自由奔放と云うか、我がままと云うか・・・。

 珍しく今朝はバッハではなく、グールド弾く『バード&ギボンズ』を聴く。
 音楽史ではバロック以前のルネサンス音楽に分類される、
 素朴にして生命感の躍動する音楽だ。
 高校の裏手にあった図書館で借りて初めて聴いた頃はピンとこなかったが、
 その四十年後に聴くウィリアム・バード(英国/1543~1623年)と
 オーランド・ギボンズ(英国/1583~1625年)には、妙に親近感がある。
 忙中閑あり。
 その〝親近感〟の正体をあれこれ想いやる無駄が本日のお楽しみ。


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 2013年7月15日(月)/その1376◇束の間の恍惚

 昨晩はニコラーエワのバッハで爆睡。
 案の定、冒頭イタリア協奏曲の二楽章あたりで撃沈した模様。
 す、すんまへん。

 このCDのディレクターは、敏腕で知られたビクターの野島友雄さん。
 録音はパセオ創刊二年前の1982年だから、当時私は音楽プロモーターであり、
 やはり彼の担当するギタリスト福田進一さんらと呑む機会も多かった。
 ちなみにその五年ほど前、新卒の私はビクターの入社試験にスコンと落ちている。

 さて、タチアナ・ニコラーエワ(1924~1993年)はロシアを代表する女性ピアニストで、
 1950年バッハ没後200周年記念ライプツィヒ・バッハ国際コンクールの優勝者。
 そこで彼女の才能に誘発されたショスタコーヴィチは、
 あの大作『24の前奏曲とフーガ』をニコラーエワに作曲献呈している。

 「バッハの演奏に、私は一生を捧げるつもりです」

 そのピアニズムからは、こういう彼女の絶対的なスタンスがにじみ溢れる。
 一音一音じっくりと磨き抜かれた、あの優しい天上的美音。
 そして来るか来るかと、ついつい待ち望んでしまうあの〝揺らぎ〟。
 わずかな〝間〟の呼吸によって生じるあの至福感は、
 未来永劫コンピューターにも不可能な領域であると思われる。

 今もこれを書きながら、そこにアンテナを張りつつ彼女に聴き入る。
 マエストラの訃報を知ったのは、フラメンコ協会の立ち上げに一段落つけ、
 そのツケたる莫大な借金に立ち向かい始めた時期であり、
 思うように回らぬ首で聴いた『小フーガ』や『シチリアーノ』の束の間の恍惚感が、
 崩壊寸前の私を辛うじて救ってくれたことに思い当たるのである。


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2013年7月15日(月)/その1377◇我に無きゆえ焦がれる憧憬

 「通り雨過ぐれば庭の青石のみどり勝りて風の涼しき」

 「朝顔の垣吹き抜くる風ありて風に青とふ色のありけり」


 ウェブ上に思わず息を呑んだ、ツイッター友(kirakiraさん)の作品。
‏ その季節感、色彩感、肯定感の鮮やかな癒しに心が和む。

 自然の生命感とほんのちょっとの文明が織り成す対話を掬いとる人間の感性。
 ああ、なるほど、
 おれはこういう絵画や小説や音楽や人間が好きなのだと、ふと思い当たる。

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しゃちょ日記バックナンバー/2013年7月②

2013年07月01日 | しゃちょ日記

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定期購読のお申込みはhttp://www.paseo-flamenco.com/まで

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2013年7月16日(火)/その1378◇彼らを育てた環境

 スーパーフラメンコギターの兄(健太郎)と弟(康次郎)。
 ふたり合わせて〝健康〟だい!って、ある種ヤン坊マー坊状態である。
 40年前の天才・山下和仁(クラシックギター)のテレビデビュー以来の衝撃。
 
 今日のメインは、楽しみにしていたその徳永兄弟取材。
 お二人ともまだ二十歳前後だが、遠からず必ず頭角を現すので、
 今から皆さんも注目しておいてほしい。
 マスメディアや本誌翼対談に登場するのも時間の問題だろう。
 今日は父(ギタリスト/徳永武昭)と母(バイラオーラ/小島正子)にもご同席願い、
 以下の段取りで、徳永家の秘密をぶっちゃけまくるつもりだ。

 14時~ 南阿佐ヶ谷の宿泊先ホテルにて新年号『しゃちょ対談』収録。
 18時~ 高円寺エスぺランサ入り。
       写真家・大森有起によるリハーサル撮影。
       合い間に取材補足。
 20時~ ライヴ開演。
       本番撮影と忘備録取材。
       終演後、取材補足。

 公演忘備録は相棒ぐらに任せ、「彼らを育てた環境」にひたすら私は注目する。


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2013年7月17日(水)/その1379◇連載決定!

 昨晩の高円寺エスペランサ。

 スーパーフラメンコギターの兄(健太郎/22歳)と弟(康次郎/20歳)、
 そして父(武昭/60歳)によるトライアングルライヴは凄かった。
 スーパーギターを生音で聴く現実離れしたブラボー感に会場全体が酔った。

 その数時間前の対談取材で、〝徳永兄弟が伝えたいもの〟の輪郭をつかんだ。
 弟・康次郎の思索の深さは、やがて巨大な鉱脈を発見することだろう。
 兄・健太郎のファンタスティックな外向性は、フラメンコの裾野を広げることだろう。

 空き時間に南阿佐ヶ谷・大勝軒でつけ麺を食いながら、
 手始めに健太郎のパセオ連載を構想した。
 超絶ライヴ終演後、健太郎と撮影取材に入っていた大森有起をつかまえ、
 思いついた連載ヴィジョンをお二人に説き、その場で新年号からの連載を決めた。

 ちなみに健太郎は、「ビセンテ・アミーゴ×玉木宏÷2」的な超イケメンである。
 「キアヌ・リーブス×野豚÷2」的な私はそこに親近感を抱いたのかもしれない。


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 2013年7月19日(金)/その1380◇変化の余地

 「どんどん変わる人は、むしろ『変わらないですね』と言われ、
  変わろうとしない人は、どんどん変わり果てていくものだ」

 ツイッター上に詠み人知らずのこんな言葉を発見。
 最初は「んっ?」と感じたが、自分の周辺を思い起こしてみると、
 おやなるほど、云わんとしている意味が分かってくる。

 では、自分という人はどうか?

 こんな自分でも自分の中に好きな部分というのはあるもので
 そこだけは変わりたくないと思う。
 ただしそれが自分という人間の3%程度に過ぎないところが辛いところだ。
 
 まあしかし裏を返せば、
 残り97%については変化したいと思える余地があるわけで、
 それを余生の楽しみとするスタンスも悪くはねえかと思えてくる。

              
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2013年7月20日(土)/その1381◇モテた理由、モテなくなった理由

 『小学生の恋愛にありがちなことランキング』というネット記事を読むと、
  その第一位は「足の速い男子がよくモテる」とある。

 勉強ができなくても背が高くなくても、
 「運動神経の良い男子」に人気が集まるのが小学生の恋愛市場だそうだ。

 四月生まれであることから、クラスで一番逃げ足の速かった小学校低学年の頃は、
 なるほど生涯で一番モテた時期であったことを思い出す。
 だが現在の私は腰と膝の故障から極めて足が遅く、
 どんなに調子が良い時でも100メーターを10秒以内に走ることは不可能なのだ。

 ちなみに、この記事を読んで、ひとつ判明したことがある。
 小学校高学年から現在に至るまで、この私がまるでモテなかった理由が、
 決してルックスや性格の悪さなどによるものではなく、
 ただ単に、足の遅さにあったことに納得するのである。
 

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 2013年7月21日(日)/その1382◇ドロー

 「最高の人に教わり、越えていくことを目指すのは
 人生の楽しみ方のシンプルなあり方の一つです。
 あなたにとっての最高の人は、もしかしたら存命ではないかもしれませんが、
 ことば(音楽を含む)を通して教わる事はできます。
 また存命の人でも最高の人がいるならば、大胆に人生の舵を切って目指して下さい」


 ツイッターに『音楽の愛し方 ‏@howtolovemusic』という発信人がおられて、
 鋭く好ましい洞察を発見すると、すぐさま〝お気に入り〟にストックすることが多い。
 時間のある時にこうして何度か反芻し、自分の問題として考えてみることには、
 心の引き出しをスッキリ整理するようなフィジカルな快感がある。

 さて、私にとって在命でない〝最高の人〟はバッハ(1685~1750年)であり、
 彼の音楽によって、底知れぬ人生の楽しさを知ることが出来た。
 また、在命中の〝最高の人〟はパコ・デ・ルシア(1947年~)であり、
 彼の音楽によって、私は大胆に人生の舵を切ることが出来た。

 バッハによって人生の豊かな幅と奥行きを知り、
 その延長線のパコ・デ・ルシアによって、
 自分の意志で自分の人生を選択できたことは最大の幸運だった。
 結果が散々だったのは幸い中の不幸だが、
 それがどーしたと開き直れる技術を、やはりバッハやパコから学んだことで、
 何とかドローに持ち込める見込みで生きている。 

                                        
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2013年7月22日(月)/その1383◇パセオもそういうやり方で創ればいいんじゃないか

 「敵が敵でなくなる認識や出来事が外から起こることもありますが、
  それは偶然でしかありません。
  『気づかなくてごめんね』『教えてくれてありがとう』と言える所が無い敵なのかどうか。
  どんどん気持ちをクリーニングして下さい。
  忌み嫌うしか出来ない相手が居たとして、滅ぼしても解決はしません」

 こないだも引用した〝音楽の愛し方 ‏@howtolovemusic〟氏によるツイート。
 モンスターな理不尽などに対し、敵を作ってしまうことも辞さない私には、
 やたら耳の痛いアドバイスではある。
 その通りだと頭では大いに理解するのだが、小さな心がそれを拒んでしまう。

 だから日曜晩の選挙番組における池上彰さんのスタンスには痛く感激した。
 終始さわやかな表情で、あのツッコミは凄い。
 しかも政治家への突っ込みが、
 それ以上に有権者に対する突っ込みになってるところが好評の理由だろう。
 有権者だって皆いい世の中を望み、
 ただ投票におけるその方法論の難解さにとまどっているだけなのだ。

 政治やマスコミは民度をそのまま反映するものだが、
 池上彰は民度そのものを高めることに情熱を燃やしているようにも思える。
 だから基礎知識の反芻やエンタテインメントの導入にもちゅうちょがない。
 分かり易く、飽きさせず、各人が考えるべき課題の核心を浮き彫りにする。
 だからこうしなさいとは云わず、ひたすら自立協働を考えるヒントを提供する。

 迂遠にも見えるが、急がば回れの極意のようなヴィジョン・戦略が視えてくる。
 そうした彼の在り方が一般の支持を集めつつある現代日本の状況に、
 ほのかな希望が湧いてくる。

          
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2013年7月24日(水)/その1384◇コールド・ハラスメント

 おそろしくお下品な、もしくはくだらねえギャグが日常的に飛び交う編集部。

  私「しまった、いまのはセクハラだったか?」
 岩井「いえ、ぜんぜんセーフです!」
 小倉「ええ、それ以前にコールド・ハラスメントですから」


 ※筆者注 コールド・ハラスメント=冷房いらずの極寒ギャグ  


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2013年7月26日(金)/その1385◇盗作願望

 散歩から帰り、ひとっ風呂浴びてmixiを開くと、
 ウェブ友・忘備録仲間によるアッと驚く名文を発見。

 「失いながら、得ていくもの。」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1908099407&owner_id=7050800

 呑みに誘って、煮込みとたくあん三枚をワイロに、
 「私が書いたことにしてほしい」とお願いする作戦を鋭意検討中。

                  
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 2013年7月27日(土)/その1386◇あと10分で出掛けるからな

 ここしばらく、バッハの無伴奏チェロを聴くことが多くなった。
 ややゆるみ気味だった心が、本気モードに還りつつある兆候であることを、
 ほれそろそろだよと、永年の累積データが教えてくれる。
 音楽は心のバロメーターであることをつくづく想う。
 いやむしろヘルスメーターであるのかもしれない。

 この数日はダヴィド・ゲリンガスを聴いている。
 ひるみそうになる心を外交させてくれるポジティブな特性。
 重たく暗い曲調にあっても、湧き出るようなエネルギーの持久力が、
 まあ何とかなるだろうという〝行動する楽観〟をひっぱり出してくれるのだ。

 風呂上がりに書き始めたこの日記だが、ふと熱い視線に気づく。
 足元左に佇むジェーがクラウチング・スタート的姿勢で、
 お出掛け(自宅の庭=通称代々木公園)を迫っている。
 キラキラする異様なまでの眼光の強さに降参し、これから散歩。

 この暑さだから日陰以外はダッコで歩くわけで、
 3キロに満たない軽さのジェーでも、けっこう腰に響く。
 戻ったら、ご近所呑み友爺さん推薦の電気治療に行ってみるか。
 午後からパセオで思い切り原稿を書く。


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2013年7月28日(日)/その1387◇距離感

 〝粋〟って何だろう?

 気質・態度・身なりなどがさっぱりと垢抜けしていて色気があること。
 世情や人情に通じ、ものわかりがよく、さばけていること。
 「粋(いき)」を辞書で引くとこんなふうだが、
 ユーモアのにじむしなやかな反骨精神も感じさせるし、
 まあ、人のこんな風情は見ているだけでも好ましいもんだと思う。

 フランス語の「エスプリ(精神、知性、才気、霊魂)」というのが近いようだが、
 フラメンコでは「アイレ(空気)」に似たようなニュアンスがある。
 ちなみに、意気がった人を笑う「粋が川へ陥る」ということわざがある。
 「知ったかぶりをする人が、かえって失敗すること」という意味であり、
 こうした状態ならば、毎日せっせと私が実践していることだ。

 ネットで由来を調べてみると、上方では「粋(すい)」と読み、
 字のごとく〝純粋さ〟を主意とし、その究極は〝心中〟であるという。
 他方、江戸の「粋(いき)」はそこまで突き詰めず、
 例えば、男女間における緊張をいつでも緊張としてキープするために、
 突き放さず突き詰めず、常に程よい距離を演出することが目的になるという。

 同じ言葉でも、地域それぞれの文化によってニュアンスを変えてゆく
 変遷そのものが興味深い。
 自分の選んだ仕事については良くも悪くも前者の〝心中〟を連想するよりないが、
 周囲との関わりにおいては自然と後者を選択している自分に気づく。
 いずれにしても、〝野暮〟から〝粋〟への険しい道のりは遥か遠い。


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2013年7月29日(月)/その1388◇今井翼/未来の創り方

PLAYTZONE'13 SONG&DANC'N。PARTⅢ
(今井翼座長/全40公演)
7/3~8/10 東京(青山)青山劇場
[パセオフラメンコ11月号/公演忘備録・番外編の下書き]
     
 今井翼のライヴステージを観るのは昨年暮れの渋谷ヒカリエ『バーン・ザ・フロア』以来。
 あの折、国際的ダンス・エンタテインメントの日本代表ゲスト舞踊手として、
 溶け込みながら突出する彼のダンサー資質は、
 大リーグにデビューした頃のイチローをほうふつとさせたものだ。
 殊にスペイン舞踊ソロシーンにおけるフラメンコ修業の蓄積が
 深く静かににじみ出る光景には、
 この〝翔ぶために生まれた男〟の有言実行の矜持がくっきり視えた。

 そして今回座長として、中山優馬、屋良朝幸ら二十数名の若きジャニーズ精鋭を従え、
 熱く逞しいリーダーシップを執る夏の風物詩〝プレゾン〟。
 40公演で約5万人を動員する歌と踊りのエンタテインメントは、
 舞台には何かとうるさいこの58歳の老いぼれに
 「こんなに楽しい舞台観たことねえよ」という愚直な感想を吐かせた。

 そんな爺いでさえ半分以上は聞き知るジャニーズの伝統的名曲の数々
 に革新的なアレンジを施す正味二時間ほどのステージの、
 希望とエネルギーの漲る歌と踊り、決して観客席を飽きさせないスピーディな転換、
 美術・照明・音響などの優れた舞台効果は、ライヴ・エンタテインメント本来の
 熱狂と歓びを謳歌する鮮やかな色彩とクオリティに満ち充ちている。
 観客席のフィジカル面をどこまでも重んじる舞台構成の玄妙な濃度分布の手法は、
 舞台に関わるすべての人々に啓蒙的であり、
 そこにはわれらフラメンコ界が進化するための多くの発見もあった。

 さて。五年前に日生劇場で初めて彼を観た頃に比べ、
 エンターテナー今井翼はおそるべき進化を遂げている。
 翼ファン初級者の私が敢えて分析するなら、
 それは第一に存在感、第二に安定感、第三に粋な味わいだ。
 これら領域の進化および深化の充実ぶりが、
 舞台全体の大成功を支えた主な要因かと私には思える。
 
 フラメンコ寄りの演目、近藤真彦さんのあの懐かしいヒット曲
 『アンダルシアに憧れて』の歌い舞いを楽しみにしていたのだが、
 実際には今井翼の踊るオープニングの二曲あたりで
 私の願望はすでに叶えられていた。
 つまり、ブレない軸でフレーズぎりぎりまで歌い切るあのダンスは、
 フラメンコの身体的・精神的教養そのものだったから。
 シャープなキレ味もさることながら、そこから生まれる存在感、安定感には
 フラメンコの風格そのものが宿っていたから。
 スタイリッシュな高速展開の中にも
 落ち着いた大人の粋な味わいが生まれる理由もそこにある。

 甘みの中の苦み、苦みの中の甘み。
 演じることよりも、ステージの瞬間瞬間を彼は純粋に生きている。
 フラメンコで云うところの、彼はまさしく彼だった。
 『バーン』での活躍に鈍感な私でさえ薄々それに気づき始めていたわけだが、
 未来を賭け、確信をもって彼がフラメンコを選んだ理由がここに来てはっきり腑に落ちた。
 延べ五万人の観衆の前で単刀直入に、
 彼は自らの生き様を極めて明快に証明した。
 ブレることのない彼の未来ヴィジョンは、今現在の彼を完全燃焼させていた。

 出来るだけ早い時期に今井翼の本格バイレソロを観たいというのが本音だったが、
 彼がフラメンコと共に生きる成果がこうした局面にも内側からあふれ出す光景に直面して、
 そういう身勝手な想いに執着するのはもうやめだと思った。
 彼は私の期待よりも遥か深い領域でフラメンコを捉えていた。
 本誌8月号で師匠・佐藤浩希と語った「俺は赤ワインになる」の真意が
 まるで薄皮がはがれるように分かった。

 こうしたエンタテインメントにせよ、タキツバにせよ、芝居にせよ、
 スペイン文化特使の使命にせよ、自らの人生にせよ、
 それらトータル面で今井翼の磨き続けるフラメンコ的〝裸の自分〟が
 進化熟成してゆくプロセスそのものにずっと注目し続けようと私は決めた。

                 
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