フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2013年3月①

2013年03月01日 | しゃちょ日記

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2013年3月1日(金)/その1234◇おつかれさまでした

 高田馬場ムトウ楽器店が、この四月で閉店する。
 店頭の貼り紙でそれを知り、視界が揺れて転倒しそうになった。

 音楽ファンにはとりわけ親切なレコード店だった。
 高田馬場にパセオを移して二十余年、
 以来この店で、クラシックのCDを5千枚ばかり、
 落語やジャズのCDを千枚ばかりは購入したものだ。

 何年か前にムトウを定年退職した田原さんは音楽をこよなく愛する人で、
 行けば必ず立ち話で音楽情報・アート論・下ネタなどを交換し合った。
 安価な輸入盤ではなく、1枚5百円から千円は高い国内盤をせっせとここで購入したのも、
 音楽を愛すムトウ楽器のピュアな姿勢そのものを、こちらもまた敬愛していたからだ。
 
 三月には〝秀〟、そして四月には〝ムトウ〟と、
 私の愛する人生の桜たちが次々と散り往くこの春。
 諸行無常の鐘の音からは〝もののあはれ〟が聞こえてくるが、
 自分を含めそれがあらゆる生命の本質である以上、気弱に嘆く愚をひと段落させ、
 その美しい満開の想い出にひたすら感謝と行動を捧げる必要があるだろう。
 そうした桜の咲き様を、残り少ない愛しき日々の暮らしの中に、
 ガッツリ溶け込ませる必要があるだろう。


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2013年3月2日(土)/その1235◇にじり寄り

 「ブログって、マジで書くと反応良くないですねえ」
 
 相棒ぐらのボヤキに「おやっ」とちょっと驚くフリをするが、
 こっちの場合、マジで書いても不マジで書いてもmixi全盛期ほどの反応もないので、
 そうした期待感はすでに遠いものになりつつある。
 七年のプロセスから自分のために書く意味合いがようやく視えてきたので、
 近ごろの私はメモ・ストックのつもりで書いてる。

 それでも性懲り無く公開するのは、
 貴重なイイネやコメントやメッセなどから周囲との距離感が測れる一方、
 新たなお仲間を発見するセンサー機能をも存分に発揮してくれるからだ。
 ぐらを筆頭にここmixiで知り得た頼れる相棒たちは、いつの間にやら
 現在の月刊パセオフラメンコのレギュラー執筆陣の中核を成してるし、
 まだまだそのポテンシャルは捨てたもんじゃない。

 出来るだけ本音で書くのが私の方針であり、
 そうした本音そのものを人目にさらして鍛えたいという野望もある。
 建前を巧みに取り繕う技術の習得もサバイバル上必要なのだが、
 既得権派の特技たるその手の修練にはどうにも身が入らない。
 空しいおママ事に貴重な残り時間を費やすヒマもねえし、
 半ばあきらめ気長に構えつつも、やはり本性・本音そのものを進化させてゆきたい。

 本音と云っても、まあ普段はせいぜい60~80%あたりのところだが、
 日によっては100%に近い時もあって、内容の良し悪しに関わらず
 そんな時は自ら「イイネ!」をバンバン押しまくるが無論カウントはされねえし、
 また、そんな時ほどイイネがねーわ って、ここまで書いてみて、
 だんだんとフラメンコににじり寄ってる感があるよーな、ないよーな。


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2013年3月3日(日)/その1236◇季節の中で

 「はい旦那、おつりは十万両!」
 
 そう云いながら、しわくちゃ笑顔で釣り銭の10円玉を私に手渡す、
 家の斜め向かいのスーパーうさみの老大将。
 彼とは十五年ほど前、ここ元代々木の連れ合いのマンションに
 転がり込んで来た頃からの付き合いとなる。

 多くは自家製造の漬物類が絶品で、週に何度かは買い込んだ。
 中でも昔ながらの冬季限定たくあんや三東菜が超一級品で、
 一本2百円ほどのたくあんを二十本ばかりを買い占め、
 旧いタイプの親しい仲間に配って歩いたこともある。
 そのたくあんのシンプルにして深い味わいは、
 パセオフラメンコのヴィジョンでもあり得る。

 「よう旦那、悪いけど今度の冬から旦那にゃ、たくあん売れなくなった」

 精肉や鮮魚が消え、全体に品揃えが細くなって来ていたので薄々感じてはいたのだが、
 その悪い予感はおとつい晩に現実のものとなった。
 この三月いっぱいで、スーパーを閉店すると云う。
 どーすりゃいいんだ、オレらの食卓っ!
 お新香に特化して漬物専門店を始めるのはいかがか?と私は迫ったが、
 あんちゃんのお世辞はいつもうれしかったよと、力なく大将は笑った。

 歩いて数十秒の区域に、昨年はスーパーとコンビニが新たにオープンし、
 家のとなりのコンビニもかなり強めのセブンイレブンに変身した。
 ここにも文明の変化(進化とは云い難い)と過当競争がもたらす諸行無常の鐘が鳴り響く。
 食いしん坊〝秀〟、ムトウ楽器店に続き、漬物天国スーパーうさみ。
 わずかな期間に集中するトリプルパンチが結構こたえる。
 同期のウェブ友・徳さんが日記に寄越したコメントを何度も何度も唱えてみる。

 「誰と行った、何を買った。
  そんなこと考えたら、胸がいっぱいになりました。
  失われてゆくものがあるから、自分史が残るのだと思います」


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2013年3月4日(月)/その1237◇安堵の理由

 「何でだろ?」

 人の名前が思い出せねえ、
 やれ老眼だあ、やれヒザが痛え腰が痛え・・・。
 こうした老化現象が愉快であるわけもないが、
 ここ数年はそんな痛いボヤキにある種の安堵感が伴うことを
 いつも不思議に思っていた。
 
 20代から30代にかけての私の生業というのは、
 経営的に云うなら毎日が先の視えない綱渡りであり、
 支払期限を迎える月末には、いよいよこれまでかと
 悲愴な覚悟を決め込むケースが多かった。
 毎度小さい金額でもなかったから、
 残る精算手段は会社受け取りの生命保険しかなかったし、
 せいぜい40までサバイバル出来れば上等だと、
 破れかぶれの決め打ち勝負に明け暮れていた。

 そういう悲愴な覚悟の裏を返した本音は、
 やっぱり俺だってもう少しは生きてみたいという願望だったわけで、
 つまり自分の人生の風景に40代50代は無いという寂しい自覚には、
 実はそうした年代のシーンを自ら生きることへの憧憬が充ちあふれていたわけだ。
 「やれ老眼だあ、やれヒザが痛え腰が痛え」などという現象は
 そうした世代の象徴であり、そういう一丁前の大人みたいなことを
 いつか自分もボヤいてみたいというささやかな願望だったことが判明する。

 運よくどうやら57まで生きのびて、
 それらを普通にボヤけてしまう今の自分の境遇が実は嬉しくて仕方ないという、
 その種の安堵だということに、最近になってようやく気づいた。
 まあ何ともみみっちい話だが、うんと良く云えば可愛げのあるおっちゃんであり、
 今のところ60代70代にめっちゃ憧れるといった自覚症状はない模様。

 「死んだら休める」という方程式は、若い頃には哀しい経文に聞こえたものだが、
 いつ断たれても文句はないが生かされてる限りは仕事現場で遊びたいという老境には、
 まるで懐かしいおとぎ話や好きだった子守歌のようにも聞こえてくる。
 この一点において、長生きもしてみるもんだと、初めて想った。
 まあこの調子なら、いつかきっと、あのシルバーシートご着席も夢じゃないっ!


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2013年3月5日(火)/その1238◇逍遥の季節

 『逍遥の季節』に登場する何人もの魅力的なヒロインは、
 乙川優三郎の魂が紡ぎ出した芸術の女神なのだと思う。
 この短編集には、文芸の女神が宿っている。
 彼女たちは、芸術の奥深さに打ちひしがれた
 男たちの夢が作り成した「幻影の人」である。
 幻影の女人でありながら、永劫の旅人である読者一人一人に、
 汲めども尽きぬ清冽な泉の水を飲ませてくれる。
 そして読者は、ふと自分という存在の方が、
 もしかしたら芸術という実在が生み出した「幻影」なのかもしれぬ
 という思いに誘われるのだ。
                      島内景二(国文学者)


 ああ、評論とはこう書くものかと、その入口にさえ到達してない私は、
 その遥かなる永い道のりを懐かしく見渡すような想いで読んだ。
 上記抜粋は、藤沢周平師亡きあと最も注目すべき作家・乙川優三郎『逍遥の季節』
 (新潮文庫)の巻末解説の締めの部分であり、
 この極めて優れた短編集の真髄というものを過不足なく発見している。
 ラストの一節にはドキリと思い当たる痛烈な一撃がある。

 「まだ無名だが、凄い作家が居る」

 日に一冊は文庫を読む、そこそこ売れっ子コピーライターの呑み友ヒデノリから、
 乙川優三郎の存在を聞き知ったのはもう五年ほど前のことだ。
 その後15冊ほど文庫を読み漁ったが、ヒデノリの慧眼に狂いはなかった。
 好き嫌いを超越する普遍的直観を持ったこうした小説家の存在を
 ほとんど知ることの出来ない世の中というのは案外と寂しい。
 ならば、その恩恵を蒙る人間がその普及メディアとなればよいわけで、
 ヒデノリからの贈り物をこうして細々と噛み砕いてみたりする。

 この『逍遥の季節』には、古今東西・老若男女を問わず、
 芸事に携わる人々にとっての重要なヒント、もしくは結論が明示されている。
 紹介したいシーンは数限りないが、三味線奏者の祖母が孫娘に語る以下の一節には、
 四十年に及ぶ私自身のフラメンコライフの七転八倒がオーバーラップするかのようだ。

 「あなたのようにのほほんと育って何の取り柄もない娘にも、
 いつか何かに立ち向かう日がくるでしょう、
 芸事はお遊びで終わる人とそうでない人に分かれてゆきますから、
 もしあとの方になったら余計なことは考えずに最後までやり通しなさい、
 きっと支えてくれるはずです」


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2013年3月6日(水)/その1239◇お蔵入り

 わが家の勉強部屋を整理してたら、懐かしい『ボキャ辞書』を発見した。
 四十代半ば、日記や執筆などにはまったく無縁だった頃に、
 気に入った短文なんかをランダムに打ってファイルしたもので、
 A4判にびっしり100枚以上ある。

 久々に読んでみると、当時の心象風景が視えてきてなかなかに面白い。
 小さな自分のすべてを出し尽くし抜け殻のようになっていた時期に、
 ゼロから再構築しようともがきにもがいた痕跡が残っている。
 それらの原典をほとんど思い出せないところが情けないが、
 出来の悪いのが自作だということはすぐに分かる。
 全体にトーンは暗いが、今読んでもへえっと思えるものも散見できる。

 「自らを欺くような観念の愚人」
 「罪深いのはむしろ神の方のように思えた」
 「器量のいい女性と魅力のある女性というのは同じではない」
 「欠かせぬ反面教師。改善の意味を認識させる毒」
 「支配ではなく協働」
 「リリシズムは顔ではない」
 「正義と悪徳の間隙をぬって突き進む、その人だけの主旋律」
 「持つことではなく、在ることに重きを置く生きざま死にざま」

 ランダムに抜粋してこう並べてみると、捨てたもんでもないと思うが、
 大半はこんな(↓)レベルであり、やっぱり捨てたもんだと思う。

 「相撲取りがドヒョーと驚く」
 「胃カメラ付き携帯電話」
 「私の書くものを評価しない心の狭い人もいる。
 こういう人は、スズムシは評価するが、ゴキブリの存在は認めないという、
 非常に多くみられる偏狭なタイプの人だ」


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2013年3月7日(木)/その1240◇ひまわり

 改まっての通知もなく親しい連中が自然と集まり、
 いつもと変わらぬドンチャン騒ぎとなるが、
 奥の座敷には秀と女将のツーショットと美しい花が飾られ、
 上原のソフィア・ローレンもひまわりのように咲き笑う。

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 昨晩は秀の女将の四十九日。 
 彼女の旅立ちが、つい昨日のことのようでもあり、
 遥か昔のことのようでもある。
 そこらを感覚的に確認するために四十九日があるのかもしれない。

 坂上の大将も酸素ボンベをリュックに背負ってやってくる。
 呑み会に懸ける決死隊なのである。
 パッと見イギリス老紳士風の彼は今年73になるが、
 15年前に初めて会った頃、彼は今の私の年齢であったことに驚く。 
 あの頃と彼は少しも変わらない。 
 きっとずっと昔の青春時代から、彼はイギリス老紳士風だったのだろう。

 今宵は木曜会。
 ガン治療から復活した日本フラメンコ界の初代スター
 本間三郎師匠が、久々に高円寺エスぺランサにやってくる。

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2013年3月8日(金)/その1241◇親分復活

 木曜昨晩は高円寺エスペランサ。
 25時帰宅。

 ガン治療のため8カ月ほど欠場していた我らが愛しの親分、
 フラメンコ界の初代スター本間三郎師匠が木曜会に復帰した。
 さすがに体重は落としているが、渋い風格はむしろ増量している。
 二十余年つづく木曜会には、やはり座長の存在は必要不可欠。

 若かりし時分、このサブロー師匠にはハンパなくお世話になった。
 出しゃ張らない代わりに面倒見のいいこの大親分の粋な計らいが無ければ、
 度重なる理不尽の嵐に単細胞布石屋たる私はブチ切れていたに違いない。
 となれば、当時普請中の日本フラメンコ協会は空中分解だったろうし、
 夏の新人公演の定期開催も単なる幻影に終わっていただろう。

 組織が形成運営されるための水面下のバランス維持を計る役割。
 そこには、己の悪徳に気づかぬ利権屋や口先だけの正義の味方に
 ウンザリすることのない、清濁併せ呑むジャッジ・センスが必要不可欠となる。
 そうしたキーマンの重要性をしかと認識出来たのはしばらく後のことだ。

 「家族(パリージョ名手の牧子夫人と奨励賞バイラオーラの長女・静香)の
  ありがた味が身に染みたよ」
 そんな感嘆を幾度かもらす師匠を真ん中に据え、
 協会黎明期以来の業界仲良し連と呑む久々の酒は旨かった。
 日々の荒波を互いに暗黙に了解しながら、愉快な話題に終始できる集いはやはり得難い。

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 さて、明日土曜の晩は四十年つづく高校同級の呑み会。
 初代ミスキャンパス、あの〝愛しのエリー〟が同期の美女多数を引き連れてくるはずだ。
 昨年の忘年会では私の前科(1973年のエリーへの失恋)が格好の肴となったが、
 さらにエリーとの四十年ぶり再会のあまりの嬉しさに気絶しそうになった私だが、
 今回は多数の前科者ども(1973年の各種色恋沙汰)に罪状が振り分けられる模様である。
 それにしてもやたら面倒な幹事役をすでに四十年務めるヨシアキよ、
 揃いも揃って我がままで不細工無愛想なおれらだが、心の中じゃあ、
 みんなおめえに涙なみだの感謝をしとるからなあっ!

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2013年3月9日(土)/その1242◇今井翼のラジオにて

 こんばんは。お久しぶりです。
 翼くんのラジオ文化放送to base、いま放送中ですが、
 しゃちょさんの話されていましたよー(^o^)/☆彡
 しゃちょさんから、10年後でもいいから連載してほしいと言われたが、
 今すぐにでもやりたい、と話されていました。
 春の素敵な出会いだったそうです(*^^*)
 ご贔屓にして頂いていると感謝の言葉を述べられていましたよ(^_-)-☆
 しゃちょさんを応援しています。


 深夜に帰ってパソコンを開くと、
 ツバメンコ仲間からこんなうれしいメッセが。
 私のラブコールは、果たして嵐を呼ぶのか?
                               (来月につづく)
 

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2013年3月10日(日)/その1243◇赤い夕陽が

 きのう土曜は早めの出社で今週のツケを片づけ、
 春近しを匂わせる夕暮れに、弾む心で故郷に向かう。

 JR平井駅、すでに33年通う人気チャンコ屋〝紫鶴〟は、
 母校・小松川高校からも歩いて10分ほどの距離にある。
 先立っては『題名のない音楽会』でその母校の校歌が演奏されるというので、
 大騒ぎで放映を待ったが、再放送を含め二度とも見逃した。

 今回はすでに40年続く高校同級の超劣等生グループの四季の呑み会に、
 同学年の美少女たち(当時)がゲスト参加した。
 野郎どもはすべて57歳だが、淑女らはすべて年齢不詳であり、
 くれぐれも年齢不肖ではない。
 女子は愛しのエリー、タミコ、マサエという麗しのラインナップで、
 男子はヨシアキ、ヒデオ、ケースケ、タイチロウ、
 そしてこのキアヌリーブス(私)であり、くれぐれもトムクルーズではない。

 ちゃんこ鍋から立ち昇る微笑むような湯煙が、
 四十年の歳月を逆ウラシマのように反転させ、
 われら高校三年生を、赤い夕陽が校舎を染める
 束の間の時間旅行へとうららかに誘う。


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2013年3月11日(月)/その1244◇普請中

 お蔵入りしていた『ボキャ辞書』が再びお蔵入りする前に、
 冷やかし気分で読んでみる。

 「昔の人はいいことも沢山云ったが、〝地球は平らだ〟とも云った」
 「若者は未熟で軽薄だ。私が若者だった頃の流行は今も不滅だ」
 「批判は人間関係を破壊するが、ユーモアによる破壊は人間関係を円滑にする」
 「神妙に反省することは、実際に一歩踏み出すことより千倍楽だ」
 「エロスとタナトスのライバル関係を自家発電機として活用すること」
 「いつ死んでもあわてないシステムを暮らしの中に導入すること」
 「挫折をものともせずに頑張り続ければ、きっといつか、
 あきらめの境地に達することが出来る」

 心に住み着いてくれたものと、そうでないもの。
 言霊が二通りに枝分かれすることを知った。
 上記などが心身にほぼ血肉化されていることに嬉しく驚くが、
 下記などは、そうした心の成長とは無関係に変わらぬ現実を突きつける。

 「女には男を観る目がないが、特に私を観る目が不当にきびしい」

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2013年3月12日(火)/その1245◇カメの発見

 「強いから勝つ」

 確率論的には圧倒的にこれだろう。
 ただいつの時代も入れ替わりはあるから、
 後者の状態にも充分なリアリティがある。

 「勝ったから強い」

 前者に対する私たちは、才能や環境の運を云い訳にして
 思う存分怠けることが出来るが、後者はそうした甘えを許さない。
 強いから勝つんじゃない、勝ったから強いんだ、
 「四の五の云わず、とりあえずいっぺん勝ってみろ」と迫ってくる。
 何とか結果を出した後者の、さらにその数少ない生き残りこそが
 前者なのだと迫ってくる。

 あいにく前者にも後者にも該当しない私は弱くて遅いカメだが、
 それでも寄る年波から「勝負を捨てない」在り方だけは学びつつある。
 いわゆる勝負の世界においては短期決戦で白黒が決まってしまうが、
 実人生においてはその永い歳月を一本勝負と捉えることによって、
 勝ち負けを超越したところで、ヘボなりに潔い在り方を
 まっとう出来るのではないかとも想う。
 
 ゴールを視野にとらえたカメに、もはやウサギに対する意識は希薄だ。
 闘うべき相手は強いライバルではなく、
 常に弱い自分であったことに薄々気づいている。
 ライバルというのが、実は自分を発奮させてくれる味方であったことに
 遅まきながら気づいている。

 頑張った自分や怠けた自分、過去のさまざまな喜怒哀楽がオーバーラップしてくる。
 苦しいには苦しいがどこか爽快感をともなう懸命な走りの中で、
 おれはこれまで、どんな感情が一番うれしかったのかな?、
 それはひょっとして、今のこの状況みたいな感覚ではなかったかと、
 おぼろ気ながらも気づいている。
 ああ、これがどんな弱虫にも出来る勇気の快感なのかと、
 微かに気づき始めている。

           
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 なあヨシアキ、ヒデオ、
 高校同期のおめーらが、この歳でフルマラソン走るってのは、
 こんな気分じゃねーのかい?

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2013年3月13日(水)/その1246◇ねばならない

 人類の知の究極が〝笑い〟であることは、
 すでに国際的コンセンサスとなりつつあるが、
 その意味で愛する日本が笑いの後進国であることはちょっと哀しい。
 大好きな日本文化だが、ここだけは愚かにも〝笑い〟の真価を
 低く見積もり過ぎてきたようだ。

 小さな島国日本における儒教の呪縛はいまだ強烈であり、
 笑いとは対極に位置しながら社会を無気力化させる「ねばならない」的な
 生真面目な不真面目さがそこかしこに実態として残っている。

 そういう私だって若い頃には「ねばならない」的決意の繰り返しで生きてきた。
 「ねばならない」ではなく、「オレはこうしたいからこうしよう」という具合に、
 素直な思考回路で行動する切り替えには随分と時間がかかったけれど、
 グチや云い訳が減り、日々の暮らしが明るくなる事のメリットは小さくはなかった。

 「ねばならない」のように否定的なニュアンスを孕んだ言霊というのは、
 人間を生理的に暗くネガティブに仕向ける。
 落語やフラメンコによって、人を内側から腐らせる悪癖から脱出できたことは
 この私にとっての最大の幸運だったかもしれない。
 この先も「ねばならない」的な落とし穴に決して陥らぬよう、日々精進せねばならない

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 2013年3月14日(木)/その1247◇さまざまのこと思い出す桜かな

 ジェー寝るぞお!とひと声かけると、
 トコトコトコとやって来て、
 スルッと布団にもぐり込み、
 私の左腕にチョコンと顔を乗せながら、
 脇腹あたりにホカホカの寝床をこしらえ丸くなる。

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 こうした冬の定番も、暖かさとともに頻度が減り、
 桜の時期が近づいたことを知る。
 あと三週間あまりで満開の桜が拝めるかと思うと妙に心が弾む。
 
 四十代後半、大した仕事もせずにグレまくっていた頃は三日ばかり出社もせずに、
 東京中の桜の名所に出掛け浮世の憂さを晴らしたものだ。
 多い時は1シーズン20カ所くらいは歩いたのではなかろうか。
 
 さまざまのこと思い出す桜かな

 実に平凡ながらこれは私の名作であるというのは大ウソで、
 まさかとは思うが正真正銘、あの松尾芭蕉45歳の句だ。
 元禄元年(1688年)、つまりあの〝奥の細道〟の旅に出る一年前、
 故郷の伊賀(現在の三重県西部)に立ち寄った折に詠んだ句らしい。

 近年はこの句を想いつつ、高田馬場パセオから神田川沿いをぶらり歩きで十数分、
 椿山荘の裏手で胸突き坂の脇、芭蕉庵あたりの桜を観る。
 東京随一!と太鼓判を押せるマイベスト桜。


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2013年3月15日(金)/その1248◇我が良きアナよ

 テレビ東京の大江麻理子アナが、ニューヨークに赴任すると云う。
 私を含め永らく地元呑み友連中の大絶賛を浴びるマドンナだけに、
 この悲報は皆のブチ切れ気味の暴走討論を誘ってしまう。

 この唐突な転勤を知った瞬間、何でえっ?~と私は叫んだが、
 その後は案外とサバサバしている自分にむしろ驚いた。
 暮らしの周辺に胃袋をえぐるような別離が相次ぎ、
 私の心の防衛本能は鈍感を装っているのかもしれない。

 メディアに登場する麗人たちのパッと見に鈍感となった代わりに、
 地味な大江さんの実直な言動に好ましく反応する自分が新鮮で面白かった。
 容姿の造作よりも、多くの瞬間に歓びを見い出す表情の自然発生的天然美。
 それが個性的であればあるほど普遍性に近づく不思議。
 綺麗な人と魅力ある人とはやはり異なるものだと思う。

 土曜午前の政治番組や、日曜夜のモヤさまなどで、
 大江さんの立ち居振る舞いを楽しめなくなることは実に寂しいが、
 そんな彼女が「オレとおんなじこの空の下で生きている~♪」という
 ささやかな共通項が何やら爽やかな安堵を運んでくる、と、無理やり強がってみる。


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しゃちょ日記バックナンバー/2013年3月②

2013年03月01日 | しゃちょ日記

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2013年3月16日(土)/その1249◇頼りになる奴

  「最初に幹事やって、けっこう大変だったので、
 14人が順番にやるシステムを作っちゃいました」
 テニス仲間の同期会を組織し、幹事の順番制をすぐさま導入。
 飽きっぽくて布石屋向きなところは、この伯父さん譲りだろう。

 昨晩は、代々木上原で待ち合わせ、
 甥(兄の長男)の卒業・就職祝いの呑み会。
 千葉大・法科を出て、この四月から国家公務員(国税庁)となる龍介の、
 冒頭のひと言を聞いて、ああこいつはもう心配ねえやと思った。

 小さい頃はひ弱ないじめられっ子だった龍介は、
 これじゃいかんと一念発起し、中学からテニスにのめり込む。
 大学でもずっとレギュラーだったというから、精悍な風貌もさもありなんと思う。

 〝やまがた〟で、ふぐ、あわび、おこぜ、中とろなどの刺身を奮発し、
 三軒となりの喰いしん坊〝秀〟へ。
 この日曜にいよいよ有終の美を飾る「おいちゃんの心の故郷」を、
 一目可愛い甥っ子に見せておきたかったのだ。

 馴染みの連中に「小山家の小泉進次郎」を紹介すると、
 美女連中に揉みくちゃにされていた。
 キアヌ(私)ほどではないにせよ、なかなかのイケメンなのである。

 ズラッと居並ぶ美女たちと、物怖じせずに会話を楽しむ姿に安堵しながら、
 おい龍介、やれるもんなら誰とやりてーか?と小声で問うと、
 すぐおとなりの○○さんです、と潔く即答した。
 そのセンスはともかくも、そっちの方の反射神経もなかなかのもんだ。

 「出世よりも、いい仕事をコツコツやれよ」
 別れ際、龍介に私はそう云った。
 すると奴は、案外と気の利いたふうを抜かした。
 「はい。ポストじゃなくて〝一番頼りになる奴〟になります」
 なるほどやはり、こいつはまさしくおれの兄貴の長男だった。


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2013年3月17日(日)/その1250◇誤読と誤植

 「パフォーマンスカ」・・・ぱふぉーまんすか。

 ロシオ・モリーナの記事を書こうと、
 招聘元から送られてき彼女の経歴を読んでいたら、
 この部分でつまづいた。

 「パフォーマンスカ」って何だろう?
 「パフォーマンス」の何らかの変形かとは思うのだが、
 聞いたことのない活用だ。
 あるいは「パフォー・マンスカ」っていう新型名詞だったりして。

 おい小倉よ、パフォーマンスカって知ってるか?と問うと、
 パフォーマンスカ、ぱふぉーまんすか・・・・・・
 ・・・あれっ、ひょっとして「パフォーマンスりょく」じゃないっすか?
 文脈からも、まさしくその通りだった。

 その数分後、今度は小倉が新譜フラメンコCDの解説書を手に、
 爆笑をこらえながら私に見せにくる。

 「マノロカ・ラコール」だって。

 大カンタオール、マノロ・カラコールの新型誤植であるが、
 念のため私は、マノロ力(マノロりょく)・ラコールの可能性を確認~消去した。
          

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2013年3月18日(月)/その1251◇有終の美

 「3月17日までお店をやらせてもらうことにしたから」

 この一月に秀の女将が逝き、その段階でいよいよ秀の閉店を覚悟した。
 その一年前に女将の入退院が繰り返され、そこでも同じ覚悟をした。
 もっと云えば、四年半前の夏に大将の秀が逝った折にその覚悟をした。
 上原のオドーリー・ヘプバーンこと奇跡の美女、女将の長女カズコが
 そう切り出したのは先月初旬のことだ。

 「誰と行った、何を買った
 そんなこと考えたら、胸がいっぱいになりました。
 失われてゆくものがあるから、自分史が残るのだと思います」

 やはりこの四月に閉店する高田馬場ムトウ楽器店を書いた日記に、
 同期のマイミク徳さんが寄せてくれたコメントが身に染みる。
 そうだ、失っても残るものこそ重要なんだと自分に確認してみる。

 日帰りで新潟の実家に行った連れ合いの帰宅を待ち、
 いつものようにジェーに留守番を頼み、
 いつものようにサンダル履きで徒歩三分の秀に向かった。
 親しい仲間が二十名ほど集まり、いつもと変わらぬドンチャン騒ぎになった。

 久々の二日酔いでこれを書く。
 おしまいに全員で〝卒業写真〟を撮ったことを憶えている。
 久々に〝有終の美〟という感傷を噛みしめてみる。


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2013年3月19日(火)/その1252◇三日酔い

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 来年3月号のパセオ創刊三十周年企画第三弾。
 人気バイラオーラ森田志保を軸に奇想天外な仕掛けを準備している。
 昨晩は彼女とその実現のための企画会議であり、
 18時に高田馬場の集合し2時間の予定だった呑み会は、
 例によってハシゴ終電コースとなった。

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 大いなる踏み込みの必要な企画なだけに激論が飛び交う。
 起こりうる問題点を事前にツブしておくやり方なので、
 話はさまざまな方面に及ぶガチンコ討論会となった。
 そして予定通り、明快なヴィジョンと作戦がスッキリ決まった。

 日曜晩を引きずる二日酔いの状態で呑み始めたが、
 話題の楽しさにノリノリとなりビール・焼酎をがんがん呑んだ。
 これを書く今現在、フツーに三日酔いの状態である。

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2013年3月20日(水)/その1253◇フラメンコなやり方

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 相手を信じ自分を信じても、
 それでも誰にもミスやアクシデントは起きる。
 それは普段の生活でも同じでしょ。

 そういう局面にどう対処するか?
 そこがフラメンコの面白いところで、
 みんなで何とかしなくちゃっていう凝縮された
 コミュニケーションがそこに生まれるの。
 
 フラメンコには楽譜がない代わりに、逆にパニック状態でも
 自分たちで解決できる自由があるから。
 あきらめないで、自分から出てくるもので何とかする。
 そういう懸命さがとんでもないエネルギーを発生させるのがフラメンコ。

 フリを忘れたって、例えば
 同じフリを繰り返しながら抜ければいいんです。
 怖いことだけど命に別状はないから(笑)、
 自分で自分の落とし前をつけるクセをつける。

 「大丈夫、こっちはこっちで何とかするから!」って、
 いつでも云える自分ね。
 そういう自分だからこそ信じることが出来るし、
 そういう自分で在りたいからこそ来る日も来る日も練習出来るんです。

 普段の暮らしの中だってアクシデントは誰にも起こることだから、
 だったらそれをフラメンコで練習すればいいじゃない?
 逆にフラメンコのアクシデント対処法は、
 普段の暮らしの中で練習すればいいじゃない!


     チャチャ手塚(ルンベーラ)『もうひとりの自分』
     本日発売「月刊パセオフラメンコ/2013年4月号」より  1896436760_157.jpg

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2013年3月21日(木)/その1254◇学習力

 ドイツ仕込みの正統派音楽と、明るく前向きで気さくな人柄。
 三十年以上も前、そのマンジメントを担当していたある大物ギタリストの
 コンサート打ち上げにおける、あのひと言を想い出す。
 
 「僕はほんとうは根暗なんだ(笑)。
  だから明るさを求めるんだよ。
  だから音楽を続けることが出来るんだろうね」

 もっともな論理として当時なりに理解したつもりだったが、
 実感のともなわない論理や反省ほど、私にとって無意味なものはない。
 シンプルな彼の言葉の奥に潜む、実はエロスとタナトスの深い葛藤を、
 日々の暮らしの中に実感できるようになったのはごく最近のことだ。

 頭脳で認識した論理を感覚化するのに、数十年かかることはザラにある。
 〝論理化〟とは〝感覚化〟のための単なるスタート地点かと、
 その意味では確かに人生は短いと、ため息まじりに苦笑。
 てゆーか、単に個人的に呑み込みが悪い。


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2013年3月22日(金)/その1255◇ガス抜き野郎

 いじめや体罰の社会問題がスッキリしないまま続いている。

 どちらも自分側から積極的に仕掛けた記憶はないが、
 自分がやられた折の仕返しについては、その幾つかを鮮明に憶えている。
 私は現行日本の社会制度に従順な人だが、
 本質的にはハムラビ法典のシンプルな公平さを基準とするタイプだ。
 だから民間の裁判官制度に当選したとしても、おそらくは面接で落ちるだろう。

 とは云え、出来るものならハムラビ風交戦状態は避けたいところだから、
 嫌な目にあっても、明らかな法的犯罪以外は無かったことと見逃すケースが多いし、
 明らかな理不尽を覚える相手には、
 以降こちらから穏便に遠ざかるフェイドアウト手法を採る。
 同時にこちらからは、滅多なことでは他人を傷つけてはいけない。
 他者にナメた真似を仕掛ければ、必ずそれ相応の有形無形の報復を喰らうことになる。
 神や国家を恐れるからではなく、単に個人的な仕返しが怖いから私はそれをしない。
 かつて自分のやったハムラビ風逆襲の恐ろしさが身に染みているから。
 そんなんで近頃の私が相手に厳しいことを云うのは、
 大切に想う相手の未来を本気で考慮する場合のみだ。
 ただし「チョー理不尽」への対応はその限りではなさそうな弱さを残している。


 「それでも相手を許すしかない」

 パッと思いつくだけでも幾人か、親しい老若男女の中にそんなタイプの善人がいる。
 つい先日も、あのサリン事件の回顧報道を聞きながらのカウンター席で、
 もしも被害者が自分や親しい人間だったらどーするかという話題となり、
 すでに三十年余年付き合う根っからの善人はそう答えた。
 「報復の連鎖を絶つ」ことは平和を愛する半端なき彼の信念とも云うべきものだ。
 まあだからこそ、チョー理不尽な仕打ちにはハムラビ法典のように正確に対応した
 私のような非善人とも永らく呑み友をやっていられるのだろう。
 会話はさらに、このように続く。

 「なんだって俺みてーなハムラビ野郎と呑めるんだい?」
 「おまえの逆襲伝説は、ストレス解消にちょうどいいんだ(笑)」、、、だって。


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2013年3月23日(土)/その1256◇たまにはアルサー

 昼は麹町にて、この7月号からスタートするまさかの本誌超大型プロジェクトの
 具体的なヴィジョンとスケジュールを無事まとめ終え、
 夜は恵比寿で、カリスマバイラオーラ大沼由紀とヘレス強豪たちのライブ。

 至近距離で由紀さんのシギリージャ、ソレアを観た。
 まるで顕微鏡で観察するかのようにじっくりと、
 唯一無二のその凄まじい魅力の解明に集中できた。
 謎多きその神秘のアルテについて、
 およそ30%くらいは当たりをつけられた、ような気がする。

 昼も夜も大きな収穫のあった一日だった。
 ずっと行動を共にした相棒ぐらと、恵比寿で激歓のお疲れ会を呑って、
 先ほど戻ったところ。
 まるで勝ち目の薄い戦を嬉々として闘う日々にも、
 こんなマグレの日もあるものかと、ちょっと不思議な気分だ。


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2013年3月24日(日)/その1257◇夢修行

 何やらウサン臭い連中がヒタヒタと背後に迫ってくる。
 振り向けば、野郎が七、八人といったところだ。
 こちらにやましいところは無いはずだから、おそらくは集団強盗あたりか。

 勝手知ったる代々木上原、さっと左に路地を曲がって猛ダッシュ。
 私を追って一斉に駆け出す足音を背後に確認しながら、
 細く複雑に枝分れする道を選びつ、車の走る裏通りに抜ける。
 さらに甲州街道・幡ヶ谷方面に抜ける細くくねった坂道を全力で北上する。
 歩くのがやっとこさの腰痛を抱えているはずなのに、
 野球少年だった頃のスピードで深夜の住宅街を快走する。

 やがて呑み屋の灯りが幾つか見えてくる。
 追跡者の足音が聞こえないことに一息つく。
 喉が渇いたのでビールでも呑むかと、赤提灯の暖簾をくぐる。
 カウンターに腰掛けると、ヨシタカがすでに呑んでいる。
 よお遅かったじゃねえかユウさんと、ヨシタカが私にビールを注ぐ。
 やがてタケオとヨシオがやってくる。
 
 追手のことも気にかかるが、いきなりの中学同期の呑み会に気を合わせる。
 タケオがカラオケでラブユー東京を歌い始める。
 ヨシオは横の座敷の女子グループにちょっかいを出している。
 ヨシタカは例の一発芸を連発し私の評価を求めるが、いまひとつ私はノリ切れない。

 しきりと喉が渇いて目が覚める。
 ずいぶんとリアルな夢だったので、まんま書き出すことが出来た。
 滅法喧嘩の強いヨシタカが突然登場するのは、
 追手に対する備えのような意味合いを感じる。
 タケオとヨシオはヨシタカつながりで、ついでに出演しただけみたい。
 あのウサン臭い連中の意味するところが興味深いがこれは不明。
 スリル満点なのは導入だけだったところに夢修業の足りなさが出ている。


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2013年3月25日(月)/その1258◇夢道楽

 あたりは夕暮れ。
 ポプラ並木のやや登り坂の舗道を歩く。
 左手に郵便局、見慣れた赤く古びた円筒のポスト。
 モダンな街燈が淡いオレンジの光を灯す。
 ちょっと江戸川乱歩風のミステリアスな郷愁がある。

 まっすぐ行けば都電「小松川三丁目」の停車所のはずだが、
 ふと右手を見やれば、祖母らの暮らす駒込の母の実家に続く路地のようだ。
 久しぶりに訪ねてみるかと右手に折れ、ゆるやかな坂をスキップするように下る。
 どこかで右に曲がる必要があるのだが、細い一本道が頼りなく続くばかりだ。
 いきなり怪人二十面相が現れそうな雰囲気が怖いようなワクワクするような。

 やがて見覚えのある急坂にさし掛かる。
 いつも間にやら春の暖かな陽が射していて、両脇には満々と桜が咲き誇る。
 そうだ、この桜坂を登りきれば、あの懐かしい母方の菩提寺のはず。
 死んだ叔父(母の弟)が先代の住職と囲碁を打っているかもしれない。
 たどり着いた古寺の前では、昔ながらのチンドン屋がビラをまいている。
 くすんだクラリネットがポール・モーリア『恋は水色』を哀しげに歌う。

 甘酸っぱいメロディにつられてあとを追うが、追えども追えども追い付けない。
 西ヶ原四丁目あたりを力走する都電が遠くに視える。
 ここらあたりでペロペロと、枕もとに起床を促すジェーの気配を感じる。
 大寝坊に気づくが、朝風呂に飛び込び忘れないうちにこれを書く。
 近ごろの夢には古風な浪漫がしっとり漂うことも多い。
 ストーリー性が弱いのは惜しいが、絵画のように美しい情景の余韻は悪くない。


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2013年3月26日(火)/その1259◇問題点

 この9月号でパセオフラメンコは、創刊30周年を迎える。

 そんなんで、その9月号にみゅしゃ(井口由美子)の不定期新連載
 『ときめき探訪』というインタビュー記事に私がゲストで登場することになった。
 (第一回目は7月号で、小島章司さんが登場する)
 きのうはその撮影取材で馬場の編集部に訪れた彼女。

 エストレージャ・モレンテのカラー8頁を構成する喧々諤々の編集会議、
 方々に電話をかけまくりあたかも社長らしく仕事してるようなカット、
 仕事に行き詰まってヘボ・ギターを弾きまくる私が社内を不幸に陥れる模様、
 ・・・などなど、編集部の不気味な生態を懸命に彼女はカメラに収めていた。
 
 「ぜんぜんキアヌリーブスに似てないぢゃん!」

 撮影モニターを覗く私は、即座にいちゃもんをつけるが、
 編集部小倉と岩井は、こう一笑に付した。

 「モデルを代えない限りムリです」

 たしかに私は写真映りの悪いタイプだが、
 その瞬間、実物はもっと悪かったことを思い出した。

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 (以上、井口由美子撮影)

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2013年3月27日(水)/その1260◇きっと何かが起こる

 片や本場ヘレスから初来日するコンパスの魔王、
 片や美貌のお姫さま的邦人バイラオーラ。
 初めてこの目で観るまではミスマッチにも思えた組み合わせ。
 だが、その石井智子とディエゴ・カラスコの初回共演にはアレが降りていた。
 
 続く第二回目にはギターのモライートも参加。
 他界したモライートの最期の勇姿を届けてくれたのも石井智子の功績だった。
 周囲を励ましながら挑戦を続ける勇者には、幸運の女神が微笑むことを知った。

 そして今宵、銀座ルテアトルにて石井&ディエゴの三度目の共演。
 ティリティ・トゥラン。
 きっと何かが起こる。


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 石井智子スペイン舞踊団公演「ティリティ・トゥラン vol.2」
 2013年3月27日(水)19時/東京・ル テアトル銀座 03-3564-9070
 Ⓑ石井智子/石井智子スペイン舞踊団 ⒸⒼディエゴ・カラスコ
 Ⓖクーロ・カラスコ(ナバヒータ・プラテア)/アントニオ・レイ
 Ⓒマヌエル・デ・ラ・クーラ/キニ・デ・ヘレス  Ⓟアネ・カラスコ

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2013年3月28日(木)/その1261◇しみじみと潔い

 少し熱を出して早めに帰宅すると、
 昭和三十年代から四十年代にかけての
 ヒット歌謡を集めた番組をやっている。
 懐かしい名曲ばかりなので、ツッコミを入れたり
 涙ぐんだりしながら、結局最後まで観てしまった。

 倍賞千恵子さんの『下町の太陽』は胸キュンものであり、
 ガロの『学生街の喫茶店』は気合いの入りまくりであり、
 そして何と云っても、東京ロマンチカの『君は心の妻だから』の
 深化の境地が素晴らしかった。

 三條正人さんの深く大きなヴォーカル・ソロは、
 我らがチャノ・ロバートの晩年の歌唱をほうふつとさせた。
 リスクを恐れない一発勝負のそのしみじみと潔い歌い回しは、
 ムード歌謡というより、カンテフラメンコそのものに聞こえた。

 当時の歌謡そのものが「上手く歌う」方向ではなく
 「心を歌う」方向であることに新鮮な感動を覚えた。
 良し悪しの問題ではなく、そういう方向を好ましく思った。
 何ひとつとして上手く出来なかった過去の云い訳にももってこいだしな。

                     
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2013年3月29日(金)/その1262◇即興詩人

 水曜晩は銀座でディエゴ・カラスコ。

 会場の大小・条件に関わりなく、
 その場の空気を読み切り、
 皆の呼吸よりもほんの一瞬早く、
 新たな空気を自ら創り、ぐいぐい引っ張る。

 その胸のすくような鮮やかさはまるで魔術のよう。
 パターンではなく臨機応変な生命力。
 人生を楽しくさせる機転と潔い行動力。
 なのに芸はシブく、深く、美しい。

 この感触は誰かに似ている。
 そう、サザンの桑田佳祐さん。
 ディエゴと桑田は世代も同じであり、
 ついでに私も同世代であることがおこがましい。
 
 360度張り巡らされるサービス精神がアルテを呼び込む。
 人間の感情と生理のツボを押さえた即興詩人。
 古典をやっても、まるでそれが今生まれたかのように創造する。
 こうした光が日々の暮らしを豊かに実らせることにハタと気づく。


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2013年3月30日(土)/その1263◇〝座右の銘〟なう

 人生は 五分の真面目に 二分侠気
 あとの三分は 茶目で暮らせよ


 誰が詠んだか知らないが、いかにも江戸っ子好みだ。
 こんな風な大人になりたいと願ったことさえ忘れていたが、
 週刊誌をめくっていたら、何十年かぶりでこの涼句にバッタリ出喰わした。
 
 客観的に出来てるかどうかは別として、こりゃまるで
 近ごろのおれのバランス目安そのもんじゃねえかって笑った。
 
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2013年3月30日(土)/その1264◇今井翼の次なる展開

 「一番後ろで座っているあなたの姿がいい」

 18歳でNHK大河『元禄繚乱』に出演した今井翼(若い赤穂浪士役)は、
 中村勘三郎(主役の大石内蔵助)にこう絶賛された。
 それが縁で、中村勘九郎(31歳)主役の舞台出演に抜擢された今井翼(31歳)。

 寅さんのあの山田洋次監督の演出による舞台『さらば八月の大地』が
 それ(今年11月/新橋演舞場)で、太平洋戦争中の満州で映画創りに
 人生を懸ける若者たちの国境を超える友情がテーマの物語だという。

 冒頭の名人・勘三郎のひと言は、今井翼の演技に対する姿勢を前進させるきっかけと
 なったというから、言霊とか縁とかの実力というのはまったく凄いもんだと想う。

 昨年暮、自分と同齢の中村勘三郎さん他界の折には、
 さあ、いよいよオレら世代の出番かいなと覚悟したもんだが、
 やはり同齢の人気女優・坂口良子さんの他界はこたえた。
 翔ぶが如きの若者たちを縁の下から支えつつ、
 やりたいことはその日のうちに済ませてしまう方針は、
 もっともっと強化してもよさそうだ。


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2013年3月31日(日)/その1265◇感電ヤロー

 たとえ僅かな時間であっても、
 週の半分は仕事帰りに寄っていた永年の隠れ家を喪失し、
 この二週間ばかり、外で呑む機会が激減した。
 
 金やら時間やらとの引き換えに蓄えてきたものは、
 意外にも〝充電〟であったことが判明する。
 四年前、営業一辺倒からすんなり編集長稼業にハマることが出来たのも、
 愛する呑み屋における一癖も二癖もある親しい連中との
 〝緊張と弛緩〟のバランスに充ちた日々の丁々発止のやりとりの成果であり、
 それが私の重要なエネルギー源のひとつであったことに気づく。

 悟りには無縁のタイプには、常に新しい刺激と変化が必要であり、
 そこでの発見に自問自答を繰り返し加えながら、
 もはや不要となった感覚、もしくはさらに磨きたい感覚、
 さらには新たに身につけたい感覚などを、
 改めて取捨選択する必要があったようだ。

 まあそんなんで、この十五年の充電期間はとりあえず終了。
 この先しばらくはアウトプット中心という暮らしも悪くない。
 だがしかし、放電し始める途端に自分で感電したりして。


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