フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

コンスタント性 [147]

2006年08月26日 | 超緩色系






   コンスタント性





 ホームランか三振か。出来不出来は激しいが、ハマると恐ろしい力を発揮するかつての清原タイプ。
 もう一方には、イチローのようにシングルヒットや内野安打でコツコツ稼ぐタイプがある。

 パセオに執筆くださる先生方も、乱暴にシャッフルすればこの二つのタイプに分けることができそうだ。


 ちなみに私の文章は、もちろん後者のタイプである。

 どんなに調子が悪い時でも、そこそこ良い原稿をコンスタントに提供くださる先生方と同様に、私の場合も、どんなに調子が良い時でもかなり悪い原稿をコンスタントに提供することが出来るのだ。
 つまり、"コンスタント性"という機能面においては、どちらも等しく優秀なのである。

 

  

 

 

 ま、正直云えば、私だって時には目の醒めるような素晴らしい記事を書きたいと思うこともないではないが、

 「常にまずいところが信頼できる

 という読者の熱い期待を裏切ってまで、そのような奇跡を無理やり起こすような野望は持ち合わせていないので、これからもどうか安心してお読みいただきたい。


 加えて宣言するが、今後はコンスタントな更新を心掛けよう、という新たな決意も固めた。
 多すぎるかもしれないが、最低でも月一回は更新に臨む覚悟である。







 


 


開店休業用・四大ニュース [146]

2006年08月15日 | 超緩色系


 

 

  開店休業用・四大ニュース!


 

                  


①ときどき更新「本日のワンショット」連載開始!

     

   ◇8月15日(火)
  「筆者近影。戦意喪失か?」


                  


②速報!!「さすが社長、予言的中!」

 「さて、具体的なペースとしては、平日週5日は退社前の30分を利用して“社長室”を毎日更新するつもりだ。
 で、当ブログについてはしばらくのあいだ週1更新(土日中心に)とし、仕事がひと段落する年末あたりから徐々に更新回数を上げてゆこうと考えている。
 ま、そんなこんなで、とりあえず2ブログ計画は準備万端整ったのである。(中略)

 人さまのフンドシ頼みとは云え、このよーに私の計画性はヒジョーに高い。
 計画通りに実行できる力さえあったら、今ごろ私は大金持ちになってたところであろう。
 みなさまも、どーかご自分の胸に手を当ててお考えいただきたい。
 夏休みの初日に立てたケーカクが、一度でも完遂されたためしがあったかどーかを。」

 去る7月9日の本欄で、私はこのような談話を発表したが、この予言はわずかひと月ほどで的中した。
 社長室の週5更新、ならびに当ブログの週一更新という計画は、予言通り崩壊寸前である。
 仕事関連の予想についてはまるで当たらないことで定評のある私だけに、喜びもひとしおと云ったところである。


                  


③もうひとつのプログ「社長室」
 
http://www.paseo-flamenco.com/cat5/index.html

 内容的にはイマイチと云うより全戦全敗だが、週5日という驚異の更新ペースは、うまくすると今週一杯は続く予定だ。


                  


④「フラメンコ超緩色系」バックナンバーの一覧表完成
 http://www.paseo-flamenco.com/2006/06/post_13.html

 待望の当ブログの目次一覧表が、トータル二時間という歳月をかけてとうとう完成した。
 しかも、筆者自身による5段階評価付きの画期的なバックナンバー一覧表である。
 それにしても、一体誰がこんなものを見ると云うのだろうか。


                  

 







 

 



季節はずれ [145]

2006年08月10日 | 四季折々

 

 

 

        季節はずれ 

 

 

 

 

                   

         

                                 「上野の冬牡丹」

   

 

   

  
        どうだい、涼しげだろ。


 このホームグランドに次はいつ書けるのやら、それもわからない。
 で、
とりあえず、暑苦しくない季節はずれの風景写真でもぽんと載っけておこうと思った。
 今年撮ったへぼなデジ写ばかりだが、気が向いたら別の季節はずれに取り替えたい。

  んじゃ、しばらくはあっち(↓)にいるのでよろしく。

 

          パセオ社長がしょんべんカーブで真っ向勝負! 
          社長室 http://www.paseo-flamenco.com/cat5/index.html


 









 

 

 

 

 









 


逆ギレ [144]

2006年08月09日 | パセオ周辺

 




         逆ギレ 





 以前ここに書いたように、現在私は新生パセオホームページの運営に遊軍参加している。
 ここだけの話だが、社内的な私の戦力的評価は比較的高く、近ごろでは“猫の手”や“犬の手”のそれに匹敵するほどまでに上昇している。


                          



 私の担当は、フラメンコ公演情報、教室案内、フラメンコナビ、日西文化史概論、国際フラメンコ人類学、出会い系フラメンコの六つだが、おしまいの三つは真っ赤なウソである。

 それ以外の三つについて、数百万と云われるフラメンコの潜在ファンの取り込みと将来の広告展開を含めて、それらを新たに構築し直すことが私の任務であり、それによって辛うじて“社長室”を支給されたというのが偽りのない実情だ。


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 さて、実際にやってみるとこれがなかなか面白くて、今ではその作業に完全にハマっちまってる状況だ。
 それに加えて最近は、社長業やら本誌営業やらも鬼のような忙しさで、私のデスクの上などは足の踏み場もないといった有り様なのである。

 ただ私としては、少なくともあと一年くらいはこのネットの遊軍を続けさせてもらいたいので、ここは何とか、いつもの大失敗を最小限に喰い止める工夫が必要かと思われる。
 そのためには、とにかく余計なことには手を出さぬことだ。

 

 …………とか何とか云った舌の根も乾かぬうちに、パセオホームページ上(フラメンコナビ)にうっかり始めちまったのがコレ(↓)だ。

 http://www.paseo-flamenco.com/guide/cat13/cat60/
     (読者投稿による“ブログ散歩”)


 押さえつけようとすれば必ず発生するのがこうした反動である。
 知らずしらずのうちにストレスが溜まったのか、もともとそういう性格だったのか。いずれにしても、ここ三十年ばかり、自分の中に人間的成長の兆しが見られないことは実に残念なことだ。

 

 で、唯一読者投稿と銘打ったその“ブログ散歩”なのだが……

 スタートからすでに一週間も経つというのに、飲み会やらカラオケ大会やらのお誘いばかりで、肝心の“ブログ散歩”投稿メールは一通もこない。現在の投稿者数は約私一名である。
 放置プレイはするのもされるのも嫌いなタイプの私だというのにこのザマである。

 チョー美男美女の人格者諸君よ
 飲み会やらカラオケ大会やらをやるヒマがあるのなら、なぜ面白そーなブログを見つけてせっせと投稿して来んのか

 皆がこぞってそのように投稿してくれるならば、私としては皆の代わりに、飲み会やらカラオケ大会やら合コンやらキャバクラやらを自分ひとりだけで引き受けてやってもいい、とさえ思う今日この頃の私なのである。







         
                     [筆者近影]














故郷 [143]

2006年08月01日 | 散歩の迷人

 

 

 

                     故郷 

 



 先週土曜、およそ三ヶ月ぶりの休暇にありついた。


 喉の渇きをこらえてサウナでしぼり切ったあとの生ジョッキみたいな一日が約束されているものと思いたい。
 朝のコーヒーもそこそこに、リュック担いで玄関を飛び出し、例のカマロン占いhttp://blog.goo.ne.jp/paseo1984/d/20060123で本日の散歩コースを決める。



      
     
[カマロン/カジェレアル]POLYGRAM1983


 結果はもろネガティブで、センチメンタル・ジャーニーがよろしかろう的なお告げに、ならば久々に還ってみるかと、上原から千代田線に乗り込む。



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       東京都江戸川区小松川……。


        


 そう、小松川と云えば、あの“小松菜”の原産地として、また、パセオフラメンコ創業者の産出地として、広く一般にはまるで知られることのない東京東部にひっそり存在する無名のダウンタウンである。
 ま、早い話が私の生まれ故郷だ。

 その東西を荒川と中川に囲まれる、昔はよく大水にも見舞われたちっぽけな貧乏町。
 ずっと以前、灰色がかった「長屋とスモッグとドブ川」だらけだったこの下町は、徹底的な丸ごと再開発によって「中高層アパート群と緑と澄んだ川」とで構成される
本格的住宅エリアへと生まれ変わった。


 ただ臭いだけだったドブ川(中川)は、もののみごとに澄みきった水質に変貌を遂げ、ボートや釣り人たちでにぎわう。過去を知る人間には、まるで信じられない光景だよ。

                               


 子供心にも不気味だった化学工場は跡形もなく消え去り、とても東京下町とは思えぬ大草原が広がる。

       


 さて、町の東を滔々と流れる荒川は、荒川のまんまだが、

       

 味気ないコンクリ塗装だった荒川土手は、どこまでも歩いてゆきたくなるような遊歩道に大変身だ。
 そう云えば、都電25番線の終点駅(西荒川)があったこの辺りの土手下近くの長屋に稲葉という同級生が住んでたっけ。

 荒川の稲葉うわあ、と叫んだら大人げないだろうか?………ないだろうな。

       

 

 リニューアルではなく、まったく新たに作り直されたこの町全体を、つぶさに歩き回ったのは初めてのことだった。
 住宅スペース以外はほとんど緑地か公園だ。
 私が暮らした頃の環境に比べると、それらはまるでパラダイスのようである。

 だからこそ、ここは私の故郷とはまったくの別物だった。
 大げさな物言いをする私がさらに大げさに云うならば、この十数年、私は故郷をなくした喪失感とともに生きてきた。



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 ところが、この日の感傷旅行は思わぬ収穫を生むことになる。


 私の生家は中川のすぐ東にあり、江戸川区と江東区を結んで中川をまたぐ逆井(さかさい)橋までは、ほんの目と鼻の先だった。
 “逆井”と云えば、『東海道五十三次』で名高い江戸の絵師、安藤広重描くところの『逆井の渡し』によって、マニアの間ではおなじみの地名である。

 私はその逆井橋を江東側に渡り、中川越しに小松川を眺めるべくゆっくり歩き始めた。
 と、その瞬間、はたと足が止まった。


 「こ、ここだったのかよっ……」


 歩みを止めたあたりから小松川方面を臨む光景が、私の記憶する広重の風景画とピタリ重なったのだ。

 教科書にも載っていたので、中学時分からその絵の存在は知っていた。
 だが、それが逆井・小松川のどこら辺りを描いた絵であるのかについてついぞ知ることがなかったのは、実は無理もない話だったのだ。

 なぜなら、当時のここらは工場排水などですっかり汚染され、見るも無残な有り様を呈していたからである。
 さらに、
川の汚れや臭みを隠すような高いコンクリート壁が川辺の風景を遮断していた。
 『あしたのジョー』に出てくる泪橋みたいな景観をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれない。

 広重の作品に生き活きと描かれる美しい面影の、そのほんのひとかけらも遺さぬ暗い川辺と化していたのである。
  

  そしていま、その“逆井の渡し”あたりは、江戸往時を偲ばせるような光景をもって、私の眼前に広がる。
 広重の視点を思い出そうとしながら、私はシャッターを切った。

 それは、実際には見たこともないのに、ふいに懐かしさがこみあげるような、それはそれはのどかで美しい情景だった。



 

     



 

 家に帰って広重画集を調べたら、実際にはこんなだった。
 視点も構図もズレズレである。

 画家やカメラマンになれなくてホントによかったと思う。



                  




 この風景画は1857年、およそ150年前に描かれた。
 
広重最後の傑作と評される『名所江戸百景』の中の不朽の名作『逆井の渡し』である。
 この辺り
は江戸名所のひとつに数えられていたのだ。

 
そしてそれから約100年後、この絵の左上にある林のちょい奥あたりに建ったボロ家で私は生まれ育った。


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 「江戸後期の“逆井の渡し”をイメージする原状復元」

 こんなテーマを、小松川の再開発プロジェクトが意図したかどうかはわからないし、また調べるつもりもない。
 だが、この際私はこう思うことにした。

 「やみくもに壊して、ただ綺麗に作り直すのではない。古き佳きものは可能な限り再生しようじゃないか」

 こんなプロジェクト・リーダーの弾んだ声(プライド)を聴こうと思った。

 
 その刹那、私の喪失感は過去のものとなった。
 なんて都合よく単純な奴だろう。
 そう、この俺は三代目の江戸っ子、小松川の生まれよ。


 わだかまりは微笑みに変わった。

 

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 ささやかな幸福をゲットした私は、この際もう一歩踏み込んでみることにした。
 目の当たりにするのが怖くて、これまでずっと突き止めずにいた、かつての生家が存在した場所が現在はどんな風になっているのか、そいつを見届けてやろうかい、とそう思った。

 今も残る小松川神社と高速7号小松川線という二つの定点からきっちり突き詰めれば、その在りかはかなり正確に割り出せるはずだ。

 

 

 

 

     


 

 たはっ。
 中層マンションの駐車場の植え込みあたり。
 どうやらこのあたりであることは間違いなさそうだ。
 ………ふ、ま、しょうがねえよな。


 ボロいながらも楽しい我が家の二階の南側が私の部屋で、つまりは35年前、この写真中央の木のてっぺんあたりで、高校生の私はパコ・デ・ルシアのレコードを毎日聴いていたことになる。

 

 

 

                    
            [パコ・デ・ルシア/魂] POLYGRAM/1972年