フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年12月①

2011年12月01日 | しゃちょ日記

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 2011年12月01日(木)/その881◇京おんなの真髄

 ぎっくり腰をひきずりながら、
 渋谷のさくらホールで月曜の晩、
 山本秀実フラメンコリサイタル『出雲の阿国』を観る。

 京都育ちでたしか私と同世代であるはずの、
 同志社大学文学部出身の超美形バイラオーラだ。

 全体にパンチ力の不足を感じさせるものの、
 しっとりとした情感で、さわやかな余韻を残す舞台だったのだが、
 いわゆるフラメンコのパッションに頼らぬ意図が終演後に視えた。

 それらはまるで、上質な京懐石のようだった。
 上品な薄味で、しかもコースのそれぞれは少量であり、
 こんなんで空腹を充たしてくれるのだろうかという「?」が浮かぶが、
 完食するころには、何ともうれしい充実と余韻の残るアレだ。

 フラメンコの音楽陣(4名)も上質な顔ぶれ・演奏だったが、
 邦楽陣(7名)の安定する冴えには、ピシッと新鮮な驚きがあった。

 この作品に違和感なく溶け込んだ共演バイラオールのホアキン・ルイスは、
 スペイン王立コンセルバトリオ・デ・ダンサ最上級クラスの主任教授。
 とりわけ邦楽特有の間とひとつとなる光景にはハッとさせる美質が浮かんだ。

 この創作における山本秀実は、フラメンコ舞踊手というより、
 まさしく舞い人『出雲の阿国』だった。
 フラメンコなパッションで構成にメリハリをもたらす欲求を断ち切り、
 阿国そのものと同化していた。

 押しつけがましさのまるでない、凛とする容姿と所作は、
 憧れ感をともなう女性的な魅力に充ちあふれている。
 そこはかとない端正な美しさは、伝説の阿国像の多様性の中で、
 優れたひとつの典型を突出させていた。

 
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 2011年12月02日(金)/その882◇無尽エネルギー

 アーティストのインタビューを頻繁にやるようになって、
 一流と呼ばれる人々の、様々な傾向のコンプレックスを知った。 

 それらのコンプレックスは、彼らの芸が突出するための無尽エネルギーの、
 その源泉となっているという帰納法的結論にたどりつく。
 強靭なマイナス意識がテコとなって、逆に日常的なプラスを産み続ける。
 知識としては知っていたが、ここまで実際的であったとはなあ。

 "コンプレックス"というのは、日本語的には「劣等感」と訳されるのが普通だが、
 本来的には「抑圧されて無意識の内に潜む、心の中のしこり」であるという。
 本人に意識されたものなのか、それとも無意識的なものなのか。
 その違いはさて置くとして、ひとりの人間の中に共存する"光と陰"の、
 その陰の部分をコンプレックスと呼ぶわけだ。

 人間の能力は平等であり、そういうコンプレックスをいい塩梅に活用できる人は、
 その長期的継続によって何か突出するものを身につけることができるというのは、
 ある程度本当のところだろう。
 ただし、活用の度合いが大きすぎると空中分解して、元も子もなくなるところが難しい。

 では、惜しくも欠落ばかりが突出する私の場合、
 そのコンプレックスは一体どんな風だったのだろうかと、記憶を遡る。

 「やたら傷つきやすい」

 自分の中のこういうコンプレックスを、
 漠然とながら意識したのは、小学校高学年の頃だったと思う。
 こんなんでは、先々とても生きてはいけないという恐怖と焦り。
 日常的に傷つきやすい状況に自分を追い込むことで、
 逆に心の免疫を作りだそうとしたのは中学生の頃であり、
 厳しい勝負の世界に足を踏み入れた主たる理由もそこにあったと分析できる。
 えーい、慣れてしまえという、子供らしい乱暴なプロセスだったこともすんなり思い出す。
 雨に打たれることを嘆くくらいなら、いっそ頭からプールに飛び込んでしまえ。
 当時のそういうイメージは意外と鮮烈に残っている。

 失ったものも多かったはずだが、大学を出るころには"マッハ"と呼ばれるくらいに、
 恐ろしく立ち直りの速い人間が出来上がっていた。
 多分にヤケクソ気味ではあったのだが、
 そういうメゲない楽天性を育ててくれたものはやはり、
 高校時代に出逢うパコ・デ・ルシアの、未来を賭けて自問自答する
 チャレンジ精神にあふれるそのフラメンコギターにあったと思う。

 欠落ばかりが極端に突出する結果も招いたが、
 やたらと傷つきやすい、ヒリヒリ生きる人生を続けるよりはよかったと今は想える。

 さまざまなコンプレックスの中でも、とりわけこの手の劣等感こそが
 私のエネルギーの源泉であることは、おそらく今も変わらない。
 ただし、ある種奇跡的に、ちょうどいい塩梅に劣等感と共に生きている。
 そのちょうどいい塩梅を、幸いにしてフラメンコの中に発見した、ということなのだろう。
 ああ、おそるべしフラメンコ、おそるべしコンプレックス。

 近ごろの私のインタビューがその部分の踏み込みに偏向する理由が、
 今しがた明確になった。


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 2011年12月03日(土)/その883◇酔狂

 「もう30年近く、フラメンコの月刊誌を出されているなんて、
  何て酔狂な方なんだろうって思ってました(笑)」

 会話がほぐれて来たころ、年内に発売するある書籍で
 フラメンコ特集を担当するという、
 その美人インタビュアーはこう云った。

 「酔狂 = ものずき」

 以前のテレビ取材や雑誌取材でも、何度か同じことを云われたことを思い出す。
 フラメンコ自体の真の実力を知らない世間一般からすれば、
 オレの立ち位置って案外そんなものなのだろう。

 だが、この業界にあっても、つい40代ころまでは、
 「フラメンコ界の若旦那」と呼ばれていた私だから、
 問題は私自身の体質にもあるのかもしれない。

 落語によく出てくる、ちょっとおマヌケ感のある若旦那のイメージ。
 ひたすら落語のみで培った私の教養が、そういうところに出てくるのであるなら、
 そりゃそれで、いーんじゃねえかとも思う。
 
 世間の追悼もひと段落したところでもあるし、
 何やらしっとりした今日の小雨の大江戸を、
 立川談志師匠の幾多の名演と寄り添いながら歩いてみようと思う。


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 2011年12月04日(日)/その884◇トップランナー

 高校時代、常に私は一番だった。

 名門と呼ばれた進学校だったから、
 そのことは数少ない私の栄光のひとつだ。

 途中ひとつしかない信号を無視し、
 全力で漕ぎ抜く流星号(チャリンコ)は、
 わずか三分で校門前に到着した。

 そう。私の生家というのは、
 全校中の誰の家よりも、一番 学校に近かったあ!

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 あいにく学力の方は、ほとんど最後尾だったが、
 先の事実と平均すれば、
 私は「中ぐらいの高校生」だったと言い張ることも可能だろう。

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 2011年12月05日(月)/その885◇羅針盤

 もうずいぶんと前から、
 水谷豊さん主演の『相棒』にハマっている。

 脚本・演出・出演陣も、みな素晴らしいが、
 やはり主人公・右京という風変わりな人間に強烈に惹かれるのだ。

 だが、彼のような人間と親しく付き合うことは、私には難しいと思う。
 パセオの初代編集長のように、彼にタイプの近い人間は過去数名いたが、
 すべて大喧嘩の末に仲違いしたことを思い出す。
 今なら、少しはうまくやれると思うが、当時の私は若さと馬鹿さに充ちていた。

 右京の趣味は、紅茶、チェス、落語、クラシック、推理小説などで、
 私の趣味は、珈琲、将棋、落語、クラシック、推理小説などだ。
 長いこと仕事場に本当の意味での相棒を得ることが出来なかった点も似ている。
 このように共通項は少なくないのだが、
 大ザッパ過ぎる私は、繊細な彼にあまり近寄るべきではないし、
 犯罪でも起こさぬ限り、私のような人に彼は興味すら持たないだろう。

 だが、実は右京のような人間が私は大好きだ。
 大の苦手タイプなのに、何故好きなのだろう?
 
 それは、右京が「正義」を貫く人だからだ。
 私にはとても貫けない「正義」を、時に彼は命がけで貫く。
 さらに、そういう人間だけに所有されるユーモアセンスも抜群に冴えている。
 礼儀正しく沈着冷静な右京が、犯人の卑劣さに激怒するシーンなどでは、
 明らかに犯人タイプである私は身も縮む想いだ。
 状況に応じ勝負処で手段を選ばず勝ちに出るという彼と私の特徴は、
 表面上似てはいるが、その志は根本から異なる。
 彼は純粋に正義を愛し、私は自分とその周辺を愛す。

 「そういう人に居てもらわなくては世の中的に困る」
 
 手前のことはさて置きながらの、そういう他人任せの無責任願望が私の中に視えてくる。
 ほんとうは、そこに気づいた誰もがそういう人になるべきなのだが、
 それでは余りに荷が重いために、ついつい安易に走り、そういう方向性をパスしてしまう。

 せめて、テレビの右京の行動を応援することで、罪滅ぼしでもさせてもらうという、
 いかにも小市民的な私の代償行為が明らかになってくる。
 
 まあ、しかし、バッハにしてもパコ・デ・ルシアにしても、
 叶わぬ憧れと知りつつも、何十年もそれに寄り添って生きていると、
 ほんの数パーセントであるにしても、
 それが自分の一部に同化されるなんて奇跡も起こらないではない。

 100パーセント同化するには2万5千年ほど必要だが、
 私の残り持ち時間はそれほどたくさんはないから、
 一年に1ミリばかりは前進しようという目安でもって、
 自分らしい脇道に遊びながらも、バッハやパコや右京に憧れ続けたい。


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 2011年12月06日(火)/その886◇獲らぬ狸

 今日から本格的に、4~5月号の編集・執筆に取り組む。
 何十年ぶりかで正月連休をたっぷり獲ろうという魂胆だ。

 5月号は最前線記事を除き、2月20日が最終入稿だから、
 年内にそれを片付けると、正月に存分にリフレッシュを堪能した上で、
 1ヶ月半あまり、新しいチャレンジに取り組むことが可能となる。

 やらなければならないことについては、
 新年号のデラックス大刷新で自分なりの決着をつけたつもりだから、
 ほんとうに自分がやりたいことは何か?、
 この先はそれを改めて発見することに集中したい。

 鬼が出るか、蛇が出るか、例によってトホホが出るか......
 まあ、そりゃ年明けのお楽しみだが、
 そういう新しい旅を強くイメージすることによって、
 今日からの地道な作業に、逆に新鮮な気分を盛り込もうという魂胆もある。


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 2011年12月07日(水)/その887◇朱に交われば

 冷蔵庫に旨そうなイクラを見つける。

 イラクではない。
 わが家の冷蔵庫は、それほどデカくはないから。
 おそらく連れ合いの新潟の実家から送られて来たものだろう。

 「イクラ喰ってもえーか?」

 「イクラでもどーぞ!」


 ・・・・・・・・・。

 連れ合いの男運の悪さを実感するのは、こうした時である。


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 2011年12月08日(木)/その888◇解放の連鎖

 「うわっ、社会の窓、半分開いてた」

 女性ウェブ友のつぶやきに爆笑する朝。

 さっ爽と駅へと向かう私は、
 何やらスースーする感じに、嫌な予感を覚える。
 視線を動かすことなく、寒い部分に恐るおそる手を伸ばしてみると、


 全開だった(汗)


 謙虚な女性の社会の窓は、半開にとどめる慎みを知っているが、
 私の心の窓は社会に対し、全面的に開かれていた。
 解放の連鎖は拡大を伴なうものだと知った。


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しゃちょ日記バックナンバー/2011年12月②

2011年12月01日 | しゃちょ日記

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 2011年12月09日(金)/その889◇スペイン人アフィシオナード2000名に聞きました

 フェイスブックの"友達"が2000名を超えた。
 リンク相手の多くはスペイン人アフィシオナードである。

 最初の200人くらいまでは、自分の方からせっせと友達を増やしていたが、
 本誌大改編の超多忙にかまけて放置しているうちに自然増殖した。
 一方、頭の友達(毛髪くん)の方はもの凄い勢いで自然消滅を続けている。


 『スペイン人アフィシオナード2000名に聞きました

 そのうち本誌でこんなアンケート企画をやってみようかと思ってる。
 日本人アフィシオナードの皆さん、
 彼らに何か聞きたい質問があったら、コメント欄に書き込みよろしくね!

 ちなみに、わしフェイスブックのやり方はさっぱりわからん。
 チョーちなみに、スペイン語はもっともっとわからん。

 いろいろと皆さんにお聞きしてえのは、
 この俺さまのほうじゃねーかとハタと気づいた。(汗)


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 2011年12月10日(土)/その890◇

 つい今しがた、大リニューアルしたパセオ新年号の見本刷りが上がってきた。
 カラーグラビアが16ページ増えたから、厚みと重量感を増した。
 読み終えたあとは、高級ナベ敷きとしても活用できるところがミソである。

 月々770円の豪華フラメンコツアー。
 その運転手兼ガイドが私のライフワークだ。
 もちろん、いつ死んでもいい段取りになっているのは、
 零細企業の親方の義務だ。
 てゆーか、ほんとは人間の権利だと思っている。


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 じっとパセオを観る。
 ここ数年のじっと我慢の種蒔きが叩き出した、さし当たっての回答。
 ようやくスタート地点に立てたという実感はある。
 だが、終点など無い旅だという自覚はある。

 じっとパセオを観る。
 何だよ、全然まだまだじゃねーかと思う。
 まだまだ未熟であることの伸びしろに安堵する。


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 2011年12月11日(日)/その891◇どーせヒマだよ

 金曜の晩、パセオから直で地元"秀"に寄ると、
 カウンター中ほどに、久々のジュンコが焼酎片手にオダを上げている。

 ジュンコはもう15年近い呑み仲間だが、
 しばらく前に遠方に引っ越してからは、足が遠くなっている。
 たいへんな別嬪さんだが、口の悪さも超一流だ。
 パッと見30代なのだが、実は私より二日ほどお姉さんなのである。
 
 私がナマイキなことを云うと、間髪いれず、
 弟のくせしてナマ云うんじゃないよと返ってくるのが定番だ。
 肩寄せ合って呑んだりもするが、手をつないだこともない関係だ。
 若い頃に出会っていたなら一緒になっていたかもしれないが、
 しょせんは三日で別れていたろうというのが、双方の共通見解である。

 帰り際、余分に持っていた刷り上がりのパセオ新年号を渡すと、
 慈愛に充ちた実姉のような目線で、しみじみジュンコは云った。

 「あんたもヒマねえ」


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 2011年12月12日(月)/その892◇草の根コンパス

 ある日ふと気づくと、
 フラメンコや出版の関係者が出入りする編集部界隈には、
 仕事のクオリティに集中できる環境と、
 ガチンコ対話と爆笑の生まれるアイレが定着していた。

 つまり、それまでの編集部界隈というのは、
 仕事以前の問題で大いにつまづいていたわけだ。
 無能そのものだったと云える総責任者の私は、
 ある時期から次の三点を禁じ手として定めた。

 「挨拶しない」
 「締切守らない」
 「愚痴まみれ」

 まあ、仕事でも私事でも、
 互いに気分よく活きるための極くシンプルなルールだ。
 だが、私の生息する出版界ではここらあたりが伝統的に超ルーズであり、
 伝統的にウツが蔓延している閉塞状況についても、
 また、ネット普及が原因とされやすい世の出版不況についても、
 むしろこちらの原因こそが、負の連鎖の元凶であると私は考えた。
 
 なので私は、「人」ではなく、上記三点の「行為」を禁じ手とした。
 タテマエでも脅しでもなく、それら行為を続ける以上、
 以降私はあんたと仕事はしないという明快なスタンスを採った。
 まあ、何の変哲もない普通の社会ルールだから、
 およそ半数は、改善戦略を理解し、むしろ新ルールを歓迎してくれたが、
 およそ半数は、変化を嫌い、既得権(?)を譲らない方針を採った。
 だが、宙に浮いた仕事をすべて自分で引き受ける覚悟さえあれば何の問題もない。

 なるほど。これは世界の縮図だと思った。
 政治の苦悩は、こうした問題に端を発するのだと。
 明るい未来が描けない状況とあれば、当然改善が必要となる。
 だが、己が逃げ切ることしか発想にない既得権派や保守派は極端に変化を嫌う。
 アチラが立てばコチラが立たず、コチラが立てばアチラが立たない。

 政治屋は右往左往するだけで、改革は進まず、問題は先送りとなり、
 政治屋の首が据え替えられるだけで、同じことが繰り返される。
 世界を見ても日本を見ても、こうした状況は共通している。
 ジリ貧のツケは、可愛い後輩や子孫たちにタライ回しされる。
 大阪独裁が圧勝したのも、こうした茶番に市民が飽き飽きしたからだ。

 だが、ありゃ独裁などではなく、納得出来るやり方のひとつだ。
 そこに異論があるなら、相手を批難するのではなく、
 また別の納得出来るやり方を堂々と主張し、
 改善策のクオリティとその実現力を競うべきなのだ。

 それにしても、私の掲げた「挨拶しよう」「締切守ろう」「愚痴やめよう」ってのは、
 まるで小学校の「今週の目標」のようだ。
 しかも、たったこれだけの実践で、既得権派から「ヒトラー」と呼ばれる実際。
 この過保護大国の長期的低迷も、案外こんなところに遠因があるような気がする。
 さておき私には、永らく安易に性善説に溺れた自分自身に対する落とし前が必要だった。
 まあしかし、結果生まれた、志を同じくする者なら誰しも自由に出入り出来る、
 つまり風通しのよい自由闊達な創造環境は何よりの収穫だった。

 「俺がルールブックだ」

 全体を俯瞰することなく、あくまで自分の利益のみに固執するわからんちんに対し、
 零細企業主ならではの大した思い上がりで、こう激怒したこともある。
 立場上そうは怒鳴れない政治屋たちにちょっぴり同情もするが、
 こっちだって下手すりゃ暗殺される覚悟でそう叱るのだ。
 それが出来損ないの私を、それでもどうやら生かしてくれた世の中に対する、
 ささやかな恩返しだと思ってる。

 禁じ手ルールは出来るだけ数少なく、しかし仲間同士、ともに厳守する。
 コンパスの意味とポテンシャルを理解する私たちフラメンコにとっての基本だ。
 拘束は最小限に、自由奔放にいい仕事がしたい、ただそれだけの望み。
 下劣な国会や吠えるだけの文化人に失笑するヒマに、
 身近な日常の修羅場の中で、地道にとっとこ人類共生のコンパスを磨きたい。


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 2011年12月13日(火)/その893◇お得感

 出るや否や片っ端から買い集めたものだから、
 談志師匠のCDはすべて揃っている。
 どれも辛口のテンションがみなぎっているので、
 師匠を聴く時には、ドゥケンデと相対するような、
 こちらにもそれなりのテンションが必要となる。

 鬼才立川談志を追悼するテレビのニュース番組が
 意外と多かったのはうれしい誤算で、
 多めに納めた税金が戻ってきたような気分だった。

 テレビ関係に本当のアルテを知ろうとする人は
 ほとんど皆無だということを思い知る数十年だったが、
 いや、必ずしもそうではないのだと、
 還付された税金でアンマンを買い食いしたような気分だった。

 談志師匠のアルテの真髄を解き明かすコメントは皆無だったが、
 テレビへの露出のおかげで師匠のCDが数万単位で売れたというから、
 そのことは民間レベルにおける後世への大きな蓄えとなるだろう。
 残った還付金に30円足して肉マンを追加注文したような気分だった。


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 2011年12月14日(水)/その894◇蒼ざめる俺

 毎回毎回、ハッとするほど素晴らしいが、
 今晩の『相棒』は、とりわけテーマの深遠性が光った。
 
 石油に代わるエネルギー源の開発に、人生を賭ける研究者。
 彼は愛するニッポンの未来を第一に考え、研究資金を外国に頼る先輩教授を殺す。
 国家権力はその研究者を守ろうとするが、
 右京・水谷豊は、自らの命を懸けて、研究者の犯罪を容赦なく暴く。
 右京の行動を絶賛しつつ、俺ならば国家権力同様に
 犯人を見逃すであろうことに、さすがに我ながら蒼ざめる。


 そのあとのニュース番組に、大阪・橋元市長が生出演。
 かつて好きだった司会のふるだてさんのツッコミの不気味さに愕然。
 おいっ、インタビュアーの俺はあんなふうになってないか?
 なってるなら即出直しか引退か切腹だと、さすがに蒼ざめる。

        
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 2011年12月15日(木)/その895◇休暇ドンマイ

 「しゃちょ対談」三昧(ザンマイ)の今週。

 月・火で4月号「⑨永遠のカリスマ・バイラオーラ~碇山奈奈の巻」をまとめ。
 きのう水曜は5月号「⑩ソニアジョーンズ代表~村松尚之の巻」の対談取材。
 
 今日木曜は、夕方から写真家・北澤壯太を伴ない、
 杉並エランヴィタールへ、碇山奈奈さんの写真取材。
 で、金・土でソニア村松編をまとめる段取り。

 来年2月までの予定を前倒しで片付けつつある勢いだから、
 こんな贅沢三昧に集中できる。
 編集や営業や社長業の合間にやる取材執筆はけっこう落ち着かないものだが、
 どっぷり一極に集中できる環境ならば、それは温泉気分に近い。


 ところで、正確に云うと42年ぶりに企む「夢の5連休」まで、あと半月。
 身の丈知らずの慣れぬ休暇三昧に、ほんとうにオレは大丈夫か?
 大いに危惧されるのは、休暇ザンマイとゆーより、休暇ドンマイな結果。
 江戸っ子的ポイントは、正月4日に書く予定の三本の原稿を、
 間違えても、大みそかの大掃除の最中に書き始めないことだ。

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しゃちょ日記バックナンバー/2011年12月③

2011年12月01日 | しゃちょ日記

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 2011年12月16日(金)/その896◇道草

 ふと気づけば、今年もあと半月ばかりだ。

 多くの人がそうであったように、
 3月の大震災は、私にとっても大きなターニングポイントとなった。

 ここで変わらなければ、一体どこで変わるんだ?
 頼むぜニッポン! と思わず願ったが、
 私だってニッポンの構成員のひとりだった。
 そして私はニッポンが大好きだった。

 震災の晩の徒歩での家路、
 世界のパコ・デ・ルシアのアルモライマをリピートで聴いていたら、
 新宿西口あたりで、こんなお告げが聞こえてくる。

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 他者への期待じゃなく、まず、おめえ自身が変われ!

 翌日からいろんな改革に着手した。
 あぶねえ橋を毎日渡った。
 そして、あれから9ヶ月。
 ふと気づけば、周囲の環境はガラッと変わっていた。
 それは当初のヴィジョンを軽々と超える成果だった。
 失敗すりゃあ今ごろ命はねえ、いわゆるところのマグレだったが、
 周辺の無駄なストレスはきれいに一掃されていた。

 多忙だったが、ただ楽しかった。
 自分の人生は自分の好きにやればいい。
 ケツさえ自分で取れる限りはそれでいい。
 先のことはわからんが、道楽はつづく。

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 2011年12月17日(土)/その897◇① 臥薪嘗胆の人間バンジー

 新創刊的・増頁大リニューアルとなる
 パセオフラメンコ新年号(12/20発売)について、
 自分で自分をお祝いしながら、
 今日から四日続けて、我田引水しながら自画自賛する。
 臥薪嘗胆の人間バンジー塞翁が馬は、意外にも天衣無縫である。

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 新年号表紙はフラメンコの光源『ファルキート』
 明るい笑顔のこの一枚を独断で選んだ。
 震災後の来日公演は延期にはなったものの、
 ファルキートは本当によくやって来てくれたものだ。
 何とか撮影させてほしいと直談判にやって来た大森有起と、
 撮影を快諾してくれた招聘元イベリア蒲谷氏に大感謝!
 表紙のほか、本文カラー全9ページは永久保存のカッコよさ!
 美しいファルキートの立ち姿を活かすため、見開きタテイチ頁も実現。
 例によって、東敬子の凄筆が光る。

 『南への羅針盤(コンパス)
 『フラメンコの美学』に続く中谷伸一の新連載、
 カラー8頁・隔月連載がスタート!
 その第一回目はカルロス・サウラの新作映画『フラメンコ・フラメンコ』。
 映画は来年2月に日本封切となるが、これを事前に読めば何倍か楽しめそう。
 中谷解説を三度読んだ私は、後日の試写会で実際三倍楽しんだ!

 『東敬子/フラメンコの今
 毎月カラー4頁連載となって新装オープン!
 現在の最先端フラメンコシーンを硬派なタッチで鋭く捉える東敬子。
 フラメンコ専門誌の存在しない本国スペイン。
 せめて我らは、現代フラメンコをリアルタイムで掌握しながら、
 各人さまざまな手立てで、エールを送り続けよう。

 『for eva
 エバ・ジェルバブエナの前回来日ステージで、
 彼女の真髄を余すとこなく撮りまくった写真家・北澤壯太。
 数千枚のライブラリーから、その究極を厳選したショットを、
 1月号・2月号で各カラー4ページで掲載。
 すベて写真は見開きだが、凄みと深みが同居するそれらショットはA級保存版。
 私のタイトルの駄洒落に付き合ってくれた壯太に感謝!
 ちなみに、彼の内なるタイトルは「孤独」だと云う。

 『伴奏者の視点
 編集長の倍は仕事すると云われる小倉泉弥による、
 カラー9ページ、渾身の上達新連載(全12回予定)。
 初回ゲストは、フラメンコの使徒、ご存知エンリケ坂井。
 「いい踊り手は、いい顔をしている」
 読むだけで、いや、二度読むだけで、飛躍的に上達できることを保証する。
 何たって、普段はほとんど聴くことの出来ない超一流伴奏者の
 惜しみない親身なアドバイスが満載なのだあっ!
 ちなみに、次回(3月号)ゲストは、フラメンコギターの石井奏碧。

 『心と技をつなぐもの
 カラー9ページ、その第11回目。
 いよいよ、あの屋良有子が登場するが、あいにく担当者は私だ。
 もちろん写真家・大森有起のド迫力ショットがそれを補ってくれる。
 タイトルは「自問自答」。
 ど真ん中ストレート。
 ブレない心を創る、目からウロコのシンプル秘法。
 これで人生変わる人、けっこういるんじゃないか?

                                              (つづく)
          
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 2011年12月18日(日)/その898◇② 天衣無縫の人間バンジー

 『フラメンコ最前線/公演忘備録
 井口由美子(みゅしゃ)、坂西愛(ai~福岡)、藤堂由起子(yukiyanagi~在西)、
 國分郁子、若林作絵(さくさく堂)、小倉泉弥(ぐら)、そして私。
 堀越画伯の芸大後輩・國分以外の5名はmixiマイミク同志。
 総勢7名によるレビュー執筆はパセオ史上初。
 私ひとり書いてた頃が、遠い昔の悪夢のようだ。
 ステージからもらった勇気を、それぞれが伸びのび発光する様子が頼もしい。
 全国各地のアフィシオナードがフラメンコの普及発展を推進する一里塚。
 近頃はまた道産子「ぷよめんこ(沖仁/北海道ツアー)」も初参加!
 執筆陣に定員はなし。来たれよ、同好の同志! 年に一本でもオッケー!
 ポイントは文章力にはなく、フラメンコを愛する心と折れない心。

 連続フラメンコ小説『フラメンコ・フィーリング
 スペイン随一のフラメンコ名誌「アルマ100(現在休刊中)」の
 主幹を務めた東敬子による処女小説の最終回。
 現代スペイン・フラメンコ事情やヒターノの恋愛観が新鮮で、
 リアルなストーリーは読み応えがあった。
 7回連載は東の積極果敢な売り込みで実現した。
 東敬子を含め、つづくフラメンコ小説の書き手を、私はいつでも待っている。

 『森田志保/ねじ
 バイラオーラ森田志保×写真家・北澤壯太。
 白紙の企画を森田に持ちかけ、森田はこれを堂々受けた。
 その森田の要請を受け、北澤が全面サポートするコラボとなった。
 撮影にすら私は立ち会ってない。まるで非常識な編集者。
 信頼できる相手には、丸ごと任せる。
 これでいーのだと、私のルールブックに書いてある。
 案の定、なまじ余計な口出しをしないおかげで、予想以上の結果が出た。

 『アンへリート・ネグロ
 フラメンコの使徒エンリケ坂井が、
 スペイン修行時代を綴る12回連載のその初回。
 あの真摯で温厚な人柄の歴史に、
 こんなにも波乱万丈な人生があったとは!
 編集者冥利に尽きる、驚愕と感動のフラメンコ史。

 『渋好み純粋正統フラメンコ狂日記
 堀越千秋画伯のその第277便は「カンテ上達のコツ」。
 ほとんどが新連載または新装開店の中、
 マイペースでカンテ・プーロの雄叫びを発している。
 ウツ病画伯の対向路線に、ソー病(?)私がチョイ役で登場している。

 『"限りある無限"に向かって
 スペインのロンダ・コンクールに外国人として初優勝した
 バイラオーラ萩原淳子の6回連載のその初回。
 小学校の美しい先生が野外授業でやった
 "たけしのコマネチ"ダンスが、
 淳子の舞踊開眼のきっかけだったという恐るべき新事実!

                                             (つづく)

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 2011年12月19日(月)/その899◇③ 人間バンジー塞翁が馬

 『もいちど読みたいフラメンコ!
 出るパセの右下に1年間じみ~に連載する、
 みゅしゃのバックナンバー回顧録。
 たいやきの尾っぽの方にも、
 おいしい上等な餡子がいっぱい、みたいなイメージね!

 『しゃちょ日記
 巻頭カラー24ぺージ毎月連載が野望だったが、
 私の中の天使ちゃんとの壮絶な葛藤の末、
 折り込みハガキの裏側へ、ひっそりモノクロ1ページに降格した。
 専門誌には珍しく、ここだけは読まなくてもいい安心と寛ぎのコーナー。
 だが、依頼原稿が締切を遅れる場合は、即座に96ページ特集にも変身出来る、
 伸縮自在のポテンシャルを持った不良在庫の泉。

 『失敗はフラメンコの素
 新連載の嵐の中を脈々と続く、
 ヨランダ画伯による読者参加型・人気連載。
 今回の「フラメンコは恥ずかしい」は、珍しい男性投稿。
 そのオチが、なんとも云えないいい味出してるねえ。

 上達コラム『ここにアクセント!
 編集部・小倉の半ページ新連載で、
 その初回は「もっとカンテが好きになりたい」。
 フラメンコ界を縦横無尽に取材するプロセスから得る
 お宝のような知識&知恵を惜しみなく暴露!

 『みゅしゃ修行
 三名の美人ライターが3ヶ月おきに連載するエッセイコーナー。
 その一番手は、忘備録でもおなじみのみゅしゃ(井口由美子)。
 二番手は(2月号)やはりマイミク仲間のユカリーヌ(藤原由香里)
 三番手は(3月号)現地スペインでバリバリ稼ぐライター小林由季。
 フラメンコの未来ポテンシャルを増大させる滑走路のイメージ。
 初回みゅしゃの「記憶の力」には、しみじみと腰のあるインパクトが!

 『ガチンコ・プレイバック!
 「ずっと地球で暮らそう」(コスモ石油環境キャンペーン)
 などのコピーライトが本業の呑み友ヒデノリ。
 一行でウン百万円を稼ぐこともあるプロフェッショナルが、
 この一年、たくあん二枚のギャラで、一読者として
 パセオのガチンコ感想を毎月mixiに投稿してくれた。
 新年号からは、破格の待遇アップ(=たくあん三枚)で連載に臨む。

                                          (つづく)

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しゃちょ日記バックナンバー/2011年12月④

2011年12月01日 | しゃちょ日記

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 2011年12月20日(火)/その900◇④ 本日発売、パセオフラメンコ新年号!

 『大友浩のスペイン芸術散歩
 文化庁芸術祭賞審査員の大友浩は、バッハ&落語つながりの旧友。
 文化関連のウンチクの塊のような人間である。
 もちろん、ウンチの塊のような人間ではない。
 リコーダー(縦笛)の名人だが、別に人間が利巧ダーなわけではない。
 その彼が、おっとり刀で始めた12回連載の初回は、
 「ドン・キホーテはなぜ親しい友人なのか?」

 『大森有起の撮ってもフラメンコGallery
 表紙のファルキート撮影でも気を吐いた写真家・大森有起による、
 新連載フォト日記。7月号からは北澤壯太にバトンタッチする。
 6回連載の初回は「今枝友加/自由×自在」。
 並みのバイラオーラだったら絶対ダメ出しのカットを
 堂々許可するところが、いかにも若き女王・今枝らしい。

 『コレは持っとけ、お宝フラメンコ!
 フラメンコソフトのカタログ宣伝ページの予定だったが、
 それじゃあつまらんと思い直し、みゅしゃに援軍を頼み、
 家宝クラスのフラメンコソフトを、毎月各1本紹介することにした。
 12回連載の予定で、初回はみゅしゃが『アントニオ・ガデス』のDVD、
 私はもつろんパコ・デ・ルシア『アルモライマ』を特選!

 『竜之介のフラメンコ劇場
 単発で載せた読み切りマンガがバカな大好評で、
 レギュラーの座を射止めた竜之介(永野暢子)の連載3回目は、
 「キミの名は・・・マチコ♡」つっても、若い皆の衆は原典を知らんよなあ。

 『しゃちょ対談 ⑥鍜地陽子
 当初は3ヶ月にいっぺんのペースで始めた道楽対談だったが、
 意外にも業界人気が上々なので、今月からしばらく毎月連載に。
 夏ごろからは、単発しゃちょ企画と交互の隔月連載にする予定。
 新年号ゲストは、先のリサイタルで堂々たるプーロフラメンコを魅せた
 バイラオーラの鍜地陽子。さすがに読みどころと得るところは満タン。
 この先は、プーロの大御所・佐藤佑子、新人公演奨励賞・遠藤美穂、
 永遠のカリスマ・碇山奈奈とつづく。

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 いかがですたか。
 新創刊的・増頁大リニューアルとなる
 パセオフラメンコ新年号(本日発売)について、
 自分で自分をお祝いしながら、
 四日も続けて、我田引水しながら自画自賛した
 臥薪嘗胆の人間バンジー塞翁が馬は、意外にも天衣無縫だったという、
 おなじみのお笑いでございます。(完)

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 2011年12月21日(水)/その901◇同窓ちゃんこ

 ゆうべは高校時代のお仲間連との忘年会。

 例によって母校・小松川高校近くの、
 都内で一番おいしい"ちゃんこ屋"に集合。
 きゃつらとは、うっかりするとかれこれ40年近い腐れ縁だ。

 ヨシアキは年明けの東京マラソンに出場するという。
 ハーフ・マラソンを2時間弱で走ったというから、どうやら本物のようだ。
 身体を張って銀行強盗を撃退し新聞で激賞された頃から何故かストイック一直線である。

 ヒデオの家もマラソン一家で、やはり連れ合いが東京マラソンに出場するという。
 学生時代はよく奴の家で泊り込みのドンチャン騒ぎをやらかしたものだが、
 我らの面倒を引き受けた母上と叔母上が今年他界された。改めてご冥福をお祈りする。

 全校一のモテモテ野郎だったマサユキは、近ごろはせっせと家族サービスに精を出す。
 ああ、もう女はうんざりだと顔に書いてある。
 すり寄る美女をバッタバッタと振りまくった過去の悪行への、奴なりの贖罪かと思われる。

 高校時代から株で稼いでいたミノルは、相変わらずの女好きでもっとも若々しい。
 昔から恐ろしくアンテナの鋭いオトナで、私たちはずいぶん奴の影響を受けたと思う。
 学生時代、1日3時間で大学出初任給の1・5倍稼げる仕事を紹介してくれたのは奴だ。

 昔のようにヤバイ二次会に向かうこともなく、最後は喫茶店でお開き。
 みんなオトナになったが、何だかおれだけ取り残されてるような気がする。
 来週はさらにガラの悪い中学時代の同期会だが、精一杯オトナのふりをしてみよう。


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 2011年12月22日(木)/その902◇なまくら四つ

 遠いむかしの将棋修行の頃、
 そこそこ何でも対応するが、
 特別な得意戦法を持っていなかったので、
 周囲に「なまくら四つ」と呼ばれていた。
 オール・マイティなのだ!という大ウソが通用しない世界。
 まあ、要するに、いわゆる軸のないハンパ野郎である。

 金銭の絡む勝負事には、やはり人の本性が出るものなのだろう。
 だが、まさか、社会に出てからもその手のタイプの
 フニャフニャ野郎になろうとは、ウッカリまるで予測もしていなかった。

 パセオフラメンコの現場作業ということであれば、
 営業、販売、経理、総務、編集、執筆、企画制作あたりなら、
 ヘボなりにひと通りはこなすわけで、
 どうにも苦手なのは、もう30年以上やってる社長業くらいのものだ。

 実績から云えば、特攻営業・ドンブリ経理あたりがハマリ役と云えそうだが、
 好き嫌いで云うならやはり、下手の横好き系捨て身勝負の執筆が一番楽しい。
 だが、二年前に初チャレンジした執筆というジャンルでも、
 他の執筆陣のやりたがらない部分やら、
 ドタキャンの穴埋めやらを専門で担当しているうちに、
 結局何でも書くようになり、いつの間にやら「なまくら四つ」な人となった。

 すでに100年分の原稿の不良在庫をストックする、
 本来は得意技であるべきはずの『しゃちょ日記』は、
 専門誌には珍しく、ここだけは読まなくともいいコーナーに成り下がり果てている。

 何やらあっちゃこっちゃへ残飯あさりみたいな展開だが、
 責任処理もせぬままに血税から金だけせしめて天下りする役人やら、
 締切無視でお仲間の経済やら生活などを崩壊させた上で、
 平気で原稿料をせしめる売文屋なんかをゴロゴロ目の当たりにすると、
 ええっ、それがいわゆるプロの責任あるお仕事なんですかあと思わず脱力するあまり、
 まあ、じゃあ、オレなんかはこんなんでもええですかあ、という気にもなってくる。


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 2011年12月23日(金)/その903◇スルメ野郎

 噛めば噛むほど味が出る
 豊かな含蓄の文章や発言が発生するとき、
 パセオ編集部の人間は、歓喜と共にこう叫び、
 お仲間同士、心の底からその功績を讃える。

 「このスルメ野郎!(笑)

 もちろんコレは最大級の賛辞であるのだが、
 褒められた方がちっともうれしくないところに難点がある。


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 2011年12月24日(土)/その904◇キング昆布

 「年末の贈り物煮どうぞ ~ キング昆布


 鬼才YukoBATATAは、
 年末のクソ忙しい時期に、
 このような学説を発表した。

 なるほど、この時どき美貌のバイラ主婦には、
 既成概念に囚われない自由闊達なトホホさがある。

 彼女の投稿の翌日、さっそくに向かいのスーパーで
 キング昆布を購入したが、
 なんと、鍋焼きラドンの出汁にも最適であることが判明した。


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 2011年12月25日(日)/その905◇俺についてくるな
 
 「俺についてこいっ!」

 そう云ったのは、東京オリンピックで優勝した
 女子バレーボール"鬼の大松"監督だ。
 昭和39年、当時小学校二年だった私の脳裏にも
 この流行語は深く刷り込まれた。

 自分がそういうリーダーシップには向かないタイプであることを知るのは
 40代半ばの頃であり、手遅れもいいとこだった。
 一方で、素直に人について行けるタイプの人間でもないことは
 10代半ばで知っていた。
 おそらくは、そうした中間を採ったのだろう。

 「どーだ、しばらく一緒に歩いてみるか」

 近年はいい塩梅を発見し、こんなスタンスも定着してきた。
 自らの仕事のクオリティによって志を明らかにするお仲間候補に、
 これならば、オープンスタンスで気軽に声を掛けられる。

 出版にはたくさんのお仲間が必要であり、
 かと云って、志なき者たちを引率する器量は私にはない。
 だが、コンパスの掟と自由なポテンシャルを知る者ならば、
 一匹オオカミ同士、淡々と並び歩んで往ける見通し程度のものはある。
 いづれ道は分かれるだろうが、それまでは同じ孤独を噛みしめながら、
 それなりに楽しくやってゆけるかもしれん、などと今はお気楽に思える。


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2011年12月26日(月)/その906◇根性なしでも貧乏症なら美味い煮物が食える
 
 書くことが好きだが、そうは云っても、どうにも気の乗らない時もある。
 そういう時はあっさり原稿をあきらめ、事務的な仕事に切り替える。

 「逃げちゃったよ」という根性なし特有の後ろめたさが原動力となって、
 そういう時には生まじめな自分が顔を出し、逆に面白いほど事務仕事がはかどる。

 反対に事務仕事から逃げたくなる時には、原稿書きに切り替える。
 そういう時にも、根性なし特有の後ろめたさが発生するので、
 逆に自由奔放な自分が暴れ出し、本性丸出しの原稿が書けたりする。

 土日は自宅作業が多いのだが、原稿にも事務にも、どーにも身が入らぬ時には、
 ご近所スーパーへと走り、大根、里芋、ちくわぶ、椎茸、蒟蒻などを仕込んでくる。
 例によって、根性なし特有の後ろめたさが痛烈に走っているので、
 手間ヒマ惜しまず大根の角とりをし、里芋の皮を剥き、蒟蒻に緻密な筋入れを施し、
 これらと買い貯めしてある牛スジを、昆布とかつおの京風出汁でコトコト煮込む。
 各素材のアク取り&下茹での加減が、牛の旨みを充分に吸収させるポイントだ。
 料理の合間に、風呂掃除と入浴を済ませ、未聴の新譜CDを聴き込む。
 こうした2時間半で、家族全員の大好物である美味しい京風煮物が完成する。

 「マイナス×マイナス=プラス」というのは本当だ。
 たとえ根性がなくとも貧乏症でありさえすれば、
 あるいは、たとえ貧乏症であっても根性なしでありさえすれば、
 このよーに、いつでも家族そろって美味しい煮物が食えることは保証されるのである。


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しゃちょ日記バックナンバー/2011年12月⑤

2011年12月01日 | しゃちょ日記

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 2011年12月27日(火)/その907◇切な過ぎたら
 
 編集&執筆という商売は、
 勤め人というより主婦業に近いが、
 これに社長業が加わると、さらにぐっと近くなる。

 土日や祝祭日だからと云って、
 炊事・洗濯・掃除や子育て・介護などが休みになるわけでもなく、
 ノーボーダーにダラダラと責任の付きまとう主婦業というのは、
 メリハリの冴えたバランス感覚が大いに必要とされる任務なのである。

 まあ、カレンダー通りに事を運べる環境の人たちに、
 そこらへんの複雑なメカニズムを理解してもらうのも難儀なこっちゃし、
 各々が自ら直面する状況を引き受けながらも、
 自分に適したリズムをひねり出すことが必要になってくる。
 フラメンコが多くの主婦に支持される理由はそんなところにもある。

 ハラの座ったタイプなら、日々悠然と構えることも可能だろうが、
 器の小さい私のようなタイプの場合は、残念ながらそうも行かない。
 そういう私が自分用に編み出したのは、いわゆる「前倒し方式」だった。
 自らの心の不安と怠け心に、積極的にアメとムチをくれてやるバランス処方である。

 ざっと三年分の計画を立てて、やれることから着手してしまう。
 その際、決して後悔しないヴィジョンとコンセプトだけはしっかり固める。
 ここさえブレなければ、その先の作戦と実行の失敗が無駄にはならず、
 むしろ有益な経験値として蓄積されるからだ。
 作戦を実行する失敗率の高さには定評のある、0型牡羊座ならではのやり方と云えよう。

 急がば回れ的な手間ヒマはかかるが、これも体内貯金と割り切る。
 元手も原価も才能もまるで必要ないし、
 折れにくい心で十年も続ければ、それなりのストックは蓄積できる。

 じゃあ、これが単なる未来への貯蓄のためかと云えば、実はそうではない。
 目的はあくまで「いま現在」にある。
 今この瞬間の歓びや哀しみを味わい尽くすためにある。
 自ら捻出した余裕によって、文明の便利さや複雑さによって退化してしまった
 生き物本来のシャープでビューティフルな感覚を覚醒させることにある。

 未来の恩恵などはちっぽけな余禄に過ぎず、
 むしろ、いつお迎えが来てもいいように生きるための
 最大の保険と云えるだろう。
 
 要するに、怠け者の弱虫が人間並みに生を全うするための
 例えばひとつの合理であり、なので、あまり大きな声では云えねえわけだが、
 まあ、こういうスタイルの「現在至上主義」に適性を感じる私としては、
 闊達なギリギリスのような奔放さで、アリのように汗水流したい。

 好ましい現在の充実の延長線上のみに好ましい未来は存在するが、
 「現在の充実」を点としてとらえるやり方では生ぬるく、
 いつでも豊かに流れるようなぶっといラインをイメージする必要があるようだ。
 刹那主義(セツナシュギ)では余りにセツナスギだとゆーことか。


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 2011年12月28日(水)/その908◇大そうじ
  
 おお、総司!

 徳川幕末の新選組ネタ(沖田総司)ではあるが、
 フレッシュ新鮮な感触をお楽しみいただけただろーか。


 さて本日は、パセオの仕事納め(うそ。年内原稿もう一本)と大そうじ。
 そのあとは、ヨレヨレにくたびれ果てた親愛なる同志たちと、
 近ごろ発見した高田馬場のチョー穴場割烹へと繰り出す!

 楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

 楽あれ幕府あり!


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 2011年12月29日(木)/その909◇忘年会
 
 坊、寝んかい!

 夜ふかしする坊主に、ええかげん早よ寝なさいよという意だが、
 それ以上の含みは無い。

 さて今日は、本年ラストの仕事(5月号しゃちょ対談)を片付け、
 地元・代々木上原"秀"にて忘年会。

 人間離れした荒くれ一匹オオカミ(連れ合いを含む)どもが一堂に会するわけで、
 今年はいったいどんな大事件が起きるのか?、まるで予測がつかない。
 根も葉もないバクロ話なども飛び交うので、防戦一方では勝ち目はない。

 攻撃は最大の防御である。
 読経は最大の木魚である。
 よく法事などで、坊さんの叩く木魚のリズムに
 密かに裏打ちを浴びせるアフィシオナードを見掛けるが、あれは、
 防戦一方では勝ち目はない、云い換えれば
 坊さん一方では勝ち目がないとゆーことか?


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 2011年12月30日(金)/その908◇大連休の基本ルール

 レンキュー・ベリーマッチ!

 本日より40年ぶりとなる、歓喜の5連休に突入する。
 年末年始は、永らく元旦のみ休むのが定番だったから、
 「休んでよし!」と自分に云ったところで、
 「ウソだろっ?」という自問自答が、延々とリピートされる。

 ま、とりあえず朝めし食ったら、
 大江戸お気に入りゾーンに出掛けて、
 ひたすらぼうっとしてみようと思う。


 「大した仕事もしねえで、
 おめえの場合、365日
 有給休暇みてえなもんじゃねーか」

 尚、ハラワタを抉るド真ん中ストレートみたいなこういう率直すぎる天の声は、
 さしあたり向こう五日間、まるで聞こえないものとする。


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 2011年12月30日(金)/その908◇大連休の基本ルール

 おお、味噌か!

 近ごろの私の中で、最大のヒット作である。
 年にいっぺんしか使えないのが難点だが、
 とぅりゃとぅりゃとぅりゃとぅりゃとぅりゃとぅりゃりゃー♪
 くたばるまではこの金言とともに年末を生きよう!


 ★大みそかに食いたい~味噌料理ベスト3

 第一位/ はまぐりと白髪葱の味噌汁
 第二位/ 味噌とシソ葉の焼きおにぎり
 第三位/ 味噌仕立のとろろ飯、漬けマグロ&生卵添え

 すべて薄味に仕立てるのがミソだが、
 私の作るこれらは、やたらと旨い!・・・・・これらを手前ミソと云ふ


 まあ、そんなんはさて置き、楽あれ幕府ありっ!
 とぅりゃとぅりゃとぅりゃとぅりゃとぅりゃとぅりゃりゃー♪
 どうぞ、よいお年をお迎えくだされっ!


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