フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

われても末に [175]

2006年11月28日 | アートな快感


 




                われても末に

 


 瀬を早み岩にせかるる滝川の
     われても末に逢はむとぞ思ふ

                      崇徳院

 

 その昔、ビンボーな小山家では百人一首のカルタ取りが盛んだったので、中学に上がる頃には自然と百首をそらんじるようにはなっていた。優勝賞品だった不二家のパイ(三つ)のおかげである。
 もちろん私のことだ、肝心の歌の意味などわかりゃしない。

 そんなんでほとんど忘れちまったが、それでも時々思い出すのが冒頭のダイナミックな恋歌だ。
 この和歌ばかりは、人気落語「崇徳院」のテーマになってることもあって、大の落伍者である私とは切っても切れない縁にあるのだ。



     
  [桂枝雀 落語大全(3)/崇徳院、ほか]
              
  東芝EMI/2000年



 この烈しい名歌の生まれた歴史的背景から考えると、権力争いに敗れた崇徳院の強烈な“怨念”とみる方が妥当なのかもしれないが、あえて“恋歌”として評価した後世の見識を、私などは好ましく思う。

 テキトーに現代語に訳せばこんな感じか。


 「速い流れの川の瀬。岩にせき止められた急流が二つに割れる。
 今は別れるが、きっといつか、再びひとつに結ばれよう!」


 上の句「瀬を早み岩にせかるる滝川の」におけるスリリングな情景描写。下の句では一転して「われても末に逢はむとぞ思ふ」と決意表明する鮮やかなパッションには思わずのけぞる。


 割れても末に逢わんとぞ思う。


 それにしても、なんて潔いロマンティシズムだろう!
 まるでフラメンコじゃねーかよ。

 ……ところで。
 実は今日、まさしくそんな感じなものを観に行くのだ。
 そう、大当たり、『FLAMENCO曽根崎心中』である。
 もう何回観たかわからんが、毎度ググっとやられちまう。

 折りしも、今日のお江戸は涙雨。
 絶好の曽根崎日和かもしれない。