フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

手ぬぐいゲット必勝法 [192]

2007年06月21日 | 超緩色系




 いつもとは逆に、今日はmixi日記をこちらに流用する。
 手ぬぐいゲットご希望の方は、当コメントへどーぞ。

 

             


 ――――――――――――――――――――――――



   手ぬぐいゲット必勝法





 ひょんなことから、ヨランダとの協同制作で実物化した「幻のしゃちょ手ぬぐい」。


 


 この宇宙にわずか300本しか存在しない、ヨランダ画伯(http://ameblo.jp/yolanda-pinatas)直筆シリアルナンバー入りの希少品である。
 自ら主催するイベントの参加賞として配った手ぬぐいの残り本数を、先日ヨランダが皆さまのために寄贈(時価8億円相当)してくれたので、そのチョー高級日用雑貨品(←なんと手ぬぐいとしても使用できる)は、私のデスクの足元にまだ140本ほど現存しているのであった。

 主に当欄や社長コミュなどにおいて、ぷっ、こりゃ面白えーよと、私の独断偏見によって選出されるコメント主の方々に手ぬぐいを進呈するという、この古来から伝わる(←今年四月から)格調高い風習によって、これまでに獲得された方々の総数は、この地球上に約60名といったところである。この数字たるや、実にノーベル賞受賞者よりもはるかに希少な数字であるのだ。


 ――――――――――――――――――――――――


 さて、手ぬぐいの贈呈基準には、その日の天気や私の気分で決まるという実に厳粛な審査方法が採用されているのだが、このたび私は、その“私の気分”といったものの中身を、自ら客観的に分析整理してみることを思い立ったのだった。

 「よっ、手ぬぐい一本っ!」と私に叫ばれるコメントは、たまたまお笑い系パープリン系である場合が多いが、歯が抜けるよーな私に対する賛美や臨機応変なウンチク、あるいはその場の空気を読みきった高感度コメントだったり、その様相は実に様々である。
 一発ギャグで獲得される場合もあるが、地道な好感度コメントの積み重ねで獲得される場合もある。

 一見そこにはデジタルなシステムは作動していないかのように見える。
 だがしかし、私の中では確固たる基準はあるのだ(←ほんとかよっ)、と云ったら明らかに過言であり、ハタから見るとサッパリわからんとゆーのが実情であろう。

 そこで、そこら辺のブラックボックスに鋭くメスを入れ、その選考基準を明らかにしようとするのが、本日の「手ぬぐいゲット必勝法」のメインテーマなのであります。


 ――――――――――――――――――――――――


 さて、思わず手ぬぐいを放出したくなる私好みのコメントとは、いってえどんなもんなのか?

 それではいよいよ、「手ぬぐいの贈呈基準」についての統合整理の結果を発表いたしましょう。
 では皆さま方よ、用意はえーですか。
 すでに居眠りこいてる、そこのあなた。
 白目半開きにしてヨダレ垂らしてる場合じゃねーでがす。
 んじゃ、行きますよ、えーですか、その分析結果というのはですね。


 その結果というのはね。(ぷっ)

 

 その、どーでもいいぐらいに重大な結果というのはな。

 


 それがどーしたとド突かれそーな結果というのわなあ。(TT)




 

 そのアホらしい結論とゆーのわなあああ!!!


 それは「フラメンコなアイレ」みてーなコメントなのでありますた。
 云い換えればそれは「日常を豊かにする、なんでもアリの何か」とゆーことにもなりましょうーか。

 コメントを目にする、そのほんの一瞬でもいい。
 異なる個性とのふれあいから生じる、広がりのある実り。
 おお、人生捨てたもんじゃねーよ、と肯けるシンプルな快感。
 おバカで狭い私の視野が、パッと開けるよーな感触のコメント。
 そんなフラメンコ的コメントが私好みなんであります。
 独断偏見による手ぬぐい一本なんであります。

 お笑いやペーソス、下ネタ各種、喜怒哀楽の感情、自慢話やら自虐ネタ、グチにお世辞に真摯な主張などなど、コメントを形成する素材(曲種?)自体は実に何でもアリなんであります。
 要は、コメントの内側から匂い立つアイレそのものなんであります。

 出来不出来に関係なく、そうしたアイレを宿したおざなりではないコメントが私は好きです。……とまあ、こう書くことで私自身にもカツを入れようとしてるわけでもありますが。


 ――――――――――――――――――――――――


 ギターやカンテのアイレの投げかけがより素敵なバイレを引き出すような、あるいは、バイレのひらめきがより素敵なギター・カンテを引き寄せるような関係とゆーか。
 二度とは訪れない唯一無二の時空間にあって、その場に流れる空気を感じながら己を表現することは、フラメンコ同様に大切なことであるような気はします。持たれ合いではなく、持ちつ持たれつで高め合う関係は、われらフラメンコ派が共有できるヴィジョンかもしれません。



        



 いい感じの流れをさらにふくらませるようなコメントはもとより、滞った空気を一新するような勇気ある鋭い切り口なんかがとても好きですね。
 アイレのキャッチボールが互いの潜在能力を引き出し合うみたいな関係ってのがイチバン面白えと、私なんかはそう感じるわけです。

 時には私も面白えコメントを書くことがありますが、よくよく読んでみるとそれは相手のトスが絶妙である場合に限られているんだな、これが。
 現在までの私のコメント成功率が異常に高いのも(←成功率1.3%=TT)皆さま方のまぐれとも云うべきナイス・トスのおかげなわけです。


 つーことで、これにて皆さまは勝ったも同然であります。
 手ぬぐいゲットは時間の問題なんであります。

 いわゆる社会性とはまた異なるところに在る、もっともっと遠大な生き物同士の普遍性。
 それをコンパクトに切りとり自由に表現する、あなただけの独自性。
 とどのつまりは、独創性で切り込む普遍性つーことかもしれません。
 そうした手間や努力を無益なのものと切り捨てるのかどーか?
 失敗を恐れず、そこへズバッと踏み込もうとするのかどーか?


 ………そう、フラメンコとまったくおんなじなんでありますって、どこまで行くんだ正気かよ。


 さて、たかだか手ぬぐい一本で、ここまで大きく出れる私の感性は、あるいは皆さま方の研ぎ澄まされたアイレを呼び込むよいお手本になるかもしれませんね、よかったですねって、おゐおゐ、もう誰も読んじゃいねーよ。(TT)







          












ナンパ日和 [191]

2007年06月02日 | あしたのジェー




 


          ナンパ日和





 お陽さまもひょっこり顔を出し、今朝も早よから元気にナンパだ。

 







 ご近所代々木公園のドッグランにてみっちり90分、次から次へと女子を口説きまわる
ジェー(写真右)。
 4歳になるオスの土佐犬だが、一見ヨーキーのようにかわいい風貌は飼い主譲りと云えるだろう。