無所属
「どこまでホントなのか?」
仲間内の飲み会で、私のブログの話題になった。
なにやら脳裏に蒼い予感をよぎらせながらも、促された私はこう解説する。
95%が事実、3%がフィクション、残り2%が「真実」だ。
ウソはいやだが、3%のフィクションを入れないと現実の私があまりにも格調高すぎて面白くならないからな。
で、残り2%の「真実」の注入こそがこの私の真髄だ。云うなれば「ミソ」というわけさ。
間髪いれず反論が飛び交う。
あはっ、そりゃ逆だろ。フィクションはカッコよく見せるための虚栄じゃねえか。あれじゃおめえのマヌケさ加減の真髄が伝わらねえよ。
2%の「ミソ」だかはむしろ余計だ。おめえの見識なんぞはない方がよっぽどいい。ミソと云うよりクソだな、ありゃ。
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まあ、お前たちの云いそうなこった。
それに私は自分の「マヌケさ加減」を伝導するためにこのブログをやってるわけではない。
だが相手は多勢(四名)である。私に勝ち目はない。
だから挑発には乗らん。勝手に云ってろ。
だいたいおめえは内容で勝負できるタイプじゃねえんだからさー。
それよりもな、全部「事実」で固めたほうが、おめえの場合よっぽどおもしれえ。
ミョーなプライドは捨てて写実派になれ、写実派にー。
何のために、あんな面白えドジばっか踏んできたんだよ。
もったいねーじゃねえか。元を取れ、モトをー!
別にもったいないことはない。あれらはすべて成功への布石なのだ。遅くとも今世紀中にはそれがわかるはずだ。
なあ、もーやめようぜ、この話はよー。
いや、それより何で「○○○○○が○○○○を○○○○○た」一件を書かねえんだ。大爆笑まちがいなしじゃねえか。
そう来たかー。
プッ、確かにありゃあ爆笑まちがいなしだ。俺も書きたいがタダじゃすまない。
それとほれ、例の「○○○○の○○○○○で○○○○○○た」話は、業界騒然なんじゃねーか。本気になりゃ一冊書けるんじゃねえの。
それを云うなって。書けば私は破滅だ。……命もねえよ。
じゃあ、おめえの「○○○が○○○で○○○を○○○○○ちゃた」話ならオッケーだろうが。誰にもメーワクかからねーし、ありゃ大ウケだぞ。
それならオッケー、って俺はどーなるんだ、おれわあ。
そう突っ込まれてみると「写実派」というのは、かなりヤバイことに気づいた。知っておいてよかった。
白樺派や浪漫派や小泉派やルター派、あるいはマイレーナ派やカラコール派ならいいかもしれんが、どーすればそうなれるのか、その手続きがサッパリわからん。
やはり、私は派閥向きではないようだ。
少なくともこのブログは今のまんまでいってみた方がよさそうな気がする。
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