フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2014年09月③

2014年09月01日 | しゃちょ日記

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2014年9月30日(火)その1838◆本音と建前

「あの言葉はもちろん、
 思わず口からこぼれたのだが、
 思わず云っただけに、余計に重大なのだ」
   
厄介なおっちゃんだが、その分だけ鋭く真相を暴く。
ドストエフスキー(ロシア/1821~1881年)。
罪と罰、白痴、カラマーゾフもいいけれど、
腰をすえて読み返したいのは『地下室の手記』。

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2014年9月30日(火)その1837◆トロッコ

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月明かりのダダッ広い野ッ原。

ゲラゲラ笑いながら、ギーコギーコとおれ達は、力一杯トロッコを漕いでいる。
タケオとヨシタカ、それと中学時代の仲間がもう何人かいるようだ。
線路は続くよどこまでも・・ってそりゃいいんだが、
漕いでも漕いでも終点らしきものにたどり着かない。

ほんのり夜明けが近づき、見慣れた新宿の高層ビル群が浮かんでくる。
おい、こりゃ山ノ手線だ、どーりで終点がねえはずだよ。
そろそろ始発だ、ヤベーぞみんな!
大慌てで線路からトロッコを引っぺがし、
高田馬場あたりの土手上から転げ落ちるように逃げ抜ける。

なんとなく後ろめたい気分で、追われるように突っ走りながら
右手の神田川を見下ろすと、モーターボートに乗ったサチコが両手を大きく振っている。
サチコはおれ達グループのマネージャー的存在で、何かと世話を焼く頼もしいお人良しだ。

「まっすぐ大川(隅田川)に抜けてくれっ!」
そう私は叫び、サチコの運転するモーターボートはおれ達を乗せ、
えらい勢いで神田川を東に突進し始める。
両岸の緑と白くド派手な波しぶきのコントラストにはしゃぎまくるおれ達。
そこで記憶は途切れるのだが、なかなかにスリリングだった今朝がたの夢。

ずいぶん前の中学同期の呑み会で、
サチコが新橋で店をやってるというウワサを聞いた。
いつか皆で訪ねてみようと話しつつ、ずっと無沙汰が続いている。
華奢な身体と細い眼に妙に色気のあったサチコも来年60か。
あいつのことだから、そこそこ逞しい商売を続けているに違いない。
タケオやヨシタカを誘い、皆して真っ赤な薔薇でも抱えて、
いきなり押しかけてみるのも悪くない。

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2014年9月29日(月)その1836◆人生後半

ひと目容姿で勝負できるタイプだが、
話すほどにシラけるタイプの人がいる。
男も女も、こーゆータイプは40代後半から辛くなる。

容姿で勝負するタイプではないが、
話すほどにその魅力がにじみ出るタイプの人がいる。
男も女も、こーゆータイプは40代後半から楽しくなる。

容姿で勝負するタイプではないが、
話すほどにシラけるタイプの人ならここにも二人おる。( ̄▽ ̄)
男も犬も、こーゆータイプは59歳(犬なら12歳)になっても、
すべてにおいてまったく見込みがない。

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2014年9月28日(日)その1835◆故郷の俳句

秋に添うて行かばや末は小松川 (松尾芭蕉)
  
この柔らかな字余り感がいいね。
田舎扱いとは云え、自分の生まれ育った故郷が
芭蕉の句に登場するのが単純にうれしい。

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写真は昭和三十年代の江戸川区小松川、
おとなり江東区との境となる中川の木橋を走る栄光の都電25番線。
この木橋をダッシュで走り渡るのが、男の子になるための洗礼だった。

芭蕉の時代に都電は無いから、小松川に行く巨匠は、
舟または徒歩、あるいはヒッチ俳句だったか。

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芭蕉の頃はこんな感じの小松川。向こう岸集落の奥あたりにのちの私の生家。

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2014年9月28日(日)その1834◆忘れがたいシーン

「あなたは地球を私たちから守るためにやってきたのね」
「そうだ。人間にこの惑星が滅ぼされるのを見過ごすことはできない。
 もし地球が死んでしまえば、君たちも死んでしまう。
 しかし君たちが死ねば、地球は生き残れる」

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地球を守るため人類を消滅させにやってきた謎の宇宙人(キアヌ)は、
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』に鋭く反応する。
救いがないと判断した人類の中にも、
宇宙の真理に近づこうとする賢者がいることに気づいたのだ。
彼はバッハに人類の変化の可能性を感じ、少しだけ心を開く。

              
 うーん、このシーンはちょっと忘れ難いな。

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2014年9月28日(日)その1833◆乱発手形

早いもんで試行錯誤の二週間が経過し、体重も3キロばかり減った。

体内のアルコール含有率を50%から25%程度にコントロールすべく、
粛々と減酒減量プロジェクトを進行中である。
ほぼ毎日呑んでたのを、およそ一日おきに呑んでよしとする私とオレの取り決め。

食の方は「規則正しいバランス食」を心掛け、
朝(いっぱい)昼(軽め)晩(さらに軽め)にふり分ける。
好みのバランス食材をこれまで以上に食うから、空腹感もなくむしろ快適だ。

危なっかしいのは酒の方だが、止むを得ぬ呑み会が三日つづけば、
そのあと三日抜けばいい、という柔軟なルールが
そこはかとない寂寥感を軽減させてくれる。
ついうっかり一年365日呑み続けてしまった場合でも、
その先一年呑まなければいいのである。

実に優れたシステムにも思えるが、
近年の手形乱発の国家予算を連想させるところに大きな難点があって、
ここはやはり「一日おき」あたりで折り合って、残りわずか20キロの減量、
一年後にはヴィジョン(パセオ創刊ころのおれ)達成をめざすわけだが、
それこそが〝手形乱発〟とする説もある。

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2014年9月27日(土)その1832◆ショーシャンク

1階はフラメンコのレンタルスタジオ、社団法人日本フラメンコ協会は2階に、
パセオフラメンコ編集部は3階にある。
(株)パセオの社長室は4階にあり、ここは別名屋上と呼ばれている。
景色はいいし伸びのびと広いが、惜しいかな屋根がない。

晴れた日はいいが、雨の日は辛い。
傘をさしてタバコをやるのは、けっこう面倒っちーのだ。
なので、雨の日に傘なしで大好きなあの映画のようなポーズで吸ってみた。

「おうっ、ショーシャンクやってきたぜ!」

ズブ濡れで3階編集部に戻り、タオルで頭を拭きふきこう告げると、
パソコン画面から目を離すこともなくパセオ小倉編集長はこうおっしゃる。

「それって、来年60になるおっさんが、
 雨んなか屋上でえっちらラジオ体操やってるだけじゃないっすか」

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2014年9月26日(金)その1831◆風は吹かない

「明日は明日の風が吹く」

フラメンコと歌舞伎を愛し、慶大哲学科を卒業した彼女は、そんな生き方を好んでいた。
24歳でセビージャに留学し、帰国後にリサイタルを開催。
その後、協会新人公演で賞獲りをめざすが、三たびそれは叶わず、
四度目の挑戦で努力賞、そして五度目(2006年)に奨励賞受賞を果たす。

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きのう木曜午後はパセオ編集部にて、
バイラオーラ本田恵美と「しゃちょ対談」(第23回/12月号掲載)。
この夏の新人公演二日目のラストを飾った闘牛士姿のシギリージャ。
ラス・ミナス・コンクールの決勝出場をめざすその堂々たる創造性は、
そのひとつ前に踊った石川慶子渾身の黒いソレアとともに、
バイレソロ部門の双璧をなすズシッと重たい収穫だった。

2時間半におよんだ本田との会話は、柔かい感性の狭間に深い美学を満喫させてくれた。
かつて「明日は明日の風が吹く」を良しとした彼女は、
ある時期変貌を遂げた理由をひと言で云ってのけた。

「風は吹かない」

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2014年9月26日(金)その1830◆残るは

「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。
人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金だ」
                       (チャールズ・チャップリン)

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チャップリン語録と云えば、やはりこれだろう。
働き始めたころ、あまりにこれが図星なんで逆に驚いた。
あれから43年、素晴らしい人生をイメージしながら
多少の勇気と想像力は身につけてきたので、
残るは少しのお金のみ。

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2014年9月25日(木)その1829◆純粋正義の人

「フラメンコの神ならどう思われるか?」

重大な問題に直面し、その判断に迷う時、こんなふうに考えた時期がある。
だが、近ごろのキリストとイスラムの大喧嘩を観ていて、
もうそういうのは金輪際やめることにした。
経済闘争に「神の名のもとに!」みたいな大義名分を担ぎ出す彼らは、
この時代あまりにインチキに過ぎる。

「あれは世界がひとつになるための、正しい行為でした」

カトリックの十字軍遠征の是非を問う私に、
敬虔なクリスチャンである彼女は何の迷いもなく答えた。
大学五年、三度目くらいの居酒屋デートだった。
彼女の真っ直ぐな純粋さに惹かれて付き合い始めたわけだが、
その回答を聴いて〝純粋〟とは、つくづく強くて怖いものだとおののいた。
その意味で純粋は〝正義〟によく似ている。
あいにくそのどちらにも縁遠い雑種な私は、
あっ、お呼びでない、こりゃまた失礼しましたと、
格の違いを認めて自主的にフラれた。

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昔も今も純粋や正義は美しいと感じるが、私にとってのそれが、
イコール〝善〟ではないことは分かってきた。
雑然と〝清濁併せ呑む善〟。
ここいらあたりをほっつき歩く今日このごろ。
よく澄んだ彼女の黒く美しい瞳は今でも絶賛に値するが、
美しくもなく真っ直ぐでもない自分の眼が、そんなにいやでもなくなって来た。

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2014年9月24日(水)その1828◆まーまーよ

ノスタルジーは年寄りの友でありカンフル剤でもある。

懐かしい風景、懐かしい友、懐かしい音楽などは、
歳月とともに好ましい気分転換の対象になってくる。
若く溌剌としていた頃の想い出に浸ることで、
センチメンタルな快感に癒されながらも、
「昔はむかし今はいま、頑張れオレ」みたいなエネルギーを
引っ張り出そうとする懸命な悪あがきなのかもしれない。

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そんなんで近ごろは、アイポッドに入れたノスタルジー満載の
「我が心のジョージア」やドヴォルザーク「ユーモレスク」あたりを通勤散歩のお供によく聴く。

カーマイケル作曲の「我が心のジョージア」はレイ・チャールズの名唱で好きになったが、
日本の上田正樹やつのだひろなんかも泣かせるし、
最近は歌唱力抜群のマイケル・ボルトンでよく聴く。

ユーモレスクの原曲はピアノだが、
心で号泣できるヴァイオリン編曲(クライスラー編)が断然いい。
お気に入りはナージャ盤だが、それとは別に超豪華協演の映像をみっけた。
指揮は小澤征爾、ヴァイオリンはパールマン、チェロはヨーヨーマというビッグトリオで、
演奏内容はマーマーヨ!

http://www.youtube.com/watch?v=oBDmAxSFt6A&list=RDoBDmAxSFt6A#t=0

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2014年9月23日(火)その1827◆悲愴

重苦しい沈黙。
だが紫の夜明けがやがて暖かな陽射しを呼び込む。
それも束の間、またたくまに暗雲が立ちこめ、
やはりここは地獄なのかと認識しつつ深い眠りに堕ちる。

軽やかなワルツに目覚める。
見渡せば天国のようでもあるのだが、
その美しい情景はどこか虚ろな響きを秘めている。

やがてあたりは明るく勇ましいスケルツォな活気を帯び始める。
文明のエネルギー、高度成長の夢、人間万歳。
その逞しいリズムはどこか軍隊の行進を想わせる。

兵(つわもの)どもが夢の跡。
やはりあのワルツもスケルツォも夢だったのか。
あたりは当初の情景に戻っている。
地獄なのか地上なのかは分からない。
暗闇に鮮やかなパープルのグラデーションが浮かぶ全景。
途方に暮れながら、ただ独り立ち尽くす。

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チャイコフスキー『悲愴』全四楽章をウッカリまぢ聴きすると、
こんな幻想にハマり込むから油断ならない。
今日もついうっかりやっちまった。
家に戻ってテレビを見れば、イスラムとキリストの大喧嘩。
正義は独り善がりの思い込みであり、勇気は乱暴なカラ元気であるのか?

『悲愴』の世界観は〝警告〟であったのかもしれない。
交響曲第六番『悲愴』の初演からわずか九日後、
チャイコフスキーはあっけなく他界する。
彼は人生最大の役割をまっとうした。

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しゃちょ日記バックナンバー/2014年09月②

2014年09月01日 | しゃちょ日記

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◇励ましと罵倒のコメントはしゃちょメールまで
◇近ごろはフェイスブック→https://www.facebook.com/yuji.koyama.984

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2014年9月23日(火)その1826◆フラメンコの贈り物

『フラメンコにもらったもの』

 人間は変わる。つくづくそう想う。好ましい変化を遂げた人たちをフラメンコの世界でたくさん観てきたし、私自身そうだったから。高校時代に出逢ったパコ・デ・ルシア。ああ、何てカッコいいんだろう、おれもこんなふうにギター弾きたい!っていう本能的な衝動。女にモテたいってのがその衝動の半分以上を占めてたが、パコのように逞しく生きたい!みたいな健気な願望もちっとは混じっていた。気弱で引っ込み思案な性格が、恥をかいてもいいから前に踏み込んでみよう!みたいな人に変われたのも、死んでもやりたくなかった営業職を普通にこなせたのも、間違いなくパコのおかげだった。彼のフラメンコギターには、私の建前と本音を無理なく一致させようとする効能があった。当初のヴィジョン(女にモテたい)は砕け散ったが、楽しいサバイバルにはどうしたって必要な、メゲないしぶとさだけはフラメンコにもらった。(東京都・59歳/株式会社パセオ代表取締役/小山雄二)

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『フラメンコの贈りもの(仮題)』というエッセイ・コーナーをパセオに検討中で、
上記はその稚拙な呼び水サンプル。
本文1頁に毎月三名のアフィシオナード・エッセイ(プロ・セミプロ・アマを問わず)を、
文字数400字・写真1点で掲載。原稿料は現物支給(掲載誌3冊)。
原稿は主にフェイスブック等で募る。

反応が希薄ならこの企画はポシャるが、
そこそこ好感触が得れれば来年4月号からスタート予定。
原稿のコンセプトは、発見、共感、主張、ユーモア、ペーソス、セルフプロデュース・・・
とまあフラメンコなんだから何でもオッケー!
ご協力くださる方は、私のメール(koyama@paseo-flamenco.com)までご寄稿を。
文章苦手な方にはリライトくらいは手伝うから、じゃんじゃん送ってね!

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2014年9月23日(火)その1825◆今枝友加の初CD

楽をしたくなると、ついつい敬語を使ってしまう近ごろ。

先輩であれ後輩であれ、なるべく敬語を使わずに、ざっくばらんに、
なれど精一杯心をこめてストレ-トな会話をしようと決めたのは二十代の頃。
その方が本音を突き合わせ易いし、また話も早い。
多忙が招いた産物だった。

だがこれは、けっこう疲れる。
敬語という安全な様式に守ってもらえない分だけ、
発する言葉の表情に相手との良好な関係を願う気持ちを盛り込む必要があるから。
ちなみに時代小説愛好家の私は、江戸時代の敬語はペラペラなのだ。

さて本日編集部に、この秋CDを発表するあの今枝友加がやって来た。
協会新人公演のバイレ・カンテ両部門で奨励賞受賞という
前人未到の快挙を成し遂げた人気大物アーティストである。
何年か前のロングインタビューの折、
初対面の私に彼女はいきなりタメ口でしゃべり始めた。
今枝の語り口は、どんなに格調高い敬語よりも美しく響いた。

かつての殺人的多忙も去り、そろそろ誰に対しても
礼儀正しい敬語で話すかと思い始めた矢先だったが、
変わらぬ今枝のサッパリと心地よい語り口に触れ、
もうちょいだけ頑張ってみるかと想った。

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2014年9月22日(月)その1824◆変貌!

タメの利いた、粋と渋みの男のフラメンコ。

〝静〟にあっては優雅な重み、〝動〟にあってはシャープな迫力。
新人公演で奨励賞を受賞した頃とは、
まるで別人のような超本格バイラオールに成長していたシロコ(siroco)。

昨晩のアルマフラメンカ・ツアー東京テアトロ編。
わずか数年、一体何がここまで彼を変えたのか?
大収穫の日曜日!
                
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2014年9月21日(日)その1823◆吹く風は秋

暑かった夏の去りゆく姿を見送りながら、
散歩の季節の到来を知る。
ひとつ手前の東中野で下車し、
線路沿いの桜並木をかすめながらパセオへと向かう。

吹く風は秋。

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この夏旅立った巨匠ブリュッヘンのブロックフレーテが謳う懐かしいバロックの爽快感。
シンプルな楽器ほど豊かな表現が可能であることを教えてくれた音楽界のライオンキング。
前の晩アイポッドに編集したバッハ、ヘンデル、コレルリなど、
あのブリュッヘン節は時と国境を超える郷愁。
予想通りその響きは、たなびく秋風に寄り添いながら快適なアイレを運んでくる。

さて、今宵は新宿でアルマフラメンカ(三枝雄輔・シロコ)&徳永兄弟(健太郎・康次郎)。
この夏の全国ツアーでいっそう鍛えが入ったであろう彼らの成長ぶりが、
ああ、モーレツに楽しみ!

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2014年9月20日(土)その1822◆脱ねつ造

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「マッカーサーの告白」。

なぜ、彼のこの証言が日本の社会でクローズアップされないのか?
あらゆる日本人がこのことを真剣に考えることは、
日本という国が明るい一歩を踏み出すための、
その最良の素材のひとつかと思われる。

「マッカーサーの告白」でググると、いろんなことがいろんな角度から視えてくるので、
これはお薦めできるな。まっさーかーの告白なんだよ。
どの視点を採るかは自分次第。
視点そのものを自ら暫定することが重要。

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2014年9月20日(土)その1821◆東洋の合衆国

「日本の真の敗因は、民主主義でなかったことだ」
彼は特高警察や憲法隊を駆使する、強制的言動統制の在り方を痛烈に批難した。
恐怖政治なんかで勝てるわきゃないよと。

アメリカ人記者に日本の敗因を問われ、マッカーサーが最も恐れた日本人はこう答えた。
東条英機の天敵だった〝帝国陸軍の異端児〟石原莞爾(いしわら・かんじ)は、
明治22年・山形出身の陸軍中将。
同郷の藤沢周平があと数年長命であったなら、
予告通り彼の伝記小説を書かれていたことだろう。

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石原は、日本人・中国人・ロシア人・朝鮮人・モンゴル人の五民族が、
仲よく平等に協同経営する理想国家を中国・満州に創ろうとした。
欧米列強の暴力的な植民地主義ではなく、
アジア平和のために〝アジアのアメリカ〟の建国を企画したのだ。
やり方は乱暴だったが、最小限の軍事力行使で平和を構築しようとする彼は
根っからのリアリストだった。
ロシア侵略主義の脅威を緩和するその新国家との自由貿易で、
日本の資源を確保しようとする発想の斬新さに今さらながら驚く。
彼は右でも左でもなかった。

出来の悪い上官にストレートに暴言を吐く石原は、志半ばで失脚する。
軍人としては凡庸だが政治力では上回る敵役・東條英機に飛ばされたのだ。
歴史にイフはないが、もしも石原莞爾の理想郷が実現していたら、
日本の昭和はどうなっていたのか?、そしてアジアの現在は?、
それらをあれこれ空想するのが案外と楽しいのは、
そこに未来へのヒントが満載だからだ。

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2014年9月20日(土)その1820◆清貧とユーモア

交響曲第5番『革命』。

ショスタコーヴィチは「モーツァルトの再来」と呼ばれた作曲家だが、
ソビエト政府が自国の音楽に求めた「社会主義リアリズム
(形式において民族的、内容において社会主義的) に、がんじがらめに制約される。
悪名高きスターリンの狂気じみた大粛清によって彼の親類や友人たちが
次々に逮捕処刑されてゆく中この曲は創られたが、
政府の方針に反抗すれば殺される可能性もある。
結果的にこの『革命』は政府の大絶賛を得た。
なるほど外ズラからは「社会主義リアリズム」が聞こえてくるが、
演奏次第ではその逆の響きが聞こえてくる。

初演のタクトを振ったのは名指揮者ムラヴィンスキー。
そのリハーサルで彼は、初対面のショスタコーヴィチに曲について
質問を浴びせるのだが、作曲者はウンともスンとも答えない。
険悪な空気の中、敢えてムラヴィンスキーは無茶苦茶なテンポで演奏する。
「そうじゃない!」と叫ぶ作曲者ショスタコーヴィチ。
指揮者の本音引き出し作戦はまんまと成功し、
これをきっかけに二人は交流を深め合うようになったという。

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見掛けはおっかねーが「清貧」と「ユーモア」を愛したムラヴィンスキーは、
乱暴過ぎる政府の方針に異議を唱える高潔の人だった。
1973年来日公演の『革命』をNHKテレビで観たが、
思わず正座してしまう凄演は記憶に生々しい。
映像はおそらくはソビエトにおける『革命』の最終楽章リハーサル。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=n0iqZbM1Pdc

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2014年9月19日(金)その1819◆データ重視

トマトとレタス、和風ピクルス、豚の味噌漬け焼き、
納豆・ごはんにワカメ長ネギの味噌汁。
これが朝風呂~ストレッチ後の標準的がっつりメニュー。
昼は軽くサンドイッチ&サラダ、フルーツ&ヨーグルト。
夜はさらに軽く魚と温野菜。
間食は一切なしだが、一日おきに呑んでよし。

とまあ、ここ数日の休酒・減量の試行錯誤の末、
私とオレはこんなふうに折り合った。
そして、小倉編集長と美人社長秘書ユーコに高らかにこう宣言した。
「向こう一年で体重を10キロ落とし、体内のアルコール含有率を半減(50%→25%)し、
 本来のトムクールズもしくは竹野内豊の姿に戻る」

過去のデータに基づき、異口同音に彼らはこう述べた。
「もしも三ヶ月続いたら、社長の成長を心から祝福します」

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2014年9月19日(金)その1818◆挨拶の仕方

上原を散歩していると、坂の上から可愛らしいチワワがやって来る。
すかさず駆け寄るジェーは、おそらくはこんなふうに挨拶してる。

「こんちわわ!」

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2014年9月18日(木)その1817◆討論会

明晩は中野の編集部に、パセオ主要ライター諸氏が集う討論会(別名呑み会)。

「パセオはこう前進したい」と「読まれるパセオ」。
二律背反を生じやすい二大テーマのアウフヘーベンに、
出席者7名全員がフラットに斬り込むバトルロイヤルその初回。
続きはフェイスブックで公開討論、なのか!?

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2014年9月18日(木)その1816◆自己暗示

休酒と減量、四日目の昨日。

めしはバランスよい品目を、規則正しく三食とるだけなので何の屈託もない。
休酒の方はアル中的禁断症状こそ無いものの、ただただ寂しい。
一杯呑りながら一所懸命の疲れを癒すのが永年の習慣となってるから、
その至福の約一時間がポロっと欠落するのがとっても寂しいのだ。
          
つまり、私は序盤のヤマ場を迎えていた。
そこで「おれは今入院してるんだ」と、自分に暗示をかけてみた。

パセオにもライヴにも取材にも行けるし、
タバコも吸えるし散歩も出来るし都電にも乗れる。
めしもうめえし、おっかねえ看護士さんもいねえし、なんて素敵な病院かと思う。
し、しかも、入院費はタダだっ!
わーい、ばんざ~い! 
そのうれしさのあまり、うっかりご近所行きつけで祝杯をあげた。

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2014年9月17日(水)その1815◆ハリマオの真実

「おいコレ、翼さんに似てねーか?」と問うと、
小倉編集長も美人社長秘書ユーコも「似てませんね」ときっぱり即答した。(T_T)
ポッキリ折れた心で解説するに、この実在の英雄を主人公とする映画は、
陣内孝則主演(和田勉監督)で1989年に制作されている。

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明治44年、福岡に生まれた谷豊(たに・ゆたか)は小さな頃から親分肌だったという。
マレーシアで育つが、二十歳のころ帰国し日本の徴兵検査を受け不合格を喰らう。
イスラム教徒だったから、いや身長が足りなかったからだ、と諸説ある。
満州事変への報復から、マレーシアでも華僑たちが反日本的暴動を起こし、
豊はマレーシアの実家を破壊された上に妹を惨殺される。
激怒した豊はマレーシアの仲間たちとチームを組み、
妹の仇である華僑を襲う盗賊団のボスとなる。

〝マレーの虎〟と呼ばれる大盗賊となった豊だが、
うっかりタイ南部で捕まり刑務所に投獄される。
やがて太平洋戦争が始まり、豊たちの評判を知った日本陸軍は直ちにこれを戦力とすべく、
タイ警察に保釈金を支払って豊を出獄させ協力を要請する。
日本軍の諜報部隊となった豊と仲間たちは、
マレー半島に建築中のイギリス軍の要塞を壊滅に追い込む大活躍。
日本の新聞でも大絶賛され、
その活躍ぶりは戦中に映画化(小林桂樹が脇役で出演)される。

そして次なる任務、日本軍に押されて敗走するイギリス軍が
橋に仕掛けた爆弾を解体する作業は、敵に先手を打たれてほとんど成功しない。
さらに豊はそうした任務の最中にマラリアに感染、
日本軍の手厚い看護を受けるが、波乱万丈31歳の生涯を終える。
彼を慕う現地の仲間たちに運び去られた豊の埋葬地は判明しないが、
現在シンガポールの日本人墓地には彼の記念墓がある。

これが我らがヒーロー『快傑ハリマオ』の実像だ。
国威掲揚のため戦中に増幅されたハリマオのイメージは強烈であり、
戦後の昭和三十年代にはテレビドラマ、漫画(石ノ森章太郎)となり、
月光仮面を後継する正義のカリスマとなった。
「ほら、ハリマオ用だ」と年長の従兄弟がくれた高級サングラスは、
永きにわたり私の宝物となった。

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マレーシアでは1996年に初めてハリマオ谷豊をテーマとするTVドキュメントが制作され、
番組ラストはこう締めくくられたという。
「イギリス軍も日本軍もマレーシアの心を捉えられなかった。
 心を捉えたのはマレーを愛したひとりの日本人だった」
          
祖国日本を愛しながらも異国の文化に心酔し、
イスラム教徒として本懐を遂げたハリマオの実像は、
創られたヒーロー像よりもさらに重く迫る。

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2014年9月17日(水)その1814◆初戦突破

日曜から減量を始めた。
最初が肝心である。
手はじめに髪をバッサリ切った。
かなりの達成感があった。

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2014年9月17日(水)その1813◆誰だよそれ

ここ三日ばかり酒を抜いてる。

「空いた時間、どーしてるんですか?」
すかさずパセオ小倉編集長がこう突っ込む。

「はい、勉強してます」
間髪入れずこう答えたが、そんな奴おれは知らない。

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2014年9月16日(火)その1812◆笑いのツボ

〝笑いのツボ〟は人それぞれだ。

百人百様であるその特徴は、いかなる心理分析よりも、
その人となりを正確に浮き彫りにさせる。
わずか数秒にして、その文化背景から心象風景までを
反映させてしまうところが、笑いのツボの怖いところだ。
そう、まるでフラメンコのように。

失礼とは思いつつも相互理解のために、
初対面の相手に私がいきなりギャグをかますのも、
主にこうした理由からだ。
また、相手側の私に対する評価がおしなべて一致するのも
(「あの人ちょっと軽薄ですね」)、
こうした私の奇行がその主たる理由と云えるだろう。

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2014年9月16日(火)その1811◆問われるセンス

「何のために意味なんか求めるんだ?
 人生は願望だ、意味じゃない」
       (チャールズ・チャップリン)

もっとも強烈なチャップリン語録。
愚痴やら机上論ばかりで行動の伴わなぬ優柔不断に、
巨匠もほとほと手を焼いたものと思われる。
乱暴にも聞こえるが、むしろ現実を改善するための〝喝〟のように響く。

幸い私は優柔不断ではない。
ただし、願望そのもののセンスは問われることだろう。
問われたおれのうろたえる姿が目に浮かぶようだ。

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しゃちょ日記バックナンバー/2014年09月①

2014年09月01日 | しゃちょ日記

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◇励ましと罵倒のコメントはしゃちょメールまで
◇近ごろはフェイスブック→https://www.facebook.com/yuji.koyama.984
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2014年9月15日(月)その1808◆必ず当たる占い

ある高名な占い師に、
未来予測を依頼するヒトラー。

「あなたは記念日に死ぬでしょう」
「何故それが分かるんだ?」
「あなたの死んだ日がユダヤの記念日になるからです」

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2014年9月14日(日)その1807◆共通項

彼らはいつでも、穏やかな微笑みで迎えてくれる。

向島百花園(むこうじま・ひゃっかえん)。
隅田川や浅草からもほど近い。

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清楚な草花たちの集う、何の変哲もない小さな庭園だが、
常連だった明治の文豪・田山花袋やきのう書いた榎本武揚という巨人たちと、
ふと気持ちのつながる瞬間がある。

ふだんの暮らしの中でも、同じものを観たり聴いたりして、
そのことで気持ちがつながることは案外と多い。
会話やインタビューの幸福な切り口も、
そうであるケースが多いことに気づく。

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2014年9月13日(土)その1806◆百花園の楽しみ

「江戸城が無血開城された後も降参せず、
必敗決死の忠勇で函館に篭もり最後まで戦った天晴れの振る舞いは、
大和魂の手本とすべきであり、新政府側も罪を憎んでこの人を憎まず、
死罪を免じたことは一美談である」
福澤諭吉は彼をこう評す。

「もし彼が五稜郭で死んでいたら、源義経や楠木正成と並んで
日本史上の一大ヒーローとして末長く語り伝えられたであろう。
しかし本人は『幕臣上がりにしてはよくやった』と
案外満足して死んだのかもしれない」
山田風太郎は『人間臨終図巻』でこう彼を書く。

日本ではまだまだ裏切り者のイメージが強いが、
真に国際人だった彼は幕末・明治にかけての最大の功労者のひとりだったと、
私にはそう想える。司馬遼太郎が坂本龍馬を採ったことが正直残念。

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幕臣・榎本武揚(えのもと・たけあき/1836~1908年)は、
明治2年に明治政府軍に降伏し投獄されるが、
明治5年には放免され明治7年には海軍中将となる。
後に政治家となり、逓信大臣、農商務大臣、文部大臣、外務大臣などを遍歴しながら、
その知識と探求心をフルに発揮して「明治最良の官僚」と評される。

農商務大臣時代には、足尾鉱毒事件をプライベートに調査し、
企業と地元民の私的な事件とみなしてきたそれまでの政府の見解をひっくり返し、
国が対応すべき公害である認定した上で、
「自分が知らずにいたこと」の責任を取って辞任する。

義理・人情に厚くて涙もろい。
典型的な江戸っ子で明治天皇のお気に入りだった。
留学経験豊富な国際通でありながら性急な洋化政策には批判的で、
園遊会でもあえて和装で参内した。

晩年は墨田区・向島に移り住み、毎日のように向島百花園を訪れ
四季の草花を眺めていたという。
1965年に発表された衝撃の問題作、安部公房『榎本武揚』。
同じ風景を眺めながら、約二十年ぶりにあのお気に入りのベンチで読んでみるか。

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2014年9月13日(土)その1805◆ハバカルコトハナイ

「人生は一局の将棋なり、指し直す能わず(指し直すことは出来ない)」

そんなことがあるもんかいと若い私は反発した。
有名作家にして文藝春秋社の創設者・菊池寛師のこの警句を、
一度失敗したらそれでおしまい、そりゃねーだろ、
失敗ばかりのおれはどーなる?、そんなふうに誤解していた。

一度指し始めたら、あと戻りは出来ない。
つまり過去をチャラにすることは出来ない。
そこは認めろ、リセットは出来ない、
だがギブアップしない限り、そこから軌道修正することは誰にでも出来る。
一度の人生、むしろ堂々と軌道修正せよと、そんなふうに今は聞こえてくる。

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2014年9月12日(金)その1804◆フラメンコ・オリンピック実現を願って

パセオフラメンコ2014年11月号(本文カラー2~5頁)初稿
十年後のフラメンコ・オリンピック実現を願って
 文/小山雄二(株式会社パセオ代表取締役)

「十年後には、日本をはじめ諸外国数十ヶ国からその代表者が出場する
〝フラメンコのオリンピック〟が実現している」

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このスペイン・日本の共有ヴィジョンの実現を、
運営・報道の両面からバックアップするのが、
ラ・ウニオン市長から依頼された当初からの私の任務であり、
ここではフラメンコの国際的未来を切り拓く可能性を持ったこのプロジェクトの
良かった面と改善の余地のある面とを誌面に記憶させることで、
この先の実質的な運営改善のお役に立ちたいと願う。

良かった面としてはまず、選ばれし者がスペインの
権威あるコンクールの決勝に進めるという特典が付加された新人公演の
内容そのものが飛躍的にアップしたことだ。
過去の奨励賞受賞者が五名出演したことが、公演全体に好ましい緊張と興奮、
そして逞しい華やぎを与えていた。
バイレの永田健、石川慶子、本田恵美、カンテの永潟三貴生、濱田あかりという
五名の奨励賞経験者のステージにはそのどれにも何かが降りて来ていて、
彼らはみな感動的なステージを創造していた。
〝決勝狙い〟を表明したプロのアルティスタが、高いレベルを数多く含む
初々しい新人たちと共に舞台に立つプレッシャーは尋常ではないと想像できるが、
彼らはそんな次元を軽々と超える潔いフラメンコを以って、
プロとはこういうものだという本当の意味でのプライドを見せつけてくれた。
また、次号に詳細を掲載するが、
今年は全部門における内容も驚くほどに充実していた。

新人公演のこうした変化は、全体の一層のレベルアップの呼び水となるだろう。
スペインの老舗コンクール決勝出場という夢は、
すべての出演者の中にやはり巨大な推進力を生み出していて、
これこそが日本のフラメンコ界における最大の収穫だったと確信出来た。
文化と方法論の差異から生じるスペインと日本の壁の分厚さには、
正直幾度も面喰らったが、こうした成果をもたらすための
産みの苦しみということなら何ほどのものでもない。
三日間の新人公演が幕を下ろした瞬間私は、こうした幸福と試練をもたらしてくれた
ラ・ウニオン市のカンテ・デ・ラス・ミナス財団に心からの感謝を捧げた。

また、音楽部門の選考委員を務めた〝世界のカニサレス〟はほとんどの舞台を観た上に、
二日目プログラム終了後にゲスト出演し夢のような快演を披露した。
新人公演に対する彼の感想は決して社交辞令的なものではなく、
マエストロはその驚きと感謝の気持ちを幾度も私に繰り返し伝えてくれた。

「ANIFによる新人公演の運営力の素晴らしさに心から感服しています。
照明や音響にも徹底的にこだわるプロフェッショナルぶり、
スペインではあり得ない舞台進行の滞ることのない裏方スタッフの精度にも、
ただただ敬意を払うばかりです。
また、レベルの差は様々あるものの、出場された全ての方々と
それを支えるスタッフの方々が、フラメンコを愛し、
フラメンコと真摯に向き合っている姿を三日間目の当たりにし、
日本という国がどれだけフラメンコという芸術を大切に守っているか、
この身を以って体験しました」

さてもう一方で、改善の余地のある面については、
以下に状況説明を加えた上でご提案申し上げたい。
(以下長文はパセオ11月号につづく。今回は買って読んでほしい)

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2014年9月12日(金)その1803◆新人公演忘備録

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パセオフラメンコ2014年12月号(56~67頁)/公演忘備録初稿
緊張と興奮と歓びの三日間』(小山雄二)

金土日の三日間で合計93組の出演陣。
彼らの勇気とエネルギーに心が沸き立つ。
若かりし日々、身丈に不釣合いな大勝負に臨む朝、
実は怯えまくる自分にかました激励が不意にこだまする。
それで震えが止まるわけでもなかったが
一番しっくりくる自分との合言葉は「死んでこいっ!」だった。

「年々難しくなるね」「ああ、年々難しくなる。だけど、そりゃ凄えことだ」。
その初日が無事終わり、奨励賞の選考委員を務める連れ合いとの家路。
バイラオーラとして自らステージに立つ彼女と、
多ジャンル観客席オンリーの私とでは当然感想は異なるが、
それが現代フラメンコの妙味であり、
またその豊かさこそが特別に誰かを選ぶことの難しさにつながる。
その一方、奨励賞もラス・ミナスも誰かを選ぶことによって
未来への扉が開かれることはほぼ確実である。
 
心の中のアートの壺は、言葉や常識を軽々と超える
大胆にして繊細なセンサーを備えている。
自分の壺の保守性についてはほぼ百%分析できるが、
その革新性の暴れん坊ぶりは理性の限界を軽々と超える。
ただし、眼前のフラメンコがどのような性質であれ、心の壺を充たしてくれるもの、
溢れさせてくれるものに対しては、私の中の保守性と革新性が
一致協力して〝感動〟という生理的な症状をわかり易く提出してくれる。
観客席というのはそういう〝私〟たちで構成されている。
それぞれの保守性と革新性、そしてその感動センスは人の数だけある。
他者否定はつまり自己否定を兼ねる。
けれども同時に人々は〝普遍性〟を共有したい。
三日間それぞれおよそ千人の観客が詰め掛けた新人公演だが、
その千分の1に該当する私の壺を心地よく刺激してくれた
この夏のステキな出演者を覚え書きしておこう。

【初日】佐藤理恵、エストゥディオ・カンデーラ、徳田悠乃、津田可奈、永田健、
 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコスタジオ。
【二日目】ヴォダルツ・クララ、川松冬花、池田理恵、小野亜希子、ブラシェ小夜音、
 森里子、石川慶子、本田恵美。それとカニサレス(笑)。
【三日目】永潟三貴生、濱田あかり、小島智子、関祐三子、大野環、重盛薫子。

バイレ全体の半数近くがある一定水準に達しているのは偉いことで、評価が割れるのは必然。
美人もアートもある一定水準を超えると、あとはもう〝好み〟の問題なのである。
「フラメンコ性」「アート性」「技術性」「舞踊性(音楽性・歌唱性)」「エンタテインメント性」。
例えば私はこの五つの要素に強く反応するが、これが〝私の好み〟である。
ただしデジタルな平均点で決めるのではなく、
最終的にその総合的評価はアナログな感性によって定まる。
例えば、舞踊性・音楽性が弱くともフラメンコ性がある絶対水準に達していれば
平均点などは霞んでしまう。
そう、あのマヌエル・アグヘータみたいに。

今年目立ったバイレの、音楽とバシッ!とシンクロさせる流行手法のインパクトは強烈だが、
そこに頼りすぎて舞踊の身体メロディが欠乏すると最後まで持たない傾向は視えた。
例えばバッハやパコ・デ・ルシアは、それまでの伝統音楽と当時の現代音楽を
研究し尽くした上で自己の個性を発展させた。
前衛フラメンコの尖鋭イスラエルやロシオ・モリーナもしかり。
サバイバルに耐えた古典というのは人類の叡智の結晶だから、
そこをスっ飛ばし流行のカッコいい部分と身体能力を掛け合わせるだけのアプローチは、
舞台時間にして2分程度が限界のように思えた。
古典の勉強をスっ飛ばしたおれのギターがへなちょこだった理由がいまにして分かる。

ギターは四名を楽しく聴いたが、
潔いスパーク感を欠いていまひとつ突き抜けないのが惜しく、
カンテは永潟三貴生の歌唱性と濱田あかりのフラメンコ性が突出していた。
ともあれ奨励賞の結果は、今年もまた納得のゆく領域に着地した。
さまざまなタイプの多数の選考委員が評決するシステムは、
いわゆる〝妥当〟な結果を生み出し、
そのことが奨励賞に大きな信用とステータスを与える理由にもなっている。
総じて今年は、ヴィジョンとコントラストの強化が課題に想えた。
ヒント満載のパセオをもっとしっかり読んでほしいと思ったことです(笑)。
ありがとう出演者と裏方のみなさん、来年もまた大いに観客席を楽しませてください!

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2014年9月12日(金)その1802◆ご褒美

プロジェクトに一区切りつく。
ご褒美は都電の旅。
目的地があるわけでもなく、
ただぼんやりと車窓から移りゆく風景を眺める。

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2014年9月11日(木)その1801◆原風景

「辛抱すること、希望を捨てないこと」

国境もなんのそので、昔も今も変わらぬこのストイックな摂理には、
どこかどっしりした安堵感がある。

人類以外のあらゆる生物は、少なくともこのことだけはよく心得ている。
いや、人類の歴史も若かりし頃には、それが普通のことだったかもしれない。
進化の歓びは必ずある部分の退化と狂気を生む。
そうした変遷をたどる『猿の惑星』(1968年の第一作)はいろんなことを考えさせる。
寅さんラインで制作された『ダウンタウンヒーローズ』(1988年)を
時おり無性に観たくなる理由も、おそらくはその延長線上にある素朴な日本の原風景。

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2014年9月10日(水)その1800◆希望のおっちゃん

昭和三十年代半ば、将来は正義の味方・月光仮面になるつもりの
幼稚園児や小学生がウジャウジャいた。
もちろん私もそのつもりだったが、ちょっと忙しく世渡りしてるうちに、
いつの間にやら腐敗まみれのチョイ悪おやぢになってた。
だが、月光のおっちゃんの勇姿を想い起こすたびワクワクできる限り、
辛うじて希望はある。

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2014年9月9日(火)その1799◆帰巣本能

「三丁目の夕日」みたいな東京の慎ましやかな下町で育ったから、
今でも似たような風景を発見すると懐かしい感情で一杯になってしまう。
こりゃ明らかに老人性帰巣本能シンドロームである。

今日は早めに仕事(コンクール記事と新人公演忘備録)が片付いたので、
パセオからの帰り道、そういう風情の残る東中野の商店街あたりを
小一時間ばかりブラついてきた。
小さな店舗がゴミゴミとはせずにいい具合に並んでいて、
生まれ育った故郷の商店街のようにどこかのんびりしている。

屈託も忘れ目的もなくただのんびり歩いていると、なんだか寂しいような哀しいような、
それでいてうれしいような気分が丁度いい具合にこみ上げてきて、
どこか浮世離れしたタイムスリップ感を味わえる。
とうとう荷風先生の心持ちを実感できる年齢に達したかという不思議な安堵感もある。

実際には老人性徘徊の第一歩と看るべきだろうが、
こうした傾向は三十代から顕著だったし、
宵越しのストレスを持たないこの江戸っ子は、
あの頃から現実逃避の達人だったのかもしれない。
金も準備もかからぬこの慎ましやかな道楽は、
のん気にこの先も続きそうな気がしている。

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2014年9月8日(月)その1798◆パークニング・プレイズバッハ

パークニングの繊細にして美しいギターは、
どこまでもロマンティックかつ敬虔なバッハを追求する。
高校時代はレコードが擦り切れるほど聴いた。
彼のシャコンヌやニ長調のプレリュードは、ギターによるバッハの至宝だ。

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擦り切れたレコードやボロボロになるまで読み返した文庫本というのは、
若かりし日々の心のメカニズムを形成した重要なファクターであることが多い。
何か事が起きた時、唐突に脳裏によみがえって、
大丈夫大丈夫と弱りきった心を愛撫してくれることも度々ある。

まあ、壊れた茶碗をご飯粒でくっつける程度の効果ではあるにしても、
音楽や文学のありがたみを切々と実感するのは、案外とこんな時が多い。
結局は自分で決めて再び歩み始めるよりないのだが、
人は誰しもそのきっかけを欲するのだ。

いつまでも凹み続けられるほどには人間は強くない。
人の真心とそこから産まれるアルテは、
人々をほどよく化学反応させる、時空を超える触媒。

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2014年9月7日(日)その1797◆バランス論

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「書を捨てよ、町へ出よう」

1967年(昭和42年)に詩人・寺山修司はそう云った。
頭でっかちが多かった世相へのバランス的反論だった。
あれからほぼ半世紀、現在では別のアンチテーゼかと必要と思える。

「書を読み、人と語ろう」

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2014年9月6日(土)その1796◆華胥の幽夢

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「答えを知らずにただ人を責めることは、何も生まないのです」

小野不由美『華胥の幽夢(かしょのゆめ)』(新潮文庫)を再読。
残り人生でやってみたいことについての全ての回答が在るようにも想えるし、
お前には踏み込む資格もないと直ちに却下されるような響きもある。

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2014年9月5日(金)その1795◆死して尚

本間先生はね、「よくやったね、ご苦労さん」って、
結果がどうあろうと俺達にそう云ったろうね。

きのうの日記に書いたテーマを投げかける私に、
田代淳はやや上空を見上げながらそう云う。
ああ、確かにその通りだと、鈴木眞澄と私は
本間三郎師匠のあの優しさに徹した佇まいをしみじみ想い出す。

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なくなって一年近くなるのに、
それでも意見を求められる先生って、
どれだけ偉大だったんだろ。

いくつになっても美しい眞澄さんは、そう云ってポロポロ泣いた。

33度の超高級焼酎を持参し遅れてやってきた彼女が、
開口一番ブチかました呆れた下ネタの鮮やかな余韻は、そこでようやく消滅した。
彼女の名誉のため、そのドン引き話の詳細は書けない。

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2014年9月4日(木)その1794◆木曜会

パセオ11月号の担当取材もあらかた済んで、
残すは新人公演ラス・ミナス関連の速報記事(本文カラー4頁)。
コンクール本選出場者への取材と、その選考周辺をレポートする。

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「十年後のフラメンコ・オリンピック開催」
このスペイン・日本の共有ヴィジョンの実現を、
運営・報道の両面から助けるのが当初からの私の任務。
良かったことまずかったことを整理し、
次回以降の実質的な運営の改善に役立ちたい。
朝日新聞の迷走が、逆に私たちに冷静さと勇気をもたらす皮肉。

22時からは恒例の高円寺エスペランサ木曜会。
木曜会座長・本間三郎師の他界から、早くも一年近くが経つ。
日本フラメンコ協会副会長にして、
常に公正な大局観で事象を見通す本間先生だったら、
今回の運営経過にどんな感想を持たれたろうか。

今宵のメインテーマはおそらくそのあたりだろう。
出席メンバー諸氏にはくれぐれも下ネタの自粛を呼び掛けたい。
特に私に強く呼び掛けたい。

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2014年9月3日(水)その1793◆イケガミ

複雑なことを出来るだけ分かり易く伝える。
同時にギリギリのところまで踏み込む。
そして、どんな局面でも明るさを忘れない。

おとつい晩の編集部。
ひょんなことから池上彰さんのスタンスについて大討論会となり、
彼の〝普遍性〟を大いに取り込もうという結論に達した。
「好ましい本音」。
岩井の発案でそのプロジェクト名を「イケガミ」と名付けた。
直ちにそれを全体化すべくその直後、パセオ小倉編集長は
ライター諸氏に討論会(呑み会)の通知メールを送信した。

今朝のネットで、朝日新聞に対する池上さんの決断を知った。
彼は8月29日掲載予定のコラムで、朝日新聞が慰安婦報道を検証した特集について
「朝日は謝罪すべきだ」との趣旨を書いた。
そして掲載前日、朝日新聞から「今回は掲載できない」という連絡があり、
池上さんはその場で連載そのものの中止を申し出たという。

小倉も私もメディアを運営する立場だが、同時に最前線ライターでもある。
池上彰さんの決断は胸を衝いた。
さあ、いよいよ本格的に新たな展開がスタートする。

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2014年9月2日(火)その1792◆ルート69

「独りよがりじゃ話にならねえ。
 まあ、早え話がシックスナインの要領だろ。
 仕事もそれ以外も全部いっしょだ」

珍しく客足が止み、少人数のお気楽会話がゆるやかに流れ、
教育問題から発展したテーマは〝コミュニケーションの上達法〟に落ち着くのだが、
身もフタもないこの手のセクハラ発言にはまったく閉口する。

「あっ・・・そうか・・・確かに・・・そーかも」

客あしらいで鍛え抜かれた反射神経抜群の気のいい若女将が、
珍しくアダージョのテンポで、あろうことかこのお下品発言をしみじみ支持する。
愛と誠の人生ひと筋のマイケルは、同意も否定もせずニコニコ笑っている。

その場に居合わせたのは三人。
かくして白痴系お堕落野郎は特定される。

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2014年9月2日(火)その1791◆情報化時代の主題

「やはり血筋には勝てない」

深刻な面持ちでそうつぶやく彼もしくは彼女。
そんなのを聴くとブハッと吹き出しそうに、いや、
近ごろはさすがに珈琲やビールをほんとに吹き出す。
確かに血統の話は楽しいが、この時代、そういうもっともらしい云い訳はもう無理で、
優れた二代目・三代目たちの実際の苦労を知ったらそういう言葉は二度と吐けない。

すでに三十余年前からクラシックギターの原善伸は
エリート欧州人ギタリストよりもクラシック(ヨーロッパ古典音楽)演奏の真髄に迫っていたし、
つい最近ではロシア人ギタリスト・グリーシャのフラメンコに脱帽したばかりだ。
岐阜出身ギタリスト・エンリケ坂井(←ハーフではない)や、
会津出身バイラオーラ大沼由紀の〝どフラメンコ〟を超えるスペイン人は
今ではそんなに多くない。
昨今のメジャーシーンでは格調高き日本相撲の英雄、
モンゴル出身横綱・白鵬が論より証拠だ。
文学の世界だって遅咲きの千葉県出身・乙川優三郎が
あのチェーホフやイプセンを超えようとしている。

コンプレックスは人を成長させる最大の糧だし、
内輪主義も国粋主義もそれはそれで私も好きだが、
われらの直面する情報化時代というのは、
世界中の様々な地域が生んだ文化そのものの優秀性に注目すべき時代ではないのか。
むしろ戦争は激減すべき時代はすでに到来している。

私は猿の屁を嗅ぎ「猿のは臭え」と叫ぶ者ではないし、また、猿の回し者でもないが、
この映画(1968年制作チャールトン・ヘストン主演)は
大まかに人生の進路を定める要因となった映画のひとつだったと回想できる。

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2014年9月1日(月)その1788◆父帰る

「約束は必ず守りたい。
 人間が約束を守らなくなると社会生活はできなくなるからだ」

あまりにも月並みな警句だが、
発信源があの文藝春秋社を創設した文豪・菊地寛(きくち・かん)師となると、
ちょっと立ち止まってあれこれ考えてみたくなる。
給料の振込、原稿の締切、審査の公正・・・

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