1月20日(月)晴れ

だいぶ前になるが、娘が朝日新聞の投稿欄『ひととき』を読んで「ママ、これ読んだ?すっごくいいよ。
悲しいけどすっごくいい。」
聞くに、愛猫が死んだ話らしい。
ダメっ!そういう話にめっぽう弱い母は避けて通る。
娘が「これは読まないと後悔する。すごくいいから。iPhoneで撮ってラインで送ってるからいつか読んで」
で、娘と吉祥寺へ行く途中の電車内で読み、思わず泣きそうになる。
すごくいい話だった。
かいつまんで話すと・・・
年末に、20年余り一緒に暮らした猫が逝った。
東京在住ながらめったに集まらない3人の子どもたちが、猫ちゃん最期の数日に駆けつける。
長女が来ると最後の力を振り絞り玄関へ出迎え、長男に最後の水を飲ませてもらい、
びっくりするほど綺麗な目を見開き、さよならをして逝った。
その夜、家族みんなで猫ちゃんを囲み思い出を語り合う。
子どもらの青春、結婚、ご主人が脳内出血で倒れられ車いす生活。
それらを全部見てきた猫ちゃんに、山ほどの涙とお別れの言葉を浴びせたと綴る。
そして・・・今年のお正月もまた揃わない家族・・・あの一夜は猫ちゃんからの最後の贈りものだったと。
この猫ちゃんも幸せだっただろうなあ、この家族と暮らせて。
教室の同僚N田センセとTセンセとランチした時に、Tセンセが猫2匹と犬を飼ってるという話になる。
猫好きなのね!と身を乗り出したnであったが、しばし話を聞くうちに自分との大きな温度差を感じる。
一軒家で飼っていて、庭に小屋があり猫2匹犬1匹はそこに暮らす。
猫は自由に出入りしており、ひと月ほど一匹が帰ってこなかった。
Tセンセ「ラッキー!もう帰ってこなきゃいいのにと思ってたんだけど、帰ってきたのよね~~」
ワタクシ、以前飼ってた猫がいなくなった時、泣きながら電柱に張り紙をして回った話をする。(無事に、前住んでた家で見つかって感動の対面となったのだが)
お互いがお互いを「信じられん!」という目で見る。
野良で生きるよりは、雨露しのげる寝床とえさをもらえるだけ幸せだろうと思うことにしながら話を聞いていた。
年が明けて教室が始まったある日、隣のTセンセが「猫二匹いるって言ってたでしょ、そのうちの一匹が死んじゃった。
なんだかどんどん痩せていくなあ、病気だなあとは思ってたんだけど、
ほら、うちって病院とかには連れて行かないから。」
あっけらかんというか、あっさりというか・・・
埋葬代千円ちょっとだった、みたいな話をされるのを、またも悲しげに聞くnセンセ。
夫の実家の猫の飼い方も、Tセンセちに近いところがある。
可愛がってんだか可愛がってないんだか、よくわからん。
「ただ、えさをもらえるだけありがたいと思いなさいね。
でも、もっと可愛がってくれるおうちを見つけたらさっさと出て行っていいんだよ。」と思いながらながめる。
ワタクシのまわりには愛猫家がたくさんいる。
その可愛がりっぷりったらもう・・・
うちのイチには聞かせられないくらいだ。
お部屋にせよ、おもちゃにせよ、ごはんにせよ、イチに知られたら大変なことになる。
まあ、そういう金銭的環境的な差はあるとしても、かわいがりかた、愛情では、我が家も負けていない自信がある。
イチ~長生きしてね。
20年は生きてくれないと、ママは重度のペットロス症候群にになる恐れ大です。
20年生きてくれたら、この投稿のご家族のように、穏やかに見送れると思います。
元気で、仲良く、毎日楽しく暮らそうね。

だいぶ前になるが、娘が朝日新聞の投稿欄『ひととき』を読んで「ママ、これ読んだ?すっごくいいよ。
悲しいけどすっごくいい。」
聞くに、愛猫が死んだ話らしい。
ダメっ!そういう話にめっぽう弱い母は避けて通る。
娘が「これは読まないと後悔する。すごくいいから。iPhoneで撮ってラインで送ってるからいつか読んで」
で、娘と吉祥寺へ行く途中の電車内で読み、思わず泣きそうになる。
すごくいい話だった。
かいつまんで話すと・・・
年末に、20年余り一緒に暮らした猫が逝った。
東京在住ながらめったに集まらない3人の子どもたちが、猫ちゃん最期の数日に駆けつける。
長女が来ると最後の力を振り絞り玄関へ出迎え、長男に最後の水を飲ませてもらい、
びっくりするほど綺麗な目を見開き、さよならをして逝った。
その夜、家族みんなで猫ちゃんを囲み思い出を語り合う。
子どもらの青春、結婚、ご主人が脳内出血で倒れられ車いす生活。
それらを全部見てきた猫ちゃんに、山ほどの涙とお別れの言葉を浴びせたと綴る。
そして・・・今年のお正月もまた揃わない家族・・・あの一夜は猫ちゃんからの最後の贈りものだったと。
この猫ちゃんも幸せだっただろうなあ、この家族と暮らせて。
教室の同僚N田センセとTセンセとランチした時に、Tセンセが猫2匹と犬を飼ってるという話になる。
猫好きなのね!と身を乗り出したnであったが、しばし話を聞くうちに自分との大きな温度差を感じる。
一軒家で飼っていて、庭に小屋があり猫2匹犬1匹はそこに暮らす。
猫は自由に出入りしており、ひと月ほど一匹が帰ってこなかった。
Tセンセ「ラッキー!もう帰ってこなきゃいいのにと思ってたんだけど、帰ってきたのよね~~」
ワタクシ、以前飼ってた猫がいなくなった時、泣きながら電柱に張り紙をして回った話をする。(無事に、前住んでた家で見つかって感動の対面となったのだが)
お互いがお互いを「信じられん!」という目で見る。
野良で生きるよりは、雨露しのげる寝床とえさをもらえるだけ幸せだろうと思うことにしながら話を聞いていた。
年が明けて教室が始まったある日、隣のTセンセが「猫二匹いるって言ってたでしょ、そのうちの一匹が死んじゃった。
なんだかどんどん痩せていくなあ、病気だなあとは思ってたんだけど、
ほら、うちって病院とかには連れて行かないから。」
あっけらかんというか、あっさりというか・・・
埋葬代千円ちょっとだった、みたいな話をされるのを、またも悲しげに聞くnセンセ。
夫の実家の猫の飼い方も、Tセンセちに近いところがある。
可愛がってんだか可愛がってないんだか、よくわからん。
「ただ、えさをもらえるだけありがたいと思いなさいね。
でも、もっと可愛がってくれるおうちを見つけたらさっさと出て行っていいんだよ。」と思いながらながめる。
ワタクシのまわりには愛猫家がたくさんいる。
その可愛がりっぷりったらもう・・・
うちのイチには聞かせられないくらいだ。
お部屋にせよ、おもちゃにせよ、ごはんにせよ、イチに知られたら大変なことになる。
まあ、そういう金銭的環境的な差はあるとしても、かわいがりかた、愛情では、我が家も負けていない自信がある。
イチ~長生きしてね。
20年は生きてくれないと、ママは重度のペットロス症候群にになる恐れ大です。
20年生きてくれたら、この投稿のご家族のように、穏やかに見送れると思います。
元気で、仲良く、毎日楽しく暮らそうね。