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幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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木原光知子さん(日常生活を含めたすべてが練習、トレーニングの場)

2007-10-19 | 成功の秘訣


木原光知子さん死去 東京五輪水泳、愛称ミミ(共同通信) - goo ニュース

木原光知子さんが亡くなられました

残された言葉には、多くのことを学ばされます。

以下、木原さんのことばです。

「最高のコンディションにもっていくためには、

 アスリートにとって日常生活を含めたすべてが
 
 練習やトレーニングの場
になってきます。
 
 つまり、競泳の選手だから、プールで、トレーニングジムで
 
 鍛えていればいいというものではないのです。


 たとえば、スポーツ選手の資本といえば身体ですが、
 
 この身体は何でできていますか? 
 
 そうです。私たちが毎日口にしている野菜や肉、ごはんや果物
 
 といった食べ物からできています。
 
 だから、何を食べるか、どう食べるか、ということがとても大切です。

 たとえば、パーティー。
 
 トップ選手ともなれば、パーティーに招待されるようなこともあります。
 
 そんなとき、見知らぬ人たちのなかで、どのように振る舞うか。
 
 あいさつの仕方、話し方、感謝の気持ちを表せるかどうか。
 
 こんなところも、やはり練習の場なのです。


  こうしたことから考えると、スポーツ選手にとって、
  
  どういう友だちとつきあうか、どんなところへ出かけるか、
  
  どういう人と会話をするか。
  
  練習場を離れてからも24時間、すべてが訓練の場になるのですね。
  

  そうして、それらの積み重ねが表彰台の台の高さの差に現れる。
  
  記録にすれば、それはレイコンマ1の差かもしれません。
  
  でも、表彰台というあきらかな差となって表れてくるのです。
  
  だから、選手たちはどれだけ練習しても悩むのかもしれません。
  
  私も45年間、泳いでいますが、未だにわかりませんし、また、
  
  わかる日が来ることは永遠にないと思っています」
  
  
  元記事はコチラ

日常生活をそのまま訓練の場としておられたのですね。

それぞれに打ち込んでいるものがあると思いますが、

日常生活と関係ないものはひとつもないと思います。

食事も、人との接し方も。。

日常生活がそのまま自分を向上させる場となれば、

こんなに素晴しいことはありませんよね。


心がけていきたいと思います♪


・・・・・・・・・

今月のミミさんのひとこと
選手にとって、24時間すべてが訓練の場であるということ

北京オリンピック開催まで1年を切り、スポーツ界ではカウントダウンが始まりました。この最高峰のスポーツの祭典でプレーするために、世界中のトップアスリートがいま、しのぎを削っています。

 こうしたアスリートたちがやらなければいけないことはさまざまありますが、その一つにあげられるのがコンディショニングです。いいプレーをするためには、試合当日に身体・技・心のすべてが、最高の状態でありたいからです。とはいえ、トップ選手ともなれば、試合当日だけではなく、試合時間にも合わせて調整を行ないます。それだけに、非常に微妙なのです。トップアスリートといっても、生身の人間。しっかりと準備していても、ほんのちょっとしたことで、調子が狂ってしまうからです。“試合の日よりも、翌日のほうが調子が良かった”なんてことが私自身にもありました。

 このように、最高のコンディションにもっていくためには、アスリートにとって日常生活を含めたすべてが練習やトレーニングの場になってきます。つまり、競泳の選手だから、プールで、トレーニングジムで鍛えていればいいというものではないのです。

 たとえば、スポーツ選手の資本といえば身体ですが、この身体は何でできていますか? そうです。私たちが毎日口にしている野菜や肉、ごはんや果物といった食べ物からできています。だから、何を食べるか、どう食べるか、ということがとても大切です。

 たとえば、パーティー。トップ選手ともなれば、パーティーに招待されるようなこともあります。そんなとき、見知らぬ人たちのなかで、どのように振る舞うか。あいさつの仕方、話し方、感謝の気持ちを表せるかどうか。こんなところも、やはり練習の場なのです。

 こうしたことから考えると、スポーツ選手にとって、どういう友だちとつきあうか、どんなところへ出かけるか、どういう人と会話をするか。練習場を離れてからも24時間、すべてが訓練の場になるのですね。そうして、それらの積み重ねが表彰台の台の高さの差に現れる。記録にすれば、それはレイコンマ1の差かもしれません。でも、表彰台というあきらかな差となって表れてくるのです。だから、選手たちはどれだけ練習しても悩むのかもしれません。私も45年間、泳いでいますが、未だにわかりませんし、また、わかる日が来ることは永遠にないと思っています。

 ミミスイミングクラブでも、記録会が近づいてきました。記録会は隣のレーンを泳ぐ人との戦いではありません。自分との闘いです。人がどう泳ぐか、何秒で泳ぐか、ではなく、自分がもてる最高のものを出す機会なのです。「記録会はドキドキする」のは当たりまえです。練習さえしていれば、結果はおのずと付いてきます。
「スタート」の合図がなったら、水の中ではおかあさんも助けてくれません。ゴールまで泳ぎきるには、これまでやってきたこと自分を信じるしかないのです。小さな大会ではありますが、ここを乗り越えれば、また一つ大きなものを得ることができるにちがいありません。みなさん、頑張りましょう。

ミミスイミングクラブ代表
木原 光知子


木原光知子さん死去=競泳東京五輪代表、タレントでも活躍 (時事通信) - goo ニュース

木原光知子さん死去=競泳東京五輪代表、タレントでも活躍 (時事通信) - goo ニュース

木原光知子さん(素直さ、真剣さ、敏感さ)

2007-10-19 | 成功の秘訣


木原光知子さん死去 東京五輪競泳代表(共同通信) - goo ニュース


東京五輪競泳代表であり、各方面で活躍していた

木原光知子さんが亡くなりました。


記事を読んでいたら、心に残る言葉がいくつもありましたので、

紹介させてもらいます。


「私自身が大切にしてきたのが、素直さ、真剣さ、敏感さの3つです。

 それはつまり、
 
 周りの意見を聞く素直さ、
 
 練習に取り組む真剣さ、
 
 人のいいところを感じ取ったり、今、自分に何が必要なのか
 といったことをきちんと感じ取れる敏感さ
 
 ということですね。

 それぞれが持っているいい資質を伸ばせるかどうか。
 この3つがすごく大切なんじゃないかと思います。

・・・・・・

なるほど、そのとおりですね。

技術以上に、心がけを大切にされていたことがよく分かります。


 ●すべて自分の責任

 水泳は道具を使わないスポーツですよね。
 自分の身ひとつで競い合うスポーツですし、
 泳ぐコースも決まっています。

 「ヨーイ、ドン!」といったら、もうだれも助けてはくれません(笑)。
 自分の手足を使って水をかいて、自分で息継ぎをするしかない。
 道具を使わないのだから、道具のせいにはできない。
 すべて自分の責任です。

 人として生きていくうえで、必要な要素がたくさん含まれています。
 単純なスポーツゆえに難しい。
 それが水泳の魅力であり、面白さじゃないでしょうか。

 泳ぐことをやめたら沈んでしまうだけですから、
 常に水と戦い、それでいて水と調和しなければいけない。
 人生に相通ずるところがたくさんありますね。

・・・・・・

スポーツをスポーツだけに終わらせず、人生に結びつけて

考えておられるところが素晴らしいと思いました。

つい他人のせいにしてしまいがち。

「すべて自分の責任」と腹をくくることはとても大事なことですね。


元記事はコチラ

SPORTS PERSON vol.4(スポーツ・ジャスト2005年9月号)
水泳 木原光知子さん


Michiko Kihara

1962年、中学2年生のとき、地元の岡山国体に出場し、100メートル背泳ぎで3位。「天才美少女スイマー」として大いに脚光を浴びる。そして64年、東京オリンピックに高校1年生で出場(当時、最年少)。400メートルメドレーリレーでアンカーを務め、4位入賞に貢献する。また、66年のアジア大会、67年のメキシコオリンピックプレ大会の100メートル自由形で優勝。その後、現役を引退し、水泳の指導・普及に尽力している。「水泳は有酸素運動であり、全身運動。とても健康的なスポーツですよ」と、子どもから高齢者まで年齢を問わず、指導にあたる。ミミスイミングクラブ代表。


「素直さ、真剣さ、敏感さ」を大切に
一生懸命に遊ぶ

 子どものころの私はとにかく活発で、魚釣りをしたり、どこかの家の柿を取ったり、イチジクを取ったりして(笑)、毎日のように外で駆けずり回っていました。女の子に対してはあまり使わないでしょうけど、一言でいえば、ガキ大将でしたね(笑)。

 夏休みになると、近所の友だちと一緒に県営プールにいって、暗くなるまで泳いでいました。まあ、泳ぐといってもただ飛び込んだり、石を投げ入れて、それをもぐって取ってきたり、夢中になって遊んでいたという感じですけど。

 当時を思い出すと、いろいろなアイデアを出し合って、自分たちで工夫しながら遊んでいましたね。しかも一生懸命に。

 親からものを与えられていないぶん、子どもたちは考えるしかなかった。逆に、だからこそ生きていくたくましさや知恵のようなものが育まれたんじゃないか、と感じます。

 危ないこともしましたよ(苦笑)。でも、子ども心に「これ以上はやめておこう」といったラインもちゃんとわきまえていたというのはあるんじゃないですかね。

 たとえば、今日は台風のあとだから、川の水かさが多くなっているし、色が違う。じゃ、魚釣りをするにしても泳ぐにしても注意しよう、と。

 柿を取る、イチジクを取るというときも、とにかく一生懸命。だって、先にカラスに取られるか、私たちが取って食べられるか、競争でしたから(笑)。



上には上がいる

 本格的に水泳をやり始めたのは中学1年生の6月、夏になる少し前のことでした。小学生のときの作文で、「将来は水泳選手になってオリンピックに出たい」というふうに書いていたのに、中学になって軟式テニス部に入っていました(苦笑)。

 その傍ら、陸上の大会になると借り出されたり、そんな生活を送っていたのですが、小学校の恩師から「あのとき、こういうことを書いていたけど、どうしたの?」といわれ、その恩師の知り合いの水泳の先生に指導していただくことになったんです。

 中学校の全国大会が初めて静岡で開催されるという話もあって、岡山県の予選で1位になれば全国にいける。だから、それを目指して頑張ってみよう、と。そんな感じで説得されて水泳を始めました。

 実際、県予選で中学新の記録を出して、全国大会に行くことができましたが、全国大会ではまったく振るわず、上には上がいることを思い知らされましたね。先生と記念撮影をして、夜行で帰ったのを覚えていますよ(苦笑)。

 それからというもの「どうやったら強くなるのか」を真剣に考えながらトレーニングしました。次の年に地元岡山で、国体が開催されることも自分にとって大きな意欲につながりましたしね。

 こういっためぐり合わせがあって「今の私がいる」とつくづく実感しています。

 そういうなかで、私自身が大切にしてきたのが、素直さ、真剣さ、敏感さの3つです。

 それはつまり、周りの意見を聞く素直さ、練習に取り組む真剣さ、人のいいところを感じ取ったり、今、自分に何が必要なのかといったことをきちんと感じ取れる敏感さということですね。

 それぞれが持っているいい資質を伸ばせるかどうか。この3つがすごく大切なんじゃないかと思います。

すべて自分の責任

 水泳は道具を使わないスポーツですよね。自分の身ひとつで競い合うスポーツですし、泳ぐコースも決まっています。

 「ヨーイ、ドン!」といったら、もうだれも助けてはくれません(笑)。自分の手足を使って水をかいて、自分で息継ぎをするしかない。道具を使わないのだから、道具のせいにはできない。すべて自分の責任です。

 人として生きていくうえで、必要な要素がたくさん含まれています。単純なスポーツゆえに難しい。それが水泳の魅力であり、面白さじゃないでしょうか。
 泳ぐことをやめたら沈んでしまうだけですから、常に水と戦い、それでいて水と調和しなければいけない。人生に相通ずるところがたくさんありますね。


 なぜ、背泳ぎを選んだのか? それは水に顔をつけるのが嫌だったからですよ(笑)。

 私が水泳を始めたのは、夏になる少し前という話をしましたが、掃除する前のプールで練習していたので、それこそフナが泳いでいたり、すごく汚かった。先生からは平泳ぎを勧められたのですが、「背泳ぎにします」と。

 まあ、これは半分冗談として(笑)、背泳ぎを選んだのはやっぱり60年のローマオリンピックに出場した田中聡子さん(100メートル背泳ぎ銅メダル)にあこがれていたからだと思いますね。

我慢強く見守る

 夏になると、5日間の短期水泳教室をやるんですが、その期間、練習してもうまく泳げない子がいます。でも、続ければ、6日目に息継ぎができるようになるかもしれない。25メートルを泳げなくても、いつか25メートルが泳げるようになるかもしれない。

 だから、子どもの可能性を信じて「ぜひ続けてください」というんです。

 成長していくには、子どもはもちろん、周りの大人、たとえば指導者や親が我慢しなければいけませんね。ところが、最初に「もうやめたら?」といってしまうのが親じゃないでしょうか。

 「これから」というときにやめさせてしまうのはもったいない。ですから、親御さんには我慢強く、子どもたちの成長を見守ってほしいと思いますね。



木原光知子さんプールで意識失い急逝(老少不定)

2007-10-19 | 



木原光知子さんプールで意識失い急逝(スポーツニッポン) - goo ニュース



東京五輪に史上最年少(当時)の16歳で出場し、

女子四百メートルメドレーリレーのアンカーとして

自由形を泳いで、4位入賞に貢献した

木原 光知子(きはら・みちこ)さんがくも膜下出血で

急死しました。


自由形の日本記録を何度も更新する実力とともに、

愛くるしい笑顔と「ミミ」の愛称で親しまれ、

モデルや「クイズDEデート」などの、バラエティー番組でも

人気を集め、女優としてドラマや映画にも出演していた

木原さん。

今月6、7の両日には、木原さんが

大会委員長を務めた女性による水泳大会

「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」が

行われており、

五十メートル自由形にも出場。

泳ぎを見た人は「あんなに元気そうだったのに」とショツクを隠せない

ようです。

大腸がんを患った母親の看病に力を注いでいたそうですが、、

その母親を残して亡くなってしまいました。

仏教のことばに「老少不定(ろうしょうふじょう)」という言葉があります。

「老」は老いた人

「少」は若い人

「不定」は定まっていない、ということで、

死んでいくのは、年老いた順とは限らないことをいいます。

自分は若いから、健康だから、と油断していると、

思わぬ臨終にあわてふためくことになってしまうかも知れません。

限りある命であることを知る自覚が、一日一日を大切にすることに

つながるはずです。

「今死ぬと
 
  思うにまさる宝なし
  
    心にしめて常に忘るな」


以下、その記事です。。

木原光知子さんプールで意識失い急逝

1964年の東京五輪に水泳選手として出場し、
引退後はタレントとしても活躍した
木原光知子(きはら・みちこ、本名木原美知子)さんが
18日午前1時25分、くも膜下出血のため神奈川県内の病院で
死去した。
59歳。通夜がこの日夜、東京都目黒区の斎場で近親者だけで
営まれた。
後日、お別れ会を行う予定。13日にプールで倒れ、帰らぬ人となった。

 木原さんは13日午後、神奈川県平塚市で開催された
 親子対象の水泳教室指導中に倒れた。
 プールの中で突然意識を失い、平塚市内の病院に
 運ばれたが、5日後に息を引き取った。

 突然の悲報に、木原さんをよく知る人は
 「酒豪だったが、つまみには脂ものを一切食べず、
 野菜スティックに粗塩を付けてボリボリと食べていた。
 健康に気を使っていたのに…」と声を詰まらせた。
 倒れる前日の12日には、代表を務める
 「ミミスイミングクラブ」のスタッフに
 「しっかりやろう!」と激励。
 関係者は「変わった様子などなかった」と振り返った。

 また、今月6、7の両日には、木原さんが
 大会委員長を務めた女性による水泳大会
 「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」が
 行われており、
 「この大会に全力投球した。その後“疲れた”と漏らしていた」(関係者)
 という。
 この時には五十メートル自由形にも出場。
 泳ぎを見た人は「あんなに元気そうだったのに」とショツクを隠せない。

 私生活では大腸がんを患った母親の看病に力を注いだが、
 その母親を残して旅立った。

 活躍は幅広い分野に及んだ。
 東京五輪では女子四百メートルメドレーリレーのアンカーとして
 自由形を泳ぎ、4位入賞に貢献。
 自由形の日本記録を何度も更新する実力とともに、
 愛くるしい笑顔と「ミミ」の愛称で親しまれ、
 一躍アイドル選手に。
 日大在学中に競技を引退しモデルに転身。
 「クイズDEデート」など、バラエティー番組でも人気を集め、
 女優としてドラマや映画にも出演。
 
 最近もTBS「みのもんたの朝ズバッ!」でコメンテーターを務めていた。

 2005年には日本水泳連盟理事に就任。
 水泳指導を行い、自らも選手としてマスターズ水泳の普及、発展にも貢献した。

 ◆木原 光知子(きはら・みちこ)本名・美知子。
 1948年(昭23)4月5日生まれ、
 岡山県出身。
 岡山・山陽女子高在学中に東京五輪に史上最年少(当時)の16歳で出場。
 68年のメキシコ五輪日本代表選考会に落選し、現役引退。
 71年に日大文理学部卒業後、タレントやスイミングアドバイザーとして活躍。
 05年には日本水泳連盟理事に就任。


AEDをご存じですか?

2007-10-18 | 

みなさんは、AEDをご存じですか?

日本語では自動体外式除細動器(じどうたいがいしきじょさいどうき、 Automated External Defibrillator,AED)
 
というようですが、 心臓の心室細動の際に電気ショックを与え

(電気的除細動)心臓の働きを戻すことを試みる医療機器のことです。

もし人が倒れていて、呼吸をしていないことが確認されたら、

すぐにAEDを使う必要があります。

日本における病院外での心停止の発生件数は、

年間2万~3万件と推測されます (*1) 。

この数字は、交通事故による死者数(*2)の3~4倍にのぼります。

店舗や施設などで、お客さまや来場者が突然倒れてしまったとき、

救急車が到着するまでの数分間、生死を左右するのは早期の救命措置です。

(*1) 「非医療従事者によるAEDの使用のあり方検討会報告書 2004.07.01」より
(*2) 2004年中、警察庁発表


心臓突然死の主な原因に、心筋の動きがバラバラになり、

心臓のポンプ機能が失われる【心室細動】があります。

心室細動発生から1分ごとに救命率が7~10%下がるといわれ、

  

いかに早く救命処置をするかが生死を分けることになります。

強い電気ショックを与えて心筋のけいれんを除去する電気的除細動は、

最も効果的な方法だといわれています。

この電気的除細動を自動的に行うのがAEDです。


日本ではこれまで、AEDを使用できるのは医師や救急救命士に限られて

いましたが、

2004年7月から、救命のためであれば一般市民も使えるように

なりました。

AEDの操作は驚くほど簡単です。

音声ガイダンスに従って、電極を傷病者の胸部へ張付け、

解析結果に基づいて適報ボタンを押すだけですみ、

操作に高度な専門知識を全く必要としません。

元記事はコチラ


  

以下は、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からです。

自動体外式除細動器
(じどうたいがいしきじょさいどうき、
 Automated External Defibrillator,AED)は、
 心臓の心室細動の際に電気ショックを与え(電気的除細動)、
 心臓の働きを戻すことを試みる医療機器。
 日本で現在承認されている製品は薬事法上の、類別・機械器具12、
 一般的名称・半自動除細動器あるいは非医療従事者向け自動除細動器に
 該当する。
 海外の一部製品にあるような、完全に自動化された除細動器ではない。


■ 機器の概要
心臓が停止した場合には作動しない。
心室細動の場合のみ作動する。
一刻も早く人工呼吸、心臓マッサージを行うとともに
除細動器(AED等)によって心臓に電気ショックを与えることが必要となる。

使い方は、電源を入れ、電極パッドを胸に貼り付けると心電図を解析して
電気ショックを与えるべきかを調べる。
電気ショックが必要と解析した場合には、機械の指示に従ってスイッチを
押すと電気ショックを与える。
従来の除細動器は医師などの専門家が使用することを想定されて
いるため手動式であるが、空港などに公共の場に配備されている
自動体外式除細動器(AED)は、操作を自動化して医学的判断ができない
一般の人でも使えるように設計されている。
操作はいたって簡単で、AEDの発する指示音声に従ってボタンを押すなど
2~3の操作のみで、取り付けもピクトグラムで分かりやすく説明されており、
医療知識や複雑な操作なしに電気的除細動が実行される。
AEDによる除細動の施行と併せて、そばにいる者が心臓マッサージ・
人工呼吸を継続して行うことも救命のために絶対不可欠である。

実際にAEDを一般市民が使うケースは非常に多いと考えられる。
日本では救急車が現場到着するまで平均で約6分強を要するが、
心室細動の場合、一刻も早く電気的除細動を施行することが
必要とされており、6分も待つ余裕は全くない。

救急車の到着以前にAEDを使用した場合には、救急隊員や医師が駆けつけて
からAEDを使用するよりも救命率が数倍も高いことが明らかになっている。
こうしたことから、AEDをなるべく多数配置するとともに、一人でも
多くの住民がAEDに関する知識を有することが非常に重要だとされている。
一般に温度や発見などの場所にも異なるが大体

心停止3分で死亡率は50%。
また呼吸停止では6分で死亡率50%。
大量出血(出血地点や静脈、動脈によって大きく異なるが大体)30分で死亡率50%と
言われている
(出血量は全体の血の量の3分の1を切ったら人間は死亡するといわれている)。

また現在では子供用のAEDパッドが認可され始めているので、
1歳以上の子供なら使用できるようになってきている。


■ 日本の状況

空港や飛行機内、ホテルなどの公共施設に広く設置され、消火器などと同様に、
万一の事態が発生した際にはその場に居合わせた人が自由に使えるように
なっている。かつて日本では、医師しか使用が認められていなかった。

2003年になって、ようやく救急救命士に使用(医師の指示なく)が認められ、
2004年7月からは一般市民も使えるようになり、空港や学校、球場、駅などの
公共施設に設置されることが多くなった。
2005年に開催された愛知万博ではAEDを多数配置しており、
これによって助かった人が少なからずいる。
また2006年7月には大手鉄道事業者の中で初めて、東京都交通局が都営地下鉄
全101駅へのAED設置を完了した。
2006年には東海道新幹線主要駅やJR東日本の新幹線全駅にAEDが設置され、
そのほかの鉄道事業者でもAEDの導入が進んでいる。

日本で、一般市民がAEDを使用できるようになった背景には、
アメリカ心臓協会(AHA:American Heart Association)が中心となって
策定した救急蘇生国際ガイドラインによりAEDの高い有効性が実証されたことと
併せて、2002年に高円宮憲仁親王がスポーツ活動中の心室細動により急逝した
ことの影響も大きいとされている。

なお、北海道教職員組合は教員に講習受講が強制されている事、有効性への
疑問を元に、学校へのAED導入について反対している。


■ 使用法
この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

使用例1
使用例2。
AEDのパッドを貼る位置AEDを使用する場合、心肺蘇生を合わせて行う
必要がある。
AHAの2005ガイドラインによると、AEDの使用の前に心肺蘇生を行うことと
されている。
AEDの使用方法は比較的難しいものではないが、心肺蘇生は一定の訓練を
受けなければ実践は困難である。
また製品により取扱いや音声ガイダンスに若干の違いがあることから、
義務ではないが取扱いには事実上訓練が必要となる
(旧来の蘇生講習を受けた人にも取扱の受講が推奨されていて、
 受講後は補講修了証が発行されている)。

AEDがその機能を発揮するのは心室細動(Ventricular Fibrillation)を
起こしている心臓に対してであり、正常な拍動をしている心臓・完全に
停止している及び心房細動を起こしている心臓に対してはAEDの診断機能が
「除細動の必要なし」の診断を下し通電は行われない。
その際は通常の心肺蘇生法等による救命処置を行う。

またその効果を十分に発揮させるためには、

患者前胸部の汗を拭い、胸毛の薄い部位を見極め(電極パッド貼付部分だけでよい)、
金具(腕時計、ネックレスなど)・貼り薬(湿布、膏薬等)などを取り除いてから
装着する。
また電極パッド貼付は心臓ペースメーカー装着部から3cm程度離れたところが
よいとされる。
(一連の処置は冷静且つ迅速・的確に、が基本。AED本体等に、日本語で電極パッド
 貼付部位や施行順等が書かれている。声に出して読みながら処置し、
 心を落ち着かせるのも一法。)
電極を貼り付ける際に体毛が濃い人の場合には剃毛を行い
(剃刀はAED内に入っている)
もしくは,パッドが2セット入っている時は,一度パッドを貼って、
パッドの粘着部で毛を剥がし(ガムテープで毛を剥がす要領で)、
新しい電極パッドを使ってカウンターショックを加えても良い。
電極の貼り付け場所に傷がある人はその部分を避ける(火傷の恐れあり)。
電極は心臓を挟むように貼ればいいので胸と背中に貼ってもよい。
医師等の指示があるまで電極は外さないこと。
(一度貼った電極をはがさない・位置を変えない事が肝要。
 電極貼付位置を変えてしまう事により、僅かながらでも心電図の
 波形その他データが変わる可能性があり、
 より正確な診断と処置の妨げとなる可能性がある。)
 
 又、一度入れたスイッチはオンのままとすること。
心電図解析中は誤診を防ぐ為に、また救助者等が感電しないよう通電時にも、
患者に触れない様に、周囲の者にも注意。
(「一歩下がって! いいですね!? いきます!」等と大声で合図するのが
  望ましい)

野次馬等を遠避ける。AEDによる処置の必要性はTPOを問わず発生し得る訳で
あるから、老若男女問わず「胸を肌蹴させる」事に対するプライバシー
についても、救命優先の上で、可能な限り配慮すること。

例えば、数人が救命措置を行い、数人は関係者以外が覗き込んだりしない様に
誘導したり、衣類や大きな布等で四方の覆いをするなど。
(繰り返すが、「人命救助」が、最優先である!)
誰にでも使用方法がわかるように、AED設置場所に、使用方法を記載した
大きい表示板を設置しているところもある。


■ 成人の傷病者に対する救命手順(AEDがある場合)

人が倒れた
倒れている人の周囲(上下サイド全方向)に、二次災害となり得る危険な状況が
ないか。
もしくは可能性がないかを声出しで確認し、救護に向かう。
救命される方もする方も、安全な環境のもとにいる事・もしくは、
安全な環境を設定する事を忘れずに。
その為には、他にも人がいる場合、手伝ってもらうのが望ましい
(大声を出し、可能な限り人を呼ぶ)。
心肺蘇生は,一人で長時間続けるのは慣れていないと体力がもらないので,
交代で行うことが賢明。
救急車を呼び、AEDを用意する。各々の役割分担や状況判断を瞬時に
出来る人がリーダーとなり、指示が機能されるのが望ましい。
誰も来なければ、まず自分が救急隊を手配する。
呼吸を10秒以内で確認(日常的に蘇生に携わる人は脈も確認)
呼吸がなければ人工呼吸を2回
胸骨圧迫心臓マッサージと人工呼吸を30:2で行う。
これをAEDが届くまで続ける。
AEDが届いたら電源を入れ、電極パッドを体に貼り付け
(AEDは意識がなく呼吸のない人のみに用いる 除細動の適応で
 なければ充電しない。心室細動・心室頻拍の場合のみ、機器が自動で充電)

充電が完了したら安全を確認して除細動。
機器の音声案内に従いすぐに心肺蘇生法を再開。
パッドは救急隊が到着するまで外してはいけない。
電源を切ってもいけない

(注)正常な人にAEDの電極を付け、スイッチを入れてもとくに問題はない
(その場合はAEDが判定しショック印加はされない)。


■ AEDがない場合
心肺蘇生法を参照


■ 講習を受けるには
公的団体
日本では、各地の消防本部や日本赤十字社がAED講習会を開催している。病院や保健所で独自に行っているところもある。
民間団体
アメリカ心臓協会(AHA:American Heart Association)公認講習を開催する日本ACLS協会や、メディックファーストエイド社、国際救急救命協会が一般市民向けにトレーニングを提供している。




内藤大助、亀田大毅下を下し最年長防衛(防衛後、いじめられっ子を対象とした講演会を開く考え)

2007-10-17 | その他


内藤大助選手が初防衛に成功!

大差の判定で亀田大毅選手を下しました☆

最年長防衛だそうですね。

いじめがきかっけにボクシングをはじめた内藤選手。

内藤選手は、最終調整を終えた時、初防衛成功後に

いじめられっ子を対象とした講演会を開く考えを

明かしていたそうです。


予備検診の日、亀田大毅選手は


「アイツはいじめられっ子やろ。オレはいじめっ子や」


 と発言した。

それに対して、内藤選手は

「そういうのを聞くとゾクゾクするね。
 いじめで自殺とか、いまだにあるわけじゃないですか。
 オレはリアルなことをされたからね。
 (いじめられっ子に)試合を見てほしい。
 それでステージに上がって話したい」。

と返答したとのこと。

これからも頑張ってもらいたいです!!

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、亀田はひどかった。。。

これを機会に、改めてもらいたいものです。

映像はコチラ


以下、記事です。

切腹?ネチネチ言ったらかわいそう(スポーツニッポン) - goo ニュース


 <内藤に聞く>

 ――見事、国民の期待に応えました。

 かみさんと「負けたら夜逃げだね」って話していたのでホッとしてます。

 ――緊張は?

 ボク、キャリアがあるから。亀田、亀田とは思ってなかった。

 ――大毅選手の印象は?

 思ったより良い選手。ただ、見えないところで反則が多かった。サミング(目つぶし)とか太腿を叩かれて痛かった。顔を叩く練習すればいいのに。もったいない。

 ――33歳1カ月の最年長防衛ですけど?

 おっちゃんですね。オレも18歳の頃、(33歳は)そう思った。

 ――大毅選手は切腹するんですかね?

 最初から切らないの分かっているでしょ(笑い)。

 ネチネチ言ったらかわいそうだし。

 ――全国のいじめられっ子に伝えたいことは?

 いじめられっ子がいじめっ子に勝った。

・・・・・


亀田3兄弟の次兄・大毅(18=協栄)が前代未聞の反則劇の末に
初黒星を喫した。
11日、東京・有明コロシアムで行われたWBC世界フライ級王者・
内藤大助(33=宮田)への世界初挑戦で、敗色濃厚の終盤に相手を
抱えて投げるなどのレスリング行為を連発。
最終回は減点3を受ける醜態をさらし、大差で判定負けした。
日本人選手との初対戦で経験不足を露呈するとともに、
数々の日本人名王者を生んできたフライ級の世界戦史上に汚点を残した。

もはやボクシングではなかった。
KO以外、逆転がなかった最終12回。
大毅は序盤から高く上げた両ガードを解き、打ち合いに出たが、
全く当たらない。
いら立ち、内藤にタックルを見舞って押し倒すと、
右のパンチを王者の頭部に見舞った。
減点1が科せられると逆上し、今度は内藤の左脇に頭を入れ、
プロレスのスープレックスのように持ち上げて投げた。
レフェリーは「故意」と判断して減点2を追加。
本能を封じ、拳ひとつで優劣を競うボクシングの美学はもろくも崩壊した。

ヘッドロックにサミング(目つぶし)、すくい投げにもろ手刈りと
プロレス技のオンパレード。
試合中に内藤を12回も押し倒した。
日本ボクシングコミッション(JBC)の安河内剛事務局長が
「1回に減点3?記憶にない」と指摘したほどの暴走。
試合後、ボディーガードに囲まれた大毅は控室へ直行し、
10分ほど引きこもった後に姿を見せたが、
取材を拒否して会場を去った。
「負けたら切腹と言っていたが?」と試合前の公約について問われると、
長兄・興毅が質問者を無言でギロリとにらんだ。
観客から発せられた「大毅、腹を切れ」のヤジにも腕組みしたまま。
陣営は一言も発せず、父・史郎トレーナーが関係者を通じて
「この悔しさをバネに頑張るしかない。大毅は一からの出直しや」と
コメントを残しただけだった。

3兄弟の中でボクシングに懸ける思いが一番乏しく、
史郎トレーナーに怒られ、泣きながら練習してきた。
「ボクシングは仕事。楽しくなんかない」と言いながら、
兄に続いてつかんだ世界のチャンス。
ガードを固めては接近し、左フックを振るったが、
単調で勝ち目はなかった。
初の日本人対決で、日本史上最年少世界王者の記録がかかった
注目の一戦。
しかも、白井義男やファイティング原田ら数々の日本人王者を
生んできた伝統のフライ級の世界戦で、醜態をさらしてしまった。

 亀田家2本目の世界ベルトの夢は、もろくも砕け散った。
 協栄ジムの金平会長は「内藤と12回戦える18歳は
 日本中を探してもいない」とかばったが、
 プロ11戦目の初黒星はあまりにも問題を残した。
 今後の去就は不明だが、もしボクシングを続けるのなら、
 リング内で自らの拳を使って汚名を返上するしかない。




33歳内藤、最年長防衛=亀田大は最年少王者ならず-WBCフライ級 (時事通信) - goo ニュース

反則技連発!大毅が世界戦汚した(スポーツニッポン) - goo ニュース


 「負けたら切腹」。WBC世界フライ級14位の亀田大毅(18=協栄)が前代未聞の公約を掲げた。同級王者・内藤大助(33=宮田)とのタイトル戦は11日、東京・有明コロシアムでゴングが鳴る。決戦前日の10日、都内で行われた調印式と計量で両選手は初対面。敵意むき出しの舌戦を展開し、大毅は切腹宣言で王者を挑発、一方、内藤は「アンチ亀田の国民の期待に応える」と余裕で必勝を宣言した。

 懸念された乱闘はなかった。しかし、大毅の挑発的な「先制口撃」で、会見場は一触即発の緊張感に包まれた。

 大毅「負けたら切腹するよ」

 内藤「本当にやんの? 負けたら絶対にやれよ。なにで切腹すんの?」 

 大毅「お前がもってこいや。お前負けたら切腹するんか」

 内藤「おれはしないよ」

 史郎トレーナー「そんなんで成立するか」

 大毅「思いが違うねん。根性ゼロや」

 内藤と亀田一家の間には、数年前から険悪な空気が漂っていた。日本フライ級王者だった内藤が、日本人と対戦しない亀田兄弟をメディアを通じてたびたび挑発。一方、亀田の父史郎トレーナーは内藤を「ゴキブリ」と切り捨てた。対戦決定後は調印式まで1度も顔を合わせないように周囲も配慮してきたが、初顔合わせと同時に、お互いこれまでの思いが噴き出した。

 舌戦には記者席に紛れ込んだ兄興毅も参戦した。内藤が大毅の印象について「ないです」と返した直後だった。

 興毅「国民の期待に応えたれよ」

 内藤「おれの会見やってんだよ」

 興毅「応えたれ、応えたれよ、しっかりな」

 内藤がアンチ亀田が増えていることを意識して「国民の期待に応えます!」とのメッセージを添えてつくったポスターを、興毅は攻撃的な口調で皮肉った。

 もっとも両選手とも強気発言には、万全調整の裏付けがある。33歳1カ月の日本人最年長防衛を目指す内藤は、600キロを走破。若い挑戦者に負けない体力をつけた。一方、18歳9カ月5日の同最年少世界王座奪取を狙う大毅も、メキシコと日本で100ラウンドを超えるスパーリングを消化。キャリア不足を豊富な実戦練習で補った。

 調印式での服装も対照的だった。大毅はハーフコートと靴を金色で統一した派手ないでたち。内藤はグレーのジャージー姿だった。

 大毅「金は輝いとるからや。王者はそんなもんや。スター性が違うやろ。内藤君これ着ても似合わんと思うわ」

 内藤「それを着て似合う人もなかなかいないと思うけど」

 会見後、挑戦者の切腹発言について王者は笑いながら言った。「勝ったらぜひやってもらいましょう」。一方で「でもあの勘違いが怖い」と引き締めることも忘れなかった。【田口潤】

大毅が内藤挑発「負けたら切腹」の公約(日刊スポーツ) - goo ニュース

罵声の嵐!大毅弱かった…王者・内藤に0-3大差負け(サンケイスポーツ) - goo ニュース

亀田大1年、父は無期限ライセンス停止=兄の興毅、金平会長も処分-ボクシング
2007年10月15日(月)20:35

 日本ボクシングコミッション(JBC)は15日、倫理委員会(委員長=斎藤慎一専務理事)を開き、11日の世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトル戦で反則行為を繰り返した亀田大毅(18)=協栄=にボクサーライセンス停止1年、セコンドについた父親の亀田史郎氏(42)にセコンドライセンス無期限停止、同じくセコンドを務めた兄の亀田興毅(20)=協栄=に厳重戒告、協栄ジムの金平桂一郎会長(41)にクラブオーナーライセンス停止3カ月の処分を満場一致で決めた。JBCが試合中の反則をめぐり厳罰を下すのは異例。同日付で発効し、4人は不服があれば異議申し立てができる。

 倫理委では試合のビデオ検証の結果、亀田大を「世界戦を冒涜(ぼうとく)した」と断罪。選手生命にも影響を及ぼす処分となった。史郎氏は試合開始前のレフェリーチェックの際に内藤を威嚇した上、反則を指示した可能性があるとされた。今後は指導にかかわることも禁じられる。亀田興は反則の指示ともとれる不適切な言動が問題とされた。一方、統括団体としてのJBCの管理監督責任は問われなかった。

 倫理委に先立ち、ジム会長らで組織する東日本ボクシング協会(大橋秀行会長)は理事会で、処分をJBCに要望することを決め上申していた。

 史郎氏は13日に大橋会長に対し、自身と兄弟の3人全員がいずれも3カ月間、謹慎することを申し出ていたが、同氏についてはライセンス剥奪(はくだつ)を求める声も多く、当事者が考えた以上に重い裁定となった。また、東日本協会は独自に金平会長に厳重戒告などの処分を科した。


亀田大1年、父は無期限ライセンス停止=兄の興毅、金平会長も処分-ボクシング (時事通信) - goo ニュース


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