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幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


自著『第3の幸せ』【60ページ無料プレゼント中】         

何を目的に生きてくの 口には出せない不安を抱きしめて(ユーミン)

2007-10-20 | 不安



ユーミンの「DAWN PURPLE」というアルバムの中に

「情熱に届かない-Don't Let Me Go」
という歌があります。
その歌詞から

Today's music 
きっと それぞれに 思ってた
何を目的に生きてくの
口には出せない不安を抱きしめて
ずっと ずっと・・・・
ブログテンプレート

誰もが、口には出せない不安を抱きしめながら
孤独に震えながら、何のために生きてゆくのか
わからないまま、日々を過ごしてゆく。

 ところで、私たちの生活において必要不可欠なものって
 何でしょうか?
 →衣食住・・

 じゃあ、衣食住さえ満たされたら、それで幸せなのかな?
 ちょっと考えてみましょう!

 大学に来たのは勉強して、将来、就職するため、
 そうやって働くのは、お金を稼ぐため、
 お金を稼ぐのは、衣食住を満たすため、
 衣食住を満たすのは生きるため?

 じゃあ、生きるのは何のため?
 
  
     ?←生きる  仕事←大学(勉強)
       ↑      ↓ 
       衣食住  働く  
       ↑      │
       └─お金←┘ 

 これが分からなかったら、結局、働くために生きていることになってしまう。

      生きる──―┐
       ↑      ↓ 
       衣食住  働く  
       ↑      │
       └─お金←┘ 

■これを一休は、

 「人生は食て寝て起きて糞たれて
         子は親となる  子は親となる」

 といっている。

 考えてみたら、毎日が同じことの繰り返し。

 布団の上げ下ろしの繰り返し
 台所とトイレの往復、なんとなく忙しくして一日が過ぎてゆく。

 「大学生はたいてい、学校に行くとまず掲示板を見て、休校が・・・
  ~毎日つづく単調な日常に、「嫌になっちゃうよ」と、多くの人が
  感じているからではないでしょうか」

 と言われます。
 だから、少しでも自分を変えよう
 自分を変えたいという人もあると思います。

 おしゃれしよう
 遊びに行こう
 ゲームをしよう

 土日に遊んでも、また、もとのつまらない一週間が始まる。
 

■芥川龍之介は
 朱儒の言葉に「人生は狂人の主催したオリンピック」と書いています。 

 生まれてより、走れ!
 負けないように走れ!

といわれる。

 疲れて倒れそうになったときにも
 負けるな走れ!
 
 でも、どこまで走ったらいいのでしょうか?

 毛局、芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」から
 自殺までしています。

■私たちは、あそこがゴールだ!と目的地がはっきりしていてこそ、
 頑張って走ることができます。
 
 同じように一生懸命生きるのは、
 このためだと生きる目的がハッキリしていてこそ
 苦しみに負けず、生きることができるのですよね。
 
 だから、人生の目的を知ることは、どんな人にとっても
 大事な問題ではないでしょうか??
 
  





ノーベル賞博士、DNAの二重らせん構造を発見したジェームズ・ワトソン差別発言

2007-10-20 | その他



ノーベル賞博士、差別発言(産経新聞) - goo ニュース

これはそうとう物議をかもしますね。。

ノーベル賞博士、差別発言

 DNAの二重らせん構造を発見し、
 1962年のノーベル医学・生理学賞を共同受賞した
 米コールド・スプリング・ハーバー研究所会長の
 ジェームズ・ワトソン博士(79)が
「黒人は知能で白人に劣る」と発言し、
 新著宣伝のため訪問していた英国内で波紋を広げている。

 政治、宗教、人種問題をめぐる歯にきぬ
 着せぬ発言で知られる同博士は、14日付の英日曜紙
 サンデー・タイムズのインタビューで
「アフリカの人々(黒人)の知能はわれわれと
 同じという前提で社会政策がつくられているが、
 すべての知能テストがそうではないことを示している」
 と発言。

「今後10年内に遺伝子が人間の知能に差を
 もたらしていることが発見されるだろう」などと語った。


 19日に同博士の講演を予定していたロンドンの
 科学博物館は17日、
「博士の発言は科学的論争の限界を超えている」として
 講演会の中止を決定した。

・・・・・・

ジェームズ・ワトソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ノーベル賞受賞者
受賞年: 1962年
受賞部門: ノーベル生理学・医学賞
受賞理由: 核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見

ジェームズ・ワトソン(James Dewey Watson, 1928年4月6日 - )
DNAの分子構造における共同発見者の一人として知られる、
アメリカ出身の分子生物学者である。
ワトソン及び、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスらは、
「核酸の分子構造および生体における情報伝達に
 対するその意義の発見」に対して、
 1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。


シカゴ大学卒業後、米インディアナ大大学院で生物学を専攻。

グアニン (G) と シトシン (C)、アデニン (A) と チミン (T) の四つの塩基とデオキシリボース(糖)とリン酸基の分子模型を用い、DNA構造の研究をしていた際に、ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折の写真をモーリス・ウィルキンスから紹介された。このX線回折のデータを参考にして、フランシス・クリックらと議論の末、DNAの二重螺旋構造を発見した。其の事がのちの分子生物学の飛躍的発展に繋がり、彼はクリックやウィルキンスとともに1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

1968年から1993年にかけてニューヨークのコールドスプリングハーバー研究所の所長をつとめ、現在は会長。1989年から1992年には、NIH(国立衛生研究所)の国立ヒトゲノム研究センター初代所長もつとめる。全米科学アカデミー及びイギリス王立協会(ロイヤルソサイエティ)会員。大統領自由勲章、全米科学界の栄誉とされるアメリカ国家科学賞を受ける。

2007年5月31日には、ベイラー医科大学と米バイオ企業「454ライフサイエンシズ」が共同で解析したワトソンの遺伝子情報が、国立バイオテクノロジー情報センター(NCBI)のデータベースに公開された。誰のものかが明らかにされているゲノム情報が公開されたのはこれが史上初である。


[編集] 主な著書
『二重らせん』(原題The Double Helix)江上不二夫・中村桂子訳 講談社文庫1986年 : ワトソンの回想録
『遺伝子の分子生物学』
『DNA』(原題The Secret of life)アンドリュー・ベリー共著 青木薫訳 講談社2003年 

黒人差別発言で講演中止に ノーベル賞のワトソン博士(共同通信) - goo ニュース

香取慎吾がイメチェン!フジ系「ガリレオ」で頭脳派殺人犯に挑戦

2007-10-20 | 煩悩


香取慎吾がイメチェン!フジ系「ガリレオ」で頭脳派殺人犯に挑戦(サンケイスポーツ) - goo ニュース


30)がフジテレビ系「ガリレオ」(月曜後9・0)の第4話(11月5日放送)に犯人役でゲスト出演することが16日、分かった。

 歌手で俳優、福山雅治(38)扮する天才物理学者の湯川学が、新人女性刑事の内海薫(柴咲コウ)らが持ち込む摩訶不思議な事件を解決する物語。香取は、湯川をもうならせる頭脳の持ち主で物理学専攻の大学院生、田上昇一役。主演作「西遊記」の孫悟空役が記憶に新しい香取が、人気キャラクターの悟空から一転、今度は頭脳派の殺人鬼に挑む。


 福山とはドラマ初共演で、「むちゃくちゃ楽しみ」と今から収録を心待ちにし、役作りのため悟空で定着した金髪から髪をナチュラルな茶色に染め上げた。
「人間には、例えば悟空のようなヒーロー的なところと、田上が持っているダークサイドの部分がある。いろんな役を通して、人間の持ついろんな感情を演じていきたいので、こういう形で田上役を演じることできるのはとてもうれしい」と演者としての醍醐味を味わっている。


 同ドラマは、東野圭吾氏の人気小説のドラマ化に加え、福山の4年半ぶりの主演作。15日の初回放送は平均視聴率24.7%(ビデオリサーチ関東地区調べ)の高数字をマークし、好発進した。毎回登場するゲストも見どころのひとつで、香取という強力援軍を得て、ますますヒートアップしそうだ。

  

人間、みなダークサイドの部分を持ってますよね。

東野圭吾さんの小説はその部分を巧みに著わして

ますよねー

東野圭吾さんの「手紙」も大変感動でした。



廃止の優先席、復活へ 阪急電鉄、譲り合いの理想挫折(床座施を実践しよう☆)

2007-10-20 | 因果の道理



「全席譲り合い」挫折、優先席復活へ 阪急、能勢電鉄(神戸新聞) - goo ニュース


廃止の優先席、復活へ 阪急電鉄、譲り合いの理想挫折

8年前に全国で初めて車内の優先席を廃止した阪急電鉄は、

10月29日から全線で復活すると17日、発表した。

乗客同士の譲り合いの精神に期待し

「全席が高齢者や障害者優先」としていたが、

お年寄りの利用者らから「譲ってもらえない」

「優先席があった方が譲ってもらいやすい」などの

声が寄せられ、現実の前に理想が挫折した形。

関連会社の能勢電鉄、神戸電鉄も同時に復活させる。


・・・・・・

雑宝蔵経というお経には「無財の七施」といわれるものが

教えらえています。

財がなくても出来る7つの施し(親切)ということですが、

その中に床座施(しょうざせ)といわれるものがあります。

これは、席をゆずるという親切ですが、

ちょっとしたこころがけでできる親切ですよね。

早く優先座席がなくても良いように、まず自分から実践

していきたいと思います♪

譲り合いの心、はかなく=全席優先座席を廃止-阪急電鉄 (時事通信) - goo ニュース

名女優デボラ・カーさん逝去(「地上より永遠に」「王様と私」「めぐり逢い」)

2007-10-19 | 


デボラ・カーさん=英国人女優(読売新聞) - goo ニュース

映画「王様と私」や「地上(ここ)より永遠(とわ)に」の

名演技で知られた英国人女優、デボラ・カーさんが16日、

英東部サフォーク州で亡くなりました。

86歳でした。

ここ数年はパーキンソン病を患っていたそうです。

カーさんは1921年、英スコットランド生まれ。

アカデミー主演女優賞に計6度ノミネートされますが

受賞できず1994年に、アカデミー名誉賞を受賞した、

往年の名女優です。

数ある出演作品から

『めぐり逢い』- An Affair to Remember (1957)
『王様と私』- The King and I (1956)
『地上より永遠に』- From Here to Eternity (1953)

を紹介しましょう☆

■めぐり逢い

  
簡単なストーリーは次のようなもの

元記事はコチラ

ニューヨークに向かう豪華客船の中。
画家のニッキーは、その船のデッキで歌手のテリーと出会う。
2人は間もなく意気投合し、徐々に仲が深まっていった。
やがて、恋愛関係へと発展していった彼らは、
ニューヨークに到着するまでには互いにかけがえのない存在となる。
そして、この愛を確信するため、数ヶ月後にマンハッタンの
エンパイアステートビルの屋上で再会することを誓う2人。
約束の日、再会の場へ向かうテリー。
だが、彼女はその道中で交通事故に遭ってしまう。
一方、ニッキーはそんな事を知る由もなく、
約束の場所でテリーを待ち続けるのだった。
そして…。

 トム・ハンクス、メグ・ライアン主演の
 『めぐり逢えたら』(1993)では、この『めぐり逢い』(1957)が
  重要なモチーフとして取り入れられ大ヒットしました。

 悲恋であり、かつ最後まで夢をあきらめない上質な映画です。
 ラストは涙、涙ですね。
 
 完全ネタばれでも知りたい人は、コチラ

 詳しく感動的に書かれています☆

■王様と私

  

 元記事はコチラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

王様と私
The King and I
監督 ウォルター・ラング
製作 20世紀フォックス・スタジオ
チャールズ・ブラケット
脚本 アーネスト・レーマン
出演者 ユル・ブリンナー
デボラ・カー
音楽 リチャード・ロジャース
オスカー・ハマースタイン2世
アルフレッド・ニューマン
撮影 レオン・シャムロイ
公開 1956年6月 アメリカ
上映時間 133分
製作国 アメリカ
言語 英語/タイ語

王様と私(おうさまとわたし、The King and I )は、マーガレット・ランドンが1944年に発表した小説「Anna and the King of Siam」(アンナとシャム王)を原作として、1951年に初演されたミュージカル作品、および1956年に製作されたアメリカ映画。ロジャース&ハマースタインのミュージカル、ミュージカル映画として名高い。

映画「王様と私」は、同原作で1946年に製作された映画「アンナとシャム王」(Anna and the King of Siam)のミュージカル・リメイク。原作は、1951年初演のミュージカル、1956年製作の映画のほかにも、繰り返しリメークされている。

19世紀のタイ国王ラーマ4世の王太子(後のラーマ5世)の教育係として雇用されたイギリス婦人アンナ・レオノーウェンズが、文化の違いに悩まされながらも、しだいに理解を深めて行く課程を描いたもので、いわゆるウェスト・ミーツ・イースト(West meets East)ものである。

●あらすじ

1860年代のこと、夫を亡くしたイギリス人女性、アンナ・レオノーウェンズは、王子・王女の家庭教師として、タイ王国の首都バンコクの王宮に迎えられた。アンナは、封建的なタイ王室に近代の風を取り込もうとして、伝統としきたりを重んじる頑迷な王様と対立してしまう。しかし、衝突と対立を繰り返すうち、次第に二人は引かれ合い、愛し合うようになる。


●この作品で「アンナ」役のデボラ・カーはゴールデングローブ賞
 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞しました。


● タイ王国における作品の扱い

「王様」のモデルは、タイ仏教の改革と列強諸国との
外交に努めたタイ国王・ラーマ4世(在位:1851年 - 1868年)とされる。
王が、イギリスからアンナ・レオノーウェンズ女史(Mrs. Anna Leonowens)を
家庭教師に招き入れ、西洋の教育を子弟に行った。

アンナ女史は、この体験を元にして、
1870年に「The English Governess at the Siamese Court」
(英国婦人家庭教師とシャム宮廷)を、
1873年には「Siamese Harem Life」(シャムの後宮生活)を著した。
両書を元に、マーガレット・ランドンが小説
「Anna and the King of Siam」(アンナとシャム王)を創作。
これがミュージカルや映画の原作となった。

ただし、アンナ女史の著書にも創作と誇張が多く、アジア蔑視と思われる点が散見されると指摘される。現在でも国王と王室が尊崇敬愛され、不敬罪が定められるタイでは、「王様と私」の上演・上映が禁じられている。


● 実際のレオノーウェンズとタイ国王
フィクションでは、夫を無くしたイギリス在住の婦人が教育係として請われて、初めて東洋に足を踏み入れることになっているが、実際のレオノーウェンズはインド生まれで生涯の大半をインド、東南アジアで暮らしており、東洋の文化には慣れていた。また、教育係(govenor)ではなく、単なる英語教師を募集していたのを見て応募したものであり、ラーマ4世との関係もそれ程深いものではなかったと言われる。王太子(後のラーマ5世)が即位後、奴隷制を廃止するのはレオノーウェンズの教育(アンクル・トムの小屋の話をした)の影響の様に描かれるが、単なる時代の流れへの対応と見られている。なお、レオノーウェンズの息子ルイは、その後タイに定住し実業家となっており、彼の残した会社は現在でも存在する。 (王族の娘と結婚している)


●「王様と私」のモデルーラーマ四世

往年の大スター「ユル・ブリンナー」主演のハリウッド映画
「王様と私」は、バンコク王朝四代目のモンクット王を描いています。
スキンヘッドにちょっとコミカルでエキゾチックな王様が印象に
残っている方も多いと思います。
ラーマ四世は、多彩な顔を持つ王様です。
即位までの26年間、僧として修行生活を続けた方です。
その長い修行生活の中で、腐敗していたタイ仏教界の
建て直しを試みました。
また、西洋の科学技術、文化への造詣が深く、
英語も堪能でした。
更に,高貴な方でありながら僧の身分にあったので、
自由にタイ国内を訪ね歩くことができました。
ラーマ四世は、タイ民衆の生の姿を目撃し、
世界の中でタイが置かれている状況を把握していたのです。
王が即位した時期は、産業革命が起こり、大量生産できるように
なった工業製品の販路拡大とアジアの貴重な産物を手中に収めようと、
西洋諸国が圧力をかけてきた時代でした。
王は、世界を見渡す高い見識と英語力により、
他の東南アジア諸国とは異なる道を選択し、
西洋の国々と交流することで、タイ王国の危機を乗りました。

ラーマ四世(モンクット王)
1851年即位-1868年

■地上(ここ)より永遠(とわ)に 【1953・米】


製作:バディ・アドラー
監督:フレッド・ジンネマン
脚本:ダニエル・タラダッシュ
撮影:バーネット・ガフィ
音楽:モリス・ストロフ

出演:バート・ランカスター
    モンゴメリー・クリフト
    デボラ・カー
    フランク・シナトラ
    ドナ・リード
    アーネスト・ボーグナイン
● 物語

1941年、ハワイ、スコフィールド兵営。
ラッパ手のプルー(モンゴメリー・クリフト)が転属されてきた。

彼は前の部隊でボクシング部にいたが、
練習中に親友に失明させるという事故をおこしていた。
たまたま玄関先でプルーを迎えたアンジェロ(フランク・シナトラ)が言った。
「貧乏くじを引いたな。ここはとんでもない部隊だぜ」

中隊長は「拳闘をやらんか、士気高揚になる」と、
プルーにボクシング部に入るよう説得したが、
「やめたんです」 プルーは応じなかった。

曹長ウォーデン(バート・ランカスター)がそれを見てプルーに忠告した。
「要領よくやれ、中隊長をつっぱねると、しごかれるぞ」
ウォーデンは有能な曹長だが、部下からは要領のいいごまスリ男と思われている。
プルーは言った。「自分を通さん奴はクズだ」 プルーは頑固な男だ。

それからプルーへのいやがらせが始まった。
訓練中でも、訓練後でも容赦なくそれは続いた。
そして、ことあるごとにプルーを援護したのはアンジェロだ。
そのおかげでアンジェロもいわれのない構え銃の姿勢での
トラック7周をプルーとさせられるはめになるのだった。

一方、そんなプルーとアンジェラを気遣いつつ、
ウォーデン曹長は中隊長の妻カレン(デボラ・カー)に
強く惹かれ不倫の間柄にあった。

アンジェラに連れて行かれた酒場で、
プルーは、そこで働くロレーン(ドナ・リード)に一目ぼれしてしまった。

ある夜、酒場で、営倉主任のジャドソン(アーネスト・ボーグナイン)と
アンジェロが喧嘩になった。もともと喧嘩を売ったのはジャドソンだが、
彼はポケットから飛び出しナイフを抜いた。

たまたま居合わせたウォーデン曹長が二人の間に割って入る。
「やりたいなら俺に向かって来い!」 その勢いに二人は下がった。
プルーはそれを見て言った。
「見直した」 それまで調子の良い上司としか思っていなかったのだ。

アンジェロが職務離脱して酒を飲みにいったのを
罰せられて営倉6ヶ月になった。
営倉主任のジャドソンがニンマリする。
その頃、プルーはボクサー部の一人に喧嘩を売られ、
壮絶な殴り合いを演じた。
最初は相手の顔面を攻撃しなかったが、そうもいってられなくなり、
顔面を突いた。相手は倒れた。
「ボクサーになるつもりはないぞ」 
プルーはなおも言い放った。

ウォーデンはそんなプルーが好きだった。
ある夜、酔ったウォーデンがプルーと道端で酒を飲んでいるところに、
アンジェロが現れた。
痛めつけられフラフラの状態だ。
そして、アンジェロはプルーの腕の中で
「逃げてきたんだ。豚野郎に気をつけろ」といい、死んだ。

翌朝、いつもと違う力の篭ったラッパの音色が兵営の庭に鳴り響く。
プルーが涙を流しながら吹いていた。

プルーはその夜、町でジャドソンを待ち伏せた。
そして、ジャドソンと格闘になり、刺し殺す。
しかし、プルーも腹に傷を負った。ロレーンの家に逃げ込むプルー。

その年の12月7日、日本軍による奇襲攻撃がハワイを襲った。
いわゆる真珠湾攻撃である。
アメリカ軍は壊滅的な打撃を受ける。

その夜、ロレーンの反対を押し切ってプルーは隊へ戻ろうとした。
しかし、パトロール兵に見つかり、機銃掃射を受けたプルーは死んだ。

アメリカ行きの船のデッキに二人の女性が並んでいた。
カレンとロレーンだった。
二人はそれぞれ実らなかった恋を心に秘めていたのだ。


アカデミー作品、監督、助演男優(フランク・シナトラ)、助演女優(ドナ・リード)、脚色、撮影の6部門で受賞しました。


元記事はコチラ

■デボラ・カー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『めぐり逢い』よりデボラ・カー
(Deborah Kerr、本名:Deborah Jane Kerr-Trimmer, CBE、 1921年9月30日 - 2007年10月16日)
イギリス・スコットランド出身の女優。

サドラーズ・ウェルズ・バレエ団のバレリーナだったが
女優に転身、ロンドンなどの舞台に立つ。
1940年にイギリス映画"Contraband"で映画デビュー。
1947年、マイケル・パウエルの「黒水仙」で注目され、
ハリウッドに招かれる。
アカデミー主演女優賞に計6度ノミネートされるが受賞できず1994年に、
アカデミー名誉賞を受賞。


■ 主な出演作品
『老兵は死なず』- The Life and Death of Colonel Blimp (1943)
『黒水仙』- Black Narcissus (1947)*キネマ旬報ベストテン第10位
『自信売ります』(日本未公開作品)- The Hucksters (1947)
『キング・ソロモン』- King Solomon's Mines (1950)
『クォ・ヴァディス』- Quo Vadis (1951)
『ゼンダ城の虜』- The Prisoner of Zenda (1952)
『東方の雷鳴』- Thunder in the East (1952)
『悲恋の王女エリザベス』- Young Bess (1953)
『ジュリアス・シーザー』- Julius Caesar (1953)
『地上より永遠に』- From Here to Eternity (1953)
『情事の終り』- The End of the Affair (1955)
『誇りと冒?』- The Proud and Profane (1956)
『王様と私』- The King and I (1956)
『お茶と同情』- Tea and Sympathy (1956)
『白い砂』- Heaven Knows, Mr. Allison (1957)
『めぐり逢い』- An Affair to Remember (1957)
『悲しみよこんにちは』- Bonjour tristesse (1958)
『旅路』- Separate Tables (1958)
『旅』- The Journey (1959)
『愛ふたたび』(日本未公開作品)- Count Your Blessing (1947)
『悲愁』- Beloved Infidel (1959)
『サンダウナーズ』- The Sundowners (1960)
『芝生は緑』- Beloved Infidel (1960)
『六年目の疑惑』(英国映画) - The Naked Edge (1961)
『回転』- The Innocents (1961)
『ドーヴァーの青い花』(英国映画) - The Chalk Garden (1964)
『イグアナの夜』- The Night of the Iguana (1964)
『結婚専科』- Marriage on the Rocks (1965)
『007 カジノ・ロワイヤル』- Casino Royale (1967)
『天使のいたずら』- Prudence and the Pill (1968)
『さすらいの大空』- The Gypsy Moths (1969)
『アレンジメント/愛の旋律』- Prudence The Arrangement (1969)


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