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人気ライダー、阿部典史さん死去(トラックと衝突)

2007-10-09 | 




2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さん

乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれましたが

間もなく死亡しました。

32歳でした。

(写真は、シューマッハと阿部さん)


ノリックが交通事故死、トラックと衝突(日刊スポーツ) - goo ニュース

さようならノリック(阿部典史氏)



ノリックが交通事故死、トラックと衝突

 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。

 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 現場はUターン禁止だった。トラックを運転していた51歳の男性は、道を間違えて引き返そうとしていたといい、同署が自動車運転過失致死の疑いで事情を聴いている。

 阿部さんはオートレース選手の父光雄さんの影響で、5歳でバイクレースを始めた。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝するなど、若くして才能を開花させた。95年から当時、WGPの最高峰クラスだった500CCにフル参戦。翌96年の日本GPで初優勝し、日本人としては14年ぶりの優勝を遂げた。後輪を滑らせながら必死に逃げる姿は、伝説のレースとして多くの2輪ファンに語り継がれている。

 レース中になびかせる長髪がトレードマークで、気さくな性格から「ノリック」の愛称で親しまれた。WGPでは通算3勝、表彰台17回の実績を残し、岡田忠之、伊藤真一らとともに日本に2輪ブームの再来をもたらした。マイケル・ドゥーハンら世界を代表するライダーと対等に渡り合いながら突然、転倒することもあり、「速くて危険なライダー」とも言われた。

 スーパーバイク世界選手権などを転戦後、今季から全日本に復帰。5月のレースでは3位に入り、復活をアピールした矢先の事故だった。

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96年は誰もが、今でも記憶に鮮明に残る鈴鹿グランプリ。
トップを走りながらも力をゆるめることなく、
ファステストラップを更新しながら、タイヤを滑らせながら、
後続から8秒近くもの差をつけた独走でチャッカーフラッグを受け優勝! 
14年ぶりの日本人のGP500での優勝、しかも鈴鹿では日本人の
優勝は初めて。
サーキット全体が最高潮に達し、表彰台でのノリックの涙に
テレビで観戦の人々までもが涙した。
テレビ大阪の千年屋アナの実況「桜吹雪の中を...」の名フレーズは 
今でも鈴鹿サーキットに桜が舞い散る時、何度も頭の中をリフレインする。

1回目の優勝は大粒の涙をこぼし 泣きじゃくり これまで優勝をしてこんなに
泣いたライダーをみたことがあったろうか?と 評された。
2回目は 愉快痛快な壮絶バトルでの優勝ということで笑いが止まらなかった。
3回目の優勝は 「もう慣れた」とコメント。


阿部典史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿部 典史(あべ のりふみ)
1975年9月7日 - 2007年10月7日
東京都出身のモーターサイクル・ロードレースレーサー。
エントリーネームはニックネームでもある
「Norick Abe(ノリック・アベ)」。

■戦歴
1988年 - 13歳でレースデビュー
1991年 - アメリカでダートトラック、モトクロスなどに出場
1992年 - スーパーカップイースタンシリーズ250ccランキング2位
1993年 - 全日本ロードレース選手権500ccチャンピオン
1994年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク参戦
ロードレース世界選手権500ccデビュー
1995年 - WGP500ccランキング9位/マルボロ・ヤマハ・ロバーツ
1996年 - WGP500ccランキング7位(日本GP優勝)/マルボロ・ヤマハ・ロバーツ
1997年 - WGP500ccランキング7位/マルボロ・ヤマハ・レイニー
1998年 - WGP500ccランキング6位/マルボロ・ヤマハ・レイニー
1999年 - WGP500ccランキング6位(リオGP優勝)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2000年 - WGP500ccランキング8位(日本GP優勝)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2001年 - WGP500ccランキング7位)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2002年 - MotoGPランキング6位)/アンテナ3・ヤマハ・ダンティン
2003年 - MotoGPランキング16位(スポット参戦)  
2004年 - MotoGPランキング13位/フォルチュナー・ゴロワーズ・ヤマハ・テック3
2005年 - スーパーバイク世界選手権ランキング13位/ヤマハモーターフランス
2006年 - スーパーバイク世界選手権ランキング13位/ヤマハモーターフランス
2007年 - 全日本ロードレース選手権JSB1000/ワイズギア・レーシング

■ 人物
スタートに秀で、WGP時代には予選10位台から1コーナーをクリアした時には
トップ集団に食い込んでいることも多かった。
独特の前輪に荷重させたライディングスタイルはマイケル・ドゥーハンに
「最も才能に恵まれているが最もリスキー」と言わしめた。

全日本時代から長髪をトレードマークとしていた。
ヘルメットからはみ出るその髪を日本のモータースポーツ関係者から
「転倒時の危機管理意識が低い」と批判され一度短く切ったことがあるが、
外国人中心のチーム関係者からは「らしくない」とからかわれ、
再び伸ばしたことがある。
2007年10月7日に事故死するまでは短髪だったが、これは本人のセンスの変化
によるもの。


レーサーの阿部典史さん事故死=トラックと衝突-川崎市 (時事通信) - goo ニュース

阿部典史氏死去 オートバイレーサー(共同通信) - goo ニュース
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